アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12




野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23

 

 古村治彦です。

 

 2015年2月16日、NHKはニュース番組の中の特集のコーナーで、1946年2月16日から政府が行った「預金封鎖」を取り上げ、詳しく報じました。江崎大輔記者という人が主に取り組んだ特集のようです。

 

私たち戦後生まれ世代も歴史の事実として、「預金封鎖」と呼ばれる、突然自分の銀行口座から自由に現金が引き出せなくなる措置が政府によって行われたことは知っています(ちなみに現在のATMでの引き出し額制限も緩やかな「預金封鎖」であると私は思います)。

 

 私たちが習ったのは、「悪性インフレ(その例として第一次世界大戦後のドイツのマルク紙幣の話を習います)を抑制するために、預金封鎖をして、世の中に出回る通貨の量を減らしたのだ」ということです。しかし、以下の特集内の報告にあるように、インフレは解決されず、預金封鎖が解除された時には、預金の価値はがた減りしていたということです。取材に協力している大阪市立大学名誉教授の林直道氏は、預金封鎖中は現金が自由に降ろせずにそこらに生えている草まで食べ、封鎖が解除になったら、預金の価値がなくなっていたことをなまなましく証言して言います。私たちは人生の先輩のこうした証言を真剣に聞かねばなりません。

 

 特集では、預金封鎖の目的として、「財産税徴収の前提となる国民の資産把握」があったということを明らかにしています。戦時中の国債発行(国が国民に借金をしたこと)で、政府の債務は膨大な額となりました。そこで、政府は、国民に借金を返すために、国民から税金を取り立てることにした、というなんだかよく分からない、自家撞着の話になりました。特集の中で、当時の大蔵省幹部の呆れるほど傲慢な発言が取り上げられています。

 

(引用はじめ)

 

『“天下に公約し国民に訴えて発行した国債である以上は、これを踏みつぶすということはとんでもない話だ” “取るものは取るうんと国民から税金その他でしぼり取る。そうして返すものは返す”』。

 

『「一億戦死」ということばがある。みな一ぺん戦死したと思えば、相続税を一ぺん位納めてもいいじゃないか』。

 

(引用終わり)

 

 国民も確かに戦争を望んだ面があったかもしれませんが、それはマスコミ(政府によって利用された)に煽られた面があります。しかし、誰も米英などと戦争をしたい、戦争をして勝てるなんて思っていなかった訳です。勝手に自殺的な戦争を(天皇の意志をもある意味踏みにじるようにして)勝手に初めて、国民を殺すだけ殺して、それで「一億総戦死だ(自分たちは死なないけれど)」などと放言するのが官僚の真骨頂であり、これは21世紀でも30世紀でも不変でしょう。

 

 私は更に「預金封鎖」には、次のような目的があったと考えます。

 

①負債の重さを軽くするには、インフレが進行させれば良い。ですから、「インフレ退治」を名目にしているが、政府はインフレを進行させるつもりでいたと考えます。②しかし、インフレで生活が苦しい庶民たちの不満が過激思想(共産主義など)に結びつくことを恐れた。③そこで、戦前に社会革新を唱えた革新官僚たちは、このインフレを使って、「革命を実行しよう」と考えたのだと思います。戦前からの財産家たちを没落させて、社会革新を行って社会の平等化を進めようとしたのだと思います。国民の殆どは資産なんかありませんから、預金封鎖はある程度の資産家たち(大富豪たちは逆に助けてもらえたのでしょう)を狙い撃ちにして、表面的な「平等社会」(大富豪たちの存在は見えない形になっている)が官僚たちによって作り上げられたのだと思います。

 

 こうして考えると、現在の状況は70年前とよく似ています。そこで、再び、官僚による「革命」が起きる可能性があります。その時、庶民はお金なんかありませんから、体や労働力を、そして財産家たちは財産を取り上げられるのだろうと思います。

 

 国家(官僚たち)は私たち国民に寄生し、食い殺す存在です。パラサイトであり、プレデターなのです。そのことをNHKの特集は教えてくれました。

 

 

(転載貼り付けはじめ)

 

“預金封鎖”の真実

 

218 1755

江崎大輔記者

http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2015_0218.html

 

終戦後間もない昭和21年2月16日、時の日本政府は預金の引き出しを厳しく制限する「預金封鎖」を突然発表しました。

 

日本経済を襲った猛烈なインフレを抑えるためだと国民に説明された「預金封鎖」。

しかし、その政策決定過程を検証していくと、現代の日本にも通じる深刻な財政問題が底流にあったことが見えてきました。

 

特別報道チームの江崎大輔記者が取材しました。

預金封鎖で国民生活は

 

突然通告された預金封鎖を国民はどう受け止めたのか。

当時のことを証言してくれる人を探すなか、私は、兵庫県芦屋市に住む大阪市立大学名誉教授の林直道さんにたどり着きました。

 

現在91歳の林さん。

 

当時は22歳の学生で大阪で母と姉の3人で暮らしていました。

 

当時、一家の蓄えは3万円ありましたが、「預金封鎖」で突然自由に引き出せなくなり、途方に暮れたといいます。

 

特に、手持ちのお金が不足したことで、ただでさえ足りなかった食料がさらに手に入りにくくなり、川の堤防に生えている草をゆがいて、ごく僅かのご飯とともに食べたこともあったと、当時の窮状を語ってくれました。

 

林さんは「封鎖」の印が押された当時の通帳を今も保管していて、預金封鎖について「突然の発表に仰天し、恐怖感すら抱いた。こつこつ貯めたお金が使えないということは本当につらかった」とも語っていました。

 

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預金封鎖はなぜ断行された?

