古村治彦の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、以下のアドレスをご覧ください。http://soejimaronbun.sakura.ne.jp/goaisatsu.html 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

2014年05月




アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12


野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23



 古村治彦です。

 今回は、オバマ政権の外交政策の新方針が発表されたことについての論稿をご紹介いたします。この新方針についてより考えていきたいと思います。現実主義的な外交政策を強めようとするオバマ政権と介入主義的な外交政策を主張する議会のタカ派との戦いがあるようです。

==========

ホワイトハウスが新しい外交政策攻勢を発表するためにウエストポイントでの演説を利用(
White House To Use West Point Speech To Launch New Foreign Policy Offensive

 

ジョン・ハドソン(John Hudson)筆

2014年5月27日

フォーリン・ポリシー(Foreign Policy)誌

http://thecable.foreignpolicy.com/posts/2014/05/27/white_house_to_use_west_point_speech_to_launch_new_foreign_policy_offensive

 

 バラク・オバマ大統領は外交政策に関して左派と右派両方から攻撃を受けている。この攻撃に対して、オバマ政権は、ウェストポイント(米陸軍士官学校)での大統領の演説を使って反撃をしようとしている。この演説の中で、アフガニスタン、シリア、アフリカでのイスラム教民兵への対処について語る予定である。

 

 水曜日に行われるウエストポイントの卒業式でのオバマ大統領の演説の内容は、議会の強硬派を満足させるものではないだろう。強硬派はホワイトハウスに対して、シリアの反政府勢力により多くの武器を送り、ロシアと対峙しているウクライナに軍事支援を行うように圧力をかけている。また、アルカイーダの復活を予防するためにアフガニスタンに米軍を駐留させるように圧力をかけている。しかし、オバマ政権が発表する新しい外交政策方針は、主にパートナーとなる国々の軍隊を訓練することに重点が置かれている。この新方針は、世界各地で煙が上がっている状況下で、ホワイトハウスは何もやっていないという批判に対する反論となるだろう。オバマ大統領は嫣然の中で、政権の外交政策の中心となる考えを明らかにするだろう。この考えは、「コストがかかり、流血が伴う制限のない戦闘に関わる危険性を最小化することが可能となる代理勢力を使用する、そして中程度の目的を設定する」というものだ。オバマ政権は、ジョージ・W・ブッシュ大統領時代の野心的な目的(最終的な達成されなかった)とは異なる目的を設定している。

                                                                                                                

水曜日の演説の中で話される内容の中で最も重要な発表の一つは、シリア国内の反政府勢力の穏健派に訓練と装備の供与を行うという新しい軍事プログラムになるだろう。これまでの報道によると、ウエストポイントでの演説の中で、オバマ大統領は、シリアの反政府勢力への支援を拡大し、同時にシリアの近隣諸国に対する支援も拡大するという方針を発表するようである。このような新方針は、米上院議員のボブ・コーカー(テネシー州選出共和党所属)やジョン・マケイン(アリゾナ州選出共和党所属)のような、オバマ政権に対して強硬な批判を続ける人々を黙らせることはないだろう。しかし、シリアの反政府勢力からは珍しく賞賛を受けている。

 

 この数カ月、反政府勢力の指導者たちはより強力な武器を供与するように要求している。戦闘機を撃墜できる肩掛けのミサイル発射装置の供与とアサド政権側の優位な火力から反政府勢力を防衛し、シリア国内の急進的な反政府勢力と戦うための訓練を行うように要求している。国防総省とCIAの高官たちは対照的に、アメリカが供与した武器がイスラム急進派の手に落ちて、西洋諸国に対して使われることを心配している。CIAは、指紋のスキャンとGPSを使うことでこの問題に対処しようとしている。

 

 オバマ政権がシリアの反政府勢力にどの程度の支援を与えるのか明らかになっていないが、最近オバマ政権の関係者たちと会談したシリアの反政府勢力のメンバーたちは、新しいプログラムを賞賛した。反政府勢力であるシリア連合のスポークスマンのオウバイ・シャーバンダーは、『フォーリン・ポリシー』誌の取材に対して、「新しいプログラムの導入は潜在的に大きなチャンスとなる」と答えた。シャーバンダーは続けて「訓練プログラムの拡大は反政府勢力がアメリカ側に要求していたものの一つである。私たちはこの点を楽観している」。アメリカ議会はこの点では楽観的な姿勢を取っていない。連邦下院議員クリス・スミス(ニュージャージー州選出共和党所属)は下院外交委員会のヴェテランメンバーである。スミスは、シリアの反政府勢力に最終的な支援が与えられるまで安心はしていないと語っている。彼は、あるインタビューで次のように述べている。「欺瞞の後に現実はやってこない。シリアで殺戮が始まったばかりの段階で私たちは何もしなかった。その結果、私たちは殺戮が行われているのを、指をくわえて見続けるしかできなくなった」

 

