古村治彦です。

 2020年3月7日に『経済学という人類を不幸にした学問』(副島隆彦著、日本文芸社、2020年3月)が発売にされます。以下にまえがき、目次、あとがきを掲載します。参考にしていただき、手に取ってお読みください。
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経済学という人類を不幸にした学問: 人類を不幸にする巨大なインチキ

 よろしくお願いいたします。

(貼り付けはじめ)

まえがき

アメリカ理論経済学が壊われつつある

 現代アメリカの経済学者の筆頭で、ノーベル経済学賞も受賞(2008年)したポール・クルーグマン教授(67歳)が、ついに自分の誤りを全体的に認めた。

 画期的なことである。クルーグマンの名前は日本でも知られている。金融・経済の本や雑誌を買って読む人たちなら知っている。彼が、アメリカ経済学を代表している人物だ。そのように日本の知識層と読書人の間でも認められている。

 そのクルーグマンが「自分たち(アメリカの主流派の)経済学者たちは、大きく間違っていた」と白状した。このことでアメリカ経済学界が、大きく揺れている。

 このことを露(あから)さまに書いた衝撃的な評論文で明らかとなった。それをマイケル・ハーシュという『フォーリン・ポリシー』誌の上級論説委員(オプ・エド・ページ・ライター)が書いた。

 『フォーリン・ポリシー』誌は、アメリカの外交専門誌である『フォーリン・アフェア』誌の、弟分のような高級言論誌である。

 2009年(リーマン・ショックのあと)、自分の誤りを認めたクルーグマンは、『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』誌の記事で、次のように書いた。そのことを、マイケル・ハーシュは『フォーリン・ポリシー』誌(2019年10月22日号)で紹介している。

  『私たち経済学者は、自分たちが素晴らしく壮麗な数式で書いた経済学の論文を、真 

実であると、自分たちで信じ込んできた』

  “economists, as a group, mistook beauty, clad in impressive-looking mathematics, for   

truth.”

 このクルーグマンの文を、日本人に分かるように徹底的に意訳(いやく)(パラフレイズ)して、私が訳し直すと次のようになる。

   「私クルーグマンを含めた、アメリカ経済学者たちは、壮麗に美しく着飾った(高

度 で難解で高級な)数学の数式を使った多くの論文を発表してきた。それらを自分

たちだけで、認め合い、そしてそれがこの世の真理であると深く信じ込んできた。学会(学界)でこれらの論文を厳しく検証し合って切磋琢磨(せっさたくま)してきたのだから、これは真理だ、と自分たちで信じ込んでも構わない、と思い込んできた。

 それらの高等数学を多用した論文たちは、誰も疑うことができない、真理の体系であると、私たち理論経済学者は集団として、自分たちで勝手に信じ込んできた。

 ところが、これらの高等数式(を大量に使った論文)は真理ではなかった。現実の世界で起きていることと一致していなかった。現実のこの世は高等数式で表わされるようなものではなかった。私たちは大きく間違った。私たちの経済学は、現実の前でガラガラと崩れ落ちた。

 私たちは現実とぶつかって破産した」

 

と、クルーグマンは書いたのである。クルーグマンの弁明(べんめい)(言い訳[わけ])は続く。それを、本書の第1章からずっと英文の原文も付けて引用する。私がそれらを翻訳し解説し、そして論評(コメント)する。

 クルーグマン教授たちアメリカ経済学者(主流派)は、高等数学を駆使して、高級な数式を大量に使った難解な論文を次々と発表した。即ち、キリスト教の高位の宗教家、司教(ビショップ)、大司教(アーチビショップ)と同じである。

 例(たと)えば、ローマ・カトリック教会の総本山であるヴァチカンで上級ラテン語を書いて話せる者たちだけが、神(God、 Devin)について語ることができる、ということと同じである。上級ラテン語が出来ない者は、神について語ってはいけない。神について評論することや、批判の言葉を投げかけることもできない。お前たち、下々(しもじも)の一般の者たち(民衆、一切衆生[いっさいしゅじょう]、大衆)は、ただひたすら神と私たち(神官、高僧)の前に跪(ひざまず)き、祈りの言葉(呪文)を唱え、賛美歌を歌っていさえすればいい。それ以外の他の余計なことをするな。神と(その代理人である)私たち高位の宗教家(大司教、大司祭)の前に、跪いて、私たち高僧を拝みなさい。それ以外のことをお前たちはしてはならない。

