古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

2015年09月

ダニエル・シュルマン
講談社
2015-10-28



アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12



 

 古村治彦です。

 

 本日、2015年9月17日、参議院平和安全法制特別委員会で安保法制の採決が行われ、自民、公明、次世代などの賛成多数で可決されました。現在、参議院本会議が開催されています。

 

 私は70年という数字と翼賛会政治体制ということについて考えてみたいと思います。私は昨日、吉田茂の言葉を借りながら、昭和10年代と平成20年代は、日本政治における「変調」の時期だと書きました。それは国の基礎となる憲法が死文化させられるという現象(天皇機関説排撃と安保法制)によって出現していると主張しました。

 

 私は本日その考えを更に進めてみたいと思います。私はこの2つの変調の時期はそれぞれ大きな革命的変化が起きてそれぞれ約70年経って起きていること、そして、それぞれ憲法の死文化(前回は天皇機関説排撃を取り上げましたが、今回は統帥権干犯を取り上げます)が進んだことで、翼賛政治体制が確立することをそれぞれ指摘したいと思います。

 

 戦前について考えてみたいと思います。戦前、軍は統帥部と軍政部に分かれていました。統帥部(参謀本部・軍令部)を率いるのが参謀総長・軍令部長、軍政部(陸軍省・海軍省)を率いるのが陸軍大臣・海軍大臣でした。統帥とは簡単に言えば作戦、軍政とは軍の予算や編成を司る者でした。この2つを総べるのが統帥権で、統帥権は天皇に属するもので、天皇は参謀総長・軍令部長、陸軍大臣・海軍大臣の輔弼を受けて統帥権を遂行することになっていました。

 

 ここで難しいのは、軍の予算は国家予算の一部として内閣が議会に提案して、議会の協賛を得る必要があったということです。統帥部が何がどれだけ欲しいと思っていても、陸軍省と一緒になって交渉した訳ですが、大蔵省の反対や議会の反対があれば実現することはありませんでした。しかし、海軍軍縮のためのロンドン会議あたりから、当時野党の政友会の鳩山一郎議員などによる「統帥権干犯」という言葉が生み出されてしまいました。この魔法の言葉によって、たとえば内閣の外務大臣や大蔵大臣、総理大臣が軍事上のことを尋ねても「統帥権干犯!」の一言で、統帥部が答えを拒否できるようになってしまいました。

 

中国大陸での軍事侵略の時でも、出先の日本の領事館などが平和解決のために日本軍に出向いて話をしようとしても、「統帥権干犯!」として話し合いを拒否されるということもありました。開戦直前でも、軍部はいつ作戦実行するつもりなのか、と東郷茂徳外務大臣が尋ねても、統帥権干犯を楯にして教えることを拒否しながら、それではあまりにかわいそうだと思ったのか、「それじゃぁ教えてやろう、12月8日だ」と軍部は答えました。

 

 統帥権干犯の一言で軍部は政治への介入を強めました。また、近衛文麿がドイツに影響されて一国一党運動を唱えたのに乗っ取り、大政翼賛会を作り、帝国議会を軍部による政治の協賛機関とすることに成功しました。大政翼賛会とは軍部政治翼賛会でした。そして、日本の政党政治と議会は死んでしまったのです。それは明治維新から約70年後のことでした。

 

 現在について考えてみたいと思います。私は安倍政権発足時からこの自公、そして橋本氏率いる維新の党大阪ウイングは米政翼賛会だと主張してきました。アメリカの利益最優先の政治を行う体制になっていると私は指摘しました。

 

 今回の安保法制は無理に無理を重ねた憲法解釈で集団的自衛権を合憲として、安保法制の根幹に据えました。それは何の為でしょう。それは日本がアメリカのお先棒を担ぐためです。このブログでは2015年7月17日に掲載しましたし、山本太郎参議院議員が何度も取り上げた『フォーリン・ポリシー』誌の記事でも書かれていましたが、この安保法制はアメリカにとって「グッドニュース」なのです。何がグッドニュースなのか、それは財政が苦しいアメリカ軍の一部を日本の自衛隊がしてくれること(もちろん日本人の払った税金で)、日本が自衛隊の海外派兵のための装備を揃える際にアメリカの軍需産業の製品を大量に購入すること(もちろん日本人の払った税金で)ということです。

 

 このアメリカ(の一部)の意向を受けての安保法制なのです。だから、日本国憲法を無理やりに解釈し、いわば死文化させ、この法律を通さねばならないのです。このアメリカの意向はアンタッチャブルで誰も抵抗のできないものです。アメリカの意向は現代版の「統帥権干犯」なのです。アメリカの意向に疑義を唱えることや反対を唱えることは「統帥権干犯!」ということになります。そして、本日、日本の国家は大政翼賛会体制ならぬ米政翼賛会に堕し、アメリカの協賛機関に転落してしまったのです。そして、今年は敗戦という革命的な大事件から70年目なのです。

 山本太郎参議院議員は「自民党が死んだ日」としても服を着用してるということですが、私はそんなちいさなものではなく、「戦後日本が死んだ日」と言いたいと思います。 

 

 更に言うならば、戦前の軍部も現在のアメリカ(の一部)も元々はそんなに無理なことは求めてこなかったのです。驕慢さが募りに募って、変質してしまったというところも類似していると思います。これは余談になりますが。

 

 今回の文章は昨日の続きで、更に考えてみた結果です。日本近代史上における2度目の変調の時期を現在は迎えている訳ですが、その先に待っているのが1度目のような悲惨な結果にならないことをただただ祈るのみです。

 

(終わり)





野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23



 
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ダニエル・シュルマン
講談社
2015-10-28



アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12



 

 古村治彦です。

 

