古村治彦です。
今回は、副島隆彦先生の最新刊『本当は恐ろしいアメリカの思想と歴史』(秀和システム、2020年3月26日発売)をご紹介する。これは、アメリカ思想の歴史をユニテリアニズムから読み解くというものだ。
以下に、まえがき、目次、あとがきを掲載する。
(貼り付けはじめ)
はじめに
この本を読むと、あなたは、大きく歴史が分かるだろう。ヨーロッパとアメリカのこの500年間の歴史が、鷲づかみするように分かる。
欧州と米国のこの500年間が、私たち人類(人間)の世界の歴史を引っ張ってきた。私たちは欧米白人の近代文明に引きずられて生きてきた。
明治(1868年)からこっちの日本の知識層は、ヨーロッパの文物(ぶんぶつ)を取り込むことで必死だった。イギリス、フランス、ドイツ、イタリアの文学と思想を翻訳し輸入することに疲れ果てるほど全身全霊を打ち込んだ。
ところが、アメリカの研究をほったらかした。アメリカはヨーロッパの後進国だろ、と軽く見た。そのことが、その後の日本の文化の成長に影を落とした。現在は、これほどに強くアメリカの影響と圧力を受けていながら。テレビのニューズはアメリカの表面を映すだけだ。
ヨーロッパとアメリカの2つをガシッとつないで、私たちに大きく分からせてくれる本がない。粗(あら)っぽくていいから私たちは、欧と米を結合させて、大きくその全体像で理解したいのである。
このことに私はずっと不満だった。だから、私はこの本で、まずヨーロッパの恐ろしい国王たちの姿を次々と印象深く描いた。私たちが名前ぐらいは知っている有名な王様と、政治家たち数十人に光(スポット)を当てて、どこまでも分かり易く、「ああ、そういうことだったのか」と読者に思ってもらえることを目指した。
そして〝チューダー朝の恐ろしい王たち〟から逃げ出して北アメリカに渡って植民(コロナイズ)した、初期のプロテスタントたちを描くことから第1章を始める。
「本当は恐ろしいアメリカの思想と歴史」なのである。冒頭のヨーロッパで断頭される王と王妃の絵、に戻って再度じっくり見てください。ここに凝縮される欧米白人500年の歴史の真実なのである。
覆(おお)い隠されている事実がたくさんある。だから私たち日本人に大きな「ああ、本当はそういうことだったのか」の真実が伝わらないのだ。私は、一冊の本に書き込めるだけを書いてこの本に載せた。これでもかなり舌足(したた)らずだ。あんまりにも突拍子(とっぴょうし)もないことを、前後の脈絡(コンテクスト)なしで書くと、眉唾(まゆつば)ものだと思われるから、普通に知られている当たり前のことも、そば粉のつなぎのように、各所に入れてある。
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はじめに
第1章 17世紀の王殺し(レジサイド)とピューリタニズムの真実
イギリスに戻って清教徒革命に参加したピルグリム・ファーザーズがいた
「リパブリーク」(共和政)とは、王様の首を切り落とせ!ということ
ユニテリアン=フリーメイソンがアメリカをつくった
丘の上の町
メソジストとはどういう宗派(セクト)か
誰がアメリカ独立革命戦争の資金を出したか
アメリカに渡ったキリスト教諸派のセクト分析
「会衆派」がユニテリアンの隠れ蓑
指導者がいない「会衆派」
社会福祉の運動になっていったオランダ改革派
本当はユニテリアンとカルヴァン派の間に激しい闘いがある
バプテスト系の人たち
「非戦」思想のメノナイトとクエーカー
「ペンシルヴァニア・ダッチ」と呼ばれる人々のルーツ
第2章 アメリカ史を西欧近代の全体史から捉える
全体像で捉える能力がない日本のアメリカ研究
カルヴァン派とユニテリアンは対立した
カルヴァン派はユダヤ思想戻り
ピルグリム・ファーザーズという神話
現代につながる王政廃止論
ピューリタンの中心部分がユニテリアン
アメリカ独立戦争を戦ったのはユニテリアン
アメリカとフランスのリパブリカン同盟
啓蒙思想としてはホッブズが一番正直
「自由」とはユダヤ商人たちの行動
ヴァイマールはユダヤ商人を入れて繁栄した
なぜ「近代」がオランダから始まったか
ゲーテ小論
偉大な皇帝だったカール5世
ブルボン朝の初代王、アンリ4世は賢く生き延びた苦労人
