古村治彦です。
今回は、ヒラリーを支える側近の美女フーマ・アベディンに関する記事をご紹介します。アベディンは、1976年生まれで、父親はインド、母親はパキスタンからの移民でした。両親ともに博士号を取得した教育者です。彼女が2歳の時に良心の仕事の関係で、サウジアラビアのジェッダに移り住み、18歳までそこで育ちました。ですから、英語、ウルドゥー語、アラビア語を話すことが出来ます。ワシントンにあるジョージ・ワシントン大学入学のためにアメリカに戻りましたが、母親はまだジェッダの大学で社会学を教えています。1996年にホワイトハウスンのインターンとなり、ファーストレイディー、ヒラリーの下に配属されました。それ以降、ヒラリーの側を離れずに仕え続けています。
フーマ・アベディン
2010年に当時連邦下院議員であったアンソニー・ウェイナーと結婚し、男児が誕生しました。このウェイナーは、2011年にツイッターで誤って、自分の性器の写真を複数の人たちに送ってしまうという事件を起こしてしまいました。これは、妻であるフーマに送るつもりが間違ってツイッターで複数の人たちに送ることになってしまい、大きなスキャンダルとなりました。ウェイナーは2013年にニューヨーク市長選挙の民主党予備選に出馬しましたが、このスキャンダルも影響して惨敗してしまいました。
フーマ・アベディンは常にヒラリーと一緒にいることから、「2人は同性愛の関係にあるのではないか」と噂されてきました。その噂はウェイナーとの結婚で鎮静化しましたが、それでもまだくすぶっているようです。ヒラリーに20年間仕え続けた女性フーマ・アベディンはヒラリーが大統領になった場合、重要スタッフ(首席補佐官[この人物を通さねば誰も大統領に会えない、側用人的役割]、次席補佐官あたり)となるでしょう。
今からこの美人をよく覚えておきたいものです。
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ヒラリーの影(Hillary's shadow)
―前国務長官の忠実なアシスタントとしての日々を数年過ごしたのち、フーマ・アベディン(Huma
Abedin、1976年―)はヒラリーの選挙ティームの中核として頭角を現しつつある
アニー・カーニ筆
2015年7月2日
『ポリティコ』誌
http://www.politico.com/story/2015/07/hillary-clinton-2016-campaign-huma-abedin-119671.html
ヒラリー・クリントン(Hillary Clinton、1947年―)は5月のある日、ニューハンプシャー州にあるスマッティ醸造所の倉庫で行われた選挙運動イヴェントを終えた。群衆は彼女に近づき、一緒に写真を撮ったり、握手したりしていた。
クラシックなトィードのネイヴィーシフト・ドレスに身を包んだクリントンから数メートル離れたところで、フーマ・アベディン(Huma Abedin、1976年―、39歳)が彼女のボスであるヒラリーを追いかけます群衆の中にいた。アベディンは現在のスタッフの中でヒラリーに最も長く仕えている人物だ。彼女は知り合いと楽しげにお喋りをしていた。しかし、公園で子供が遊んでいる姿を見守る母親のように、アベディンはヒラリーが視線から消えないように警戒しながら追い続け、いつでも動けるように身構えていた。
アベディンは19歳の時にファースト・レディー・オフィスでインターンを始めた。それから常に政治の世界にいたヒラリーの身近に仕えた「ボディ・ウーマン」(政界用語で政治家の個人アシスタント)であった。アベディンにヒラリーの世話をする仕事が回ってくるのは自然なことであったし、アベディンがヒラリーの周囲数メートルにいつもいることは、ヒラリーにとっては当たり前のことになっている。
政界関係者や評論家たちの中には、ここ数年色々な出来事があったにもかかわらず、アベディンが今でもヒラリーの側近にいることに驚きを隠さない人々がいる。2013年、アベディンは、ヒラリーの許から少しの間離れて、別の役割を果たした。アベディンは夫の選挙運動を支える妻、夫と一緒に演説したり、人々と触れ合したりする妻の役割を果たした。彼女の夫は元アメリカ連邦下院議員アンソニー・ウェイナー(Anthony Weiner、1964年―)で、2013年にニューヨーク市長選挙に立候補した。アベディンは夫の出馬表明にヴィデオメッセージの形で登場し、ニューヨークでの選挙運動に参加した。しかし、選挙期間中にウェイナーはセクスティング(携帯電話やパソコンで自分の性的な写真を送ること)をしていたことを暴露され逆上してしまった。アベディンは夫の選挙運動から離れて、ヒラリーの元に戻り、ヒラリーの選挙運動に戻った。アベディンは再び厳しい戦いとなることが確実な大統領選挙に参加することになったのだ。
