古村治彦です。

 

 今回は南米を代表する作家マリオ・ヴァルガス・リョサに関する記事をご紹介します。リョサは、ガルシア・マルケスと並んでラテンアメリカ文学を代表する作家です。ノーベル文学賞を受賞しています。

 

 私はリョサの作品を恥ずかしいことにほぼ読んだことがなくて、The Storytellerという作品だけ読んだことがあります。日本語では『密林の語り部』という題で翻訳も出ているそうです。ペルーに住むユダヤ人がある部族の神話の語り部になるという話で、不思議な内容だったことは覚えています。幻想的でもあり、現実的でもあり、現代的だなぁという印象です。

 

 さて、リョサは現在、スペインで暮らしています。南米の知識人としては珍しくというと語弊がありますが、彼は自由主義を信奉しているそうです。しかし、リョサの考える自由主義は市場至上主義に還元されるものではありません。共産主義や実存主義に傾倒した若い時代を経て、リョサはイギリスの伝統的な自由主義を現在は信奉しているようです。記事の中では、「経済、政治、文化の自由である。この自由は分割不可能であるとリョサは考えている。また、不同意に対する寛容さと機会の平等、教育の重要性をリョサは支持している」と書かれています。もちろん、市場も重要な要素であることは認めています。

 

 自由と平等は、両立が難しいものです。しかし、どちらかにあまりにも偏ってしまう社会は生きづらいものとなるでしょう。人類の歴史はどちらかに偏って、それを是正するための動きが生まれ、その動きが行き過ぎて、どちらかもう一方に偏ってしまうということの繰り返しであったということが言えるでしょう。

 

 この2つのバランスを絶妙に取ることが出来る思想や制度が生まれてくるまでは、飽き飽きしても、この2つの間を行ったり来たりしなければなりません。そして、できるだけバランスを取るということを考えねばなりません。これは非常に困難なことで、短気で飽き性の日本人には最も向かない作業と言えるでしょう。

 

(貼り付けはじめ)

 

マリオ・ヴァルガス・リョサがなぜ彼の政治観は変化したのかを説明した(Mario Vargas Llosa explains why his politics changed

―ある南米の自由主義者の告白

 

『エコノミスト』誌

2018年4月26日

https://www.economist.com/news/americas/21741201-latin-american-liberals-testament-mario-vargas-llosa-explains-why-his-politics-changed?fsrc=scn/fb/te/bl/ed/mariovargasllosaexplainswhyhispoliticschangedbello

 

小説家の全てが政治哲学の一連の著作を書く訳ではない。しかし、マリオ・ヴァルガス・リョサは小説的動物であると同時に政治的動物である。リョサは82歳になる時、『部族の叫び(The Call of the Tribe)』を出版した。リョサは『部族の叫び』を自身の知的な遍歴の描写だと述べた。若い時の共産主義と実存主義への浮気、キューバ革命に対しての熱情と幻滅、そして、イギリス的な意味での自由主義への転向、といった経験をした。 このような姿勢は南米の知識人の中でも特異なものだ。南米の知識人の多くはいまだに反帝国主義と社会主義に魅了されたままだ。

 

この本は7名の自由主義を信奉する哲学者たちの生涯と思想を説明したものとなっている。アダム・スミスの他に、カール・ポパーとアイザイア・バーリンがこの本では紹介されている。リョサは1970年代にロンドンで生活している時にこの2人に会っている。リョサはまた、マーガレット・サッチャーにも会っており、鮮烈な印象を受けた。その他に、フランスのレイモンド・アロンとスペインのホセ・オルテガ・イ・ガセットも含まれている。読者の中には、ジョン・スチュアート・ミルやジョン・ロールズが含まれていないことに疑問を持つ人たちがいるかもしれない。リョサは、マドリッドの自宅で応じたインタヴューの中で、この本は「自由主義の歴史」の本ではなく、「私に最大の印象を与えた思想家たちの個人的な説明」の本だと述べている。

 