 

 現代の(アメリカが中心の)理論(りろん)経済学は、誰も理解できないお経(きょう)である。

 ただひたすら、私たち(偉い経済学者)を信じよ。私たちの言うこと(書くこと)を信じよ。疑うな。どっぷりと私たちの言うことだけを信じよ。それでは盲従(もうじゅう)だ、と言わないで信じよ。信じる者は救われる。ただひたすら信じる者が、救済(きゅうさい)(サルヴェーション)される。

 疑うな。疑うな。ただひたすら私たちを信じよ。崇拝(すうはい)せよ。拝跪(はいき)せよ。

 私たちの前に土下座(どげざ)して、(もう、こうなったら神なんかよりも)私たち高僧を拝みなさい。

 高度で難解で高級な数式・数学の呪文(経文)を操(あやつ)る(唱[とな]える)ことができる私たち上級ラテン語(高級数学)を話すことができるアメリカの理論経済学者の書く数学的論文を、真理(真実)だと認めよ。

 私たち(僧侶、数学者、理論物理学者、理論経済学者)に対して疑念を抱くな。このことで議論をするな。私たちに論争を吹きかけるな。お前たち生来(せいらい)頭の悪い者は、どうせ何も考えないのだから、私たちの言うことを聞け。素直に従え。超(ちょう)高等数学を自在に取り扱って、流麗高雅(りゅうれいこうが)な論文(お経、経典)を編み出すことのできる私たちを、神聖な霊体(れいたい)(聖霊、ホウリー・スピリット)だと分かってすすんで騙(だま)されて信従(しんじゅう)せよ。

 我らは神(真理、正義)の代理人なり。我らが吐くコトバは、神のコトバなり。我らは神なり。我らを試(ため)すな、我らを疑うな。我らアメリカ数理経済学者は偉大なり。我らは超能力(験[げん]。霊験[れいげん]あらたか)の保有者なり。我らの超(ちょう)能力は、学問の伝道という荘厳な建物(大伽藍[だいがらん])の中で唱えられ、編(あ)み出された。それ故に、キラキラと輝き、流麗(りゅうれい)、耽美(たんび)、法悦(ほうえつ)(エクスタシー)なり。

 私、副島隆彦はこの本を出したあと、ようやく「経済学の終わり」という本を書く気になった。経済学の終わりは、この本が書き上がって、出版されたあと、さらに思考を積み上げてから書く。待っていてください。

 この本が世に出て、何とかうまくいったかな、と見定めた上で書き上げる。今のところは、私の頭の中にいろいろの部分と材料が散らばっているだけだ。

 私がこの40年に読みためて、かき集めた学問の断片(フラグメント)、立体的に組み立てて「経済学の終わり」本は出来上がるだろう。

2020年2月 

副島隆彦

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『経済学という人類を不幸にした学問』 目次

 

まえがき アメリカ理論経済学が壊れつつある―2

 

第1章 クルーグマンは何を間違ったのか ハーシュ論文から解説するクルーグマン教授の反省点

世界に衝撃を与えたクルーグマン教授の白状―16

自由貿易(フリートレイド)礼賛が起こしたハイパー(超)グローバリゼーション―23

トランプ大統領をクルーグマンが誕生させた!?-29

 

第2章 経済学の数式はすべて「YM」である 理論経済学はどのようにして生まれたか

たった1行で解ける経済学の秘密―38

数式を初めて使ったアルフレッド・マーシャル―44

アーヴィング・フィッシャーの貨幣数量説―51

ケインズだけが欧米経済学の神髄である―64

ヒックスからアメリカ経済学の暴走が始まったー71

インチキ学問に成り果てた経済学―86

ケインズにマルクスを合体させた理論で中国は大成功―94

トマ・ピケティの法則もM>(大なり)Yなのである―109

 

