古村治彦です。
第二次世界大戦後からソヴィエト連邦崩壊までの約半世紀、世界は「冷戦構造(Cold
War)」にあった。アメリカとソヴィエト連邦がそれぞれの影響圏を確立し、その影響圏がぶつかるとことで、局地的な戦争が行われたが、米ソ両国間での直接の戦争は起きなかった。冷戦については「長い平和(Long Peace)」という評価をする学者もいるが、戦争が起きた地域においてはそのような言葉は空虚に聞こえることだろう。マクロでみるか、ミクロで見るかの差ではあるが、世界は世界大戦が起きなかったということにはなるだろう。
ソ連崩壊後、アメリカ陣営は「勝った、勝った」の大合唱、民主政治体制、資本主義、法の支配が勝利したと喧伝された。アメリカはこれらの価値観の伝道者、庇護者を自認し、他の国々にこれらを広げて、世界全体を1つの価値観に染め上げよう、そうすれば戦争などなくなり、平和な世界が到来するという「理想主義」が主流になった。アメリカが盟主の世界を改めてきっちりと構築しようということになった。この世界には多様性は存在しない。自分たちの価値観の正しさを押し付ける、押し付けられる、発展具合を勝手に判断されて進んでいる、遅れているということが判定される世界である。
ポスト冷戦時代において、アメリカを中心とする西側諸国(the West)と、それに対抗するBRICS諸国(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)を中心とする「それ以外の国々(the Rest)」という2つのグループ分け、勢力圏という構図になっている。ポスト冷戦期、アメリカが世界唯一の超大国となる一極構造(unipolar system)が崩れつつある。冷戦期のような二極構造(bipolar
system)となるか、多極構造(multipolar system)となるか、という話であるが、やはり、米中二極構造の冷戦期と同じような構造になるだろう。アメリカをはじめとする西側諸国は衰退を続け、それ以外の国々がこれから伸びていくことで、これら2つの勢力圏は均衡状態に入り、やがて、西側陣営が逆転される。前回の冷戦では勝者となった西側が、今回の冷戦では敗者になるという可能性が高まっている。
アメリカの最大の失敗は、ロシアを自陣営への取り込みに失敗したことだ。中国がここまで急速にかつ強力に成長、台頭すると予測できなかったということはあるだろうが、中露の間を緊密にさせないこと、もしくは離間させることが何よりも重要だった。
しかし、ソ連崩壊を受けて、「お前らは負け犬だ、俺たちの言うことを全て受け入れろ」「民主政体、資本主義、法の支配、人権など、俺たちの価値観を全て完璧に受け入れて実践しろ、そうしたら幸せになるぞ、日本を見て見ろ」という態度で、ロシアを徹底的に見下して、傲岸不遜の態度を取った。それはまるで敗戦国日本の占領と同様であった。誇りと尊厳を傷つけた。結果として、ロシアは「アメリカの価値観を受け入れても幸せにならず、アメリカにずっと下に見られ続ける」ということに気づいてしまった。
結果として、アメリカは中露を中心とする非西側諸国という対抗グループを生み出してしまった。「これでは新しい冷戦が始まってしまう」という懸念の声が出ている。しかし、既に米中対立は始まっている。冷戦構造になりつつある。そして、今回の冷戦の勝者がアメリカになる可能性は低くなっている。私たちは世界史の大きな転換点に直面している。
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冷戦は避けられないのか?(Is Cold War Inevitable?)
