古村治彦です。
8月上旬に体調を崩し、入院をし、退院をしましたが体調がすぐれず、本ブログの更新が出来ませず、大変申し訳ございません。8月下旬には元のように更新してまいりたいと考えております。今しばらく御猶予をいただきますよう、よろしくお願いいたします。
さて、私の仲間である六城雅敦氏のデビュー作が発売となります。タイトルは『隠された十字架 江戸の数学者たち』というものです。私も名前だけは知っている関孝和をはじめとする和算家(わさんか、江戸時代に生きた日本人数学者たち)は自分たちだけで数学を発達させたのではなく、潜入してきたローマ・カトリック教会の宣教師たちから数学を習っていたのだ、というこれまでの歴史の定説を覆すものです。
隠された十字架 江戸の数学者たち
ぜひ手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。
(貼り付けはじめ)
推薦文 副島隆彦
江戸時代に、日本独自の天才数学者たちが出現した。和算家と呼ばれる。
彼らは西洋の数式(アラビア数字とアルファベットを使う)がない時代に、漢数字による算術だけで、現在の高等数学である微分積分(解析学)の初期レベルにまで到達していた。
彼らは一体、どういう人たちだったのか。
今から400年前(1600年代)に、日本人はどのようにして、西洋数学の高度な内容を習得して、生来の、ずば抜けた頭脳で、西洋数学と共振(シンクロナイズ)できたのか。
この本の著者は、ところが、「和算」(日本独自で発達した数学)なるものを認めていない。それでもなお、本の進行上、仕方なく和算(家)というコトバを使っている。
江戸時代の日本人の天才たちは、潜入してきたキリスト教(天主教)のローマ・カトリック教会(就中、イエズス会、耶蘇会)の宣教師(バテレン)たちから、当時世界最高の、天文学(暦づくりにどうしても必要だった)と、数学(代数学と幾何学)を、修得した。天文学から、解析学が生まれたのである。
イエズス会の司教クリストヴァン・フェレイラ(1580~1650)は、ヨーロッパでグレゴリオ暦を、1582年に作ったクラヴィウスの弟子である。グレゴリオ暦を1500年ぶりに、カエサル暦(シーザー暦)から改暦できたことで、プロテスタントに対するカトリックの権威が再び戻った、とまで賞讃された。そのクリストファー・クラヴィウス(1538〜1612)の弟子のフェレイラが、日本宣教師(バテレン、パードレ、ファーザー、神父)としてやって来て、布教した。そして捕まり、拷問に遭って、転向(コンヴァージョン)した(1633年)。この事件は、ヴァチカン(ローマ教会の総本山。ローマ法皇がいる)をひどく驚かせた。
普通の信者たちとは異なり、宣教師(神父)の場合、棄教はない。死ぬだけである。神父には転向(改宗)はないのである。一体、何が起きたのか。ローマ教会は、そのフェレイラの弟子であった、ジュゼッペ・キアラたちに命じて現地の日本へ探索に行かせた。
だが、キアラも捕らえられ、転向した(1643年)。
彼らの決死の日本潜入と、これとまったく同時代に、ガリレオ・ガリレイが、1633年に、2度目の宗教裁判にかけられて、「地球は太陽を周回している」という真実を、主張することを禁圧されて沈黙させられている。
イタリアで先生と弟子の関係であった、当時のヨーロッパでもずばぬけた知能を持っていた、このフェレイラとキアラは、辺境の地の日本で拷問の苦しみに耐えられないで転向した、のではない。真実は、当時、世界で最先端のサイエンス(近代学問)、すなわち、太陽中心説(地動説)の運動法則を知っていた。だから棄教したのだ。もはやローマ・カトリック教会の愚かな教義(ドグマ)など信じていられなかった。そのことを日本という東アジアの地で自覚した。
この新説は、この本の著者、六城雅敦君による創見である。遠藤周作氏の有名な小説『沈黙』(1966年作)が、欧米白人の知識人層の間にもたらした衝撃に対して、これが日本人の側からの最新の回答である。
この本の著者が、到達したこの地点は、これまでの日本の歴史数学者たちの、江戸の和算家たちについての研究の上に、打ち建てられた、大きな成果である。
