古村治彦です。

 

 今回から2回にわたり、ジェイク・サリヴァンに関する記事をご紹介します。ジェイク・サリヴァンは、拙著『アメリカ政治の秘密』でご紹介しました、民主党の若手外交政策専門家です。サリヴァンはヒラリー・クリントンが国務長官を務めていた時期に、国務省政策企画本部長を務め、その後、ジョー・バイデン副大統領の国家安全保障問題担当補佐官を務め、2016年の米大統領選挙では、ヒラリー・クリントン陣営の外交政策立案責任者となりました。もしヒラリーが大統領になっていたら、史上最年少の大統領国家安全保障問題担当補佐官になっていたと言われる人物です。

 

 サリヴァンは、現在、イェール大学で週1回教えており、夫人が連邦最高裁判事の秘書官となる予定で、ワシントン周辺にこれからも居住する予定となっています。本ブログでもご紹介しましたが、ネオコンと人道的介入主義派が合同して創設した「アライアンス・フォ・セキュアリング・デモクラシー」というプログラムにも参加しています。

 

 これから2回にわたってご紹介する記事では、サリヴァンの現在について、更に2016年の大統領選挙後の心境について書かれています。記者がイェール大学まで行き、サリヴァンが法科大学院の学生たちと交流する場面を取材しつつ、そこにこれまでの彼の発言を織り込むという形で記事は構成されています。

 

 サリヴァンは、2016年の大統領選挙でヒラリー陣営に参加し、有利と言われながら敗北したことを大いに恥じ、責任を感じており、どうして敗北してしまったのかを分析しています。

 

サリヴァンは、ヒラリーが政策に偏った選挙演説ばかりで、人々の痛みを掬い上げ、語りかけるような演説をしていないことに不安を持っていた、ということです。そして、人々まとめあげることができなかった、それについて、選挙期間中にもっと強く助言すべきだったと述べています。

 

 ヒラリーはワシントンのエスタブリッシュメントが自分の華麗な経歴と頭の良さのために嵌ってしまう陥穽に落ちてしまったということになります。人々の怒りが充満していることに気付かなかった、ということになります。

 

 現在、アメリカでは深い亀裂が社会に存在しています。それはアメリカの衰退を示しています。そのような亀裂を生み出したのは、何も人種差別主義者や白人優越主義者たちだけの責任ではありません。人々の日常的な怒りや不満に気付かないで、きれいごとばかりを述べてきたエスタブリッシュメントたちにもまた責任があります。ヒラリーはその代表格です。

 

 サリヴァンは選挙期間中からそのことに気付いていたと述べていますが、彼の発言しか掲載されていないので、このことが本当なのかどうかは分かりませんが、選挙に敗北したのは、人々の不満を掬い上げ、まとめることができなかったからだ、という彼の分析は正しいし、彼自身が真剣にそのように考えているということが分かります。

 

(貼り付けはじめ)

 

大失敗から学んだこと:ヒラリー・クリントンのトップアドヴァイザーは衝撃的な敗北の意味を探す(Lessons in disaster: A top Clinton adviser searches for meaning in a shocking loss

 

グレッグ・ジャッフェ筆

2017年7月14日

『ワシントン・ポスト』紙

https://www.washingtonpost.com/world/national-security/lessons-in-disaster-a-top-clinton-adviser-searches-for-meaning-in-a-shocking-loss/2017/06/30/6ca81022-5453-11e7-b38e-35fd8e0c288f_story.html?utm_term=.8f524f6b56f3

 

コネティカット州ニューヘイヴン発。すべての計画がうまくいっていたならば、ワシントンにいる人々のほとんどが期待していたように、ジェイク・サリヴァンは今頃、大統領執務室からごく近い部屋で仕事にいそしんでいたことだろう。

 

