古村治彦です。

 今回は、ロシアのウクライナ侵攻を国際関係論(International RelationsIR)の諸理論でどのように分析できるのかという論稿をご紹介する。著者のスティーヴン・M・ウォルトは、ハーヴァード大学の国際関係論の教授だ。私も翻訳作業に関わった『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策 1』の共著者だ(もう一人の著者はジョン・J・ミアシャイマー)。

 ウォルトは国際関係論の中のリアリズムに属する学者だ。今回の論稿では、国際関係論の諸理論を使うと、今回のロシアによるウクライナ侵攻について、どのように分析ができるかということを紹介している。その諸理論は大きく分けて4つのセクションである。それらは、(1)リアリズムとリベラリズム、(2)誤認と誤算、(3)戦争終結と関与問題、(4)経済制裁である。詳しくは論稿を読んでいただきたい。今回のロシアによるウクライナ侵攻に関して言えば、リアリズムで分析する方がより納得できるように思われる。リアリズムの方が悲観的な分析だったり予測になったりすることが多いが、現実というのは概して、期待よりも厳しい結果で終わることが世の常だ。

 現在の状況を見れば、ウクライナが優勢という状況ではないが、今であればまだウクライナにとってまだましな条件での停戦合意が達成できる可能性がある。ウクライナ軍とウクライナ国民の必死の抵抗もあり、ロシア軍は予想外の苦戦となっている。ウクライナの優先力闘は歴史に残る。しかし、EUNATOに即時加盟が許されないことに加えて、西側はお義理の支援しかできていない。ウクライナの抵抗力がどれほど継続できるかであるが、これも厳しいと見なければならない。

ロシア軍を食い止めている今こそ、交渉によって少しでもウクライナ側にとって有利な条件を引き出す(ロシアには犠牲やコストがもっと高まると認識させながら)、ということしかないように思われる。戦争のステージがよりは快適で致命的な段階に進むと、条件はより悪くなる。ヴォロディミール・ゼレンスキー大統領がより戦略的で、現実的であれば、今回のような事態にまで追い込まれることはなかったと私は考える。2つの勢力に挟まれた中堅国・小国は2つの勢力とつながって、両者の角逐を利用するしかない。昨年までであればそれも可能だった。その点では残念ながら、世界のヒーローとなっているゼレンスキー大統領は旧穀の政治家となる能力が欠如していたと言わざるを得ない。

 今となっては、西側からのロシア軍の攻勢を止めて大逆転できるだけの重要な支援(飛行禁止区域の設定や戦闘機の供与)がないとなれば、後は如何に少しでも良い条件を引き出すかの段階となっている。

(貼り付けはじめ)

ウクライナでの戦争分析のための国際関係論の諸理論のガイド(An International Relations Theory Guide to the War in Ukraine

―どの理論が正当化され、どの理論が否定されるかについて考察する。

スティーヴン・M・ウォルト筆

2022年3月8日

By Stephen M. Walt,

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/03/08/an-international-relations-theory-guide-to-ukraines-war/

世界は限りなく複雑であり、私たちは必然的に「世界はどのように動いているのか(how the world works)」ということについて、様々な信念や理論に基づいて、その意味を理解しようとする。全ての理論は単純化されたものであるため、国際政治に対する単一のアプローチを用いて、その時々に起こっている全てのことを説明したり、数週間後、数ヶ月後に何が起こるかを正確に予測したり、成功が保証されている正確な行動計画を提示したりすることはできない。しかし、ウクライナの悲劇がどのようにして起きたのか、現在起きていることのいくつかを説明し、複数の機会と潜在的な危険性について警告し、今後の広範な行動方針を示唆することは可能である。社会科学の最も優れた諸理論(the best social science theories)も粗雑(crude)であり、確立された規則(well-established regularities)にも常に例外(exceptions)があるため、賢明な分析者は複数の理論に目を向け、どの理論が私たちに何を教えてくれるのかについて一定の懐疑心(certain skepticism)を保ち続けるのである。