 しかし、演説に先立ってマスコミにリークされた政権の外交政策における新方針はこれだけではない。北部および西部アフリカのリビア、ニジェール、モーリタニア、そしてマリに特殊部隊の兵員を送り、対テロエリート部隊の訓練を行うということもオバマ政権は決定している。これによって、イスラム急進テログループであるボコ・ハラムのようなテログループが活動している国々の軍隊が対テロ部隊を創設し、テロの脅威と対峙できるという希望が生まれている。ボコ・ハラムは最近約300名のナイジェリアの少女たちを誘拐したことで人々に知られるようになった。『ニューヨーク・タイムズ』紙は、米陸軍のグリーンベレーとデルタフォースの要員がアフリカ諸国の軍隊を訓練するために派遣され、国防総省の機密費から資金が送られると報道している。オバマ大統領の目標は、コストのかかる地上戦にアメリカ軍を直接投入することを避け、同盟諸国の軍隊を訓練して、各国の対テロ能力を向上させるというものなのである。

 

 大統領の演説の前に出されたもう一つの大きな発表は、アメリカ軍のアフガニスタンからの撤退である。オバマ大統領は火曜日、アメリカ軍のアフガニスタンでの任務は2014年いっぱいで終了すると発表した。同時に、オバマ大統領は、アメリカ軍の兵員9800名を2014年以降もアフガニスタンに駐留させ続けることも明らかにした。この目的は、アフガニスタン軍の訓練とアルカイーダに対する対テロ作戦の支援である。ホワイトハスのローズガーデンでオバマ大統領は演説を行った。その中で次のように語っている。「私たちは始めた仕事を仕舞おうとしているのだ」

 

 オバマ大統領はここでも直接戦闘を行うのではなく、同盟諸国の軍隊を訓練することを選んでいる。しかし、オバマ大統領の決定は、議会におけるタカ派、ハト派両方を満足させるものではない。

 

カリフォルニア州選出の米連邦下院議員で進歩的な人物であるバーバラ・リーは次のように語っている。「戦争が始まって13年経った。この期間で分かったことは、アフガニスタンでは軍事力を使っても問題は何も解決できないということであった。もっと早く決定すべきであったが、アフガニスタンにいる米軍は全て撤退させる時期だ。アフガニスタンにこれからも米軍を駐留させ、予算を使うのなら、少なくとも議会で議論をし、採決すべきだ」

 

 クローカーのような共和党内の保守派の多くはオバマ大統領が2014年以降も一定の兵員をアフガニスタンに残すと決定したことを歓迎した。しかし、共和党の一部からは、オバマ大統領がアフタニスタンからの米軍の撤退の日にちを明確にしたことに対して批判が出ている。

 

 米下院議員で米下院軍事委員会の委員長ハワード・“バック”・マキノン(カリフォルニア州選出共和党所属)は声明の中で次のように述べている。「アフガニスタンでの任務に恣意的に期限をつけるというのは戦略的な感覚に欠けた行為であると言わざるを得ない。アフガニスタンの人々がテロの脅威に対処できるようになってからアメリカは撤退すればよいのであって、政治的な事情で期限を決めて、我が国の安全保障をないがしろにして、それで支持率を挙げようとするのはおかしい」

 

 民主党内のタカ派は右派からの批判を非難した。米下院外交委員会の幹部委員であるエリオット・エンゲル(ニューヨーク州選出民主党所属)は次のように語っている。「率直に言って、共和党はオバマ大統領が何をやっても批判しかしない。オバマ大統領が米軍をすべて撤退させても、批判するだろう。その期日を決めても、批判するだろう。米軍の駐留を続け、その後に撤退期日を決めても、優柔不断だとして批判するだろう」

 

 アメリカ議会はオバマ大統領の抑制的な外交政策姿勢に対してかなり批判的であるが、最近の世論調査が示しているように、アメリカ国民の多くは介入主義的なアプローチに

反対している。2014年4月末、ウォールストリート・ジャーナル紙とNBCの共同世論調査によると、ほぼ半数の人々が「アメリカが世界においてあまり活動的である必要はない」と答えている。より積極的な関与に賛成したのは5分の1にも満たない数であった。

 

(終わり)







 


アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12







 

 古村治彦です。

 

本日は、今回のインドの総選挙で次期首相になることが決まった、インド人民党のナレンドラ・モディ(1950年~)に関する論稿(ウェブサイト「ザ・ディプロマット」に2014年5月16日付で掲載)のポイントをご紹介します(http://thediplomat.com/2014/05/narendra-modi-indias-shinzo-abe/?utm_content=bufferb8728&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer)。この論稿のタイトルは、Narendra Modi: India's Shinzo Abe India’s next prime minister has much in common with Japan’s nationalistic incumbent」というもので、訳しますと、「ナレンドラ・モディ:インドの安倍晋三 インドの次期首相は日本のナショナリステイックな現職首相と多くの共通点を持っている」となります。

narendramodishinzoabe001
 
 

著者のブラウマ・チェラニー(Brahma Chellaney)氏はインドのニューデリーにある政策研究センターで戦略研究を専門とする教授を務めている人物だそうです。

