古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、以下のアドレスをご覧ください。http://soejimaronbun.sakura.ne.jp/goaisatsu.html 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。


アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12




野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23



 古村治彦です。

 

 先日、話題になっている明智憲三郎著『本能寺の変 431年目の真実』(文芸社、2014年)を読みました。私の師である副島隆彦先生、仲間の多くも本書を読んで色々と話をしていたので、乗り遅れないためにも読みました。読んでみたら大変面白い内容でした。


honnoujinohen001



 著者の明智憲三郎氏は、本能寺の変(1582年)で主人公、明智光秀の子孫で、長年大手電機メーカーに勤務しながら、本能寺の変やその周辺時代のことを独自に研究されてきたそうです。そして、その研究の成果がこの『本能寺の変 431年目の真実』ということになります。著者の明智氏は、自分の研究手法を「歴史捜査」と名付け、資料に徹底的に当たりながら、矛盾点や解釈のおかしな点を洗い出し、より自然な史料解釈を行っています。

 

 本能寺の変と言えば、天下統一に向けてまい進していた織田信長が重臣の一人だった明智光秀に滞在先の京都の本能寺を急襲され殺害された事件です。その後、当時、中国地方の雄・毛利氏攻めをしていた羽柴(豊臣)秀吉が「中国大返し」と呼ばれる、短期間での帰還を果たし、山崎の戦で明智軍を撃破し、明智光秀は居城の坂本城への退却途中に、落ち武者狩りの農民に殺害されました。

 

 「三日天下」という言葉や、信長が最後に「敦盛」を舞って自害するというドラマのシーンを通じて本能寺の変は日本人の多くに知られている事件であると思います。この事件で天下統一の主導権は羽柴秀吉に移った訳ですが、「本能寺の変が起こらなかった、もしくは失敗していたら、織田信長はどのように天下統一を果たし、日本をどんな国にしたのだろうか」ということを歴史好きの方々は空想を巡らせたことがあるのではないかと思います。

 

 私は師である副島隆彦先生と電話で話している時に、本能寺の変について知っていることを話してみるように言われ、知っていること、覚えている限りのことを話したところ、「良く知っている方じゃないか」と言われました。後で、この『本能寺の変 431年目の真実』を読んでみたところ、明智氏が挙げている「定説」を副島先生に話していたことが分かりました。

 

 明智氏はこの「定説」に挑戦しています。詳しくは是非読んでいただきたいと思います。このブログでは、私が気になった点を幾つかご紹介したいと思います。

 

 乱暴に大づかみなことを言うと、「織田信長は武田勝頼を滅ぼし、信濃と甲斐まで勢力を伸ばした。この機に乗じて、これからの天下統一、そして織田家政権の存続にとって邪魔になるであろう徳川家康を暗殺しようとした。その企てに明智光秀を引きいれた。しかし、明智光秀はこの機会を逆に利用して、信長を暗殺しようとした。その理由は深いつながりがある四国の長宗我部を助けること、そして、信長がイエズス会から聞いたスペインによるコンキスタドーレに感化されて温めていた、唐入りを阻止することであった」というのが、本書の主張となります。

 

私がまず驚いたのは以下の点です。明智光秀の重臣・斎藤利三(大奥制度を整備し、三代将軍徳川家光の養育係となった春日局・ふくの父親)と四国の英雄・長宗我部氏のとの間に深い宴席関係があったことは初耳でした。そして、信長の長宗我部討伐の意向が、明智光秀(長宗我部と信長をつなぐ「取次」役)と長宗我部に大きな危機感を与えたことが、信長に対する謀反を決行する一つの理由になったと著者の明智氏はしています。

 