江戸の和算家の中で、関孝和だけは、今も多くの日本人にその名が知られている。だが関孝和の他に、20人の優れた大数学者たち、がいたのである。この本は、彼らの業績を追いかけてその全体を捉え、網羅している。38〜39頁の1枚の表にその全体像が示されている。
キリスト教思想の圧倒的な強さに恐れをなし、そこから逃げるために、国を厳しく閉じて鎖国(アイソレーション)政策をしていた江戸時代の260年間に、日本独自に発達した数学があったのである。
和算(江戸期の数学)は、円周率「3・141592……」、三角関数、平方根(ルート)、立方根、対数(ロガリズム)計算で、西洋数学にほとんど負けないだけの正確さを有していた。この5つは、その後の西欧の幾何学(ジオメトリー)と代数(アルジェブラ)の合体の計算法である。
そして級数(無限に続く式と、その繰り返し)において、算木なるものを使って、何千回もの計算を繰り返すことで解(答)を求めた。
日本人の和算家たちがやったことが、現在のコンピュータでやっていることにつながる。現在xの2乗、3乗でも、係数(すなわち ax2 +
bx + c の式のうちの、a, b, c のこと)を、抜き出して計算する。これは現代の行列演算(マトリックス)である。これを1640年代に、関孝和と建部賢弘は、できたのである。前出したジュゼッペ・キアラから、江戸の茗荷谷の切支丹屋敷の幽閉場で直接、教えを受け、習ったからだ。
この西洋人の大秀才から学習したことで、天文計算(暦作り)が、その後、日本人だけで出来るようになった。
円周率を、建部賢弘はなんと小数点以下42桁まで求めた。このことで、当時の世界基準の数学に追いついていた。このときの級数(シリーズ)の考えが、微分積分(解析学)の土台となっている。
レオンハルト・オイラー(1707~1783)という、スイス人の数学者がいる。彼は解析学の大家だった。解析学の創立者であるライプニッツの、後継ぎのような人だ。
ところが、オイラーは、なんと、無限(インフィニット)を否定した。無限というのは、数式では、私たちが高校で習ったとおり、1、2、3、4…と書いて、あとに「…」と書く。これが無限(大)だ。このあと、私のような文科系人間は、高校生のときに、数学で落ちこぼれた。そして文科系という、自然の普通なコトバの世界だけで生きた。
ところが、無限(大、あるいは小)など無いのだ、とオイラーは、言った。この世界は、どこまでも果てしなく続く数直線ではない。そうではなくて、もう一度、ぐるっと回って、円(球)になる。オイラーはこのようにも考えた。なんと、この考え(思想)は、「ギリシアの思想に戻れ」と言った、フリードリヒ・ニーチェ(1844~1900)の思想と同じだ。これを日本では、「永劫回帰」( return to forever , ewige
Wiederkunft )という。
これ(この思想)が、何のことか分からず、私たち日本の文科系の知識人は、知ったかぶりで「永劫回帰」と何も分からないまま、有り難がって使ってきた。数学の世界の、あの「サイン、コサイン」の円運動だ。これを、展開すると三角関数になる。これは、今も高校一年生に教えている。この知識が天文学(暦)や、物理学の初歩の物体の動きになっている。このことを、日本の江戸の数学者(和算家、遊歴算家)たちは分かっていた。
本当は、「永劫回帰」(この世は、永遠に繰り返すこと)とは、毎年、必ず植物は花を咲かせて、果実をつくる、ということなのだ。人間もまた、これである。生命は次々と生まれ、死に、そしてまた生まれる。これらの現象を見つめ、大きく、世界、宇宙(アウター・スペイス)を理解しようとするときに、理科系の人間(数学、物理学が分かっている人たち)と文科系の人間の橋渡し(共同理解)ができる。
江戸時代の日本人の、少数だが天才の和算家たちの高い能力があったので、日本は、幕末になって西洋人(ヨーロッパ人)に対抗できた。19世紀の西欧の最先端の数学と物理学をその書物から習得できた。佐久間象山と弟子の吉田松陰と、福澤諭吉も天才だから、20歳で物理学(窮理学。大砲術のための弾道計算と爆薬の調合としての)まで出来た人だ。このために、日本は欧米列強(ヨーロピアン・アンド・アメリカン・パウアズ)に占領、領土の割譲、植民地支配されることなく、そのあとの明治の産業近代化で、一気に遅れを挽回して、きわめて短期間で最先端の水準に達した。
