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野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
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 古村治彦です。

 

 今回は中田安彦著『ネット世論が日本を滅ぼす』(ベスト新書、2015年)『』を皆様にご紹介します。本書は『ジャパン・ハンドラーズ』(日本文芸社、2005年)や『日本再占領』(成甲書房、2011年)の著者・中田安彦(別名:アルルの男・ヒロシ)氏の最新作です。約3年ぶりとなる書下ろしで、2010年代という時代に対する評論になっています。

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中田安彦氏は、アルルの男・ヒロシという別名でも知られ、SNSI・副島隆彦を囲む会の筆頭研究員です。私の大学学部の1年後輩ですが、言論上では大先輩で、頭が上がらない存在です。若手の評論家、「若者の代弁者」などと呼ばれている方々を学識、センス共に圧倒し、日本のXジェネレーション(懐かしい言葉です)を代表する言論人です。

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 著者である中田氏は、アメリカ政治学の主流となっている分析的枠組である「合理的選択論(Rational Choice Theory)」を使って、2010年代を斬っています。ネトウヨと呼ばれるインターネット上で右翼的な言説を主張する人々、韓国や中国をけなすだけを目的とする、日常生活に疲れ不平不満を募らせている人々の劣情を誘う煽情的な嫌韓本、嫌中本の出現を鋭く批判しています。「彼らは自分たちの目的を達成するための合理的な行動をとっていない」と。一方、2011年3月11日の東日本大震災とそれに続く、東京電力福島第一原発の事故とそれ以降の原発を巡る動きについて、原発廃止派の行動と言説が、これまた合理的ではない(目的を達成するためのものになっていない)と批判しています。更には、政治の世界で、民主党の政権奪取に貢献した小沢一郎代議士と小澤グループの動きについても批判しています。

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 著者の中田氏は、過激な言説に走りやすいインターネット世論、そして右派、左派の言説に対して、「中道であること」「穏健であること」を標榜しています。そして、この過激に走りやすい世論を「誰が」「どんな利益」のために動かしているのかということを常に考えること、彼一流の表現で言えば、「陰謀論的な考えをしてみる」ことを提案しています。陰謀論が、嫌韓本、嫌中本のように「愛国ポルノ」「エロ本」のようにならないように気を付けねばなりませんが、これはその通りだなと思います。

 

 ネット世論が日本を滅ぼすほどの存在なのかどうか。やはり、インターネットはまだ、「仮想」現実の世界であって、「リアルな世界」の補助的な存在でしかないと思われます。これが逆転するのかどうか、遠い将来のことは分かりませんが、私が生きているうち逆転はないと思います。その補助的なものに振り回されて、ある意味で「奴隷にされてしまう」ことは馬鹿らしいことです。著者の中田氏は自分の身の回りの生活に関心を持つことを訴えていますが、まさにその通りだと思いますし、そのスタートが選挙に行ってみることだと私は考えます。


 インターネットを利用する人は増えています。スマートフォンが普及し、電車の中でも、自転車、自動車の運転中でも、歩行中でもスマートフォンで熱心に何かを読んでおられる方々が増えました。しかし、インターネットで世の中が動いているかというとそうでもなくて、まだまだ既存のマスメディアである新聞や雑誌、テレビの力は大きいです。ネトウヨと呼ばれる人たちが出てきていますが、それでは日本の人口の多くが右傾化しているかと言うと、そんなこともありません。ネットで食べている人はどんな立場の人であれ、「ネットが世の中を動かす」という点では利害が一致するでしょうから、そんなことを言うかもしれませんが、実際はまだまだそんなことはないと思います。しかし、10年後はどうなっているのかと言われたら、だいぶ力を持っているでしょうと申し上げたいと思います。

   

 「中道」が逃げ道になっていないだろうか、ということを私は考えています。「中道」とは具体的には何を示すのでしょうか。この本の中で分析されたネトウヨと呼ばれる人々もまた、自分たちのことを「中道」だと考えていることでしょう。「他の人間や自分の考えに賛成しない人間は偏っているのだ」と思っていることでしょう。また、「自分が少数派や間違っていると思われる考えを持つことが怖い、かっこ悪い」と思う人々が安易に「中道」と言う言葉に逃げていると私は思います。「ウヨクは・・・、サヨクは・・・」と言って自分と考えが違う人間をくさそうとする人がいます。それで「じゃあ、貴方の立ち位置はどこなのですか?」となると「中道」となります。自分の考えの「位置づけ」は他人との比較と距離感の分析によってしか分かりません。そうなったときに、常に「中道」でいられる人がどれほどいるでしょう。そして、常に中道にいることが「正しい」ことであり、「負け組」ではないという「脅迫観念」「恐怖感」から「中道原理主義」に陥り、思索の幅を狭めてしまうのではないかと思います。

 

 私は他人を論破するとか、説得するとか、そういうことに興味がありません。また、そんなことは不可能だと思っています。人がそれぞれ勝手に考えを持ち、それを開陳し合って、「この人の言うことには賛成だ」とか「嫌いだ」と思い、思われるだけでいいんじゃないかと思います。そのためには、様々な考えを発表できるように環境を整えなくてはなりませんし、表現の自由は保障されねばなりません。どんな考えの人がいてもいいし、それを発表すればよいのであって、「あいつの考えは気に入らない、だから発表できなくしてやれ」ということにならなければ良いと思います。

 

 インターネットの出現によって、自分の考えを発表したり、他の人の考えを目にしたり、そういうことがとても簡単にできるようになりました。そこは動物園や展示会のようなもので、いろんな考えを見て回って、好きなものをピックアップできる空間です。自分の考えを発表する、それを好きだと思ってくれる人がいる、自分も他の人の考えで気に入ったものを見つける、それ以上のことをやる必要があるのか、大所高所の「議論」をする場所なのだろうかと私は思っています。個人個人が自分の嗜好と思考を向上させる場所であれば良いと思っています。「中道」であることは、私の考えでは、多様な考えを受け入れ、それが存在することを許容する立場であって、中道であることは実はとても難しいと思っています。

 

 中田氏の本とはだいぶ離れてしまいました。こういったことを考えてしまう、その触媒になるような一冊、『ネット世論が日本を滅ぼす』を皆様にお勧めいたします(中田氏はシャイな人で、なかなか人に本の宣伝などを頼む人ではなく、これも私が勝手に宣伝しています。本だって自腹で買いましたので、自分なりには公平に書いたつもりです)。

 

(終わり)