古村治彦です。


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組織の不条理 - 日本軍の失敗に学ぶ (中公文庫)

 

 本日は、『組織の不条理 日本軍の失敗に学ぶ』を皆様にご紹介します。これは、新制度派経済学(New Institutional Economics)によって、旧日本軍の行った様々な事績を分析し、組織の陥りやすい陥穽について論じた本です。著者の菊澤研宗氏は経営学者・経済学者です。著者の菊澤氏は、新制度派経済学の3つの経済学理論(①取引コスト理論、②エージェンシー理論、③所有権理論)を使って、日本軍の失敗と成功の分析を行っています。

 

 太平洋戦争において、日本は最終的に連合国に降伏しました。日本国内のみならず、アジア・太平洋地域において、数多くの人命が損なわれ、傷つき、莫大な物資が浪費されました。太平洋戦争における日本の敗北についての分析については、『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』(戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎著、中公文庫、1991年)という本があります。この本も是非お読みいただければと思います。

 

 日本と日本軍の失敗、ということになると、これまで、物量を無視した精神主義、科学を無視する態度、非合理的な神がかりといったことが理由として挙げられてきました。一言で言えば、「アメリカやイギリスは合理的、日本は非合理的だったから負けたのだ、そもそも非合理的だったから勝てない戦争に乗り出してしまったのだ」ということになります。

 

 合理的(rational)というのは、「自分の利益を最大化するために行動する態度」ということになります。たとえば、A点からB点まで向かう際に、最短の2点間の直線状を進む、ということが合理的ということになります。社会科学において、合理的選択論(Rational Choice Theory)が一つの大きな分析枠組となっています。新制度派経済学は、人間の合理性には限界がある、ということを主張しています。

 

 人間の最大の利益は「自分の生命を永らえさせること」ということになりますし、国家にとっての最大の利益は「国家が滅びずに存続し続けること」で、政治家にとっては「選挙に当選して政治家であり続けること」です。そして、こうした利益のために行動することは、全て合理的な行動となり、行動のコストが小さくなればなるほど、素晴らしい行動ということになります。

 

著者の菊澤氏は、「組織の不条理」という言葉をタイトルに使っていますが、不条理という言葉について、「人間が合理的に失敗するということ」「人間組織が合理的に失敗すること」と定義し、その種類を「①全体合理性と合理性が一致しない、②正当性(倫理性)と効率性が一致しない、③長期的帰結と短期的帰結が一致しない」としています。そして、こうした不条理が生まれるのは、「人間が完全に合理的ではないから」という理由を挙げています。

 

 人間が完全に合理的であれば失敗はしないはずですが、限定的合理性しかもたないために、情報収集や分析で失敗をします。合理的に、失敗をしないように行動しても、目的を達成できない、ということが起こります。

 

 著者の菊澤氏は、組織の不条理を説明するための新制度派経済学の理論である、①取引コスト理論、②エージェンシー理論、③所有権理論で、太平洋戦争中の日本軍の行動を分析しています。

 

①の取引コスト理論とは、「人間は限定的合理性しか持たないので、人々は相手の不備に付け込んで利己的利益を追求する」というものです。合理的な行動を取るが結果としては非効率、非倫理が起きるというものです。人間はお互いに限定的合理性しか持っていないので、お互いに騙されないようにしようとします。そうしますと余計なコストがかかってしまいます。たとえば、新しく家を建てるという場合に、依頼主と建築業者の関係で言えば、依頼主は不良物件をつかまされたくない、建築業者はコストを下げて利益を上げたい、ということになります。お互いに完全な合理性を持っていないので、お互いに損をしたくないということになると、間に弁護士を入れるなどということになって余計なお金がかかります、これが取引コストということになります。また、何かを大きく変更する際に、発生するコストも取引コストということになります。本来要らないコストが発生する状態ということになります。菊澤氏はこの理論を使って、ガダルカナル島における日本軍の行動を分析しています。