 

 アメリカの戦略はどうもアジアにおける中国封じ込め、地域大国としての台頭を阻止するもしくは遅らせるということで、対中シフトとも言うべきシステムを構築しようとしています。日本、フィリピン、ヴェトナムに加えてインドもそのシステムの中に入ってきそうです。ナレンドラ・モディという人物もそのために育てられていた人物のようです。安倍首相と同じように。ナショナリスティックな人物たちがアメリカの利益のために対中強硬姿勢を取る、そして、中国を除いた新しいアジア地域システムを作るというのは、大変危険な動きであると思います。また、このような人物たちの動きは、なにか「大東亜共栄圏(Great East Asia Co-Prosperity Sphere)」の幻影を見ているかのようです。

 

 ですから、以下のような、「モディは、インド版の安倍晋三だ」という論稿が出るのだと思います。ただ、インドは日本などよりも人口が多く、位置的にも重要なところを占めているために、アメリカに大事にされるだろうとは思われます。

 

==========

 

①インドのナレンドラ・モディ新首相は安倍晋三首相と似ている。経済成長(国内、国外の投資を促進する)に注力しながら、中国中心のアジアの出現を阻止するために、同じ目標を持つ国々との協力関係を強化することが期待されている。

 

②モディと安倍の共通点は、ソフトなナショナリズム、市場志向の経済政策、新しいアジア主義(アジアの民主諸国家との関係を強化し、戦略的なパートナーシップを構築する)である。

 

③モディは1947年のインド独立後に生まれた人物で初めて首相になった。安倍は第二次世界大戦後に生まれた人物で初めて首相になった。

 

④モディは貧しい家の出身であるが、安倍首相は華麗な政治一族の出身である。

 

⑤インドは世界の人口の6分の1強を抱える大国であるが存在感が薄い。モディは外交面で多くの課題に直面することになるだろう。この点は安倍首相と共通している。

 

⑥国際的な地位の面でインドは中国に大きく引き離されている。インド国民の多くはモディに新しい方向性を示してほしいと願っている。インドは「裏庭」である、ネパール、スリランカ、モルディヴに対する影響力を低下させている。ブータンが唯一インドに南アジアにおける戦略拠点となっている。

 

⑦インドは、共に核兵器を保有している中国とパキスタンの協力関係と対峙しなければならない。モディ新政権はムンバイで起きたテロ攻撃のようなパキスタンが絡むような事件が起きた場合には、軍事的な報復などを行う可能性もある。

 

⑧米印関係は外交上の緊張や貿易関係の紛争でギクシャクしている。モディはこの問題にも直面することになる。モディは市場志向の経済政策と軍の近代化を主張している。これはアメリカのビジネスにとって新しい機会となるだろう。そして、米印関係を新しいステージにまで引き上げることになるだろう。

 

⑨アメリカの戦略的な利益は、アメリカの武器セールスを促進することになり、軍事力の共同運用の道筋を作ることにもつながる新しい防衛関係と貿易関係の促進によって、増進される。アメリカは他のどの国よりも、インドとの軍事演習を緊密化させている。

 

⑩モディは米印関係を正常化させることになるだろうが、最初はビジネスライクなものとならざるを得ないだろう。アメリカは2005年にモディ(当時はグジャラート州首相)がヒンズー教徒とイスラム教徒との間で起きた暴動に絡んだとしてヴィザを出さなかったことがある。

 

⑪対照的に、モディは日本とイスラエルからはい扱いを受けた。モディは2007年と2012年に日本を訪問した。この時、ビジネスを歓迎するグジャラート州に対する日本からの投資を呼び込む道筋を作った。

 

⑫モディの勝利でインドは日本との関係をより重視するようになる。これはアメリカの勧めもある。インドは東アジアと東南アジアのアメリカ同盟諸国との関係を強化するだろう。安倍首相は、「日印関係は世界に存在する他のどの二国関係よりも大きな可能性を秘めている」と主張している。

 

⑬日印協商(Japan-India entente)はアジアの戦略的な地図を変更させる。モディの勝利は安倍の勝利に起因している。

 

(終わり)

野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23






 

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote


アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12





 古村治彦です。

 本日は、2014年5月23日に発売になりました、『野望の中国近現代史 帝国は復活する』(オーヴィル・シェル、ジョン・デルリー著、古村治彦訳、ビジネス社、2014年)を皆様にご紹介します。

 私にとって初めての中国の歴史に関する本の翻訳となりました。第一次アヘン戦争から現在までの中国近現代史を網羅した一冊となっています。ページ数が多く、値段も高くなってしまい、皆様にはご迷惑をおかけします。しかし、これを1冊持っていれば、中国の近現代史に関しては大丈夫という一冊になっております。下には本書の原著の書評を掲載しております。参考にしていただければ幸いです。