それに較べて、中国は、ヨーロッパ列強による残酷な領土割譲と、支配に屈服した。中国の天才級の知識人たちが、西洋数学と物理学を鋭く摂取しなかったからだ。
この本では、和算家(江戸の数学者)たちが、どのように、世界水準の知識を取り込んだかを、ずーっと説明している。このとき、和算家たち自身が、人間平等主義とヒューマニズムという良い面を内包する人類の先端思想であるキリスト教(隠れキリシタン)に、多くが密かになっている。隠れキリシタンであった和算家たちは、隠された十字架を、しっかりと胸元で握りしめていた人々である。
そして、なんと、激しくキリシタン弾圧をした幕府の高官、隠密でありながら、自らも密かにキリスト教を理解した人物がいた。ここに井上政重という、複雑で重要な人間が登場する。関孝和たち、ごく少数の精鋭の少年たちを、茗荷谷の小日向にある切支丹屋敷で、キアラに引き合わせ、西洋数学を習わせた。本書は、この井上政重に重要な光を当てている(第2章)。
井上筑後守政重は、大目付(大名たちを厳しく取り締まる。幕府の秘密警察長官)よりも、さらに、上の宗門改役(キリシタン禁圧の最高責任者)であった。長崎奉行よりもずっと格が上である。彼は20年間に渡り、江戸と長崎を、半年ごとに往復して、3代将軍家光に、直接、宣教師(バテレン)たちの動きと、当時の世界の、最新の動きを逐一、説明したのである。井上政重は、残虐な宗教弾圧者として映画『沈黙』(2016年、マーティン・スコセッシ監督)では描かれている。このアメリカ製の最近作には、日本製の、篠田正浩監督作の『沈黙』(1971年作)がある。この映画もすばらしい。巨匠マーティン・スコセッシは、ローマ教会の監視と疑念の下で、慎重に、巧妙に、この45年ぶりのリメイク作品を作った。
井上政重は、もっと奥の深い、味わい深い人間であった。そのことを本書は上手に浮かび上がらせた。後の和算家たちの多くが、隠れキリシタンでありながら、公儀隠密(国家情報部員)であった事実に、今の私たちは驚く。
多くの国の、最も優れた国家登用人材は、国家情報部員(国家のスパイ)になる運命にあるのだろう。そして彼らは敵国ともつながる二重スパイになる。
* * *
私が、著者と共にこの本の全文を細かく精査した。だから安心して読んでください。著者の六城雅敦君と、私の共著と呼んでいい本である。
普通、出版物に、「監修者」と入れてあると、だいたい有名な著者の名前貸しである。その有名著述家は、その本に対してまったく何もやっていないことが多い。ヒドい場合は、その本を、読んでさえいないことが多い。それがこの30年ぐらいの、売らんかな、の日本の出版業界の「監修者」なるものの実態である。そろそろ、業界が襟を正して、恥を知って、名前貸しだけの悪習をやめるべきである。真面目な読者(本当の本読み)には、すでにバレている。
2019年8月5日
副島隆彦
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『隠された十字架 江戸の数学者たち』◆ 目 次
推薦文 副島隆彦
第1章 本当は伴天連が教えた江戸の「和算」
中国数学から西洋数学への乗り換え
「西洋神術」としての江戸時代の数学
「数」に目覚めて世界の広さを知る
江戸時代は武士も庶民も計算に熱中した
そろばんが普及したのは江戸時代中期以降
割り算ができることが武士エリートの入り口
武士に必要な素養は「六芸」、特に「数」であった
秘密裏に匿われていた宣教師がもたらした「数学」
隠れキリシタンの「算聖」関孝和と弟子の建部賢弘
鎖国下でも続いていた〝西洋神術〟への信仰と信頼
暦の発布は国家の実権を知らしめること
第2章 和算を築いた男たち ―― ジュゼッペ・キアラと関孝和
初めて西欧と「知」で渡り合った井上政重
三代将軍家光の政権を担ってきたブレーン
西洋の軍事技術、科学・医学に精通していた〝百学の巨人〟井上政重
井上政重は徳川家直轄の隠密(忍者)集団の棟梁
外交・貿易での暦問題
南北朝時代に暦では明帝国の冊封国に自動的になっていた!
