古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、以下のアドレスをご覧ください。http://soejimaronbun.sakura.ne.jp/goaisatsu.html 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。




アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12



 古村治彦です。

 

 2014年に入ってからの日本政治における大きなニュースの一つが、みんなの党代表である渡辺喜美代議士(栃木三区、当選6回)のDHC社会長からの8億円の借り入れ問題です。この借りたお金がみんなの党の選挙資金として、政治資金として使われたのに、政治資金収支報告書に記載されていなかったということが問題視されています。最新のニュースでは、渡辺氏は、違法性はなく、国会議員やみんなの党の代表を辞任する考えはないと主張しています。

 

(新聞記事転載貼り付けはじめ)

 

●「「法的に問題なし」渡辺氏、説明文を役員会で配布 本人は欠席」

 

2014年4月1日 MSN産経ニュース

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140401/stt14040112470002-n1.htm

 

 化粧品販売会社会長からの8億円借入金問題を抱えるみんなの党の渡辺喜美代表は1日、定例の党役員会を体調不良を理由に欠席した。代わりに「あくまで個人的に借りたものだ」と従来の主張を繰り返す説明文を配布した。党幹部から代表辞任論が出る中、「法的には何の問題もない」とも記し、理解を求めた。

 

 渡辺氏は説明文で「借入分を含む私の個人財産から党にお貸しし、選挙費用を含む党の活動費用とした分は、党の収支報告書にきちんと出ている」として、党を経由することで一部を選挙費用に充てたことを認めた。残りは個人の政治活動や議員活動の費用で、「公職選挙法及び政治資金規正法に報告の制度はない」と違法性を否定した。具体的な使途については言及しなかった。

 

 一方、8億円の借入問題が会長による週刊誌での「告発」で発覚した経緯について、結いの党の江田憲司代表の名前を挙げ、野党再編を目指す勢力による「馴染みの週刊誌を利用した策略」と指摘し、徹底抗戦の姿勢を明確にした。

 

 

●「8億円、渡辺氏「法的問題ない」 党役員会に文書、続投意欲」

 

2014年4月1日 47ニュース

http://www.47news.jp/CN/201404/CN2014040101001673.html

 

 みんなの党の渡辺喜美代表は1日午前、国会内で開かれた党役員会を欠席し、その代わりに8億円借り入れ問題をめぐり「法的には何の問題もない」とする文書を提出し続投に意欲を示した。文書を託された浅尾慶一郎幹事長が各役員に配布し、欠席理由について「声が出ないため欠席すると電話で連絡があった」と述べた。

 

 渡辺氏は文書で、8億円を個人的な借金と重ねて説明。「借り入れ分を含む財産を個人の政治活動に支出しても報告の制度はない。法律違反のような報道は大変遺憾だ」と主張。「ここで負けたら国を動かすムーブメントはついえる。今後も党の主張を展開し政策の実現に努める」と表明した。

 

(新聞記事転載貼り付け終わり)

 

 渡辺氏は今回の事件について、みんなの党から分裂した、結の党の代表である江田憲司氏を名指しで批判し、また、日本維新の会に対しても批判的な厳を述べているということです。「野党再編に慎重な自分がいなくなれば、みんなの党も含めて野党再編が進むから、そういう動きを進めたい結の党や日本維新の会が仕掛けた謀略だ」というのが渡辺氏の主張です。

 

 事件の当事者である渡辺氏の感触はそれを尊重するとして、外部から見ているとそれとは違った考えもまた起こります。事件の当事者は以外と事件の全貌は見えないものです。そこで差し出がましいとは思いますが、私の考えをここで述べたいと思います。

 

 私は、渡辺氏は身内に刺されたのだろうと思います。身内というのは、みんなの党に残っている議員たちです。具体的に誰がということは分かりません。これは一種のクーデターだと思います。

 

 そして、それはどうして起きたかというと、安倍晋三首相がみんなの党に対して使った「責任野党」という言葉がヒントになると思います。渡辺氏は安倍晋三首相が前回首相を務めた時に、金融担当、規制改革担当の国務大臣を務めています。頑迷な官僚組織に立ち向かう改革者というイメージもあって、大変な人気でした。しかし、その後、離党しました。

