古村治彦です。

 

 日本では高等教育(大学や短期大学)への進学率が57%くらいになっています。アメリカは74%になっています。アメリカでは大学に進学し卒業しても、大学教育や学士号に見合う職業に就けない人たちが出て来ているという問題が起きています。ある調査では、アメリカのタクシー運転手の15%が学士号を保有しているという結果が出ています。

 

 また、「職業内容の高度化、専門化」ということも言われており、日本では小中高の先生に教員免許だけではなく、大学院教育で修士号や博士号を取得させようという動きなどもあります。できるだけ長い時間教育を受けさせ、専門知識や技能を得させようという動きがありますが、大学側から見れば、ある職業を志望する場合に、専門教育を受け、資格を必要とするとなると、学生を確保し、学費などを確保することが出来るというメリットがあります。そして、大学教員や大学職員の生活を保障するということになります。これは当然のことです。

 日本は経済成長のないデフレ状態となって久しく、様々な物価が下がっていく中で、大学の学費は上昇していきました。それでも大学教育は将来への投資と思って親御さんたちは食べるものも食べないで、子供たちを大学に出しました。しかし、将来が不安定中で、このような我慢が実を結ぶのかどうか、不安な状況です。そうした中で、大学教育がこうした人々の弱みに付け込んで、人々のお金を食い物にしたという側面を大学側も反省しなければなりません。そうしなければ、大学は社会の中で人々の恨みを買い、生き残ることはできなくなります。

 

 大学教育に関して、「そんなのいらない」という人たちに対して、大学としては志望者や入学者を減らしたくないので、「大学で受けた教育は無駄になりません」「教養は人生を豊かにしてくれるものです」と反論します。しかし、そうした主張が本当かどうかはそれぞれの人たち(大学側と学生、卒業生側)の主観なので難しいところです。また、今回ご紹介する記事の最後にあるように、大学側が大学教育に対して懐疑的な主張に対して、「そんな主張は大学教育に恨みを持っている人たちには魅力的でしょうね」という見下した態度のままで、大学教育に対する懐疑論を自分たちで真剣に検討し、研究しなければ、懐疑論に対する有効な反論を生み出すことはできないでしょう。

 

 日本では長らく、大学のレジャーランド化が言われてきました。「難関大学に入って遊びほうけてもらって構わない。卒業後に入社した会社で一から叩き直すから。下手に理屈っぽくなられても困る」というのが日本の方式でした。しかし、今は「大学時代に実戦的な技能を教えておいてもらいたい」という要求が企業からも出るようになっています。大学教育もそうした要求に応えて、「実践的」な教育をしなければならなくなっていますが、「実践的」の内容が曖昧です。ビジネスマナーやパソコンの技能といったものを教えることが実践的なら、何百万円もかけて大学に行く必要があるのかどうか、ということになります。

 

 学問は世の中に役に立っているのか、ということを学問の側からももっと上から目線ではなくアピールするようにしなければ、ますます「実学」志向が進み、人々の共感を得られなくなるように思います。「自分はお客を選ぶ」「自分のやっていることは世界レヴェルで貴重なことだ、分からないアホがダメなんだ」という態度では社会的な営為である学問を縮小させることになるのではないかと思います。

 

 結局、大学進学ということは、学位を取得して、「私は難しい試験に合格して、大学も卒業できました。だから知能が高いのです」ということの証明、シグナルということになります。専門職以外の場合は特にその傾向が強まります。一枚の学位記をもらうために生活費を含めて数千万円をかける、ということが現状になっています。

 

 大学教育や教育は、受ける側からすれば「人生の成功が人質に取られている」という感覚で捉えられてしまうので、高い教材や高い制服などについても「仕方がないか」ということで、不満に思いながらも、唯々諾々と支払ってしまいます。有名私立大学の付属小学校などでは入学時に数百万円の寄付金なんて話も聞きますが、「これで有名大学の学位が保障され、自分は金持ちだという証明がなされるのなら安いものだ」ということになります。私たちは教育の奴隷、人質になってはいないかということを考えてみることも必要ではないかと思います。