選挙運動について回るのは年の若いスタッフであるのが普通だ。しかし、アベディンはボディーガードと一緒に彼女に周囲におり、ヒラリーがアイオワまで飛行機で行くときにブリトーボウルを買ってきて欲しいと頼んだのはアベディンに対してであった。ヒラリーが4月にボストンからワシントンまで飛行機のファーストクラスで飛んだ時、隣の席にはアベディンがいた。これは目撃者の話であるが、昨年の夏、ヒラリーの回顧録『ハード・チョイス(厳しい選択)』の宣伝のために、ヒラリーが『グラマー』誌のグラビアの写真撮影を行った時、アベディンはスタジオの中にいた。アベディンはスタジオのソファーが柔らかすぎてヒラリーが沈みこんでしまわないかをチェックしたり、撮影の衣装を選んだりしていた。
アベディンは早くから選挙運動や本の宣伝で陣頭指揮を取ってきたが、彼女は早い段階から今のような大きな役割を果たしてきたわけではない。ある人物によると、アベディンはヒラリーについて行くだけの地位から選挙運動の実務全般を監督する地位、そしてヒラリーの代理をする仕事までするようになっている、ということだ。
アベディンがヒラリーの旅行について行く場合、彼女には様々な仕事が待っている。ヒラリーは、先週行われたクレメンタ・ピンクニー(黒人教会銃乱射事件の被害者)の葬儀に参列するためにサウスカロライナ州に向かった。この時、アベディンはヒラリーの代わりにサウルカロライナ州議会の議員2人と会談した。
ヒラリーがニューヨーク市長ビル・デブラシオ(Bill de Blasio、1961年―)に会うために向かっている時に渋滞に巻き込まれたことがあった。この時の会談の後、デブラシオはヒラリーに対する支持を表明することを拒否した。アベディンはヒラリーが到着するまでの45分間、デブラシオと一対一で話をし続けた。
無駄口を叩かない忠実なアシスタントからクリントン陣営の中心人物へとアベディンの役割が大きく変化した。クリントン陣営のある人物は次のように語っている。「あらゆる点から考えてみて、アベディンはクリントンの選挙運動ティームのナンバー3です。彼女より上には、選挙運動委員長のジョン・ポデスタ(John Podesta、1949年―)と選挙運動責任者のロビー・ムック(Robby Mook、1979年―)がいるだけです。」
アベディンは、影響力の点でヒラリーの長年の側近シェリル・ミルズ、マギー・ウィリアムズ、フィリップ・レインズと肩を並べるようになった。しかし、これらの人々は現在の選挙運動では何も仕事をしていない。アベディンはヒラリーの古くからの側近の最古参として選挙運動に参加し、ヒラリーが常に求めている役割を果たしている。それは、強くて、信頼できる女性のアドヴァイザーだ。
国務省時代にヒラリーとアベディンと共に最高幹部として働いたある人物は、2人が20年のうちの殆どの期間にわたり離れることなく過ごしてきたことからくる、強いつながりが存在することを認めている。
ヨーロッパ・ユーラシア問題担当国務次官補を務めたフィル・ゴードン(Phil
Gordon、1962年―)は、「長い時間、遠い外国に行くなど一緒に過ごすと、家族になるんですよ」と語った。ゴードンは国務省でアベディンと一緒に働いた。ゴードンは続けて次のように述べた。「ヒラリー・クリントンは彼女の成長を20年にわたって見守って来たんですから。2人はそれぞれの家族よりも長い時間を一緒に過ごしてきたのですよ」。
アベディンは2016年の大統領選挙において、クリントン陣営内で頭角を現し、重責を担うことになる。それによって、ヒラリー側近としての力の源泉となった、ヒラリーの代役を務めるという役割の一部を放棄しなくてはならなくなる。
火曜日の夜に米国務省が数千通にも及ぶヒラリーのEメールを公表した。その中で、アベディンがヒラリーの生活を24時間にわたって整理・調整する役割を果たしていたことが明らかになった。元国連大使の故リチャード・ホルブルック(Richard Holbrooke、1941―2010年)、元副大統領アル・ゴア(Al Gore、1948年―)、連邦上院議員チャック・シューマー(Chuck Schumer、1950年―)、そして元大統領ビル・クリントン(Bill Clinton、1946年―)がヒラリーと連絡を取る際にまずアベディンに電話をしていたことが分かったのだ。アベディンはヒラリーの美容室と病院の予約をしていた。服薬ガイドがどこにあるかも知っていた。毎日仕事に関わる概要書を届けていた。彼女は家にいても仕事場にいてもいつでもヒラリーとコンタクトを保っていた。