サリヴァンはワシントンのエリートの中でも屈指のエリートであった。ローズ奨学金を得てのイギリス留学、イェール大学法科大学院卒業、最高裁判事の秘書、ヒラリー・クリントンの国務長官時代の側近という華麗な経歴を誇っている。バラク・オバマ大統領時代にシチュエーションルームに入ることができる人物であった。

 

ヒラリー・クリントンが大統領になっていれば、サリヴァンが国家安全保障分野の中心人物であっただろうというのがワシントンの常識になっている。サリヴァンは現在40歳だ。クリントン政権ができていれば、サリヴァンはアメリカ史上最年少の安全保障問題担当補佐官になったはずだ。

 

現実には、クリントンではなく、ドナルド・トランプが大統領に当選した。サリヴァンは友人たちに対して、ワシントンのエスタブリッシュメントに数十年来の中で最も衝撃を与えた選挙結果を受けて、「さらし者」にされた気分であったと語った。

 

最近のある日の夜、サリヴァンはオレンジ色のドアを押し開け、絨毯が敷かれた階段を上り、落ち着いた照明のついたアパートの部屋に入った。そこには10名ほどのイェール大学法科大学院の学生たちが待っていた。学生の多くは、サリヴァンがワシントンでやってきた仕事に関心を持ち、自分たちもそうした仕事がしたいという希望を持っている。

 

しかし、サリヴァンは自分とアメリカがこれからどのようになっていくのかを確定的に言えないと感じている。 彼は自分の時間をワシントンにあるシンクタンクとイェール大学とに分けている。サリヴァンは1週間に1日、イェール大学で法と外交政策について講義を行っている。彼のキャリアはほぼすべて、移動性が高く、不確かで、落ち着かないものだった。

 

ヒラリー敗北の直後、サリヴァンは友人たちに対して、「この結果について大きな責任を感じるよ」と語った。それから数か月経っても、この責任感は拭い去れなかった。

 

ヒラリーと彼女の側近たちは、選挙戦は盗まれたのだと今でも語っている。彼らは、ロシアによる介入に怒り、投票日直前に当時のFBI長官ジェイムズ・B・コミーが情報を公開したことに不満を表明し、オバマ大統領がロシア大統領ウラジミール・プーティンに強硬な姿勢を取らなかったことを批判している。

 

ヒラリー・クリントンは最近のインタヴューで次のように述べている。「忘れていただきたくないのは、私は相手よりも300万票以上多く獲得したのです」。

 

サリヴァンはヒラリーの側近中の側近として、彼女の敗北は自分の力不足の結果で、自分に責任があると感じている。彼は自分がやった間違いを理解し、それをどのように修正できるかのを知りたいと考えている。

 

彼は口癖のように「私は敗北について恥ずかしく思っています」と語る。

 

私が訪問した夜、サリヴァンは、学生のアパートで古ぼけた椅子に座り、優秀で野心的な若者たちでいっぱいになった部屋を見渡した。膝の上に器用にピザの皿を乗せた。学生の一人がビールを手渡した。

 

2年生になる学生が出席者たちに「みんなジェイク・サリヴァンのことを知っているよね?」と語りかけ、続けて次のように言った。「サリヴァンさん、もう立ち直りましたか?」

 

ワシントンの政策立案に関与している人すべてはジェイク・サリヴァンをよく知っている。少なくとも名前は知っている。

 

長年にわたり、サリヴァンは、第二次世界大戦以降のワシントンの灰色のスーツを着た賢人たちに連なる人物であると言われてきた。高名な外交官であった故リチャード・ホルブルックは、サリヴァンは国務長官にふさわしい長所を全て備えていると述べたことがある。また、ヒラリー・クリントンは友人たちに、サリヴァンは大統領になれると語ったという。

 

サリヴァンは窓の外のヒルハウス通りを眺めた。マーク・トウェインはこの通りを「アメリカで最も美しい通り」と呼んだ。この日の夜に皆で集まったアパートからヒルハウス通りを3ブロック行った先に、サリヴァンは2000年代初めに法科大学院の学生の時に住んでいたアパートがある。学生たちはジーンズにTシャツ姿であった。サリヴァンはワシントンにいないときに好むいつもの格好をしていた。スーツのズボン、ボタンダウンのシャツでネクタイをしていなかった。髪は直毛を伸ばしている。