第3章 アメリカ経済学者たちの迷走 “1990年コンセンサス”で有頂天になったアメリカの貿易戦略

超(ちょう)グローバリゼーションでアメリカは社会崩壊(ディストラクション)した―120

自由貿易への妄信から起きた収入格差(貧富の差)―125

トランプ政権で復活した保護貿易主義―132

米中貿易戦争の原因は2000年から始まった―136

“1990年コンセンサス”とは何か―148

ネオ・リベラル派を疑った戦略的貿易主義者たち―164

世界に蔓延するスウェット・ショップ(奴隷工場)経済―178

中国の巨大化を生んだ2000年のWTO中国加盟―189

労働市場は調整されず。スティグリッツの反省―194

 

第4章 人類を不幸にした経済学の正体 クルーグマンは白状した

自分の間違いを認めたクルーグマン―206

市場経済化による中国と途上国からの貿易急増―218

輸入急増で向けられた日本への欲しい怒り―224

保護貿易への舵切りで大きな社会崩壊が起きる―235

 

第5章 経済政策なきこれからの世界 経済学はすでに死んでいる

もう経済学では対応できない先進国経済―246

MMT理論では世界経済は生き延びられない―254

経済学者たちを裏で操る世界権力者たち―260

 

あとがき―275

 

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あとがき

 アメリカ経済学(理論[りろん]経済学)は、本当に終わったようだ。大失敗をして学問(サイエンス)として滅びかかっている。まずアメリカで、そしてヨーロッパでも。それから、アメリカさまの忠実な子分をやり続けている日本の経済学者(官庁エコノミストを含む)も。
 なぜなら、現実の世界のこの30年間(1990年から)の実態経済と金融市場の予測で、この人たちは大外(はず)れ、大間違いを犯した。そして学問そのものも大失敗している。

 この本は今、経済学が学問として死につつある、ということを日本国民に知らせる本だ。

 私は「真実暴(あば)き系言論人」と、自分を呼んでいる。大きな枠組みの中の隠されている真実だけにしか興味はない。私は金融、経済の本もずっと書いてきた。この23年間、年2冊書いてきた。だから金融、経済の本だけで50冊ぐらいになる。

 私がなぜ、この時期に『経済学という人類を不幸にした学問』という本を書いたのか。やはりそれは私が金融、経済の本を書くことで、投資家や自分の資産を増やしたい、守りたいという人たちのことを本気で思ってきたからだ。
 この実績の上にこの本ができた。私は10年間ぐらい前から、もうわかっていた。アメリカの理論(りろん)経済学という学問は死につつある、と。私は、2008年9月15日に勃発したリーマン・ショックも予言して当てた。それらの本が証拠で残っている。

 

 経済学はもう死んでいる。それでも若い人たちの一部は大学の経済学部に行って、偉い人になりたいと思って行く。経営者になってお金儲けをして金持ちになりたいから経済学部を選んだ。でもどうせ、ほとんどなれない。

 経済学部と法学部を出た人間は大企業が雇う。大企業は文学部を出た人間は雇わない。これは世の中のルールで決まっている。中堅企業は文学部も雇う。そうしないと人材が集まらないから。地方公務員でも上級職はそうだ。

 私の大学時代(早稲田大学法学部)の友達はクラスの2人が三井物産に行った。1人が裁判官になって、2人ぐらいが弁護士になっている。早稲田大学の法学部はそんな感じだ。

 本当は、みんな学生時代に勉強なんかしていない。ガリ勉組(ぐみ)は国家試験受験組(ぐみ)だけだ。授業にもろくに出ていない。期末試験だけ受けて大学を卒業した。だから私たち日本人のほとんどは、日本アルバイト学部部活(ぶかつ)学科かコンパ学科卒業だ。

 私の同級生はあとは銀行員か地方公務員だ。埼玉県庁上級職とか。こういうのが全国にゴロゴロいる。そして民間の大企業にゆく。大企業に入らないと、先々、自分のサラリーマン人生が不安定で、心配だからだ。だが、大企業も、今はちっとも安心できなくなった。いつ倒産するか、吸収合併されるか分からなくなった。そしてみんな停年退職した。今は年金暮らしだろう。

