古村治彦です。

 ウクライナ戦争は膠着状態と言われているが、ウクライナ東部ではロシア軍が勝利している。ウクライナのヴォロディミール・ゼレンスキー大統領は失った領土を取り戻すと宣言しているが、同時に年内で停戦したいという発言もしている。西側諸国では「ゼレンスキー疲れ」が出ており、西側諸国の国民の中に「自分たちの生活だって苦しい。いつまでウクライナを支援するのか。早く停戦して欲しい」という声が出ている。

 ウクライナ戦争が始まってしばらくの間、とくにイギリスの政治家たちからの勇ましい声が聞こえてきた。「ロシア経済を破綻させる」「プーティンを引きずり下ろす」といった言葉だ。日本の某政党の党首の言葉を借りれば、「ロシアを、ぶっ壊―す」というところだ。

 「何故ロシアを徹底的に敗北させねばならないのか?」という疑問に対する答えは、「他国を侵略しようとしている政治指導者たちに教訓を与える、侵略は割に合わないどころか失敗するのだということを」ということになる。それについて、このブログで何度もご紹介しているスティーヴン・M・ウォルト教授は「教訓にならない」としている。そして、歴史上、これまで失敗してきた例を多数挙げて説明している。

 人間は教訓があるのに、それを無視する。まず痛い目に遭って教訓を得てもそれを忘れてしまう。その痛みを忘れてしまう。昨今、日本国内で頭の軽い口先だけ勇ましい政治家や言論人が多数出てきている。これは国家全体として先の大戦の痛みを忘れつつあるからだろう。

そして、人間は希望的観測を使って、自分の都合よく現実を解釈する。「多分こうすれば大丈夫」ということで、現実から目を背ける。厄介なのは「多分こうすれば」という部分に数字が使われて、いかにも価値中立的に、科学的に説明されているように見えると、それが希望的観測ではなく、事実に基づいた推論(より正確な予測)ということになってしまうことだ。これもまた日本を例に考えてみればわかりやすい。どこをどう取り繕ってみても、アメリカと日本では国力が違う。しかし、「こうして、ああして」やれば、何とかなるだろう、アメリカと和平を結べるかもしれないということで、最後は開戦した。しかし、結果は惨め極まるものとなった。

 失敗から学ぶということもあるが、学び方を間違うとこちらも悲惨だ。「あいつは馬鹿だから失敗した、俺は頭が良いから失敗しない」という自惚れや短慮があればどうなるか。失敗から学ぶと言っても本質的なことを学べず、客観視もできず、でこの人も又失敗するのである。「次やるときは失敗しない」と「また同じ失敗を繰り返す」は残念ながらほぼ同義語となっている。

 国家侵略が割に合わない、それどころか、侵略した方が滅んでしまうということはこれまで何度も起きている。何度も起きているということは、人間は失敗から学ばない生き物であることを示している。そこのところを冷酷に見つめ、「教訓にならないようなことは無駄だからやめてより現実的な方向に進もう」というのがリアリズムの考え方である。一日も早い停戦を、だ。

(貼り付けはじめ)

侵略者たちに教訓を与えれば、将来の戦争を抑止できるのか?(Will Teaching Aggressors a Lesson Deter Future Wars?

-ロシアに決定的な敗北を与えよという声は見当違いであり、そのようなことをしてもプーティンや他の国々が武力を行使するのを必ずしも防ぐことはできないだろう。

スティーヴン・M・ウォルト筆

2022年6月2日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/06/02/will-teaching-aggressors-a-lesson-deter-future-wars/

NATOのイェンス・ストルテンベルグ事務総長のような西側諸国の人々は、ウクライナへの支援をこれまで以上に強化することを望んでおり、ロシアに決定的な敗北を与えることが、他の場所での将来の戦争を防ぐことになると仄めかすこともある。ロシアが決定的な敗北を喫した場合、あるいは少なくとも大きな成果が得られなかった場合、西側諸国は「侵略は報われない(aggression does not pay)」ことを示すことになる。ウラジミール・プーティン大統領はこれに懲りて二度とこのようなことはしないであろうし、中国の習近平国家主席のように武力行使を考えている指導者たちも、同じようなことをする前にもう一度考えるだろう。

フランシス・フクヤマをはじめとする学識者の一部は、ロシアの決定的な敗北は、西側の自由主義が近年経験した倦怠感(malaise)を終わらせ、衰退しつつある「1989年の精神(spirit of 1989)」を回復させる可能性があると指摘している。

