古村治彦です。
『ドライブ・マイ・カー』は米アカデミー賞で国際長編映画賞を受賞した。日本映画13年ぶりの快挙だった。私自身は映画をほぼ見ない人間で、このように一般的なニューズになって初めて、そのような素晴らしいと評価される映画があったのかと知るくらいのことだが、『フォーリン・ポリシー』誌に『ドライブ・マイ・カー』を紹介する論稿が掲載されていたのでご紹介する。
『ドライブ・マイ・カー』
この映画の濱口竜介監督はこの映画を韓国で撮影しようとしたが、新型コロナウイルス感染拡大もあって、日本の広島を舞台に設定して撮影したということだ(韓国では釜山を舞台にする予定だったそうだ)。
下記の論稿では、日本と韓国の映画やエンターテインメント業界の比較を行い、日本の問題点を指摘しながらも、日本の映画業界が多くの情熱と才能に溢れた人々の努力によって前進しているということが述べられている。私は個人的に岡本喜八監督の映画が好きで、1950年代から60年代にかけて、日本映画は全盛期だったということは知っている。著名な映画監督(スティーヴン・スピルバーグやジョージ・ルーカス、クゥエンティン・タランティーノなど)が日本映画、黒澤明や溝口健二の影響を受けていることは知られている。
それ以降、映画業界全体がテレビに押され、元気を失ってしまった時代に生まれ育った。1990年代後半に大学生だったが、映画が好きだという知人と話をしていて、「自分は洋画ばかり見ている。邦画はつまらない」と言っていたことを思い出す。
濱口監督が韓国映画の撮影手法やインフラに魅かれて、韓国で撮影しようとしていたという話は興味深い。日本映画の隆盛で「日本で撮影をしたい」「日本映画に学びたい」となることを望む。映画のような文化やエンターテインメントで自国の魅力を発信することは、軍事力や経済力とは異なるが、それはそれで「パワー」である。ジョセフ・ナイが述べた「ソフト・パワー」ということになる。もちろん、国策映画やプロパガンダではよくないが。
文化を守り育てるためには、何よりも人々の余裕がなければ難しい。現在の日本ではそれは難しいことである。しかし、たとえ衰退国家であっても文化は必要だ。人間は楽しみや遊びがなければ生きていけない。遊びをせんとや生まれけむ、だ。
(貼り付けはじめ)
『ドライブ・マイ・カー』は日本映画を永久に変化させた(‘Drive My Car’
Could Change Japanese Cinema Forever)
-今年のアカデミー賞ではこの日本映画が最優秀作品賞の候補に挙がっている。
エリック・マルゴリス筆
2022年3月27日
『フォーリン・ポリシー』誌
https://foreignpolicy.com/2022/03/27/oscars-2022-drive-my-car-best-picture-nominee-japan/?tpcc=recirc_trending062921
2年前、韓国の『パラサイト 半地下の家族(Parasite)』が、外国語映画として初めてアカデミー賞最優秀作品賞を受賞し、世界に衝撃を与え、映画を一変させた。今年は、日本の芸術的で瞑想的なドラマである『ドライブ・マイ・カー(Drive My Car)』が最優秀作品賞の候補に挙がっている。オッズは不利だが、日本映画の受賞は革命的と言えるだろう。
1950年代から1960年代にかけて日本映画は黄金時代の中にあった。その後、日本の映画界は浮き沈みを繰り返しながら苦闘してきた。『乱』(1985年)、『千と千尋の神隠し』(2001年)、『君の名は』(2016年)などの映画が世界の注目を集め、活況を呈した時期もあった。しかし、批評家のお気に入りでも、人気を集められない映画が多くなっている。一方、日本の映画製作者たちは、国内市場という狭い視野に立ち、海外にアピールすることを考えずにいる。
日本映画として初めて作品賞にノミネートされた、伝説的な黒澤明監督の作品集以来、アカデミー賞で最も成功した日本映画として、『ドライブ・マイ・カー』は歴史、芸術性、ソフトパワー、そして幸運の特別な組み合わせによってこの位置に到達した。
一方では、主要なストリーミング・パートナーを持たない静かなトーンの3時間の中程度の予算の外国映画である『ドライブ・マイ・カー』は2022年にビジネスとしては成功する可能性が低い映画である。しかし、批評家や専門家は、『ドライブ・マイ・カー』は傑作だと絶賛している。
濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』は、俳優で演出家の家福悠介が、妻の死の直前に浮気が発覚し、その喪失感に悩む姿を描いたフィクションである。東京から広島に移り、アントン・チェーホフの「ワーニャ伯父さん」を多言語化した作品を演出するが、主演に妻の元交際相手を起用するなど、抑制的だが時に力強い作品となっている。