以上のことから、ウクライナの悲劇的な出来事について、よく知られた国際関係論(International RelationsIR)の諸理論は何を語っているのだろうか? どの理論が(少なくとも部分的には)正当(vindicated)であり、どの理論が不十分で(wanting)、危機が継続する中で重要な問題を浮き彫りにする可能性があるのだろうか? ここでは、この混乱について学者たちが何を語っているのか、一時的かつ不十分な包括的調査結果を紹介する。

●リアリズムとリベラリズム(Realism and Liberalism

私は客観的な観察者ではない。このような問題は国際政治におけるリアリズムに基づいた視点の永続的な妥当性(enduring relevance)を再確認させるものであることは明らかだ。最も一般的なレベルでは、全てのリアリズムに基づいた諸理論は、国家を互いに保護する機関や制度が存在せず、危険な侵略者が将来のある時点で自分たちを脅かすかもしれないと心配しなければならない世界について描いている。このような状況では、国家、特に諸大国(powers)は自国の安全保障について多くの懸念を持ち、力(power)を競わざるを得ない。残念ながら、こうした不安は時として国家に恐ろしい行動を取らせることがある。リアリズムを信奉する人々(realists)にとってみれば、ロシアのウクライナ侵攻は(2003年のアメリカのイラク侵攻は言うに及ばず)、大国が自国の安全保障の核心的利益が危ういと考える時、時として恐ろしく愚かな行動を取ることを思い知らされる。この教訓はそのような行動を正当化するものではないが、リアリズムを信奉する人々は道徳的な非難(moral condemnation)だけではそれを防ぐことはできないことを認識している。ハードパワー(hard power)、特に軍事力の妥当性をこれほど説得力のある形で示すものはないだろう。ポスト近代のドイツでさえ、そのメッセージを受け取ったようである。

残念なことに、この戦争はもう一つの古典的リアリズムの概念(concept)である「安全保障のジレンマ(security dilemma)」も示している。このジレンマは、ある国家が自国の安全性を高めるために取った措置が、しばしば他の国家の安全性を低下させることから発生する。A国は安全でないと感じ、同盟国を探したり、武器を買ったりする。B国はA国この動きを警戒し、それに対応する。お互いに疑惑が深まり、両国は以前より貧しく、安全でなくなってしまう。東欧諸国がロシアに対する長期的な懸念から、NATOに加盟したい(あるいはできるだけ加盟に近づけたい)と考えるのは、非常に合理的な行動だ。しかし、プーティン大統領に限らず、ロシアの指導者たちがこのような事態を憂慮した理由もまた容易に理解できるだろう。少なくともウクライナとグルジアに関しては、この賭けは失敗に終わったことは、今や悲劇的なまでに明らかである。

リアリズムのレンズを通してこれらの出来事を見ることは、ロシアの残忍で違法な行動を支持することではなく、単にそのような行動を、嘆かわしいが人間関係の中で繰り返される側面として認識することである。トゥキディデスからEH・カー、ハンス・J・モーゲンソー、ラインホールド・ニーバー、ケネス・ウォルツ、ロバート・ギルピン、ジョン・ミアシャイマーまでのリアリズムを信奉する人々は、世界政治の悲劇的な特性を非難する。それと同時に、ある国が他の国が重要利益と見なすものを脅かすときに生じる危険性などを含む、リアリズムが強調する国際政治にかかわる複数の危険性から目を背けてはいけないと警告を発している。リアリズムを信奉する人々が過度の理想主義的外交政策の傲慢さと危険性を強調してきたことは、決して偶然の産物ではない。理想主義的外交政策がヴェトナム戦争、2003年のイラク侵攻、NATOの単純な拡大路線を生み出した。しかし、悲しいことに、いずれの場合も、彼らの警告は無視され、その後の出来事によって正しさが証明されることになった。

