古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、以下のアドレスをご覧ください。http://soejimaronbun.sakura.ne.jp/goaisatsu.html 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

2013年12月







 古村治彦です。

 今回もまた、フランシス・フクヤマ著『政治の起源(上・下)』の書評を皆様にご紹介したいと思います。これは、ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」に2013年10月28日に発表したものです。

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(1)ニューヨーク・タイムズ紙 2011年4月15日


http://www.nytimes.com/2011/04/17/books/review/book-review-the-origins-of-political-order-by-francis-fukuyama.html?pagewanted=all&_r=0


「書評:フランシス・フクヤマの国家に関する国家―『政治の起源』」

マイケル・リンド(Michael Lind)筆


 「この本には2つの起源がある」。フランシス・フクヤマは著書『政治の起源』の前書きでこのように書いている。「私の師であるハーヴァード大学教授サミュエル・ハンチントンが、彼が1968年に出した古典的名作『変革期社会の政治秩序』の改訂版に前書きを書くように依頼されたとき、私はまず本作の着想を得た」と書いている。そして、彼がこの10年間、「現実世界における弱体国家と破綻国家」について研究し、その成果を2004年に『国家建設:21世紀における統治と世界秩序』として発表した時に、2回目の着想を得たということである。


 『政治の起源』の起源について語る時、フクヤマは謙虚である。彼は不誠実でも、陰険ではない。フクヤマは1989年に外交政策専門誌『ナショナル・インタレスト』誌に発表した論文「歴史の終わり?」とそれを基にした著書『歴史の終わり』を発表した。それが国際的に評判となり、有名になった。彼の主張は世界中で論争を引き起こした。その内容な次のようなものだった。「私たちが目撃したものは、冷戦の終わりや戦後の歴史のある特別な時期の終わりというだけでなく、歴史自体の終わりなのである。それはつまり、人類のイデオロギーの進化の最終地点に到達したということであり、西洋流の自由民主政治体制が人類の統治の最終形態として普遍化されたということなのである」


 それから20年、フクヤマは彼の主張を修正してきてはいるが、放棄してはいない。2巻の出版が予定されているうちの1巻目であるこの『政治の起源』の中で、フクヤマは次のように書いている。「ロシア出身で、フランスで活躍した偉大なヘーゲル解釈学者アレクサンドル・コジューブは、歴史というもの自体は1806年のイエナ・アウエルシュタットの戦いの時点で終わったと主張した。この時ナポレオンがプロイセン王を破り、ヘーゲルのヨーロッパに自由と平等の原理をもたらした。私はコジューブの主張は現在においても真剣に考慮するに値すると確信している。近代的な政治秩序の3つの要素、強力なそして実務上有能な国家、国家の法の支配に対する従属、全ての国民に対する説明責任は、18世紀末までに構築された」


 これら3つの要素がイギリスで最初に結合したことは偶然の産物であった。しかし、オランダ、デンマーク、スウェーデンといった宗教改革に強い影響を受けたヨーロッパ北西部の国々もまた「19世紀までに国家、法の支配、説明責任を結合させることに成功した」とフクヤマは書いている。産業革命と民主革命によってイギリスとその近隣諸国で3つの要素の結合が起きる前、これら近代的な政治秩序に必要な3つの要素はそれぞれ別々に、異なった前近代的文明で進化していた。フクヤマは次のように書いている。「中国は早い時期から強力な国家を発達させていた。インド、中東、ヨーロッパには法の支配が存在した。イギリスで説明責任を果たす政府が初めて出現した」


 『政治の起源』の大部分のページは、18世紀にイギリスで3つの要素が結合する以前に、国家、法の支配、説明責任がそれぞれ異なる社会でどのように進化していったかの物語を語ることに費やされている。フクヤマのこれまでの著作は決定論に過ぎないという批判をする批評家たちがいる。確かにフクヤマは偶然が果たす役割を強調する。近代的な政治機関は「複雑で、文脈固有のもの」である。例えば、近代初期のヨーロッパでは、中世のキリスト教教会の力によって拡大家族の意義が失われていった。これは、「16世紀のイタリア、イギリス、オランダで資本主義経済は出現したが、インドと中国とは異なり、これは既得権益を守ろうとする組織化された氏族グループの抵抗を排除しなくても良かった」ということを意味するのである。


 フクヤマは、政治的、そして社会的機関が経済的、もしくは技術的構造にただ付帯しているだけのものであるとする還元主義的な説明を拒絶している。フクヤマは次のように主張している。「様々な社会が異なった発展経路をたどる基本的な理由として多くの要素を考慮に入れなければ、政治発展に関する有意義な理論を構築することは不可能である。特に、物質的な条件の前に宗教というものを考慮しなければならない」


 こうした理由から、フクヤマのこれまでの著作と同様『政治の起源』では、急進的な社会科学である新古典派経済学の発達とは相いれないものとなっている。フクヤマは19世紀の社会学の伝統に連なる偉大な思想家である、ウェーバー、デュルケーム、マルクス、ヘーゲルとの類似点を多く持つ。フクヤマは特に、ヘーゲルについては論文「歴史の終わり?」の中で社会科学者として扱っている。この社会学的な伝統に連なっているので、フクヤマは、「政治は歴史と進化の産物であり、ロック流の自然権理論と市場至上主義、「マンチェスター自由主義」の否定から生まれたと考えている。「経済人」という言葉で社会を説明しようとするフリードリッヒ・ハイエクのようなリバータリアンたちとは異なり、フクヤマは、強力で機能する国家は資本主義経済が繁栄するための前提条件となると主張している。


 社会学の最新の研究成果と抽象的な自然権を主張するリベラリズムに依拠して、フクヤマは次のように書いている。「前社会的な状態で人類は存在することはなかった。人類はかつてここに孤立した個人として存在し、無秩序な暴力(ホッブス)やお互いを平和的に無視する(ルソー)ことで相互に関わっていたのは正しくない」


 しかし、読者の中にはフクヤマは自然権の伝統をあまりにも軽視しているのではないか、自然権の伝統がルネサンスと啓蒙的リベラリズムを生み出しだのに、と考える人たちもいるだろう。フクヤマの歴史重視主義と思想が政治秩序を形成するという主張は異論を巻き起こす。フクヤマはインド社会の形成について古代のバラモンたちが構築した神学を重要な説明要素としているが、17世紀のイギリスの水平派とロックを信奉した人々についてはそのように考えていない。彼らはイギリス革命、アメリカ独立革命、フランス革命に影響を与えたにもかかわらず、だ。近代性を受け入れて、ゲルマン部族の習慣と中世社会の企業体に西洋近代の機構の起源を求めた19世紀の歴史主義者たちと同様、フクヤマは民主的な政治秩序を支持する立場にある。一方で、普遍的な諸権利と道徳的、認識論的な個人主義のような民主的政治秩序を正当化する諸理論は間違っていると主張している。刊行が予定されている第2巻目で、フクヤマはアメリカ独立革命とフランス革命を導いた思想について取り扱うと言っている。これは今から楽しみである。


 『政治の起源』は、多くの学問分野の研究成果を統合して人類史の概観を作り出そうとする意欲的な試みとなっている。この試みが成功するかどうか疑いを持っている人も彼の主張の詳細な部分や結論に異論がある人もフクヤマの大胆さには感心するし、彼の主張には刺激を受ける。本書は野心的で、知識に溢れ、雄弁である。そして、私たちが生きているこの時代をリードする知識人が到達した知の最高地点を示している。


(終わり)


