古村治彦です。

 

 今回は『代表的日本人』(内村鑑三著、鈴木範久訳、岩波文庫、1995年)を皆様にご紹介します。この本は1908年にRepresentative Men of Japanとして刊行されたものの翻訳です。

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内村鑑三

 内村鑑三(1861~1930年)は、明治期から活躍した宗教家であり、教育家です。内村鑑三は1877年に第二期生として札幌農学校(現在の北海道大学)に入学し、翌年にキリスト教の洗礼を受けました。1884年に渡米し、アマースト大学とハートフォード神学校で学びました。帰国後、複数の学校で教鞭を執ります。1891年に当時食卓で勤務していた第一高等中学校(現在の東京大学の前身校)で不敬事件を起こしました。これは教育勅語奉読式において、明治天皇のご親筆である署名に最敬礼しなかったということ非難を受け、退職を余儀なくされたという事件です。貧窮生活の中、その後著作活動に入ります。また、宗教的には、無教会主義を主張し、聖書研究会を始めます。


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代表的日本人 (岩波文庫)


 『代表的日本人』は内村鑑三の代表作です。日本歴史上の偉人を5名選び出して、その生涯を紹介しています。口語体で大変わかりやすい文体です。教会で聖職者が参会者に話しかける口調を文章にしているのだそうです。5名の偉人は西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人です。内村は日本で生まれ育ったキリスト教徒として、この5名を選び出し、西洋世界に日本の精神性の高さを紹介することを目的にして本書を書きました。

 

 ここに出てくる西郷隆盛と中江藤樹は陽明学の学徒として知られています。陽明学は儒学の一派で、「知行合一」を基本概念にして、実践を重視する学派です。江戸末期から明治維新にかけて活躍した人々の多くが陽明学を学んだ人々でした。内村鑑三が西郷隆盛と中江藤樹を偉人の中に選び出したのは、陽明学とキリスト教の親和性の高さを物語っていると思われます。「日本にはキリスト教はなかったが、それによく似た道徳はあり、それに基づいて行動した偉人たちがいる」ということを西洋社会の読者たちに訴えたかったのだろうと思います。更に言えば、中国で生まれた陽明学の中にキリスト教の影響はあるのだろうと思います。

 

 内村鑑三が選び出した5名、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人に共通することは何かということであれば、その精神性の高さであると思います。内村もその精神性の高さを評価し、それを西洋社会に訴えることで、日本は遅れた国ではないし、逆にこの精神性の高さがあったので、短期間で西洋諸国、列強と伍するところまで発展できたのだと訴えたかったのだと思います。

 

 その精神性の高さは「誠意」という言葉に集約されます。誠意を内村鑑三はどのように訳したのか分かりませんが、sincerityとでもしたのでしょうか。『西郷南洲翁遺訓』でも誠意を強調しています。ここで言う誠意とは、天の道に従うことを一心に一身を賭けて行うということで、ひとりよがりの善意ということではないようです。天意を知り、それを実行するということのようです。

 

 ここで言う「天」、西郷隆盛が好んだ言葉である「敬天愛人」でも使われている言葉ですが、これは神、超越的な存在ということになります。「敬天愛人」という言葉は儒教にもあるようですが、西郷隆盛は中村正直が訳したスマイルズの『西国立志編』に出てくる、キリスト教の諸原理を表現した言葉である「敬天愛人」に感動し、使うようになったということです。また、西郷は「人を相手にせず、天を相手とせよ」という言葉も遺していますが、ここで言う天も神ということになります。

 

 また、日蓮上人が取り上げられているのは、内村鑑三の無教会主義、聖書重視の姿勢と、日蓮上人の法華経に対する帰依が重なっているからだと思われます。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の信者は「啓典の民」と呼ばれるように、それぞれに経典、聖書が存在し、人々はそれを学び、敬います。日本の仏教は様々な宗派に分かれますが、日蓮は法華経こそが仏教の根本経典であるということで、それに帰依することを決心した、根本経典に立ち返るという点で、内村にしてみれば、マルティン・ルターにも匹敵する人物ということになったのでしょう。

 

 本書『代表的日本人』は、『武士道』(新渡戸稲造著)、『茶の本』(岡倉天心著)と並ぶ、英語で書かれた日本紹介の古典的名作です。わかりやすい日本語と訳注がついています。是非お読みいただければと思います。

 

(終わり)