 

サリヴァンがワシントンでのキャリアをスタートさせる手助けをしてくれた師匠にあたる人々が数人いる。外交評議会元会長レスリー・ゲルブがまず挙げられる。サリヴァンは夏のインターンとして、外交評議会で働くことになり、その時に偶然、ゲルブのオフィスに配属された。

 

次にブルッキングス研究所所長ストローブ・タルボットが挙げられる。2000年、サリヴァンは法科大学院に入学した。タルボットは、この年に新設されたイェール大学グローバライゼーション研究センターの所長に選ばれた。サリヴァンは「当時は、グローバライゼーションは社会を前進させる力だという考えが習流の外交政策のコンセンサスになっていた」と述懐している。サリヴァンはタルボットに、自分もローズ奨学金を受けてイギリスに留学したこと、学内紙『イェール・デイリー・ニュース』の編集をしていることを伝えた。

 

ホルブルックも師匠にあたる。ホルブルックはゲルブの推薦を受けて、サリヴァンに対して、ヒラリーの1回目の大統領選挙出馬で選対に入るように提案した。最後に、ヒラリー・クリントンを挙げねばならない。ヒラリーはサリヴァンを称賛し、信頼した。そして、自分の側近の中に加えた。

 

サリヴァンは自身のキャリアとヒラリーの共に失敗に終わった2度の大統領選挙への出馬について、「機会をつかもうと思って、“はい、分かりました”と答えたんだ」と語った。そして、サリヴァンは動きを止めてしかめ面をし、次のように語った。「そのような選択をしたので、2度の選挙の失敗と悲劇を経験してしまったのだけれど」。

 

ヒラリーがサリヴァンに接触したのは2012年だった。ヒラリーはサリヴァンに、イランとの核開発プログラムに関する秘密交渉の開始を手助けしてくれるように依頼してきた。ヒラリーが国務長官を辞めた後、オバマ大統領はサリヴァンをホワイトハウスに入れ、毎朝大統領に対して行われる情報・諜報に関するブリーフィングに出席できる少人数のグループの一員となった。

 

学生たちは、イランとの核開発に関する合意についてのサリヴァンに次々と質問を浴びせた。これらの質問は学生たちが本当に聞きたい話の前奏曲でしかなかった。彼らのききたい話、それは選挙、選挙の後、そして、学生たちのようなワシントンで働きたい人々にとって長期的見通しであった。

 

3年の学生は「私たちは選挙結果に失望しました。あなたは立ち直りましたか?」と質問した。

 

サリヴァンは「通常の共和党が勝利をしたのなら、自分にとって今よりも良い気分であっただろうね」と答えた。

 

週末が休みになるのは10年ぶりのことだ。サリヴァンは教えることが好きだ。彼は新婚でもある。「それでもトランプの勝利は受け入れがたいものです。今でも眠れないことがよくあります。もっとこうしたらよかった、こうできたということを考えているのです」とサリヴァンは語った。

 

別の学生がもっと傷をえぐるような質問をした。「あなたは何が起きたかを分析する理論を持っていますか?」。

 

サリヴァンは「分からないな」と答えた。彼はその後、彼はじっとして天井を眺めた。

 

この学生はサリヴァンの態度に嫌なことを聞きすぎたと心配になって、「そんなに真剣に考えていただかなくても」と言った。サリヴァンはそれでも更にしばらく答えを出そうとして考えた。

 

「せっかくのピザがおいしくなるような会話だね」とサリヴァンは答えた。

 

