古村治彦です。

 日本でもアメリカでも政治に関する意見は多種多様だ。それぞれの立場を大きく分類すれば右と左、保守と革新、中道とか、穏健と過激といった言葉にまとめられる。日本で言えば自民党や維新は右、共産党や社民党は左ということになる。アメリカで言えば、共和党が右、民主党が左ということになる。右から左までの分類については以下の図が参考になる。こうした図は政治スペクトラム(political spectrum)と言う。
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 右と左は激しく対立し合うということはこれまでの定番の考え方だ。しかし、ドナルド・トランプ大統領誕生以降、こうした単純な、直線的な政治スペクトラムでは分析ができないことが数多く起きている。まず、ドナルド・トランプ大統領誕生からして右と左という枠組みでは分析できない事件だった。

トランプ大統領を支持したのは白人の貧しい労働者たちであったが、彼らは民主党支持であるはずだった。しかし、民主党の強固な基盤であった、アメリカの工業地帯(元・工業地帯と述べた方が正確か)であるラストベルト(Rust Belt)でトランプ大統領は勝利した。トランプは民主党と共和党の主流派に喧嘩を売った。規制の政治や主流派エスタブリッシュメント派やエリートたちに対する一般の人々による怒りが政治を動かした。これをポピュリズム(Populism)と言う。

 民主党側でもポピュリズムの勃興によって生み出されたのが、民主党左派であり、その代表格がアレクサンドリア・オカシオ=コルテス連邦下院議員(ニューヨーク州選出、民主党)だ。彼女もまたエスタブリッシュメント派やエリートたちに対する人々の不満を掬い上げ、連邦下院議員にまで駆け上がった。

 トランプはと言うべき共和党極右派と、社会主義者と揶揄される民主党極左派は同じような行動を取る。ウクライナ戦争勃発直後から戦闘の停止と停戦交渉、ロシアに対する制裁の反対、ロシアからの石油の禁輸反対を訴えている。連邦議会での投票行動でも同様の行動を取っている。こうした状況を説明するのが「蹄鉄理論(horseshoe theory)」だ。下の図を参考にして欲しい。

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 直線的ではなく、馬の蹄(ひづめ)につける蹄鉄のような形になっている。極左と極右が近づく形で直線ではなく、ぐにゃんと曲がっている。勅撰的なスペクトラムを針金に例えるならば、針金に力を加えてひしゃげた形になる。この加えられた力こそがポピュリズムである。ポピュリズム勃興時代の政治を理解するためには、この蹄鉄理論が有効ということになる。是非、掲載した図を見比べて考えてみて欲しい。

(貼り付けはじめ)

アメリカの極右と極左がウクライナ支援に反対する理由(Why America’s Far Right and Far Left Have Aligned Against Helping Ukraine

-ロシアのウクライナ戦争をめぐる言説は奇妙な仲間を生み出している。

ジャン・ダトキウィックス、ドミニク・ステキュラ筆

2022年7月4日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/07/04/us-politics-ukraine-russia-far-right-left-progressive-horseshoe-theory/

2022年2月24日にロシアがウクライナを無差別に攻撃して以来、アメリカ国内で生まれたこの戦争をめぐる言説は奇妙な政治的同志たちを作り出している。ジョー・バイデン米大統領を筆頭にアメリカ国民の大多数がウクライナに支持と支援を提供しているが、左右を問わず、ロシアのウラジミール・プーティン大統領政権を擁護したり、少なくともアメリカがウクライナ防衛に介入しないよう求めたりしている人が少なくない。

フォックス・ニューズの顔であり、アメリカのケーブルニュースで最も人気のある番組の司会者であるタッカー・カールソンは、数カ月にわたってクレムリン寄りの論調を拡散してきた(ロシア国営テレビで頻繁に再放送されている)。他の右派の人物も定期的に反ウクライナの偽情報を主張し、ウクライナへの重火器の提供に異議を唱えている。

一方、アメリカの左翼知識人の大御所であるノーム・チョムスキーは、ドナルド・トランプ前米大統領がウクライナの武装に反対していることを、冷静な地政学的政治家としてのモデルとして持ち出している。『ジャコバン』誌、『ニューレフト・レヴュー』誌、『デモクラシー・ナウ』などの左派は、ロシアの侵略についてNATOの膨張を理由とし、ウクライナへの軍事援助に反対するという党派的な路線に忠実だった。