 

 安倍晋三首相が再登板となった昨年以降、みんなの党の立場は、安倍晋三首相が「責任野党」という言葉で表現するものとなりました。審議に応じ、最後には自民党や内閣の意向に沿う形で賛成する、というのが彼らの立場でした。「閣外協力」に近い立場と言えるでしょう。

 

 しかし、この「責任野党」という言葉は曲者です。なぜなら、「責任」を果たしても何の「報酬」も得られないからです。公明党のように与党となれば、大臣や副大臣、大臣政務官のポストや国会での委員会のポスト、予算における自党の主張の反映といったことが期待できます。

 

 しかし、「責任」だけは背負わされて、野党の立場ということになると、そういった旨味はありません。実態は与党と同じなのに、建前は野党となれば、与党としての旨味はなく、野党としては、反自民勢力の受け皿になることもできません。言ってみれば、「埋没」するしかないのです。

 

 それでは、みんなの党が自民党と連立を組めるのか、最終的には自民党と合流できるのかということになると、その最大の障害は渡辺喜美氏ということになるでしょう。渡辺氏としては、自民党、特に安倍首相にすり寄っておこうということだったと思いますが、安倍氏や自民党側は、連立を組んでいる訳ではないのですから利用するだけのことです。

 

 私は、昨年(2013年)12月にみんなの党と結の党の分裂の時に、みんなの党に残った人々は、おそらく「連立与党入り」、もしくは「自民党との合流」を希望として持っていたのだろうと思います。しかし、渡辺氏が代表でいて世話になる限り、そうした希望がいつ叶うか分かりません。

 

 そこえ、身内からのクーデターが起きたのだと思います。これは私の建てた仮説ですから間違っているかもしれませんし、また当たっているかもしれません。こうした考えもできますよということで書きました。「信じるか、信じないか、貴方次第です」。

 

(終わり)



 

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アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12


 

 古村治彦です。

 

 今回から2回に分けて、国際関係論の分野の泰斗であるスティーヴン・ウォルト教授のナショナリズムに関する論稿をご紹介したいと思います。

 

 ナショナリズムは日本語にしにくい言葉で、そのままカタカナにしました。本稿は、ナショナリズムの長所と短所、更に現在までの日本を含む東アジアの状況が良くまとめられているものです。

 

 現在のウクライナ、ロシア情勢も含めて、国際情勢や各国の対外政策を考える上で示唆に富んだ内容となっていると思います。

 

==========

 

国家的愚かしさ(National Stupidity

 

国際政治の分野では、個人の生活と同様、馬鹿げたプライドは命取りになるのである(In international politics, pride goeth before a fall.

 

スティーヴン・M・ウォルト筆

2014年1月14日

フォーリン・ポリシー誌

http://www.foreignpolicy.com/articles/2014/01/14/national_stupidity_nationalism_china_american_exceptionalism

 

国際的な出来事を動かす最も強力な力は何であろうか?多くの要素があることが考えられる。しかし、それらの中でもナショナリズムは強力な候補ということになる。人類は、様々な「国民(nations)」(いくつかの共通点を有する人々が同じ“想像の共同体(imagined community)”の一部であると考える)として分かれているという考えがある。そして、これらさまざまに分かれた国民は自分たちの「国家(state)」を持つ権利があるという考えも存在する。この各国民が自分たちの国家を持つという考えがヨーロッパ型のシステムを形成した。そして、イギリス、フランス、オーストリア=ハンガリー、オスマン、ソ連の各帝国の崩壊につながる反植民地革命を鼓舞した。更には、こうした2つの考えは、国家の数がここ数十年間、着実に増加し、この動きが止まらないことの説明にもなっている。

 

 ナショナリズムは必ずしも悪いことではない。国民としての強い感情を持つことは、多くの美点を有する。ナショナリズムの存在によって、社会は集合行為(collective action)が抱えるジレンマを乗り越えることができる。ナショナリズムの存在によって、ある国の国内で競争関係にある諸グループが共通の善のために犠牲を払うことに同意し、様々な違い(宗教など)に対して寛容になることができる。ナショナリズムの存在によって、国民を共通する目的のために努力させることができる。その結果、国家的な希望の実現と経済成長の達成が促進される。フランス革命以降に世界が発見したように、ナショナリズムは軍事力の源泉となる。愛国心によって軍隊に参加する兵士たちは、傭兵や忠誠心がバラバラの兵士たちよりも激しく奮戦する。