次に驚いたのは、織田信長は、イエズス会からスペインのコンキスタドールの話を聞いて、「唐入り(朝鮮半島と中国への侵略)」を思いついたと明智氏という主張です。この唐入りという途方もない、そして成功の確率が低い作戦に明智光秀は「ついていけない」と考えたのは自然だと思います。自分が属する、土岐氏の栄光を復活させ、平和に暮らしたい、そのために織田信長に人生を賭けてそれが成功しつつあるというのに、そこからもっと苦しく、恐らく無残な失敗に終わるであろう(慶長・文禄の役でそれは証明されました)唐入りなんてさせられたら、と思えば絶望感が襲ってきたことでしょう。なるほどと思わされた主張です。

 

 著者の明智氏は、織田信長がイエズス会に好意的であったために、日本にいるイエズス会側も織田信長に対して好意的であったという主張をしています。イエズス会は、信長にアフリカから連れて来られた黒人奴隷(黒坊主という記述もあり、使役されるだけの奴隷ではないと思います)を献上しています。信長はこの奴隷を気に入り、彌助と名付けて、小姓として自分の身辺に置いています。彌助は本能寺の変にも遭遇し、本能寺から脱出を許され、二条城に行き、信長の長男。信忠のために奮戦しているところを明智軍に捕えられましたが、南蛮寺に送られたということになっています。この彌助が証言したことで、信長の最期の様子が伝っているのです。その後の行方は分かっていません。

 

 この彌助(黒坊主とも呼ばれているのでもしかしたらイエズス会の会士であったかもしれません)の存在がどうも重要だと思われます。彌助は日本語もできたそうですし、信長の身辺にいつもいた訳ですから、様々な最高機密情報をイエズス会にもたらしていたでしょうし、信長にも色々な情報をもたらしていたと思います。彌助を使えば、信長をある方向に誘導することは可能なのではないかと考えます。

 

 ついでに、明智光秀と細川藤孝(細川幽斉)の関係も重要だと思います。明智光秀が細川藤孝の足軽から身を興したこと、細川藤孝の息子・忠興と明智光秀の娘・珠(ガラシャ)が結婚していることから、明智と細川は深い関係にあったと言えます。しかし、細川は本能寺の変後、明智光秀に従っていません。これはどうしたことでしょうか。織田政権では、細川と明智は身分として逆転しています。昔の主人であった細川が明智の下風に立つという感じになっています。ここのところが一つの原因でしょうか。

 

 また、細川氏とイエズス会の関係も気になるところです。細川ガラシャの存在が重要なのだろうとは思います。ここのところはまだ考えがうまくまとまっていません。

 

 本書『本能寺の変 431年目の真実』を読んで色々なことを考え、また空想を巡らせることができました。それは個人としては大変楽しい経験でありました。

 

 「日本は国土が狭く、地形的に守りにくい」ということに初めて気づいたのが織田信長なのではないかと私は考えます。ポルトガルやスペインの戦艦を見て、「こんな船ができてしまって、それに大砲まで備え付けられている。これでは沿岸部を守ることはできない。そして、こんな優勢な武器を持っている敵にひとたび上陸を許せば、国土全部を制圧されないにしても、貿易に必要な港湾は全て押さえられてしまう。それでは国が立ちいかない」と考えたのではないかと思います。そこで「攻撃は最大の防御」ということに思い至ったのではないかと考えます。

 

 織田信長を取り扱った小説を読みと、父・信秀の教えとして「国境を一歩でも踏み出て戦をすべし」ということを守り、桶狭間の戦いのときに籠城論を唱える重臣たちをこの教えを持って叱正しています。織田信長は「攻撃は最大の防御」という考えを堅持していたと言えます。そこに、イエズス会からコンキスタドーレの話を聞いたとなると、「狭い日本にいても仕方がない、もっと広い大陸に出なくては。今の日本の軍事力(武器を洗練させ、訓練も多く積んでいる)ならいけるのではないか」と考えたのだろうと思います。

 

 しかし、周囲はついていけなかった。日本国内の天下統一で良しとしましょうという雰囲気があったのではないかと思います。また、イエズス会は信長を利用しようとしたのではないかと思います。その当時の中国は世界最高の国であって、恐らくヨーロッパの軍事力をもってしても征服などということはできないということは分かっていたと思います。そこで、中国の力がどれほどのものか、その実力を測定するために、信長にコンキスタドーレの話をし、唐入りを着想させたのではないかなんて考えてしまいます。

