古村治彦です。

 2022年7月8日、奈良市での街頭演説のさ中、安倍晋三元首相が銃撃を受け、暗殺された。戦後日本で元首相クラスの政治家が銃撃によって暗殺されるなどと言う重大事件はなかった。日本社会は大きなショックを受けている。海外にはどのように報じられたのかを今回から何度かに分けてご紹介する。

 日本は治安が良く、厳しい銃規制もあって銃器での犯罪が特に低く抑えられていることはよく知られている。「そのような極めて治安の世日本でどうしてこんな事件が起きたのか」というのが海外の反応である。下に紹介する2本の記事でもそのような論調となっている。犯人の背景についてはこれらの記事の時点でははっきりしていなかったのであまり書かれていない。安倍晋三元首相のこれまでの政治的な業績について書かれている。

 アメリカのジョー・バイデン大統領にとっては自身がオバマ政権の副大統領時代(二期目)と大統領になった時に安倍首相だったこともあり、追悼の意を表している。ヴァージニア州ラングレーにあるアメリカ中央情報局(CIA)の本部において、バイデン大統領は安倍元首相に追悼の言葉を述べている。その他にも世界各国の指導者たちが追悼の言葉を述べている。

https://www.c-span.org/video/?c5022937/president-biden-pays-tribute-slain-japanese-pm-shinzo-abe

 今回の事件によって日本政治がどのように動いていくのかはまだ明確ではない。しかし、民主政治体制を守るため、このようなテロ事件の再発防止を強く望む。

(貼り付けはじめ)

日本の元指導者安倍晋三氏が演説中に暗殺された(Japan’s ex-leader Shinzo Abe assassinated during a speech

マリ・ヤマグチ、チサト・タナカ、フォスター・クラッグ、AP通信

2022年7月7日

『ザ・ヒル』誌

https://thehill.com/homenews/ap/ap-international/japan-ex-leader-shinzo-abe-apparently-shot-in-heart-failure/

東京発(AP通信)。日本の安倍晋三元首相が金曜日選挙運動での演説中に、日本西部の路上において銃で武装した男性に背中から発砲を受け、暗殺された。世界でも有数の厳格な銃規制がなされている国で凶行に、日本全体が大きなショックを受けた。

67歳になる安倍元首相は2020年に辞任したが、日本史上で最長の在任記録を誇る。彼は流血しながら倒れ、奈良県の病院にヘリコプターで緊急搬送されたが、この時には彼は呼吸をしておらず、心臓も止まっていた。複数の政府高官によると、安倍元首相は大量の輸血による治療を受けた後に、死亡が確認された。

安倍首相の遺体を乗せた霊柩車は、土曜日未明に病院を出発し、東京の自宅に戻った。安倍首相の妻の昭恵氏は、集まった大勢の記者の前を車が通り過ぎる際に、一礼した。

奈良県立医科大学救急部長の福島英賢教授によると、安倍元首相は心臓に大きな損傷を受け、さらに首の2つの傷で動脈が損傷していたということだ。福島教授は「安倍元首相はヴァイタルサイン(vital signs、生命兆候)を回復することはなかった」と述べた。

銃撃現場の警察は、元海上自衛隊員の山上徹也容疑者、41歳を殺人の疑いで逮捕した。山上容疑者は、長さ約15インチ(40センチ)の明らかに手製と判断される銃を使用しており、現場近くの容疑者のワンルームマンションを捜索した際、同様の武器とパソコンを押収したということだ。

警察によると、山上容疑者は質問に落ち着いて答えており、安倍元首相を銃撃したことを認め、警察がその名前を特定しなかった特定の組織と安倍元首相が関係しているという噂を信じたため、殺害を計画したと捜査官たちに語ったということだ。

NHKが放送した極めて劇的な映像は、日曜日の参議院議員選挙を前に、駅の外に立って演説をする安倍元首相を映し出していた。彼が拳を振り上げながら演説を行っていた際、2発の銃声が鳴り響き、胸を押さえて倒れ、SPたちが彼の方へ走ってくるとシャツは血まみれになっていた。SPや警備の警察官たちが駆けつけ、道路に顔を伏せている犯人に飛びかかり、近くには二連発の武器が見えた。

岸田文雄首相と閣僚たちは銃撃事件発生後、日本各地で出席していた選挙関連の行事や選挙運動から緊急で東京に戻った。岸田首相は事件を「卑劣な蛮行」と断罪した。岸田首相は、参議院議員選挙は予定通り実施されることを約束した。

