古村治彦の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、以下のアドレスをご覧ください。http://soejimaronbun.sakura.ne.jp/goaisatsu.html 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。よろしくお願いします。


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※私(古村治彦)が管理人をしておりますウェブサイト「副島隆彦の論文教室」にも『政治の起源(上)』の宣伝文を掲載しております。宣伝文へは、こちらからどうぞ。

Francis Fukuyama)著『政治の起源(上) 人類以前からフランス革命まで』(会田弘継訳、講談社、2013年)を皆様にご紹介いたします。




  古村治彦(ふるむらはるひこ)です。

 今回は、2013年11月6日に刊行されましたフランシス・フクヤマ(


 本書は、2011年に全世界で出版されました
The Origins of Political Order: Volume 1(Farrar, Straus and Giroux, 2011)の前半部を訳出したものです。後半部は来年2013年12月に刊行される予定です。また、「volume 1」とありますように、「volume 2」も来年全世界で発売される予定です。こちらもまた上下2巻に分けて訳出されて講談社から刊行されます。日本語訳で合計4冊にもなる壮大な仕事ということになります。


 本書『政治の起源(上)』の刊行に、私は翻訳協力として関わりました。具体的には、本書第5章から第14章までを訳しまして、訳者である会田弘継氏がそれに手を入れるという形、出版の世界で「下訳(したやく)」と呼ばれる仕事を行いました。私が訳出した文章を会田氏がより読みやすく、より正確に加筆訂正したものが今回刊行されました。


 『歴史の終わり』で颯爽とデビューし、一時期はネオコンの理論家として活動していたフランシス・フクヤマ。フクヤマは、ハーヴァード大学の学生時代の恩師(mentor、メンター)である故サミュエル・ハンチントンの業績である『変革期の政治秩序(上・下)(Political Order in Changing Societies)』(内山秀夫訳、サイマル出版会、1972年)からインスピレーションを受けて、本書『政治の起源』を書いたそうです。


フクヤマは、『政治の起源』のシリーズで、「政治制度(政治秩序)の発展と衰退」の研究の成果を発表しています。この研究はフクヤマにとって人生最後の大きな研究ということになります。そして、フクヤマは師であるハンチントンのように、読者である私たちに向けて「大きな俯瞰図(big picture)」を提示しようとしています。


 本書『政治の起源(上)』には、第1部「国家以前」と第2部「国家建設」が収められています。『政治の起源(下)』(2014年に日本で刊行予定)には、第3部「法の支配」と第4部「政府の説明責任」が収められています。これから、その内容について、簡単にご紹介したいと思います。


第1部「国家以前」には5つの章が収められていて、国家が形成されるまでの人類の社会組織について、これまでの生物学、考古学、人類学の成果に基づいて、詳しく述べられています。フクヤマによると、人類の社会組織は、群れ(band、バンド、非定住的)、部族社会(tribal societies、トライバル・ソサイエティーズ)、首長制社会(chiefdom、チーフダム)、国家(state、ステイト)の4段階に進んできたとしています。そして、フクヤマは近代的な政治制度を機能させる3つの柱として、①国家(state、ステイト)、②法の支配(rule of law、ルール・オブ・ラー)、③政府の説明責任(accountability、アカウンタビリティ)を挙げます。国家は「一定の区切られた領土において、権威を集中させ、その権威が軍事力を事実上独占する」ものです。そして、法の支配とは、「法制度に、社会を覆う最高の権限が付与され、一時的に軍や官僚制度を指揮するだけにすぎない統治者の権限よりも上位にある権威とみなされるようになる」ものです。更に、説明責任とは、「統治者を明文化された法に従わせることで国家の力を制限するだけでなく、広範な市民を代表する議会などに対し、統治者に「説明責任」を負わせる」ことで、「近代的民主主義は、統治者が自身の権力を制限するための明文化された規則に従い、選挙によって表明された広範な民意に自らの統治権を従わせること」となります。


そして、欧米の学者の多くはギリシア、ローマが国家制度を初めて作り出したと主張しているのですが、フクヤマは、マックス・ウェーバーの定義する近代国家に適う国家制度を作り上げたのは中国だと主張しています。そして、中国、インド、イスラム世界、キリスト教世界における国家制度発展の道筋を辿っています。近代国家の特徴を挙げると、洗練された徴税システムと家族のつながりではなく才能を重視して採用される、階層的組織を持つ官僚たちということになります。これらは、ギリシア、ローマでは生まれなかったとフクヤマは指摘しています。


第2部「国家建設」には11の章があり、中国、インド、イスラム世界、ヨーロッパにおける国家形成について詳しく述べられています。部族社会から国家社会への進化、部族と国家との間の緊張関係、国家と宗教との間の関係が主なテーマになっています。フクヤマによると、世界史上、初めてウェーバーの定義に適う国家を生み出したのは中国だということです。中国を初めて統一した秦帝国(紀元前221年建国)は、法家思想(Legalism、リーガリズム)に基づいた国家であったということです。強力な国家は戦争遂行と国家の生存のために生み出されました。近代的な官僚制度(実力主義と階層的組織という特徴を持つ)と軍隊(徴兵制と実力主義を備えた)が生み出されました。


