古村治彦です。

 

 今回は、悪名高い薩摩藩の行った「密貿易」と「贋金づくり」についての最新研究を参照しながら見ていきたいと思います。2018年のNHKの大河ドラマは、西郷隆盛(さいごうたかもり、1828-1877年)を主人公にした「西郷どん(せごどん)」です。原作は林真理子の小説『』です。1990年の「飛ぶがごとく」や2008年の「篤姫」と同じく、鹿児島が舞台になります。

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西郷どん! 並製版 上

 

 私も鹿児島生まれ、鹿児島育ちですが、私くらいの年代(40代)でも鹿児島弁はだいぶ使わなくなりました。「西郷」を「せご」と呼ぶ人は多くないと思います。また、「さぁ(様)」や「どん(殿)」を使う人も私の周りにはいませんでした。イントネーションは鹿児島弁独特のものでしたが、単語などはほぼ標準語と同じものを使っていました。「ぐらしか(かわいそう)」「むぜ(かわいい)」といった言葉は聞けば分かりますが、使いませんでした。鹿児島弁はイントネーションを残してだいぶ使わなくなっています。そのうち、イントネーションも変化していくかもしれません。

 

 私は大河ドラマ『西郷どん』を見ていませんが、見ている人たちからの話やツイッターなどでの感想を見ていると、今回のドラマではところどころで史実に基づいた描写があるようです。最新の研究成果が使われているようです。


 今回は徳永和喜著『海洋国家薩摩』(南方新社、2011年)と 
『偽金づくりと明治維新 薩摩藩偽金鋳造人安田轍蔵』(新人物往来社、2010年)をご紹介します。徳永和喜氏は1951年生まれ、九州大学から文学博士号を授与されています。鹿児島県の公立高校の教師を務め、その後、鹿児島県歴史資料センター黎明館の学芸課長、鹿児島大学、鹿児島国際大学の非常勤講師を歴任し、現在は鹿児島市立西郷南洲顕彰館館長を務めています。

 

 徳永和喜著『海洋国家薩摩』(南方新社、2011年)には、鹿児島と東アジア諸国との関係が詳しく描かれています。『海洋国家薩摩』の最新研究の結果をもとに、アジアと薩摩のつながりをご紹介していきます。

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海洋国家薩摩

 

 薩摩は歴史上、日本と東味が交錯する場所としての役割を果たしてきました。それは戦国時代から江戸時代になっても変わりませんでした。島津氏は直轄地とした山川港で朱印船貿易を行いました。中国からの商人たちが多数やって来て、薩摩藩内の各地で暮らすようになりました。島津家では中国貿易で中国商人たちとトラブルが起きた場合には、中国人商人に訴状を提出させ、鹿児島城下の臨済宗寺院の大龍寺住職だった南浦文之(ルビ:なんぽぶんし 1555-1620年)に照会し解決すると定めました。

 

 山川港は指宿、開聞岳の麓にある天然の良港です。島津氏は戦国時代に、三州統一(薩摩、大隅、日向)を行う過程で、地元の豪族であった頴娃氏から山川港を奪い取り、直轄地としました。それ以降、明治維新期まで、薩摩藩の海外貿易、琉球口貿易の拠点となりました。

 

 鹿児島には薩南学派と呼ばれる儒学の一派が形成されました。その創始者は、臨済宗の禅僧であった桂庵玄樹(ルビ:けいあんげんじゅ、1427-1508年)です。桂庵玄樹は現在の山口県で生まれました。京都で学んだ後、山口に帰り、その後、明に遊学しました。1478(文明10)年に島津家に招かれ、薩摩で儒学を教えました。南浦文之は孫弟子にあたります。

 

どうして日本の辺境である薩摩で儒学が盛んになったのでしょうか。しかも禅僧が儒学を教えるというのは何とも奇妙な話です。ここで簡単に言うと、禅僧たちは中国貿易において文書記録係、通訳をしていました。だから、貿易を行っていた、日本の辺境の領主たちは、禅僧を招いていました。そして、多くの禅僧が集まり、育っていきました。

 

 また、江戸時代まで山川港では南蛮貿易も行われていました。山川港にはイエズス会の司祭と修道士が駐在していました。島津氏はキリスト教の布教は禁止していましたが、イエズス会が教会を建設し、聖職者たちを滞在させることを認めていました。それはポルトガルをはじめとするヨーロッパ各国と南蛮貿易を行うことで、莫大な利益を得ようとしていたからでした。1561(永禄4)年に島津貴久(るび:しまづたかひさ 1514-1571年)がイエズス会インド地方区長宛てに出した書簡には、「安全を保障し、便宜を図るので是非ポルトガル人に来て欲しい」ということが書かれています。

 

 江戸幕府成立後の1609(慶長14)年、薩摩藩は琉球へ侵攻し、支配下に置きました。琉球は中国の王朝に臣属し、朝貢(ルビ:ちょうこう)を行っていました。これを冊封(ルビ:さくほう)体制と呼びます。薩摩藩は琉球を支配するによって石高が増加し、琉球口貿易を独占できました。幕府は長崎を唯一の窓口を独占しましたが、実際には対馬・宗氏の朝鮮口貿易、薩摩・島津氏の琉球口貿易、蠣崎氏(松前氏)の松前口貿易が認められていました。従って、薩摩藩が行った琉球口貿易は厳密に言えば「密貿易」ではありません。薩摩藩から輸出品を琉球に運び、琉球が進貢船を中国に出す。持ち帰ったものを薩摩が日本国内で売りさばくことで利益を得ましたが、これは幕府に認められた貿易でした。

