アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12




ダニエル・シュルマン
講談社
2015-07-29


 

 古村治彦です。

 

 今週の国会は派遣法改正を巡る大荒れでした。派遣法改正を目指す自公とそれに反対する民主、共産、社民、生活の対立が激化し、昨日は掴み合いが起きるほどになりました。委員会の審議は打ち切られ、本会議での採決を待つばかりとなりました。

 

こう言う時、野党は審議拒否や国会内でピケを張るなどの形で抵抗します。審議拒否する、採決への出席を拒否する野党に配慮せずに多数決で法案を成立させればよいではないかと考える方も多いと思います。しかし、日本の国会は「野党優位」というか、「野党尊重」がなされています。日本の国会が会期主義を採っていること(会期中に採決できなければ廃案となります)、審議時間が短いこと、更には戦前の帝国議会の与野党一致を目指した伝統などが理由として挙げられ、アメリカの政治学者マイク・モチヅキ(ジョージワシントン大学教授)は、これを「ヴィスコシティ(Viscosity、粘着性)」と呼んでいます。

 

 こうした激しい対立状況になった時、与野党が話し合いを持つ場があります。それは各党の国会対策委員会(国対)による話し合い、そして、国会内の議院運営委員会(議運)です。国対は党の役職、議運は国会の委員会です。55年体制は、「国対政治」と呼ばれたように、激しい対立が起きた際、妥協や取引を行う話し合いが国対で行われました。この国対で活躍したのが、自民党では金丸信であり、社会党では田辺誠でした。

 

 派遣法改正に関して、自民党と取引を行ったのが維新の党です。松野頼久代表、柿沢未途幹事長の下、民主、生活両党と共同提出した同一労働同一賃金法案を独自に自公と修正し、審議と採決に応じる姿勢に転換しました。法案の一部修正を勝ち取ったことで目的を達したということで、今度は派遣法改正に反対する民主党を攻撃するようになりました。

 

 ここまでの動きを見ていると、思い出すのは1980年代の国会です。自民党と野党が重要法案で対立する場合、社会党が妥協できるものであれば、対立は激しくなりませんが、社会党がどうしても妥協できない、取引できない場合、「中道政党」と呼ばれた公明党や民社党が出てきます。自民党と公民が妥協して、野党が審議に応じる、採決に応じるという形を整えることになりました。そして、公民には相応の「御礼」が出されました。

 

 現在の状況を見てみると、維新の党が果たしている役割は1980年代の民社党と同じものです。民社党は1960年に社会党右派と呼ばれる人々が社会党を離脱して結成した政党です。その源流は、1930年代に広義国防論に賛成し、ファッショ化した社会大衆党です。同じくファシストの岸信介が巣鴨プリズンから出獄し、政治活動を再開する際に、まず社会党に入党申請して断られたという逸話があります(同時期に後に岸派を継承する福田赳夫は大蔵官僚でしたが、その才幹を見込まれて社会党から入党要請を受けましたが、経済政策が根本的に違うと拒絶しました)。私は、この話を不思議に思っていましたが、戦前のファシスト同士ということであれば、納得がいく話です。民社党は核武装論まで主張する、自民党よりも右の「中道」政党でした。民社党はその後姿を消したのですが、その悪影響は現在でも残されています。民主党内の民社協会について調べていただければその害悪は分かっていただけると思います。

 

 維新の党は1980年代の民社党と同じだという歴史上のアナロジーを私は主張したいと思います。さて、維新の党の内部について見てみると、私は、大阪ウイングと東京ウイングに分かれ、東京ウイングの中には小沢一郎の影響を受けた政治家たちの一団がある(旧民主・旧生活からの加入戦術)と考えます。それぞれが分裂しているように見えます。この3つのグループ、大阪ウイング、東京ウイング小沢系、東京ウイング非小沢系のうち、大阪ウイングは自民党、特に菅義偉官房長官との関係が取り沙汰されています。維新の党が果たして野党なのか、与党(寄り)なのかはっきりしませんから(野党[やとう]でも与党[よとう]でもなく、「ゆ」党だと揶揄されています)、維新の党が自民党の別動隊である、という主張は説得力を持ちます。私はどうも、東京ウイング非小沢系が、経験不足と思慮の足りなさから自民党系に取り込まれつつあるのではないかと考えています。柿沢未途幹事長の一連の発言を見ていると、老練な政治家たちに利用されて使い捨てされる、元気の良い若者という感じがします。松野代表とすれば、柿沢氏やその他の若手が目立つことで、そちらに批判が集中したところで、党運営と国会運営が拙かったとして柿沢氏を処分すればよいだけのことです。人身御供、スケープゴートといったところでしょう。