ロシアの侵攻に対する極めて迅速な対応は、同盟政治(alliance politics)に対するリアリズム的な理解と一致する。価値観の共有は同盟をより強固で永続的なものにするが、集団防衛(collective defense)への真剣な関与は、主として共通の脅威に対する認識(perceptions of a common threat)から生まれる。脅威のレベルは、パワー(power)、近接性(proximity)、攻撃的能力(offensive capabilities)と攻撃的意図(aggressive intentions)を持つ敵対者の機能である。これらの要素は、冷戦時代にソヴィエト連邦がヨーロッパとアジアで強力な対ソ均衡連合(balancing coalition)に直面した理由を説明するのに大いに役立つ。ソ連は大規模な工業経済を持ち、その帝国は他の多くの国々と国境を接しており、その軍事力は大規模で主に攻撃作戦用に設計されていた。そして、ソ連は高度な修正主義の野心(すなわち、共産主義の普及)を持っているように見られた。今日のロシアの行動は西側諸国の脅威に対する認識を劇的に高め、その結果、ほんの数週間前にはほとんど誰も予想できなかったような均衡を保つ行動が見られるようになった。

対照的に、ここ数十年の欧米の外交政策に大きな影響を与えた主要な複数のリベラリズムに基づいた理論では、分析はうまくできないできている。政治哲学としての自由主義は、社会を構成するための立派な基礎であり、そのような価値観がまだ支配的な社会に住んでいることに、私は深く感謝している。また、欧米社会が権威主義的な衝動に駆られた後、自由主義の美点を再発見していることは心強い。しかし、世界政治へのアプローチや外交政策の指針としては、自由主義の欠点が再び露呈している。

過去と同様、国際法(international law)と国際制度(international institutions)は、大国の強引な行動に対して脆弱な障壁(weak barrier to rapacious great-power behavior)でしかないことが証明された。経済的な相互依存(economic interdependence)は、モスクワが結果として直面する相当なコストにもかかわらず、侵略開始を阻止できなかった。ソフトパワー(soft power)はロシアの戦車を止めることができなかったし、国連総会(U.N. General Assembly)が141対5(棄権35)で侵略を非難する大多数が賛成する投票を行ったとしても大した影響はないだろう。

私が以前にも述べたように、今回の戦争は、ヨーロッパで戦争はもはや「考えられない」(no longer “thinkable”)という信念と、それに関連してNATOを東に拡大すれば「平和地域(zone of peace)」はますます広がっていくという主張を打ち砕いた。誤解を恐れずに言えば、その夢は実現すれば素晴らしいことだが、その可能性は決して高くはなかったし、その追求の仕方が傲慢だったことを考えれば、なおさらである。驚くにはあたらないが、リベラル派の話を信じ喧伝していた人々は、今や全ての責任をロシアのプーティン大統領に押し付け、彼の違法な侵略がNATOの拡大とは全く関係がないことを「証明(proves)」していると主張したいのだ。また、西側諸国の政策の行く末を正しく予見していた専門家たちに対して、愚かな暴言を吐いている者もいる。こうした歴史の書き換えの試みは、誤りを認めたがらない、あるいは自らの責任を追及したがらない外交政策エリートの典型的な動きだ。

プーティンが侵略の直接的な責任を負っていることは疑いようもなく、彼の行動は私たちができる限りの非難を受けるに値する。しかし、ロシアの度重なる抗議と警告を無視し、その結果をほとんど考慮せずにヨーロッパで修正主義的なプログラム(revisionist program)を押し進め続けたリベラル派のイデオローグたちに罪はないとは言い切れない。彼らの動機は完全に善意であったかもしれないが、彼らが採用した政策が、彼らが意図し、期待し、約束したものとは正反対の結果を生み出したことは明らかだ。そして、「過去に何度も何度も警告を受けたなんてことはないのだ」と言うことは不可能なのだ。

制度の役割を強調するリベラリズムの諸理論は、今回の欧米諸国の迅速かつ驚くほど統一された対応を理解する上で、いくらか役に立つものだ。このような迅速な対応は、アメリカとNATOの同盟諸国が、特に鮮明で残酷な方法で挑戦されている一連の政治的価値(political values)を共有していることが一因である。更に重要なことは、もしNATOのような機関が存在せず、ゼロから対応を組織化しなければならなかったとしたら、これほど迅速で効果的な対応は考えにくいということだ。国際機関は、根本的な利害の対立を解決したり、大国が好き勝手に行動するのを止めたりすることはできないが、諸国家の利害がほぼ一致している場合には、より効果的な集団的対応(more effective collective responses)を促進することができる。