 私は一昨日、国会議事堂前で開かれた安保法制反対デモに参加してきました。私がSNSでそのことを書くと、いつもは何か反応をしてくれる人たちもしてくれませんでした。「デモに行くなんてあいつは反体制だったのか」「古村はちょっと“アカ”がかっていたがやっぱりそうか(親が日教組だからしょうがないか)」という無言の反応のようでした。

 

 国会前のデモについて私が見て感じたことは、ウェブサイト「副島隆彦の学問道場」の「今日のぼやき」コーナー(http://www.snsi.jp/tops/kouhou)に、「「1555」 昨日、2015年9月14日に国会議事堂前で行われた安保法制反対抗議デモに行ってきました 古村治彦(ふるむらはるひこ)筆2015年9月15日」というタイトルで書きましたので、お読みいただければ幸いです。

 

※記事へは、こちらからもどうぞ

 

 以下にデモについて報じた新聞記事を貼り付けます。

 

(新聞記事転載貼り付けはじめ)

 

●「<安保法案>国会周辺で抗議集会 大江健三郎さんも訴え」

 

毎日新聞 914()2041分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150914-00000077-mai-soci

 

 参院で審議中の安全保障関連法案に反対する市民らの大規模な抗議集会が14日夜、東京・永田町の国会議事堂周辺であった。審議が山場を迎えていることもあり、実行委員会のメンバーが「私たちの光で国会を包囲しましょう」と呼びかけると、参加者は色とりどりのペンライトを振りながら、「安倍政権退陣」「戦争法案廃案」と声を張り上げた。

 

 市民団体「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の主催。マイクを握ったノーベル賞作家の大江健三郎さんは「(法案が可決されると)70年間の平和憲法の下の日本がなくなってしまう。しかし今、力強い集まりをみなさんが続けており、それがあすも続く。憲法の精神に立ち戻る、それしかない」、評論家の佐高信さんも「(安倍晋三首相らは)戦争にまっしぐらに向かおうとしており、断固としてやめさせなければ」などと訴えた。【樋岡徹也】

 

(新聞記事転載貼り付け終わり)

 

 私は最近、戦中に外務大臣を務め、ミズーリ号甲板上における降伏文書調印で全権を務め、戦後は改進党総裁となった重光葵(1887~1957年)が1952年に書いた『昭和の動乱』(上下・中公文庫、2001年)を読んでいます。

 

この『昭和の動乱<>』を読んでいて、重光が戦前の反省を次のように書いているところに目が留まりました。以下に引用します。

 

 「憲法のごとき国家の基本法が、フィクションの上に眠り、もしくは死文化された場合には国家は危うくなる。如何に理想を取り入れた立派な憲法でも、その国上下の構成員即ち国民が、これを日常に生活の上に活用して、身を以てこれを護るというのでなければ、憲法はいつの間にか眠ってしまう。昭和の動乱は、憲法の死文化にその原因があることは、日本の将来に対する大なる警告である。由来、国家の意思の存在する場所が不明瞭になったり、または国家意思が分裂することは、それが余り強く一ヶ所に集中せられる場合と同様、国家にとって頗る危険である。国運の傾くのは古来かような場合が多い」(『昭和の動乱<>』46-47ページ)

 

 重光は戦前のこうした動きを天皇機関説の排撃から始まったと書いています。天皇機関説排撃と天皇主権説の台頭、国体明徴(日本は天皇主権政治体制であることを改めて明らかにすること)運動は、現在の安保法制とよく似ています。

 

 これまで体制側が認めてきた憲法の解釈を大きく捻じ曲げるという点で、天皇機関説排撃と安保法制はよく似ています。天皇機関説排撃では、東京帝国大学の憲法学者で貴族院議員でもあった美濃部達吉が攻撃に晒されました。美濃部は貴族院議員を辞職し、彼の書いた本は発禁処分となりました。それまで、当時の国家公務員状況試験である高等文官試験では美濃部の本が必読の教科書となり、それまでの官僚たちは天皇機関説を勉強していたし、体制側もそれを当然としていた訳です。そして、美濃部は貴族院議員にもなったのに、急激に「反体制」ということにされてしまったのです。それには同じ貴族院議員であった退役陸軍中将の菊池武雄からの激しい攻撃や菊池と同郷・熊本の出身で天皇機関説排撃を進めた、学者の蓑田胸喜の存在がありました。

 

 安保法制で言うならば、それまでもそしてこれからも個別的自衛権や領土領海内での警察行動は認められてきましたが、集団的自衛権は否定されてきました。安倍晋三政権は、これを強引な根拠(砂川判決と国連憲章第51条)で認めるという暴挙に出た訳です。現在の美濃部達吉の立場に立つのが、慶応大学名誉教授の小林節氏です。小林氏は自民党もお気に入りの憲法学者で、改憲を主張するということでリベラル派からは批判されてきました。しかし、今回の安保法制を見て、「このような姑息な解釈改憲は許されない」という主張をするようになり、自民党側からは嫌われるようになりました。小林氏は考えを変えていないのに、体制側から「反体制」と呼ばれるようになったという点で、美濃部達吉と歴史における立ち位置は同じです。

 

 こうした体制側の「急激な変化」を吉田茂は、「昭和10年代の日本は“変調”の時期にあった」と書きましたが、この言を借りるならば、「平成20年代の日本は“変調”の時期にある」と言えるでしょう。この2つの変調は、それぞれ「憲法の安定した解釈」を体制側が強引に逸脱して暴走することが原因となるという点で共通しています。

 

 重光は、「憲法の死文化」と表現しています。今まさに日本国憲法が「死文化」されようとしています。「身を以て憲法を護る」ことがなければ、昭和の動乱の例からも明らかなように、また私たちの生活や生命を脅かすような事態が起きることになるでしょう。私は月曜日に人生で初めて自発的にデモに参加してきました。そして、その中の1人として、「身を以て憲法を護る」ことに少し参加できたことに誇りと喜びを感じています。