男女の愛への讃歌が民衆に受けた
「ケンカをやめよう」と言ったモンテーニュとモンテスキュー
第3章 アメリカから世界思想を作ったエマーソン
すべての世界思想はエマーソンに流れ込み、エマーソンから流れ出した
環境保護運動、ベジタリアン運動の祖もエマーソン
エマーソンは過激な奴隷解放論者は容れなかった
土地唯一課税の理論をつくったヘンリー・ジョージ
社会主義思想までもユニテリアン=フリーメイソンから生まれた
アメリカ独立戦争は成功した革命
自己啓発の生みの親までエマーソン
日本にキリスト教を輸入した人々もユニテリアンだった
ガンディ(ガンジー)の偉さは、イギリスに抵抗し、かつ日本に組しなかったこと
チャンドラ・ボースの死の真実
第4章 フリーメイソン=ユニテリアンは正義の秘密結社だった
独立軍は弱かった
ユニテリアンとフリーメイソンは表裏一体
ハミルトンとジェファーソンの違い
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あとがき
この本の最大の発見(のちのちの、私の業績)は、カルヴァン派(長老派)と呼ばれるキリスト教プロテスタントの大きな宗派(セクト)と、ユニテリアンの区別をつけたことだろう。どちらもピューリタンたち(清教徒革命)と言うけれど、どう違うのか。長いこと分からなかった。
ようやく私は、この大きな謎を解いた。日本人としては初めてで、日本への初理解(初上陸)となる。カルヴァン派のすぐそばに居るのに、もっと先鋭な活動家たちで、革命(革新)運動(すなわち王政廃止論)の中心の者たちが、ユニテリアン派だったのである。つまり、ユニテリアンは、「神の存在を疑う(もう、これまで通り信じるわけにはゆかない)」すなわち、理神論 deism にまで到りついたヨーロッパの過激派たちだったのだ。
私はこの本を途中まで書いてきて、ようやく、この中心に横たわる疑問にはっきりと解答(ソルーション)を出すことができた。この本を書く途中で、私はこの疑問(謎)を佐藤優氏に「カルヴァン派とユニテリアンはどう違うのか」と執拗にぶつけた。彼の助言にも助けられて、それでようやく大きな解(根=こん。答)を得た。
この本全体は、ユニテリアンという、キリスト教の一派なのだが、現在ではそこから追い出されたと言うか、かなり外(はず)れてしまった人々について書いた。ユニテリアンからヨーロッパの社会改善(改革)運動が生まれた。貧しい人々を救(たす)けようという社会福祉活動となり、そして社会主義者(ソシアリスト)の革命家(レヴォルーショナリー)の群れまでが生まれたのだ。マルクスとエンゲルスが「空想的(ユートピアン)」と呼んだ人々だけでなく、カール・マルクスたち過激思想家たち自身が、ユニテリアンから生まれ、派生したのである。
その100年前の、フランス革命の革命指導者(ロベスピエールらルソー主義者)もまた、全員ユニテリアン=フリーメイソンであった。そして、それと完全に同時代のアメリカ独立(革命)戦争(アメリカ建国)の指導者たち、フランクリン、ワシントン、ジェファーソンたちも全員ユニテリアン(フリーメイソンリー)である。そして何と、その150年前の1620年からの「メイフラワー号」のピルグリム・ファーザーズのアメリカへの初上陸の指導者たちも全員、ユニテリアンであった。驚くべき大きな真実である。
時代に先進する人たちを描くことがこの本の中心だ。ユニテリアン Unitarian とは何者か。この改革派知識人、活動家たちの動きが、欧米近代500年間の最先端での動きだったのだ。この「ユニテリアンをなんとか理解する」という太い一本の鉄棒をガツンと欧米の500年に突き刺すことで、欧米近代(モダン)の歴史の大きな真実をついに捜(さぐ)り出した。
② アメリカの独立戦争(1776年、独立宣言。建国)、その150年前の
①
アメリカ入植以来の話、そして現在から150年前の
③
エマーソン(マルクスと同時代のアメリカ思想家)を中心に置いた。ヨーロッパ、とくにイギリス、フランス、ドイツをアメリカと連結させた。
