アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12




野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23



 

 古村治彦です。

 

 日本でも政治家の劣化は激しいですが、アメリカでも同じようです。その代表例がトム・コットンです。トム・コットンのアホさ加減については、記事の中でも言及されています。大変「東洋的」と言うか、罰則の親族連帯責任論を唱えているというのは、時代遅れです。そして、彼が恐らく誇りに思っている西洋文明とは全く相いれないものです。

 

 どうも世界は悲劇で満ち溢れているようです。

 

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トム・コットンの影響力(Tom Cotton’s Influence

 

エイミー・デイヴィッドソン筆

2015年3月13日

『ニューヨーカー』誌

http://www.newyorker.com/news/amy-davidson/tom-cotton-iran-letter?mbid=social_facebook

 

 テネシー州選出で共和党所属のボブ・コーカー連邦上院議員は、3月12日に『ザ・ヒル』誌の取材に対して、「今週末まで私はこのように勢いがつくとは思わなかった」と述べた。彼は、「イラン・イスラム共和国の指導者たち宛て」の書簡についての取材に対してこのように答えたのだ。この書簡には、47名の共和党所属の連邦上院議員たちが署名した。その中には、アーカンソー州選出のトム・コットン議員も含まれている。コットン議員がこの書簡を主導したのだ。この書簡は、オバマ政権が進めているイランとの核開発を巡る交渉を邪魔するために、イスラム聖職者ムッラーたちにアメリカ合衆国大統領だけが彼らにトラブルをもたらす存在ではないということを示唆する内容になっている。共和党所属の上院議員たちの中からさえも、公開書簡について少なからず懸念を持っている人たちが出ている。フォックス・ニュースのメギン・ケリーは、保守主義の立場から、コットンに対して、アヤトラであるアリ・ハメネイがどのポイントに反応すると思ってこの書簡を準備したのかと質問した。コットンは、「専門家たちは私に対してイラン国民はアメリカ憲法について理解していないと語ったのでこのような書簡の内容になった」と答えた。民主党所属の議員は誰もこの書簡に署名しなかった。コーカーは書簡に署名しなかった7名のうちの1人だ。

 

 共和党の議員で署名しなかったのは次の人々であった。スーザン・コリンズ(メイン州選出)、ラマー・アレキサンダー(テネシー州選出)、ダン・コーツ(インディアナ州選出)、リサ・マコースキー(アラスカ州選出)、ジェフ・フレイク(アリゾナ州選出)、サド・コクラン(ミシシッピー州選出)。彼らがどうして署名しなかったのかについて興味がある。「拝啓アヤトラ様」書簡は共和党所属の議員たちにとってはいたずらのような楽しい企みであったのに彼らはそれに参加しなかったのだ。コリンズ議員の答えは極めて理性的なものであった。「私はアヤトラが上院議員たちからの書簡で説得されるだろうとは考えていない」。他の人々はもっと慎重であった。「私は適切ではないと考えた」(フレイク議員)。「この問題については公の場で議論すべきではないと考えた」(コクラン議員)。恐らく、共和党の幹部たちに指導力が全くないわけではないのだ。私たちが考えるべき疑問は、どうして7名が署名しなかったのか、ではなく、失言や強烈な表現を使うことでよく知られている一年生議員コットンがどのようにして46名の同僚議員たちの署名を集めたのか、である。

 

 彼自身がよく強調するように、37歳のコットン議員は、アフガニスタンとイラクの戦争に従軍した元軍人であり、ハーヴァード大学法科大学院の卒業生である。2006年、『ニューヨーク・タイムズ』紙は、アメリカ政府が、テロリズムとの戦いの名目で、テロとは何の関係もないアメリカ国民の財産情報を集めていたと報じた。当時、陸軍大尉としてバグダッドに駐留していたコットンは、ニューヨーク・タイムズ紙に手紙を送った。その中で、「貴紙の編集者の皆さんは投獄されるべきだ」と書いた。彼は続けて、「次回、私が同じような内容の記事を読むことになって、その酷さをまた感じることになるだろう。貴紙がテロリストたちに我が国政府の行う財産調査の内容を教えなくなるまでそこのことをは続いていくことだろう」と書いた。更に彼は「私はスパイ関連法に精通している」とし、ニューヨーク・タイムズ紙の人々はそれに基づいて訴追されるべきだと書いた。ニューヨーク・タイムズ紙はコットンの手紙を紙面に掲載しなかったが、保守派のウェブサイト「パワー・ライン」が掲載した。コットンはこれによって保守派の人々の賞賛を集め、軍を除隊し、アーカンソー州で家族が経営する肉牛牧場に戻った後、連邦議員選挙に出馬するチャンスを掴んだ。

 

 2012年、トム・コットンは連邦下院議員選挙に当選した。彼が連邦下院議員として最初に行ったのは、経済制裁に関する法律の修正で、法律を破った人間だけではなく、その親族にも罰を与えるようにすべきだというものであった。その範囲として「曾孫」や「三親等以内」を挙げていた。法律の修正は失敗した。『ワシントン・ポスト』紙が指摘したように、このような内容は深刻な憲法違反であった。しかし、コットン議員は全く懲りなかった。後悔している時間などなかった。彼はこの時既に連邦上院議員選挙に出馬することを決めていた。彼は連邦上院議員を二期務めていた民主党所属の現職マーク・プライアーに対抗して出馬した。 彼はティーパーティー・エクスプレス、クラブ・フォ・グロウス、彼の無限の未来を感じる共和党の有名人たちからの支援を受けた。昨年9月、『ジ・アトランティック』誌はコットンのプロフィールを紹介する記事を掲載した。記事のタイトルは「保守派のスーパースターを作る」であった。

