古村治彦です。

 

 今回の森友学園・瑞穂の國記念小學院(安倍晋三記念小学校)を巡るスキャンダルで出てくるのが、森友学園が経営している塚本幼稚園での園児による教育勅語の暗唱です。戦前の日本では、教育勅語は教育の指導原理となっていましたが、あのように皆で暗唱するものではなく、「紀元節(211日)、天長節(天皇誕生日)、明治節(113日)および11日(元日、四方節)の四大節と呼ばれた祝祭日には、学校で儀式が行われ、全校生徒に向けて校長が教育勅語を厳粛に読み上げ、その写しは御真影(天皇・皇后の写真)とともに奉安殿に納められて、丁重に扱われた」(wikipediaから)というものだったようです。校長先生が奉読するものを静かに聞くものだったようです。先生が天皇の代りになって、「朕」という天皇の自称の言葉から始まる言葉を読むものです。生徒が「朕」と言うことはおかしなことです。だって生徒はどう逆立ちしても天皇ではありませんから。

 

 有名な勅語に「陸海軍軍人に賜りたる勅諭」というものがあります。これは戦前の軍人に対して、「このような軍人であれ」という指針を示したものです。勅諭ですから、「天皇が教え諭すもの」です。陸軍士官学校では、後半の5条を毎朝、生徒たちが暗唱していました。海軍士官学校では記憶・暗唱されませんでした。海軍は「直後のご精神さえ分かっていればよい」ということだったそうです。塚本幼稚園の籠池泰典園長は、この陸軍士官学校のまねをしたかったのだろうと思いますが、自分たちの勝手なイメージで、実際にありもしない戦前の姿を生み出してしまっています。

 

 この教育勅語ですが、1890年に制定されたもので、主導したのは長州閥の山県有朋です。実際に起草したのは井上毅です。この教育勅語に関しては、最後の元老となった西園寺公望が文部大臣時代に、「国際協調主義」「国際社会における日本人の位置と役割」といった部分が欠落しているという理由で、第二教育勅語の制定を考え、その原案まで作っていましたが、日の目を見ることはありませんでした。1930年代から40年代にかけての日本の歴史を振り返る時、西園寺の危惧が悲しいことに現実化してしまったということが言えます。亡国の歴史が全て教育勅語に起因するということはありません。しかし、戦前教育の指導原理として国際的な感覚を涵養できなったという点では、問題があったと思います。

 

 連日、報道されていますが、森友学園・塚本幼稚園に関するスキャンダルでは、塚本幼稚園の教育内容にも焦点があてられています。教育勅語の暗唱の様子も放映されています。教育勅語はそもそも、日本国憲法下の日本において、教育の現場にあってはならない、存在してはいけないものです。

 

 以下は衆議院予算委員会で行われた質疑の様子を伝えるものです。

 

(貼りつけはじめ)

 

●「「教育勅語」教育は不適切 森友学園の幼稚園教育内容宮本議員追及に文科相 衆院予算委分科会」

 

しんぶん赤旗 2017224

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2017-02-24/2017022415_01_1.html

 

 不透明な国有地売却が問題になっている大阪市内の学校法人「森友学園」(籠池泰典理事長)が、幼稚園児に教育勅語を暗唱させるなどしている教育内容の問題点が23日、衆院予算委員会分科会で追及されました。日本共産党の宮本岳志議員は、文部科学省に指導を求めました。

 

 森友学園は、同市淀川区で運営している塚本幼稚園で毎朝、教育勅語を暗唱させていることで知られます。

 

 籠池理事長は本紙の取材に、同学園が今年4月から開校しようとしている私立小学校でも「教育勅語を朗誦(ろうしょう)する」と明言しています。同校の名誉校長は、安倍晋三首相夫人の昭恵氏です。

 

 同校の認可を審議している大阪府私立学校審議会では、学園の教育方針やカリキュラムについて「思想教育のような部分がある」「違和感を覚える」と懸念の声があがっています。

 

 宮本氏は、文部科学省が以前から「教育勅語そのものを教材として使うということは考えられない」という立場をとってきたことをあげて「いまもその立場に変わりはないか」とただしました。

 

 文科省の藤原誠初等中等教育局長は「変わっていない」と答えました。

 

 宮本氏は、教育勅語の暗唱は文科省が一貫して否定してきたものであり「これを小学校で教えるのは不適切だ」とただしました。

 

 松野博一文科相は「この教育方針が認可も受けていない小学校でどう扱われるかは仮定の問題だ」としながら「教育勅語を教育の源泉として扱うことは適切でない」と答えました。

 

 宮本氏は、塚本幼稚園では「しつけ」と称して「子どもがおもらししたら、そのままカバンに入れて持ち帰らせる」など児童虐待につながりかねない問題もあることをあげ、「不適切なものがあればただちにただすべきだ」と求めました。

 

 教育勅語 戦前の教育の基本原理を示すものとして1890年に明治天皇の言葉として出されました。親孝行や兄弟仲良くなど当たり前に思える徳目を並べていますが、それらをすべて天皇への命がけの忠義に結び付け、「重大事態があれば天皇のために命を投げ出せ」と徹底して教え込んだのが特徴で、軍国主義教育の主柱となりました。敗戦後、憲法、教育基本法の理念に反するとして1948年、国会の決議で公式に否定されました。

 

(貼りつけ終わり)

 

 この記事には、「敗戦後、憲法、教育基本法の理念に反するとして1948年、国会の決議で公式に否定されました」とあります。これはどういうことでしょうか。

 

