古村治彦です。
2015年も大晦日になりました。本年は9月末に突発性難聴を患い、現在も人の声は判別できない状態が続いております。改めて、健康が大切だと実感させられました。来年は健康に気を付けつつ、仕事を頑張ってまいりたいと存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。
今回は、私が翻訳しました『アメリカの真の支配者コーク一族』(ダニエル・シュルマン著、古村治彦訳、講談社、2015年12月)に関連して、この本のテーマである、コーク家という現代アメリカを代表する大富豪でしかも現実政治に影響を与えている一族の物語を皆様にご紹介したいと思います。皆様には是非本を買って読んでいただきたいと思いますが、大部になり、細かい点に言及しているところもありますので、この論稿を読んでいただいて、大づかみなところを知っていただいて、お読みいただければ、より理解しやすく、楽しんで読んでいただけるものと思います。
日本ではまだあまり知られていませんが、コーク兄弟のお金がアメリカ政界に大きな影響を与えています。昨年の話になりますが、当時連邦上院で過半数を占めていた民主党のハリー・リード(Harry Reid、1939年―、75歳)院内総務(ネヴァダ州選出)は、「共和党の政治家たちはコーク中毒の状態にある」と発言しました(2014年3月4日付『ワシントン・ポスト』紙、“Harry Reid: ‘Republicans are addicted to Koch’”)。コーク兄弟は共和党の大口献金者であり、彼らから政治資金の寄付を受ければ、その意向を無視することはできません。そのことをリードは告発した訳です。コーク家が「現代版のロックフェラー家」と呼ばれている理由はここに集約していると思います。
※ワシントン・ポスト紙の記事のアドレスは以下の通りです。→
http://www.washingtonpost.com/blogs/post-politics/wp/2014/03/04/harry-reid-republicans-are-addicted-to-koch/
「コーク(Koch)」という発音は、清涼飲料水の「コーク(Coke)」と同じですが、この「コーク」は麻薬「コカイン」の俗称でもあります。現職の連邦議員が1つの言葉にいくつもの意味をかけて、コーク兄弟の資金にアメリカ政界が「汚染されている」と訴えたことの意味は重大です。加えて、このエピソードは、コーク兄弟のアメリカ政界における存在感の大きさを示しています。「ロックフェラー家やケネディ家と同様、コーク家は現代のアメリカにおいて最も影響力を持つ“王朝”だ」と言われています。しかし、日本ではこのコーク兄弟についてあまり知られていません。
コーク兄弟のお気に入りは、ニュージャージ州知事のクリス・クリスティ(Chris Christie、1962年―)とウィスコンシン知事のスコット・ウォーカー(Scott Walker、1967年―)です。コーク兄弟は自分たちが主催する集まりに2人を招待し、彼らのために資金集めの場を提供してきました。この集まりのことは「コーク・プライマリー(Koch Primary)」と呼ばれています。この会合に呼ばれると、参加者たちから多額の寄付が期待できます。今年の2月に行われたコーク・プライマリーには、マルコ・ルビオ、テッド・クルーズ、ランド・ポールが招待されたということです。2012年の米大統領選挙では、コーク兄弟は、「現職のオバマ大統領に勝利できる唯一の候補者」としてクリス・クリスティを応援していました。
クリスティとウォーカーに共通しているのは、州知事として強力な州公務員組合と対決し、保守派の喝采を浴びたことです。2016年のアメリカ大統領選挙については、「今日のぼやき」の別稿に書きましたので、そちらをお読みいただきたいと思います。現在、共和党の大統領候補として有力視されているのが、元のフロリダ州知事で父と兄が米大統領を務めたジェブ・ブッシュ(Jeb Bush、1953年―)、スコット・ウォーカー(2016年大統領選挙からの撤退を表明)、クリス・クリスティ、それぞれ連邦上院議員のマルコ・ルビオ(Marco Rubio、1971年―)、テッド・クルーズ(Ted
Cruz、1970年―)、ランド・ポール(Rand Paul、1963年―)です。彼らのうち、ジェブ・ブッシュを除いた全員が、コーク兄弟の「世話」になっているということになります。ここからも、コーク兄弟のアメリカ政界、特に共和党に対する影響力の大きさが分かります。
