古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、以下のアドレスをご覧ください。http://soejimaronbun.sakura.ne.jp/goaisatsu.html 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。





 古村治彦です。

 今回は、本日の安倍晋三首相の靖国参拝についての駐日アメリカ大使館のプレスリリースの内容を皆さんにご紹介します。

 この声明で使われているdisappointedという表現は大変強い調子であるといえます。「懸念を持っている」というくらいならconcernedくらいになるでしょうから。同盟国に対してこのような表現は少し異例なくらいに強い調子です。

 しかし、ちゃんと最後の二行でバランスを取っていると言えます。しかし、これも「過去を反省し、平和構築に貢献する」と言ったからには、それが行われるようにきちんと見ていますよ、という意図が透けて見えます。そして、この二行の怖いところは、アメリカが進める「平和」の構築作業に日本も参画するということの言質を取られたという点であると思います。

 非常に「バランスの取れた」、しかし、アメリカの意図が良く分かる文章であると思います。

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プレスリリース


http://japan.usembassy.gov/e/p/tp-20131226-01.html?fb_action_ids=718052764872278&fb_action_types=og.likes&fb_aggregation_id=288381481237582#.UrvTtIXDGAl.twitter


2013年12月26日の安倍首相の靖国神社参拝に関する声明(Statement on Prime Minister Abe's December 26 Visit to Yasukuni Shrine)


2013年12月26日

 日本はアメリカ合衆国にとって重要な同盟国であり、友人である。そのような良好な関係にあるが、アメリカ合衆国は日本の指導者が近隣諸国との緊張を更に高めることにつながる行動を取ったことに失望している。


 アメリカ合衆国は日本と近隣諸国が過去に由来する微妙な問題を解決し、関係を改善し、アジア地域の平和と安定という私たちが共有する目的を達成するために協力関係を促進するための建設的な方法を発見することを希望している。


 安倍首相が過去に対して悔悟の念を表し、日本が平和構築のために関与していくことを改めて表明したことを私たちは注視している。


(終わり)




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 古村治彦です。

 本日、安倍晋三総理大臣が総理就任一周年ということで靖国神社に参拝しました。これに対してのアジア地域に通じたアメリカ知識人の見解をご紹介します。

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自分のソフトパワーに自ら損失を与えるという分野に出現した新しいチャンピン:日本(Our New Champion in Self-Defeating Soft Power: Japan)


「日本、中国、韓国との関係を悪化させ、その影響をアメリカにまで及ぼすたった一歩の行動。今日、日本の総理大臣がその一歩を刻んだ」


ジェームズ・ファローズ(James Fallows)筆
2013年12月25日 アトランティック・マンスリー誌
http://www.theatlantic.com/international/archive/2013/12/our-new-champion-in-self-defeating-soft-power-japan/282654/


 今夜、私は飛び込んできたニュースが本当とは思えなかった。日本の安倍晋三総理大臣が東京にある靖国神社を公式参拝したのだ。私はこのニュースが信じられなかった。それは、そのような行動を取れば現在の東アジアの微妙な状況をもっと悪化させることは分かり切ったことであったからだ。だから安倍首相はそのようなことはしないだろうと私は考えていた。               


 しかし、私の予想に反して安倍首相は靖国神社に参拝した。中国のとの緊張が続く中で、日本の指導者が靖国神社に参拝することは、ドイツの首相がイスラエルとの間で懸案や意見の相違がある時期にアウシュビッツやブーヘンヴァルトを訪問するのとは全く違うものだ。また、NAACPが見ている中で、アメリカの白人の政治家が黒人がリンチを受けた場所を訪問するのとも違う。しかし、そこまでかけ離れたものでもない。


 靖国神社はその構造はシンプルで、大変に美しい場所である。そして厳かな気持ちを起こさせる場所である。靖国神社は多くの戦死者たちの安息の場所だ。不幸なことに、戦死者たちに第二次世界大戦後に戦争犯罪人と公式に認定された人々が含まれている。中国の政府指導者と世論形成に影響力を持つ人々、そして韓国のそういった人々は靖国神社を帝国主義時代の日本の残酷さの象徴として見ている。加えて、靖国神社にある「歴史」博物館を訪れたアメリカ人(私も訪問したことがある)は、そこで、日本がアメリカの経済制裁と軍事圧力によって第二次世界大戦に「嫌々ながら強制的に」参加することになったという説明を目にすることになる。