 

 東大の経済学部に行った者たちは、卒業して警察官僚になる。あるいは財務省に一応、入るけれども、すぐに防衛省に出される。財務省事務官の肩書きで、防衛省のしみったれたお金の計算係をやっている。だから亀井静香氏のような東大経済学部を出た人が、公安警察(政治警察)になる。それでもトップ(本省[ほんしょう]部長級)から上はほとんど東大法学部だ。

 法学部出(で)が経済学部出(で)を押さえ付けて、日本の官僚制(かんりょうせい)のヒエラルキー(英語ならハイアラーキー。位階[いかい]の秩序)はできている。全ての学歴差別はここから始まる。公務員の学歴差別が一番ヒドい。わざと高卒者たちを採用して自分たちの子飼(こが)いか奴隷にしている。

 財務省は東大法学部ということになっている。いまは、もう早稲田と京大と大阪大学もいることはいると思う。神戸大とかも。大蔵(財務)官僚に旧七帝大出がどれぐらい残っているかわからない。財務省は、年に22、23人、採(と)る。その22、23人で競争させて、トップ4、5人だけがエリートだ。あとは落ちこぼれだ。40代で、さっさとどこかに出されて、もういない。要らない。他の主要省庁(政策[せいさく]立案官庁。現場[げんば]の仕事はやらない)も似たような感じだ。

 それが現実の世の中というものだ。私は本当のことを書いて伝えたい。

 「それはお前の偏見だ。うそだ。勝手に思い込んでいるだけだ。上級公務員(官僚)の世界はそんなものではない」と言うなら言え。反論しろ。私はそれにちゃんと答える。

 

 経済学がどんなにインチキ学問で、ウソ八百かというのがバレつつある。

 実際にリーマン・ショックからあと、欧米世界でボロボロに打ち破れてきた。インフレ・ターゲッティング理論(インタゲ論)あるいはリフレ(リインフレーション)理論といって、今も量的緩和(りょうてきかんわ)(easying money[イージング・マネー])といって、ジャブジャブ・マネーをいっぱい刷って「無理やり目標値2%のインフレを作ろう」と目的に向かって爆走している。

 本当は、この「インフレ目標値2%」というのは、経済成長率2%というのと同じ意味だ。元祖は本書に出てくる“マネタリスト”のミルトン・フリードマンが“マーシャルのk”を、「歴史的に2%ぐらいだ」として定めたものだ。

 しかし人口的人為的にインフレにはできはしない。無理やり、お金をいっぱい刷って世の中に回せば必ず景気は回復する、と言い続け、今もやり続けている。もう他にやることがない。漫才か漫画の世界である。

 親分のアメリカがこれをやっている。柄の悪い商売人のトランプ大統領が「カネ(お札)をバラ撒け。金利をゼロにしろ。それで株を吊(つ)り上げろ。そうしたら景気がいいように見える。それでいいんだ。国民なんか騙(だま)せばいいんだ」とやっている。日本もそれに従っている。

 

 だからこの本の冒頭から載せたとおり、ポール・クルーグマン教授が、「私を含めて馬鹿でした」と大反省をした。

 「馬鹿でした」を英語では”We are wrong.”「ウィー・アー・ロング」という。「私たちアメリカを代表する経済学者が、現実の世界を理解できずに、自分たちの勝手な高級理論ばっかり(しかも数式だらけで)作って、それで大失敗しました」と白状した。そういう時代が来たのである。

 クルーグマンが自分の考えをwrong(ロング)(1.不正 2.間違い 3.誤り 4.不適切 5.故障 6.不具合 7.劣等 8.悪事 9.不法行為)だと認めた。この内容の評論記事がアメリカの一流評論誌に出た。それを第1章と第3章でずっと英語原文と照らし合わせながら私が詳しく説明した。第4章に、クルーグマン自身の「私は間違っていた」と学界に発表した論文をそのまま載せた。

 