それでは、コーク兄弟について簡単に説明します。彼らは、非上場の大企業「コーク・インダストリーズ」を経営しています。石油、化学、日用品の総合企業コーク・インダストリーズの企業規模は、非上場企業では全米第2位(第1位は農薬・肥料メーカーのカーギル社)です。2013年の売り上げがグループ全体で1150億ドル(約13兆8000億円)、従業員数は約10万人を誇ります。コーク・インダストリーズは、兄弟の父フレッドが始めた石油精製事業と牧場経営からスタートし、そこから規模を急速に拡大してきました。それを主導したのが二代目で次男のチャールズ、三男のデイヴィッドです。
コーク・インダストリーズという名前は、アメリカでも一般的にはあまり知られていません。それでも、ジョージア=パシフィック社という老舗名門の製紙会社を所有しており、アメリカ人にとっては身近なブランドであるンジェルソフト・トイレットペーパーやディクシー紙コップを作っています。こうした複合大企業コーク・インダストリーズの株式の過半数を握っているのが、チャールズ・コークとデイヴィッド・コークでそれぞれが42%ずつ株式を保有し、それ以外も親族が株式を保有しています。コーク・インダストリーズは、株式を市場公開していない非上場企業(private company)ですので、株主に遠慮することなく、兄弟の思うままの経営ができるのです。
コーク・インダストリーズは、コーク兄弟の父フレッド・コーク(Fred Koch、1900―1967年)によって、カンザス州ウィチタで設立されました。父フレッドは、オランダ系移民の子孫としてテキサス生まれで、マサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology、MIT)で石油化学を学んだエンジニアでした。フレッド・コークは、石油の熱分解技術を開発し、それを売り込むことで彼の会社は成長していきました。しかし、「出る杭は打たれる」で、既存のロックフェラー系の石油会社から嫌われ、狙われることになりました。フレッドは、熱分解技術をめぐり、裁判を起こされ、厳しい時期もありました。この時期、フレッド・コークはソ連に招聘されて、バクーなどで石油プラント建設の仕事をしました。この時にソ連の悲惨な現実に触れて、反共産主義を信条とするようになりました。また、既得権益を持つエスタブリッシュメントと巨大企業に対する反感を募らせていきました。フレッドは、「自分の息子たちをカントリークラブにたむろして遊んでばかりいる、金持ちのバカ息子にはしない」と決心し、息子たちには子供のころには厳しく接し、どんどんきつい肉体労働をさせました。
1958年、フレッドは、反共産主義の極右団体「ジョン・バーチ協会(John
Birch Society)」の創設に参加しました。フレッドは「ドワイト・アイゼンハワー(Dwight Eisenhower、1890―1969年)大統領は共産主義者だ」とか「国際連合は共産主義者による陰謀によってできたものだから、アメリカはすぐに脱退せよ」といった主張を展開しました。ジョン・バーチ協会は1960年代から70年代にかけて勢力を拡大させましたが、冷戦終了後の1990年代以降、勢力を縮小させています。
フレッドには4人の息子たちがいます。長男のフレッド(Fred、1933年―、81歳)は、同性愛者で芸術を愛し、政治にも会社の経営にも全く関心を持ちませんでした。フレッドはハーヴァード大学を卒業後、米海軍に入隊し、その後、イェール大学演劇学部で修士号を取得しました。華やかな学歴ですが、その後、定職に就かず、美術品収集と歴史的建造物の修復を趣味として生きています。マスコミが「コーク兄弟」と呼ぶ場合、長男フレッドの存在は省かれる場合が多いのですが、これは彼が会社経営にも政治活動にも参加していないからです。また、弟たちからも孤立しているようです。ニューヨークに住んでいるので、同じニューヨーク在住のデイヴィッドとパーティーであってもほとんど話もしないそうです。
共和党や政治的保守派に大きな影響を与える「コーク兄弟」と呼ばれ、マスコミで騒がれるのは、次男チャールズ(Charles、1935年―、79歳)、双子のデイヴィッド(David、三男、1940年―、74歳)とビル(Bill、四男、1940年―、74歳)の中で、チャールズとデイヴィッドです。彼ら3名は皆、父と同じマサチューセッツ工科大学で学士号を取得し、チャールズは機械工学(原子力)と化学工学でそれぞれ修士号、デイヴィッドは化学工学で修士号、ビルは化学工学で修士号と博士号を取得した後に、エンジニアとなり、父の会社であるコーク・インダストリーズの経営に携わることになりました。