 

 ただ、幕府が認めた以上の量の物資を買い入れて輸出し、中国からの輸入品を国内で売りさばくことは「密貿易」となります。そして、薩摩藩は厳しい財政状態もあり、恒常的に「密貿易」を行わねばならない状態でした。薩摩藩では輸出品の主力である昆布を集めるために、富山(越中)の売薬商人たちに薩摩入国と商売を認める代わりに、昆布の収集を命じました。売薬商人たちは北前船のネットワークを通じて、昆布を集め、薩摩に売り渡しました。

 

 薩摩藩は、琉球に通じる奄美群島の各島に唐通辞と朝鮮通辞と呼ばれた中国語通訳と朝鮮語通訳を自前で養成し、配置しました。これは、難破船や漂着船を保護するためということが名目にかかげられていましたが、実際には、対外情報集と密貿易用の人材であったと考えられます。また、薩摩藩では、長崎のオランダ通辞を招聘しての蘭通オランダ語通訳の養成にも着手していた。薩摩藩のオランダ語通訳は後に英語も学ぶようになっていった。

 

薩摩藩は斉彬藩主時代から貨幣鋳造で利益を出そうとしていました。貨幣鋳造が薩摩藩の資金力の第三の柱となりました。徳永和喜著『偽金づくりと明治維新 薩摩藩偽金鋳造人安田轍蔵』(新人物往来社、2010年)、『海洋国家薩摩』(南方新社、2011年)に、斉彬から久光時代にかけて行われた貨幣鋳造の歴史が詳しく書かれています。この研究の基になっているのは、斉彬と久光の側近として活躍した市来四郎(ルビ:いちきしろう 1829-1903年)が残した『市来四郎文書』です。

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偽金づくりと明治維新

 

市来四郎は明治維新後も久光に仕え続け、自分が関わった薩摩藩の幕末の歴史を記録として残した人物だ。市来は斉彬時代には、集成館事業に関わった。また、琉球に渡り、対外交渉にもあたった。久光時代には、貨幣鋳造、後には偽金づくりに関わることになる。貨幣鋳造に関しては小松帯刀も藩政の責任者としてかかわっている(高村直助著『小松帯刀』、106-107ページ)。

 

 貨幣鋳造計画は斉彬時代に始まります。薩摩藩はそもそも偽金ではなく、幕府から許可を得て貨幣を鋳造する計画を持っていました。これは、外国船来航に伴う警備の強化のために膨大な資金が必要となり、その資金を得るために貨幣を鋳造し、出目を稼ごうというものでした。しかし、1858(安政4)年に斉彬が死去したことで、貨幣鋳造計画は中止となりました。貨幣鋳造計画が再始動したのは1862(文久2)年からです。

 

 貨幣鋳造計画再始動の中心となったのは、斉彬の側近であった市来四郎と安田轍蔵(ルビ:やすだてつぞう)という人物だった。安田轍蔵は桑皮を原料とした布(木棉、きわた)を開発し、1861年に幕府から製造許可を得た。安田は、木棉の決済手段として薩摩藩が持っていた琉球通宝計画に目をつけ、薩摩藩に召し抱えられました。安田は安納信正、久世広周、水野忠精といった老中、小栗上野介忠順といった幕閣に食い込んでいました。安田の根回しもあり、薩摩藩に琉球通宝鋳造の許可が下りました。琉球通宝は、幕末に流通した銅銭である天保通宝の一種とされました。天保通宝1枚は100文とされたが実際には80文で流通しました。江戸時代の通貨単位を大まかに書くと、「1両=4分=16朱=4000文」となります。

 

琉球通宝の製造について、幕府は「3年間で100万両」を許可したが、実際には3年間で300万両分を製造した、と市来四郎は証言しています。薩摩藩では琉球通宝という文字を天保通宝と変えて製造するようになりました。これは偽金ということになります。薩摩藩ではさらに、二分金という金貨の偽金づくりも行いました。銅の台の上に金メッキをするというものでした。偽物の二分金を貿易の支払代金などに使ったと言われています。

 

 幕末の薩摩藩の資金力の3つの柱となったのは、琉球口貿易、黒糖の専売、貨幣鋳造(偽金づくり)でした。これらの事業で獲得した資金が蒸気船になり、鉄砲になり、近代的な工場群となりました。そして、1858年から1868年の幕末最後の10年で、これらを整備し、発展させたのが島津久光と小松帯刀を代表とする側近たちでした。この資金力の上に薩摩藩は強大な軍事力を有し、雄藩として存在感を発揮することが出来ました。沖永良部島から政治の表舞台に復帰し、薩摩藩の軍事司令官となった西郷隆盛は、久光と小松帯刀らによって整えられた条件があって輝いたと言えます。

 

 大河ドラマ『西郷どん』を見て、鹿児島の歴史に興味を持った方は今日ご紹介した本も読んでいただけますようによろしくお願いいたします。

 

(終わり)


※私の仲間である石井利明さんのデビュー作『福澤諭吉フリーメイソン論』が2018年4月16日に刊行されます。大変充実した内容になっています。よろしくお願いいたします。

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(仮)福澤諭吉 フリーメイソン論

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