読者にとって、『部族の叫び』は大学への喜ばしい帰還のような感じを受けることだろう。リョサは彼が英雄視している思想家たちの著作をほぼすべて読んでいる。リョサは思想家たちの思想を説明しているが、この説明は簡潔でかつバランスがとれたものだ。リョサは、思想家たちは間違いを犯していることもあると考えていると述べている。フリードリッヒ・フォン・ハイエクはチリの独裁者アウグスト・ピノチェトを称賛し、ポパーの文章は分かりにくく、オルテガは文化についてエリート主義的な見方をしている。リョサの本のタイトル『部族の叫び』はポパーにちなんでいる。ポパーは、個人の責任から自由になる集合的な世界が続く「部族の魂」をナショナリズムと狂信的な宗教の源と見なしていた。

 

リョサの考える自由主義は内部にいくつかの緊張をはらむものだ。リョサが新聞に掲載したコラムの中には、反国家的なリバータリアニズムについてのものや社会民主体制に関するものがある。著書『部族の叫び』の中で、リョサは自由主義の中核となる考えを強調している。それは、経済、政治、文化の自由である。この自由は分割不可能であるとリョサは考えている。また、不同意に対する寛容さと機会の平等、教育の重要性をリョサは支持している。リョサは、自由主義を自由市場に還元して単純化する人々に対して批判的だ。しかし、自由市場は自由主義にとって重要な要素である。リョサは、自由主義は反動的な保守主義と同一視されることで、罵倒され、捻じ曲げられていると主張している。自由主義は「最も進んだ、進歩的な民主政治体制の形態」である。

 

この自由主義に対する「無知」が起きるのは、南米で自由主義的な伝統が弱いことが理由である、とリョサは主張している。リョサはペルー出身である。その他の理由として、南米の深刻な格差、19世紀の自由主義者たちが「自由市場の存在を信じていなかった」という事実、ピノチェト支配のような独裁体制によって自由主義という言葉が誤用されていたことが挙げられる。

 

リョサは自由主義が南米で支持を集める「大きな機会」があると考えている。その理由は、軍事独裁からキューバやヴェネズエラの社会主義まで、自由主義と対抗している様々なイデオロギーが現実世界で完全に失敗しているからだとしている。リョサは「自由主義はユートピア的、社会主義的、集産主義的モデル」を破壊していると述べている。リョサは続けて次のように語る。「自分の国をヴェネズエラみたいにしたいと望む人はいるだろうか?正常な判断力を持つ人なら誰も望まない」。リョサは、ブラジルの建設会社オデブレヒトの汚職スキャンダルは、それが発覚することで「大きな貢献」をし、南米の汚職まみれの民主政治体制を浄化するのに役立つと考えている。

 

『部族の叫び』は思想が重要だということを訴えている。リョサは彼の信念を具体化しようとしている。1990年、リョサはペルーの大統領選挙に出馬した。これは非現実的な冒険で、アルベルト・フジモリの前に敗退した。フジモリは独裁的な支配を10年続けた。リョサはフジモリを心底嫌っている。しかし、リョサは次のように書いている。「私の今回の本でも取り上げられている、私たちが擁護している思想の多くは、現在のペリーの政治課題にとって重要である」。リョサは、バルセロナでのカタルーニャの分離独立主義に反対する集会で演説を行った。リョサはなぜ演説を行ったのかについて、「私たちが生きる現代にとっての最大の危険はナショナリズムだ」と語っている。ファシズムと共産主義が時代遅れになっているが、ナショナリズムは今でも活発で、「危機の時代に煽動家たちに利用されてしまう」ものとなっている。

 

自分のことを自由主義者と呼ぶ南米の人々の多くは実際には保守主義者か、リバータリアンだ。彼らは現状維持を尊び、代々伝えられている不正義や不正義を是正するための国家の行動に反対する。南米のその他の人々はポピュリズムや古い形の社会主義を今でも信奉している。リョサの本が重要である理由はこれである。リョサの本で紹介されている様々な思想家たちの自由主義に関する様々な考えを南米の大衆に魅力を感じさせることが本にとって重要なことになる。

 

(貼り付け終わり)

 

(終わり)


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今の巨大中国は日本が作った


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真実の西郷隆盛
 

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迫りくる大暴落と戦争〝刺激〟経済