しかし、ウクライナと西側諸国がロシアの侵略者を打ち負かすことができず、結局キエフがモスクワと妥協せざるを得なくなれば、非自由主義の理想が一部正当化され、将来の侵略(ロシアの新たな策略を含む)の危険性が高まることになろう。ジョー・バイデン米大統領が『ニューヨーク・タイムズ』紙に寄稿した文章の中で「もしロシアがその行動に対して大きな代償を払わなければ、他の侵略者となる者たちに、彼らも領土を奪い、他の国々を征服することができるというメッセージを送ることになるだろう」と書いている。更に憂慮すべきことに、歴史家のティモシー・スナイダーは、「民主政治体制諸国の運命は天秤にかかっている」と警告している。

この種の主張は、何十年もの間、強硬派(特にネオコン派)の言説の定番であった。ドミノ倒し理論(domino theory)が何度反証されても廃れないように、この種の主張は、1つの紛争の結果を地球全体の運命を左右する闘争に変容させる。私たちが直面する選択は厳しい。1つの道は平和を愛する強力な民主主義諸国の統一された同盟が主導する自由主義秩序が復活し、戦争が少なく繁栄が続く未来かというものだ。もう1つの道には、独裁政治が台頭し、人権が侵害され、戦争が頻発する世界が待っているというものだ。この考え方によれば、ウクライナは大きな勝利を収めなければならないし、そうでなければ全てが失われる。

このように問題を整理すると、常により多くのことを行い、あらゆる種類の妥協を拒否することが有利ということになるが、この選択は強硬派が言うほど厳しいものなのだろうか? 侵略者たちを打ち負かすことが、本当に他の人々に良い行動を教えることになるのだろうか? もしこれが事実であれば、世界はより穏やかなものになるだろう。しかし、過去1世紀ほどを見てみると、そうではないことが分かる。

第一次世界大戦は、ヨーロッパの主要国全てが開戦に関与したが、1914年の7月危機では、ドイツがその原動力となった。ドイツの指導者たちは、ロシアの台頭を過剰に恐れ、オーストリアのフェルディナント大公の暗殺とオーストリア・ハンガリーとセルビアの対立を契機に、ヨーロッパの覇権をめぐる予防戦争(preemptive war)を起こした。その結果、ドイツは連合国に完敗し、ホーエンツォレルン王国とオーストリア・ハンガリー帝国、オスマン帝国の同盟国は消滅し、懲罰的な講和条約を結ばされることになった。

しかし、ドイツの敗戦という厳しい現実は、アドルフ・ヒトラーが約20年後にヨーロッパの覇権を目指さないようにするための教訓にはならなかった。実際、ドイツが後ろから刺されたという神話とベルサイユで科せられた厳しい和平条件は、ナチズムの台頭を促し、再び戦争を起こすための舞台を整えることになったのである。また、第一次世界大戦の惨劇は、日本がアジアに独自の帝国を築こうとすることが悪いことだと日本に教えてくれた訳でもなかった。

また、第二次世界大戦では、侵略者たちに大きな罰が与えられた。日本は何度も空襲され、2つの都市が原爆で破壊された。ドイツは占領され、その後2つの国家に分割された。ヒトラーとイタリアの指導者ベニート・ムッソリーニは最後には死亡して終わった。「侵略は報われない(aggression does not pay)」ということをこれほど明確に示した例はないだろう。そして、ドイツも日本もその教訓をよく学んだと言える。しかし、この教訓は、金日成が1950年に(ヨシフ・スターリンの全面的な支援を受けて)韓国を攻撃するのを止めることも、アジアや中東の他の国々の指導者たちに戦争をすることは常に賢明ではないことを納得させることもできなかった。

同様に、フランスとアメリカがヴェトナムで経験したことは、傲慢さの危険性と軍事力の限界、そして有能な現地パートナーなしに深く分裂した社会で国家建設を試みることの無益さを、鮮明かつ永続的に思い起こさせるものであると考えたかもしれない。しかし、2001年のアフガニスタン侵攻、2003年のイラク侵攻の際、ジョージ・W・ブッシュ政権はこの教訓を全く意に介さなかった。

しかし、2001年のアフガニスタン侵攻、2003年のイラク侵攻の際、ブッシュ政権はこの教訓を無視した。1982年、アルゼンチンの軍事政権は、イギリスのフォークランド諸島(マルビナス諸島と呼ぶ)を自分たちのものだと決めつけ、武力で領土を奪うことを決意した。イギリスはアルゼンチン海軍の旗艦を沈め、島々の奪還に成功し、アルゼンチンの民衆の抗議運動は最終的に将軍たちを政権から追いやった。

イラクのサダム・フセインも結局は同じような運命をたどった。1980年に革命的なイランを攻撃するという彼の決断は、約8年にわたる戦争につながり、何十万人ものイラク人が命を落とし、イラクの経済も崩壊してしまった。その2年後、彼は最初の戦争が引き起こした経済問題を解決するために、隣国のクウェートを占領することを決めたが、アメリカ主導の連合軍によって無念にも追放され、非常に押しつけがましい国連の制裁下に置かれることになった。しかし、アメリカ主導の連合軍によって追放され、国連の厳しい制裁下に置かれた。どちらの場合も攻撃は報われなかったが、サダムの失敗によって、著名な民主政治体制国家を含むいくつかの国々が新たな戦争を始めることを止めなかった。

