古村治彦です。
今回はフランシス・フクヤマの最新刊『政治の衰退(上)(下)』をご紹介します。本書は私も翻訳協力という形でお手伝いをいたしました。以下に書評をご紹介します。参考にしていただき、是非お読みください。よろしくお願いいたします。
フランシス・フクヤマ
政治の衰退 上 フランス革命から民主主義の未来へ
(貼り付けはじめ)
『政治の衰退(Political Order and Political Decay』書評:フランシス・フクヤマによる圧巻の政治史の第2巻目
―私たちはこれからも自由主義的民主政治体制の存在を信じていくのか、それとも西洋の最後の危機に瀕した欲望を捨て去る時が来たのか、『歴史の終わり』の著者が問いかけている
ニック・フレイザー筆
2014年9月28日
『ザ・ガーディアン』紙
http://www.theguardian.com/books/2014/sep/28/francis-fukuyama-political-order-political-decay-review-magisterial-overview
冷戦終結直後、日系アメリカ人の若き政治学者が「歴史の終わり(The End of
History?)」というタイトルの人々の耳目を引く論稿を発表した。1992年には『歴史の終わり(The
End of History and the Last Man)』というタイトルの本として出版された。多くの評者がフクヤマの浩瀚な警句に富んだ主張を、自由主義的資本主義の大勝利から導き出された傲慢で、誤った結論だと解釈した。しかし、フクヤマにはより緻密な考えがある。フクヤマは、民主政治体制が世界規模で導入されている中で私たち自身が何をすべきかを考えることを求めている。私たちは人類として幸福となるのであろうか?私たちは深刻な不満を抱えないだろうと言えるだろうか?自由主義的民主政治体制は何かに取って代わられるだろうか?
フクヤマはネオコンの帝国主義的なプロジェクトを支持するという間違いを犯した。その後、米軍によるイラク侵攻が行われた後、フクヤマは彼が一度は支持した人々を非難する内容の短い書籍を発表した。フクヤマはオバマを支持した。そして、民主政治制度の名においてオバマの敵によって構成された連邦議会の失敗について雄弁に批判した。そして、フクヤマは最終的に彼の人生を賭けた仕事を素晴らしい形で終えることが出来た。彼は世界の政治機構の発展を2冊の本にまとめた。それらの中には叡智と事実が凝縮され、掲載されている。
第二巻は19世紀から現在までを取り上げている。しかし、フクヤマの野心的な計画を理解するためには第一巻『政治秩序の起源:人類以前からフランス革命まで』(2011年)を読むべきだ。第一巻は、動物と家族を基盤とした狩猟集団から始まる。それから点在する部族へと続く。そして秩序だった国家が世界で初めて中国に出現した。それからアテネとローマに飛ぶ。機能する官僚制を備えた本物の国家が出現する。カトリック教会は法典の面で予期せぬ革新者となった。デンマーク、イギリス、その後にアメリカ、日本、ドイツといった国々で人々の生活は困難さが減り、寿命も延びていった。現在でも戦争、飢饉、崩壊などが起きているが、人類のおかれている状況の改善は続いている。
フクヤマは人々を惹き付け、人口に膾炙する言葉を生み出す才能を持つ。彼は民主政治体制の発展を「デンマークになる」という言葉で表現している。デンマークの特徴として、17世紀に議会が創設される前に存在した財産法、他人には干渉しない複数的な倫理に基づいて運営される議会といったものが挙げられる。フクヤマは、「デンマーク」という言葉を穏健な性質、良好な司法システム、信頼できる議会制民主政治体制、「歴史の終わり」の健全な結末の比喩として使っている。現実の場所として、そして比喩として、デンマークは完璧な成功例ということになる。
『政治の衰退』は、一巻目(『政治の起源』)に比べて、良い読み物とは言えない。これは題材のせいだ。この題材は物語にするには、より複雑で、人々の共感を得にくいものだ。19世紀にトクヴィルが行ったように、フクヤマは民主政治体制の特徴を考察している。フクヤマは私たちに対して、私たちの住む世界は改善可能かどうかではなく、存続可能なのかどうかを自問自答するように求めている。