(2)フィナンシャル・タイムズ紙 2011年4月30日

http://www.ft.com/intl/cms/s/2/bc6e983c-7125-11e0-acf5-00144feabdc0.html#axzz2hZLWxUHo


「書評:『政治の起源(The Origins of Political Order)』」

クリストファー・コールドウェル( Christopher Caldwell)筆


 政府というものの起源は何で、何のために存在し、誰が組織するものなのだろうか?これらの疑問は長年にわたり、哲学者たちを突き動かしてきた。ホッブスは、政府を「万人の万人に対する闘争における一時的な休戦状態」と表現し、ローゼナウは「社会契約」と表現した。スタンフォード大学所属の政治学者フランシス・フクヤマは、自分こそが彼らよりもより良い答えを導き出せると考えているようだ。ダーウィンと19世紀の偉大な人類学者たちが行った、比喩と推測を使った政府に関する理論の構築を越えることができるとフクヤマは考えているようだ。そして、フクヤマは、生物学と歴史学の成果から、政府の起源に関する理論を打ち立てることができると確信しているようである。


 フクヤマの最新刊は学術的ではあるが、才気が縦横に溢れた刺激的な著作である。第一巻目となる本作は、前史からフランス革命、アメリカ独立革命までの様々な政治システムについて詳述している。フクヤマがこの著作を書くに当たって念頭に置いていたのは、彼の亡くなった師、サミュエル・ハンチントンが1968年に発表した『変革期社会の政治秩序(Political Order in Changing Societies)』の内容を時代に合わせて新しくするという試みであった。しかし、この『変革期社会の政治秩序』という本が書かれたのは、世界の進歩が信じられていた時代である。21世紀初頭に生きる西洋人の性向として、フクヤマは、政治的衰退、もしくは「腐食」と呼ぶものに啓発されて本書を書いている。


 衰退という考えは、フクヤマの名前を一躍有名にしたものだ。1989年、米国務省の若き政策分析官であったフクヤマは、論文「歴史の終わり」を発表した。この論文は、東欧諸国の共産主義の崩壊について説明しようとした初の試みであった。その当時はまだ、ベルリンの壁は崩壊していない中で、フクヤマの分析は大変に印象的であった。ナポレオンは1806年にプロシアを破った。ヘーゲルはこれをフランス革命の諸原理の王制の諸原理に対する勝利であると考えた。フクヤマは、ヘーゲルのように考え、「冷戦の終結は、自由主義的資本主義以外の選択肢を消滅させつつある」と宣言した。簡単に言ってしまえば、フクヤマは、ソ連の経済学者たちが突然 ミルトン・フリードマンと比較されてしまう状況になるのだと述べたのである。フクヤマは、ヘーゲル流の歴史の終わりという考え方は、「国際的な紛争の消滅を意味するものではない」と強調した。しかし、バルカン半島の旧ユーゴスラヴィアで起きた大量虐殺やアフリカでの騒乱はフクヤマの主張に打撃を与えるものであった。そして、フクヤマの「歴史の終わり」論文は、論文を読んでいない人たちによって誤用されている。


 もちろん、フクヤマはいくつかの点を見落としている。資本主義は、リベラリズムや民主政治体制よりも戦後世界の重要な構成要素であるということをフクヤマは見逃している。フクヤマは、イラク戦争に突入した時点ではまだ楽観的であった。アメリカの力は、より良い流れを生み出し、加速していると彼は書いていた。読者の中には、彼の書いている文章の中にアメリカの衰退の兆候を見てとる人もいる。


 フクヤマは人間の本性について2つのことを私たちに知って欲しいと望んでいる。一つ目は、人間とは社会的生物であり、人間同士が相互に影響を与え合うように行動する際に、社会契約を結ぶことは必要としないということである。二つ目は、人間は親族と友人たちに好意を示すということを通じて相互に活動しているということだ。フクヤマは、いかなる政治秩序も、人間の持つ身内贔屓と仲間を優先するという性向が生み出したものだと主張している。政治秩序の形成過程はきれいなものではない。人類で初めて身内贔屓ではない政治秩序が形成されたのは秦である。秦の「法家たち(Legalists)」は中国を短期間ではあるが統一し、西洋に先んじること2000年、実力主義による官僚登用の基礎を築いたのである。独裁的な商鞅は、儒教的な農業システムを廃止した。このシステムでは、農民たちは家族に縛り付けられ、家族はお互いに縛り付けあっていた。そして、儒教的なシステムの廃止によって、全てを決定し命令する国家に対して人々は防御する手段を失った。


 他方、フクヤマは、中国は説明責任に関しては後進的であると見ている。儒教は、道徳的な説明責任の基盤となった。儒教では「権力は被支配者たちの利益になるように行使されるべきだ」と教えている。しかし、法家思想ではこうした考えを否定した。そして、中国では、インドとは異なり、形式化された説明責任は存在しなかった。インドでは、王たちを越える存在であるほうの守護者としてバラモンが存在した。そして、王たちはその野心をチェックされることになった。こうしてインドは常により自由ではあるが、統治がしにくい状態になった。しかし、評価は人それぞれであろうが。


 ギリシアとローマではなく、中国とインドから話を始めたのは西洋の歴史家の目には異例の試みに映るだろう。しかし、フクヤマは政治学者である。彼の仕事は、実現可能な国家諸形態の分類学であり、民主政体の系統研究学ではない。東洋においても、西洋においても政府が直面する課題というものは基本的に同じものである。それは、国家の権威を縁故主義者と部族優先主義者たちから守り、転覆させないということであった。もっとも独創的な解決法は、13世紀のマムルーク朝エジプトと16世紀のオスマントルコで採用された「軍事奴隷」であった。オスマントルコ帝国では、役人たちが領土内の非イスラム教地域を巡回し、見た目が良く、能力がある少年たちを探し出して奴隷化し、イスタンブールに連れ帰り、去勢を施した後、軍人か役人として国家を防衛、もしくは運営させるために教育と訓練を施した。同様の制度が女性に対してもあり、少女たちを妻や妾にするためにバルカン半島とロシアの奴隷市場が開かれていた。


 フクヤマは空想的なロマンチストではない。本書を通読すれば分かるが、政府は「進化すれば」、官僚的になり、ヒエラルキー構造になるという印象を受けるだろう。しかし、フクヤマにとっては、統治能力の発達が他の分野の発達を意味するものではない。これは彼が西洋の説明責任を負った統治や民主政体がどのように発達してきたかを描写しているものを読めば明らかだ。


 フクヤマは、民主政治体制の土台は、中央集権化が進む権威に対する「少数の人々による抵抗」にあると考えている。国家とその敵対者たちとの間の争いの種類はさまざまである。ロシアでは、国家と結んだ上流階級が農奴たちを支配した。その結果、絶対主義が発生した。イギリスでは、プロテスタントたちがカトリック教を信奉するスチュアート王朝に対して反旗を翻した。この動きは慣習法の発達によって促進された。そして、イギリスの王たちは、その当時の世界各国の動きとは異なり、議会を無視することはできなくなった。その結果、イギリスでは自由が尊重されることになった。「代表なくして課税なし」は道徳的な原理ではなく、力に基づいた計算から導き出された要求である。フクヤマの考え方はこれまでの陳腐な決まり文句に対して反対するものである。彼の考える民主政体は後衛を守るイデオロギーなのであり、前衛ではない。古い階層、王制、迷信といったものも民主政体性を生み出すための材料なのである。