岸田首相は感情を抑えるのに苦労しながら「私は最も厳しい言葉で(行動を)非難する」と語った。岸田首相は、政府は治安状況を見直すとしながらも、安倍元首相は最高の保護を受けていたとも述べた。

安倍元首相は退陣しても自民党内で大きな影響力を持ち、最大派閥の清和会を率いていたが、その超国家主義的な考えから、多くの人々とって毀誉褒貶が大きな人物でもあった。

野党の指導者たちは、日本の民主政治体制に対する挑戦として、この銃撃を非難した。野党第一党の立憲民主党の泉健太代表は「テロ行為」と呼び、「言論の自由を打ち消そうとしたものだ。実際に安倍元首相の演説が二度と聞けなくなるような状況を引き起こした」と述べた。

東京では、人々が足を止めて新聞の号外を買ったり、銃撃事件のテレビ報道を見たりしていた。奈良の撮影現場には花束が置かれた。

安倍元首相は首相を辞任したとき、重大の頃から患っていた潰瘍性大腸炎が再発したことを理由にした。退陣の際に、何年も前に北朝鮮に拉致された日本人の問題、ロシアとの領土問題、戦争を放棄した日本国憲法の改正などを実現できなかったことが特に残念だと述べた。

安倍元首相の超国家主義は韓国と中国を怒らせ、より通常の防衛態勢を作ろうとする彼の姿勢は多くの日本人を怒らせた。安倍元首相は、アメリカが起草した平和主義憲法を正式に書き換えるという悲願を達成することができなかったが、それは国民の支持が得られなかったからである。

熱心な支持者たちは、安倍元首相が残した遺産は日米関係の強化であり、それは日本の防衛力を強化することを意味していた、と主張している。しかし、安倍首相は国民の強い反対にもかかわらず、防衛目標やその他の争点を国会で強行採決し、敵を作った。

安倍首相は、祖父である岸信介元首相の跡を継ぐように育てられた。彼の政治的レトリックはしばしば、日本を「普通の」そして「美しい」国にし、軍事力を強化し、国際情勢においてより大きな役割を果たすようにすることに重点を置いていた。

世界の指導者たちから安倍首相への賛辞が相次ぎ、多くの人々が衝撃と悲しみを表明した。ジョー・バイデン大統領は「自由で開かれたインド太平洋という彼のヴィジョンは、今後も続くだろう。とりわけ、彼は日本国民を深く思いやり、人生を日本国民のために捧げた」と述べた。

バイデン大統領は土曜日、岸田首相に電話をかけ、安倍元首相の射殺について、憤りと悲しみ、深い哀悼の意を表明した。バイデンは、日本、アメリカ、オーストラリア、インドによるクアッド会議の設立を含め、安倍首相の遺産の重要性を指摘した。ホワイトハウスによると、バイデン大統領は日本の民主政治体制の強さに期待と自信を示し、両首脳は、日米両同盟国が平和と民主政治体制を守り続ける中で、安倍元首相の遺産がいかに生き続けるかについて議論したとのことだ。

2005年から2021年までの在任期間が安倍首相とほぼ重なるドイツのアンゲラ・メルケル前首相は、「卑怯で卑劣な暗殺」に打ちのめされたと述べた。インドのナレンドラ・モディ首相は土曜日を安倍首相の喪に服す日とし、アントニオ・グテーレス国連事務総長は「彼の同僚としての姿勢と多国間主義への献身を忘れることはない」とツイートした。

中国外務省の趙麗健報道官は、安倍首相の遺族に哀悼の意を表し、今回の銃撃事件を日中関係に結びつけるべきではないと述べるにとどめ、コメントを避けた。しかし、日本からのソーシャルメディアへの投稿は厳しく、銃撃犯を「英雄」と呼ぶものもあり、これは日本軍が戦時中に中国で残虐行為を行ったことに疑問を呈するか否定する日本の右派政治家に対する強い感情を反映していた。

バイデン大統領は、アメリカで起きた銃乱射事件に対処するため、「銃による暴力は常に、その影響を受けた地域社会に深い傷を残す」とも述べている。

日本は特に銃規制が厳しいことで知られている。警察によると、人口1億2500万人の日本では昨年(2021年)、銃に関連する刑事事件はわずか10件で、1人が死亡、4人が負傷した。そのうち8件は暴力団がらみだった。東京では2021年、61丁の銃が押収されたが、銃による事件、負傷者、死亡者は出なかった。