-封じ込め政策の父ジョージ・ケナンの新しい伝記は、古い冷戦と出現しつつある中国との新しい冷戦は避けられるのかどうかについて疑問が出てくる。
マイケル・ハーシュ筆
2023年1月23日
『フォーリン・ポリシー』誌
https://foreignpolicy.com/2023/01/23/cold-war-george-kennan-diplomacy-containment-united-states-china-soviet-union/
ジョージ・ケナンは94歳という高齢になっても、冷戦は避けられないものではなかった、少なくとも回避できたはずだ、あるいは状況を改善できたはずだと主張していた。冷戦終結から10年後、アメリカの冷戦封じ込め戦略(Cold War containment strategy)のやや弱腰な態度の父であったケナンは、よりタカ派で、ケナンの伝記を執筆したジョン・ルイス・ギャディスへの手紙の中で、ソ連の独裁者ヨシフ・スターリンが生きている間は、早期撤退が可能だったかもしれないと主張した。
1952年3月のいわゆる「スターリン・ノート」は、第二次世界大戦後のヨーロッパのあり方について話し合おうというモスクワからの申し出であり、アメリカが「交渉、とりわけ公的な姿勢とは異なる真の交渉(negotiation, and especially real negotiation, in distinction from
public posturing)」によって達成される平和の可能性を無視していたことを示した、とケナンは1999年に書いている。
この言葉は今日もなお有効性を持っている。なぜなら、アメリカが中国やロシアとの新たな冷戦に突入している現状では、公的な表向きのポーズがほとんどを占めているからである。しかし、これらの政策について、ワシントンではほとんど議論や考察が行われていない。特に、ソ連に代わってアメリカにとっての地政学的脅威となった中国の挑戦については、民主、共和両党の政治家たちが、北京に対してより厳しい姿勢を取ることで、政敵を互いに出し抜くことに政治的利益を見出そうとしている。その結果、世界のパワーと影響力をめぐる長期的な闘争が勃発し、それは前回の冷戦をはるかに凌ぐものになりかねない。2022年11月に行われた中国の習近平国家主席との首脳会談の後、ジョー・バイデン大統領が「新たな冷戦は必要ない」と主張したにもかかわらず、状況は冷戦に向かっているようになっている。数週間後にアントニー・ブリンケン国務長官が北京を初訪問する予定であるが、これは、昨年のナンシー・ペロシ前米連邦下院議長の台湾訪問以来、全面的に中断している外交関係を修復しようとするものである。
ケナンからのギャディスへの書簡は、新しい伝記『ケナン:2つの世界の間の人生(A
Life Between Worlds, by Frank)』に掲載されている。2011年に出版されたギャディスの大著『ジョージ・F・ケナン:あるアメリカ人の生涯(George F. Kennan: An
American Life)』には、この手紙のやり取りは掲載されていない。今回の新刊では、ケナンの私的な文書やその他の資料を基礎にして、冷戦が軍事的瀬戸際政策(military brinkmanship)の世界的ゲームに発展した際に、ケナンがいかに熱心にその緩和を追い求めたか、また冷戦後にNATOの国境が急速に東へ拡大することに反対したかが明らかにされている。ウラジーミル・プーティン大統領が出現する直前、ケナンはこの政策がロシアのナショナリズム、反西洋主義を煽り、「冷戦の雰囲気を取り戻す(restore the atmosphere of the Cold War)」と予言した。
コネティカット大学の歴史学者であるコスティリオラは、「ギャディスはケナンの生涯を描いたのだが、冷戦を和らげようとしたケナンの努力に対してはほとんど共感を集められず、注目もされていない」と書いている。また、コスティリオラはケナンの経歴と業績の真実について、「冷戦を、私たちが見るようになった不可避の対立と危機の連続ではなく、対話と外交の可能性の時代として考え直すことを要求している」とも書いている。