村上春樹の同名の短編小説を原作とする『ドライブ・マイ・カー』は、濱口監督のこれまでの作品に比べると実験的な要素は少なく、説得力のある人間ドラマと大胆な芸術的意思決定の境界線を見事に行き来している。「RogerEbert.com」の映画評論家であるカルロス・アギラは、『フォーリン・ポリシー』誌に「これは絶対にベスト・ピクチャーに値する」と述べている。アギラは「この作品は、悲しみに対処する方法と、人と人とのつながり、特に痛みを分かち合うことが、重荷を一人で背負うことからいかに解放してくれるかという、微妙に強力なドラマだ」と語っている。
家福のつながりの源は、寡黙な若い女性、渡利みさきだ。彼女は家福の広島滞在中の運転手である。最初は、渡利のような若い女性を、愛車のサーブ900ターボの運転手として雇うことに抵抗があったが、彼女はすぐに自分自身の力を証明する。2人は毎日の長い通勤の中で心を通わせ、やがて辛い過去を癒す手助けをするようになる。
数人の大スターとそれなりの予算、そしてインディーズ的なメンタリティのバランスをとることで、『ドライブ・マイ・カー』は日本国内でもユニークな映画になっている。東京在住の日本映画・アニメ記者マット・シュリーは『フォーリン・ポリシー』誌の取材に対し、最近の日本映画のほとんどは、安価なインディーズ映画か、大予算のドラマやアニメの映画化であると語った。シュリーは、「中間が空洞化したようなものだ」と指摘する。シュリーは「『ドライブ・マイ・カー』は、90年代に日本映画が海外の映画祭でとても良い成績を収めていた頃を思い起こさせる作品だ」と語った。
『ドライブ・マイ・カー』は、その制作、輝き、そして有名なストリーミング・パートナーがいないため、綿密な配給が特徴的だ。しかし、ハリウッドの状況や視点の変化も、このノミネートを可能にする重要な役割を担っている。現在、作品賞の候補作品は5ではなく10作品であり、昨年はクロエ・ザオが監督賞を受賞し、ユン・ユジョンが演技賞を受賞するなど、アジア人受賞者の先駆者が何人も誕生しており、アカデミー賞でアジア人やアジア系アメリカ人が投票に参加し、受賞する前例ができた。2015年と2016年、2年連続で主要演技部門のノミネート20人全員が白人だったことで批判にさらされたアカデミーは、より多様なメンバーに向けて拡大を図ってきた。
『ジャパメリカ:日本のポップ文化がいかにしてアメリカに侵攻したか(Japanamerica:
How Japanese Pop Culture has Invaded the U.S.)』の著者であるローランド・ケルツは、「イカゲームはNetflixの最大のヒットの一つで、もちろん全てのストリーミング大手がアニメ資産のライセンスを取得しようと躍起になっている」と述べた。
日本国内では、ほとんどのコメンテーターがこのノミネートを驚きとともに歓迎し、同時にこの可能性が何年も前から着実に積み重ねられてきたことを指摘している。テレビプロデューサーの佐久間宣行はニッポン放送の番組で、今回の受賞は日本のインディーズ映画界が10年間、着実に向上してきたことの積み重ねであると語った。また、日本の映画界における労働や男女の不平等などの問題を研究・提言しているNPO法人「日本映画プロジェクト」のメンバーでジャーナリストの伊藤えりなは、濱口監督の才能と、彼の作品を可能にした日本映画の偉大な歴史の両方によって、今回のノミネートがもたらされたと述べた。
しかし、ほんの2年前でも、日本のコメンテーターたちは、日本が『パラサイト』のような国際的なヒット作を生み出す可能性について、どこまでも悲観的だった。韓国は日本と違い、過去数十年間、映画やエンターテイメント産業に積極的に投資してきた。確かに、日本の芸術や文化は、マンガやアニメの人気の急拡大や新型コロナウイルス感染拡大以前の観光ブームを通じて、その影響力を増大させている。しかし、韓国の映画やドラマの隆盛に比べれば、日本の実写映画やテレビは海外で成功するような構造にはなっていない。実際、『ドライブ・マイ・カー』は、労働力を正当に補償せず、国境を越えることに失敗した日本の映画産業の中では、多くの意味で異端児的存在だ。
伊藤はEメールを通じて次のように述べている。「日本の映画界にいるほとんどの人はフリーランスだ。彼らは映画が好きで、良い映画を作りたいと思っている人たちだが、労働契約もなく、労働基準法も守られていない酷い環境下で働かされている(具体例としては、長時間労働、低賃金、パワハラ、セクハラ)」。
日本の映画界には、ハリウッドのように労働者を保護する労働組合がないことが特徴である。その結果、過酷なスケジュールと低賃金で、常に優秀な人材を業界から追い出している。また、日本の製作委員会制度も大きな問題で、5から10社がそれぞれ資金を出し合って映画を製作する。
シュリーは「映画が失敗しても、1社も倒産しないので、財政面では理にかなっている。しかし、多くの監督は、別々の利害関係者が全て異なるクレームが入ることで、創造性が破壊されると文句を言っている」と述べた。