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1942年8月、日本陸軍はガダルカナル島に滑走路を建設しました。これは、アメリカとオーストラリアとの間を遮断するためのものでした。アメリカは、日本に対する反攻をガダルカナル島から始めると決定していました。滑走路の完成直後、アレクサンダー・ヴァンでクリフト少将率いるアメリカ海兵隊第一師団がガダルカナル島に上陸しました。日本軍は防備(滑走路の建設作業員がほとんどだったので)をしていなかったために、滑走路はすぐに占領されました。

 

 日本陸軍はガダルカナル島奪回のために、ミッドウェイ島上陸に備えていた一木清直大佐率いる一木支隊を逆上陸させ、アメリカ海兵隊を攻撃させました。しかし、白兵突撃を敢行した一木支隊は防備を固めた海兵隊の前に敗退しました。死傷率が8割以上という凄まじい数字が残りました。欧米の基準であれば、この数字は部隊の全滅ということになります。一木支隊長は作戦後に自殺しました。

 

 大本営は続けて川口清健少将率いる川口支隊を派遣しました。川口支隊長もまた白兵突撃を選択し、ジャングルを迂回しての一斉攻撃を行いましたが、日本軍の動きを察知し、防御を固めていた米海兵隊はまたもこの攻撃を跳ね返しました。

 

 二度の攻撃に失敗した大本営は、三度目に向けて本腰を入れて準備をすることになりました。丸山政男中将率いる第二師団と川口支隊の生き残りによる本格的な大攻勢を企図しました。しかし、この時点で制空、制海はすでに米軍の手にあり、日本は兵員、物資、武器の輸送に苦労していました。その結果として、日本軍は深刻な食糧不足状態になり、「ガ島」は「餓島」と呼ばれるようになりました。

 

 第三回の大攻勢を前にして、川口支隊長は攻撃方法の変更と火力の増強を主張しましたが、大本営から派遣されていた辻正信参謀と意見が対立し、攻撃直前に支隊長を解任されました。そして、この大攻勢でもまた白兵突撃が繰り返され、失敗に終わりました。ガダルカナル島の戦いは半年ほど続きましたが、日本軍は最終的に撤退することになりました。

 

 日本軍は何度も失敗しながらなぜ白兵突撃にこだわったのか、という疑問が戦後ずっと残されてきました。日本軍は精神主義偏重であったこと、失敗を隠蔽し、責任を曖昧にし、失敗から学ぶという体質になかったことが理由として挙げられてきました。

 

 菊澤氏は、取引コスト理論でガダルカナル島における日本軍の失敗について分析しています。そもそも日本軍の特異な戦法が白兵突撃でした。1904年の日露戦争で強大なロシア陸軍に対抗したのは、白兵突撃でした。そして、1908年に制定された「戦法訓練の基本」でも白兵突撃に主眼が置かれました。その後、日中戦争や太平洋戦争の緒戦において、白兵突撃は威力を発揮しました。また、ガダルカナル島に派遣された第二師団は伝統的に白兵突撃を得意とする部隊でした。

 

 そうした中で、白兵突撃という戦法を放棄することは、これまでかけた教育にかけた時間と物資と人材を放棄する、伝統を放棄するという大きなコストを支払うことになります。これだけのコストを払うのか、それともそのまま白兵突撃を続けるのか、ということになり、結局、白兵突撃を続けるということになりました。ガダルカナル島での白兵突撃が全く効果なく跳ね返されたということはなく(第2回目の突撃ではアメリカ軍の防衛線を突破しかなり突き進んだ)、アメリカ軍兵士たちを恐怖に陥れるほどの威力もあり、全く無効な戦法ということでなかったために、放棄することができませんでした。従って、日本軍の選択は合理的であるということになります。しかし、合理的な行動が非効率、非倫理的な結果を生み出すことになりました。

 

(続く)



アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12