現代に近づけば近づくほど、存続可能な世界という単純なことが難しくなっていく。秩序だった方法で前進する代わりに、人類は意識もうろうとした疲れ切ったマラソン走者のように進んできた。人類はフラフラとあちらこちらへ進み、それは時に矛盾を含むものであった。民主政治体制、法律、社会流動性といったレッテルが貼られるものであったが、それらはつまずき、失敗するものであった。そして、どこにも人類のためのゴールラインは設定されていない。
本書にはいくつか手抜かりといえる部分がある。近代インドの描写がそうだし、中東に関する記述はおざなりだ。しかし、全体としては素晴らしい出来である。アルゼンチンと日本の近代性についての素晴らしい描写がある。また、イギリス、フランス、ドイツの公務の比較を取り扱った章を読んで私は、こんなつまらないテーマを面白く読ませることが出来るのはどうしてだろうかと不思議に思うほどであった。
アメリカ人のほとんどはアメリカ例外主義(American exceptionalism)に敬意を払っている。しかし、フクヤマはそうではない。連邦政府などなくてもアメリカ人は繁栄を作れる、もしくは連邦政府がない方が幸せだ考える人は、本書の中で50ページにわたってち密に描かれているアメリカの鉄道と森林保護の部分を読むべきだ。アメリカの民主政治体制の「拒否権政治システム」(フクヤマが生み出したもう一つの素晴らしい言葉)は、紛れもない事実だ。
フクヤマが「世襲主義の復活」は、大富豪や有力な人々が自分たちだけの利益を追求するために民主的な正規機構に適用されている。大富豪と大企業による独占はアメリカ史上、現代が最も大きくなっている。政治における変化なしに、アメリカが衰退に直面していることは明確だ。しかし、フクヤマは、そのような変化がどのようにして起きるかについては何も分からないと率直に述べている。
機能する司法システムがなければ民主政治体制は存在しえない。市民が最低限関与していると感じられる国家の創設は重要である。そうした国家の創設には時間がかかり、困難な事業である。効率性のような近代性の一側面を選択する場合、その他の側面を捨てることになる。日本とドイツの近代的な官僚制国家は専制国家に転換したがこれは困難な事業ではなかった。野党や反対勢力が動員できない状態では市民社会は存在できない。フクヤマはこのことを認めている。しかし同時にフクヤマは私たちに対して、ここ数十年の間にいかに自由が過大評価されてきたかを考えるように仕向けている。
自由主義的民主政治体制の大義の存在を信じるべきだろうか?それとも西洋諸国が世界を作り替えようとして、これまで行ってきた、多くの無駄になった努力を見て、こうした考えを放擲する時期なのだろうか?フクヤマの著作は、弱い立場の人々を守る良い政府と法律は望ましいことではあり、良い政府と法律を求める熱意は政治的な活動がある場所であればどこでも見られるものであり、その熱意は驚くほどに長期にわたり存続するということを私たちに考えさせる。
人類全体がデンマークに到達できるかどうかは明確ではない。私たちは到達しようと努力するだろうが、成功の保証はない。衰退は拡散しやすく、その結末は恐ろしいものである。フクヤマの素晴らしい著作二巻を読むことで、私たちは政治が衰退するなどという警告を受けたことなどないとは言えなくなってしまう。フクヤマの著作を読むことで、政治の向かう先は不確実なのだという思いにとらわれるが、そのように考えることこそが許容されるべきであり、かつ、世界を見る上で健全な方法ということになる。
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フランシス・フクヤマが教えるアジアの発展に関する3つのレッスン(3 Lessons
for Asian Development from Francis Fukuyama)
―フランシス・フクヤマの最新作は、アジアの政治発展に関するいくつかの重要なレッスンを教える
『ザ・ディプロマット』誌
2014年10月3日
http://thediplomat.com/2014/10/3-lessons-for-asian-development-from-francis-fukuyama/