 

 江田憲司、松野頼久、細野豪志といった人々が一緒になって野党再編(野党再建)が進められるのではないかという雰囲気がありました。そのために民主党と維新の党の協力が進められるのではないかと言われていました。しかし、今回のことで、野党再編どころか、野党協力まで難しい状況になりました。野党側が多党分立している状況では巨大な与党である自公に対抗することはできません。逆に言えば、分立状況が続くことを与党である自公は望んでいる訳です。

 

 こうした野党壊滅状況の中で、戦前を思わせるような締め付けと戦争に向かう方向へ日本は進んでいます。そうした中で、「粘着性」を発揮できるブレーキとなるべき野党が再建されねばなりません。しかし、その野党再建までの道のりは大変厳しいです。

 

(新聞記事転載貼り付けはじめ)

 

●「維新・松野代表:「同一労働同一賃金法案」修正で陳謝」

 

毎日新聞 20150611日 1942分(最終更新 0612日 0632分)

http://mainichi.jp/select/news/20150612k0000m010047000c.html

 

 維新の党の松野頼久代表は11日の記者会見で、民主、生活両党と共同提出した「同一労働同一賃金法案」を独自に自民、公明両党と修正した経緯について、「申し訳なかった。民主、生活に丁寧に説明し同意を得た方が良かった」と述べ、手順に配慮が欠けていたとの考えを示した。柿沢未途幹事長が民主などに謝罪する。

 

 維新は労働者派遣法改正案の採決に応じる(賛否は反対)見返りに、同一賃金法案の修正案を新たに与党と共同提出する。11日の民主、共産、生活、社民の野党4党の国対委員長会談では、生活が「維新から与党との修正協議も含めまったく聞かされておらず、不誠実だ」と批判したほか、民主や共産からも維新の対応への疑問が出た。

 

 11日の維新の代議士会では若手議員から執行部の対応に批判が出た。初鹿明博氏は「国民からは維新が(反対している)派遣法成立をアシストしているようにしか見えない」と指摘。太田和美氏も「有権者に何をやっているんだ、ひきょうだと言われた」と不満を述べた。【福岡静哉】

 

 

●「<派遣法改正案>目立つ「自公維」路線 「民共」と対立激化」

毎日新聞 612()2153分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150612-00000133-mai-pol

 

 衆院厚生労働委員会は12日、労働者派遣法改正案を巡って自民、公明、維新3党と民主、共産両党が激しく対立した。民主、共産は同委だけでなく、平和安全法制特別委員会などほかの4委員会も欠席。一方、維新は各委員会で審議に応じ、24日の会期末に向けて荒れる国会は、与野党を超えた「自・公・維」路線が目立ち始めている。

 

 維新の足立康史氏は厚労委で「年金問題から逃げたのは民主だ。日程闘争そのもので、反対のための反対だ」と民主の欠席を厳しく批判した。これを受けて安倍晋三首相は「しっかり国民の前で質問を受け、真摯(しんし)に答えたい」と答弁。派遣法改正案の採決に応じる方針を決めた維新と息を合わせた。

 

 渡辺博道委員長(自民)はこの日、同法案の審議終結を宣言した。しかし、与党は安全保障関連法案の審議への影響を避けるため野党との妥協を模索。17、19両日に補充質疑を行い、19日に衆院を通過させる案が浮上している。与野党は15日に国対委員長会談を開き、正常化を図る。

 

 通常は審議拒否戦術をとらない共産党が委員会を欠席するのは異例。穀田恵二国対委員長は「野党第1党の民主が欠席したまま審議すべきではない」と民主に同調する姿勢を示した。民主党の岡田克也代表は、同一労働同一賃金法案の修正協議を通じて与党に接近した維新に対し、「何の断りもなく与党と修正協議するのは私の常識の範囲外だ」と不快感をあらわにした。

 

 一方、維新の党内では「民主の補完勢力とみられるぐらいなら、与党の補完勢力の方がまし」(大阪系議員)という声が広がっている。馬場伸幸国対委員長は「あくまで委員会、本会議に出てきちんと議論するのが国会議員の正しい姿」と民主、共産両党をけん制した。【阿部亮介、佐藤慶】

 

(新聞記事転載貼り付け終わり)

 

(終わり)