 

 夏休みの読書計画の中に加えても損はしない一冊です。

 

(終わり)












 

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote





アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12


野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23



 古村治彦です。

 拙著(初めの単著)『アメリカ政治の秘密 日本人が知らない世界支配の構造』(PHP研究所、2012年)の電子書籍が2014年2月25日に発売となりました。私の初めての単著であり、少し時間が経ちましたが、国際情勢、アメリカ政治分析の視点は全く古びておらず、皆様のお役に立てると思います。

 私の著作の中では2冊目の電子書籍化となります。電子書籍は紙の本に比べて値段が少し安く、その値段も弾力性があるようです。1冊あたりの印税も紙の本よりも高いです。ただ、紙の本よりも実売が分かりやすいために、印税の支払いはシビアになります。紙の本の場合は、売れる・売れないに関係なく印刷した分の印税がいただけるのですが、電子書籍は実売数です。日本の書籍における電子書籍が占める割合はまだまだ低いのですが、これから伸びていくだろうと出版社の方は仰っていました。「絶版ということもありませんので」という言葉が何とも力強く響きました。

 現在は本が売れない時代です。「それは貴方の本の内容が悪いからでしょ。文章が上手じゃないからでしょうが」と言われるかもしれません。それは否定しません。しかし、出版業界全体として本の売り上げが落ちています。こうした時代に本など書いて馬鹿じゃないかと言われたことがあります。それでも本を書き続けていきたいと思います。そのためにも、恥も外聞もない言い方になりますが、書籍の購入やアフィリエイトを通じてのご支援を伏してお願い申し上げます。

 ぜひよろしくお願い申し上げます。下の表示に進んでいただきますと購入可能です。

amerikaseijinohimitsu001



※加筆部分

 現在、『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』(副島隆彦、SNSI副島国家戦略研究所著、成甲書房、2014年)が全国各地の書店に平積みで置かれています。この本は副島先生と弟子たちが各章を担当して歴史、特に明治期以降の人物について書き上げた本です。

 巻末の著者略歴をご覧いただきますと、先生の下で弟子として研鑽を積んでいる人間たちが数多くいることをご理解いただけると思います。私も含めてそのほとんどは研究費なり、生活費なりを誰かから貰っている訳ではありません。SNSI副島国家戦略研究所などと名乗っても、その実態はその程度のものです。副島隆彦を囲む会の事務をしていればまた別の話ですが。今回の出版のように、先生との本という形で、自分たちの文章が世の中に出て、読んでいただけることが最大の報酬です。先生と一緒でなければ、私たちのような無名の人間たちが本を出すということは非常に困難です。

 ですが、私たち弟子たちも人の子、本が売れて印税をいただけることもまた大きな喜びです。読者の皆様には是非、お買い求めいただきまして、ご講評をいただければと思います。何卒宜しくお願い申し上げます。







(終わり)







このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote


アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12




野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23

 

 古村治彦です。

 

 今回は、『昭和の三傑 憲法九条は「救国のトリック」だった』(堤堯著、集英社文庫、2013年)を皆様にご紹介したいと思います。

shouwanosanketsu001
 


 著者の堤堯(つつみぎょう、1940年~)は、東大卒業後、文藝春秋社に入社。『諸君!』『文芸春秋』の編集長を歴任した人物です。子供の時に太平洋戦争を経験し、その記憶が残っている人です。

 

 本書で取り上げられているのは、鈴木貫太郎(1868~1948年)、幣原喜重郎(1872~1951年)、吉田茂(1878~1967年)の三名の首相経験者です。それぞれは毀誉褒貶が激しい、もしくは低評価の人々です。そうした低評価や批判に対して、著者の堤堯は反論をしています。

 

