古村治彦です。

 ここ最近、私が所属している「副島隆彦の学問道場」の仕事が忙しく、投稿が出来ず、申し訳ありません。何とか目途が立ったので来週から投稿を頑張ってまいります。ここから言葉を改めます。
hontouwaosoroshiikowaikitte511
本当は恐ろしい! こわい切手

 今回は、内藤陽介(ないとうようすけ)著『本当は恐ろしい! こわい切手』(ビジネス社)をご紹介する。本書は月刊誌『ザ・フナイ』に連載されていた記事に加筆してまとめられた書籍だ。『ザ・フナイ』には副島隆彦先生が現在最長の寄稿者として論稿を発表し、私もこれまでに何度か寄稿している。私もそうした縁から本書の基となっている連載を読んでいた。

 著者の内藤氏については『反米の世界史 (講談社現代新書)』(2005年)を読んでいた。切手から見る国際関係という論点が非常にユニークだった。切手は知っての通り、縦横数センチの小さな紙だが、その中に、色々な思惑や主張が含まれている。日本では切手と言えば国宝級の芸術品や建造物、何か大きなイヴェントの記念切手、最近では映画などのキャラクターの切手が発行されることがほとんどだ。しかし、世界各国では、自国の政策の正当性や歴史問題などを訴えるためのプロパガンダの装置としての一面も持っている。

 歴史学や政治学では、ポスターやビラ、テレビや新聞の広告宣伝(これらには文字が含まれるが)、映画、音楽、写真といった文字以外の、ヴィジュアルに訴えかける媒体の分析を行う手法が発達してきた。日本近代史研究の泰斗であるマサチューセッツ工科大学名誉教授のジョン・ダワーの『容赦なき戦争』『反米の世界史 (講談社現代新書)』はそうした手法の成果によって書かれた名著だ。

 それを敷衍すれば、切手もまたそうした分析手法の対象となる。私は日常生活で手紙を受け取っても切手にはほんの一瞬視線を送る程度のことだ。通常であれば、何の変哲もない切手が貼られている。しかし、大事な手紙(家族宛でも恋人宛でも仕事上でも)となれば、少しでも心証を良くしたいということで、きれいな記念切手を使うということはある。私がそうした手紙を受け取る際に、そうした気遣いを感じて嬉しくなる。切手は小さな紙きれではあるが、やはり目が行くものであり、世界各国政府はそこに何らかのメッセージを入れ込むということになる。

 本書『本当は恐ろしい! こわい切手』のキーワードは「こわい」だ。「怖い」「恐い」「強い」といった漢字があてられるが、幅広い内容で切手とエピソードが紹介されている。最初にそれぞれの章で紹介されている切手のカラーグラビアが掲載されている。私は切手ファンではないが、世界各国の切手を見ることが出来て興味深かった。アフリカの切手などは日常生活でこれまで見たことはなかったし、これからもお目にかかる機会などないと思われるが、色彩が豊かで造形も面白く、大きく引き伸ばして家に飾りたいほどだ。それぞれの章のテーマは「呪いの切手(心霊、ブードゥー教とゾンビ)」「鬼の切手(鬼、忿怒尊)」「伝説の切手(ドラキュラ、クラーケン)」「現代の闇の切手(交通事情、タリバン)」「戦争の切手(ナチス、イラン・イラク戦争、イラク戦争、アフガニスタン戦争、ロシア・ウクライナ関係)」となっている。

 私が政治や国際関係に興味を持っているので、後半の2つの章は興味深く読んだ。イラン・イラク戦争、イラク戦争、アフガニスタン戦争を通じて、自国の行動を正当化し、争っている相手を非難するということで、どぎついヴィジュアルの切手が発行されている。また、歴史的な蛮行に対して、静かにそれを糾弾する内容の切手も発行されている。

 各章の説明が冗長になっている部分もあるが、各章の説明で知識を深めることもできる。切手という小さな紙の中に、人間世界が詰まっている。そのことが分かる一冊だ。

(終わり)