ネット上では、左翼と右翼の多くのアカウントがウクライナの政治、政策、大統領を批判している。連邦議会では、最も熱烈な保守的トランプ支持者のうち7名の議員たちが、進歩主義派のイルハン・オマル連邦下院議員とコリ・ブッシュ連邦下院議員とともに、ロシアの化石燃料の輸入禁止に反対票を投じた。更に驚くべきことには、オマルとブッシュは、いわゆる「スクアッド」のメンバーであるアレクサンドリア・オカシオ・コルテス、ラシダ・トライブ両議員や共和党の極右派とともに、アメリカ政府がロシアのオリガルヒの資産を差し押さえることに反対したのである。

これらの動きは全て、政治スペクトルの両端が奇妙な同盟関係を結んでいることを浮き彫りにしている。問題は、その理由であり、「何故」なのか?ということになる。

極左と極右が奇妙に一致する、現代版「蹄鉄理論horseshoe theory」のような政治が展開されているようだ。歴史的には悪名高い理論だが、ロシア・ウクライナ戦争をめぐるアメリカの世論を見ると、この理論は驚くほどよく成り立っているように見える。しかし、これはイデオロギーの対称性とはあまり関係がなく、またロシアやウクライナとも関係がない。むしろ、「左翼」「右翼」、「保守主義」「進歩主義」といった単純な概念では、もはや政治の展開を理解するための有用な試行錯誤とはなり得ない、アメリカ政治の脆弱な現状と関係がある。

フランスの哲学者ジャン=ピエール・フェイは、政治的イデオロギーのスペクトルは、従来、社会主義や民主的集団主義からブルジョア・リベラルの中心を経て、全体主義やファシズムに至る直線的なものと考えられてきたが、より離れた政治的立場を結ぶ直線ではなく、むしろ馬蹄形に近く、両極はほとんど磁力を受けて曲がって互いに連動していると考えていたのである。

1930年代初頭のドイツ国内政治においてはファシスト政党と共産党の連携、そしてモロトフ・リッベントロップ協定に代表される国際政治におけるナチス・ソ連の連携が実現した。これらの観察に基づいて、フェイは、政治スペクトラムの従来の解釈が示唆する以上に、両極端に共通点があると信じていた。

政治面での蹄鉄という考えは、その知的厳密性の欠如と、中道派が反対派(主に、表向き反対している保守派と比較されうる左派)の信用を落とすために武器として用いることの両方から、長い間批判を浴びてきた。この理論を批判する人々は「極左と極右の間の政治的立場の収束のように見えるもの、たとえば、自由民主政治体制、グローバライゼイション、社会問題に対する市場ベースの解決策への批判は表面的なもので、はるかに深く乖離した思想や政策の好みを隠している」と指摘する傾向がある。むしろ、極左と極右を結びつけているのは、リベラルな中道に対する反発であり、だからこそ、リベラルな中道は馬蹄を極左と極右を攻撃する棍棒として使うことが多いのだと評論家は主張している。

しかし、この理論は再浮上し続ける。それは、極左と極右が思想と政策の両面で一致し続けるように見えるからである。

その理由の一つは、伝統的な一次元の左派・右派スペクトラムが、アメリカ政治における他の政治的分裂の軸、例えば、進歩主義や保守主義といった伝統的に知的な概念ではなく、「体制派・エスタブリッシュメント(the establishment)」に対する否定的態度や広義のポピュリズムに支配されている軸を説明できないことであろう。以前、私たちの一人が指摘したように、アメリカにおけるポピュリズムは、右派の「アメリカを再び偉大にする(Make America Great AgainMAGA)」と叫ぶトランプ支持者たちに限定されるものではない。むしろ政治的なスペクトラムに分布しており、政治的な左派(例えばバーニー・サンダース連邦上院議員の支持者たち)にも右派(トランプ支持者たち)にもポピュリストがいるのである。

フェイの比喩に従えば、馬蹄の両端を結合しているように見えるのは、保守主義や進歩主義といった高尚な概念ではなく、エリートたち、民主、共和両党のエスタブリッシュメント派、主流派報道機関という伝統的な体制を守る門番たちに対する反対である。ロシアのウクライナ侵攻に関して言えば、蹄鉄理論への支持だけでなく、それを超えるもの、つまり単純な左右のパラダイムではアメリカ政治を理解する上で特に役立たないという考え方もある。

ロシアが今年に入ってウクライナに侵攻して以来、民主、共和両党を支持するアメリカ人の大多数はアメリカ政府の立場を支持している。ウクライナへの軍事・人道支援を支持し、驚くべきことに、ウクライナ難民のアメリカへの受け入れにさえも、かなりの超党派の支持がある。しかし、ロシアにも声が大きい支持者たちがいる。