 簡潔に述べるならば、日本の総理大臣による靖国神社訪問は、日本・中国・韓国・アメリカの関係に緊張をもたらすのにこれ以上の行動はないというものなのである。しかし、安倍首相は靖国神社に参拝した。先月、私は、中国が全く必要がないのに「防空識別圏」を設定し、近隣諸国に脅威を与えた行動に対して、「自分のソフトパワーに自ら損失を与えた」賞を与えると述べた。しかし、私は間違っていたようだ。この賞は日本にお返しすることにする。


(終わり)

※ご指摘がありました(2013年12月30日)。筆者のファローズは上記論文の中で、「ドイツの首相がイスラエルとの間で懸案や意見の相違がある時期にアウシュビッツやブーヘンヴァルトを訪問するのとは全く違うものだ。また、NAACPが見ている中で、アメリカの白人の政治家が黒人がリンチを受けた場所を訪問するのとも違う。しかし、そこまでかけ離れたものでもない」と書いた部分を、次の論文(2013年12月26日付「靖国神社はアウシュビッツとはどう違うのか」)の中で「誤っていた」として訂正し撤回し、誤りを指摘するコメントをいくつも紹介してします。(2013年12月31日)
http://www.theatlantic.com/international/archive/2013/12/why-yasukuni-is-different-from-auschwitz/282667/


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 古村治彦です。

 今回もまた、フランシス・フクヤマ著『政治の起源(上・下)』の書評を皆様にご紹介したいと思います。これは、ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」に2013年10月28日に発表したものです。

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(1)ニューヨーク・タイムズ紙 2011年4月15日


http://www.nytimes.com/2011/04/17/books/review/book-review-the-origins-of-political-order-by-francis-fukuyama.html?pagewanted=all&_r=0


「書評:フランシス・フクヤマの国家に関する国家―『政治の起源』」

マイケル・リンド(Michael Lind)筆


 「この本には2つの起源がある」。フランシス・フクヤマは著書『政治の起源』の前書きでこのように書いている。「私の師であるハーヴァード大学教授サミュエル・ハンチントンが、彼が1968年に出した古典的名作『変革期社会の政治秩序』の改訂版に前書きを書くように依頼されたとき、私はまず本作の着想を得た」と書いている。そして、彼がこの10年間、「現実世界における弱体国家と破綻国家」について研究し、その成果を2004年に『国家建設:21世紀における統治と世界秩序』として発表した時に、2回目の着想を得たということである。


 『政治の起源』の起源について語る時、フクヤマは謙虚である。彼は不誠実でも、陰険ではない。フクヤマは1989年に外交政策専門誌『ナショナル・インタレスト』誌に発表した論文「歴史の終わり?」とそれを基にした著書『歴史の終わり』を発表した。それが国際的に評判となり、有名になった。彼の主張は世界中で論争を引き起こした。その内容な次のようなものだった。「私たちが目撃したものは、冷戦の終わりや戦後の歴史のある特別な時期の終わりというだけでなく、歴史自体の終わりなのである。それはつまり、人類のイデオロギーの進化の最終地点に到達したということであり、西洋流の自由民主政治体制が人類の統治の最終形態として普遍化されたということなのである」


 それから20年、フクヤマは彼の主張を修正してきてはいるが、放棄してはいない。2巻の出版が予定されているうちの1巻目であるこの『政治の起源』の中で、フクヤマは次のように書いている。「ロシア出身で、フランスで活躍した偉大なヘーゲル解釈学者アレクサンドル・コジューブは、歴史というもの自体は1806年のイエナ・アウエルシュタットの戦いの時点で終わったと主張した。この時ナポレオンがプロイセン王を破り、ヘーゲルのヨーロッパに自由と平等の原理をもたらした。私はコジューブの主張は現在においても真剣に考慮するに値すると確信している。近代的な政治秩序の3つの要素、強力なそして実務上有能な国家、国家の法の支配に対する従属、全ての国民に対する説明責任は、18世紀末までに構築された」


 これら3つの要素がイギリスで最初に結合したことは偶然の産物であった。しかし、オランダ、デンマーク、スウェーデンといった宗教改革に強い影響を受けたヨーロッパ北西部の国々もまた「19世紀までに国家、法の支配、説明責任を結合させることに成功した」とフクヤマは書いている。産業革命と民主革命によってイギリスとその近隣諸国で3つの要素の結合が起きる前、これら近代的な政治秩序に必要な3つの要素はそれぞれ別々に、異なった前近代的文明で進化していた。フクヤマは次のように書いている。「中国は早い時期から強力な国家を発達させていた。インド、中東、ヨーロッパには法の支配が存在した。イギリスで説明責任を果たす政府が初めて出現した」