 

 子供たちに教育を全く受けさせないというのは虐待ですし、社会を破壊する行為ですから許容できません。しかし、大学に行くことが人生に落伍しない最善の方法だという考えもそれが本当なのかどうかということも時に疑ってみるということも必要なのだろうと思います。それでも多くの人たちは、「大学に行かなければ社会的に恵まれた生活はできない」という考えを変えないでしょう。

 私は大学教育と実学志向を何とか調和させる方法を大学側が考えてみるということが重要ではないかと思います。そして、これに成功した大学が21世紀以降の日本の名門大学になっていくのではないかと思います。

 

(貼り付けはじめ)

 

学校の中で40年間を過ごした経済学者がトランプ政権にのぞむのは教育予算の削減だ(Economist who spent 40 years in school wants Trump administration to spend less on education

 

2018年2月13日

『マーケット・ウォッチ』

https://www.marketwatch.com/story/economist-who-spent-40-years-in-school-wants-trump-administration-to-spend-less-on-education-2018-02-12?mod=sm_fb_post&link=sfmw_fb

 

最新刊『教育に対する反論』の中で、ブライアン・カプランは公的な教育の利益について反対の意見を述べている。

 

彼もまた私たちと同じく、生徒・学生であったが、今は教授だ。しかし、彼は今やアメリカの教育システムにうんざりしている。

 

リバータリアニズムを信奉する経済学者ブライアン・カプランは生徒と先生として教育の中で40年を過ごした。この40年でカプランが行きついた確固とした信念は、「私たちは教育システムに投資するのを止めるべきだ」というものだ。最新刊『教育に対する反論:教育システムが時間とお金の無駄遣いであることを示す理由(“The Case Against Education: Why the Education System is a Waste of Time and Money”)』の中で、カプランは、アメリカの教育システムは、きちんとした実体のある技能を学生・生徒たちに与えていない、と主張している。カプランは更に、私たちの教育システムが供給するのは、雇用者に対しての、求職者たちが社会的に承認を受けているというシグナルでしかない、と述べている。

 

カプランは次のように述べている。「教育がキャリアの中で人々を助ける2つの全く異なる理由が存在する。一つ目の理由は私たちが語りたがる物語と言える」。もう一つの理由は、より真実に近い物語である。カプランはこれについて次のように語る。「人々は自分がいくつもの厳しい関門をくぐり抜けてきたことを見せびらかす。雇用者は、人々が関門をくぐり抜けることで額に貼り付けてきたシールを見て、その人に関心を持つ」。

 

カプランの最新刊は時宜を得た書籍である。カプランは、政策立案者と教育界の指導者たちは、職業訓練や学生たちが仕事に就いて役立つ実践的な技能を学べるようにすることにより力を入れるべきだと主張している。カプランが述べたことは既に起きているとも言える。月曜日にトランプ政権が発表したインフラ整備計画では、短期の特定の職業に対する訓練に連邦予算をつけるということが盛り込まれている。

 

●大学教育にかかるコストはそれだけの価値があるのか?(Is the cost of a college education worth it?

 

カプランの著作は、教育の価値に関する論争に対しての最新の参加者となっている。大学教育にかかるコストが増大し続け、学生たちが背負う夫妻の額も増加している。このような状況下で、多くの人々が「学士号は取得するまでにかかる時間とお金の価値に見合うものなのかどうか」という疑問を持つようになっている。小学校から高校までの教育に資金を投入して酷い結果しか出ていないということで、人々の中には、私たちの教育予算は適切に使われているのか、そもそも効果があるものなのかという疑問を持つ人々が出てきている。

 

しかし、政府の教育に対する投資をとにかく削減すべきだという主張が出るのはまれだ。カプランは「このような主張は大変に不人気な立場であることは自覚している」と述べている。それでも、カプランは、アメリカの教育システムに多額のお金を投入することは、資格や信任状の氾濫状態を引き起こすと確信している。もしくは、同じ仕事でも数十年前よりもより高い学位や資格を必要とする状況が生まれる、と確信している。現在の求職市場においては、より教育を受けた求職者が殺到するようになっている。これはこれまでの歴史でもなかったことだからだ。