ケナンの見解を見直すことは、今日、かつてないほど正当なことになっている。アメリカ史上最も影響力のある戦略家の1人であるこの偉大な外交官ジョージ・F・ケナンは、交渉によって冷戦を脱することができると約束した訳ではなく、やってみなければ分からないと述べただけであった。しかし、当時も今も、新たなチャンスが訪れているにもかかわらず、懸命な努力はしなかったように見える。「20世紀の冷戦を理解し、21世紀の爆発的緊張を和らげる上で、ケナンの教訓は、一見難解に見える紛争について和解の可能性が高いかもしれないということだ」とコスティリオラは書いている。
プーティンはウクライナへの侵攻によって、ロシアを当分の間、和解の外に置くことになったが、中国はまだ外交の門戸を開いているようである。習近平と新しく就任した秦剛外交部長は、1952年のスターリンになぞらえる形で、バイデン政権の最初の2年間、米中両国の対立という厳しい雰囲気から身を引く方法を示唆している。12月31日に放送された新年のメッセージで、習近平は台湾に対して以前は冷淡だった態度をやや和らげたように見えた。秦外交部長は『ワシントン・ポスト』紙の寄稿で、駐米中国大使としての別れを惜しみ、米中関係は「一方が他方を打ち負かし、他方を犠牲にして一国が繁栄するゼロサムゲームであってはならない」と述べた。更に「中米関係のドアは開いたままであり、閉じることはできないという確信をより強めている」とも付け加えた。この数週間、北京では、反米的な言動で知られる外務省の趙立堅報道官をあまり目立たないような形で異動させた。
ソヴィエト連邦とアメリカが対立した冷戦時代と、現在の北京とワシントンの緊張関係には、類似点よりも相違点の方が多いのは不思議なことではない。しかし、その違いは、冷戦時代以上に、長期的な米中対立への転落を断ち切る可能性を持っている。ソ連とアメリカが全く別の勢力圏に存在していたあの時代とは対照的に、世界経済は深く統合されており、アメリカも中国もその中で取引や投資を行うことで多くの富を得ている。昨年、中国経済が急激に減速し、人口が減少したことで、習近平はこのことをあらためて認識した。更に言えば、持続的な国際協力を必要とする新たな課題、とりわけ気候変動や将来のパンデミックの阻止は、当時とは比較にならないほど切実なものとなっている。実際、地球温暖化や新型コロナウイルスのような新型ウイルスによる脅威は、中国とアメリカが互いにもたらす戦略的脅威よりもはるかに大きい可能性が高い。
ソ連が協力的で統制のとれた各国政府で自らを囲んでいたのとは異なり、現在の中国は、増大する軍事力に対抗するアメリカの同盟諸国や西洋化した諸国家に事実上囲まれている。バイデン政権は既に、オーストラリアと日本の武装を支援し、日本、インド、オーストラリアと四極安全保障対話(クアッド)を形成し、アメリカの競争力強化を目的とした率直な保護主義的産業政策を含む、中国とのハイテク貿易の前例のないデカップリングを調整するなど、中国に対する厳しい政策アプローチを打ち出している。
ヴァージニア大学の冷戦専門の歴史学者、メルヴィン・レフラーは必至との電話インタヴューで、ケナンはこのようなアプローチを認めていたかもしれないと指摘しながら、同時にこのような強者の立場から真剣に交渉するよう促していたと語っている。ケナンは、1947年に『フォーリン・アフェアーズ』誌に掲載した有名な「X」論文(“X” article)でソ連封じ込めを提案した時、ソ連の侵略に対して「平和で安定した世界の利益を侵害する兆候を示すあらゆる地点で、ロシアに不変の対抗力をもって立ち向かうよう設計した(designed to confront the Russians with unalterable counterforce at
every point where they show signs of encroaching upon the interest of a
peaceful and stable world)」強力な対応を促した。彼が交渉を提案したのはその後である。
同様に、今日、レフラーは、ケナンが「もし生きていれば、現状では、中国の周囲に張り巡らされている力関係について話すことになるだろう」と述べた。そして、中国がロシアと戦略的に連携することを懸念するよりも、たとえ習近平が今年モスクワを訪問する予定であっても、ケナンはおそらく、依然として深い関係にある両国の異なる利益に焦点を当てるだろう。特に、ロシアと中国は中央アジアで影響力を競い合っている、とレフラーは指摘している。また、モスクワと北京は、アメリカの支配に敵対しているにもかかわらず、互いに深刻な不信感を抱いている。