ヨーロッパ各国の極右政党の多くがクレムリンとイデオロギー的にも金銭的にも密接な関係にあり、プーティンの大量虐殺キャンペーンを支持していることはほとんど知られていない。しかし、共和党所属の連邦議員の一部を含むアメリカの右派のかなりの部分は、侵攻以来、公然とロシア側に立っている。

共和党は歴史的に反ソ連(1989年以前)・反ロシア(1989年以降)の立場を政治的に大きな効果を上げるために行使してきた。何しろ、「ゴルバチョフ氏よ、この壁を取り壊せ!(Mr. Gorbachev, tear down this wall!)」と主張した政党である。2012年、当時の共和党大統領候補ミット・ロムニーは、ロシアをアメリカにとっての地政学上の主要な敵であり、「世界の最悪の行為者のために常に立ち上がる」国であると呼んだ。2022年になると、ドナルド・トランプ前大統領、長男のドナルド・トランプ・ジュニア、マディソン・コーソーン連邦下院議員(まもなく元議員となる)、オハイオ州の連邦上院議員候補のJD・ヴァンス、ローラ・イングラハムなどのフォックス・ニューズのパーソナリティたち、キャンディス・オーエンスなどの保守派有力者たちが、党派を超えてウクライナとそれを支援するアメリカの努力を酷評するようになった。

このような右派から批判の中には、NATOの拡大がプーティンを追い詰め、侵略につながったという主張や、ウクライナへの軍事援助に使う金は国内問題に使った方がよいという主張が繰り返し登場する。たとえ、ミズーリ州選出のジョシュ・ホウリー連邦上院議員のように、アメリカ・メキシコ国境の軍事化の継続を継続すべき国内問題だと主張している人々もいる。

一方、アメリカ民主社会党(Democratic Socialists of AmericaDSA)のメンバーや彼らが支持する政治家たち、左翼の学者やエッセイスト、ネット上で「反帝国主義者(anti-imperialists)」を自称する人々を含む進歩主義的左派の多くは、最近の記憶に残る植民地侵略の明確な例の一つであるロシアに味方する(あるいは少なくとも被害者のウクライナに味方しない)傾向にある。彼らの主要な主張は右派のものと同様だ。戦争の引き金となったのはNATOの拡張とロシアの正当な安全保障上の懸念、そして国内問題の解決に使われるはずの資金の不正使用だが、彼らは戦争全面反対を表明し、時にはロシアを全面的に支持する。その全ては、しばしば「アメリカ帝国主義(U.S. Imperialism)」と解釈されるアメリカの海外介入(U.S. intervention abroad)への反対という言葉に含まれている。

極左には常に、侮蔑的に「タンキーズ(tankies、訳者註:欧米諸国において旧ソ連や現在の中国の政策や行動を称賛する人々)」と呼ばれる少数派の声が存在する。マルクス・レーニン主義者を自認する彼らは、ソ連や中国のような権威主義的な共産主義政府の抑圧的な行動を擁護することが多い。この侮蔑語はもともと、1956年にハンガリーで起きた反ソ連蜂起を弾圧するためにソ連がブダペストに戦車を送り込んだ際に、西側諸国の共産主義者たちが喝采したことに対して、仲間である左翼が投げかけた言葉が始まりである。今日、この言葉は主にネット界で使われ、抑圧的な政権の支持者たちを指し、不透明な資金で運営されるオルタナティブ・ニュースソースで働く、シリアのバシャール・アサド大統領のような独裁者を賞賛する少数派のジャーナリストたちが持つ意見に適用されている。

ウクライナに関して言えば、タンキーズの多くが親モスクワの立場を取り、クレムリンの話法をオウム返しにし、おそらく権威主義的資本主義・寡頭政治国家(authoritarian capitalist-oligarchic state)であるロシアとその前身である権威主義的共産主義国家(authoritarian communist state)であるソヴィエト連邦との区別をつけることに失敗している。こうした立場には、ウクライナの2014年のユーロ・マイダン抗議運動はアメリカが支援したクーデターであるという誤った主張も含まれ、これはアメリカ民主社会党に支持されたニューヨーク市議会議員のクリスティン・リチャードソン・ジョーダンなどの選出議員によって、オンラインのタンキーによる偽情報へのリンクという形で直接共有されてきた。しかし、同様の主張はQアノンを後押しする共和党のマジョ―リー・テイラー・グリーン連邦議員や、ノーム・チョムスキーやシカゴ大学のジョン・ミアシャイマー教授など、一見真面目そうな一流の学者たちによってもなされてきた。