 どうぞお手にとってご覧ください。お値段以上の価値があると確信しております。

 どうぞよろしくお願い申し上げます。


yabounochuugokukingendaishi001





==========

サウスチャイナ・モーニングポスト紙 2013年8月11日

 

http://www.scmp.com/lifestyle/books/article/1295492/book-review-wealth-and-power

 

「書評:『野望の中国近現代史 帝国は復活する』」

 

アレックス・ロー(Alex Lo)筆

 

中国語の「中国(zhongguo)」を皆さんはどのように理解し、訳しているだろうか?この疑問の答えで、貴方が中国についてどう考えているか、そしてどのような前提条件やバイアスを中国に対して持っているかが分かる。極めて単純に言えば、中国は「中国(China)」ということになる。しかし、中国という言葉を構成する2つの漢字である「中」と「国」を分析すると、「中国(Chinese nation)」と「世界の真ん中にある王国(the middle kingdom)」という2つの解釈ができる。

 

「中国(Chinese nation)」という訳語は、イギリス、日本、アメリカといった近代的な、そして政治的に中立なただの国名である。しかし、「世界の真ん中にある王国(the middle kingdom)」という訳語は、西洋諸国のメディアが中国の排外主義と孤立主義を示唆する際に頻繁に使う言葉である。

 

 『野望の中国近現代史』の中で、中国は「中心の王国(the central kingdom)」と訳されている。「中(zhong)」という言葉を「真ん中の(middle)」ではなく、「中心の(cetnral)」と訳す方がより正確だ。それは、「中」という漢字は、地理的な中心性ではなく、政治的、文明的な中心性を示すからだ。そして、中国の支配者たちが数世紀にわたり中華帝国が占めてきた国際社会における地位を取り戻したいとして奮闘してきたことを理解する上で、「中」という漢字を理解することは重要なのだ。

 

 第一次アヘン戦争に敗北して、中国は世界の中心から引きずりおろされた。第一次アヘン戦争の敗北の結果、中国人は心理的に大きな傷を受けた。この傷は、中国の支配エリート層と知識人たちの間に世代を超えて受け継がれていった。これこそが本書の大きなテーマである。西洋列強と日本によって恥辱が与えられ、それを雪ぐために、富強を通じて国家を復興(rejuvenation)させるために中国は奮闘してきた。

 

 こうした物語は良く知られたものだ。本書『野望の中国近現代史』の著者オーヴィル・シェルとジョン・デルリーが行った、他の本との違いは、清朝から現代までの「改革者(reformers)」として知られる11名を取り上げ、中国の崩壊と復活の物語を紡ぎ出したことである。

 

 『野望の中国近現代史』は、西太后を中国の改革者の中に含んでいるがこれは驚きであった。彼らの取り上げた人物たちは改革者であるが、とても現実的なリストである。本書の半分以上を孫文、蒋介石、毛沢東、鄧小平、朱鎔基が占めている。しかし、本書は、彼らよりもあまり知られていいない清朝の官僚たちである、魏源と馮桂芬、そして、更に読者を脅かせるのは、西太后を取り上げていることである。

 

 私にとって本書の前半部が最も興味深い部分だ。著者たちは細心の学問研究の成果を利用して、西太后の歴史上の悪名に関して見直しを行っている。西太后は儒教特有の女性蔑視と西洋の幻想に基づいたオリエンタリズムによって、頑迷な保守派であり、中国の崩壊に大きな責任を負っていると言われてきた。

 

 実際、西太后は地方レベルでの改革を進め、李鴻章のような改革志向の有能な官僚たちを周囲に置いた。1895年、日清戦争に敗れた清は、李鴻章を日本に派遣し、日本との間で屈辱的な下関条約を締結した。この条約で、清国は朝鮮と台湾を日本の勢力下に引き渡し、条約港のいくつかを開港した。この条約の締結前に、李鴻章は、流ちょうな英語を話す、日本の明治維新の立役者、伊藤博文と議論を行った。その様子は、シェークスピアの悲劇に出てきそうな場面である。

 

 本書『野望の中国近現代史』は、梁啓超と陳独秀に関して章を立てて取り上げている。こうした人物たちは、五四運動(May Fourth Movement)と中国共産党に関して研究している人たちにはなじみ深い人物であるが、一般にはあまり知られていない。

 

 本書で最後に取り上げた重要人物は、現在投獄中の反体制知識人でノーベル平和賞受賞者の劉暁波である。著者のシェルとデルリーは劉暁波について活き活きとした、そして詳細な描写を行っている。著者たちは、劉暁波がキャリア書記で中国の文学界においてどれほど恐れられた人物として登場し、影響力を増していったか、そして文学上の論争を数多く行ったかを描写している。そして、1989年6月4日の六四(第二次)天安門事件を経験して、現在、西洋諸国で賞賛を受けるような、人道主義者へと変貌した様子を詳細に描いている。

 

 劉暁波は西洋流の人権と民主政体を普遍的なものだと主張しているので、中国本土には支持者はあまりいないが、海外には多くの支援者がいる。

 

