古村治彦です。

 

 2016年8月8日午後3時に、今上天皇による「お言葉」の発表がありました。内容はこれまで報道されてきたことの内容から大きく外れるものではありませんでした。「●●したい」ということは個人的に持つことは自由ですが、天皇の地位に関することは国政上の問題になるために、具体的には述べられることはありませんでしたが、今上天皇が「個人」として、「天皇の位から退位したい」という気持ちを持っていることが明らかになりました。これを受けて、安倍晋三首相は、「何ができるかを検討したい」を述べました。

 

 現在の日本国憲法、皇室典範では、天皇の退位についての規定はありません。ですから、昭和天皇は、崩御するまで天皇の位にありました。今上天皇は、日本国憲法下で初めて即位した、最初から「国民統合の象徴としての天皇」としての天皇です。そして、即位式で日本国憲法の遵守と述べた天皇であり、今回の意見表明は、日本国憲法との兼ね合いについて考えた末でのギリギリの行為であったということが言えます。

 

 普通に考えてみれば、80歳という年齢を超えて激務をこなすということは大変なことです。人間の肉体と精神の面から見て過酷なことです。ですから、仕事を退く定年が定められていたり、年金支給年齢は65歳からであったりする訳です。

 

 即位した最初から日本国憲法下の「国民統合の象徴としての天皇」である今上天皇は、言ってみれば、象徴天皇初代と言ってよい天皇です。昭和天皇は戦後しばらく政治、特に外交に影響を及ぼしていました。また、内閣閣員による「内奏」を残すように働きかけました。明治憲法下の天皇大権を持つ天皇としての面を残していたと言えます。

 

 この日本国憲法下、個人としての幸福追求権は何人にも保障されたものです。皇族には参政権などは認められていませんが、幸福追求権は認められているはずです。ですが、問題は天皇の位と個人の幸福追求権との関係です。自分の健康に不安を持つ、年齢を考えることなどから、地位を退くことや仕事から退くことは誰にでも許されていることです。公務員であっても、民間の会社員であっても、また総理大臣だろうが国会議員だろうがそうです。しかし、天皇の場合にはその規定がないために今のところ、それが許されていません。ですから、自分の「意思」で天皇退位について決められるという、ある意味では、近現代に入って最大の「改革」を行おうという意図があるのだろうと思います。こうした意向がリベラルに映り、今上天皇と皇后に対して批判的な右翼や保守派の人々がいますが、彼らが今上天皇と皇后の発言や行為にピリピリと来ていることは分かります。

 

 問題は、天皇自らが退位を決められるとなると、天皇の存命中の退位が頻発する、しかも若年での退位が頻発するのではないかということです。国事行為や宮中祭祀、公務はスケジュールがぎっしりで大変な緊張を強いられると言います。それを毎年毎年やるのですから、嫌になる人が出てくることもあるでしょう。そうなった場合に、「存命中の退位」ということになるでしょう。だから官庁や企業などでは定年が設けられているのですが、天皇に定年がふさわしいのかどうかは微妙です。そうなると、存命中の退位については、「摂政を置くほどではないが肉体的、精神的に天皇の公務に耐えられなくなった」という理由づけとそれに関連する条件付けが必要となりますが、その条件決定も大変なことです。ですから、自民党からは今回限りの立法という形で、今上天皇の存命中の退位ができるようにするという話も出てきています。しかし、そうなると、この問題は根本的に解決しないことになります。

 

 ですから、定年という厳格なものでなくても、例えば75歳を過ぎたら、自らの意思で退位を行うことが出来るというような条件が適当ではないかと思います。75歳というのは私の勝手な考えですので、日本人の平均寿命などを参考にして、よりふさわしい数字が出てくるものと思います。そして、退位後の前天皇の処遇についても決めなくてはなりません。

 

 日本国憲法の三本柱は国民主権、戦争放棄、基本的人権の尊重ですから、皇族にはある程度の制限はありつつ、やはり人権は尊重されるべきですし、そうなると、「心身ともに疲れ果てた」と訴える天皇が退位をすることは制度的に保証する(しかし、かなり制限つきで)ということが必要だと思います。

 

 近現代において、天皇の退位が問題になったのは終戦前後のことでした。終戦直前、近衛文麿は、昭和天皇の退位について、京都の仁和寺で出家するということを考えていました。また、皇族や政治家たちの中にも天皇退位を考えている人たちがいました。例えば、日本国憲法起草に関わった芦田均は、昭和天皇の退位を支持する考えを持っていました。昭和天皇自身も一度ならず退位を考えたことがあったようですが、結局退位をすることはありませんでした。

 

 退位となると、こうしたネガティヴなイメージが付きまとってしまう、もしくは、退位を政治的な意思の表明(たとえば内閣の間接的な不信任など)に使ってしまうということが考えられます。ですから、天皇の存命中の退位は歴史上何回も行われてきましたが、明治維新以降は行われていません。

 

 しかし、日本国憲法下の象徴天皇という歴史的には極めて新しい役割を持つ天皇においては、日本国憲法の精神と合致させるためにも、存命中の退位を制度化しておくことは必要だろうと考えます。

 

 

(貼り付けはじめ)

 

象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(平成2888日)

http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12

 

戦後70年という大きな節目を過ぎ,2年後には,平成30年を迎えます。

 

私も80を越え,体力の面などから様々な制約を覚えることもあり,ここ数年,天皇としての自らの歩みを振り返るとともに,この先の自分の在り方や務めにつき,思いを致すようになりました。

 

本日は,社会の高齢化が進む中,天皇もまた高齢となった場合,どのような在り方が望ましいか,天皇という立場上,現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら,私が個人として,これまでに考えて来たことを話したいと思います。

 

即位以来,私は国事行為を行うと共に,日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を,日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し,更に日々新たになる日本と世界の中にあって,日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考えつつ,今日に至っています。

 

そのような中,何年か前のことになりますが,2度の外科手術を受け,加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から,これから先,従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合,どのように身を処していくことが,国にとり,国民にとり,また,私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき,考えるようになりました。既に80を越え,幸いに健康であるとは申せ,次第に進む身体の衰えを考慮する時,これまでのように,全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが,難しくなるのではないかと案じています。

 

私が天皇の位についてから,ほぼ28年,この間かん私は,我が国における多くの喜びの時,また悲しみの時を,人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において,日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅も,私は天皇の象徴的行為として,大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め,これまで私が皇后と共に行おこなって来たほぼ全国に及ぶ旅は,国内のどこにおいても,その地域を愛し,その共同体を地道に支える市井しせいの人々のあることを私に認識させ,私がこの認識をもって,天皇として大切な,国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした。

 

天皇の高齢化に伴う対処の仕方が,国事行為や,その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには,無理があろうと思われます。また,天皇が未成年であったり,重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には,天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし,この場合も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

 

天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,これまでにも見られたように,社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が,1年間続きます。その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが,胸に去来することもあります。

 

始めにも述べましたように,憲法の下もと,天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で,このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ,これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり,相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう,そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ,ここに私の気持ちをお話しいたしました。

 

国民の理解を得られることを,切に願っています。

 

(貼り付け終わり)

 

(終わり)