政治学者フランシス・フクヤマの新著『政治秩序と政治腐敗:産業革命から民主政治体制のグローバル化』は、いかなる書評でもその微妙な部分を捉えることができない傑作である。今回の著作はフランス革命までの政治上の発展を取り上げた前作に引き続き、近現代の政治上の発展を取り上げている。言い換えるならば、フクヤマの今回の著作は、近代国家の成功にとっての必要条件と成功する近代国家の特徴を取り上げている。今回の著作は、政治理論、人類学、歴史、政治機構の特徴についての広範な知識を含んでいる。フクヤマの主張の要旨に関心を持っている人たちは主要な新聞が掲載している書評を読めばよい。しかしながら、現代の政治上の諸問題を巨視的な視点から理解したいと真剣に考えている人たちにとっては、今回の著作は一読する価値がある。本誌の読者のために、私は、フクヤマのアジアに関する考察から3つの興味深い点をご紹介したいと思う。
第一に、表面上は無秩序で汚職にまみれた民主政治体制が実は、社会流動に関しては、ある程度人々に利益を与えているということだ。フクヤマは、19世紀のアメリカは、現在の発展途上諸国と同様に、様々な親分子分関係のネットワークによって構成されていたと指摘している。貧困層や移民グループは投票と引き換えに有望な政治家を当選させ、力をつけさせて、支持者たちに地位や利益を与える政治マシーンを構築した。政治マシーンは、貧困層や移民グループを政治システムに取り込み、孤立しがちなこうした人々が公共財やサーヴィスを利用できるようにした。こうしたシステムはインドが採用していることを思い出す。過去20年のインドの政治システムは、民族、地域、カーストを基盤とした諸政党の乱立が特徴である。インドではそうした諸政党の影響力が大きく、汚職や「投票銀行」のような現象が起きている。しかし同時に、諸政党の力は、インド政治において無視されている少数民族やカーストの低い人々が政府の地位に就いたり、公共財やサーヴィスを利用したりすることに貢献している。インドの国家や官僚は機能していないということを考えると、少数民族や低いカーストの人々は国家サーヴィスによって救済されるということはない。フクヤマは、インドにおける汚職ということを考える際に興味深い、新しい視点を私たちに提供している。
第二に、国家の効率性の方が、汚職よりも大きな問題なのだという事実を私たちが認めつつあるということを挙げたい。民主政治体制であろうと独裁体制であろうと、効率性の高い、強力な国家は、政府の型にかかわらず、法とサーヴィスを実行している。これが効率性の低い国家にはできないのだ。汚職指数によれば、インドは中国よりも少しだけ汚職の度合いが高く、ロシアよりも汚職の度合いがかなり低いということになる。しかし、こうした国々の間に存在する相違点は、汚職の酷さや政治システムにではなく、国家の強さに存在する。中国の官僚たちは定数を削減されても、それでも彼らは政府の政策を効率よく実行するだろう。これはインドではできないことだ。フクヤマが本書の中で引用しているところによれば、インドの地方で教える教師のうちの48パーセントは学校に出てこないのだそうだ。そんなことが中国で起きることなど想像できない。中国が民主政治体制になってもそんなことは起きないだろう。中国系の人々が大多数を占める台湾やシンガポールのような国々でも質の高いサーヴィスが提供されている。これが国家の強さの証拠となる。
最後に、良い知らせとして、効率的な、能力に基づいた公務員制度を確立することで非効率な国家から脱することが出来るということが挙げられる。しかし、悪い知らせはそれを実行するのは東アジア以外では難しいことであるということだ。フクヤマは韓国や日本のような東アジア諸国は、儒教の影響がありながらも、質の高い統治を人々に提供してきたという。日本のような国は政府の権威が社会全体までいきわたるという強力な伝統を持ちながら(この伝統はオスマン帝国よりも強かった)、急速な近代化に成功した。近代化のためには、独裁的な政府を確立するだけでは不十分だ。非効率な政府を持つ独裁政治の下では、そのようなシステムや派閥を通じて、汚職がはびこり、親分子分関係が生み出されるだけで終わってしまう。同様の理由で、強力な官僚制度を持つ民主政治体制を確立することもまた不十分ということになる。インドは巨大な官僚機構を持つ。しかし、あまりにも多くのルールや法令が存在し、その一部しか実際には運用されない。これによって、官僚たちが自分の友人や家族を優遇するために、ルールや法令の恣意的な運用という事態が引き起こされてしまうのだ。