日本で初めてここにユニテリアンという中心軸を一本通した。そうすることで大きな理解が、私の脳(頭)の中で出来上がった。岩穴を掘り進むように苦心して書いた。たいした知識もないのに、真っ暗闇の中で、私は自分の筆の鏨(たがね)(掘削道具)で掘って、ガツガツと書き進んだ。すべてを語り尽くさなければ気が済まない。
それが、果たしてどれぐらいの意味を持つか。なんて、もう言ってられない。私は本当に、恐ろしい重要な真実がたくさん分かってきた。
この本は、人類史の全体像を縦、横、奥行きで立体化させて、つかまえようとしている。
その時、他の国(主要国)はどのように動いたか。その内部の対立はどうだったのか。この相互連関を書き並べる。登場人物は、その時代の王様と権力者たちだ。
彼ら西洋の王様の名前が次々にたくさん出てくると、日本人の読み手は混乱して、「訳(わけ)が分からん。イギリス国王ジョージ3世と言われてもなあ」となる。ここで私も苦しむ。ヨーロッパの王様の名前など、一読したぐらいでは誰も分からない。区別もつかない。だから私は今も苦しい。
それでも、どの国でも、その時の30年間の、一人の国王(権力者)のご乱行と事件の数々は、その国の人々には、自分の人生に関わる大変なことだったのだ。だが、次の時代の人々は、もうそれらを忘れ去る。そして、目の前の自分たちの事件と問題に翻弄され、振り回される。
私は、ここに、新しい手法(文体=スタイル、あるいは文章の序列=オーダー)を作る技術での、革新(イノヴェイション)を、何としても発見し開発しなければならなかった。これが大変なことだ。
ほんの75年前の敗戦まで、日本人は、心底そして頭のてっぺんから昭和天皇のことを崇高なる現人神(あらひとがみ)であると信じ込んでいたのである。そして、1946年に、裕仁(ひろひと)天皇は、「(私も)人間(です)宣言」をしたのである。人間なんてこんなもので、わずか数十年で、集団的に、どんな思想にでも切り変わってゆく。愚かで弱い生き物なのだ。
明治天皇絶対体制は、神国(しんこく)日本の伝統から作られたのではない。そうではなくて大英帝国(イギリス)が作ったのだ。自分たちの英国王は、神聖体(ホウリー・ボディ)であり、霊的(れいてき)存在である。そのように英国国教会(アングリカン・チャーチ)を創った(ヘンリー8世が1534年、ローマ・カトリック教会から分裂)時に出来た考え(思想)である。今、イギリスに労働党(レイバー・パーティ)を中心に「王政廃止論」が盛り上がっている。「自分たちのイギリスは、今も王と貴族たちを上に載せている、世界で一番遅れた国だ」とブツブツ言っている。こういう世界最先端の課題も日本人に教えなければ、私の役目は済まないのだ。
こういう、過去と現在をグサグサと(縦横無尽に)縫い合わせる文体(スタイル)を、私は開発(開拓)しようとして必死なのである。
一冊の本は、本当に分かりやすく、大きな柱に向かって全体を組み立てなければいけない。「ただの世界史の本」みたいなものを私が書くわけがない。それでは読者が喰いついてくれない。私が中公文庫の『世界の歴史』(30巻)のまとめ直しみたいなことをやっても、無意味だ。簡潔にたった一冊で、大きな流れをスパッと「ああ、そういうことだったのか」と、読み解いてみせることに意味がある。「お前の勝手な考え、思いつきに過ぎない」と言われても構わない。この出版不況のさ中で、出版社と書店がどんどん廃業、倒産、潰(つぶ)れている。大きな火の玉を投げつけなければ、お客様に対して失礼だ。書き手はもっともっと客(本の読者)に奉仕しなければいけない。
最後に。この本もまた、本当にドイツ語とフランス語がスラスラと読めて書ける有能な編集者である小笠原豊樹氏との合作である。大きな思考(思想)の鉄骨は私が組み立てた。細かいあれこれの表記や事実関係の訂正は小笠原氏がやってくれた。この国は、出版社の編集者(エディター)たちの才能と苦心、労力に対してほとんど報いることのない、無惨な国である。
これらの現実を、精一杯、全身で受け留めることだけして、我慢しながら、歯を喰いしばって、最高級知識を分かり易く知的国民にお裾分けする任務を、私は死ぬまで果たす。
2020年3月5日
副島隆彦
(貼り付け終わり)
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