 『政治の起源』の大部分のページは、18世紀にイギリスで3つの要素が結合する以前に、国家、法の支配、説明責任がそれぞれ異なる社会でどのように進化していったかの物語を語ることに費やされている。フクヤマのこれまでの著作は決定論に過ぎないという批判をする批評家たちがいる。確かにフクヤマは偶然が果たす役割を強調する。近代的な政治機関は「複雑で、文脈固有のもの」である。例えば、近代初期のヨーロッパでは、中世のキリスト教教会の力によって拡大家族の意義が失われていった。これは、「16世紀のイタリア、イギリス、オランダで資本主義経済は出現したが、インドと中国とは異なり、これは既得権益を守ろうとする組織化された氏族グループの抵抗を排除しなくても良かった」ということを意味するのである。


 フクヤマは、政治的、そして社会的機関が経済的、もしくは技術的構造にただ付帯しているだけのものであるとする還元主義的な説明を拒絶している。フクヤマは次のように主張している。「様々な社会が異なった発展経路をたどる基本的な理由として多くの要素を考慮に入れなければ、政治発展に関する有意義な理論を構築することは不可能である。特に、物質的な条件の前に宗教というものを考慮しなければならない」


 こうした理由から、フクヤマのこれまでの著作と同様『政治の起源』では、急進的な社会科学である新古典派経済学の発達とは相いれないものとなっている。フクヤマは19世紀の社会学の伝統に連なる偉大な思想家である、ウェーバー、デュルケーム、マルクス、ヘーゲルとの類似点を多く持つ。フクヤマは特に、ヘーゲルについては論文「歴史の終わり?」の中で社会科学者として扱っている。この社会学的な伝統に連なっているので、フクヤマは、「政治は歴史と進化の産物であり、ロック流の自然権理論と市場至上主義、「マンチェスター自由主義」の否定から生まれたと考えている。「経済人」という言葉で社会を説明しようとするフリードリッヒ・ハイエクのようなリバータリアンたちとは異なり、フクヤマは、強力で機能する国家は資本主義経済が繁栄するための前提条件となると主張している。


 社会学の最新の研究成果と抽象的な自然権を主張するリベラリズムに依拠して、フクヤマは次のように書いている。「前社会的な状態で人類は存在することはなかった。人類はかつてここに孤立した個人として存在し、無秩序な暴力(ホッブス)やお互いを平和的に無視する(ルソー)ことで相互に関わっていたのは正しくない」


 しかし、読者の中にはフクヤマは自然権の伝統をあまりにも軽視しているのではないか、自然権の伝統がルネサンスと啓蒙的リベラリズムを生み出しだのに、と考える人たちもいるだろう。フクヤマの歴史重視主義と思想が政治秩序を形成するという主張は異論を巻き起こす。フクヤマはインド社会の形成について古代のバラモンたちが構築した神学を重要な説明要素としているが、17世紀のイギリスの水平派とロックを信奉した人々についてはそのように考えていない。彼らはイギリス革命、アメリカ独立革命、フランス革命に影響を与えたにもかかわらず、だ。近代性を受け入れて、ゲルマン部族の習慣と中世社会の企業体に西洋近代の機構の起源を求めた19世紀の歴史主義者たちと同様、フクヤマは民主的な政治秩序を支持する立場にある。一方で、普遍的な諸権利と道徳的、認識論的な個人主義のような民主的政治秩序を正当化する諸理論は間違っていると主張している。刊行が予定されている第2巻目で、フクヤマはアメリカ独立革命とフランス革命を導いた思想について取り扱うと言っている。これは今から楽しみである。


 『政治の起源』は、多くの学問分野の研究成果を統合して人類史の概観を作り出そうとする意欲的な試みとなっている。この試みが成功するかどうか疑いを持っている人も彼の主張の詳細な部分や結論に異論がある人もフクヤマの大胆さには感心するし、彼の主張には刺激を受ける。本書は野心的で、知識に溢れ、雄弁である。そして、私たちが生きているこの時代をリードする知識人が到達した知の最高地点を示している。


(終わり)


(2)フィナンシャル・タイムズ紙 2011年4月30日

http://www.ft.com/intl/cms/s/2/bc6e983c-7125-11e0-acf5-00144feabdc0.html#axzz2hZLWxUHo


「書評:『政治の起源(The Origins of Political Order)』」

クリストファー・コールドウェル( Christopher Caldwell)筆


 政府というものの起源は何で、何のために存在し、誰が組織するものなのだろうか?これらの疑問は長年にわたり、哲学者たちを突き動かしてきた。ホッブスは、政府を「万人の万人に対する闘争における一時的な休戦状態」と表現し、ローゼナウは「社会契約」と表現した。スタンフォード大学所属の政治学者フランシス・フクヤマは、自分こそが彼らよりもより良い答えを導き出せると考えているようだ。ダーウィンと19世紀の偉大な人類学者たちが行った、比喩と推測を使った政府に関する理論の構築を越えることができるとフクヤマは考えているようだ。そして、フクヤマは、生物学と歴史学の成果から、政府の起源に関する理論を打ち立てることができると確信しているようである。