イギリスやプロシアのような非アジア諸国は有効に機能する官僚制度を確立することが出来た。その成功の理由は、似たような背景を持つ教育を受けた少数の人々から構成されるグループが存在したことが挙げられる。イギリスやロシアが有効に機能する官僚制を確立したのは民主政治体制に移行する前のことで、国家機構が親分子分関係に依存し、人々に配分することを至上命題する政治家たちに掌握される前に、官僚たちが国家機構を掌握したのである。しかしながら、既に民主政治体制を採用しているインドのような国々にとって参考にすべき最高のモデルは、アメリカを真似るということである。アメリカは20世紀を通じて効率のよい統治制度を確立したがその方法を真似るべきだ。アメリカは、新しい機構を運営するために、やる気のあるテクノクラートたちを動員することが出来た。更に言えば、セオドア・ルーズヴェルトやフランクリン・デラノ・ルーズヴェルトのような強力な大統領の下では、政府は親分子分関係ネットワークの影響を脱し、新しい気候を構築することが出来た。インドのように既に民主体制を採用している国々は、儒教の影響を受けている中国よりもアメリカの成功例を参考にした方が良いのである。
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政治秩序の利益はいかにして減少していくのか(How the benefits of
political order are slowly eroding)
2014年9月27日
『エコノミスト』誌
http://www.economist.com/news/books-and-arts/21620053-how-benefits-political-order-are-slowly-eroding-end-harmony
知識人の世界で良く起こりがちなことは、有名になった知識人が著作などを通じて、知識の質を下げてしまうということだ。言い換えると、作者がより有名であればあるほど、この作者は大ぶろしきを広げたがるというものだ。スーパースターとなった学者たちは、著書を宣伝するツアーで図書館のような地味な場所には見向きもしない。著名なジャーナリストたちは、地道で丹念な取材からではなく、上流階級や著名人たちとの夕食会を通じて情報を得るようになる。スピーチばかりがうんざりするほど繰り返され、本が出過ぎるために真剣に思考をするための時間はほぼ残されないということになる。
フランシス・フクヤマはこのようなありがちな出来事の例外である。これは素晴らしいことだ。フクヤマは、1992年の『歴史の終わり』の発表で、世界的な名声を得た。
また、2000年代初頭には、自身が大きな影響を受けたネオコンサヴァティヴ運動に反対する動きを見せ、それによって更なる称賛を得た。しかし、ここ10年で彼の名声を高めたのは、彼が「政治秩序」と呼ぶものの歴史研究をまとめた記念碑的な著作である。このシリーズの第一巻「政治秩序の起源」の中で、フクヤマは人類出現以前から18世紀末までを取り上げている。シリーズ最終巻となる第二巻では現代までを取り上げている。シリーズ二巻の著作には学ぶべき多くのことが含まれている。
知的エネルギーの爆発をもたらしたのは、フクヤマがひとたびは祝福した自由主義革命の
中途半端な成功(失敗)である。『歴史の終わり』でフクヤマは、 市場と民主政治体制が唯一の成功の方程式において重要な構成要素であると主張した。しかし、過去20年、私たちが目にしたのは、より抑圧された状況である。中国は国家資本主義と権威主義を混合したシステムを採用している。ロシアと中東諸国のほとんどで民主化は失敗に終わった。フクヤマは、彼が想像したよりも歴史がより複雑に進んでいる理由を、政治機構の質に求めている。機能する国家がなければ、民主政治体制も市場も繁栄することはできない。しかし、そのような国家は、民主政治体制や自由市場に頼らずとも、近代性の価値の多くを生み出すことが出来る。