これらの相違点は、「今、両者を結びつけている短期的な便宜的な都合よりも」、より重要であるとレフラーは述べている。レフラーは「中国とロシアの協力関係について、冷戦時代の中ソ協力への不安と似ているが、それは誇張であったことが判明している」と述べている。
実際、現代の政策立案者たちがケナンから学べることは多い。特に、地政学(geopolitics)とパワーに対する深い理解から学ぶべき点は多い。ケナンは長年にわたり、優れた戦略的・抽象的な思想家として評価されてきたが、同時に、現実的な外交に関しては、しばしば簡潔な人物であったという評価もある。しかし、生前、ケナンを非難していた人々でさえ、アメリカの国家安全保障体制において、ロシアについて、ケナン以上に知っている人間は誰一人いなかったと認めている。また、ケナンはリベラルなハト派という訳ではなかった。コラムニストのウォルター・リップマンは、封じ込め政策の初期に、後に『冷戦』という本に収められた有名な一連の記事の中で、ケナンを無鉄砲なタカ派、封じ込め政策を戦略上の「怪物(monstrosity)」として激しく攻撃し、この戦略によってアメリカは海外への無限の介入を余儀なくされると書いているほどだ。コスティリオラは、「ケナンが1944年から1948年までの4年間を冷戦の推進に費やしたが、その後の40年間は、彼や他の人々がもたらしたものを元に戻すことに専念した。これは悪くない記録だ」と指摘している。
ケナンは後にリップマンの意見に同意し、封じ込めを主に軍事的な意味で捉えることは意図していなかったと主張するようになった。1948年の時点で、ケナンは交渉の必要性を訴え始め、そのキャンペーンは彼の長い生涯の間継続したとコスティリオラは書いている。2005年に101歳で亡くなる8年前、ケナンは再びロシアの専門知識を駆使して、「NATOの国境をロシアの国境まで拡大することは、ポスト冷戦時代全体において最大の過ちを犯している」と警告した。
プーティンとクレムリンに対する支持者たちの超国家主義や反欧米熱の理由は複雑で、ロシアの歴史に深く遡る。しかし、ケナンは、ロシアの熊を長く強く突きすぎることの危険性について正しかっと言えるだろう。トランプ政権が5年近く前に依頼した、あまり知られていない米陸軍の研究は、プーティンの攻撃性とウクライナ侵攻に対するロシアの大衆的支持の両方を予期していた。情報専門家のC・アンソニー・ファフの共著の中で、この研究について言及していて、「ロシア国民は、地理的な不安と政治的な屈辱感を政府と共有しており、特に東ヨーロッパにおいて、グローバルなパワーと西洋との対立を示すことは、将来のロシア政府の人気を高めることにしかならない」と結論付けている。
このような他国の戦略的利益に対する現実政治的な感性は、ケナンの思考に一貫したテーマとなった。1950年代後半、コスティリオラは、ケナンの有名な「長い電報」や『フォーリン・アフェアーズ』の「X」論文よりも「間違いなく印象的」な一連のラジオ演説で、ケナンは「イギリス、西ドイツ、アメリカの冷戦体制の根幹を揺さぶった」と書いている。ケナンは、当時の冷戦正統派の硬直した核心的な考えであった、ドイツを西半分と東半分に分けることに異議を唱えた。ケナンは、西側がドイツから撤退する代わりに、ソ連が東ヨーロッパから軍事的に撤退すれば、西側と東側は部分的に直接対峙しないようにするための交渉ができると提案した。統一ドイツは中立を保ち、軽武装にとどめ、後に1958年から1959年に、そして1961年から1962年にかけて起きたキューバ・ミサイル危機とハルマゲドンの脅威に至る瀬戸際外交を回避する緩衝材となり得たはずだ。また、統一ドイツはNATOに残留しないということも可能だった。これは、1952年にスターリンが最初に提示した取引提案の内容と同じだった。ケナンは、抑止力のために核兵器を保持することを提案したが、戦術核はヨーロッパの分裂を堅固なものにするだけだと述べた。もし何もしなければ、核軍拡競争の暴走が起こると警告した。
ケナンは、この点でも正しいことを証明した。特に、1957年にモスクワがスプートニクを打ち上げ、ニューヨークとワシントンに核の黙示録的惨禍の脅威をもたらした後、ケナンはミュンヘン会議の時と同じ宥和主義(appeasement)だと非難された。彼の友人で戦略をめぐってライヴァルであったディーン・アチソンは、ケナンが「空想の世界(fantasy)に生きている」と不満を漏らし、ある時は、昔の外交仲間を「馬鹿馬鹿しい、くだらないおしゃべり」をする猿の一種に例えたこともあった。ケナンは打ちのめされ、権力者の誰も「ロシア人との政治的解決に関心がない」と嘆いた。しかし、その間に世界がどれだけ核戦争に近づいたか、人々は忘れがちである。