 フクヤマの最新刊は学術的ではあるが、才気が縦横に溢れた刺激的な著作である。第一巻目となる本作は、前史からフランス革命、アメリカ独立革命までの様々な政治システムについて詳述している。フクヤマがこの著作を書くに当たって念頭に置いていたのは、彼の亡くなった師、サミュエル・ハンチントンが1968年に発表した『変革期社会の政治秩序(Political Order in Changing Societies)』の内容を時代に合わせて新しくするという試みであった。しかし、この『変革期社会の政治秩序』という本が書かれたのは、世界の進歩が信じられていた時代である。21世紀初頭に生きる西洋人の性向として、フクヤマは、政治的衰退、もしくは「腐食」と呼ぶものに啓発されて本書を書いている。


 衰退という考えは、フクヤマの名前を一躍有名にしたものだ。1989年、米国務省の若き政策分析官であったフクヤマは、論文「歴史の終わり」を発表した。この論文は、東欧諸国の共産主義の崩壊について説明しようとした初の試みであった。その当時はまだ、ベルリンの壁は崩壊していない中で、フクヤマの分析は大変に印象的であった。ナポレオンは1806年にプロシアを破った。ヘーゲルはこれをフランス革命の諸原理の王制の諸原理に対する勝利であると考えた。フクヤマは、ヘーゲルのように考え、「冷戦の終結は、自由主義的資本主義以外の選択肢を消滅させつつある」と宣言した。簡単に言ってしまえば、フクヤマは、ソ連の経済学者たちが突然 ミルトン・フリードマンと比較されてしまう状況になるのだと述べたのである。フクヤマは、ヘーゲル流の歴史の終わりという考え方は、「国際的な紛争の消滅を意味するものではない」と強調した。しかし、バルカン半島の旧ユーゴスラヴィアで起きた大量虐殺やアフリカでの騒乱はフクヤマの主張に打撃を与えるものであった。そして、フクヤマの「歴史の終わり」論文は、論文を読んでいない人たちによって誤用されている。


 もちろん、フクヤマはいくつかの点を見落としている。資本主義は、リベラリズムや民主政治体制よりも戦後世界の重要な構成要素であるということをフクヤマは見逃している。フクヤマは、イラク戦争に突入した時点ではまだ楽観的であった。アメリカの力は、より良い流れを生み出し、加速していると彼は書いていた。読者の中には、彼の書いている文章の中にアメリカの衰退の兆候を見てとる人もいる。


 フクヤマは人間の本性について2つのことを私たちに知って欲しいと望んでいる。一つ目は、人間とは社会的生物であり、人間同士が相互に影響を与え合うように行動する際に、社会契約を結ぶことは必要としないということである。二つ目は、人間は親族と友人たちに好意を示すということを通じて相互に活動しているということだ。フクヤマは、いかなる政治秩序も、人間の持つ身内贔屓と仲間を優先するという性向が生み出したものだと主張している。政治秩序の形成過程はきれいなものではない。人類で初めて身内贔屓ではない政治秩序が形成されたのは秦である。秦の「法家たち(Legalists)」は中国を短期間ではあるが統一し、西洋に先んじること2000年、実力主義による官僚登用の基礎を築いたのである。独裁的な商鞅は、儒教的な農業システムを廃止した。このシステムでは、農民たちは家族に縛り付けられ、家族はお互いに縛り付けあっていた。そして、儒教的なシステムの廃止によって、全てを決定し命令する国家に対して人々は防御する手段を失った。


 他方、フクヤマは、中国は説明責任に関しては後進的であると見ている。儒教は、道徳的な説明責任の基盤となった。儒教では「権力は被支配者たちの利益になるように行使されるべきだ」と教えている。しかし、法家思想ではこうした考えを否定した。そして、中国では、インドとは異なり、形式化された説明責任は存在しなかった。インドでは、王たちを越える存在であるほうの守護者としてバラモンが存在した。そして、王たちはその野心をチェックされることになった。こうしてインドは常により自由ではあるが、統治がしにくい状態になった。しかし、評価は人それぞれであろうが。