 

しかし、ナショナリズムは良いことばかりを持っているのではない。建国神話や主張は、ある国の肯定的な業績にスポットライトを当てるが、否定的な間違った行為を無視する傾向にある。つまり、全ての国々は、「砂糖がまぶされた」歴史を語っているのである。著名な政治学者の故カール・W・ドイチェは次のように述べている。「国民とは、過去に関する誤った考えと近隣諸国に対する憎悪でまとまった人々のことである」。この特徴によって全ての国々は他国のことが見えない状況に陥りがちになる。また、同じ出来事や事件を他国がどうして時刻と全く違う見方をするのか理解しがたい状況を生み出す。

 

一例を挙げれば、アメリカ人が「イランアメリカ大使館人質事件(Iranian Hostage Crisis)」と呼ぶ事件をイラン人は「アメリカのスパイの巣窟退治(Conquest of the American Spy Den)」と呼ぶ。これは何も驚くに値しない。この事実が私たちに教えているのは、ある特別な事件をアメリカとイランはそれぞれどのように捉えているかということだ。自国の過去を綺麗に抹消することで、ある国は、他国がどうして時刻に対して懐疑的なのかという理由も忘却してしまうのだ。集団的な記憶喪失によってある国は、他国の現在の態度を最悪の形で受け止めてしまうことになる。アメリカ人のほとんどはアメリカが南米に対して何度も侵攻を行ったことなど忘れてしまっているが、メキシコ人、グアテマラ人、ニカラグア人などはそのことを忘れてはいない。

 

 ナショナリズムの存在によって、既存の紛争の解決が難しくなる。特にある問題に対して争う国々の主張が真っ向から対立している場合に解決は困難になる。このような状況に陥れば、紛争当事国同士は、自国の主張はひたすらに正しく、相手国の主張は、全く正当な根拠のない攻撃的なものだと考えるようになる。イスラエルとパレスチナの関係を見ればよく分かると思う。更に言えば、このような態度に陥れば、妥協に到達するために必要となる柔軟性を外交官たちが発揮する機会を失うことになる。それは、完全なる勝利以外のあらゆる合意は、国家の神聖な価値に対する裏切りと見なされるからだ。

 

最後になるが、過激なナショナリズムは自信過剰の炎の燃料となる。国家的なイデオロギーは、ある国が他国とは違い、他国に対して優越しているという姿を描き出しがちである。実際、ナショナリズムを越えたプライドは、何よりも国民に対して「トルコ人で良かった」「フランス人で良かった」「日本人で良かった」「タイ人で良かった」「アイルランド人で良かった」「エジプト人で良かった」「ロシア人で良かった」という感情を植え付けるようになる。アメリカ人もそのように考えがちである。アメリカの「例外主義(exceptionalism)」という思想の存在がそれを示している。このような考えが主流となれば、あとは「他国など我が方に比べて大きく劣っており、戦場において容易く撃破できる」という結論まで一直線である。

 

 つまり、ナショナリズムには多くの長所があるにもかかわらず、ナショナリズムは国家的愚かしさの源泉となる場合がある。更に悪いことに、何の批判も加えられないナショナリズムは、ある国に利益とならない、間違った行為を行わせることになる。ナチス・ドイツや帝国主義下の日本といった極端な例を見てみれば、劇毒性のある超ナショナリズム的な信条は、国家的な厄災をもたらし、数百万の人々が苦しんだり、亡くなったりするということが分かる。

 

 グローバライゼーションとヨーロッパ連合のような国民国家の枠組みを超えた構造の出現によって、こうした危険は過去の遺物となったと主張する人々がいる。10億人がフェイスブックを利用するようになった時代に、国民や民族の違いなど問題にならないとも主張している。しかし、そうではないのだ。本論の後半で取り上げた国家的愚かしさについて考慮してみて欲しい。

(続く)



 

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「日本の右翼:任務完了?(Japan’s right wingMission accomplished?)」