 鈴木貫太郎に対する最大の批判は、「もっと早く降服していれば、原爆投下とソ連の参戦を招かずに済んだはずだ」というものです。特にポツダム宣言が発表された後、鈴木首相が「黙殺する(ignorereject)のみ」としたために、アメリカは原爆投下を決定したという批判は今でもあります。

 

 堤堯は、昭和20年春の段階で終戦(敗戦)にまでもっていくのは大変なことで、軍からの抵抗が激しく、とても尋常な方法では終戦まで持っていくことはできなかった。戦う姿勢を示しながら、それでも終戦に向かうためには、鈴木首相の胆力と演技力と、大胆な発想(最後は天皇の決断である「聖断」を仰ぐ)、「腹芸」が必要であったと主張しています。鈴木首相の腹芸がなければ、日本は米ソによって分割統治されていたかもしれないと指摘しています。

 

 幣原喜重郎に関しては、「日本国憲法第九条はアメリカ側(ダグラス・マッカーサー元帥率いるGHQ)に押し付けられたのか、日本側から言い出したものなのか」という疑問が常に付きまとい、保守派からは低い評価しか受けない人物です。

 

 堤堯は、当時の諸外国の対日世論は強硬であり、特に天皇に対して何らかの責任を取らせる、もしくは退位や流罪、処刑を求める声が大きかったことを指摘しています。しかし、現場(日本占領)の最高指揮官である、ダグラス・マッカーサーは、日本の占領統治のためには天皇の存在が不可欠であるということは分かっていて、何とかしたいと思っていたということです。そこで、幣原は、天皇の存在を守るために、そして、米ソ冷戦、代理対決の危険を予測して、日本はそれには巻き込まれないようにするために、「戦争放棄をマッカーサーに進言し、一世一代の名演技で、驚き渋るマッカーサーを籠絡した」と堤堯は書いています。そして、米ソの対立の激化、朝鮮戦争の勃発で、マッカーサーをはじめとするアメリカ側は「幣原にやられた」と気付くことになるのです。

 

 一つ興味深かったのは、幣原喜重郎の自伝が発刊された際に、幣原の息子があとがきを書いているのだそうですが、徹頭徹尾、「憲法九条はアメリカから押し付けられたもので、父が発案したものではなく、父は苦しんでいた」と主張しているのだそうです。幣原家に対しては保守派からの相当の攻撃があり、家族も嫌なめに遭遇したのだろうということが想像できます。そう思うと、日本を救うことになる憲法九条を発案した幣原喜重郎を再評価し、家族の労苦をしのぶことが必要だと私は考えます。

 

 吉田茂は毀誉褒貶が激しい人物ですが、「アメリカ占領中は再軍備にひたすら反対しながら、晩年は核武装まで言い出した」という「極端な姿勢の変化」を批判されることがあります。また、吉田首相の政権運営が独断的であり、時に周囲を計算高く利用していたために、人々の人気はありませんでした。

 

 堤は、吉田首相がアメリカらの日本の再軍備(と朝鮮戦争への派兵)を頑なに拒否できたのは、憲法九条があったからだと書いています。また、サンフランシスコ講和会議の後に締結された日米安保条約もアメリカを「番犬」として使うための方便であったということになります。

 

 しかし、この点に関しては、日米安保条約は吉田茂だけがプレシディオの米海軍基地(現在は映画監督スティーヴン・スピルバーグが率いるドリームワークスの本拠地となっています)に引き立てられるように連れて行かれ、下士官食堂で署名「させられた」ということがどうも真実に近いのではないかと言われています。帰ってきて「池田君、大変なことになった」とぶるぶる震えながら吉田首相が話したという証言もあります。アメリカも馬鹿ではありませんから、憲法九条と引き換えに、米軍駐留を認めさせられた、仇を取られたというのが正しいのではないかと考えます。著者の堤堯は、吉田茂をやや神格化して書いているのではないかと思います。

 