あるEメールでは、ヒラリーはアベディンに対して「ベッドルームのドアが閉まっていたらノックするようにしてちょうだい」と書いていた。ヒラリーは仕事中でも家からでもEメールをアベディンに送っていた。その中にはすぐにジョークの種になったものもあった。アベディンはファックスの使い方が分からずに苛立つヒラリーに対して使い方を教えるEメールを送っていた。アベディンは「受話器を取ります。そして電話番号を押します。そしてそのままにしておきます」と書いて送っていた。
情報通によると、アベディンは通常、政策検討会議において聞き役に徹するということだ。それでもEメールが示しているように、アベディンは私的に外交政策について意見を述べることもあった。2009年にヨルダンのアブドラ国王がフセイン王子を王太子に決定した後、アベディンはヒラリーに次のような内容のEメールを送った。「個人的には、今回の王太子の指名によってフセイン王子の地位は安泰になりました。父親アブドラ国王に忠誠を誓う人々からの反対に心配する必要がなくなりましたから」。
アベディンが送ったEメールなどよりも重要なことは、アベディンがヒラリーの考えと同じ考えをすることが出来るという点だ。
アル・ゴアのアドヴァイザーを務め、アベディンとは長年の友人関係にあるマイケル・フェルドマン(Michael Feldman、1968年―)は、次のように語っている。「今回、フーマの果たす役割はとても重要です。ですから彼女は選挙運動に深く関わっているんです。アベディンは他の誰も真似できないことですが、ヒラリーと同じ判断を下し、考えをし、ほぼ同じ記憶を持っているのです。自分の外見ではなく、内面の代わりをしてくれる人がいれば、だいぶ時間の節約になるでしょう。これが2人を固く結びつけている接着剤みたいなものなのです」。
アベディンは周囲の人たちに、ヒラリーは連邦上院議員から、大統領選挙候補者、国務長官、私人に戻る、そして再び大統領選挙候補者になるというキャリアを経ているが、彼女が新しいステージに行く度に、ヒラリーから離れて政治以外の場所に機会を求めようと考えたことがあると発言したことがあるそうだ。彼女の選択はいつも自分に合った仕事があるかどうかが基準となった。アベディンは息子を育てながら、それと同じくらいの力を注ぎたいと思える政治家はヒラリー以外にいないと考えている。ヒラリーに対する忠誠心によってアベディンの役割と責任は重要になっていき、その結果として選挙運動ティームに参加することになった。
ヒラリーの下で国務副長官を務め、現在もアドヴァイザーとして彼女の信頼を受けているトム・ナイデス(Tom Nides、)は次のように語っている。「フーマはお金や地位など欲しくないんですよ。彼女は有能ですから何でもできたでしょうし、お金を稼ぐこともできたでしょう。ヒラリーの許からとっくの昔に離れていてもおかしくはないんです。それでも彼女はそうしなかった。彼女は心の底からヒラリー・クリントンを信頼しているのです」。
2016年の米大統領選挙に向けた選挙運動ティーム作りの中で、アベディンの影響力は大きくなっていった。選挙運動ティーム作りの1年半の間、アベディンは、ヒラリーが面接をする前に、幹部となる人々全てと面談し、ヒラリーと会わせる人を選抜した。アベディンは選挙運動責任者の面接も担当し、数名の候補者の面接も行った。その中には、ムックも含まれていた。
ナイデスは、「選挙運動が始まる前に彼女と会わなかった選挙運動の幹部は1人もいません」と述べた。アベディンは、これまでの1年、ヒラリーに通じる唯一の公式なチャンネルだった。また、ヒラリーの古くからの支援者たちにとって、情報を得たり、ヒラリーと面会したりする際にまず電話をかける相手がアベディンになった。昨年4月、ポデスタとムックが正式に選挙運動ティームに参加するとなった時、2人はアベディンに選挙運動ティームの「副委員長」に正式になるべきだと提案した。
ポデスタは次のように語っている。「フーマが若いインターンだった時、私はホワイトハウスにいました。そんな彼女が今やティームの重責を担うようになっているんですからね。彼女は多彩な才能を持ち、頭脳明晰です。彼女は謙虚でありながら、戦略眼を持っていて、彼女以上の同僚は望めないでしょう」。
選挙運動のある実務担当者は、アベディンの新しい役割として、資金集めイヴェントの主役となり、寄付をしてくれる人々の前で話をすることになるだろうと述べている。
ニューヨークのブルックリンにある選挙事務所で、アベディンは角にあるオフィスの1つを与えられている。そこからラハイーストリヴァーとブルックリン橋が見渡せる。約30名の選挙運動スタッフが彼女に直接報告にやって来る。彼女が担当しているのは、ヒラリーに提出するブリーフ書類作成、スケジュール管理、宣伝、通信、旅行とイヴェント参加管理の各ティームである。アベディンはミッドタウンにある2つ目の選挙事務所でも仕事をしているが、そこにも個人オフィスを与えられている。