 本の中ではっきりとは述べられていないが、フクヤマの冷酷なメッセージは、道徳的、そして文化的な発展は、政治的、そして文明的な退廃を意味する、というものだ。いかなるシステムも堅固に守られなければ、再び部族優先主義や家族優先主義に陥ってしまう。16世紀、オスマントルコの高官たちはこうした悪弊にすぐに陥ってしまった。まず、マムルークの婚姻禁止制度を廃止し、彼らの息子たちが一定数政府に入る枠を作り、少年たちを集めてくるシステムも廃止された。究極的に言えば、全ての支配者にとって最も手ごわい敵は人間の本性ということになる。


(終わり)


(3)フォーリン・アフェアーズ誌 2011年5・6月号

http://www.foreignaffairs.com/articles/67753/francis-fukuyama/the-origins-of-political-order-from-prehuman-times-to-the-french


「書評:フランシス・フクヤマ著『政治の起源(The Origins of Political Order: From Prehuman Times to the French Revolution)』」

G・ジョン・アイケンベリー(G. John Ikenberry)筆


 フクヤマは、「歴史の終わり」という考えを提唱したことで良く知られているが、この『政治の起源』という記念碑的な著作で、フクヤマは、前史時代からフランス革命に至るまでの政治秩序の起源と軌跡を追いながら、歴史そのものを概観している。続編はフランス革命から現在に至るまでを網羅することになるということだ。サミュエル・ハンチントンの古典的名作『変動期社会の政治秩序』にフクヤマは触発され、この『政治の起源』を書いた。フクヤマは、人類が部族社会を形成し、組織的な政治共同体を徐々に出現させ、領土を伴った国家へと発展させていく過程を丹念に描いている。フクヤマは、それぞれの段階について、特に政治機構の起源と発展に興味を持って、詳しく調査、研究を行っている。彼の研究範囲はアラブ、アフリカ、中国、ヨーロッパ、そしてインドへと広がっている。フクヤマは、「政治的発展は、社会が漸進的に発展し、異なるシステムを持つ社会間で争い、時には後退もしながら、近代国家出現まで進んでいく中で、明確な姿を持つようになっていった。近代国家では、権威は中央集権化され、法の支配が確立され、人々から選ばれた指導者たちは説明責任を負う。『政治の起源』の中で、フクヤマは、国家の出現についての、戦争と経済的な侵略を強調した伝統的な説明と変化しやすい法、正義、宗教に特化した説明を融合させている。


(終わり)

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 古村治彦です。



 2013年12月19日、猪瀬直樹東京都知事が辞職を表明しました。これを受けて、今後行われる都知事選挙の候補者の名前が多く報道されています。「橋本聖子参議院議員(自民党)、小池百合子代議士(自民党)菅直人代議士・元首相(民主党)、蓮舫参議院議員(民主党)舛添要一元厚労相(民主党からの擁立の可能性)下村博文代議士・文部科学相(自民党)、丸川珠代参院議員(自民党)、片山さつき参院議員(自民党)、東国原英夫

代議士(日本維新の会を離党・辞職予定)、川淵三郎(首都大学東京理事長・日本サッカー協会最高顧問)」の名前が挙げられています。



 これから選挙が近づいていくにつれて、どんどん候補者が絞られていくでしょう。今まで挙げられた人々の多くが現職の国会議員や大臣であることを考えると、それらの職を擲って、都知事選挙に挑むとは考えにくいです。もし選挙に敗れたら無色になってしまうのですから。そこで、注目されるのは、川淵三郎氏です。川淵氏はサッカーのプロリーグであるJリーグの創設に関わり、チェアマンとなりました。チーム名に企業名をつけることを認めない姿勢を貫き、読売の渡邉恒雄氏(読売ヴェルディを認めるように主張しました)と対立しました。2002年から2008年まで日本サッカー協会日本サッカー協会会長(キャプテンと自称しました)を務めました。日本サッカーのプロ化、日本代表チームの強化(1998年のワールドカップ初出場から連続して本大会に出場できるほどになりました)に功績があった人物です。



 川淵氏は、猪瀬直樹氏の都知事選挙の選対本部長(実務に携わっていないでしょう)ということで、安倍晋三首相と石原慎太郎代議士(前東京都知事)との間で、有力な候補者であることが確認されています。川淵氏は、日本サッカー協会の重鎮であること、早稲田大学出身で文教族の大物政治家たち(森喜朗元首相や下村博文文科相など。早大雄弁会系は文教族になる人が多かった)との関係も深いこと、スポーツ関係に幅広い人脈がることなどから、東京オリンピックの開催準備には適した人物ということになると思います。



 2020年東京オリンピックの招致に関しては、内閣官房参与の平田竹男・早稲田大学スポーツ科学研究科教授がキーマンとなっています。平田教授は、1982年に横浜国立大学から通産省に入省し(同期に安倍晋三首相の政務秘書官である今井尚哉)、エネルギー畑を歩いた人物ですが、途中、日本サッカーのプロ化にかかわり、2002年には日本サッカー協会に転職し、専務理事となりました。そして、2006年からは早稲田大学教授となりました。平田氏の持つサッカー人脈(高円宮妃久子さまの招致活動への参加がその最たる例です)、エネルギー外交人脈が東京オリンピック誘致に貢献したことは自明のことですが、それが東京都知事の候補者にも及ぼうとしているのだろうと私は考えます。


 ここら辺の人脈関係については、来年1月に出版する『ハーヴァード大学の秘密』(PHP研究所)に書いております。

 川淵氏は権力志向が強い人物という評価があるところから、都知事という地位には興味があるのではないかと思います。川淵氏が自公の候補者ということになると、他の勢力には大きな脅威になることは間違いありません。川淵氏より知名度や実績が上の人物となるとなかなかいないのですから。



(新聞記事転載貼り付けはじめ)



●「川淵三郎氏で候補一致か 安倍首相と石原前都知事 都知事選で意見交換」



DAILY NOBORDER 1219()2253分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131219-00010003-noborder-pol&pos=1



猪瀬都知事が辞職を表明したことを受けて、各党・各会派は早速、次の都知事候補選びに入った。



「猪瀬都知事を作った人物に責任を取ってもらうのがいい」(自民党幹部)



党内のこうした声を受けて、自民幹部の一人は安倍首相の元を訪れ、石原慎太郎前都知事との接触を求めていたという。



実際に、猪瀬知事辞職の前日(18日)、安倍首相は、「日本維新の会」の石原代表らと官邸で昼食を取りながら後継知事について意見を交わしていた。



首相と前知事の二人が、次期都知事候補として意見を一致させたのが、猪瀬知事の選対本部長でもあった首都大学東京理事長で、日本サッカー協会最高顧問の川淵三郎氏だった。



確かに、元Jリーグチェアマンでオリンピックを控える国際都市「東京の顔」としても申し分ない。



だが、不安も除去できなかったという。



「猪瀬知事が、行政経験のない政治のアマチュアだったということが今回の辞職劇ではっきりした。川淵氏も同じではないかという不安は拭えない。仮にそうなったとしても党として推すのは難しいのではないか」(同自民党幹部)



自民党内では他にも、橋本聖子参議院議員、小池百合子衆議院議員など女性議員を推す声も上がっている。



石破茂幹事長は、都知事選のタイムスケジュールを考えると「今年中の候補者決定が望ましい」と答えた。



時間はない。果たして、安倍政権は新しい「東京の顔」に意中の人物を据えられるのだろうか?