『野望の中国近現代史』は学者たちの書いた素晴らしい内容の本である。私は本書を読む際に、一緒にパンカジ・ミシュラ(Pankaj Mishra)の『帝国の残滓:アジアを作り直した知識人たち』を読むことを提案したい。この本もまた梁啓超と孫文を取り上げている。ミシュラの『帝国の残滓』を併せて読むことで、中国の改革者たちが、西洋の支配に抵抗しながらも西洋の科学、技術、イデオロギーから学んだアジアの人々の中の大きな部分を占めていることをより理解できるだろう。

 

(終わり)

==========

フィナンシャル・タイムズ紙 2013年7月14日

 

http://www.ft.com/intl/cms/s/2/deae9dec-ea41-11e2-b2f4-00144feabdc0.html#axzz2hRKlRYDF

 

「中国の現実政治の誕生と再生」

 

デイヴィッド・ピリング(David Pilling)筆

 

アジアの大国の過去と現在を理解する手助けとなる研究

 

 孔子は「礼儀作法と公正さ(propriety and righteousness)」こそが国家の基礎であり、「力と利(power and profit)」は国家の敵であると教えた。鄧小平によって進められた、富の創造を目的とした諸改革は、孔子の教えが間違っていることを証明することに貢献した。

 

本書『野望の中国近現代史』は素晴らしい本である。著者であるオーヴィル・シェルとジョン・デルリーは中国を専門とする学者である。彼らは、中国近現代を彩った偉大な思想家たちの知的な苦闘を描いている。著者たちは「中国近現代史の偉大な思想家たちの業績に共通する目的は次のようなものだ」と結論づけている。それは、外国の侵略と国内の機能不全の下で19世紀において崩壊した中国をどのように強く、豊かにするかというものであった。

 

 「富強(富と力、wealth and power)」という概念は、紀元前221年に秦の始皇帝の下で中国が統一される前から存在するものである。法家(Legalists)として知られる学者たちのグループは孔子に対する批判者として登場した。彼らは調和の取れた社会という孔子の考えを否定し、現実政治(realpolitik)と私たちが呼ぶものを主張した。法家思想の韓非子は極めて簡潔に現実政治に就いて次のように書いている。「賢い支配者が富と力の術を手に入れたら、彼は望むものを何でも手に入れることができる」

 

19世紀、「富国強兵(rich nation, strong military)」という概念の実現に邁進したのは中国ではなく、日本であった。明治新政府の指導者たちは、外国からの侵略に抵抗するためには、日本の国富と技術力を増進させねばならないと決断した。そうすることでのみ、外国人(野蛮人)を排除できるのだと確信していた。

 

 中国では、法家思想の伝統(Legalist tradition)は孝行と忠誠という儒教の概念によって制限をかけられてきた。『野望の中国近現代史(原題はWealth and Power)』の著者たちは、中国の再生は現実的な法家思想のルーツの再発見が基礎になっていると主張している。本書は外国の優越と機能不全に陥った国内システムをどのように克服するかという問題と格闘した知識人たちの人生を描くことで、中国の近代化のプロセスを追っている。著者たちは、20世紀初期の思想家たちの考えを丁寧に追いかけている。彼らは梁啓超から孫文、蒋介石、毛沢東、鄧小平を取り上げている。

 

 本書の前半部は特に興味深い。それはこれまで私たちにとって馴染みの少ない人物たちが取り上げられているからだ。魏源(1794~1857年)は中国の軍事面での立ち遅れと劣勢に関して多くの書物を書き残した学者であった。そして、長い間無視されていた法家思想に注目し、蘇らせた人物である。魏源は、「賢王」と言えども、臣民たちを豊かにし、国家を強くしなければならないと書いている。

 

 中国は第一次アヘン戦争(1839―1842年)によって、イギリスから恥辱が与えられた。その後、魏源は日本の明治維新の元勲たちと同じ結論に達した。それは、中国は外国に目を向け、その偉大さを回復させるべきだ、というものだった。魏源はまた、中国が恥辱を被ることが中国に変化をもたらすための強力な誘因となるとも主張した。魏源は、「恥辱を感じることは勇気を生み出す」と書いている。この感情は、毛沢東の1949年の建国宣言の中にある有名な一節である「中国は立ち上がった」につながるものだ。この屈辱感は現在の中国の若者たちの中にも燃え上がっており、著者たちは「過剰な愛国主義(hypersensitive patriotism)」と呼んでいる。

 

 本書『野望の中国近現代史』は、中国の哲学と革命におけるドラマの中で活躍した主役たちの人生を、いきいきとそしてしっかりした構成で書いている。私たちは本を読むことで、鄧小平が登場するまで、無秩序のひんぱんに流れが変わるので分かりにくい中国史を全体として理解でき、納得できるようになる。この本で取り上げられている快苦者たちは全て恥辱を乗り越え、国家の富強(富と力)を確保することを目標としていた。

 