 

(終わり)









野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23


 
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ダニエル・シュルマン
講談社
2015-09-09



アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12



 

 古村治彦です。

 

 カナダ生まれで現在、北京の清華大学で教鞭を執るダニエル・A・ベルが『中国モデル』という本を出版しました。この本の中でベルは、西洋型の民主政治体制で行われている選挙による政治指導者選びよりも、試験を基にした「実力主義」の選抜の方が優れており、それが中国をここまで発展させた要因だと主張しています。
 

 最近の日本の政界を見ていても、「政治家は選挙に出る前に試験を受けて合格した人だけ選挙に出て欲しいな」と単純に思ってしまうような事件や出来事が多く起きています。首相を含めて「家計や出自以外に取り立てて優れた点がないのに、どうしてこの人が政治家をやっているんだろう?」と思う人が多数政治家をやっています。こうした憤懣や疑問は、民主政治体制には付き物のようです。

 


 政治指導者の選び方は古代から続く人類の悩みのようで、家系や血筋のような伝統的な決め方から選挙(これも間接、直接と分かれますが)による決め方に移っています。この本の書評をやっている人たち(共に西洋民主国家に暮らす人々)は、ベルの本の内容に大変批判的です。

 

私がこれは言えるなと思っているのは、ある家系や人物がずっと政治権力を握り続けることの危うさです。日本では民主的な選挙が行われていますが、「地盤、看板、かばん」と呼ばれるように、地元との関係、知名度、おカネの面から、世襲、それも三代目、四代目の政治家たちが多くなっています。戦前からの家系もありますから100年近く政治家家系となっている家もあります。中国の最高指導者層は、人民の選挙で選ばれるわけではありませんが、共青団系と太子党系の2つの流れがあって、牽制し合っています。そしてある家系やグループに権力がずっと握られないようになっています。指導者層の交代があるかないか、ここが重要なポイントだと思います。

 

選挙があっても「選挙に落ちることなんてないや」と我儘勝手にできることが民主的ではありません。そして、こうした構造を作り出しているのは私たち有権者側に民主政治体制に対する理解が欠如していること、そして政治と自分たちの関係についての考えが前近代的、封建的であることが理由だと思います。

 

 前講釈が長くなりましたが、是非読んでみて民主政治体制についてお考えいただければと思います。

 

==========

 

書評:『中国モデル』(ダニエル・ベル著)

 

評者:ギデオン・ラックマン

2015年6月19日

『フィナンシャル・タイムズ』紙

http://www.ft.com/intl/cms/s/0/6105bd40-15a4-11e5-8e6a-00144feabdc0.html

 

中国の成功によって、中国の統治システムは自由主義的民主政治体制より上だということになるのか?

 

 孫文は1912年に新帝国の崩壊後の中国初の総統に就任した。彼はアメリカの民主政治体制にそこまで感心していなかった。「アメリカの連邦下院議員の連中ときたらアホで、何にも知らない奴らばかりだ」と不平を漏らしていた。この孫文が行った評価は現在のアメリカ国民の多くも同意するものであろう。

 

 この問題を解決するためとして、孫文は選挙によって選ばれる公務員は全員、地位に就く前に試験を受けてそれに合格した人のみが実際に地位に就くようにすべきだと提案した。この提案は実際に提出され検討されなかったが、これは長きにわたる中国の伝統に影響されている。この伝統とは、「役人は人気ではなく、“実力”を測るための厳しい試験を通して選ばれるべきだ」というものだ。

 

 本書『中国モデル』の著者ダニエル・ベルはカナダ出身の政治哲学者で北京の清華大学で教鞭を執っている。彼はこの中国の伝統に深く影響されている。彼は最新刊の中で、中国式の実力主義に基づいた統治システムは、重要な諸点において、西洋諸国の自由主義的民主政治体制よりも優れた統治システムだという野心的な主張を行っている。

 

 本書『中国モデル』は中国国内のリベラル派を仰天させ、西側諸国の主流となる意見に賛成の人々を怒らせることだろう。この本は一党支配と政治的な抑圧を正当化するためのものだと見る人たちもいるだろう。しかし、本書は常識的な思考に挑戦する根源的な問いを発する学術的な仕事の成果である。ベルはこの役割を適切にこなしている。明瞭で、専門用語を使わない文章で、現代中国の経験を通して、読者を政治哲学の最も根源的な疑問にまで誘うことに成功している。

 

 ベルが明確に書いているように、プラトン、ミル、ハイエクのような西洋の重要な思想家たちの中には、実力主義に基づいた政治に魅了されていた。自由主義的民主政治体制が知的な世界で一種の覇権を握ったのは比較的最近のことに過ぎない。その結果、指導者を選ぶ際に選挙以外の方法があるのではないかと議論することはなくなってしまった。

 

 『中国モデル』はこの議論を再開させようと試みている。この本はまず2つの前提から論を始めている。1つ目は、「西洋の民主政治体制諸国における統治の危機」であり、2つ目は、中国は経済的に大きく発展しているが、これが示しているのは、中国がより良く統治されているということ、である。これら2つの前提に対しては反論もある。しかし、これら2つの前提について読者にそうだと納得させるだけの事実も存在している。それらは、ワシントンの機能不全、ユーロ危機、中国における貧困の大幅な減少である。

 

『中国モデル』の前半部では、民主政治体制の抱える哲学上の及び実践上の弱点の明確な分析がなされている。この部分は私が最も納得できた部分である。例えば、選挙で選ばれた政治家たちは有権者たちの利益を重視しているというのは明確な真実だ。しかし、未来の世代の利益を損なう可能性はある。例えば、現在の政治家たちは現在の有権者たちによって、気候変動や年金の問題を先送りしてしまうのである。孫文が述べたように、西洋型の民主政治体制は、重要な地位にアホや間抜けを据えてしまう危険性を抱えている。