この学生がした質問は、それまでの複数回のフォーラムと夕食会でも質問され、サリヴァンが取り組もうしてきたものだ。数週間前のハーヴァード大学教員クラブでの会合に、2015年の選挙で、20歳のスコットランド国民党の候補者に選挙で敗れたイギリスの元国会議員が出席した。彼は、この問題は既に自分たちが経験していると述べた。

 

この人物は「答えを持っている政治家と怒りを持っている政治家との間の戦いなのです」と語った。

 

「それを聞いて、PTSDが起きてしまいます」とサリヴァンは答えた。

 

サリヴァンがその晩に感じた心的外傷後ストレス障害によって、彼は選挙戦の移動の飛行機の中でヒラリーと交わした議論を思い出した。サリヴァンは政策に関する上級顧問で、選挙戦でヒラリーが政策に比重を置いた演説をしていることについて、選挙では有効ではないのではないかと心配していた。

 

ヴァーモント州選出連邦上院議員バーニー・サンダースと民主党予備選挙期間中、サリヴァンはヒラリーに次のように助言したと述懐している。「人々の痛みに関連する問題の診断に集中するべきなのでしょうか?」。

 

ヒラリーは次のように答えた。「いいえ。これは就職の面接試験なの。人々は私がどのように修正をするのかを知りたがっているのよ」。

 

サリヴァンはこの問題についてヒラリーにもっと強く助言すべきだったと後悔している、と述べている。本選挙では政策で結果が決まるものではないということが明らかになればなるほど、彼の後悔は深くなっている。

 

選挙戦の最終盤、サリヴァンは選挙の投票日が近付くほど、選対のほとんどの人たちよりも心配し、イライラするようになった。同僚たちはサリヴァンのイライラを彼の心配性と常に反省ばかりする性格のせいにしていた。サリヴァンの元同僚は次のように述べた。「彼はいつも悲観的で反省ばかりの人だ」。

 

サリヴァンは、ヒラリーに対して、政策の診断よりも人々の共感や怒りに重点を置くべきだと強く進言すべきだったのかどうか、今でも考えている。彼は「“壁を建設する”なんて政策的な解決でも何でもないですよ。しかし、移民とアイデンティティについて懸念を持っている人々の心に訴える言葉ではあったんです」と語った。

 

しかし、サリヴァンはそれ以上批判をしなかった。ヒラリーと自身の役割を弁護した。彼は次のように語った。「結局は人々に対して何を手にできるかということを語るということなんです。ヒラリーはそれができる人でしたし、実際にそれができて、人々を熱狂させるときもありました」。 彼は飛行機でヒラリーと交わした会話の重要性を軽視した。

 

サリヴァンは「これは選挙戦術の問題以上のことではない」と述べた。

 

サリヴァンは答えを求めて考えている。この時思い出すのは、民主党全国大会の大4日目の夜のことだ。息子をイラクで亡くしたキザル・カーンがスーツのポケットから、ポケット版のアメリカ合衆国憲法を取り出し、トランプがアメリカ最高の理想を汚していると叫んだ夜だ。

 

サリヴァンは学生たちに語り掛けた。「私たちは答えを知っているよね。国旗は私たちの国が偉大な国家、許容する国家、寛大な国家であることを示している」。

 

しかし、ヒラリー選対はこの瞬間を、人々を一つにまとめるメッセージにまで昇華させることができなかった。大統領選挙での討論会では、人種、移民、格差、中絶、性差のないお手洗い、といった分裂を誘発する問題に戻ってしまったとサリヴァンは述べた。

 

サリヴァンは次のように語った。「私はこの夜のことを、選挙運動を通じて全国に広げねばならないと考えていた。しかし、そんなことをしても現実の問題の解決にはならないのだ。なぜなら、私たちは現実に存在する、人々が苦しんでいる様々な問題に対処しなければならなかったからだ。アメリカの政策に関しては今でも様々な議論や主張がなされている」。

 

(貼り付け終わり)

 

(続く)

アメリカ政治の秘密
古村 治彦
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2012-05-12






野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
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2014-05-23