 鄧小平は働きながら学ぶためにヨーロッパに旅立つ前に、父親に向かって「中国は弱い。私たちは中国を強くしたい。中国は貧しい。私たちは中国を豊かにしたい」と語った。現在、習近平国家主席は「中国夢(チャイニーズ・ドリーム)」という概念を提唱しているが、これは、2つの目的を含んでいる。それは中国を繁栄させ、「中国の国家としての復興(rejuvenation of the Chinese nation)」を保証するというものである。

 

 『野望の中国近現代史』は、この伝統の中に、毛沢東が支配した狂気と野蛮の時代を位置づけている。1912年に書いた初期のエッセイの1つの中で、毛沢東は、本書の著者たちが「法家たちが強調する、強い指導力、厳格な権威主義的コントロール、中央集権主義、司法と刑罰の妥協の余地のないシステム」と呼ぶものを賞賛した。毛沢東は、多くの犠牲者を出した集産化闘争を通じて封建制度を破壊した。その結果、鄧小平は全く白紙から経済改革を進めることができたと著者たちは書いている。鄧小平が継承した中国は、「4000年の伝統から脱する」ことができていたのである。

 

 しかし、それが現在の中国に深刻な問題を残してしまっている。もし中国の台頭が法家思想の「効果のあるものは何でも使えアプローチ」の勝利だとするならば、儒教の道徳観は、現在の中国においてどこに存在できるだろうか?本書の最後に取り上げられている人物は劉暁波である。彼は現在投獄中であるが、ノーベル平和賞の受賞者である。彼はこれまで一貫して中国共産党の中心的な役割をことごとく批判してきた。彼は、国の誇りを取り戻すとして中国共産党がやっていることは、非人道的な統治であり、世界に対して、「中国は野蛮な方法で富強の追求を行っている」と印象付けているだけに過ぎない、と考えている。

 

本書で取り上げられた思想家たちの多くは彼らが生きている時代には主流から外れた存在となった。中国共産党創設者である陳独秀は世の中から忘れ去られたまま亡くなった。しかし、彼らの考えは現在の中国のプロジェクトの中に息づいている。本書の著者たちは、劉暁波が唱える人気のない主張でさえも現在の中国で重要な役割を果たしていると主張している。

(終わり)

==========

(終わり)






 

 

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote




アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12


⑦最後に

 

 自民党の憲法改正草案には、微妙なしかも目に見えにくい仕掛けがいくつもしてあって、素人には見抜けない落とし穴がいくつもあります。憲法草案作りに参加した自民党の政治家たちの多くが高級官僚出身者たちです。官僚たちのずるい言葉遣いを「霞が関文学」と揶揄しますが、自民党の憲法草案はまさに霞が関文学の傑作です。こうした落とし穴に嵌らないために、プロによる解説や批判を読むことは大変に重要なことです。

 

自民党の改憲草案に対しての批判は、つまるところ、立憲主義についての無理解と人権擁護の後退・義務の強化にあると思います。立憲主義と人権擁護は憲法にとって普遍的な要素です。少なくとも世界の先進諸国と呼ばれる国々の憲法はこれらを根本要素にしています。自民党の改憲草案はそれらが欠如している、もしくは稀薄であるという点で、世界の普遍性を無視した憲法草案と言うことができます。

 

 安倍晋三首相や麻生太郎財務相(元首相)は「自由の弧」「価値観外交」という言葉を使います。同じ価値観を持つ国々で連携しましょうということですが、本当のところは中国包囲網をやりましょうという意味です。しかし、国の形(Constitution)を決めるのに、こうした復古調、世界の普遍的な要素を否定する日本に対して、世界の先進諸国が「同じ価値観を持っている仲間だ」と考えてくれるものでしょうか。私はそうは思いません。国の根幹が違うのに、仲間だと思ってもらえる訳がありません。

 

 自民党が提出している改憲草案は包括的なものですが、一番の狙いは現在の日本国憲法第9条を変更して、自衛隊の海外派兵を容易にし、その派兵先で戦闘行為ができるようにするというものだと私は考えます。憲法9条が落とすべき本丸で、他の復古調の部分はできたらやる、出来ることを期待していないという程度のものではないかと思います。これは、アメリカによる日米軍事力共同運用(自衛隊の米軍下請化)だけはどうしても進めたいということだと思います(アメリカとしてはその副作用で安倍政権みたいなのができて少し困っていると思いますが)。

 

 アメリカは現在、財政は厳しいですし、一番の金食い虫であるアメリカ軍を削減従っています。しかし、世界の覇権を逃したくはないし、台頭している中国にはアメリカ国債を買っては貰っているが、できたら台頭を抑えたい、少なくとも邪魔したいと思っています。そこにあるのが日本です。日本が自衛隊を米軍と一緒に動かせるようになれば、中国に対しての立派な「かませ犬」になります。アメリカは自国の軍事力の一部を日本に肩代わりさせることができます。そうした流れの中の改憲というのは正しいことでしょうか。私はそう思いません。今の憲法を変える緊急の必要性はないと考えます。

 