天文学と物理学から発展した数学という〝記述言語〟
数学は忍者必須の忍術でもある
数学にはイスラム系とキリスト教系がある
プロテスタントへのカトリックの反撃の結果が日本布教へとつながった
織田信長殺しのキリシタン大名のネットワーク
井上政重による弾圧の実体
井上政重の生い立ち
なぜフェレイラに続いてキアラは棄教したのか?
なぜ井上政重が重用されたのか?
幾何学そして平方根の計算から和算は始まる
関孝和が挑戦し、建部賢弘が完成させた円周率と三角関数
謎の和算家、高原吉種の名に秘められた暗号
江戸時代から明治初期に活躍した和算家たちの系統グループ
第3章 和算家たちの系譜とグループ
京都・慶長天主堂グループ
切支丹屋敷グループ
新井白石 徳川家宣の侍講
井上政重に続く隠れた系統がある(箕作一族)
大坂グループ
天文学で功績を挙げた高橋至時と伊能忠敬
幕末ではエリート層の対立へ
大砲が輸入されたとしても使いこなせないという問題
第4章 日本近代化の原動力となった江戸の数学者たち
蘭学とは当時の「ヨーロッパ最先端の神学」である
坂本龍馬は土佐藩主の命で軍艦操練所に派遣されていた
適塾と蕃書調所で学んだ数学者・大村益次郎
蕃書調所のその後
榎本武揚が開陽丸で運び出したのは幕府の数学蔵書
天才を生み出せない官僚機構への失望
第5章 数学が神となる時代へ
「庶民の和算」と「科学としての和算」
学問体系は西洋的自然観から生まれた
数学は発見されたのか? 発明されたのか? という大問題
経済学・会計学も数学的関係性を抜き出した自然科学だ
歴史学者が見通す未来と直面する難題
金儲けの精神はユダヤ思想のratio(ラチオ)である
色即是空、空即是色とは
時間も距離も重さもない世界が無の世界
いまの数学世界を俯瞰する
あとがき
参考文献
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あとがき
私の名字、六城は珍しい名前である。だが古い由緒はない。
家系を辿ると仙台藩(伊達家家臣)に行き着く。私の曾祖父は下級藩士(足軽頭)の家に生まれた。江戸時代までは石川という姓を名乗っていたそうである。仙台藩は慶応4(1868)年の戊辰戦争に際して、幕府側として薩長と戦った。
明治維新後は、仙台藩は解体され、元藩士は逆賊という烙印で、ちりぢりとなり、再就職はたいへん難儀した。そのため、元仙台藩士たちは、離ればなれになっていても、連絡を絶やさずに協力し合ったそうだ。私のご先祖も、混乱した明治初期に、そうやって生き抜いた。
仙台藩の13代藩主、伊達慶邦が明治7(1874)年に亡くなる。その際に、「元藩士の誇りとして仙台藩への忠義を忘れまじ」、という決意で、ご先祖が名字を六城と改名した。
藩主が亡くなると、すぐに埋葬するのではなく、青葉城下の小さな廟(祠)の中で暫くは塩漬けされて安置されたそうだ。家臣や城下の町民が、藩主を偲ぶためだ。この廟があった場所が、六城という地名である。出自を言わなくても、仙台藩士ならわかる符牒(暗号)のようなものだ。
明治元年生まれの曾祖父は、仙台から福島、千葉と流浪し、土木水道工事の小役人として暮らした。計算が得意で、土木測量の技術を身につけていたからだ。その息子(祖父、明治25年生まれ)も仙台藩の伝手で陸軍仙台幼年学校に入り、陸軍士官の道を歩むこととなった。
