古村治彦です。

 

 今回は、菅野完(すがのたもつ)著『日本会議(にっぽんかいぎ)の研究』を皆様にご紹介します。私の所属しております「副島隆彦の学問道場」では、副島隆彦先生と菅野氏の対談を行い、その模様を公開しています。是非ご覧ください。

 

※アドレスは以下の通りです↓

http://www.snsi.jp/tops/kouhou

 

 さて、今回は、菅野氏の著書『日本会議の研究』についてご紹介したいと思います。菅野氏は現在、大阪にある森友学園・塚本幼稚園・瑞穂の國記念小學院を巡る疑惑を調査し、その成果をインターネット上で発表しています。

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日本会議の研究 (扶桑社新書)

 

 今回のスキャンダルの中心となっている森友学園を巡っては、登場人物たちが日本会議に絡んでいます。まず最重要人物である森友学園理事長である籠池泰典(かごいけやすのり)氏が日本会議大阪支部の役員であることを日本会議が認めました。また、小学校のウェブサイトであいさつ文を掲載しているのは、平沼赳夫代議士です。平沼代議士は、日本会議国会議員懇談会の会長を務めています。また、これまで海外メディアでの報道についてこのブログでもご紹介してきましたが、安倍晋三首相と安倍内閣の大臣たちのほとんどが日本会議と深いつながりを持っているということはどの社も必ず言及しています。

 

 現在の日本政治を理解するうえで、日本会議と政治の関係を理解することは重要な事です。本書『日本会議の研究』はその手助けとなるものです。本の中身を見ながら、戦後の保守系がどのような動きをしていたのかも合わせて勉強になりました。左翼については、佐野眞一著『唐牛伝』を読んで勉強になりました。こちらの本も後ほどご紹介します。

 

 日本会議は1997年に創設されました。その前身となったのは、「日本を守る会」と「元号法制化国民会議」から名前が変わった「日本を守る国民会議」という2つの団体でした。これらの団体は目標であった元号法制化には成功したものの、靖国神社国家護持法制定運動では足並みをそろえることができずに失敗してしまいました。これらの団体を支えていた保守的な宗教団体の中で、これに賛成と反対で分裂してしまいました。

 

 著者の菅野氏は、日本武道館で行われた日本会議主催の集会に取材に行き、そこで、霊友会、佛所護念会、崇教真光、神社本庁、天台宗、黒住教といった仏教系や神道系の各宗教団体の信者たちがバスで武道館まで来て、団体ごとに入場していく姿を目撃しています。こうした宗教団体からの参加者以外はそんなに多くなかったと報告しています。こうした大きなイベントをやり、日頃の活動を支えているのが事務局になります。その有能さについて菅野氏は特記しています。

 

 日本会議を現在、取り仕切っているのは、日本会議事務総長の椛島有三氏です。椛島氏は長崎大学で学園正常化(学生自治会の役員を左翼過激派団体の学生ではない学生にする運動)を成功させたことで、保守派・右派で有名になった人物です。彼は生長の家の信者ですが、大学を卒業できなかったために生長の家の職員になれず(生長の家の職員になるには大学生だったら大学を卒業していなければならない)、その後、保守の草の根運動を続けてきた活動家です。先ほど書いた「日本を守る会」の事務局で実務を担ったのが「日本青年協議会(1970年結成)」という学園正常化運動に成功した・関与した生長の家の若い信者たちで作った団体で、椛島氏はそこの書記長をやっていました。現在は議長です。椛島氏は、日本青年協議会議長であり、日本会議事務総長でもあります。そして、日本青年協議会の人々が日本会議の事務局に入って活動を支えています。

 

 椛島氏の学生時代の仲間であるのが日本政策研究センター代表を務める伊藤哲夫氏です。伊藤氏は安倍晋三首相のブレーンとも言われている人物です。彼もまた生長の家の信者です。伊藤氏率いる日本政策研究センターの憲法改定の主張と自民党の憲法改定草案はほぼ一致しているということです。また、伊藤氏は安倍晋三首相を草の根保守の世界で有名にし、首相にまで押し上げた人物の1人であり、著者の菅野氏は「プロモーター」と評しています。

 

上記2人よりも目立ちませんが、実は最も重要な人物が、学生協議会初代議長安東巖氏です。安東氏は10代で大病をし、7年間にもわたる壮絶な闘病生活の中で、『生命の實相』に出会い、生長の家の信仰で病気が治り、同世代の人々よりも遅れて長崎大学に入学しました。そこで、椛島氏と共に長崎大学の学園正常化に成功し、生長の家の若者信者たちの中で有名になっていきます。また、大病を信仰で治したということで、教祖である谷口雅春からも講演などで名前が出るなど、カリスマ信者ということになりました。大学を卒業した安東氏は生長の家の職員となりました。この安東氏と人気を二分していたのが、鈴木邦男氏です。鈴木氏は早稲田大学で左翼学生たちと激しく戦い、それで有名になっていきましたが、安東氏の策謀によって生長の家を追われることになったそうです。この安東氏は裏方ですが、椛島氏や伊藤氏は彼と会う時には直立不動であったということです。

 