 

日本政府が預金封鎖を発表したのは今から69年前、昭和21年2月16日でした。

 

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当時の日本は、物資や食料が極度に不足し猛烈なインフレが起き、経済は破綻しかねない状態にまで追い込まれていました。

そこで政府は流通するお金の量を強制的に減らしインフレを抑えこもうと預金封鎖を断行しました。

 

時の大蔵大臣、渋沢敬三氏は「政府はなぜこうした徹底した、見ようによっては乱暴な政策をとらなければならないのでしょうか。それは一口に言えば悪性インフレーションという国民としての実に始末の悪い、重い重い病気を治すためのやむをえない方法なのです」と呼びかけ、国民に理解を求めました。

 

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預金封鎖後、物価上昇の動きは弱まりました。

 

しかし、それはあくまで一時的で、その後、インフレは収まるどころか、逆に加速していきました。

 

その結果、預金は封鎖された2年余りの間に価値が大きく毀損しました。

林さんは「何十年もかけて貯めてきたお金なのに、数か月分の生活費しか残らなかった。 戦時中、そして戦後も国民はさんざんな目に遭った」と憤りを隠しません。

 

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預金封鎖もう1つのねらい

 

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国民生活を混乱させ犠牲を強いた預金封鎖。

 

この手荒い措置がどう決まっていったのか。

 

私は政策決定過程を検証しようと財務省に情報公開請求を行い、当時、非公開とされた閣僚や官僚の証言記録を入手しました。

 

すると、インフレ対策とは別に、もう1つのねらいがあったことが見えてきました。

それが如実に記されていたのが、渋沢大臣の証言記録です。

 

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この中で渋沢大臣は大蔵官僚だった福田赳夫氏から『通貨の封鎖は、大臣のお考えでは、インフレーションが急激に進みつつあるということで、ずっと早くから考えていられたのでございますか』と問われたのに対し、『いやそうではない。財産税徴収の必要から来たんだ。まったく財産税を課税する必要からだった』と答え、預金封鎖に込めたもう1つのねらいを吐露していました。

 

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渋沢氏が語った“財産税”とは? それは、国が戦争で重ねた膨大な借金の返済を国民に負わせる極めて異例の措置でした。

 

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「国債を買って戦線へ弾丸を送りましょう」。

 

政府は戦時中、国民に国債の購入を促し、国債を大量に発行しました。

その結果、政府の債務残高=借金は急増し、終戦前の昭和19年度末には対国民総生産比204%にまで膨らみ、財政は危機的状況に瀕しました。

 

このため政府は、借金返済の原資を確保しようと国民が持つ預貯金のほか、田畑、山林、宅地、家屋、株式など幅広い資産に25%から最高90%の財産税(対象10万円超)を課税することを決めたのです。

 

ただ、財産税を課税するには対象となる国民の資産を詳細に把握する必要がありました。

つまり、預金封鎖には、財産税徴収の前提となる資産把握のねらいもあったのです。

 

大蔵官僚の証言記録からは財政再建のためには国民負担もやむをえないという当時の空気がうかがえます。

 

『“天下に公約し国民に訴えて発行した国債である以上は、これを踏みつぶすということはとんでもない話だ” “取るものは取るうんと国民から税金その他でしぼり取る。そうして返すものは返す”』。

 

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さらに、戦時中を思わせるようなことばもあります。

 

『「一億戦死」ということばがある。みな一ぺん戦死したと思えば、相続税を一ぺん位納めてもいいじゃないか』。

 

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東京・北区にある旧古河庭園も財産税で国に徴収された資産の1つです。

 

申告された財産税の税額は国全体でおよそ400億円に上りました。

 

預金封鎖と財産税を決めた渋沢氏は後にNHKの番組で、「国民に対してこんなに申し訳ないことはないと思う。焼き打ちを受けると思うぐらいの覚悟をした」と振り返っています。

 

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預金封鎖現代への教訓

 

預金封鎖から69年。

 

国民の負担のもといったん改善した財政は、バブル崩壊後、経済対策として繰り返された財政出動、そして高齢化の進展による社会保障費の増大で再び悪化の一途をたどっています。

 

国の借金は今年度末に1100兆円を超え、対国内総生産比232.8%にまで膨らむ見込みです。

 

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日本総合研究所調査部の河村小百合・上席主任研究員は、当時と今では状況が大きく異なるとしたうえで、「国として負った借金というのは国民の借金であり、万が一、うまくまわらなくなれば間違いなく、国民にふりかかってくる。厳しい財政状況を国全体としてきちんと受け止める必要がある」として、悪化し続ける国の財政状況に警鐘を鳴らしています。

 

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ことしは戦後70年にあたります。

 

今回の取材で私は、林さんが「戦争は絶対にするものではない」と話していたことが強く印象に残りました。

 

なぜ日本は借金を重ねてまで戦争を続けたのか?その借金のつけをなぜ国民が負わなければならなかったのか?当時を証言できる人が年々少なくなっていくなか、いち記者として歴史の事実を取材し、伝え続けていかなければならないと深く考えさせられました。

 

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「預金封鎖」と「財産税」は、今では考えがたい措置で、経済大国となった現代の日本と当時とを安易に重ね合わせるわけにはいきません。 しかし、日本の財政が今、先進国で最悪の水準まで悪化していることを考えると、歴史上の出来事だと片づけてはならない問題だともいえます。 政府は、この夏までに今後5年間の財政健全化計画を策定することにしています。 歴史の教訓を肝に銘じ、同じ過ちを2度と繰り返さないよう現実を直視することが、現代を生きる私たちの責務ではないでしょうか。

 

(転載貼り付け終わり)

 

※2分過ぎ頃から番組内容が視聴できます 
 

(終わり)