祖父は、仙台藩に連なる家系の石原莞爾と同級生であった。本来なら出世コースのはずなのだが、祖父が言うには、命令するのも、されるのも大嫌いだった。軍人として砲隊を率いて行軍演習をするも、さっさと終わらせて、祖父の部隊は料亭で宴会をしたという。陸軍は、このような兵隊にまったく不向きな祖父を、実働部隊から外した。
祖父は東京帝国大学で砲弾の弾道計算を学んだ。陸軍は祖父を数学研究のため、大正15年に、ドイツのカールスルーエに留学させた。帰国後、千葉の佐倉駐屯所の砲兵隊長を最後に軍を大戦前に定年退職(40歳)し、その後は軍人恩給で暮らした。
大戦後は恩給もなくなり、東京の私立大学の付属高校教員となった。軍人上がりながら、生徒には人気があったらしく、教え子たちで家はいつもにぎやかだった。そして静かに生涯を終えた。
いや、実はまったくそうではない。
明るくやさしい祖父には、ドイツ留学中に知り合った愛人がいて、祖母や叔父たちには大騒動であったと聞いている。森鴎外の『舞姫』の話と同じだ。私は、国語教科書の「舞姫」が祖父の話かと思いこんだほどだ。(森鴎外と祖父は32歳違うので、ありえない)
かつて日本では、地位が高い男子は、妾を持つのは当然だ、という風潮があった。余裕があれば、貧しい婦女を支えるのが美徳とされた。ドイツから、わざわざ日本にまで押しかけてきた女性も、そのうちの一人だ。話は『舞姫』と似たり寄ったりの結末で終わる。
もっとも祖母や叔父たちは妾たちとの狭間で、けっこう気苦労したらしい。明治生まれの祖父は妾を囲うことを慈善行為だと考えていた。だが、西洋のキリスト教的な思想が浸透する大正から昭和の時代、愛されたことは権利であり、契約だと女性は考えるようになった。
一方、祖母の家系を遡ると、どうやら支倉常長の血筋になる。支倉常長は伊達政宗の親書を持って、メキシコを経由してローマへ行った人物である。帰国のときは禁教令が発令されていて、キリシタンの取り締まりで支倉家は一時断絶した。支倉常長の嫡男は皆処刑されたが、政宗の温情で女子は寺に預けられたという。その子孫ではないかということだ。だから同じ明治の人である祖母は、隠れキリシタンの血だからか、妾の制度を心底嫌がっていた。このような男女の価値観の対立は、いまでもある。
和算(江戸時代の数学)の頃は、キリスト教思想は、今の私たちが思う以上に異質であった。小説『沈黙』の中で、捕らえられたロドリゴとフェレイラが会った場面での会話。
「知ったことはただこの国にはお前や私たちの宗教は所詮、根をおろさぬということだけだ」
「根をおろさぬのではありませぬ」司教は首をふって大声で叫んだ。「根が切りとられたのです」
だがフェレイラは司祭の大声に顔さえあげず眼を伏せたきり、意志も感情もない人形のように、
「この国は沼地だ。やがてお前にもわかるだろうな。この国は考えていたより、もっと怖ろしい沼地だった。どんな苗もその沼地に植えられれば、根が腐りはじめる。葉が黄ばみ枯れていく。我々はこの沼地に基督教という苗を植えてしまった」
(中略)
「我々の神を屈折させ変化させ、そして別のものを……」司祭はフェレイラの言葉を嚙みしめるように繰りかえした。「それもやはり我々のデウスではありませんか」
「違う。基督教の神は日本人の心情のなかで、いつか神としての実体を失っていった」
「何をあなたは言う」
(遠藤周作『沈黙』新潮文庫、1966年、231、234頁)
関孝和ら近代数学者が日本に登場してから400年、明治維新から150年が経った。