 日本会議を支える人々は若い頃からの生長の家の信者です。生長の家(教祖は谷口雅春)はかなり国家主義的な教義を掲げて戦後勢力を伸ばした宗教です。アメリカのニューソートムーヴメントの影響も受けていますが、選良体制の打破と戦前回帰を掲げるような宗教であったそうです。1983年に政治からの決別を決定し、現在は大きく旋回してリベラルになっています。元々の教義を信奉する人々は「谷口雅春先生を学ぶ会」という原理主義的なグループを作っています。

 

日本会議に結集している保守系草の根の運動の手法は現代的、民主的です。右翼団体のように暴力をちらつかせるようなことはしません。各地に団体を作り、署名集めや請願を地方議会に行います。意見書が採択されたり、決議がされたりするとそれは大きな事実として残ります。そうやって運動の実績を積み重ねていきました。これは左翼、リベラル派も同じような運動をしてきているのですが、草の根の保守も粘り強く運動を展開してきました。彼らが望むのは人権や自由が制限された世界ですが、それを実現するために民主的な手法を選択している点は皮肉なものだと思います。

 

 私は、本書の最後に出てくる安東氏の逸話がとても気になりました。安東氏は10代で大病をし、7年間にもわたる壮絶な闘病生活の中で、『生命の實相』に出会い、生長の家の信仰で病気が治り、同世代の人々よりも遅れて長崎大学に入学しました。しかし、入ってみた大学では授業が行われませんでした。安東氏は授業が正常に行われるように求めましたが、左翼過激派の学生に殴り倒されるという経験をしました。この時、自分の傍らを一般学生たちは知らんぷりで通り過ぎて行ったということが安東氏の学園正常化運動に対する情熱の原点となりました。大学生にとって授業に出る、授業を再開して欲しいと願うことは当然のことです。そして、そのために行動したら左翼学生に殴られた、その時、見て見ぬふりで一般学生は通り過ぎていったということですが、安東氏は左翼学生に対する怒りよりも、一般学生に対する怒りを強くしたのだろうと思います。

 

 現在、生長の家は政治路線から撤退し、どちらかというとリベラルな方向に転換しています。昔からの信者たちは、「谷口雅春先生を学ぶ会」というグループを作っています。生長の家の原理主義グループというべきものです。現在、疑惑の中心になっている森友学園の副理事長である籠池夫人もこの会に参加していると言われています。籠池夫人は、一度、開成幼稚園(現在は休園)の近くで挨拶をしたのに返さなかったということで、小学3年生の児童を殴り、警察に逮捕されたことがあります。また、塚本幼稚園の保護者向けの文書では、駅を通行中にキスをする男女を見て、女性の手をつねり、男性に警察に突き出されたことを自慢げに書いています。籠池夫人は自分が持っている理想の姿、美しい状況に合わない状況に対しては過剰に反応してしまう人物のようです。

 

 安東氏と籠池夫人、どちらも真面目、おそらく馬鹿とかクソといった言葉がつくほどのまじめ人間なのだろうと思います。融通が利かないと言ってもよいのかと思います。そういう人物はえてして、この世の中では生きにくいことになります。彼らが言っていることのほとんどは「正しい」ことです。「殴られている人がいたら助ける、止める」「挨拶をしたら返す」というのは正しいことです。しかし、世の中には正しいことが必ずしも通らないことが起きます。そうした時に、不愉快な気持ちになっても、「まぁ仕方がないか」と諦めてしまう人がほとんどだと思います。しかし、安東氏や籠池夫人は違います。そうした中、安東氏や籠池夫人が属する「谷口雅春先生を学ぶ会」という生長の家の原理主義的グループは、現代日本を堕落していると考え、戦前に戻そう、美しい日本人(挨拶をしたら返すような)がいた戦前に戻そうとしています。

 

 彼らは理想主義者で、自分たちの持つ理想が現実のものとなるように動く人物です。問題は、理想とは万人にとって受け入れられるものではないということです。共産主義者の理想に反対する人がいるとの同様に、安東氏や籠池夫人が理想とする社会に反対する人もいるのです。もし理想社会が実現してもどうしても反対者が出てきますから、結果として秘密警察や強制収容所が出てきて、反対者は殺されるということになります。

 

 これまで私たちは、左翼の理想主義の怖さについては、北朝鮮やカンボジアの悲惨な具体例を見ることで認識してきました。しかし、右派・保守派に理想主義者が出現するとどうなるかということは、実際に体験しています。安倍晋三首相と安倍内閣の大臣たちのほとんどが日本会議と密接につながり、お互いを利用しながら、日本を彼らの理想とする「美しい国」にしようとしています。私はそれに反対するものです。そもそもこの世には理想は理念上は存在しても、実現せず、実現してもそれは人間の知恵の限界の悲しさもあって理想たりえない、ということを知ることが大人であって、それでも少しずつでも社会を生きやすい方向に持っていこうとするのが穏健な態度です。そういう点では、日本会議に集う人々は、年齢を重ねているとは言え、大人とは言えません。「左翼小児病」という言葉がありましたが、今は「右翼小児病」が蔓延している状況です。

 

 『日本会議の研究』は現在の日本政治について知り、考えるうえで大変有益な本ですので、是非お読みください。

 

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