●「都知事選 民主に舛添氏擁立論、浮上 菅元首相や蓮舫氏…人材難深刻」



産経新聞 1220()755分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131220-00000115-san-pol



東京都知事選をめぐり、候補者探しに苦しんでいるのは民主党も一緒だ。浮上してくるのは菅直人元首相や蓮舫元行政刷新担当相といった毎度おなじみの顔ぶれで、人材難は深刻。こうした中、党内からは舛添要一元厚生労働相の擁立を求める声がにわかに浮上してきた。



「厚労相としての経験も十分ある。舛添さんにする可能性はある」



民主党都連幹部は19日、産経新聞の取材にこう語った。党勢が低迷し、かつこれ以上国会議員を減らすわけにはいかない党執行部は、党所属国会議員を擁立するのには否定的。党内で名前が取り沙汰される菅氏も同日、国会内で記者団に「地球が逆さに回ってもない」と出馬を否定した。



そこで白羽の矢が立ったのが知名度の高い舛添氏だ。19日に開いた幹部会では舛添氏に関し「特定秘密保護法についてはうちと近い」などの声が出た。



当の舛添氏は19日、都内で記者団に「いま充電中。何も決めていない。何も考えていない」と肯定も否定もせず、けむに巻いた。その上でエールを送った先は新党「結いの党」。「新党がいかに難しいかは、苦労したから分かる。15人いるなら頑張れば何かやれるかもしれない」と語り、民主党については「もっとしっかりしてもらわないと。ひどすぎる」とこき下ろした。



相思相愛にならない民主党と舛添氏。実は民主党は昨年12月の都知事選の際も舛添氏に出馬を要請したが、断られている。



「候補者を担ぐというより、そっと背中を押す程度になるだろう」と語るのはある幹部。無党派層がカギを握る「首都決戦」で、信頼を回復できていない民主党が前面に出るのは避けたい-。これこそが執行部の本音にほかならない。(坂井広志)



●「<都知事選>女性議員や閣僚浮上 候補選び本格化」



毎日新聞 1219()2341分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131219-00000150-mai-pol



東京都の猪瀬直樹知事の辞職表明を受け、与野党は19日、知事選へ候補者選定を本格化した。安倍晋三首相は自民党の石破茂幹事長に「行政手腕があり、勝てる候補」の人選を急ぐよう指示。民主党は、自公民3党の「相乗り」は困難との認識が大勢だ。政府・与党内では、複数の女性国会議員や現職閣僚らが浮上。ただ、最後に名乗りを上げる「後出しじゃんけん」が有利との見方もあり、情勢は混沌(こんとん)としている。【高橋恵子、飼手勇介、光田宗義】



自民党は都知事選の告示まで約1カ月という短期間で有権者への浸透を図ろうと、年内にも候補の人選を終えるのが基本戦略だ。都連会長の石原伸晃環境相は19日、河村建夫選対委員長と党本部で会談。都連は20日の役員会で人選を協議する。政府・自民党は今週末以降に、名前が取りざたされている「候補者候補」について独自の電話調査を行い、都民の志向を見極めたい考えだ。



自民都連や五輪関係者からは、東京五輪の準備を急ピッチで進める必要から、冬季五輪メダリストの橋本聖子参院議員(49)や、スポーツ担当の下村博文文部科学相(59)に出馬を求める動きがある。



金銭受領問題で傷ついた都のイメージ回復のため、首相官邸や都連幹部には「後任は女性がいい」との意見が多く、東京選出の丸川珠代参院議員(42)を推す声もある。小池百合子元防衛相(61)、片山さつき参院議員(54)らも取りざたされているが、19日に名乗りを上げた人はいなかった。



野党は、安倍政権の支持率が急落したことを踏まえ、都知事選を巻き返しの第一歩にしようと狙う。来年の通常国会で特定秘密保護法の廃止法案を提出する民主党は、19日午後に幹部が都知事選への対応を協議。大畠章宏幹事長は記者会見で「自公民3党で1人の候補を推すことは難しい」と相乗りを否定し、人選を急ぐ考えを示した。共産党は独自候補を擁立する構えだ。ただ、秘密保護法の国会審議などで内部が揺れた日本維新の会、みんなの党、結いの党などの対応は未定で、野党内の思惑は定まっていない。



過去の都知事選では知名度の高いタレント候補らに与野党の候補がたびたび敗れており、▽日本維新の会を離党した東国原英夫前衆院議員(56)▽7月に議員を引退した舛添要一元厚生労働相(65)--の動向に、各党は神経をとがらせている。東国原氏は19日、「現時点で(出馬の)計画はない」と述べるにとどめた。与党内では舛添氏を推す声があるほか、「勝てる候補に乗るべきだ」との声も漏れる。民主党幹部は「うちはいつも後出しじゃんけんでやられる」と警戒した。



(新聞記事転載貼り付け終わり)



(終わり)


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 古村治彦です。

 今回は、2013年11月、12月に刊行されましたフランシス・フクヤマ著『政治の起源(上・下)』(会田弘継訳、講談社)の欧米の一流メディアに紹介された書評の翻訳(2013年10月29日に旧版ブログに掲載したもの)を再掲いたします。年末年始の読書計画に是非お加えいただければ幸いです。

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①エコノミスト誌 2011年5月31日

http://www.economist.com/node/18483257

「歴史に関する諸理論」

11世紀にカトリックは聖職者に対して禁欲を強制したが、これが他の地域に先駆けてヨーロッパに法の支配を生み出した。その理由は何か?この疑問に対する答えは、フランシス・フクヤマの刺激的な新刊の中にある。禁欲主義はローマ法王グレゴリー七世によって制度化された重要な改革の一つであった。禁欲主義によって、教会法は発達し、王と言えど協会法には従わねばならないという考えが生み出されたのだ。グレゴリー七世は、神聖ローマ皇帝ヘンリー四世を屈服させたことで名前が残っている。カノッサにおいてヨーロッパで最強の人物ヘンリー四世を自分の前で跪かせて懺悔させたのだ。

禁欲主義は、カトリック教会名部の腐敗とタダ乗りに対する戦いにおいて重要であった。この2つは世襲では必ず起こるものであった。禁欲主義改革はカトリック教会が「近代的で、階層的、官僚的で法に支配された機関」と呼ぶものへと進化するための道徳的進歩をもたらした。この「近代的で、階層的、官僚的で法に支配された機関」は、精神面での権威を確立した。これが世俗国家の確立のための土台となるルールを生み出すことになった。

サミュエル・ハンチントンは40年以上前に政治秩序に関する古典的名作を書いた。フクヤマはハンチントンの生徒だった。フクヤマは、政治秩序起源の研究を小規模の狩猟グループから部族への変化の研究から始めた。それがやがて「リバイアサンの登場」、つまり強制力を持つ国家へと変化していった。農業を基礎とする社会の複雑さが増す中で国家は登場した。更には、規模が拡大し続けていった戦争を遂行するために組織の面の必要性からも国家は生まれたのだ。

フクヤマの知識の豊富さには目を見張るものがある。加えて、彼は中国、インド、イスラム世界、ヨーロッパ各国を旅し、良い政治秩序の主要な構成要素を探し求め、それぞれの地域でどのようにして、そしてどうして政治秩序が生まれ、消えていったかを調査した。
フクヤマは、政治秩序の重要な3つの要素として、強力な国家、社会全体に対する法の支配、支配者の行動を制限する説明責任を挙げている。