次男チャールズは家長として、またコーク・インダストリーズの総帥(会長)として、父フレッドの影響を最も受けた人物です。チャールズは父の作ったジョン・バーチ協会に入会し、その後、ヴェトナム戦争に対する対応(ジョン・バーチ協会はヴェトナム戦争に賛成の立場を取りました)を巡り、退会しました。彼は父フレッドが始めたジョン・バーチ協会のメンバーであった。チャールズにとっての興味深いエピソードとしては、彼の友人が遊びに来た時、アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway、1899―1961年)の『陽はまた昇る』を持っていたのですが、チャールズは、「ヘミングウェイは共産主義者だから」と言って、友人の持っていた本をドアの外に置かせてそれから家に招き入れたということです。
チャールズは表舞台に立つことを好まず、コーク・インダストリーズの本社があるカンザス州ウィチタにずっと住んでいます。そうしたところから、「神秘的な人物」だと考えられています。ちなみにウィチタは20世紀になって航空産業が盛んになり、「世界の空の都(The Air Capital of the World)」と呼ばれるようになりました。また、農業や牧畜業も盛んで、油井があることから石油関連産業も発展しました。コーク・インダストリーズの創始者であるフレッドはテキサス生まれですが、大学時代の友人の父親がカンザス州で石油ビジネスを展開しており、大学卒業後に誘われたので、生まれ故郷のすぐ北側にあるカンザス州に向かい、拠点としました。1920年代のカンザス州はまだまだビジネスチャンスが多く、野心的な若者にとっては魅力的な場所でもありました。
デイヴィッドは、兄を助けてコーク・インダストリーズの急成長に貢献しました。いつもはニューヨークにあるニューヨーク支社におり、コーク・インダストリーズの化学部門の責任者を務めています。デイヴィッドはニューヨークで暮らしており、兄チャールズに比べて社会活動の場面に積極的に姿を現しています。また、慈善事業や社会貢献にも特に熱心で、母校MITに癌研究センターを寄付したり、ニューヨークのメトロポリタン美術館やアメリカン・バレエ・シアターの後援をしたりしています。その額は数百憶円に上っています。頑固な兄チャールズと我儘で自由奔放な双子の弟ビルとの間を何とか取り持とうとして尽力してきた人物です。
末っ子ですが、三男デイヴィッドとは双子となるビルは、常に兄たちに対して負けん気を持って成長しました。彼もまたMITを卒業し、博士号を取得し、コーク・インダストリーズに入社しました。その手腕を発揮し、会社の売り上げを伸ばしましたが、後に会社経営の実権を握ろうとして、兄たちと対立関係に陥り、やがて会社を離れました。ビルは自分の会社であるエネルギー関連企業オックスボウ社(Oxbow)を起業し成功を収めました。趣味にも熱心で、それが嵩じて、世界最高峰のヨットレースであるアメリカズ・カップのアメリカ代表になり、1992年に優勝カップを勝ち取りました(彼がヨットチームに投じたお金は総額で6500万ドル)。その他にも多くの女性たちと浮名を流し、ワイン収集家としても知られています。
ビルは若い時からミット・ロムニー(Mitt Romney、1947年―)と交流があり、2011年には、ロムニーの当選を目指すスーパーPAC「レストア・アワ・フューチャー(Restore Our Future)」に750万ドルの寄付をしたり、母方の親族で民主党から立候補した人物の応援を行ったりして、兄たちに比べて政治的な主張やイデオロギーに関してはそこまでこだわりを持ってはいません。
ビルは、コーク・インダストリーズの実権を握ろうとして失敗し、会社を離れました。そして、自分の会社であるオックスボウ(Oxbow)を立ち上げ、成功しました。しかし兄たちに対する恨みが消えることはなく、復讐を果たそうとして、訴訟を起こしました。ビルは兄たちが会社を恣意的に経営して会社に損害を与えていること、株式を上場していないことによって、自分の持つ株式の値段が本当の価値よりも低く抑えられていることを理由にして兄たちを裁判所に訴えました。ビルの側には、長兄であるフレデリックがつきました。彼は会社の経営などには全く関心がなかったのですが、自分が遺産としてもらったコーク・インダストリーズの株式の価格が高い方が良いという理由もあって、末弟ビルの味方をすることになりました。裁判は20年以上も続きましたが、2001年になって兄弟たちはしこりを残しつつも、和解しました。
コーク兄弟の信奉するイデオロギーはリバータリアニズム(Libertarianism)です。リバータリアニズムについて詳しく知りたい方は、副島隆彦先生の『リバータリアニズム入門』や『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』といった著作を是非お読みください。リバータリアニズムは、徹底的に個人の自由を尊重する考えです。