リアリズムは、私たちが現在直面している厳しい状況への全体的な指針としては最適かもしれないが、その全体の物語内容を語ることはできない。例えば、リアルタイムを信奉する人々は、大国の行動に対する強い制約(strong constraints)としての規範(norms)の役割を当然ながら軽視する。しかし、今回のロシアの侵攻に対する世界の反応を説明する上で規範は一定の役割を果たした。プーティンは武力行使に関する規範(国連憲章[U.N. Charter]など)のほとんどを踏みにじっており、それが世界の多くの国、企業、個人がロシアの行動を厳しく判断し、激しく反応した理由の一つである。国際規範に違反することを止めることはできないが、明確であからさまな違反は、その国の意図が他者からどのように判断されるかに必ず影響を与える。今後、ロシア軍がさらに残忍な行動をとれば、ロシアを孤立させ、排斥しようとする現在の努力はさらに強まるに違いない。

●誤認と誤算(Misperception and Miscalculation

また、誤認(misperception)や誤算(miscalculation)の役割を考慮せずにこれらの事象を理解することは不可能だ。リアリズムの諸理論は、国家を、自国の利益を冷静に計算し、相対的な地位を向上させる機会をうかがう、多かれ少なかれ合理的な行為者(rational actors)として描く傾向があるため、ここではあまり役に立たない。その仮定がほぼ正しいとしても、政府や個々の指導者は不完全な情報(imperfect information)の中で活動しており、自らの能力、他者の能力や反応を簡単に見誤ってしまう可能性が存在する。情報が豊富であっても、心理的、文化的、あるいは官僚的な理由で認識や判断が偏ることがある。不完全な人間で満たされた不確実な世界では、物事を誤る方法はいくらでも存在するのだ。

特に、誤認に関する膨大な文献、特に故ロバート・ジャーヴィスの代表的な研究は、この戦争について多くのことを教えてくれる。プーティンがいくつかの側面で大きな誤算を犯したことは、今や明らかなようだ。西側のロシアに対する敵意を過大評価し(exaggerated)、ウクライナの決意を著しく過小評価し(underestimated)、自軍の迅速でコストのかからない勝利の能力を過大評価し、西側の反応を読み違えた(misread)。今回の場合に機能しているように見える恐怖感と自信過剰の混合こそは典型的な具体例となる。国家は、自分たちの目的を迅速かつ比較的低いコストで達成できると確信しない限り、戦争を始めないというのは、ほとんど真理と言える。長く、血なまぐさい、費用のかかる、そして敗北に終わりそうな戦争など誰も始めない。更に言えば、人間はトレードオフを扱うのが苦手なため、いったん戦争が必要だと判断すると、戦争を実行可能だと考える強い傾向がある。ジャーヴィスがかつて書いたように、「意思決定者が自分の政策を必要だと考えるようになると、その政策は成功すると信じるようになる。そのような結論に至るには他の人々が正しい情報の歪曲が必要であっても成功を確信する」可能性が高い。意思決定プロセス(decision-making process)から反対意見を排除してしまう(dissenting voices are excluded)と、この傾向は更に悪化する。その理由は、輪の中にいる全員が同じ欠陥のある世界観を共有している、もしくは部下が上司に間違っているかもしれないと言いたがらないことである。

人間は利益を得るよりも損失を避けるためにリスクを取るというプロスペクト理論(prospect theory)が、ここでも働いているのかもしれない。プーティンが、ウクライナが徐々にアメリカやNATOと協調していくと考えていたのなら(そう考える十分な理由があった)、取り返しのつかない損失(irretrievable loss)を防ぐことは、大きなサイコロを振る価値があるのかもしれない。同様に、帰属バイアス(attribution bias)(自分の行動は状況への対応とみなし、他人の行動はその基本的な性質に起因するとみなす傾向)もおそらく関係している。西側諸国の多くは、ロシアの行動を、プーティンの不愉快な性格の反映であり、決して西側諸国のこれまでの行動に対する反応ではないと解釈している。プーティンは、アメリカとNATOの行動は、生来の傲慢さ(innate arrogance)とロシアを弱体化させないという根深い願望からきており、ウクライナ人がロシアに抵抗しているのは幻惑されている(being misled)か、「ファシスト(fascist)」の影響下にあるからだと考えているようだ。