 

 コットンは中絶の権利とオバマケアへの反対を掲げて選挙戦を戦った。そして、彼は元軍人たちと外交政策のタカ派にアピールした。AP通信は、「彼の選挙運動バスの前面には巨大なブーツの絵が描かれ、それをアーカンソー州旗で隠していた」と報じた。昨年の春、彼はテレビ番組の「モーニング・ジョー」に出演したのだが、その時、彼が「過激」だと言われていることについて質問された。コットンはプライアーの記録に言及しながら答えた。「プライアー氏が唯一過激であったのは、5年も前にオバマケアに反対票を投じた時だけのようですね」。コットンは得票率で17ポイントの大差をつけてプライアーを破った。イランとの交渉を失敗させようとして、ここ2カ月、コットンは連邦上院で、グアンタナモ収容所からこれ以上収容者を解放させないように動いてきた。グアンタナモ収容所に収容されている収容者の半数はアメリカに対して何の脅威にもならない存在であることが既に判明している。コットンがやろうとしてきたことは、収容者たちを「地獄で朽ち果てさせる」というものだ。

 

 政界の市場機能の不調のために出現したのが、トム・コットンだと言えるだろう。軍人としての経験を売りにした若い議員たちは連邦議会にはなかなかいないが、そんな議員たちがどのようにしてチャンスを掴み、選挙に通ったのか?彼らにどんな才能があって連邦議員になれるのだろうか?昨年の連邦上院議員選挙で、コットンは、「慎重さに欠ける」という批判に応えねばならなかった。彼の思慮のなさは魅力のようになっている。他のヴェテランの共和党所属の連邦議員たちには見られない過激さ、稚拙さ、怒りが同僚たちから受けて、彼らは力を得ることが出来た。何がそこまで魅力的なのか? もしくは何が彼らをそこまで恐れさせるのか?

 

 ジョン・マケイン議員は『ポリティコ』誌の取材に次のように答えた。「公開書簡を読んだのが、私には書簡には論理的に見えたので、署名をした。それだけのことだ。私はたくさんの手紙に署名する」。確かに彼は誰も実際には読まないような手紙には何の懸念も署名できるだろうが、今回の書簡には関しては全く違うはずだ。それでも署名した。マケインは、フォックス・ニュースのグレタ・ヴァン・サステレンに対して、アメリカ連邦議会は外交に関して重要な役割を果たすことをイランは知る必要があると答えたが、同時にやや後悔の念も見せて、「この書簡は最良の方法ではなかったかもしれない」とも述べた。ルイジアナ州知事ボビー・ジンダルは、「コットンの主導した書簡に署名したい、2016年の大統領選挙の候補者たちにも署名してもらいたい」と述べた。ランド・ポール議員、マルコ・ルビオ議員、テッド・クルーズ議員は既に署名している。

 

 コットンは同僚の上院議員たちに個人的にかつ精力的にロビー活動を行った。そして、恐らく誰も彼を止めることが出来なかったのだろう。連邦上院外交委員会委員長コーカー議員は書簡に署名することは拒否した。それは、彼がイランとの交渉をより品のある方法で台無しにするための法案を可決させようとしてきたからだ。彼はポリティコ誌の取材に対して、「私はこのような書簡が必要だとは考えていない。私の目標は交渉の結果に影響を与えるために法案の可決と大統領の拒否権の行使を覆すために必要な67名の賛成を集めることだ」と答えた。彼と同じくテネシー州選出の連邦上院議員であるラマー・アレキサンダーは、『ノックスヴィル・ニュース・センティネル』紙の取材に対して、自分は同僚コーカー議員の専門性についていくと述べた。 ムコースキー議員の広報担当は、彼女がコーカー議員提出の法案の共同提出者であると強調した。サド・コクランは伝統的な恭子は保守派議員であるが、昨年の選挙ではティーパーティー運動の標的とされ、厳しい選挙戦を余儀なくされた。同時期には妻の経営する老人ホームへの不法侵入事件が起き、妻は最終的に自殺してしまうという事件まで起きた。そのことが今回の書簡に署名しなかった理由ではないかと考えられる。繰り返しになるが、書簡に署名しなかった議員たちは、署名すると決める前に理性的な会話をして、その後署名しないと決定した。そう考えると、あれほど多くの議員たちが書簡に署名したことは何の驚きでもない。現在の連邦上院で合理性と論理性を持って物事に対処することはほとんどないのだから。

 

※エイミー・デイヴィッドソン:『ニューヨーカー』誌スタッフライター。ニューヨーカー誌のコメント欄のレギュラー寄稿者であり、電子版のコラムを担当している。戦争、スポーツ、その他ありとあらゆる話題を網羅している。

 

(終わり)