フクヤマは史上初の近代国家は、紀元前221年に成立した中国の秦であると確信している。秦が生み出した多くの管理メカニズムはそれから500年間を通じて発達した。中国全土が小国に分立し、それぞれが相争いながらも合従連衡をするという東周時代まで続いた。このような管理メカニズムには、徴兵された軍隊とそれを率いる実力主義で昇進した(貴族中心ではない)指揮官、洗練された徴税システム、そして家族のつながりではなく才能を重視して採用される官僚たちが行政を司るといったことが含まれていた。秦は更に改革を勧め、全体主義に近い、その前身とも言うべき独裁政治制度を確立しようとして、社会の全ての部門に非情な変革を強制した。

秦の急進主義は結局のところ、秦の滅亡を誘発し、その後、漢王朝が取って代わった。韓王朝は秦よりも長く続いた。漢は貴族エリートたちと妥協し、復活した儒教の正当性を認めた。漢は400年以上続いた。しかし、フクヤマが「悪帝問題」と呼ぶ問題と人間の思考傾向そのものによって滅んだ。富、力、地位を与える基準に親族関係を据えたことで漢は滅んだのである。フクヤマは次のよう書いている。「中央集権的な国家の強さと家族主義のグループの強さとの間には負の相関関係がある。部族主義は、近代国家が生み出された後でも、政治組織の決まった形として存続した」

本書の大部分のページで描かれているのは、強力な統一国家を目指す世界各地の支配者たちの間の争い(軍事的な支配がこの当時の支配者たちの目的であった。それは技術の発達よりも征服ことが豊かになる方法であったからだ)と、支配者たちと親族集団との間の争いのことである。親族集団は支配者たちが目指す統一国家を崩壊させる力を持っていた。中国の歴代皇帝たちは、宦官を高い地位に就けることを好んだ。8世紀のアッバース朝からエジプトのマムルーク朝とオスマントルコまで、イスラムの歴代支配者たちは身内優先の贔屓と部族間の争いを減らすために軍事奴隷制度を確立した。

マムルークは一代限りの貴族で、スルタンにだけ忠誠を誓った。ジャニサリーはオスマントルコ帝国の軍事奴隷の中のエリート部隊であったが、結婚は認められなかった。しかし、2つの制度とも空洞化していった。それはマムルークもジャニサリーも利益団体に変質し、彼らがそれを守ることを目的にして創設されたはずの中央集権化した国家を滅亡させるだけの力を蓄える結果となった。縁故主義が再び姿を現したのである。

フクヤマは、そこまでの絶対王制ではなかった一七世紀のフランスと内戦と1688年に名誉革命が起きたイギリスとの間で興味深い比較研究を行った。イギリスは世界で最初の望ましい政治秩序の構成要素が結合した場所である。デンマークがそれに続いた。政治秩序の構成要素とは、強力な国家、法の支配、そして説明責任の三つである。フランスが抱えていた問題は、王が貴族たちの法的特権に挑戦する自信を十分に持っていなかったことであった。しかし、王も貴族も農民たちと勃興しつつあった商人たちに対する法の支配の適用は拒絶する点で一致していた。農民も商人も徴税を通じて国王が戦争に必要としていた資金を提供していた。その当時のイギリスは民主政治体制と言えるものではなかったが、慣習法の発達、立憲君主制のための政治的条件の確立、経済発展によって社会全体で説明責任が確立されていた。

この第一巻目はフランス革命までを取り上げたものだ。第二巻目はそれから現在までを取り上げるもので執筆中だそうだ。この一巻目の内容は、私たちの近代国家と近代国家の成り立ちの理解にとって重要なものを提供してくれる。例えば、中国には中央集権化した賢明な官僚たちが存在するが、法の支配はまだ弱く、説明責任という考え方もない。フクヤマは、毛沢東という存在が、中国は未だに「悪帝」問題から免れられないでいることを示していると主張している。一方、インドの国家は弱体であるが、中国に比べて説明責任は確立され、法律も整備されている。

フクヤマはまたわたしたちにこの春に起きたアラブの春が政治秩序に関する、彼の3つの試験に合格しているかどうかの尺度を与えてくれる。テストの成績は良くはなかったが、落第というものではなかった。フクヤマは今でも私たちに俯瞰図を与えてくれる人物である。彼は私たちに「歴史の終わり」という大きな考えを提示した。しかし、彼は同時に細かい点にも目配りをしている。政治理論の本というととかく難しくて読み進めるのも大変だが、この本はそうではない。

(終わり)

②ガーディアン紙 2011年5月12日

http://www.theguardian.com/books/2011/may/12/origins-political-order-francis-fukuyama-review

「書評:フランシス・フクヤマ著『政治の起源』」

デイヴィッド・ランシマン(David Runciman)筆

秩序だった、活発な活動を行う社会を形作るのは要素とは何か?フクヤマはこの問いに答えを持っているのか?

フランシス・フクヤマはこれからも常に『歴史の終わり』の著者として知られていくだろう。『歴史の終わり』という本を書いたことで、フクヤマには政治的な楽観主義者という評判が付いて回る。「フクヤマは、歴史がその辿るべきコースを辿っていけば全てが民主政体にたどり着くと確信しているのだ」というのである。実際のところ、フクヤマは皆さんが考えているよりもずっと悲観的な思想家である。常に何か悪い方向に行くのではないかと考えている。『歴史の終わり』は1992年に出版された。綺麗な装丁の本ではあったが、1989年に出された「歴史の終わり?」論文よりもだいぶ中身が暗いものになっていた。『歴史の終わり』は、フクヤマの師の一人で、シカゴ大学の哲学教授で保守派のアラン・ブルームの影響を色濃く反映していた。ブルームは、アメリカ社会が知的な相対主義とポップカルチャーの海に沈みつつあるとかなえた。そして、フクヤマは、1989年以降の民主政体の勝利もまたそれらによって脅かされると考えた。イデオロギー上の激しい戦いがなくなったことで、人々にとって政治は関心事ではなくなるだろうというのであった

フクヤマの新刊は彼のもう一人の師である、ハーヴァード大学の保守的な政治学者であったサミュエル・ハンチントンの影響を強く受けている。ハンチントンは『文明の衝突』によって世界的に知られている。しかし、彼の主要な関心は政治秩序にあった。政治秩序はどのように構築され、どのように崩壊するのかということに彼は関心を持った。ハンチントンは、より良い秩序を持つ社会に至る道筋には2つの危険なものが存在すると考えていた。より良い秩序に到達できない理由は、社会が血なまぐさい闘争と内戦が起きる条件を超越できないことと、ある型に固執して、新たな脅威や挑戦に対処できないことである。フクヤマはこの枠組みを民主的な秩序に関する問題に適用している。いくつかの社会では民主的で安定した秩序に到達できるのに、貴族政に留まる社会があるのはどうしてだろうか?そして、民主政治体制は直面する新たな脅威や挑戦に対処できるのであろうか?