しかし、秦は急進的な社会改革を進めようとしたために、社会各からの反対に遭い滅亡しました。その後に誕生した漢王朝は、秦時代に弾圧された儒教(Confucianism、コンフューシャニズム)の正当性を認め、法家思想による国家組織を維持しながら、その国家組織を、儒教教育を受けた官僚によって運営させるという折衷案を生み出しました。これがその後の中国の各王朝のモデルとなりました。


 インドの場合は、国家が作られる前に、ヴァルナ(varnas)と呼ばれる社会階級が出現しました。それは、司祭(バラモン)、戦士(クシャトリア)、商人(ヴァイシャ)、上記3つの階級に入らない残りの人間(シュードラ)です。加えて、バラモン教(ヒィンドゥー教)に基づいたカースト制度(jatis、ジャーティ制度)が導入されました。


 インドでは、統治者である王よりも上位の権威としてバラモンがいて、バラモン教の教義が王の権威と権力を制限しました。その結果として、インドでは、「法の支配」が発達しました。また、社会の各集団が自律性を持ったことで、統一的で中央集権的な国家の誕生に対する障壁となりました。しかし、分権的な社会集団の存在と国家の力が弱いことが結果として、戦後独立したインドで民主政治体制(democracy、デモクラシー)を存続させることにつながりました。


イスラム世界の国家制度において大きな特徴となったのは、軍事奴隷(mamluks、マムルーク)制度です。この軍事奴隷とは、非イスラム教徒(キリスト教徒)居住地域から、肉体的、知能的に優れた少年たちを徴発してきて、家族と引き離し、教育を施し、エリート官僚や軍人にする制度のことです。彼らは「一代限りの貴族」であり、マムルークの子孫たちは財産や特権を引き継ぐことができませんでした。


ヨーロッパのキリスト教世界では、部族社会から個人主義へと社会を変革したのは、カトリック教会でした。カトリック教会は自身の物質的利益を増大させるため、財産や土地の寄進を人々に行わせようとしました。その時、邪魔になるのは部族、親族です。部族社会であれば、ある人が後継ぎを作らずに死亡した場合、その人が遺した財産は部族のものとなり、血縁関係がある人がその財産を継承します。しかし、カトリック教会は、「禁煙同士の結婚、親類の寡婦との結婚、子どもの養子縁組、離婚」を禁止しました。その結果、ヨーロッパでは、部族関係と親族関係が弱まり、個人主義が発達しました。このことが結果として、「法の支配」や資本主義の誕生につながったとフクヤマは指摘しています。


 中国からヨーロッパのキリスト教世界に至るまで、共通するのは、国家制度に対する大きな挑戦は、部族社会の存在であり、国家制度を家産制(Patrimonialism、パトリモニアリズム)に引き戻そうとする動きであったことでした。家産とは個人の財産のことで、国家の支配者が国家を自分の財産のように扱うことを家産制と言います。自分の親族や友人を大事にしたい、優遇したいというのは人間の自然な感情です。しかし、国家体制はそのように「私物化」されると、弱体化していきます。実力ではなく、縁故で人材が登用されれば、実力が伴わない人間が重要な地位に就くことになり、国家は衰退していきます。権力の「家産(個人の財産)化」、「私物化」を如何に防ぐか。これが国家制度の維持にとって歴史的に大きな課題でした。この課題のために生み出されたのが中国の「科挙(civil service exams、シヴィル・サーヴィス・エグザムス)」であり、「宦官(eunuchs、ユーナックス)」であり、イスラム世界の「軍事奴隷(mamluks、マムルーク)」ということになります。


 フクヤマは、「日本語版への序」の中で次のように書いています。「人類史を通じて、人の本性は変わっていない。「家産制の復活」、すなわち支配階級が政治制度を私物化し自分の目的のために使おうとするような慣行は、中国の後漢時代や17世紀フランスと同じように、現代でも普通に行われている。本書の日本での出版を通じて、日本の経験を世界の他のさまざまな社会の場合と引き比べるとともに、日本の諸制度の将来についての議論を活発化させる一助になってほしいと願っている」(8ページ)。この一節について、いろいろな読み方、解釈ができると思います。私は、「現在の日本の国家制度は家産化されているのではないか」ということを読者である私たちが注意深く、世界史の流れを理解した上で考えてみるべきだ、というフクヤマの提案、提言であると考えます。


繰り返しになりますが、本書は、フクヤマの人生最後の大研究の成果が収められたシリーズの第1冊目となります。これから後3冊、刊行される予定になっています。その第一弾として、今回、『政治の起源(上)』が発刊されました。フランシス・フクヤマという現代の第一級の学者の渾身の研究成果の翻訳に参加できたことはとても光栄なことでした。そして、まだ本決まりではありませんが、来年に刊行される「volume 2」の翻訳に私はまた参加(下訳・翻訳協力)することになると思います。


 是非『政治の起源(上)』を手にとってお読みいただきたいと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。


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 古村治彦(ふるむらはるひこ)です。

 この度、ブログ「古村治彦の酔生夢死日記」の会社をエキサイト・ブログからライヴドア・ブログに変更しました。引っ越しの理由は、私の友人にライヴドア・ブログに引っ越しすることを勧められたからです。

 引っ越しをして、心機一転、定期的に記事を更新していきたいと思います。今後ともブログ「古村治彦の酔生夢死日記」を宜しくお願い申し上げます。

古村治彦拝

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2013年6月に「副島隆彦の学問道場」福島復興活動本部解散式に出席したときの一枚

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