国家建設は難事だ。フクヤマは、ヨーロッパとアメリカはこの難事業の実施において世界を長い間牽引してきたと主張している。欧米諸国は中世以来の強力な法典を受け継いできた。欧米諸国は19世紀に実力に基づく公務員制度を導入した。欧米諸国の多くは、機能的な国家システムを構築した後に、大衆の参政権を導入した。「歴史の終わり」について語っていた人物フクヤマが今では「デンマークになること」について語っているのである。
フクヤマは、機能する国家を構築したデンマークの成功と2つのタイプの失敗を比較している。一つ目の失敗は、南米諸国で起きたように、社会変化についていけない政治機能の失敗である。1980年代の短期間で続いた一連の改革の後、ブラジル政府は一流の官庁と情実の習慣の入り混じったものとなった。第二の失敗は、機構全体の失敗である。アラブの春の失敗は、本質的に政府の能力の失敗である。エジプトでは、イスラム同胞団が、選挙で勝利することと全権力を掌握することの違いを理解しておらず、結果として、エジプトの中間層は権威主義的政治に躊躇しながらも、権威主義的政治に再び支持を与えることになった。
しかし、これは単純な西洋対それ以外、先進諸国対発展途上諸国という物語ではない。フクヤマは、南ヨーロッパは北ヨーロッパよりも大分遅れていると主張している。ギリシアとイタリアは現在でも情実に基づいて雇用が行われている。しかし、フクヤマがもっと関心を持っているのは東アジアについてである。中国は能力の高い国家機構を備えている。筆記試験によって選抜された優秀な公僕たちが国家機構を担い、国家機関は巨大な帝国で起きる様々な出来事を監視する力を備えている。フクヤマは、私たちが現在目撃している、中国で起きていることは、1世紀に及ぶ崩壊の後に起きた伝統の復活である、と主張している。中国共産党は、西洋の持つ民主政治体制と法の支配の伝統がもたらす利益なしに、能力の高い国家機構を作り出すことが出来るという中国の歴史に立ち戻っているのだ。
本書にはいささか不満に思うところもある。フクヤマは読者に対して自身の知識を見せつけ過ぎており、国家と外国の諸機構について書かれた本書の最初の2つの部は長すぎる。その次の2つの部は民主政治体制と政治的後退について書かれているが、これらは反対に短すぎる。しかし、そんなことよりも2つの点がフクヤマのより大きな失敗を構成している。
第一点は、彼の知性の質である。フクヤマは、読者が読み進めるのを止め考えるような洞察を数多く本の中に散りばめている。アメリカは、本家イギリスが打ち捨てた、ヘンリー八世治下のイギリスの特徴を長年にわたり保持した。フクヤマは、アメリカが慣習法の権威を重視し、地方自治の伝統を保持し、主権が国家機関で分割され、民兵組織が利用されてきたと述べている。アフリカ諸国では国家建設が不首尾に終わったが、これは、アフリカ大陸が世界で最も人口密集度が低いことが理由の一つとして挙げられる。アフリカ大陸では、ヨーロッパが1500年に到達していた人口密集度に1975年になって到達した。
第二点は、現在のアメリカ政治の状況に対する彼の絶望である。フクヤマは、アメリカを近代的な民主国家と存在させている政治機構は、衰え始めていると主張している。権力分立は常に停滞を生み出す可能性を秘めている。しかし、2つの大きな変化によって、この可能性が現実化する方向に進んでいる。政党はイデオロギー上の違いに沿って、分極化し、党派性を強め、利益団体は大きな力を持ち、気に入らない政策に対しては拒否権を行使するような状況だ。アメリカは「拒否権政治体制」へと退化しつつある。こうなると、不法移民や生活水準の低下といったアメリカが抱える深刻な諸問題を解決することはほぼ不可能ということになる。更に言えば、アメリカでは、フクヤマが「ネオ家父長制」社会と呼ぶものが出現しつつある。それはいくつかの名家が有権者の一部をコントロールし、政治の世界のインサイダーが人々に利益を提供する代わりに権力を得るというものだ。
フクヤマがこの浩瀚な著書の中で訴えた中心的なメッセージは、人々を沸き立たせた『歴史の終わり』の中で書いた中心的なメッセージと同様に憂鬱なものである。最初はゆっくりと、しかし、だんだん政治の衰退は政治秩序がもたらした大いなる財産を減少させていくことになる。その大いなる財産とは、安定し、繁栄し、人々が協調して生活する社会である。
(貼り付け終わり)
(終わり)
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