 本書のサブタイトルである「憲法九条は『救国のトリック』だった」こそが堤堯の言いたいことです。憲法九条があったことで、戦後日本はアメリカの戦争に付き合わずに済み、アメリカを「お番犬」として利用できたのです。アメリカからの再軍備(と朝鮮戦争への派兵)を吉田首相がとことん拒否できたのは憲法九条があったからだと堤堯は書いています。この点は全くその通りだなと肯定できます。しかし、そこからがいけません。

 

 著者の堤堯は、憲法九条は「トリック」であり「擬態」であるのだから、国力もついた現在は、その変更もやむなしという主張です。しかし、私は堤の「憲法九条ができた時に、これで自分は戦争に行かないで済むと思った」という心からの叫びこそを重視したいと思います。彼もまた子供時代に戦争を体験し、空襲の中を逃げまどい、大きくなったら戦争に行って死ぬんだと思っていたそうです。この時代の子供たちの多くはそう思っていたことでしょう。そのような安堵感を持った堤は実際に戦争に行かずに70歳を超える年齢まで生きることが出来ました。これから戦争が起きても、まず最前線に行く必要はないし、一流出版社の重役まで務めた人物ですから年金もたくさんもらえるでしょう。

 

 そうした人物が「若者たちよ、死んで来い」と言う訳です。これはズルいことだし、卑怯なことです。石原慎太郎にも感じることですが、自分たちが助かったら、あとは知らないという独善的かつ卑怯な言動や振舞いをすることがこの世代の保守派にはあります。国を憂い、偉そうなことを述べていますが、「結局自分たちがいちばんおいしい思いをした」という思いを胸に死んでいくだけの人々です。

 

 それなら、自分の真情を少しでも吐露して、自分たちの化けの皮を剥いで新で行って欲しいと思います。堤堯は「憲法九条ができて、助かった、自分は戦争に行かずに済むと思った」と書いています。この一行があるだけで、まだ石原慎太郎よりはずっとましです。しかし、結局は偉そうなことを書く。だから本当の意味で信頼も得られないし、胡散臭さを消すことができないのだと思います。

 

 私は、日本がアメリカの属国である以上、擬態、トリックを続けていくことが重要であると思います。「戦争放棄」「他国の領土には侵攻しないしできない」と言い続けることが、現在でも、大きな負担や他国からの恨みを避けるために有効であると考えます。そのためにこそ、憲法九条は改正する必要はないし、集団的自衛権の行使容認も認めるべきではありません。ここが崩れてしまえば、堤防にあいた小さな穴となって、アメリカの下請け化がどんどん進んでいくということになります。それこそが日本にとって大きな不幸になります。

 

 日本の保守派の中には、自分たちのことをリアリスト(現実主義者)だと自称する人々が数多く存在します。彼らは集団的自衛権の行使を容認し、「アメリカと一緒になって」中国に対抗して、いざという時には中国と一戦交えることも辞さない、昔の言葉で言えば「暴戻支那は膺懲すべし!」と意気軒昂です。日本単独では無理なので、アメリカと一緒になってという点が味噌です。

 これはアメリカにとって渡りに船で、「じゃぁ色々とやってもらいますよ。今まで通りに米軍基地も置いておいてもらいますし、思いやり予算(
host nation’s support)も続けてもらいますし、加えて自衛隊の米軍統合運用(米軍下請化)もやってもらえるそうで、ありがたいこと」ということになります。なぜ近隣諸国との緊張を高め、負担を自ら増やして何の得も利益も得られないことをすることが、「リアリスティック(現実的)」なのでしょうか。日本語の格言に「損して得取れ」というものがありますが、今の状態は「損してもっと損しろ」です。自分たちの思いこみや希望、他人任せの、他人を犠牲にしての愛国心を満足させる行為のために、国全体を危機に陥れ、滅亡に進ませるという点で、彼らはリアリストでもなんでもなく、「夢想主義者」でしかありません。

 

(終わり)







 

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

このページのトップヘ