古村治彦です。


 今回は、礫川全次著『史疑 幻の家康論』(批評社、2000年)を皆様にご紹介いたします。この本は、友人から貰った本の中に入っていたので入手したものです。また、『史疑』という本については、師である副島隆彦先生からお話を伺っていて、名前は知っていました。そして、『史疑』を基にして、副島先生は独自の徳川家康論を構築され、『闇に葬られた歴史』(PHP研究所、2013年)として刊行されました。


 村岡素一郎著『史疑 徳川家康事蹟』という本は、1902(明治35)年に徳富蘇峰主宰の民友社という出版社から出版された本です。その後、絶版となり、世の中から忘れ去られていたのですが、1958(昭和33)年に作家の南條範夫が古本屋で発見し、それを基にして、「願人坊主家康」という小説を書きました。また、『史疑』を基にして1986(昭和61)年、隆慶一郎が唯一の長編小説である『影武者家康』という小説を書いています。また、村岡素一郎の孫である榛葉英治(直木賞受賞作家)が『史疑』を口語訳した本を出しています。榛葉英治は、『史疑徳川家康』(雄山閣、1963年)という本も出しています。



 この『史疑 幻の家康論』は、『史疑徳川家康事蹟』を紹介した本です。著者であ礫川は、『史疑』という本について、①徳川家康の入れ替わり説の提示、②徳川家康が当時の卑賤な身分の出身であるという説の提示、③貴賤交代論の本であることの、3つのポイントで、この『史疑』は重要な本であると書いています。


 礫川の展開する主張で重要なのは、『史疑』が「貴賤交代論の書である」という点です。貴賤交代論というのは、「それまで社会を支配していた人々と、虐げられてきたもしくは卑しいとされていた人々が交代する。歴史はその繰り返しだ」と言うものです。そして、礫川は、この『史疑』で村岡素一郎は、徳川家康の出身が当時卑賎とされた身分であったことを指摘して、明治新政府の顕官たちの出自もまた卑賤なものであった、ということを指摘しているのだと主張しています。加えて、この貴賤交代論のために、『史疑』が言わば「禁書」として扱われてきた、出版元の民友社の徳富蘇峰さえも「禁書」として扱うことに協力したのだと主張しています。


 この部分は、「明治天皇すり替え説」「伊藤博文の出自は忍者説」と並んで、これからもっと調査が進められるべき(しかし調査が進むことはないだろうと思われる)、幕末から明治にかけての歴史の重要なテーマです。


 私たちが本やインターネットで見ることができる、松平家の家系図では「清康―広忠―家康」の順になっています。そして、家康の生母は水野忠政(尾張国知多郡の豪族)の娘、於大(おだい)の方となっています。於大の方は広忠と離縁させられ、久松俊勝と再婚しました。家康の異父弟たちは松平の性を与えられ、家康の家臣となったということです。

 しかし、『史疑』の中で、村岡素一郎は次のような論を展開しています。

(1)家康は駿府宮の前町生まれ。
(2)父親は諸国を放浪していた江田松本坊、母親はささら者の娘である於大、その母は於万
(源応尼)。ささら者は、戦場などでの雑用を行う人々であった。
(3)家康は祖母に養育され、仏門に入っていた。
(4)しかし、あることで破門され寺を飛び出し、放浪しているところを又右衛門という悪漢に捕まり、銭5貫で願人坊主であった酒井常光坊に買い取られる。
(5)家康(この時は世良田二郎三郎元信と名乗っていた)は19歳の時に駿府にいた松平家から今川家へのの人質であった竹千代(父は松平元康となっている)を誘拐し、遁走。祖母の源応尼は処刑された。世良田は家康の父江田松本坊の出身地の地名。
(6)家康は竹千代を尾張の織田家に引き渡そうとするなどの計略を用いた。
(7)「森山崩れ」という事件が起きる。松平元康が家臣に斬殺される。
(8)家康(このときは元信)が「元康の嗣子である竹千代君を奉侍している。竹千代君を奉じて岡崎城に入城したい」と言って岡崎城に入り込む。
(9)元康の死は秘密にされ、元信が元康の代わりをする。
(10)織田との和議が成立し、元康(元信が入れ替わった)は「松平蔵人家康」と改名。竹千代は信康と改名。
(11)家康時代になり、古くからの家臣が松平家から脱落していく。
(12)1566年に苗字を松平から徳川に改姓。
(13)1572年に家康、正室である築山殿と嫡子・信康を武田家との内通の容疑で殺害。


 私は、この村岡素一郎の徳川家康に関する主張については副島先生から数年前に口頭で説明を受けました。その時は、私の頭の悪さもあって、内容を理解できないままでした。しかし、今回、『史疑 幻の家康論』を読んでみて、なるほどその内容を理解することができました。この話は、当たり前の話ですが学校で習う歴史には出てきませんし、驚くべき内容で、「想像の産物」と片付けたくなるものです。

 しかし、私も資料が乏しい戦後史の研究をしていますと、ある本の一節、ある人がぽろっと言った一言から真実の断片がちらりと姿を見せていることを発見したという経験があります。村岡素一郎も『駿府政事記』という本を読んでいて、家康が家臣たちにある日、「自分は若い時に又右衛門という悪者に五貫文で売られて酷い目に遭った」と話したという一節からインスピレーションを得て、『史疑』としてまとめられることになる研究を始めています。私は自分の個人的な経験、直観から村岡素一郎の説は無視できないものであると思います。

 『史疑 徳川家康事蹟』は元々生硬な漢文で書かれており、読みにくいものだそうです。それを著者村岡素一郎の孫である榛葉英治が口語訳を出しています。それらを読むにあたり、まず入門編として、この『史疑 幻の家康論』を読むと理解が進み、有意義であると思います。

(終わり)