 

最新刊の中で、カプランは1970年代から1990年代にかけてのデータを引用している。データによると、労働者の教育機関は1.5年延びている。現代の職業においてはより高度な技能が必要となっているが、教育機関の延長でそれに対応しているのは20パーセント分でしかない。

 

カプランは次のように述べている。「様々なアクセスの方法が確立され、教育予算が削減され、人々が今よりも教育を受けないようになると、雇用者たちは“もうえり好みなんてできない”と言うことになる」。

 

●しかし、雇用者は教育を受けた労働者たちに高い給料を払う(But employers reward educated workers with higher salaries

 

カプランが主張するような考えには反論が出る。ジョージタウン大学教育と労働力センター所長アンソニー・カーネヴェイルは「雇用者が学位を持っている労働者により多くの報酬を与えるのは、多くの場合、雇用者にとって何か現実味があるものにお金を払っているということなのだ」と述べる。

 

カーネヴェイルはカプランの著作を読み、次のように述べた。「70年代の経営者たちは、大学教育に投資をせずに、使えない人材を雇ったという点で賢かったと言うのだろうか?明確なことは、雇用者たちは何かを買おうとし、彼らが買おうとしていたのは技能だ。彼らは巨額の投資をし、より多くの報酬を支払っている」。

 

カーネヴェイルは教育システムにおいてシグナルを発すること(学位や資格)は一定の役割を果たすという点は同意している。例えば、大学で4年間を過ごしたが学位を取得しなかった人物は、一枚の紙きれを持つ人物よりも報酬が低い。しかし、カーネヴェイルは、一枚の学位記を別にして、学校に行くことで、何か価値あるものを得ることが出来るという研究結果があると述べた。

 

●教育は偉大な上昇装置なのか?(Is education the great equalizer?

 

ある研究の結果、教育レヴェルはGDPの成長を決定する3つの要素となっている、とカーネヴェイルは述べている。他の研究では、低所得の世界の子供たちが教育を受けると、IQが向上するという結果が出ている。

 

「明らかなことは、子供時代と大人になってから人々に起こることは、経験しているかどうかにかかっている。子供時代から大人になるまでの期間の大部分の経験は学校を通して行われる。貧しい家庭の子供たちでもともと素質がある子供たちは、教育を受けなければ、彼らが達成できたであろうことは達成できない。恵まれた家庭の子供たちは素質がよければ教育を受けて更に伸びて、彼らが達成できたであろうことを達成することが出来る」。

 

カプランは、教育が社会の平等化(貧しい家庭出身者が教育を受けて上昇する)ことを促進するのかどうかについて疑問を持っている。私たちは、貧しい家の子供たちが教育を受けて成功を収めるという最高のシナリオを想像しがちだ。カプランは、貧しい家庭出身の学生たち、特に男子生徒たちは、採用市場から結果として切り離されていると述べている。その理由として、カプランは、現在の教育システムでは、学生たちが教育や学問に興味がなくても、とりあえず大学に進学するように促すようになっていることを挙げている。

 

より良い方策は、大学進学に興味がない若い学生たちに、学士号などがなくても給料が良い仕事を与えることが出来るような教育システムを作ることだ。カプランは、「人を採用する際に大学教育を受けていない人たちを拒絶する人たちが一定数存在する。求職者が見合った学位などを持っていなければ、彼らの提出した書類はゴミ箱行きになってしまう」。

 

カーネヴェイルは、より多くの職業訓練を実施することについてはカプランに同意している。それでも、カーネヴェイルは、「特定の技能と一般的な知識を混合したカリキュラムによって最高の結果が出ていることを示す研究結果もある」と述べている。そして、カプランの主張についてどう考えるかと質問したところ、カーネヴェイルは「教育に対して、特に大学に対して恨みを持っている人たちには魅力的でしょう」と答えた。

 

(貼り付け終わり)

 

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(終わり)