 日本国憲法には足りない部分はあるでしょう。それら改正すべきところを改正するのではなく、9条に的を絞った改憲というのは国民の多くが望まないものです。いくら危機を叫んでみても、国民もそこまで馬鹿ではありません。しかし、完璧でもありませんから、やはり冷静になってしっかりと自分の頭で考えるようになることが重要だと思います。ポイントをつかみ知識を得れば、それだけで自分たちのことを最終的に守ることになります。そして、どれだけ面倒くさくてもやはり考え続けること、疑い続けること(師である副島隆彦先生は常に疑うことを基本にし、弟子たちにもそのことを教えています)だと思います。

 

 憲法は英語でconstitutionと言います。このconstitutionという言葉には、日本語で「構造、構成」の意味があります。憲法は法律の中でも最高の「私たちが生きる国の形」を定めたものです。それが現実に合わなくなっているので変えることはあるでしょう。日本国憲法には憲法改正に関する条文があります。ですが、あまりに安易に変えることはできないようになっています。自民党はそれを変更し、9条を変更しようとしています。今の憲法下でベストを尽くすことなく、あらゆる手段を用いて、「衆議院と参議院の総議員数の3分の2の賛成を得て発議し、国民投票を行う」ということを行おうとしません。これまでもしてきませんでした。そして、憲法を変える要件だけを変えようとしています。

 

 繰り返しになりますが、憲法を変えた方が良い、憲法を変えない方が良いと色々な意見があります。私の周りでも自分の意見を述べる人はいます。それぞれ自分なりに考えた意見だと思います。ですが不誠実なやり方で憲法を変えるということは、改憲を主張する人々も望んではいないでしょう。なぜなら、そのような不誠実なやり方で変えられた憲法には正当性など存在しないのですから。
 

  

(参考文献)

 

小林節著『「憲法」改正と改悪 憲法が機能していない日本は危ない』(時事通信社、2012年)

伊藤真著『憲法問題 なぜいま改憲なのか』(PHP新書、2013年)

伊藤真著『憲法は誰のもの? 自民党改憲案の憲章』(岩波ブックレット、2013年)

小林節著『白熱講義! 日本国憲法改正』(ベスト新書、2013年)

小林節、伊藤真著『自民党憲法改正草案にダメ出しを食らわす!』(合同出版、2013年)

舛添要一著『憲法改正のオモテとウラ』(講談社現代新書、2014年)

 

(終わり)




 

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote




アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12

 

古村治彦です。

 

 4月末から5月初めにかけて大型連休(ゴールデンウィーク)がありました。5月末に刊行される『野望の中国近現代史 帝国は復活する』(オーヴィル・シェル、ジョン・デルリー著、古村治彦訳、ビジネス社、2014年)の仕事が一段落し、かねて関心を持っていた憲法問題、改憲について自分なりに勉強しようと思い(憲法記念日もありましたので)、以下に挙げた参考文献を読みました。憲法の授業は大学学部時代に受講したのですが、中身は全く覚えていません。熱心な学生でもなく、何とかお情けで単位を貰えたくらいでしたので、大学時代の先生はきちんと教えて下さったと思いますが、改めて勉強することにしました。「若い時にきちんと勉強しておけばよかったな」という後悔もありますが、年齢を重ねたことで理解力は増しただろう(記憶力は減退したのは確実ですが)、ということを頼りに勉強しました。

 

 私が選んだ文献は筆者が偏っていると思われるかもしれません。ですから、私の理解は一面的な、「偏った」ものかもしれませんが、しかし、個人の考えは不可避的に「偏る」ものであり、全く同じということもないのですから、それは自然であり、当然であると考えます。前置きが長くなりましたが、私が納得し、納得したことを基にして考えたことを以下に書いていきます。

 

 自民党の憲法改正草案というものが2012年に発表されています。私が読んだ本の著者たちはこの自民党の憲法改正草案を叩き台にして

 

①立憲主義(Constitutionalism

 

 どの本の筆者もまず掲げているのがこの「立憲主義」という言葉です。この言葉について、それぞれの筆者が分かりやすく言い換えていますが、立憲主義とは「人々の人権を最大限擁護し、国家が暴走しないように憲法で国家を縛る」ということです。憲法擁護遵守義務が公務員にのみ課せられているのはこのためです。憲法は国民が国家に与える縛りということです。国家が国民を縛るものではありません。他の法律は国民を縛るものです(国民の代表である政治家が主権者である国民を縛る法律を作ります)。ですから、憲法に国民が果たすべき義務というのは少ないのも当然です。現在の日本国憲法では、「納税、勤労、教育を子女に受けさせる」の3つが国民の義務となっています。ただ、人権に関しては、濫用しないように、「公共の福祉に反しないように」という条文があります。

 

②義務と権利

 