最初の質問に答えるために、フクヤマは人間社会の起源にまで遡る。これを人類以前の歴史と呼ぶのはやり過ぎだと思われる。最初の数ページは猿のことが書かれ、それから初期人類の物語が書かれている。人類は常に緊密な関係を持つグループに組織化されている。ルソー流のパラダイスなど存在しなかった。精神的に自由な個人が原始的な森の中で自由に暮らしているなどと言うことはなかった。問題は最初の人類社会が人々の緊密過ぎる関係の上に成り立っていたということである。これらは基本的に親族関係を基にしたグループであり、フクヤマが「いとこたちの暴政」と呼ぶ状態を生み出した。人間は親族のためなら大体のことをやる。そして、親族でない人間に対してもたいていのことをやる(レイプ、強盗、殺人)。これが世界でいつも起きている争いから、大量の人間が死亡する規模な戦争までに共通する理由となる。

親族関係の陥る罠から抜け出す方法は国家(フクヤマは中央集権化した政治的権威と呼んだ)を作ることである。これには家族のしがらみを打ち破る必要があった。国家はフクヤマが考える政治秩序の基礎となる3つの柱の一つである。政治秩序にとって強力な国家だけでは十分ではない理由は、政治的な権力だけでは親族関係がもたらす問題を解決できないからだ。それどころか、政治権力が親族関係の利益のために使われてしまうことになる。
強力な支配者は自分の力を親族の利益のために使用する。このような現象は古代世界から現在のリビアまでを考えてみれば理解しやすい。従って、国家の統治には法の支配が必要となる。法の支配によって政治権力と腐敗には制限が加えられる。しかし、法の支配自体が政治秩序を不安定化させることもある。それは必要な時に国家が決定的な行動を取る能力を削いでしまうこともあるし、非国家組織に過度の自由裁量を与えてしまうこともあるからだ。よって、第三の原理である説明責任を負う政府が必要となるのだ。これは私たちが民主政治と呼んでいるものだ。民主政体では強力な国家は維持されるが、人々は支配者が間違いを犯した場合に彼らを交代させることができる。

フクヤマは私たちが政治秩序の3つの原理をそれぞれ別のものであり、別々に機能を果たすことができるものとして扱い過ぎていると考えている。もしくは、私たちは民主政体を賞賛するが法の支配がなければ社会の分裂を深めるだけだということを忘れている。また、私たちは法の支配を賞賛するが強力な国家がなければ政治的な不安定をもたらすことになることを忘れている。しかし、フクヤマは社会全体が同じ間違いを犯すとも考えている。フクヤマは良い政治秩序と「まあまあ良い」政治秩序との間を区別している。「まあまあ良い」政治秩序は政治秩序の3つの原理のうちの1つか2つが実現し、安全であるという幻想が存在する時に成立する。例えば、古代中国で強力な、中央集権的な国家が誕生したのは、西洋よりも早かった。国家が成立した理由は、長年にわたって続く内戦問題と戦うためであった。しかし、中国に誕生した国家は強力過ぎた。国家は領主を打ち倒したが、同時に初期市民社会や説明責任という考えを壊してしまった。従って中国は政治秩序確立に関しては西洋に先行していたが、それがまた遅れを生み出したのだ。それは、強力過ぎる権力はすぐに集権化した。そして、フクヤマはこれが現在の中国政治の独裁的な側面の理由であると確信している。


もう一つの国家はうまくいった部分とうまくいかなった部分があった。その国はハンガリーである。13世紀、イギリスでマグナカルタが成立して7年後、ハンガリーにも独自のマグナカルタ制定の時期が到来した(これは「黄金の雄牛」と呼ばれる)。貴族たちが王の示威的な権力に対して法的な制限を加えることができた。それでは、どうしてハンガリーは、イギリスのように自由と憲法に則った統治を確立できなかったのだろうか?それは、貴族たちが余りにも多くのものを手にしたからだ。彼らは王を弱体化させ過ぎ、自分たちが望むものは何でも手に入れることができ、何でもできるようになったからだ。これは、貴族たちが自分たちの親族を富ますために農民を搾取することができたということである。国家の力を無力化させてしまったために、ハンガリーの貴族たちは安定した政治秩序構築の機会を失い、自分たちの力を強大化させるだけにとどまったのだ。

フクヤマは、人類社会が政治秩序の構築に成功する方法よりも政治秩序の構築に失敗することの方に興味を持っている。彼が本当に答えたいと思っている疑問は、ハンガリーがどうしてイギリスのようにならなかったのかというものではなくて、イギリスがどうしてハンガリーのようにならなかったのかというものだ。彼の答えは基本的に幸運に恵まれるかどうかというものである。西ヨーロッパの端にあるイギリスで政治秩序の構築に成功したのは、いくつかの偶然が重なったためである。宗教、法律面での改革、才能に恵まれた行政官がうまくミックスされ、それに17世紀に起きた内戦と疫病によって人々は、そうした好条件をバラバラにしてしまうのは得策ではないと考えるようになった。

フクヤマは私たちに対して、良い政治社会というものは実現が難しく、多く尾条件が揃なければならないものであることを記憶して欲しいと思っている。しかし、彼はこのことからポジティヴなメッセージを導き出している。政治秩序を構築することは偶然の要素が多いということは、そこに行きつくまでには様々な経路が存在する。必ず政治秩序を構築できるという保証がある社会など存在しない。しかし、だからと言って、絶対に構築できないという社会も存在しない。中国であってもそうだ。このような積極的なメッセージには納得できないものも含まれているが、本書『政治の起源』全体の内容は興味深いものだ。フクヤマはどっちつかずの議論を行うことがよくある。政治秩序は基本的に、数世紀にもわたる政治闘争の結果生まれた偶然の産物である。しかし、そのことを知れば政治秩序を確立することはより容易になる。それはどのようにしたら可能か?それには、自分の運を良くすることしかない。更に言えば、政治秩序の話は、「ニワトリが先か、卵が先か」の話に集約される。イギリスは1688年に名誉革命を達成したが、それは、イギリスが比較的秩序が整った社会であったからだ。そして、私たちは、名誉革命によってイギリス社会が秩序だった社会になったと教えられる。

もう一つの問題は、フクヤマガ最初に提示した2番目の疑問に対して答えを提示していないことだ。安定した民主社会が一つの様式に陥ることを止めるものは何か?政治秩序は安易な自己満足と安全を生み出す。フクヤマはこれもまた3つの原理の上に成り立っている社会にとっても問題であることは認識している。しかし、3番目の原理が希望を与えてくれると主張している。政治的な説明責任の意味するところは、政府が失敗すれば、私が政府を変えることができるということである。しかし、これは上辺だけのことで建前であり、誰も信用していない。これはまるで政府が交代するということは、根本的な変化(気候変動、債務、中国の台頭)が起きている時に、デッキチェアを動かすくらいのことのように見える。『政治の起源』は2巻出るシリーズの1巻目である。そして、フクヤマによると、2巻目は、フランス革命から現代までを網羅した内容になるということである。1巻目はフランス革命までで終わっている。 しかし、このような野心的な本にはありがちだが、解決したいと思っている基本的な問題に対して、十分な回答を出せていない。フクヤマは現代の社会科学の言葉を借りて彼が本当に興味を持っていることを説明している。彼が興味を持っているのは、どのようにすればデンマークのような国にまで到達できるのか。つまり、安定していて、反映していて、現在世界最高のレストランがある国になるにはどうしたら良いのかということである。しかし、フクヤマが本書で描写している歴史はこの疑問に対する答えとはならない。王子の出てこない『ハムレット』のようなものなのである。

(終わり)


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 古村治彦です。



 今回は、副島隆彦著『闇に葬られた歴史』(PHP研究所、2013年)を皆様にご紹介いたします。この本は、歴史上の定説に対して異議申し立てをしている、正統派(オーソドキシー、orthodoxy)から排除された修正主義派(リヴィジョニスト、revisionist)の言説を取り上げて検討を加えた本です。大きく、第一部「戦国・江戸時代編」と第二部「古代編」とに分けられており、第一部には、第一章「信長殺しの真実」、第二章「家康のすり替わり説」、第三章「戦場の真実」、第四章「松尾芭蕉忍者(公儀隠密)説」が収められ、第二部には第五章「天皇とは北極星のことである」、第六章「日本建国は六八八年のことで、華僑が作った」、第七章「聖徳太子は蘇我入鹿である」がそれぞれ収められています。