イエズス会宣教師たちから学んだ和算家たち、さらにその書から学んだ多くの和算家たちは、ヨーロッパの数学者と同じように、最先端の西洋数学に神のすがたをおぼろげに感じただろう。
だが、近代化( modernization )により、数学は唯物的に変質した。
コンピュータネットワーク社会では、さも必然の叡智かのように、われわれ人間を差し置いて、コンピュータ内のロジック、アルゴリズムが偉そうに振る舞いだしている。SF映画『1984』『ターミネーター』『マトリックス』は決して空想物語ではない。
だからこそ、学問を、数学を、我々がしっかり見据える必要があるのだ。
ローマ・カトリック教会と、プロテスタント(16世紀の宗教改革から始まる)の勢力闘争は、互いの「科学」の闘いになった。そして数学は双方にとって最良の武器となった。
今後現れるであろうビック・ブラザー(『1984』の闇の支配者)と闘えるのも、やはり数学の力だけなのだ。
2019年8月8日
六城雅敦
* * *
【謝辞】
天文学者になりたかった。スペースシャトルが飛び立ち、惑星探査機ボイジャーが木星の巨大な赤色斑点を撮影していた頃だ。天文学はこの世で一番かっこいい研究だと憧れた。ただ、いくら神秘を見極めたいと思っていても、毎晩空を見上げ続ける熱意は、やがて薄れていった。天空に輝く星も月も、昨日と何も変わらないのだから。
辛抱強く、天体観測をする人は、古代からいる。江戸時代にも天文学者(天文博士、暦師)はいた。その熱意( enthusiasm )の根源を、今さらだが私も共有してみたい。そんな興味が本書を書くきっかけだ。
監修の副島隆彦氏と、担当編集者の小笠原豊樹氏には深く感謝する。このプロフェッショナルの二人がいなかったら、私が書き散らかしただけの文章を、ここまでまとめることはできなかっただろう。
副島隆彦氏の師は統計数学者の小室直樹氏である。小室直樹氏は、いち早くソビエト連邦の崩壊(1991年)を予測した経済学者としても有名だ。副島隆彦氏は、私の大嫌いな言葉「理系/文系」をよく口にする。当初仮題として「理系」がタイトルに入っていた。ところが文系代表、といわんばかりの副島隆彦氏の理解は、なにを仰る、あなたこそ理系だろうが、と思うのだ。古代数学から現代物理学まで、体系での理解は小室直樹からしっかり引き継がれている。
副島、小笠原の両氏はともに歴史に詳しく、時代背景のアドバイスは有難かった。数学と西洋史、さらに時代背景のつながりを深く理解できた。この文系(ああ、嫌な言葉だ)のお二人がホントは理系なのではないか。もし理系と自称する人がいるとすれば、自惚れているか、思慮の浅い人だと思う。
理系というわりに、会社に在籍し、与えられた仕事で汲々としているのが、自称理系の現実だ。私も毎日が精一杯であるが、自分が学び経験したこと、得た知識は積極的に発信すべきだと考える。なぜなら、考えない葦は存在しないことと同じだからだ。それが「 be 」という動詞の本質ではないのだろうか。だから私の足りない脳力で数学とはと、ずっと考えてきた。
副島隆彦氏は一流の書く能力だけではなく、他人の脳までも採掘(マイニング)できる特殊な能力があるようだ。私の脳を使って、数学という学問の成り立ちを、「文系」にもわかるように説明する。そんなことができるのか?
果たしてできたのか。本書は監修者・副島隆彦氏の名に羞じない内容となったと信じる。
(貼り付け終わり)
(終わり)
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