 私が、この「経済学はインチキ学問だ」という本を書こうと思って、さる大手の経済誌の編集長経験者に助言を求めた。

 私のような専門外(がい)で、小室直樹(こむろなおき)先生から少し経済学を習った程度で、こんな本を書けるのか、と自分でも相当躊躇(ちゅうちょ)していた。そして質問した。

 私 「今(2019年時点)の日本の経済学者たちは、何をしているのですか」

 A氏 「何もやっていませんよ。学内論文を書くだけでしょう。あとは政権(政府)にくっ付いて(審議会の委員になって)お金儲けですよ(役人<官僚>のいいなりで何も発言しません。嫌われると損だから)。自分の財産(高層鉄筋住宅[タワー・レジデンス]2戸とか)を増やそうと考えているだけです」

 政府委員で1回出席すると報酬5万円だ。これが有ると、テレビに出たり、あちこち講演会(1回100万円)の依頼が来る。

 私 「今の経済学界の最先端のテーマは何ですか」

 A氏 「もうマクロ経済学はやりません。マクロは滅びましたね。今はアメリカではミクロ(企業行動の経済学)と、会計学(アカウンティング)をやっています。もうマクロ経済政策なんか(破綻[はたん]したので)やりません」と。

 A氏は、この時今も一番定評のあるグレゴリー・マンキューの分厚い『経済学』の最新版の日本語訳本を、私にくれようとしたが、私は「そんな本は読めないので、いただけません」と丁重(ていちょう)に断った。代わりに同席した編集者が貰(もら)った。

 私はそんな本は、どうせ、アメリカ人くささ満点の宗教イデオロギーだから、読んでも意味が分からないから読まない。

 

 この本の著者である私は大学の経済学部を出ていない。それなのに、こんな経済学についての本を書いた。私が出たのは、前記したとおり法学部である。それなのに、私は金融・経済の本をこの23年間でもう50冊くらい書いた。若い頃外資系(イギリス)の銀行員をしていた。それで金融市場というのが、どういうものか、なんとなく分かった。

 私は法律学についての本も既に20年前に書いている。弁護士になった畏友(いゆう)と2人で書いた『法律学の正体(しょうたい)』(洋泉社 1991年刊)と、『裁判の秘密』(同上 1997年刊)と、それをリメイクした『裁判のカラクリ』(講談社 2000年刊)である。

 だから私は、法(律)学とは、いったいどういう学問かについても、大きな真実を暴き立てて書いている。今からでもこれらの本をアマゾンででも探して読んで下さい。近いうちに復刊します。

 法学(レヒトレーレ)(法律学[ゲゼッツ])というのは何か。ズバリと本当のことを書く。法学あるいは法律学とは、官僚(裁判官を含む)たちが、国民を自分たちのいいように切り殺すための刃物(はもの)のことを言う。

 この世の正義(ジャスティス)を実現するのが法学(及び裁判[ジャッジ])だ、というのは国民騙(だま)しのウソっぱち(虚言[きょげん])である。人間騙(だま)しの最たるものだ。2番目に、法律(法学)というのは、官僚たちが、自分たちを政治家というゴロツキ集団から自衛(じえい)するために、わざと複雑怪奇にして、山ほど作るワケの分からない細かい作文(条文[じょうぶん])のことを言う。

 政権(せいけん)政治家は、職制上、官制上、自分たち官僚のクビを切る権限を握(にぎ)っている。だから、官僚(という国家暴力団)は、団結して複雑な細かい法律の山を作って、政治家(権力者)という別の暴力団組織から自分たちを防御する。

 これが、私の「法学部とは何か」本のエッセンス(抜粋、神髄[しんずい])だ。そして私は、アメリカの現代の政治思想各流派(セクト)の研究を30年、やった。だから、その次に「経済学とは何か」を、私は書く運命にあったのだ。それを本書の第2章で、赤裸々(せきらら)に描いた。

 さあ、私のこの経済学(の)解体新書を、経済学出(で)の人たちがどのように読むか。「お前の書いていることは、専門外の素人が書いている戯言(ざれごと)だ」と、私に堂々と名乗って書いてくる人と、私は本気で相撲(すもう)を取るだろう。