チャールズ・コークは1978年に発表した論稿の中で、既成政党である共和党を批判しています。「共和党は“ビジネス”のための党だと宣伝しているが、彼らの言う“ビジネス”のための党とは、補助金と政府とのつながりを意味するのである」と彼は書いています。彼ら(チャールズとデイヴィッド)は政府が規制をかけることや補助金を出すなど民間の経済活動に絡んでくることに徹底的に反対します。リバータリアンである彼らからすると、既成政党である共和党もそうした点で不十分であり、不満を持っているのです。それでも、コーク兄弟は民主党から攻撃を受けているので、共和党からすれば「敵の敵は味方」ということになります。
1977年、チャールズ・コークは、リバータリアニズム系のシンクタンクであるケイトー研究所(Cato Institute)を設立しました。また、チャールズは、弟デイヴィッドを説得し、更には資金を提供して、リバータリアン党(Libertarian Party)の副大統領候補として出馬させました。彼らは当選を目指したのではなく、リバータリアニズム思想の浸透を目指しました。しかし、彼らの強引さはリバータリアン党内部で嫌われてしまいました。そして生まれた言葉が「コクトパス(Kochtopas)」です。この言葉は、コークと「タコ(octopus)」を合わせた言葉です。この言葉は現在でもコーク兄弟を批判する時に使われています。
1990年代にクリントン政権からコーク・インダストリーズが、環境問題で狙い撃ちにされて連邦政府から訴えられたり、罰金を科されたりした経験から、より現実的な選択として、共和党を応援するという選択をすることになりました。それでも2000年代は共和党のジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush、1946年―)政権でしたから、コーク兄弟にとっては「平穏な」時代でした。しかし、2008年の大統領選挙で民主党のバラク・オバマ(Barack Obama、1961年―)が大統領に当選したことで、彼らは危機感を募らせました。その危機感から生まれたのが、ティーパーティー運動(Tea Party Movement)でした。
ティーパーティー運動の組織化と資金提供に関して言うと、コーク兄弟と深いつながりがあり、資金提供を受けていますが、そのことを進んで公表しない政治活動団体アメリカンズ・フォ・プロスペリティ(Americans for Prosperity)がティーパーティー運動の全国組織化の最前線に立ち、運動を牽引しました。兄弟の政治アドヴァイザーであるリチャード・フィンク(Richard Fink)は、コーク兄弟が資金援助したジョージ・メイソン大学で教鞭を執ったことで、兄弟の知己を得て、コーク・インダストリーズに入社しました。現在はコーク・インダストリーズの副会長を務めています。彼が現在のコーク兄弟の政治面での活動の最高責任者となっています。
コーク兄弟の知名度を上げたのは、皮肉にもオバマ大統領でした。2012年の米大統領選挙で、現職大統領であるオバマ陣営は、選挙コマーシャルでコーク兄弟は「秘密主義の石油で財を成した秘密主義の大金持ち」と攻撃し、話題となりました。オバマ政権はティーパーティー運動とオバマ大統領に対する攻撃に対して、反撃を行った訳ですが、その標的が共和党ではなく、その「資金源」のコーク兄弟になりました。このことで、逆にコーク兄弟のアメリカでの知名度は一気に上がりました。共和党の主流派とはうまくいっていなかったのですが、共和党支持者たちの間で、兄弟の評価は上がりました。その結果、コーク兄弟の現実政治への影響力が増大することになりました。
ここまでだいぶ長くなりましたが、コーク家、コーク兄弟について簡単にご紹介しました。『』の中にはたくさんのエピソードが収められています。兄弟同士の争いや裁判、彼らの結婚や女性関係に関する記述もあります。この本は、アメリカのお金持ちのプライヴェートな部分とアメリカの保守思想史を網羅した稀有な本となっています。これから2016年の大統領選挙本番に向けて、アメリカ政治は盛り上がっていきます。一種のお祭り状態になる訳ですが、このアメリカメリ化政治を遠く日本から眺めるにあたり、もっと面白く見るための知識がこの本には詰まっています。是非、お手に取ってお読みください。
(終わり)
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