安倍首相は、日本がアメリカとの安全保障同盟を強化し、現役のアメリカ大統領であるバラク・オバマ氏が初めて被爆地広島を訪れるように動いたことを誇りに思っている。また、福島第一原子力発電所の事故が「コントロールされていない」にもかかわらず、「コントロールされている」と公言し、2020年の東京オリンピック開催を実現させた。

安倍元首相は2006年に52歳で日本最年少の首相となったが、その過度な国家主義的な第一期政権は、1年後、やはり健康上の理由から突然に終了した。

スキャンダルにまみれた安倍首相の第1期が終わると、その後6年間、毎年首相が交代する「回転ドア」の時代となり、安定を欠いた政治が続いたと記憶されている。

2012年に首相に復帰した安倍元首相は、財政出動、金融緩和、構造改革を組み合わせた「アベノミクス」で日本を活性化し、デフレの低迷から脱却することを公約した。

国政選挙で6回勝利し、政権を磐石なものとし、日本の防衛力、日米安保を強化した。また、学校での愛国心教育を強化し、日本の国際的知名度を向上させた。

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どうして日本でこんなことが起きてしまったのか?(How Could This Happen in Japan?

-安倍元首相殺害事件は世界で最も安全な国に衝撃を与えている。

ウィリアム・スポサト筆

2022年7月8日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/07/08/shinzo-abe-shooting-japan-gun-safety/

東京発。日本は地球上で最も安全な場所の一つだ。それだけに、金曜日に起きた安倍晋三前首相の暗殺事件は、この国の人々にとってより衝撃的な出来事だった。「日本でこんなことが起こるなんて?」というのが、メディアや会話の中でよく聞かれた答えのない質問だった。この事件は、次期国会議員選挙の地元候補の屋外での選挙運動の演説会で発生したものだった。

岸田文雄首相をはじめとする政治指導者たちは、この銃撃事件を民主政治体制に対する攻撃として描いている。岸田首相は明らかに動揺しており、記者団に「言葉がない」と語った。岸田首相は「選挙は民主政治体制を支えるものだ。安倍元首相の生命は選挙戦のさなかに奪われた。これは極悪非道な行為であり、決して許されることではない。この行為を最も強い言葉で非難する」と述べた。岸田首相は、「暴力やテロ行為」と呼ばれるものに政府が脅かされることはあり得ないと述べた。

安倍首相は、粗雑な手製の銃で背中から至近距離で2発撃たれた。加害者はこの地域に住む41歳の男性で、すぐに逮捕されたが、ほとんど抵抗はしなかった。警察に対しては、「安倍元首相を殺すつもりだった」「安倍元首相が正体不明の宗教団体と関係があると思った」と供述している。岸田が政治的な犯行の可能性を警告したにもかかわらず、犯人は安倍元首相への怒りは政治的な見解に起因するものではなかったと供述している。

もちろん、加害者の発言はかなり疑わしい。ある日本の報道では、検察当局は加害者の発言は一部支離滅裂だと報じている。しかし、多くの疑問の中で、恨みを持った素人の銃器保持者が、公共の広場で演説中の安倍首相の背後に近づき、あのような致命的な精度で発砲することができたのか?ということがある。

日本人のジャーナリスト門田隆将はツイッターに「『日本の安全神話』は崩れた。武力による一方的な現状変更の象徴的な出来事であり、世界の自由、人権、民主政治体制は音を立てて崩れていく」と投稿した。

銃が少なく安全な国という日本のイメージは、日本の人々の誇りの源だ。国際的なランキングでは、日本は犯罪率全体では下位10カ国に入るのが普通だ。銃器に関しては、さらに低い数字である。警察庁の発表によると、昨年の銃乱射事件は10件で、4人が負傷し、1人が死亡している。米疾病対策予防センターによると、アメリカでは2020年の銃器による殺人は1万9384件だった。

日本では銃器を手に入れることすらほぼ不可能であり、そのため安倍元首相の加害者は自分で銃を作らなければならなかったと思われる。ほとんどの種類の銃は完全に禁止されており、組織的な犯罪集団でさえも、銃を持つことを避けているほどである。銃器の所持は10年以下の懲役で、弾薬が発見された場合はさらに罰則が重くなる。実際に違法な武器を発射すると、3年以上終身刑までになることもある。

