アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12




野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23

 

 古村治彦です。

 

 昨日、石原慎太郎氏が記者会見で政界引退を表明しました。

 

 石原慎太郎氏は、1968年から1972年まで参議院議員、1972年から1995年まで衆議院議員、1999年から2012年まで東京都知事、2012年から2014年まで再び衆議院議員、その間に環境庁長官や運輸大臣を務めました。昭和の大俳優・石原裕次郎との兄として、若くして芥川賞を受賞した作家として、華やかな生涯であったと言えましょう。

 

 彼は1995年に「日本の政治に失望した」として衆議院議員を辞職しました。そして、1999年に「裕次郎の兄です」という言葉と共に東京都知事選に立候補し、衆議院議員時代よりも政界における存在感を増しました。東京都知事時代は、排ガス規制や外形標準課税などの政策で注目されました。

 

 2000年代以降の石原氏の動きはおかしなものでした。排外的、ナショナリスティックな発言が過激さを増し、一言で言えば「だんだんおかしくなっていった」と言うことになると思います。

 

 その最たる例が2012年4月に尖閣諸島を東京都が購入するという発表をアメリカの首都ワシントンにあるヘリテージ財団で行ったことです。これによって、当時の野田佳彦総理大臣は、政府による買い上げで「国有化」を行わざるを得なくなり、中国との関係を一気に悪化させることになりました。ヘリテージ財団に関しては、アメリカ国内でも「あのシンクタンクはおかしい。昔は良かったが、今は変な動きをしている」という声が上がっています。そのことは本ブログ内でも紹介しました。この時、尖閣諸島の購入資金で寄付に応じてきたと思うのですが、そのお金はどこに行ったのか、石原氏はきちんと説明する義務があると思います。

 

 そして、昨日の会見ですが、最後っ屁とばかりに、日本維新の会で共同代表を務めていた橋下徹・大阪市長を未来の総理候補と持ち上げ、「演説がうまい、若い時のヒトラー」みたいだと発言しました。これは石原氏なりの皮肉と間接的な攻撃、褒め殺しなのだと思いますが、先進国の、民主国家の政治家を務め、その国の首都の知事を務めた政治家の見識としては最低のものだと思います。

 

 石原慎太郎氏、1995年に衆議院議員を辞職した段階で公職に就かず、作家として発言しているだけであれば良かったのですが、公職に就いて、最後の最後で日中関係を悪化させるという国益を損なう行為を行い、また、民主国家の政治家としてはあるまじき発言で政界を去っていくことになりました。彼の存在は日本の政治のトリックスター、プロレスで言うと、ギミックということになると思います。

 

 決して本流にもなれず、かといって真面目にもなれず(プロレスのギミックはまじめでストイックです)、あの若い時からのヘラヘラ顔のまま50年近くを政治の世界で過ごしてきたのです。最後の最後で、次世代の党の方々と一緒に「討ち死」しましたが、それが日本政治に彼が行った貢献と言えなくもなりません。

 

 晩節を汚すという言葉があります。若き日の石原氏も恐らく、人生の先輩たちのことで、「晩節を汚した」という批判をしてきたことでしょう。人間、引き際が見事であるということは大変に難しいことなのだと思います。だから、年下の人間から「晩節を汚した」という批判を受けるのは、年上の人間の仕事なのかもしれません。「老兵は死なず、ただ消え去るのみ(Old soldiers never die, but fade away)」というマッカーサーの言葉を考えると、あのヘラヘラ顔のままで去っていく石原慎太郎氏、ある意味で憐れな人であったと今は思います。

 

(テレビ・新聞記事転載貼り付けはじめ)

 

●「石原氏が政界引退会見」

 

2014年12月16日 テレビ東京

http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/mplus/news/post_80911/

 

半世紀近くにわたった政治家人生に別れを告げました。衆議院選挙に出馬し落選した次世代の党の石原最高顧問は先ほど会見を開き、政界から引退すると正式に表明しました。自主憲法の制定を掲げた次世代の党が選挙で大敗したことについては「国民の関心は憲法にない」と淡々とした表情で語りました。また将来の総理大臣候補として維新の党の橋下共同代表をあげ「彼ほど演説の上手い人はいない。若いときのヒトラーだ」と語るなど独特の石原節でエールを送りました。

 

●「石原慎太郎氏が引退表明=「悔いなし、晴れ晴れ」」

 

時事通信 1216()1830分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141216-00000127-jij-pol

 

 衆院選で落選した次世代の党の石原慎太郎最高顧問(82)は16日、日本記者クラブで会見し、政界引退を表明した。「仲間の若い武士たちのために一緒に戦って討ち死にした。肉体的にひびが入り、国会議員の中で最高齢になった」と説明した。選挙を機に引退する意向だった石原氏は、次世代の比例代表東京ブロック名簿の最下位に登載されていた。

 

 石原氏は「悔いはない。晴れ晴れとした気持ち」と強調。旧日本維新の会でともに共同代表を務めた橋下徹大阪市長について「彼は天才だ。再登場すると思うし、させなければいけない」と期待を示した。橋下氏に衆院選出馬をぎりぎりまで働き掛けていたことも明かした。

 

 今後は若手芸術家の育成などに携わる考えを示し、「言いたいことを言ってやりたいことをやって、人から憎まれて死にたい」と語った。「中国は嫌いだ。共産党の独裁を壊滅させなければ駄目だ」と持論を展開する場面もあった。

 

(テレビ・新聞記事転載貼り付け終わり)

 

(終わり)