 相撲というのは相(あ)い撲(なぐ)るという漢字でできている。伝統を重んじる神事(しんじ)奉納のための国技(こくぎ)だ、などという取って付けたような飾り言葉は、私には通用しない。言論(書き物、著作)で30年間、闘いの連続だった私の人生に生傷(なまきず)が一つ増える程度のことだ。

 念のため、ここに書いておかなければならないことがある。

 この本の冒頭から前記のポール・クルーグマン批判の最新のアメリカ評論文と、クルーグマン自身の論文の英語原文を載せた。これは著作権法(ちょさくけんほう)(そのまま国際条約である)に違反していない、ということを断り書きしておく。そして言論及び表現の自由(フリーダム・オブ・エクスプレッション)(日本国憲法第24条)によって私はこの評論の本を書いた。

 この本は、その主要な中身(内容)である評論の対象として、クルーグマン批判の英文とクルーグマン自身の文を、徹底的に解剖するように細かく取り扱って、書かなければ済まない。だから著作権法第32条に定める引用権(いんようけん)(right to quote [ライトトゥクオート])を主張する。原文を引用して、それに忠実に大量の評論(コメント)を加えた。

 そして個別、具体的に、詳細に、私(副島隆彦)の意見、考え、分析(アナリシス)、評価判断(エヴァリエイション)を加えている。これは日本の裁判の実例(判例[はんれい])でも、「フェアコメント(適正な論評)の法理」と呼ばれていて、アメリカの法律学を輸入して、「適切に引用した文に対して評言(コメント)をしていれば引用権として認められる」となっている。

 

 私は、この本の読者諸氏に、これらの英語原文も読んでもらいたい。

 

 チラチラでいいから、要所、要所で英文と照らし合わせて、自分の頭(能力)の英文読解力に応じて(人それぞれだ)、「なるほどなあ。副島は、この英文をこのように訳したのか。そして私たち日本人読書人階級(ブックリーディング・クラス)の人間に対して、正確な知識と理解を希望しているのだ」と分かってくれるだろう。

 私には知ったかぶりはない。英文を読む、というのは、日本の知識階級にとって、今でも大変な作業だ。しかも小説程度ではない高級で高品質な知的な英文を読解することは未(いま)だに難業(なんぎょう)である。だから欧米で定評、評判を取った本が日本語に翻訳されて出版されることは、私たちには有り難いことだ。

 ところが多くの翻訳本が英文の原文とあまりに切断されて、日本語訳文だけが勝手な寸(すん)足らずの理解でひとり歩きしてきた。この日本文化の劣勢の現実を、私は苦々(にがにが)しく思いながら、この50年間を生きてきた。皆んな、分かったふりはやめた方いい。なるべく英語の原文に戻って読解すべきだ。

 だから私は、敢えて英語原文も要所要所に載せた。私の訳文と解説文(公正な論評[フェアコメント])だけでは、読者の理解がいい加減になる、と考えたからだ。それと、私(副島隆彦)が自分勝手な歪曲、偏向した訳文と解説をしているのではない、ことを証明したいからだ。

 

 最後に。この本は、私と編集者の、苦心惨憺(さんたん)から生まれた・・・。

 ・・・それでもこうやって本は出来た。私は思いの丈(たけ)を書き散らした。あとは読者が決めてくれ、だ。値踏(ねぶ)み(価値判断)するのは読者(になってくれそうな)お客さまだ。

 価値(かち)と価格(かかく)の関係はいくら勉強してもやっぱり難(むずか)しい。「価値(ヴァリュー)(V)が価格(プライス)(P)を決める」という表現(言い回し)が経済学に有る。これを「変数である価値(V)が、同じく変数である価格(P)を決める」とも言う。そして「価格(P)は、価値(V)の関数(ファンクション)である」と言う。したがって

P=aVaは比例定数)

である。このように数式(公式)では書く。

 

 ああ、この本には、本当に苦労した。私の血と汗の労働が、この本に投入され結晶した。一緒に全力で疾走してくれた編集者の水波康氏に感謝します。

 

2020年2月

副島隆彦

(貼り付け終わり)

(終わり)

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ハーヴァード大学の秘密 日本人が知らない世界一の名門の裏側