 それぞれの章では、正統とされる歴史の定説に異議申し立てをした先達の業績が紹介され、それに副島先生の検討や分析が加えられています。先生の検討や分析の基礎となっているのは「覇権国―属国関係理論」であり、「世界規模の政治の動きから日本史を見る」ということです。日本はアジアの東の端にあり、世界から隔絶していたと考えられがちですが、国際政治の動きに無縁であったのではなく、大きな動きに合わせて歴史も動いていたと考えると、不自然なことが出てくる、それが本書で取り上げられている「修正主義的」な言説の数々です。詳しくは是非、『闇に葬られた歴史』を手にとってお読みください。



 政治学や国際関係論を専攻した私にとって特に気になった部分は、国際関係と絡めた主張です。例えば、第一章では、イエズス会が信長殺しを行ったという主張の部分です。ここにはポルトガルとスペインの勢力争い、イエズス会による日本の植民地化の動き、そして「天正少年遣欧使節」がローマ法王による「日本国王」の「オーディション」であったということです。そして、第四章で出てくる間宮海峡の地政学意味の部分です。樺太が半島であるか、島であるかはヨーロッパ各国をも巻き込む地政学上の重要なポイントであって、間宮海峡を日本側(公儀隠密であった間宮林蔵によって)が「発見」されたことが重要であって、その後、ロシアと日本側で樺太の辺りは「触らない」ということになったということには驚かされます。



 国際関係論は徳に歴史学の影響が強い分野です。歴史の事例研究が国際関係論の理論構築の基礎にあると言って良いでしょう。国際関係論という学問分野では、ツキティディスの『戦史』が必読文献になったり、中国の五胡十六国時代がケーススタディの対象になったりしています。歴史をよく知ることが国際関係において、最も間違いの少ない選択をすることができると言うことができます。



 そして、同時に国際関係をよく理解することが、歴史の解釈に対して大きな貢献ができると言うことができます。現在では、従来の欧米偏重の「ワールド・ヒストリー」から「グローバル・ヒストリー」へと重臣が少しずつ変化していますが、これは経済力や軍事力といった国際関係論で重視される要素を歴史学に加味していく作業でもあります。歴史は、特に一国の歴史となると、権力者によって都合の良いように書き換えられます。建国物語が公認の歴史ということになりますが、これは現実を無視した「物語」です。これに対して、異議申し立てを行う際に有力な武器となるのが国際関係の理論や知識です。



 本書『闇に葬られた歴史』の著者である副島先生は、歴史家ではありませんが、政治や国際関係の専門家であり、その観点から歴史を見て、検討や分析を加えています。歴史に関して異議申し立てを歴史家からの視点だけで行うのはどうしても限界があるはずです。現在は、どの学問分野でも「学際的(interdisciplinary)」の重要性が指摘されています。他の分野からの知見の導入が図られています。社会科学の中でも後発の政治学には、経済学、社会学、心理学の業績が導入されています。



 本書『闇に葬られた歴史』を素人による素人考えと切って捨てるのはこうした学問の大きな流れに逆行することであると私は考えます。



 副島隆彦著『闇に葬られた歴史』(PHP研究所、二〇一三年)を是非年末年始の読書計画にお加えいただければと思います。



(終わり)


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 古村治彦です。



 今回は、最近起きた楽天を巡る2つのニュースについて書きたいと思います。私が1月に出版する本の中でも楽天、三木谷会長、桑田真澄氏について書きました。もうゲラを出してしまい、印刷に回ってしまいましたので、こちらで最新情報を書いておきたいと思います。



 一つ目は、新任のキャロライン・ケネディ米駐日大使が楽天本社を訪問し、三木谷浩史会長と会見を行ったというニュースです。


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(新聞記事転載貼り付けはじめ)



●「ケネディ大使が楽天・三木谷社長を訪問 異例の単独会談、出し抜かれた経済3団体」



2013年12月6日 MSN産経ニュース

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/131206/biz13120612350004-n1.htm



 ケネディ駐日米大使は6日午前、東京都品川区の楽天本社を訪れ、三木谷浩史会長兼社長と会談した。ケネディ大使は出迎えた三木谷氏に「楽天イーグルス日本一おめでとう」と笑顔で声をかけ、握手を交わし、記念撮影に収まった。大使は約一時間、同社の施設を見学した後、東北復興やネット関連ビジネスの振興策などで意見交換した。



 訪問は大使館側の要請で実現した。11月の着任以来、ケネディ大使が単独で日本企業を訪問するのは異例で、三木谷氏と親交が篤かったルース前大使の紹介によるものとみられる。



 三木谷氏はネットビジネスの経済団体・新経済連盟の代表幹事も務めており、ケネディ大使が日本の経済団体のトップと単独会談したのも初めて。経団連は米倉弘昌会長との会談は「年明けになる」としている。



(新聞記事転載貼り付け終わり)



 このニュースの肝は、記事のタイトルにもあるように、「出し抜かれた経済3団体」ということです。経済3団体とは、日本経団連、日経連、日商を指しますが、日本の主要企業は日本経団連に加盟しています。財界、経済界を動かしてきたのはこの経済団体です。しかし、楽天の三木谷氏は、日本経団連から脱退し、新経済連盟(新経連)を立ち上げ、代表幹事になりました。そして、着任早々で忙しいキャロライン・ケネディ大使がまず会った経済人が三木谷氏ということになりました。



 ケネディ大統領の訪問は、アメリカ大使館側から持ちかけられたものであると記事では書かれています。米大使は着任早々、まず経済3団体のトップと会うのが通例であり、常識というものでしょう。しかし、アメリカは楽天を、三木谷氏を選んだということになります。これはアメリカ側が三木谷氏を重要人物として扱っていることの証拠となります。



 ここら辺のことは2014年1月に出版する私の新刊『ハーヴァード大学の秘密』に書いてありますので、是非手にとってお読みいただきたいと思います。



 次に楽天を巡るニュース(楽天が大きな要素を占めるものではありませんが)として、元東京読売巨人軍の大エースであった桑田真澄氏と読売新聞社の渡辺恒雄会長の確執についての記事を取り上げます。



(記事の転載貼り付けはじめ)



●「桑田真澄「中日&楽天に監督売り込み」発覚で巨人が絶縁通告」



あさげいぷらす



2013123()957分配信 アサ芸プラス

http://news.nifty.com/cs/sports/baseballdetail/agp-20131203-18070/1.htm



KKコンビ」はある意味、やはり通じ合っているのか。桑田真澄氏(45)も清原氏同様、現場復帰をもくろんでとんだ失態を犯し、古巣から絶縁を言い渡されていたのだった。



「今シーズン、球界関係者を介して最初に『監督をやりたい』と売り込んだ先は楽天でした。何しろ、もし優勝しても星野仙一監督(66)は契約満了との理由で勇退する、との情報が流れていましたから」



 こう明かすのは、スポーツ紙遊軍記者である。



「ところが予想外の快進撃で、いつの間にか星野監督の去就はペンディングとなり、桑田氏は宙に浮いた」



 時を同じくして、桑田氏は、成績しだいで中畑清監督(59)のクビが寒くなりそうだったDeNAにも売り込みをかけていたのだという。遊軍記者がさらに続ける。



「つまり、監督が交代しそうな球団に狙いをつけたわけですね。恐らく、古巣・巨人の監督になる目はあまりないだろうと察知してのことでしょう」



 その理由を、読売グループ関係者が解説する。



「原辰徳監督(55)がまだ指揮を執っているというのに、『監督をやらせてほしい』と、チョロチョロ動いたんですよ。時には『原さんじゃダメですよ』と悪口めいたことも言いながら、最高権力者たる渡辺恒雄球団会長(87)に面会し、取り入ろうとした。それで渡辺会長は『こいつは信用できんなぁ』と敬遠するようになったんです」