ケナンは、ヴェトナム戦争についても先見の明を持って反対した。1966年の連邦上院での証言において、人気ドラマ「アイ・ラブ・ルーシー」の放送が延期されるほど全米で注目された、とコスティリオラは書いている。ケナンは、「貧しくて無力な人々」を攻撃して威信を損なうだけで、ヴェトナムの内戦には、封じ込めは適用できないと宣言した。ジョン・クインシー・アダムズの言葉を引用して、アメリカは「破壊すべき怪物を求めて外国に出かけてはならない」と述べた(U.S. should not go “abroad in search of monsters to destroy”)。しかし、NATOの対応と同様、その時点でアメリカの方針は固まっていた。
今日、最も重要な問題は、ワシントンの対決姿勢が同じように定着しているかどうかということだ。民主党と共和党の双方が中国への厳しい対応に同意する理由の1つは、自分たちは長い間北京に騙されてきたという共通意識だ。この四半世紀の間、アメリカの両政党は中国との関わりを熱望していたが、結局、中国の指導者たちは知的財産を盗み、中国経済を発展させ、アメリカを世界を主導する超大国の座から駆逐することに主眼を置いてきたのだと結論付けた。そのためバイデンは、カート・キャンベルやラッシュ・ドーシといったタカ派を対中国のアドヴァイザーとして政権に迎えている。
超党派のコンセンサスを超えて、交渉よりも対決に政治的な偏りがあるのは、少なくともネヴィル・チェンバレン元英首相がミュンヘンでの宥和政策によって悪評を得て以来続言えていることだ。冷戦を含む全ての戦争は、大統領が強気でタフな印象を与えることで有利になるように政治が動いている。このようなアプローチの利点は、大統領に強いリーダー的なイメージを与え、世論調査での評価を高めるという直接的なものだ。一方、コストは長期的かつ拡散的で、悪化し続ける地球温暖化、ゆっくりとエスカレートする軍拡競争と更にゆっくりとした国際システムの崩壊、将来のパンデミックの漠然としたしかし増大する脅威などが挙げられる。一方、より融和的で現実的なアプローチについては、その利点は長期的かつ拡散的であり、そのコストは即時的である。
これらの疑問は、冷戦に関するもう1冊の最新刊『ケネディの撤退:キャメロットとアメリカのヴェトナム封じ込め(The Kennedy Withdrawal: Camelot and the American Commitment to
Vietnam)』の核心に触れるものだ。ヴァージニア大学の歴史家マーク・J・セルヴァーストーンは、過剰反応の危険性を認識していた各大統領でさえも、戦争に引きずり込まれてしまうと論じている。セルヴァーストーンは、この本の中で、冷戦時代の最後のタブーの一つである、ジョン・F・ケネディ大統領が生きていればヴェトナムの泥沼化を避けられたというキャメロット神話を解き明かしている。
確かにケネディは、若い連邦上院議員として、本質的にはフランスの植民地主義に対する民族主義的な運動であると認識していた紛争に巻き込まれることに警戒心を抱いていた。これは多くの人々がそのように説明している。セルヴァーストーンが書いているように、ケネディは1954年の時点で、先見の明を持って連邦上院の同僚議員たちに「アメリカの軍事援助をいくら受けても、どこにでもいて同時にどこにもいない敵を征服することはできない」と語っている。ケネディは、暗殺されるまで、より繊細な外交政策を採用し、米ソ間の緊張を緩和するための新しい方法を模索していた。しかし、それでも、ケネディが大統領就任演説で宣言したように、「自由の生存と成功を保証するために、いかなる代償も払い、いかなる重荷も負い、いかなる苦難にも耐え、いかなる友をも支持し、いかなる敵にも対抗する」覚悟を持ち、信頼性に懸念を持った冷戦の戦士であることは確かである。セルヴァーストーンは、ケネディが「ドミノ思考と決意の表明という世界観で行動し続けた」と主張し、コスティリオラは、ケネディがケナンの「離脱」支持を理由にケナンとの関係を避けようとしたと指摘する。