 ギリシアとローマではなく、中国とインドから話を始めたのは西洋の歴史家の目には異例の試みに映るだろう。しかし、フクヤマは政治学者である。彼の仕事は、実現可能な国家諸形態の分類学であり、民主政体の系統研究学ではない。東洋においても、西洋においても政府が直面する課題というものは基本的に同じものである。それは、国家の権威を縁故主義者と部族優先主義者たちから守り、転覆させないということであった。もっとも独創的な解決法は、13世紀のマムルーク朝エジプトと16世紀のオスマントルコで採用された「軍事奴隷」であった。オスマントルコ帝国では、役人たちが領土内の非イスラム教地域を巡回し、見た目が良く、能力がある少年たちを探し出して奴隷化し、イスタンブールに連れ帰り、去勢を施した後、軍人か役人として国家を防衛、もしくは運営させるために教育と訓練を施した。同様の制度が女性に対してもあり、少女たちを妻や妾にするためにバルカン半島とロシアの奴隷市場が開かれていた。


 フクヤマは空想的なロマンチストではない。本書を通読すれば分かるが、政府は「進化すれば」、官僚的になり、ヒエラルキー構造になるという印象を受けるだろう。しかし、フクヤマにとっては、統治能力の発達が他の分野の発達を意味するものではない。これは彼が西洋の説明責任を負った統治や民主政体がどのように発達してきたかを描写しているものを読めば明らかだ。


 フクヤマは、民主政治体制の土台は、中央集権化が進む権威に対する「少数の人々による抵抗」にあると考えている。国家とその敵対者たちとの間の争いの種類はさまざまである。ロシアでは、国家と結んだ上流階級が農奴たちを支配した。その結果、絶対主義が発生した。イギリスでは、プロテスタントたちがカトリック教を信奉するスチュアート王朝に対して反旗を翻した。この動きは慣習法の発達によって促進された。そして、イギリスの王たちは、その当時の世界各国の動きとは異なり、議会を無視することはできなくなった。その結果、イギリスでは自由が尊重されることになった。「代表なくして課税なし」は道徳的な原理ではなく、力に基づいた計算から導き出された要求である。フクヤマの考え方はこれまでの陳腐な決まり文句に対して反対するものである。彼の考える民主政体は後衛を守るイデオロギーなのであり、前衛ではない。古い階層、王制、迷信といったものも民主政体性を生み出すための材料なのである。


 本の中ではっきりとは述べられていないが、フクヤマの冷酷なメッセージは、道徳的、そして文化的な発展は、政治的、そして文明的な退廃を意味する、というものだ。いかなるシステムも堅固に守られなければ、再び部族優先主義や家族優先主義に陥ってしまう。16世紀、オスマントルコの高官たちはこうした悪弊にすぐに陥ってしまった。まず、マムルークの婚姻禁止制度を廃止し、彼らの息子たちが一定数政府に入る枠を作り、少年たちを集めてくるシステムも廃止された。究極的に言えば、全ての支配者にとって最も手ごわい敵は人間の本性ということになる。


(終わり)


(3)フォーリン・アフェアーズ誌 2011年5・6月号

http://www.foreignaffairs.com/articles/67753/francis-fukuyama/the-origins-of-political-order-from-prehuman-times-to-the-french


「書評:フランシス・フクヤマ著『政治の起源(The Origins of Political Order: From Prehuman Times to the French Revolution)』」

G・ジョン・アイケンベリー(G. John Ikenberry)筆


 フクヤマは、「歴史の終わり」という考えを提唱したことで良く知られているが、この『政治の起源』という記念碑的な著作で、フクヤマは、前史時代からフランス革命に至るまでの政治秩序の起源と軌跡を追いながら、歴史そのものを概観している。続編はフランス革命から現在に至るまでを網羅することになるということだ。サミュエル・ハンチントンの古典的名作『変動期社会の政治秩序』にフクヤマは触発され、この『政治の起源』を書いた。フクヤマは、人類が部族社会を形成し、組織的な政治共同体を徐々に出現させ、領土を伴った国家へと発展させていく過程を丹念に描いている。フクヤマは、それぞれの段階について、特に政治機構の起源と発展に興味を持って、詳しく調査、研究を行っている。彼の研究範囲はアラブ、アフリカ、中国、ヨーロッパ、そしてインドへと広がっている。フクヤマは、「政治的発展は、社会が漸進的に発展し、異なるシステムを持つ社会間で争い、時には後退もしながら、近代国家出現まで進んでいく中で、明確な姿を持つようになっていった。近代国家では、権威は中央集権化され、法の支配が確立され、人々から選ばれた指導者たちは説明責任を負う。『政治の起源』の中で、フクヤマは、国家の出現についての、戦争と経済的な侵略を強調した伝統的な説明と変化しやすい法、正義、宗教に特化した説明を融合させている。


(終わり)

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