 

 この西洋型の民主政治体制に対して、ベルは理想化された「中国モデル」を対置させている。この中国モデルでは、社会における最も能力の高い人々を、試験を通じて選抜して国を動かしてもらうとなる。彼らの業績は、地方の低いレヴェルから始めて長い年月をかけて様々な地位を経験することで測定される。地方の指導者の地位まで行くことで、その人物は、良いアイディアを持ち、良い指導者になれるというお墨付きを得ることが出来、そして中央に進むのである。このシステムによって、中国は諸問題を解決し、経済発展を達成している。そして、その結果として、一般の人々から見て、指導者たちの統治には正統性があるということになる。

 

 ベルの本が難しいのは、彼が学問的に誠実すぎる故に起きているのだ。彼の本の大部分には、実力主義に基づいた政治に反対する主張を取り上げている。そして、ベルは、これらの反論の多くもまた正しい点を含んでいることを分かっている。民主的な制度城のチェック機能が欠如していることで、汚職が蔓延することになる。しかし、ベルも指摘しているように、民主国家インドでは汚職問題を解決できてはいない。実力主義に基づいて選抜されたエリートたちもまた傲慢になり、自己利益追求になってしまう。試験に合格するための能力と複雑な問題を解決する能力を持つ指導者が、人々への共感と高い独特性を併せて持つとは限らない。

 

 経済的な統計数字によると、現在の中国はより良く統治されている。しかし、ベルが認めているように、他の指標は良くない数字を示している。彼は残念そうに次のように書いている。「汚職、貧富の格差、環境汚染、政治家たちの権力の濫用、政治的に反対の主張を持つ人々に対する厳しい対処は、政治システムがより実力主義的になればなるほど、より激しくなっているように見える」。

 

 中国が実力主義に基づいた政治だという考えに対しては明確な反論が存在する。それは、現在、中国の最高指導者となっている習近平の父親は毛沢東と親密な側近であった、というものだ。ベルは、習近平とその他の「太子党」(中国共産党最高幹部の子孫たち)の人々の台頭は、1990年代初めの統治機構改革の前に始まっていたと答えている。この改革によって党幹部の選考の基礎に試験が置かれる制度が復活したのだ。

 

 しかし、太子党の台頭に関するこの説明は論理的な矛盾を抱えている。中国の実力主義に基づいた政治によって、1979年からのこれまでの急速な経済発展が達成されたという主張がある。しかし、ベル自身の説明では、適切な実力主義が回復したのは1990年代初頭であって、結果としてその効果が出てくるのはそれから更に数年はかかることになる。従って、現在までの中国の急速な経済発展は、統治における実力主義システムの結果ではないのではないだろうか?

 

 ベルは、彼が好んでいるシステムをじっくりと分析した結果として、躊躇しながらであるが、西洋型の自由主義民主政治体制をしっかり検討しようという考えに戻っている。政治指導者たちが生き残りのために暴力以外のものに頼ろうとすれば、それは正統性ということになる。ベルは本の中で、「実力による選択と経済成長があったとしても、中国の政治指導者たちの正統性は将来において長く担保されるものではない」と結論付けている。その理由として、彼らに対する支持は突然の危機的状況によって覆される可能性があるということが挙げられる。ベルが提案している解決策は、中国人民に向かって、指導者の選出は実力が良いか、それとも定期的な選挙が良いかを問う一回限りの住民棟梁を行うことである。

 

 この提案は独特であるが、中国のリベラル派やリスクを取ることを嫌う中国共産党の指導部からは支持を得られるだろう。

 

 私は『中国モデル』が提案している政策のアイディアに納得していないが、ベルが提示したいくつかの疑問は刺激的であると思う。格差の拡大、エリート主義の蔓延、政治におけるお金の役割といった現代中国が直面している諸問題に関する彼の分析は、奇妙なほどに親しみやすく、理解しやすい。もしかしたら、アメリカと中国は私たちが考えているよりも、より多くの共通点を持っているのだろうか?

 

(終わり)

 

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小さな政治を賞賛する(In Praise of Petty Politics

―現代のアメリカ人はジェファーソンやリンカーンのような人物が選挙に出てきても、投票してホワイトハウスの主にしないかもしれないが、少なくとも民主政治体制は私たちに選ぶ機会は与えてくれている

 

フェリペ・フェルナンディス=アルメスト筆

2015年6月8日

『ウォールストリート・ジャーナル』紙

http://www.wsj.com/articles/in-praise-of-petty-politics-1433804916

 

 「会議にはちゃんと出て下さいね?」と私は言われた。私は会議に出るのが嫌だった。「私がいなくても最高の決定が下されると信じています」と私は答えた。 学部長は険しい顔をしていた。「アメリカでは何でも民主的に決めるんですよ。会議に出席してご自分の考えをはっきりと述べて下さいよ」と学部長は言った。私がアメリカの大学で教える最初の日の出来事であった。同僚たちは会議で学部長の提案について議論した。1時間以上も議論をした後、ある参加者は自分が行った提案に反対するかのような発言をするようになった。私は驚き、私はそのことについて説明を求めた。学部長は「そうですね、彼自身が自分の出した提案の欠点を見つけたということなんでしょうね」と答えた。最終的に、私はアメリカにおけるデモクラシーの何たるかを知った。立法府の議員たちは都合の良いように選挙区の区割りをし(ゲリマンダー)、行政府は金権まみれであるが、デモクラシーにおける誰でも意思決定へ参加でき、議論ができるという柱は、地域、学校、職場などで息づいている。

 

