ダニエル・シュルマン
講談社
2015-10-28



アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12



 

 古村治彦です。

 

 私は一昨日、国会議事堂前で開かれた安保法制反対デモに参加してきました。私がSNSでそのことを書くと、いつもは何か反応をしてくれる人たちもしてくれませんでした。「デモに行くなんてあいつは反体制だったのか」「古村はちょっと“アカ”がかっていたがやっぱりそうか(親が日教組だからしょうがないか)」という無言の反応のようでした。

 

 国会前のデモについて私が見て感じたことは、ウェブサイト「副島隆彦の学問道場」の「今日のぼやき」コーナー(http://www.snsi.jp/tops/kouhou)に、「「1555」 昨日、2015年9月14日に国会議事堂前で行われた安保法制反対抗議デモに行ってきました 古村治彦(ふるむらはるひこ)筆2015年9月15日」というタイトルで書きましたので、お読みいただければ幸いです。

 

※記事へは、こちらからもどうぞ

 

 以下にデモについて報じた新聞記事を貼り付けます。

 

(新聞記事転載貼り付けはじめ)

 

●「<安保法案>国会周辺で抗議集会 大江健三郎さんも訴え」

 

毎日新聞 914()2041分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150914-00000077-mai-soci

 

 参院で審議中の安全保障関連法案に反対する市民らの大規模な抗議集会が14日夜、東京・永田町の国会議事堂周辺であった。審議が山場を迎えていることもあり、実行委員会のメンバーが「私たちの光で国会を包囲しましょう」と呼びかけると、参加者は色とりどりのペンライトを振りながら、「安倍政権退陣」「戦争法案廃案」と声を張り上げた。

 

 市民団体「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の主催。マイクを握ったノーベル賞作家の大江健三郎さんは「(法案が可決されると)70年間の平和憲法の下の日本がなくなってしまう。しかし今、力強い集まりをみなさんが続けており、それがあすも続く。憲法の精神に立ち戻る、それしかない」、評論家の佐高信さんも「(安倍晋三首相らは)戦争にまっしぐらに向かおうとしており、断固としてやめさせなければ」などと訴えた。【樋岡徹也】

 

(新聞記事転載貼り付け終わり)

 

 私は最近、戦中に外務大臣を務め、ミズーリ号甲板上における降伏文書調印で全権を務め、戦後は改進党総裁となった重光葵(1887~1957年)が1952年に書いた『昭和の動乱』(上下・中公文庫、2001年)を読んでいます。

 

この『昭和の動乱<>』を読んでいて、重光が戦前の反省を次のように書いているところに目が留まりました。以下に引用します。

 

 「憲法のごとき国家の基本法が、フィクションの上に眠り、もしくは死文化された場合には国家は危うくなる。如何に理想を取り入れた立派な憲法でも、その国上下の構成員即ち国民が、これを日常に生活の上に活用して、身を以てこれを護るというのでなければ、憲法はいつの間にか眠ってしまう。昭和の動乱は、憲法の死文化にその原因があることは、日本の将来に対する大なる警告である。由来、国家の意思の存在する場所が不明瞭になったり、または国家意思が分裂することは、それが余り強く一ヶ所に集中せられる場合と同様、国家にとって頗る危険である。国運の傾くのは古来かような場合が多い」(『昭和の動乱<>』46-47ページ)

 

 重光は戦前のこうした動きを天皇機関説の排撃から始まったと書いています。天皇機関説排撃と天皇主権説の台頭、国体明徴(日本は天皇主権政治体制であることを改めて明らかにすること)運動は、現在の安保法制とよく似ています。

 

 これまで体制側が認めてきた憲法の解釈を大きく捻じ曲げるという点で、天皇機関説排撃と安保法制はよく似ています。天皇機関説排撃では、東京帝国大学の憲法学者で貴族院議員でもあった美濃部達吉が攻撃に晒されました。美濃部は貴族院議員を辞職し、彼の書いた本は発禁処分となりました。それまで、当時の国家公務員状況試験である高等文官試験では美濃部の本が必読の教科書となり、それまでの官僚たちは天皇機関説を勉強していたし、体制側もそれを当然としていた訳です。そして、美濃部は貴族院議員にもなったのに、急激に「反体制」ということにされてしまったのです。それには同じ貴族院議員であった退役陸軍中将の菊池武雄からの激しい攻撃や菊池と同郷・熊本の出身で天皇機関説排撃を進めた、学者の蓑田胸喜の存在がありました。

 

 安保法制で言うならば、それまでもそしてこれからも個別的自衛権や領土領海内での警察行動は認められてきましたが、集団的自衛権は否定されてきました。安倍晋三政権は、これを強引な根拠(砂川判決と国連憲章第51条)で認めるという暴挙に出た訳です。現在の美濃部達吉の立場に立つのが、慶応大学名誉教授の小林節氏です。小林氏は自民党もお気に入りの憲法学者で、改憲を主張するということでリベラル派からは批判されてきました。しかし、今回の安保法制を見て、「このような姑息な解釈改憲は許されない」という主張をするようになり、自民党側からは嫌われるようになりました。小林氏は考えを変えていないのに、体制側から「反体制」と呼ばれるようになったという点で、美濃部達吉と歴史における立ち位置は同じです。

 

 こうした体制側の「急激な変化」を吉田茂は、「昭和10年代の日本は“変調”の時期にあった」と書きましたが、この言を借りるならば、「平成20年代の日本は“変調”の時期にある」と言えるでしょう。この2つの変調は、それぞれ「憲法の安定した解釈」を体制側が強引に逸脱して暴走することが原因となるという点で共通しています。

 

 重光は、「憲法の死文化」と表現しています。今まさに日本国憲法が「死文化」されようとしています。「身を以て憲法を護る」ことがなければ、昭和の動乱の例からも明らかなように、また私たちの生活や生命を脅かすような事態が起きることになるでしょう。私は月曜日に人生で初めて自発的にデモに参加してきました。そして、その中の1人として、「身を以て憲法を護る」ことに少し参加できたことに誇りと喜びを感じています。

 

(終わり)









野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23