●戦争終結と関与問題(War Termination and the Commitment Problem

現代の国際関係論理論はまた、関与問題の広範な役割を強調している。無政府状態の世界(world of anarchy)において、国家は互いに約束を交わすことができるが、それが実行されるかどうかは確証がない。例えば、NATOがウクライナの加盟を永久に見送ると申し出ることができたが(戦争前の数週間はそうしなかったが)、プーティンはワシントンやブリュッセルがその約束を文書化してもNATOを信じていなかったかもしれない。条約は重要だが、結局は紙切れに過ぎない。

更に言えば、戦争終結に関する学術的な文献によれば、戦争当事者が予想を修正し、戦闘を終わらせようとしているときでさえ、関与問題が大きな障害となる。もしプーティンが明日にでもウクライナから撤退し、ロシア正教の聖書の束の上に手を置いて、ウクライナを永遠に放置すると誓ったとしても、ウクライナでもヨーロッパでもアメリカでも、プーティンの保証をそのまま受け取る人はほとんどいないだろう。また、内戦では利害関係のある外部の人間が平和的な解決(peace settlements)を保証することもあるが、この場合は、合意しても将来の違反者を処罰すると脅すことのできる外部勢力(external power)は存在しない。無条件降伏(unconditional surrender)をしない限り、戦争を終わらせるための協定は、当事者全てに十分な満足を与え、状況が好転し次第、協定を変更したり放棄したりしたいとひそかに願わないようにする必要がある。また、たとえ一方が完全に降伏したとしても、「勝者の平和(victor’s peace)」を押し付けることは、将来の報復主義(future revanchism)発生の種をまくことになりかねない。悲しいことだが、私たちは今日、いかなる種類の交渉による解決からも遠ざかっているように思われる。

更に言えば、フレッド・イクレの古典的な研究『全ての戦争は終わらなければならない(Every War Must End)』やサラ・クロコの『どんな代償を払う平和か?:指導者の責任と戦争終結をめぐる国内政治(Peace at What Price?: Leader Culpability and the Domestic Politics of War Termination)』など、この問題についての他の研究は、戦争終結を難しくしている国内の障害に注目している。愛国心(patriotism)、プロパガンダ(propaganda)、サンクコスト(sunk costs)、そして敵に対する憎悪の増大(ever-growing hatred of the enemy)の結合が、態度を硬化させ、合理的な国家が戦争停止を宣言した後も戦争を継続させるのである。この問題の重要な要素は、イクレが「タカ派の反逆(treasons of the hawks)」と呼んだものである。それは次のようなものだ。戦争終結に賛成する人々は、しばしば非国民あるいはそれ以上の存在として排除されるが、不必要に戦争を長引かせる強硬派(hard-liners)は、最終的に、彼らが守ろうとしている国家に対してより大きな損害を与えるかもしれない。「タカ派の反逆」という言葉について、モスクワにロシア語訳があるのかどうか私には分からない。しかし、この言葉をウクライナに当てはめると、失敗した戦争を始めた指導者は、自分たちの誤りを認めて戦争を終結させることを望まないか、できないかもしれない、という心配がある。もしそうなら、戦争の最初の決断に縛られない新しい指導者が現れて初めて、戦闘は終結することになる。

しかし、もう一つの問題がある。敗戦(defeat)と体制転換(regime change)に直面した独裁者たちは、「大逆転のためのギャンブル(gamble for resurrection)」に魅力を感じるかもしれない。外交政策に失敗した民主政治体制国家の指導者たちは、次の選挙で政権を追われることはあっても、その失敗や犯罪のために投獄やそれ以上の事態に直面することは、ほとんどない。これに対して独裁者たちが特に戦後の戦争犯罪の訴追(postwar prosecution for war crimes)を恐れる世界では、簡単に退陣する選択肢は存在しない。したがって、もし彼らが負けているならば、圧倒的な敗戦の可能性に直面しても戦い続けるか、エスカレートさせる動機がある。それは、運命を逆転させ、失脚、投獄、死を免れる奇跡を期待するためである。このような賭けが功を奏することもあれば(例:バッシャール・アル・アサド)、そうでないこともある(例:アドルフ・ヒトラー、ムアンマル・アル・カダフィ)。しかし、奇跡を期待して更なる行動を取るインセンティブは、戦争の終結を想像以上に難しくすることになるのだ。