 ダニエル・A・ベルはこのことに気付いていないようだ。彼は最新刊で、アメリカ・モデルをけなし、鄧小平から習近平までの中国の政治家たちが作り上げた、卓越した統治方式を評価している。彼の視点ではこれは「賞賛に値する」ということだ。彼は「民主政治体制はこれからも実力主義に基づいた政治よりもより良く機能するだろう」という考えに疑問を呈するために『中国モデル』を書いた。

 

 『中国モデル』の中で、ベルは、「中国に対しては権威主義的な悪評があるが、中国の統治においては“下部のデモクラシー”が存在し、それが中国の統治を強化している。“村落委員会”」は村民のイデオロギー教育と監督の責任を折ってはいるが、高次の当局によって政治的な諸権利は奪われている。ベルが賞賛している村落委員会は民主的な偽装を施され、抑制されている。そして、中国共産党の官僚たちと政府によって抑えつけられていることに、村落委員会は不満を持っている。それでもベルは、「中国の大きな変化の真の理由は、中央政府が地方の諸問題にはタッチしない方針を取っていることである」と述べている。

 

 ベルが中国で「最も高いところ」に位置付けている実力主義に基づいた政治も、彼自身が認めているように、欠点だらけであり、ベルが好む言い方だと「十分に発達していない」となる。政治指導者たちの「選抜と昇進は、政治的な忠誠心、社会的なつながり、家族の背景によってなされている」のである。中国の指導者選出は実力主義的ではなく、官僚主義的である。実力による振るい落としと言うよりも、試験による選抜が基にあり、汚職と親分子分関係に基づいた行為である。私たち学者の殆どがそうであるが、ベルは勉強ができて試験が得意だったのだろう。しかし、彼は自分自身が実力や「政治において重要な知的水準」を分かることが出来る能力を持つと考えているようだが、その点では、底抜けの楽天家のアホだと言うしかない。ニコラ・サルコジは下級官吏がラファイエット夫人の小説に関する知識を持つことの有効性について質問された時、試験は、階級や文化の背景を持つ人物たちが権力に近づくための道になると非公式に答えた。試験はうまく設計すればテクノクラートの採用の役に立つだろう。しかし、ベルが追い求める「能力」「感動的な知性」「社会生活を送る上での技術」「徳」の質は現場以外ではテストをして測定することはできない。

 

 ベルが何度も賞賛しているシンガポールにおいてさえ、指導者たちは「良い価値観や気概、徳を基にして選ばれてはいない」のである。「中国は高度の政治的な正統性(人々が政府は道徳的に正しいことをしていると考えること)を有している」と書いてあるのを読んだ時、ネヴァーランドや北朝鮮でもそうだろうと感じた。ベルが主張するモデルは、中国にも、シンガポールにも、歴史上にも実際に存在したことはなく、彼の頭の中にだけ存在するのだ。彼の頭の中にある国はさぞかし素晴らしいだろう。

 

 ベルは民主政治体制のどの点よりも正義の点を嘆いている。そうなのだ、有権者たちは愚鈍で、腐敗しており、騙されやすくかつ我儘だが、選挙に立候補する人々もまた道徳的には酷いもので、機会主義的だ。多くの有権者を長期間欺くことは可能だ。そして、世界で最も強烈な諸問題は孤立無援の民主政治体制では解決できないのは真実だ。なぜなら、七面鳥は感謝祭のために投票しないからだ。人間は将来の世代や地球、消費の削減のためには投票しないし、耐久生活も嫌いだ。一方で、民主的に選ばれた指導者は独裁者たちに比べて戦争を始めにくいし、有権者が指導者たちの不正や無能力を発見したら、権力を取り上げることが出来るのが民主政だ。現代の選挙にトマス・ジェファーソンが出てきたとして、私たちは彼に投票せず、大統領に選ばないかもしれないが、民主政治体制は少なくとも選ぶ機会は与えてくれる。私たちはチャーチルのような傑出した人物ではなく、チェンバレンのような人物を選ぶことが多いかもしれないが、偶然でもチャーチルのような人物を選ぶこともある。

 

 ベルは、「中国は、比較可能な規模を持つ民主政治体制を持つ国々と比較して、より良く統治を行っている」と主張している。厳格に言えば、そのような国は確かに存在しない。アメリカを除いて、そしていくつかの経済的な指標を基に判断し、自由、人権、自己実現、環境を重視しなかったら、ブラジル、インド、インドネシア、フィリピンといった、複数政党制の民主政体を採用する人口の多い国々は経済発展の点で、中国と比肩しうる存在である。ベルは、アメリカン・ドリームについて批判的に見ている。アメリカ人は、アメリカン・ドリームという言葉によって、腐敗や不誠実なことをしなくても、「貧しさからスタートして豊かになることが出来る」と希望を持っているが、それは騙されているのだとベルは言う。確かにそうだが、少なくともディズニーランドにおいてはそんなことはない。

 

 ベルの中で致命的に認識が欠落しているのは、法の支配と独立した司法府が立法府と行政を抑制している限り、民主政治体制は村落の機構だけではなく、一国の中央政府においても導入可能な点である。ベルは、「民主国家においては、司法の専門家たちは、民主的に選ばれた指導者たちに間接的に説明責任を果たせねばならない」と考えている。しかし、彼の考えは大きな誤解を生むことにつながる。アメリカにおいては判事の中には民主的に選ばれる人たちもいるが、高次の裁判所において例外が影響力を持つことはない。イギリス、ドイツ、アメリカの立法府の議員たちは裁判官を罷免する力を持つが、これまでその力が実際に行使されたことはない。

 

 とにかく、プラトン流の万能な保護者ではなく普通の人々、超人や聖人ではなくサバルタン(従属的社会集団)を政治指導者に選んで何が悪いのか?徳は結婚関係において重要であるが、政治支配者にとっては曖昧なものである。マキャベリが述べたように、政治支配者は良い人間であるべきだが、必要なときには残忍なことをしなければならないのだ。神は私たちが知的にもそして物理的な力の面においても過剰にならないようにして下さっている。私たちごく普通の臣民や国民がそれに反対し対抗することが出来るだろうか?