 そんな折、中日内部ではポスト高木を巡る論議が始まっていたが、白井オーナー一派とは別のグループの球団幹部から、「桑田監督がいいのではないか」との声が上がったのだという。中日グループ関係者が声を潜めて明かす。



「夏頃からですね、桑田氏の名前が飛び交い始めたのは。『桑田監督、立浪ヘッドコーチ』という案です。そうした話を耳にした桑田氏が、これ幸いとアプローチをかけた、ということだと思いますね。だって中日と桑田氏の接点なんて、まったくないわけですから。ただ、その立案者には人事権はないうえ、そうした動きを知った白井オーナーが一時、『もう誰の名前も持ってくるな』と怒った。だって立浪ヘッドということは、桑田監督の後継者としての道筋がつくということでしょう。立浪氏の素行を問題視する白井オーナーが不快感を示すのも無理はない」



 この中日売り込みは、やがて渡辺会長の知るところとなる。そして烈火のごとく怒った──。



「今後、絶対に巨人の首脳にはさせん。巨人には出入り禁止だ!」



 巨人フロント関係者が言う。



「ナベツネさんは桑田に直接、そう通告したそうです。そもそも、ナベツネさんは今、『松井秀喜監督』擁立にご執心。さらにその後継は高橋由伸、阿部慎之助という青写真を描いている」



 桑田氏が働きかけたのがよりによって中日だったのがまずかった、との指摘も。



「楽天やDeNAだけなら大した話にはならなかった。読売新聞と中日新聞には部数拡大戦争があり、読売は中日が圧倒的な力を誇る東海地区に何度も挑んではじき返されている。しかし、また勝負を仕掛けたい渡辺会長にとって、東海地区での拡充を足がかりに、久しく1000万部を割っている部数を回復させることは悲願。それに水を差す行為は絶対に許されないのです」



 かくして桑田氏は渡辺会長の逆鱗に触れ、巨人から絶縁、追放宣告を受けてしまったというしだい──。



(記事の転載貼り付け終わり)





 桑田ほどの切れ者ならば、中日と読売の争いなどということはよく分かっているはずです。そして、本当に巨人の監督を狙っているのならば、原監督に対する倒閣運動的な行動を起こすはずもありません。そして、絶対に他球団の監督に色気を出すことはありません。巨人は生え抜き信仰がドグマとなっており、巨人に入団し、そして引退、他球団の監督になったことがない人間が監督になります。コーチ経験で言えば、故藤田元司監督が現役引退後、大洋の投手コーチを務めていますが、これは例外中に例外です。



藤田元司氏は慶応大学の出身で、当時の正力亨オーナーとは先輩後輩ということもあり、かつ長嶋解任の余波、王への禅譲に向けた中継ぎ的立場(王助監督、牧野ヘッドコーチのトロイカ体制を甘受しなくてはいけない)ということで引き受け手がなく、緊急避難的に藤田氏にお鉢が回ってきました。藤田氏は巨人OB会のドンであった川上哲治氏との関係も悪くなかったとういのもプラスに作用しました。現在の原監督は長嶋派と目されていますが、入団時の監督であった藤田氏を尊敬し、お手本にしているという話もあります。



その超ポジティヴキャラクターで巨人ファンに愛された中畑清氏も巨人の監督を目指し、他球団からの誘いも断り続けていましたが、恐らく、早くから巨人の監督の目を諦めていたV9戦士高田繁(日本ハム、ヤクルトの監督を歴任)現横浜DeNAジェネラルマネージャーからの説得もあり、横浜の監督となりました。入団の経緯から巨人ファンからもそこまで愛されなかった江川卓氏はテレビキャスターとしての安定した収入を捨てることもできず、現場への復帰はできていません。他球団からの誘いは毎年のように報道されますが、固辞しているようです。しかし、そこまで巨人を思っても、彼が監督になることはないでしょう。江川という人は怪物過ぎた故に、大きな悲哀を味わった人物です。



桑田氏も同じような流れにあります。入団の経緯もあって、そこまで巨人ファンに愛された人物かといわれるとそれは難しいかなと思います。努力家、理論家という点で尊敬を集めたのは事実ですが、監督候補というわけにはいきません。巨人から戦力外通告を受けて退団し、大リーグのピッツバーグ・パイレーツに移籍したという点から、生え抜きという条件から外れています。桑田氏は、よほどの緊急事態がない限り、自身が巨人の監督になる可能性が低いことはよく分かっているでしょう。



巨人側もポスト原監督の人材は豊富にいることは分かっているし、下手な期待を持たせないためにも桑田氏には監督の目がないことは伝えているでしょうし、桑田氏も頭の良い人ですから、そのことは言われなくても分かっているでしょう。それではなぜ、このような記事が出たのでしょう。巨人の監督の目がないならば、逆に言えば他の11球団の監督になりたいと就職活動をするのは自由であるはずです。巨人の監督にはしてやれないが、だからと言って他球団の監督になってもいけないというのは余りに横暴です。



巨人にしてみれば、巨人だけでOBをコーチや監督として面倒を見ることは難しいのですから、優秀なOBが他球団で評価を受けて、その人に他のOBを引っ張ってもらえば助かるという面があります。この点を考えれば、桑田氏は適任の人材です。あの名将・野村克也氏も桑田氏を高く評価しているのですから、他球団に就職活動をするのは当然です。



それではなぜ渡辺会長の逆鱗に触れたのかということになります。確かに中日に対して就職活動をしたとなると問題になるでしょうが、桑田氏が本当に就職活動をしたのかどうか疑問です。中日の監督候補でPL学園の後輩になる立浪和義氏が一芝居打った可能性も考えられます。



私が注目したいのは、桑田氏の就職活動先に楽天と横浜DeNAの名前があったことです。そして、この2球団に関しては、渡辺会長の逆鱗に触れた理由にはなっていません。私は、桑田氏が楽天の監督就任を望んでいるのは間違いないところだと思っています。それは、桑田氏と楽天の三木谷会長との間は、人脈としてしっかりつながっているからです。



私は渡辺会長が怒っているのは、恐らく楽天の三木谷氏に対してであると考えています。怒っているというよりは、恐れていると言った方が良いのかもしれません。三木谷氏をプロ野球の世界に参入させたのは渡辺氏です。しかし、今やプロ野球界で渡辺氏とは別の勢力が形成されつつあります。それはアメリカの代理人の新世代と言える人々です。ソフトバンクの孫正義氏、オリックスの宮内義彦氏、横浜DeNAの親会社DeNAの創業者南場智子氏といった人々は、アメリカ留学経験(アメリカで学士号や修士号を取得している)を持った人々です。アメリカの代理人であった渡辺会長は世代交代によって自分の力が剥奪されていくのを恐れているのでしょう。



楽天の三木谷氏の人脈に桑田氏はしっかり連なっています。そのことは2014年1月に出版する私の著書『ハーヴァード大学の秘密』で書きましたので、そちらをお読みいただきたいと思います。ここでは、渡辺氏は、桑田氏に対して怒りながら、本当はその先にいる三木谷氏に怒っている(本当は恐れている)ということになるのだと思います。



三木谷氏は、「アメリカの代理人」の新興勢力として力を増しているのでしょう。この文章で紹介した2つのニュースはいみじくもそのことを示していると私は考えています。



(終わり)

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