古村治彦です。

 

 今回は、『戦場の軍法会議 日本兵はなぜ処刑されたのか』(NHKスペシャル取材班、北博昭著、新潮文庫、2016年)を皆様にご紹介します。

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戦場の軍法会議: 日本兵はなぜ処刑されたのか (新潮文庫)


 この本のテーマは、戦時中の軍法会議です。軍法会議というと、弁護士もいなくて、裁判官がすぐに「死刑!」と言ってそのまま銃殺されるみたいな怖いイメージがあります。しかし、実際には、軍法に基づいてきちんとした審理が行われていました。大正デモクラシーが高揚した時代には、被告の人権を守るという意味もあって、法務官と呼ばれる文官(高等文官試験司法科試験、現在で言えば司法試験に合格した人)が裁判官の1人となりました。軍法会議では、兵科将校が裁判官となりますが、法律に関しては素人であるので、高等文官試験司法科試験に合格した専門家が裁判官に入りました。

 

 法務官というと思い出すのが、匂坂春平法務官です。二・二六事件の裁判で、主席検察官を務め、真崎甚三郎大将を起訴した人物です。判決では、無罪となりましたが、判決主文では真崎大将の罪状を並べながらも、判決は無罪ということになりました。「日本軍は上にいけばいくほど守られ、責任は下が取る(ノモンハン事件では現場の連隊長レヴェルが軒並み自殺を強要され、参謀や司令官の責任は不問にされた)」という不文律を示しています。

 

 戦時下、しかも激戦地で日本軍が激しい攻撃にさらされて劣勢に回っている状況で、軍法会議が適正に機能しなかった、そして、冤罪とも言うべき判決を受けて、死刑にされてしまった兵士たちが数多くいたというのが、この本のテーマです。軍法会議で死刑になった兵士たちは名誉回復が図られず、「裏切り者」や「国賊」として、地元の護国神社や靖国神社に祀られず、また、遺族は、様々な中傷に耐えねばなりませんでした。

 

 この本で取り上げられているのは、フィリピンで起きたある兵士の死刑です。この兵士は、奔敵未遂(余力がありながら敵に投降すること)の罪で即決裁判を経て死刑とされました。この兵士はアメリカでの生活経験があり、英語が堪能でした。おそらくですが、最初のうちは現地の人々とのコミュニケーションで役立つ人物だったと思われます。しかし、戦況が悪化し、日本軍が追いつめられる中で、「この兵士が投降してしまうと、我々の状況が筒抜けになる」ということになり、死刑になりました。

 

 戦争末期のフィリピンでは、山岳地帯のうっそうとしたジャングル地帯に追い詰められた日本軍は補給も途絶え、食糧を「現地調達」しなければなりませんでした。そこで、兵士たちは部隊を離れ、ジャングル内で食料を探すということが頻発しました。3日以内に戻れば戦時逃亡には問われませんが、地図もなく、敵からの攻撃を避けながらの食糧探しでは、部隊のいる場所に戻ることは困難です。それで、3日経っても戻ってこないということもまた頻発しました。

 

 こうした場合、部隊長は、「口減らし」「軍紀粛清」のために、即決裁判で死刑判決を出し、死刑にしていきました。しかも、この場合には軍法会議にかけられ死刑という記録は残りますから、戦後の取り扱い、遺族年金の授受ができなかったこと(現在は受け取れるようになっています)や靖国神社や地元の護国神社へお祭りされないこと、また近所からの蔑視などで、家族が苦しめられてきたという歴史があります。

 

 戦後の厚生省(現在の厚生労働省)の援護局には、第一復員省(旧陸軍省)から引き続き、頑迷極まりない陸軍将校出身者たちが居座り、「軍法会議にかけられたような元兵士や家族を助けてやる必要などない」と言い張り、戦場での現実から目を背けてきました。その中で、一人の事務官が戦場での軍法会議の実態を調べ、報告書にまとめましたが、この報告書が顧みられることはなく、この事務官自身も出世することなく終わりました。

 

 旧陸軍・海軍の軍法会議について、馬塲(ばば)東作、沖源三郎という2人の法務官出身者が貴重な証言を残しています。馬塲法務官は、青雲の志を持って、軍の法務官になりました。時は大正デモクラシー全盛の頃で、「人権を守る」という青年らしい正義感を持って軍の法務官になりました。しかし、1941年に法務官は法務将校となり、独立性は失われました。そして、馬塲法務官は、アメリカ軍が迫るフィリピンに赴任することになりました。

 

 馬塲法務官は内陸部へと後退する司令部について後退しながら、フィリピンの日本軍の綱紀粛正と厳正な法律の運用に奔走しました。しかし、やがて、「軍規粛清のためには、即決裁判での死刑も当然」という文書を出すことになりました。それほどにフィリピンの戦場は過酷なものでした。

 

 軍の法務官たちは戦後、日本の法曹界で重要な地位を占めることになりました。最高裁判事や弁護士会の会長になった人たちもいます。しかし、彼らは戦時中の軍法会議について証言を残すことはありませんでした。特に、フィリピンで見られたような、冤罪については全く口を閉ざしました。これに旧軍の頑迷な将校たちの存在もあって、戦場の軍法会議で不当な判決を受けた兵士たちの救済は顧みられることはありませんでした。

 

 この本を読みながら、私は個人の無力さを感じつつ、しかし、その個人が正しいことが行われる際の基本となるということを感じました。そして、日本軍、日本全体の体質として、「責任は下に取らせて、エリート(陸士、海兵、帝大卒の)仲間は守る」「臭いものにはフタ」というものが今も残っており、この本で取り上げられたテーマである戦場の軍法会議のような極限の場面や、それほどひどくない場面でも、悲劇は繰り返されてきたし、これからも繰り返されていくのだろうという暗澹たる気持ちになりました。

 

 しかし、悲劇は続くのは仕方がないと捉えてばかりで良いのか、それでも少しでも現実が変化するように努力をし続けるのが人間ではないのか、ということを、現在の世界情勢と絡めて考えてしまいます。大変に青くさい書生論といわれてしまえばそれまでですが。

 

 

(終わり)