 

※フェルナンデス=アルメストはノートルダム大学教授で数冊の本を出版している。最新刊『私たちのアメリカ:アメリカ合衆国におけるヒスパニック史』。

 

(終わり)





野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23



 
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ダニエル・シュルマン
講談社
2015-10-28



アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12



 

 古村治彦です。

 

 今回はオバマ政権の現実主義とイランとの核開発合意に関する記事をご紹介します。私は常々、外交においては現実主義と理想主義(左派と右派)が存在すると書いてきました。そして、オバマ大統領は現実主義的な外交政策を行っていると拙著『アメリカ政治の秘密』(PHP研究所、2012年)でも明らかにしました。このことを裏付ける記事になっています。

 

 この記事の内容で言えば、今の安倍晋三政権と自民党は外交においては、非現実的な理想主義者ということになります。それも戦争をしたがって仕方がない、アメリカで言えばネオコンと同じ存在です。日本国民の多くが2000年代のアメリカ国民と同じくその危険性に気付き出していると私は感じています。

 

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イランは現実主義の良い具体例である(Iran and the case for realism

 

EJ・ディオンヌ筆

2015年8月30日

『ワシントン・ポスト』紙

https://www.washingtonpost.com/opinions/iran-and-the-case-for-realism/2015/08/30/ba028102-4dc2-11e5-84df-923b3ef1a64b_story.html

 

外交政策を巡る議論はほとんどの場合、国内政治の争いを反映したものとなる。しかし、同時に語られない前提と認識されない諸理論に基づいてもいるものだ。

 

 これはイランとの核開発を巡る合意に関する論争にも当てはまる。もちろん生の現実政治は大変に大きな役割を果たしてはいる。共和党所属の連邦上院議員ジェフ・フレイク(アリゾナ州選出)とスーザン・コリンズ(メイン州選出)は条件さえ整えば、合意に賛成することにやぶさかではないようだ。しかし、党に対する忠誠心をテストすることになるこの問題で、同僚たちとは違う行動を取ることについて高い代償を支払うことになることもまた計算しなくてはならない。

 

 イスラエル首相ベンジャミン・ネタニヤフはアメリカ連邦議会で親イスラエルと反イスラエルの争いを激化させようとしたが、これは不幸なことだ。イスラエルの強力な支持者たちの多くは、イランの核開発を査察する制度について特に批判することになるだろう。しかし、彼らはイランの核開発プログラムに対する制限は現実的だとも信じている。連邦上院議員ベン・カーディン(メリーランド州選出、民主党所属)は、アメリカの交渉担当者たちは、「核開発の最前線に立っていた」と語った。これは「核開発の最前線は主要な点である」ということなのである。

 

 まだ態度を決めていないカーディンと他の民主党所属の連邦議員たちに対する、合意に対して反対票を投じるように求める圧力は大きなものとなっている。連邦上院外交委員会の幹部であるカーディンが賛成票を投じると、これは真に勇気のある行動ということになるだろう。そして、態度を決めかねている同僚たちにとって大きな影響を与えることになるだろう。

 

 オバマ大統領と関係諸国は、連邦議会によって合意が否決されてしまうことで生まれる危険性について語っている。これは正しい。この危険は、合意を有効なものとすることよりもリスクが高いものとなる。アメリカは合意を破棄して、より厳しい合意条件を実現するために再交渉すべきという考えも存在するがこれは全く非現実的なお笑い草でしかない。それはこの合意は単なるアメリカとイラン、2か国間のだけの合意ではないからだ。この合意には合意内容を強力に支持する関係諸国も含まれているのだ。これまで続けてきたイランに対する経済制裁を再び行うことを提案することもまた同じ理由で馬鹿げている。アメリカに協力した国々は、アメリカが一度結んだ合意を破棄しても、合意を破棄することはないであろう。

 

オバマ政権は反対している人々に対してこの質問を中心にして挑戦している。それは「それでは他の選択肢は何になりますか?」というものだ。これはただの言葉遊びの質問ではない。

 

 現在の連邦議会の情勢分析では、オバマ大統領は合意を有効とするための議員の賛成票を最低限確保できるだろうと言われている。オバマ大統領は合意を無効化するための試みを阻止するための41名の上院議員の支持を得るための秘密兵器を持っている。カーディンの投票はカギを握ることになるだろう。

 

 しかし、ひとたびこの話が落ち着いたら、オバマ大統領、議会における反対派、大統領選挙立候補者たちは世界におけるアメリカの役割についてどのように見るかについて大きな議論をすることになる。オバマ大統領は分かりにくい「オバマ・ドクトリン」について説明し、共和党の有力な大統領候補者であるスコット・ウォーカーとマルコ・ルビオが金曜日に行った批判に少なくとも間接的に反論することで利益を得ることが来出るだろう。

 

オバマ大統領が主として外交政策において現実主義者であると多くの人々がいる(私もその中の一人である)。特にアメリカがイラクで冒険主義的な愚かな行為を行った後、現実主義はこれまでよりもより良いものだと考えられるようになっている。私は、現実主義者は、「アメリカは民主的な価値観と人権のために戦わねばならないが、軍事面における過度の拡大は、アメリカの国益と長期的な強さにとって致命的な危険である」と考える人たちだと考える。オバマ大統領の外交を擁護する際によく使われる論法は、「確かにいくつかのミスを犯したが、軍事力で出来ることとできないことに関する彼の現実主義は、アメリカの外交アプローチを再定義し、アメリカを正しい方向に戻すことに成功した」というものだ。

 