手痛い敗北が本当に他国への明確な警告となるのであれば、ソ連とアメリカのアフガニスタンでの経験や2003年以降のアメリカのイラクでの経験から、プーティンとその仲間たちは、ウクライナへの侵攻が強力な民族主義的反応を引き起こし、外部の勢力が彼の目的を阻止するためにできる限りのことをするようになる可能性があることを学んだはずだ。アメリカがソ連のアフガニスタン占領を打破するためにムジャヒディンを支援したことも、シリアとイランがそれぞれイラクの反乱軍を支援してアメリカのイラクでの取り組みを打破したことも、きっとプーティンは知っていただろう。この2つの紛争の教訓はあまりにも明白に思えるが、プーティンはそれがウクライナには当てはまらないと自分に言い聞かせているようである。

もちろん、侵略戦争全てが敗北に終わる訳ではないが、侵略者たちが酷く打ちのめされたケースには事欠かないし、戦争を始めた人々がその愚かさのために大きな個人的犠牲を払ったケースも少なからずあるように思われる。しかし、「侵略は報われない」という教訓は、通常、無視されるか、忘れ去られる。何故だろうか?

その理由の1つは、どのような戦争でもその教訓は必ずしも明確ではなく、合理的な人々は敗戦から異なる結論を導き出すことができるからである。戦争に進んだのは最初から悪い考えだったのか、それとも敗因は作戦の実行が拙かったからなのか、それとも単に運が悪かっただけなのか? また、政策立案者たちが、今度は違う、新しい知識、新しい技術、巧妙な新戦略、あるいは他に類を見ないほど有利な政治状況などがあれば、失敗した戦争からの教訓は捨て去られることになろう。エリートが本当に戦争をしたいということになると、どのような説得をするか、決して見くびってはならない。

指導者たちは自国の歴史には精通していても、同じような境遇にある他国がどうであったかはあまり知らないし、気にも留めない。

2つ目の問題は、故ロバート・ジャービスが指摘したように、人間には他人の経験よりも自分の経験を重視する傾向があることだ。ある国の指導者は、自国の歴史には詳しいかもしれないが(自分勝手な歴史を吸収しているかもしれないが)、同じような境遇の他の国に何が起こったかについてはあまり知らないし、関心もないだろう。

そして、他国の失敗を、その大義名分が正当でなかった、その決意が偉大でなかった、その軍隊が自国ほど有能でなかったと主張することによって、簡単に否定することができる。更に、戦争の決断は通常、脅威、機会、予想されるコスト、代替案を複雑に考慮して行われるため、全く別の紛争で他国に起きたことは、彼らの計算には大きく影響しないかもしれない。

更に言えば、戦争を始める指導者たちは、リスクがあることを認識していることが多く、勝利の確率が低いことを認識していることもある。それでも、より悪い状況になると判断すれば、「鉄のサイコロを振る(roll the iron dice)」のである。例えば、1941年の日本の指導者たちは、アメリカが圧倒的に強く、真珠湾攻撃は大きな賭けであり、おそらく失敗することを理解していた。しかし、アメリカの圧力に屈し、大国としての地位とアジア支配を諦めるという選択肢は、限りなく悪いと考えたのである。

根本的なことを言えば、アメリカの政策立案者たちは、ウクライナ(あるいはイエメン、エチオピア、リビア)での勝利が歴史の弧(arc of history)を自分たちの好む方向に決定的に傾けると信じて今日の行動を取ってはならない、ということになる。また、今日の紛争の結果は、将来の指導者たちが戦争を始めるかどうかを決定する際に、自分たちの見通しについてどう考えるかに大きな影響を与えることはないだろう。

ロシアに対抗しようとするウクライナの努力を支持することには十分な理由がある(ただし、その支持の度合いについては合理的な人々の間で意見が分かれるところである)が、それに民主政治体制の将来がかかっている訳でもない。この戦争をロシアに教訓を与える機会と捉えるのではなく、政策立案者たちは、今問題になっている特定の利益と問題を特定することに集中し、再び戦闘が起こらないように、誰もが望むものを十分に与えることができる和平解決を考案するよう努力すべきである。

その方法を考えることだけでも十分難しいのに、戦争の結果に人類の運命がかかっているなどと考えるような愚かな真似はして欲しくない。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー国際関係論教授。

(貼り付け終わり)

(終わり)

※6月28日には、副島先生のウクライナ戦争に関する最新分析『プーチンを罠に嵌め、策略に陥れた英米ディープ・ステイトはウクライナ戦争を第3次世界大戦にする』が発売になります。


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