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 古村治彦です。



 今回は、副島隆彦著『闇に葬られた歴史』(PHP研究所、2013年)を皆様にご紹介いたします。この本は、歴史上の定説に対して異議申し立てをしている、正統派(オーソドキシー、orthodoxy)から排除された修正主義派(リヴィジョニスト、revisionist)の言説を取り上げて検討を加えた本です。大きく、第一部「戦国・江戸時代編」と第二部「古代編」とに分けられており、第一部には、第一章「信長殺しの真実」、第二章「家康のすり替わり説」、第三章「戦場の真実」、第四章「松尾芭蕉忍者(公儀隠密)説」が収められ、第二部には第五章「天皇とは北極星のことである」、第六章「日本建国は六八八年のことで、華僑が作った」、第七章「聖徳太子は蘇我入鹿である」がそれぞれ収められています。



 それぞれの章では、正統とされる歴史の定説に異議申し立てをした先達の業績が紹介され、それに副島先生の検討や分析が加えられています。先生の検討や分析の基礎となっているのは「覇権国―属国関係理論」であり、「世界規模の政治の動きから日本史を見る」ということです。日本はアジアの東の端にあり、世界から隔絶していたと考えられがちですが、国際政治の動きに無縁であったのではなく、大きな動きに合わせて歴史も動いていたと考えると、不自然なことが出てくる、それが本書で取り上げられている「修正主義的」な言説の数々です。詳しくは是非、『闇に葬られた歴史』を手にとってお読みください。



 政治学や国際関係論を専攻した私にとって特に気になった部分は、国際関係と絡めた主張です。例えば、第一章では、イエズス会が信長殺しを行ったという主張の部分です。ここにはポルトガルとスペインの勢力争い、イエズス会による日本の植民地化の動き、そして「天正少年遣欧使節」がローマ法王による「日本国王」の「オーディション」であったということです。そして、第四章で出てくる間宮海峡の地政学意味の部分です。樺太が半島であるか、島であるかはヨーロッパ各国をも巻き込む地政学上の重要なポイントであって、間宮海峡を日本側(公儀隠密であった間宮林蔵によって)が「発見」されたことが重要であって、その後、ロシアと日本側で樺太の辺りは「触らない」ということになったということには驚かされます。



 国際関係論は徳に歴史学の影響が強い分野です。歴史の事例研究が国際関係論の理論構築の基礎にあると言って良いでしょう。国際関係論という学問分野では、ツキティディスの『戦史』が必読文献になったり、中国の五胡十六国時代がケーススタディの対象になったりしています。歴史をよく知ることが国際関係において、最も間違いの少ない選択をすることができると言うことができます。



 そして、同時に国際関係をよく理解することが、歴史の解釈に対して大きな貢献ができると言うことができます。現在では、従来の欧米偏重の「ワールド・ヒストリー」から「グローバル・ヒストリー」へと重臣が少しずつ変化していますが、これは経済力や軍事力といった国際関係論で重視される要素を歴史学に加味していく作業でもあります。歴史は、特に一国の歴史となると、権力者によって都合の良いように書き換えられます。建国物語が公認の歴史ということになりますが、これは現実を無視した「物語」です。これに対して、異議申し立てを行う際に有力な武器となるのが国際関係の理論や知識です。



 本書『闇に葬られた歴史』の著者である副島先生は、歴史家ではありませんが、政治や国際関係の専門家であり、その観点から歴史を見て、検討や分析を加えています。歴史に関して異議申し立てを歴史家からの視点だけで行うのはどうしても限界があるはずです。現在は、どの学問分野でも「学際的(interdisciplinary)」の重要性が指摘されています。他の分野からの知見の導入が図られています。社会科学の中でも後発の政治学には、経済学、社会学、心理学の業績が導入されています。



 本書『闇に葬られた歴史』を素人による素人考えと切って捨てるのはこうした学問の大きな流れに逆行することであると私は考えます。



 副島隆彦著『闇に葬られた歴史』(PHP研究所、二〇一三年)を是非年末年始の読書計画にお加えいただければと思います。



(終わり)