 この議論を始めるのにより材料となるのが、『ナショナル・インタレスト』誌の創刊30周年記念号に掲載されたリチャード・K・ベッツの「現実主義による説得」という論文だ。ベッツは現実主義の立場に立つ高名な知識人だ。ベッツはコロンビア大学に属する学者でもある。ベッツは「現実主義者は動機よりも結果をより重視する。現実主義者は良い動機が如何にして悲惨な結果を生むのかという点に注目する」と主張している。理想主義的なリベラル派と保守派は共に「正しい考えを支持し、悪と戦う」と強硬に主張するが、現実主義者は、「私たちが直面している選択肢は“より大きな悪とより小さな悪の間に存在する”」と主張する、とベッツは述べている。

 

 ベッツは「敢えて過度な一般化の危険を冒すが、理想主義者は勇気について心配し、現実主義者は制約について心配をする。理想主義者は武力によって悪に対峙することの利益を重視するが、現実主義者はコストを重視する。全体として、現実主義者は思い上がりではなく、抑制を求める」と書いている。

 

 頭の中は現実主義になりつつありながら、精神は今でも理想主義である私たちのような人間にとっては、現実主義は冷たくて、道徳的に不十分だと思ってしまう。しかし、現実主義の道徳は、人々の生命、財産、実行不可能な試みのための力の浪費することが道徳に適っているかどうかということになる。現実主義を批判する人々はイランとの合意に反対している人々が受けているのと同じ質問に直面する。それは「それでは他の選択肢は何になりますか?」というものだ。

 

(終わり)







野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23

 
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ダニエル・シュルマン
講談社
2015-09-09



アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12



 

 古村治彦です。

 

 今回は、「北米大陸は次の新興巨大市場になる」という論稿をご紹介します。著者は、アフガニスタンやイラクで米軍や多国籍軍を率い、オバマ政権ではCIA長官も務めながら、不倫スキャンダルで失脚したデイヴィッド・ペトレイアス退役陸軍大将です。ペトレイアスは、軍歴もさることながら、学歴も素晴らしいもので、陸軍士官学校、アメリカ陸軍指揮幕僚大学を優秀な成績で卒業し(戦前の日本陸軍で言えば恩賜の軍刀組です)、プリストン大学大学院(ウッドロー・ウイルソンスクール)で国際関係論の博士号を取得しています。

 

 ペトレイアスの今回の論稿は、ハーヴァード大学ケネディスクールの研究員として発表した論稿の要約で、言いたいことは「北米大陸(アメリカ・カナダ・メキシコ)は次の新興巨大市場になる」という内容です。内容自体は目新しいものでないし、陳腐なもので、著者が有名であるくらいがウリです。

 

 このように「アメリカは凄い」「アメリカは偉い」と言い続け、BRICSの台頭やAIIBに見られる、ヨーロッパと中国の結合に対抗しようとする姿は何だか哀れを誘うものです。アメリカとそれに追随する日本が中国を包囲する(自由と繁栄の弧やら安倍版の大東亜共栄圏的発想)つもりが、もっと大きく包囲され、気付いたら日米が孤立していたなんてことにならないように、今からでも動くべきでしょうが、日本はこのままアメリカの下駄の雪としてどこまでもついて行くしかないと思っている人たちが政権にいるために馬鹿な選択しかできないでしょう。

 

==========

 

北アメリカ大陸:次の巨大新興市場となるか?(North America: the Next Great Emerging Market?

―アメリカ、カナダ、メキシコが21世紀の世界経済を牽引する位置にいるその理由

 

デイヴィッド・ペトレイアス、パラス・D・バヤーニ筆

2015年6月25日

『フォーリン・ポリシー』誌

http://foreignpolicy.com/2015/06/25/north-america-the-next-great-emerging-market-united-states-mexico-canada/?utm_content=buffer7967b&utm_medium=social&utm_source=facebook.com&utm_campaign=buffer

 

 米連邦議会はついにバラク・オバマ大統領に対して、彼が交渉を妥結させようとしている環太平洋経済協力協定(TPP)と環大西洋貿易・投資協力協定(TTIP)に関する「促進」権限を与えようとしている。しかし、オバマ大統領の進める貿易協定についての長引く激しい議論は、将来の市場統合の価値に対するワシントンにおける疑念を増大させ、力強い世界経済の建設などできないという悲観論を拡大させている。こうした中で全く触れられない疑問が存在する。それは「アメリカと国境を接する近隣諸国は競争できるか?」というものだ。

 

 この疑問に対する答えは、明らかに「イエス」だ。実際、緊密な市場統合、アメリカ、カナダ、メキシコ3カ国それぞれの経済力、4つの技術革命によって、3カ国は次の巨大な新興市場となれる位置に付けているのだ。

 

 現在、世界市場は不確実な動きの中にあることは疑問の余地がない。中国の経済成長は鈍化している。投資主導の経済発展の疲れ、人口構造の変化、10年に渡る労働コストの上昇、財政赤字の急増、環境汚染と汚職の拡大といった問題と中国は戦っている。インドは、「モディ時代」が訪れようとしているが、経済成長を促すために必要な諸改革がまだ軌道に乗っていない。ブラジルは景気後退に陥り、「将来の大国」の地位に留まり続けているように思われる。

 

 先進諸国もそれぞれ同じような問題を抱えている。日本は、安倍晋三首相による一連の経済改革である「アベノミクス」の下で、ある程度の成果を収めているが、経済における競争を導入し、企業の慣習を改革するという最も厳しい改革は不完全なままである。一方、日本の人口における構造変化の影響は深甚なものである。ユーロ圏は一時的なそれぞれの国で程度の異なる経済回復を経験している最中である。しかし、ヨーロッパの先進諸国は堅実な経済成長の道進むための実質的な諸改革を必要としている。

 