神風特別攻撃隊のパイロットを取り上げた映画は、ナショナリストたちを後押しする


『エコノミスト』誌 2014年3月1日号

http://www.economist.com/news/asia/21597946-film-about-kamikaze-pilots-gives-worrying-boost-nationalists-mission-accomplished


 私たちが取材した東京に住むある若者は、映画「永遠のゼロ(The Eternal Zero)」を見るために映画館の前に並んでいた。彼はこの映画をこれまでに2回見て、3回目を見ようとしているのだ。それには理由がある。映画「永遠のゼロ」は、第二次世界大戦末期にアメリカの艦船を攻撃する神風特別攻撃隊に参加したパイロットたちをテーマとしている。映画から彼が受け取ったメッセージは、その当時の若者たちは、現在の「草食的な(herbivorous)」若者たちに比べて男らしく、目的を持って生きていたというものだ。特攻隊(special attack force)に参加したパイロットたちに関しては、長年議論の対象となってきたが、日本国内で彼らの物語がここまで人々の関心を引きつけることはなかった。「永遠のゼロ(ゼロは特高に使われた戦闘機の名前から来ている)」は、日本の映画史上で最も観客を動員した映画の一つとなるであろう。


安倍晋三首相は映画を見て「感動した(moved)」と述べた。映画の原作となったベストセラー小説を書いた百田尚樹氏は安倍首相と緊密な関係にある。昨年、安倍首相は百田氏を公共放送であるNHKの経営委員に選んだ。百田氏の考えは保守派から見ても右翼的であり、今月行われた東京都知事選挙に立候補したこちらも右翼の田母神俊雄氏の選挙応援を行った。選挙の応援演説の中で、百田氏は1937年に南京で起きた日本軍の兵士による中国の民間人の虐殺は「なかった」と明確に述べた。


 「永遠のゼロ」がヒットを飛ばしている時、日本の南部の町、南九州市で近隣諸国を苛立たせる動きがあった。神風特別攻撃隊に参加したパイロットたちの遺した文書の「世界遺産」登録申請書類がユネスコに提出された。この世界遺産には、マグナ・カルタや世界人権宣言のような文書も登録されている。南九州市の知覧平和祈念館にはパイロットたちの遺書、日記、詩が所蔵され、展示されている。この平和祈念館は神風特別攻撃隊が出撃した航空基地の跡地に建てられている。


 映画とパイロットたちが遺した文書はパイロットたちの実像を描き出してはいない。右翼の人々はパイロットたちを国のために英雄的に死ぬことを望んだ人々であると描こうとしている。「永遠のゼロ」のメッセージは最初、掴みにくいものだ。その内容な次のようなものだ。「主人公のエリートパイロットは生き残るために軍に反対する。しかし、主人公のパイロットは、彼に与えられた責務を受け入れて、輝く栄光の中で死ぬ時にこそ真の英雄となる。平和祈念館とそこに所蔵されている様々な文書もまた大胆にこの解釈を支持している。しかし、歴史家のエミコ・オオヌキ=ターニーは、神風特攻隊のパイロットのリクルートは自発的な応募という形を強制されたものであると述べている。また、オオヌキ=ターニーは、平和祈念館に所蔵・展示されているパイロットたちの遺書は、書かれている段階で上官たちの検閲を受けたか、脅迫を受けていた可能性があるとも述べている。


韓国はこうした動きに反対し、中国も警戒感を露わにして対応している。南京大虐殺に関する権威ある学者たちは、1937年の大虐殺は実際に起きたことであることを示す文書をユネスコに送り、世界遺産に登録申請を行う予定であると述べている。中国が百田氏の歴史観を警戒するにはそれなりの理由がある。それは、彼の歴史観の影響が映画だけに留まっていないということである。百田氏の応援を受けた田母神氏もまた戦時中の日本の残虐行為を否定しているが、都知事選では驚くべき好結果を出した。彼は当選した舛添氏の得票数の3分の1の得票を得た。朝日新聞によれば、投票した20代の人々の4人に1人が田母神氏に投票したということだ。


(終わり)

アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12



 

 

 

 

 

 

 

 

Japan’s right wingMission accomplished?)」

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