実際、ウクライナに関して馬蹄の両端を引き寄せているのは、単に紛争への反対やロシアへの応援ではなく、これらの立場に合った政治的スペクトルを超えた考えをすぐに受け入れていることだ。つまり、馬蹄理論の批判者たちが主張するのとは逆に、ウクライナに関しては、表面的な政治的類似性だけでなく、ご都合主義とはいえ、はるかに深いイデオロギーの一致が見られるのである。

ここで参考になるのが、ミアシャイマーの研究である。ミアシャイマーは国際関係論に大きな影響力を持つ学者で、世界情勢分析における「攻撃的リアリズム(offensive realism)」学派の主要な提唱者の一人として知られている。この学派は、各国家は、特に大国は無秩序な世界システムの中で自国の軍事力を最大化するために合理的に行動する、つまり自国の安全に対する脅威が認識されると暴力的に反応する可能性が高いと主張するものだ。

ミアシャイマーのウクライナに関する議論への最も大きな貢献は、2014年のユーロ・マイダンをアメリカの支援をクーデターと見なしたこと以外に、ロシアのウクライナ侵攻は、NATOが東ヨーロッパやバルト地域でのロシアの勢力圏を拡大し、ウクライナに接近したことが直接的原因であるとするものである。攻撃的リアリストの分析によれば、ロシアの攻撃は、このアメリカ主導の拡張を食い止めるものである。この説は、紛争の初日から広く異議を唱えられたにもかかわらず、ミアシャイマーの説明は広く伝わっている。

ミアシャイマーは『エコノミスト』誌のコラムや『ニューヨーカー』誌のインタヴューでその考えを披露している。ミアシャイマーの各論稿は、億万長者ジョージ・ソロスのオープン・ソサエティ財団(Open Society Foundation)とコーク財団(Koch Foundation)を資金源とするクインシー記念責任ある国家戦略研究所、コーク財団とランド・ポール連邦上院議員の支援を受けるディフェンス・プライオリティーズなどのシンクタンクに所属する識者たちによって言及されている。同様に、公然と社会主義を掲げる『マンスリー・レヴュー』誌、センスの良い雑誌である『カレント・アフェアーズ』誌、信頼すべき社会民主主義の雑誌『ネイション』などの左派出版社からアメリカのウクライナ政策を批評した人たちにその仕事が紹介されてきた。ミアシャイマーはまた、ロシア外務省にリツイートされている。

通常、ウクライナに関するミアシャイマーの考えは、攻撃的リアリズムに関する彼の広範な理論とは別に議論されることが多い。歴史的な例を挙げれば、1961年にキューバをアメリカの勢力圏内にあるソ連の中継基地として侵略しようとした時、アメリカの進歩主義的なエリートたちがソ連を支持したことは想像に難くない。しかし、この「歯も爪も真っ赤な(red in tooth and claw)」リアリズムは、まさに攻撃的リアリズムが意味するところである。

アメリカの外交政策と残忍な国際介入主義(international intervention)を激しく批判するチョムスキーと、その外交政策と残忍な国際介入主義の多くを構築したヘンリー・キッシンジャー元米国国務長官には、同様の引用の運命が訪れている。ウクライナ紛争の終結をめぐるこの2人の理論が重なると、馬蹄の両端が事実上キスすることになる。最近、この2人は欧米諸国とウクライナに対し、ロシアとの紛争をエスカレートさせず、「和平(peace)」を模索するよう呼びかけた。

そして、彼らは両方とも、しばしば並行して、ウクライナに関する彼らの主張を支持するために左派と右派の両方の批評家たちよって引用されてきた。最新の『ニューヨーク』誌の記事において、左派党派は一緒になって、アメリカには紛争に介入する権利などないが、プーティン大統領とウクライナのウォロディミール・ゼレンスキー大統領を交渉のテーブルに連れて行く力と権利の両方を持っていると主張している。

もちろん、多様な政治的傾向を持つ人々が同じ専門家の政治分析を参考にしてはならないという理由はないが、自分の受け入れやすい考えを共有しているというだけで学者や政治家を無闇に受け入れるのは、極左も極右も同様に、真の政治分析の欠如を示すものである。両者ともウクライナについては意見が一致しているので、自分たちの立場を確認する専門家(ほとんどがアングロサクソンの大物で、ウクライナの専門家はほとんどいない)を引き合いに出しているのである。