アベディンは最新の機械が苦手だということは知られている。彼女は毎朝、新聞記事の切り抜きで最新ニュースをチェックしている。アベディンはツイッターを始めるタイミングを見計らっている。彼女はツイッターで自身の生活や政治以外の趣味などについて人々に見せることになる。彼女はスパイスの効いた民族料理をこよなく愛しているが、そうしたことを多くの人々に知らせることになるだろう。
フーマとヘバ・アベディン
現在のところ、アベディンはSNSには彼女の妹ヘバを通じて登場している。ヘバは「ヒルスターターズ」と呼ばれるヒラリーの政治資金集めを行う人たちの1人であり、ヒラリーの資金集めイヴェントのちょっとした内部での写真をSNSによく掲載している。先週、ヘバ・アベディンは、プラザ・ホテルで行われた歌手レイディー・ガガがヒラリーのための資金集めイヴェントに参加し、舞台裏で撮影した姉フーマとの写真を掲載した。フーマには表に出ていうる時間はそんなにない。朝8時から夜10時半まで電話はひっきりなしにかかってくるし、3歳になる息子との時間も作らねばならない。選挙運動の広報担当者によると、火曜日、この日はアベディンにとって特に忙しい日ではなかったが、13件の電話に出て、同日に開催された4件のクリントン陣営政治資金集めイヴェントのうちの2つに出席した、ということだ。
これは2008年の時に比べてアベディンがより重要な仕事を任されていることを示している。2008年、アベディンは旅行担当の責任者であった。長年にわたりヒラリーのスタッフを務めているマンディ・グランワルドは当時のアベディンの役割は、ドラマ『マッシュ』に出てくる鋭い洞察力を持つキャラクターであるレイダーのようなものだと述べた。2008年当時のアベディンの役割についてグランワルドは『ヴォーグ』誌とのインタヴューで次のように語っている。「エアコンで室内が冷えすぎている時、フーマはそこにショールを持って待っているんですよ」。
アベディンは『ポリティコ』誌の取材に対して、今回の大統領選挙に関して、これまでは違う動機で臨もうとしていると答えた。
アベディンは次のように語っている。「2008年の大統領選挙は私にとって初めての大統領選挙の選挙運動となりました。私は毎日興奮の真っただ中にいました。ヒラリー・クリントンのために働いてきた時間を通じて、私は世界を見てきたし、人生を賭けるに足るだけの貴重な経験をすることが出来ました。ですから、今回の選挙でどうしてヒラリーのためにまた働くのかと聞かれるんですけど、それは私が彼女に勝って欲しいと真剣に思っているからです」。アベディンは続けて、「私の息子がこれから成長していくこの国の大統領に最もふさわしい人物」がヒラリーだと固く信じているし、彼女はお手本だとも述べている。
ヒラリーの国務長官時代、アベディンとヒラリーの関係が余りにも緊密なので、ア連邦議会はアベディンが特別な扱いを受けているのではないかとして調査を行っている。アベディンは国務長官ヒラリー・クリントンの首席アドヴァイザーを務めていたが、同時に外部の顧客たちのコンサルタントとして活動することも認められていた。顧客には、ビル・クリントンの補佐官を務めたダグ・バンド(Doug Band、1972年―)が設立した会社テネオとクリントン財団が含まれていたアベディンの顧客と彼等かの報酬は、アベディンの税務申告書類には記載されていなかった。
チャック・グラスリー(Chuck Grassley、1933年―)連邦上院議員は、アベディンが国務省に在職中に、彼女とその他の人々がテネオと連絡を取り合っていたかを示す証拠が国務省から提出されるのを待っている段階である。グラスリー議員の広報担当者は「議員は、国務省に対して、アベディンの私的なEメールの公表を繰り返し求めている」と語った。
ヒラリーにとって、アベディンが側近の中にいることは、ホワイトハウスを狙う最終的な戦いにとって必要不可欠なことであり、2人の間にある信頼関係がその基になっている。前述のゴードンは国務長官と大統領選挙候補者の生活について次のように語っている。「一晩中飛行機に乗って旅をし、小さい部屋に入れられてあらゆることをこなすことを求められ、肉体的にも精神的にもボロボロになってしまうんですよ。そういう時、秘密を守ってくれる信頼感が欲しくなるんです。そういう時、フーマのような存在の人が絶対に必要なんですよ」。
(終わり)
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