教育勅語は1890年に制定されたということは、これまでこのブログでもご紹介した海外の新聞記事にでも出ています。それではいつまで効力があったかというと、実質的には敗戦の年にアメリカ軍が進駐してくるくらいまでですが、その効力がないことが正式に決まったのは1948年6月19日です。同時にその他の詔勅(陸海軍軍人に賜りたる勅諭など)も一括して無効とされました。

 

この日に、国会の衆議院、参議院それぞれで決議案が可決されました。衆議院は、「教育勅語等排除に関する決議」、参議院は、「教育勅語等の失効確認に関する決議」となっています。それぞれに決議を貼り付けます。

 

(貼り付けはじめ)

 

教育勅語等排除に関する決議 昭和23年年6月19日 衆議院本会議

 

民主平和国家として世界史的建設途上にあるわが国の現実は、その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは敎育基本法に則り、敎育の革新と振興とをはかることにある。しかるに既に過去の文書となっている敎育勅語並びに陸海軍軍人に賜わりたる勅諭その他の敎育に関する諸詔勅が、今日もなお國民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、從來の行政上の措置が不十分であつたがためである。

 

思うに、これらの詔勅の根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる。よって憲法第九十八条の本旨に従い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである。

 

右決議する。

 

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教育勅語等の失効確認に関する決議 昭和23年6月19日 参議院本会議

 

 われらは、さきに日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し、真理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、既に廃止せられその効力を失っている。

 

 しかし教育勅語等が、あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかり、われらはとくに、それらが既に効力を失っている事実を明確にするとともに、政府をして教育勅語その他の諸詔勅の謄本をもれなく回収せしめる。

 

 われらはここに、教育の真の権威の確立と国民道徳の振興のために、全国民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力をいたすべきことを期する。

 

 右決議する。

 

(貼り付け終わり)

 

 衆議院の排除決議では、「これらの詔勅の根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる。よって憲法第九十八条の本旨に従い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する」と述べています。

 

 教育勅語には、主権在君、神話的国体観に基づいているので、基本的人権を損ない、国際的信義の点から疑問が残るので、憲法第98条に従って、排除すると述べています。憲法98条には、「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」と書かれています。

 

 日本国憲法は国の最高法規であって、その条規に反する法律や詔勅は存在できませんし、効力を持ちません。教育勅語は主権在君、神話的国体観に基づいているので、日本国憲法に反するので効力はないとしています。

 

 参議院の失効確認決議では、「さきに日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し、真理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、既に廃止せられその効力を失っている」と述べています。

 

 こちらでは、日本国憲法の人類普遍の原理に基づいた教育基本法ができたので、教育勅語はその効力はないと述べています。日本国憲法に基づいて教育基本法が出来、それがこれからの指導原理となるので、教育勅語はその効力を失ったとしています。

 

 それぞれ理屈は異なりますが、教育勅語は日本国憲法に合ってないということを述べています。ですから、この教育勅語は日本国憲法が制定されて以降、公的な場所には出てきてはいけない存在なのです。もちろん、学問研究や個人の思想や信条のために、それを保持して読むことは良いでしょう。しかし、日本国憲法の人類普遍の原理に基づいている教育基本法が現在の教育関係の指導原理的な法律となっている以上、日本国憲法に反する存在である教育勅語を教育の場に持ち込むのは法律違反です。ですから、森友学園が行っていることも法律違反の可能性が高いのです。

 

 森友学園が認可申請中の「瑞穂の國記念小學院」のウェブサイトの「学習目標」(http://www.mizuhonokuni.ed.jp/curriculum/objective/)のページには、はっきり、「道徳(教育勅語)」と書かれています。この学校が認可されれば、教育勅語を教えることになります。これは日本国憲法に基づいて定められた教育基本法に反する行為ですが、この小学校に認可を与えた大阪府の公務員、知事の責任となるでしょう。

 

 更に言えば、国会での審議中、共産党の小池晃参議院議員の質疑中に、「(教育勅語は)いいじゃないか」というヤジが閣僚席や委員席から叫ばれました。私はこのヤジを飛ばした大臣、国会議員、もしかしたら政府委員(キャリア官僚)たちは狭義の意味で憲法遵守義務違反だと考えます。

 

 公務員には憲法遵守義務があります。日本国憲法に反する行為はできません。これは日本国憲法第99条に定められています。

 

憲法99条には、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。」と書かれています。国務大臣や国会議員は憲法を尊重し擁護する義務を負っています。

 

 国会議員が、しかも国権の最高機関である(日本国憲法第41条)国会の場で委員会に出席しているなかで、堂々と教育勅語を賞賛する発言を行うのは明らかに憲法違反です。国会の内部で堂々と憲法違反をする国会議員には辞めてもらうしかありません。国会議員を辞めてもらって好きなだけ教育勅語礼賛の言葉を叫び続ければよいのです。

 教育勅語復活ということを公約に掲げて選挙を行うことは良いとしましょう。政党は公的な存在ですが、公務員でありません。政党が公約として教育勅語復活(しかしこれには日本国憲法の廃棄も一緒に主張されねばなりません)を 掲げることは良いでしょう。それで当選した国会議員が国会審議などで主張するのもよいでしょう。ですから、上で狭義と書きました。しかし、これにはどうしても日本国憲法の廃棄、全文からの全ての書き直しが必要となってきますから、まずは改憲、しかも全面的な改憲をしなければなりません。

 

 安倍晋三首相やお仲間たちが改憲を進めようとしています。今回のスキャンダルで、彼らの進める改憲のイメージが私たちにはっきり見える形になりました。塚本幼稚園の様子こそは、安倍氏らが実現したい「美しい日本」であり、改憲後の姿となります。ここまで日本は追い詰められてきました。ここで押し戻さねばなりません。

 

(終わり)