 世界経済をこれまで牽引してきた国々の経済成長は鈍化しているが、北米諸国の経済は急速に発展できる位置にある。3か国の経済における重要な中核をなしているのが他に類を見ない市場統合である。確かにTPPTTIPのような貿易協定にも問題はある。競争に晒されるアメリカ国内のいくつかの経済セクターでの雇用の喪失はその代表例だ。北米自由貿易協定(NAFTA)の下で、北米3カ国は繁栄を共に享受してきた。 貿易量は20年間で3倍になり、その総額は1兆ドルを超え、北米3カ国をまたいで数百万の雇用の創出が行われた。この事実は経済的つながりの改善が生み出す利益であり、注目に値する。

 

 一国レヴェルで言えば、アメリカ経済は根本的な有利さを保持している。それは、比較的自由化されたビジネス環境、技術革新と企業家精神に富んだ文化、大きくて動きが速い資本市場、技術的な先進性を生み出し、製品化する小規模企業である。カナダの銀行システムは世界で最も健全であることは証明されている。カナダの石油とガス生産部門は協力である。昨年の石油価格の下落では影響を受けたがそれでもその強さは健在だ。メキシコはマクロ経済の面で高い安定性を達成している。現在、海外の国々での労働コストが上昇し続けているが、メキシコの現政権はメキシコが製造業の一大拠点になるための諸改革を強調している。

 

 こうした強みに加えて、北米3カ国は4つの部門の大きな変化から恩恵を蒙っている。この4部門とは、エネルギー、先進製造業、生命科学、情報技術である。                                                  これら4つのこれまでの制限を打ち破る革命によって、北米アメリカ大陸は次の新興巨大市場として世界に登場することになるだろう。

 

これらの大転換は共鳴し合って起きている。採掘技術の発展によって、石油埋蔵量は拡大し、石油と天然ガスの価格は安くなった。これによってアメリカはエネルギー上の独立を得ただけでなく、製造業の復活も果たした。製造業では、ロボット工学と3Dプリンターによって、工学における基準が向上し、コストを下げることが出来た。クラウド・コンピューターとビッグデータを通じてIT技術の応用は拡大した。これらを使って、アメリカの製造業と生命科学は、それぞれ「産業インターネット」と「ヘルスケア・インターネット」を出現させつつある。

 

 北米各国の経済は、これらの諸分野で有利な位置を占めているが、こうした動きを加速させるために、政策決定者たち、特にアメリカ連邦議会が行えることはまだまだたくさん存在する。

 

 第一にそして最も重要であるが、米連邦議会は政府の財政を規律あるものにすることでビジネス環境を改善する必要がある。これには、アメリカの社会保障制度の改革と、慎重に選ばれた軍事・非軍事プログラムの削減によって予算の大幅削減と転換を行う必要が出てくる。これらの予算とプログラムの削減は理想的には、アメリカの企業に対する税制の再構築と共に行われることが望ましい。それには複雑さと世界で最高水準にある全体としての税率の削減が行われるべきだ。

 

 加えて、アメリカ連邦議会はアメリカが技術革新の先頭ランナーでいられるようにいくつかの方策を立てるべきだ。軍事用・非軍事用の科学研究に対する連邦予算は、2009年以降、対GDP比で20%以上も下落している。これを上昇させねばならない。応用研究に対する企業の投資を継続させるために、研究開発に関する減税措置は高級に継続させるべきだ。IT関連企業がサイバーテロとの戦いに参加することを認める法律の成立によって、各企業と米国土安全保障省との間での情報共有が以前に比べてだいぶ楽になった。これは、IT部門におけるアメリカの指導的な立場を守る上で重要不可欠だ。

 

 教育システムと移民システムの改革によって、アメリカは世界中の最高の人的資源を魅了することになるだろう。各州の政策決定者たちは、厳格な教育に関する基準、特に数学、科学、読解能力に関する基準を設け、高い質の教育を提供する特別認可学校などを通じてより大きな競争と選択を促すべきだ。連邦議会は包括的な移民改革法案を通過させ、H-1Bヴィザの拡大、教育と仕事を持つ移民の受け入れの促進のためのシステム作り、非熟練労働者たちのための永住権や市民権獲得の道筋づくりを行うべきだ。

 

 北米大陸がエネルギー生産部門でトップを維持するために、大統領と連邦議会は、カナダからアメリカへ石油を輸出するためのキーストーンXLパイプラインを承認すべきだ。そして、アメリカ国内で生産された石油の輸出を許可し、更には、電力の移送のための高電圧の送電システムの建設によって再生可能エネルギーの開発を促進するようにすべきだ。米環境保護庁には水圧粉砕式に対する奇声を行う権限が与えられた。これによって、シェールガス生産を安全なものにする高質のそして共通の基準が決められ、これまで各州でまちまちだった規制が統一された。結果として、シェールガス革命は継続されることになった。

 

 最後に、連邦議会はアメリカ国内の物理的、そしてデジタル的な社会資本を強化するために投資を賢く行うべきだ。国家社会資本銀行を創設し、自動車燃料税を増税しかつスライド制にし、どこでも使えるブロードバンド・インターネットを発達させる戦略を立てることで、アメリカの生産性が向上だろう。

 

 こうした根本的な強さは、アメリカ、カナダ、メキシコが現在の不確実な世界経済の状況を乗り切ることの手助けとなる。逆風に対する政策から順風に対する政策に転換することで、連邦議会は今日起きている4つの革命の成果を確かなものとすることができ、これから数十年間の経済の大変化を進め、アメリカと北米の近隣諸国の将来に大きな経済的な果実を与えることが出来るようにすることができる。

 

※著者たちはハーヴァード大学ケネディ記念行政学・政治学大学院付属ベルファー記念科学・国際問題研究センターから共同執筆した報告書を発表した。タイトルは「次の大規模新興市場となるか?:北米大陸における4つの融合された革命の評価」

 

(終わり)





野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23




 
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