しかし、濱口監督は大手映画製作コングロマリットに頼ることもなく、日本映画の標準的な世界を代表しているわけでもない。また、濱口監督は長いリハーサルのスケジュールで、役者たちに素材を消化し、記憶する時間を与えることで、異端児であることを証明した。日本映画の多くはリハーサルなしで撮影される。
実は、濱口は当初、韓国の優れた映画製作のインフラに頼って、自分のヴィジョンを実現するつもりだった。広島ではなく、韓国の釜山を舞台にする予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大でそれが頓挫した。この歴史の一致は驚くべきアクシデントである。『ドライブ・マイ・カー』は、日本映画の成功のために、韓国の優れた映画制作の才能に依存する予定であった。しかし、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、『ドライブ・マイ・カー』は国産映画となった。
濱口監督は釜山国際映画祭の記者会見で「韓国映画の隆盛と影響力に注目した。そして、韓国の映画人の仕事ぶり、映画制作のやり方から多くを学べると思った」と語った。
『ドライブ・マイ・カー』は、今年の最優秀作品賞を受賞しない可能性が高い。『パラサイト』のような人々へのアピールもなければ、ハリウッドで受賞者が通常行うようなPRもできないからだ。これほど長時間の映画かこの部門を受賞するのは約20年ぶりのことで、より大きなスタジオと競争することになる。アカデミー賞の準備期間中、作品賞にノミネートされた作品の広告がロサンゼルスに溢れ、今年のノミネート10作品のうち、ロサンゼルスで積極的な受賞キャンペーンを行っていない作品は『ドライブ・マイ・カー』だけだ。
アギラは「『ザ・パウア・オブ・ザ・ドッグ』にはNetflixとその全てのリソースがあり、つまり彼らはより多くの宣伝費を払い、より目につくようにすることができる』と語った。ラスベガスでアカデミー賞の結果に賭けている人の間では、『ザ・パワー・オブ・ザ・ドッグ』が-155(勝つ確率50パーセント以上)、『ドライブ・マイ・カー』が3月24日の時点で+10000(勝つ確率1パーセント)になっている。
それでも、『ドライブ・マイ・カー』のノミネートは、既に日本だけでなく海外でも成果を上げている。国際的なノミネートを通過するたびに、アメリカ映画以外の作品への注目度が高まり、勢いを増す。日本の映画業界関係者たちは、このノミネートをきっかけに、日本の配給会社やスポンサーが、才能ある映画制作者により良い予算と芸術的な自由を与え、賃金や労働条件を改善することを望んでいる。しかし、製作委員会が濱口監督のような才能ある監督に、彼らの芸術的なヴィジョンを実現する力を与えることができればの話ではあるが。
日本映画界の関係者の大多数にとって、『パラサイト』は実現不可能な理想を示していた。批評家や観客に愛され、国内映画を世界の舞台へと押し上げる国際的ヒット作となった。日本の映画監督たちは常に韓国の映画製作のインフラや労働条件に感銘を受けており、濱口監督も新型コロナウイルス感染拡大がなければ韓国で『ドライブ・マイ・カー』を撮影していたかもしれない。しかし、この歴史の偶然によって、日本国内で楽観主義が拡大している。
近年、日本の大衆文化に対する韓国の大衆音楽や映画の優位性が叫ばれている。しかし、日本文化を海外に発信し、日本文化を支えるインフラとしての『ドライブ・マイ・カー』の成功は、『パラサイト』なくしてはあり得なかったと言えるだろう。『パラサイト』のような大ヒットがあったからこそ、『ドライブ・マイ・カー』のような芸術的なドラマが生まれたのだ。アジア文化と世界のポップカルチャーは、多くの人が主張する以上に相乗効果があり、濱口監督の場合は文字通りコラボレーションしている。
『パラサイト』、村上春樹、米アカデミーによって称賛されなかった何世代もの日本の映画監督たちが整備してくれた道のおかげで、『ドライブ・マイ・カー』は歴史を切り拓く機会を得ている。また、今回のノミネートは日本映画界が成長しようと決心すれば、日本映画を永遠に変える機会でもある。映画製作者たちにとってはまだあまり大きな変化はないが、3月27日のアカデミー賞で何が起こるかにかかわらず、日本映画の未来はこれまでと同じくらい明るいことは間違いないところだ。
※訂正(2022年3月28日):佐久間宣行の発言の誤った翻訳を削除した。
※エリック・マーゴリス:作家・翻訳家
(貼り付け終わり)
(終わり)
※6月28日には、副島先生のウクライナ戦争に関する最新分析『プーチンを罠に嵌め、策略に陥れた英米ディープ・ステイトはウクライナ戦争を第3次世界大戦にする』が発売になります。

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