しかし、他の学者たちはそのように考えていない。ピューリッツァー賞を受賞した『戦争の残り火:帝国の崩壊とアメリカのヴェトナムの形成(Embers of War: The Fall of an Empire and the Making of America’s
Vietnam)』の著者であり、ケネディの伝記2巻を執筆中のハーヴァード大学の歴史学者フレドリック・ログヴァルは、ケネディはリンドンBジョンソン元大統領よりもはるかに繊細に歴史を学び、ドミノ理論には懐疑的だったと主張している。ケネディなら、勝ち目のない戦争におけるアメリカの存在感を縮小する方法を見つけただろうと考えている。「冷戦が不可避だったとは考えない。また、ヴェトナム戦争も不可避だったとも思わない」と、ログヴァルは電子メールの中で語った。
現状はどうだろうか? 冷戦時代にアチソンたちがソ連について論じたように、現在の習近平政権下の中国は、アメリカの力に対してより強くなるまでの時間稼ぎと、その後の台湾への攻撃しか考えていないと、多くの政策立案者たちは言う。そして、その先にあるのは、何が何でもアメリカに代わって世界をリードする大国となることだと、タカ派は主張している。そして、習近平はこの野望を実現するために、巨大で技術的に進んだ中国経済と、資源に恵まれたロシアの国土を結びつけようとしている。
そうかもしれない。しかし、北京がプーティンをレトリック的に支持する一方で、モスクワのウクライナでの侵略行為に対して、軍事援助や多くの経済援助を行っていないことは注目に値する。中国とロシアのパートナーシップは、冷戦初期の中ソ間のパートナーシップのように、薄っぺらいものであることが証明されるかもしれない。一方、ジョー・バイデン政権は、中国、そしていつの日かプーティン政権後のロシアと共存の道を探るというリアリスト(現実)的アプローチへの真の努力よりも、世間体を気にしているようだが、これは深刻なリスクである。NATOはまたしても、ワシントンや他の西側諸国の首都でほとんど議論されることなく、物議を醸す役割を担っている。
NATOは「北大西洋」の脅威を想定した同盟であるにもかかわらず、昨年夏、ほとんど注目されることなく、その焦点を事実上、中国に対する新たな封じ込め政策へと拡大した。マドリードでの首脳会談で、同盟は初めて日本、韓国、オーストラリア、ニュージーランドの首脳を招待し、NATOの新しい「戦略コンセプト(strategic concept)」は、北京の野望が西側の「利益、安全、価値」に挑戦するということで、中国を優先事項の1つに挙げている。
バイデンが新たな冷戦を望んでいないのであれば、習近平が望んでいると考えても不思議ではないだろう。しかし、習近平は新型コロナウイルス感染拡大の封じ込めと経済の低迷のために後手に回っており、外交的関与の新たな可能性が存在するかもしれない。レフラーは、「習近平は、自分自身や中国が、競合するイデオロギー体系をめぐるアメリカとの絶対的な存亡の争いに巻き込まれているとは考えていないと思う。習近平は、アメリカと中国の利益が相互に排他的であるとは考えていないようだ」と述べている。あるいは、コスティリオラによれば、ケナンが言うように、「鋭く対立する立場は、外交という長く、必ずしも忍耐強いプロセスにおける提示価格に過ぎない」ということになる。
一つだけ確かなことがある。真剣な外交を試みない限り、それが正しいかどうかは分からないということだ。ケナンが生きていたら、間違いなくこの言葉に同意するだろう。
※マイケル・ハーシュ:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。『資本攻撃:ワシントンの賢人たちがいかにしてアメリカの未来をウォール街に売り渡したか(Capital Offense: How Washington’s Wise Men Turned America’s Future
Over to Wall Street)』『私たち自身との戦い:なぜアメリカはより良い世界を築くチャンスを無駄にしているのか(At War With Ourselves: Why America Is Squandering Its Chance to
Build a Better World)』2冊の著作がある。ツイッターアカウント:@michaelphirsh
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