これらの洞察は、私たちが何を望むかについて、非常に慎重であるべきだということを思い出させる。プーティンを罰し、屈辱を与えたいと思う気持ちは理解できる。しかし、核保有国の独裁的指導者を窮地に追い込むことは、彼の過去の行動がいかに凶悪であったとしても、極めて危険なことである。そのため、プーティンの暗殺を要求したり、一般のロシア人に対して立ち上がってプーティンを打倒しなければ責任を取らされると公言したりする西側諸国の人々は、危険なほどに無責任である。タレーランの忠告は覚えておくに越したことはない。「結局のところ、熱意がありすぎないことが大事だ(Above all, not too much zeal.)」。

●経済制裁(Economic Sanctions

経済制裁がどのように効果を発揮するかについて理解しようとしている人は誰でも、経済制裁に関する先行研究文献(literature on economic sanctions)も勉強しておく必要がある。一方では、先週行われた金融制裁(financial sanctions)は、アメリカが他の重要な経済大国と協調して行動する場合、特に「相互依存を武器にする(weaponize interdependence)」特別な能力があることを思い起こさせるものだ。他方で、相当量の真面目な学問研究の結果は、経済制裁が国家に迅速に軌道修正を強いることはほとんどないことを示している。トランプ政権のイランに対する「最大限の圧力(maximum pressure)」作戦の失敗も、その明らかな事例である。支配的なエリートは、通常、制裁の直接的な影響から隔離されている。プーティンは経済制裁が行われることをあらかじめ分かっていたであろうし、地政学的な利益(geopolitical interests)にはそれを甘受するだけの価値があると信じていたのだろう。プーティンは経済的圧力の速度と範囲に驚き、落胆したかもしれないが、モスクワがすぐに方針を転換するとは誰も思わないはずだ。

これらの例は、現代の国際関係論がこれらの出来事の理解に貢献しうるものの表面をひっかいているに過ぎない。抑止力(deterrence)と強制力(coercion)に関する膨大な文献、水平(horizontal)・垂直(vertical)エスカレーションの力学(dynamics)に関する重要な著作、文化的要素(男らしさ[masculinity]の概念、特にプーティン自身のマッチョな「人格崇拝(personality cult)」を含む)を考慮することで得られるかもしれない洞察については言及していない。

要するに、国際関係の学術文献は、私たちが直面している状況について多くのことを語っている。しかし、残念なことに、知識のある学者が公共の場で考えを述べたとしても、権力の地位にある者は誰もそれに注意を払わないだろう。政治において、特に危機の時期において、時間は最も希少な資源である。ジェイク・サリヴァンやアントニー・ブリンケン、そして彼らの部下たちは、専門誌の『インターナショナル・セキュリティ』誌や『ジャーナル・オブ・コンフリクト・リゾリューション』誌のバックナンバーを読み返し、良い情報を見つけようとはしないのである。

また、戦争には独自の論理(logic)があり、言論の自由(freedom of speech)と開かれた議論(open debate)が維持されている社会であっても、様々な声をかき消す傾向のある政治的な力を解き放つのである。戦時中は利害が一致するため、公務員、メディア、市民は、固定観念にとらわれず、冷静かつ慎重に考え、誇張や単純化した決まり文句を避け、何よりも自分たちが間違っているかもしれない、別の行動が必要だという可能性にオープンであるべきなのである。しかし、ひとたび弾丸が飛び交い始めると、視野が狭くなり、マニ教的思考様式(Manichaean modes of thought)に急速に陥り、反対意見を疎外または抑圧し、ニュアンスを捨て、何が何でも勝利することに固執するのが常である。この過程は、プーティンのロシア国内でも進行しているようだが、西側諸国でも穏やかな形が見られる。結局のところ、これは酷い状況を更に悪化させるレシピとなるのだ。

(貼り付け終わり)
(終わり)


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