こうした環境の中で、長期的な申請手続きを踏めば、狩猟用散弾銃の免許を取得することは可能だ。これには、最初の訓練プログラム、健康診断と精神鑑定、警察による申請者の身辺調査、申請者がどのような人物なのかについての近隣住民への質問などが含まれる。もちろん、銃器を保管する場所にも厳しい規則があり(鍵のかかったキャビネットは、安全性を確認するために警察の検査がある)、購入した弾丸を全て追跡する記録簿を作成しなければならない。許可証は更新が必要で、その都度、健康状態(と精神状態)をチェックされる。このような官僚主義を考えると、銃の登録数が着実に減少し、現在では全国で20万丁を下回っていることは驚くにはあたらない。(米国には3億9300万丁の銃器があると推定されている。

しかし、このため、政治家の周りのセキュリティは比較的緩いままだ。安倍元首相が行った屋外演説は、通行人を惹きつけるために公共の場で行われることが多い。聴衆はもちろんのこと、聴衆たちに対してもセキュリティチェックはない。街角でポータブル音響システムを使って、わずかなボランティアで即席の聴衆を前に演説する政治家は、日本全国でよく見られる光景である。このような環境では、潜在的な攻撃者を排除する簡単な方法はない。岸田外相はすでに閣僚の警備を強化するよう指示したが、他の政治家については明言していない。

それでも、安倍元首相は、他の政治家や閣僚の警備が限定的であるのに比べ、はるかに高いレヴェルの保護を享受していた。かつての首都である奈良市の現場からの写真には、安倍首相の周りに制服警官や私服のSPが写っていた。

警視庁特殊部隊の元隊員で高度な警備を担当していた伊藤鋼一は、公共放送NHKのインタヴューに応じ、映像を見ると明らかに隙があると述べた。大きなバッグを肩にかけた単独の人物が、安倍首相の後ろを歩き、視界を確保することは許されるべきではなかったと主張した。彼はNHKの取材に対し、「警備隊員は常にあらゆる角度から首相を囲むべきだ。これは大きな間違いだった」と述べた。

犯人の経歴や背景はまだ不明だが、この種の恐ろしい犯罪は日本では珍しいが、知られていないわけではなく、適合性が規範とされる社会からはみ出した者が犯行に及ぶことが多い。2001年、大阪西部の小学校で、精神に異常をきたし前科のある男が教室に入り、いきなり児童を刺し始め、児童8人が死亡、児童13人と教師2人が負傷する事件が発生した。2004年に死刑が確定し、執行された。新幹線でも、2018年に無職の男がナタで他の乗客を襲い、1人が死亡、2人が負傷するなどの事件が起きている。

政治的な動機による暴力は、少なくとも戦後はまれであった。1932年に軍事クーデターに失敗して犬養毅首相が殺害され、それで軍国主義政権への道が開かれ、第二次世界大戦に突入したのとは対照的である。

しかし、ここ数十年の間でもまた一連の政治家たちに対する襲撃は起きていた。多くの場合、それは日本の右翼のメンバーたちによってのものだった。1960年に日本社会党委員長が、安倍首相と同じく演説しているところを、侍の刀を振り回す右翼民族主義者に殺された。

細川護熙元首相は1994年に銃撃を受けた(銃撃は失敗した)。一方で、2002年には国家議員が自身の自宅の外で殺害された。人々からの支持を集めていた日本の南部にある長崎市の市長が殺害されたのは2007年のことだった。殺害犯人は暴力団員で、市長の市政運営に不満を持っていた。

また、安倍首相を襲った犯人が犯行について、人々を納得させるような理由を説明することはないだろうが(1981年のジョン・ヒンクリー・ジュニアとロナルド・レーガン大統領狙撃事件を思い出して欲しい)、その理由には安倍元首相が持つ知名度もあるかもしれない。安倍元首相は記録に残る8年間の在任期間に加えて、政策課題、特に外交政策に対するタカ派的な見解や、正式な陸軍や海軍の創設を妨げる戦後の平和主義憲法を改正するという夢について率直な発言をしてきた。

日本は現在ショック状態にある。安倍首相が無分別な銃撃によって殺害されたことで、治安が多少強化されるかもしれない。日本国民がこの事件のために根本的な変化が促進される状況を見るのか、あるいは、今回の事件が開放的でありながらほぼ一様に平和な社会の代償として、稀に起こる無作為の暴力行為の一つとなるのかはまだ分からない。

※ウィリアム・スポサト:東京を拠点とするジャーナリスト。2015年から『フォーリン・ポリシー』誌の寄稿者となっている。20年以上にわたり日本の政治・経済を取材している。ロイター通信とウォールストリート・ジャーナルで勤務した経験を持つ。2021年には共著でカルロス・ゴーン事件と日本に行ける事件の衝撃についての本を出版している。

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