 「近頃の日本人は過度の個人主義と行き過ぎた権利意識のためにダメになっている。それが社会に反映されている」という主張があります。自民党の憲法改正草案作りにもそうした考えが反映されているようです。「権利と義務は表裏一体だから、責任感を持て」という主張をする人々もいます。そして、自民党の改憲草案には国民の義務規定がたくさん入っています。しかし、小林節教授も伊藤真氏もこの点について、「それは違う」と指摘しています。ある個人が権利と義務を一体として持たない場合はいくらでもあるということ、そして、憲法は国を縛ること、国に義務を課すことが目的で作られたものであり、国民に義務を課すためのものではないと指摘しています。この点は良く議論されるところですが、両氏の指摘は大変に説得力がありました。

 

③愛国心のような心情、信条の問題

 

 自民党は2005年にも憲法改正案を出しているのだそうです。この時は「愛国心」を持つことを義務化するような条文もあったそうですが、小林節教授、伊藤真氏は「心」の問題に憲法が踏む込むべきではないとしています。国民が国を愛する心を持つのは強制ではなく、自発的であるべきで、政治家はそのために努力をしなければならないのに、憲法に書いて強制するという愚挙を行うのは大きな間違いだと両氏は指摘しています。また、どうしても愛国心を持てない人々が少数派になってしまう場合もあります。そうなると、憲法を基にしてそうした人々を弾圧することも可能となります。人権尊重を重要な要素とする憲法が人々を弾圧する道具になってしまうのはおかしなことです。また、そのような危険性は低いとなっても、そうした可能性はできるだけ排除しておくことが必要ではないかと思います。

 

④「公益及び公の秩序」という言葉

 

 自民党の改憲草案には「公益及び公の秩序」という言葉が多く出てきます。伊藤真氏はこの点を警告的に指摘しています。これに反する表現の自由も結社の自由も認められないということになります。ここで出てくる「公」という言葉がなかなか曲者です。英語ではpublicがその意味になると思いますが、私はこれを「人々の」と訳したいと思います。しかし、自民党的な使い方では、state-centeredgovernment-orientedになるのではないかと思います。国家や政府の利益、それらにとって好ましい秩序ということになるのではないかと危惧します。

 

⑤自衛権

 

 自民党の改憲草案には、自衛権が明記されています。そして、自民党の説明では、「自衛権という言葉には、個別的自衛権と集団的自衛権が両方含まれており、それは自明のことである」としています。ここまでは分かりますが、自民党は、「集団的自衛権を日本は持っているのだから、それに制限をつけて行使することは何も問題はない」という姿勢です。国民の1人として、「自衛権には、個別的自衛権と集団的自衛権が含まれていて、それらは全く別のもので、集団的自衛権は行使しないという今の立場を維持すべきだ」と私は考えます。その理由については、このブログで自衛権について考えたことを書きましたので、そちらを参照していただければと思います。

 

⑥その他に興味深かったこと

 

伊藤真氏は、自民党の憲法改正草案の中で、「個人」という言葉ではなく、「人」という言葉を使っている点を指摘しています。これはそれぞれ全く違う、同じ人はこの世に2人といない個人を大切にするという考えから、人という一括りの言葉にすることで、個性や個人の人権を軽視するための言葉遣いではないかと伊藤氏は指摘しています。「そんなの考え過ぎじゃないの」と言う方もおられると思いますが、それならば、自民党は、個人の人権を尊重する立場を明確にし、「個人」という言葉を使えば済むだけの話です。こうして、微妙な言葉遣いの中に色々と落とし穴を仕掛けているのが、自民党の改憲草案だなという印象を持ちました。そして、少し考え過ぎるくらいに慎重にそして批判的に見ていかねば、そうした落とし穴に嵌ってしまうのだろうなと感じました。

 

また、伊藤氏は、住民投票について、レファレンダムとプレシビットとの違いを指摘しています。レファレンダムとは、憲法改正や国の重要な政策を対象とした国民投票のことを指し、プレビシットとは、執権者に対する信任を問う、国民投票のことを指します。フランスではドゴール大統領時代にプレシビットがあったそうです。ドゴール大統領が政策を提案し、それについての国民投票が行われたそうなのですが、実質的にはドゴール台帳量を支持するかどうかが争点になったのだそうです。このプレシビットになってしまうと、

 

日本国憲法は「硬性憲法(改正のための要件が厳しい)」で改正しにくいという主張があります。自民党もこの点を強調し、「国民の意思が反映されにくい、だから発議要件を3分の2から過半数にするべきだ」と主張しています。私も「衆議院、参議院で国会議員の3分の2以上の賛成で発議し、国民投票というのは確かにハードルが高いよな」と思ってきました。しかし、こうした主張はただの誇張に過ぎません。小林節教授も伊藤真氏も指摘していますが、他の先進諸国の場合、憲法改正の要件が日本よりも厳しい国がいくつもありますが、それらの国々では憲法改正が行われています。小林、伊藤両氏は、「憲法とは基本的に硬性であること、そして、日本の場合、国民が憲法改正の必要性を感じることがなかったので憲法改正が行われなかったのだ」と指摘しています。私には、両氏の主張には、目から鱗が落ちるような感じを覚え、説得力があると感じました。

(つづく)





 

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

このページのトップヘ