左派がキッシンジャーの主張を認め、共和党がチョムスキーに賛成するというのは、非常に興味深いことだ。しかし、チョムスキーとキッシンジャー(そしてミアシャイマー)が同意しているのなら、彼らが正しいに違いない、という議論になる。しかし、彼らはそうではない。プーティンは最近、自らをピョートル大帝(Peter the Great)になぞらえ、ロシアが以前の植民地に進出する権利を主張し、ウクライナ侵攻の決定に西側からの挑発が大きく関係しているというふりを止めた時、自らそう言ったのである。そして、馬蹄の両端にある最も強い主張、つまり、これはアメリカが主導する西側のせいだという主張が消えた。実は、ウクライナに関する馬蹄の説明は、結局のところ、ウクライナとはあまり関係がない、ということなのかもしれない。

極左と極右の政治的目標や動機はそれぞれ異なるが、両者を結びつけているのは、アメリカ政治との関係である。両者が認識している現状維持の欠点(faults of status quo)に反対し、体制とエスタブリッシュメント派に不信感を抱き、粗野な反米主義を主張している。

政治的右派では、グリーン、コーソーン、ポール・ゴーサー連邦下院議員、マット・ゲーツ連邦下院議員など、アメリカの対ウクライナ支援に反対する議員たちの行動は、民族的・人種的に多様な民主国家であり、2015年に最高裁が下した同性婚合法化判決「オベルゲフェル対ホッジス」が(少なくとも現時点では)実際的な法律(the law of the land)となっているアメリカへの深い嫌悪感によってもたらされているように思える。

極右の多くはその現実を軽視し、ロシアのLGBTQコミュニティの生活を極めて困難にするなど、プーティンの業績と見られるものと自分たちの政治目標がイデオロギー的に近いと認識している。プーティンの一般的な主張は、元トランプ顧問で現在MAGAのインフルエンサーであるスティーヴ・バノンによって賞賛されている。ロシアのプロパガンダ・マシーンは、アメリカの文化戦争(U.S. culture wars)の言語に著しく精通しており、プーティンとロシアはその文化戦争戦線において共和党のMAGAグループと同盟関係にあるという認識が広まっている。

もう一つは、アメリカ政治の二極化の中で、党派性が国益に優先してしまっており、バイデンに対して何らかの支援をすることは単純に容認できないという事実である。バイデンと民主党がある一つの立場を取れば(どんな立場でも)、それは単に間違っていて、悪意を持って反対されなければならないということになる。そのダイナミズムは、2018年のトランプ大統領の集会で、2人の男性が「民主党員であるよりもロシア人でいた方がまし(I’d rather be a Russian than a Democrat)」と書かれたTシャツを誇らしげに着ている有名な写真によって表現されている。残念ながら、私たちが強調してきたように、多くのMAGAを主張する政治家たちは口先だけでなく、その面で実際に行動しているのだ。

進歩主義的な左派の人々は、プーティンの政策に賛同しているというよりも、アメリカの外交政策に対する不信感を抱いている。こうした政治分野にいる多くのアメリカ人は、アメリカは様々な戦争(特にアフガニスタン、イラク、ヴェトナム)を通じて海外に多くの痛みを与えた悪い国際的な行為者であるという物語に非常に深く関与している。その結果、外国の紛争に対するアメリカの政策が何であれ、それは利己的であるか、あるいは帝国主義的であるに違いないという視点が、反射的にデフォルトになってしまっている。このため、多くの左翼は、NATOの拡張をアメリカの一方的な帝国主義であるとするクレムリン寄りの主張を繰り返し、更に奇妙なことに、ミアシャイマーのような人物、加えてキッシンジャーというアメリカ左翼の伝統的敵の名前を引用して、その主張を支持することになる。

もちろん、このような枠組みは、ポーランドなどの国がNATOに加盟するために行った長年のロビー活動や、これらの国々がこの政治方針を追求した理由を見逃しており、これらの国々が自らの未来を切り開くための主体性を暗黙のうちに奪ってしまっている。ソ連崩壊後のスラブ諸国を対象とした単なる文化的優越主義(cultural chauvinism)ではなく、冷戦の分析的な後遺症や明白な人種差別によって説明される可能性がある。同様の一連の議論がスウェーデンとフィンランドに対して展開されている。この両国はどちらもNATOに参加する予定となっている。

どちらかといえば、このアプローチは、進歩主義的な人々がそうでないと公言していることと全く同じであることを導く(あるいは、明らかにする)ものだ。それはアメリカ中心主義である。アメリカを事実上のグローバル・パワーとして扱うことで、たとえ自分たちが反対する大国であっても、アメリカはウクライナで停戦を実現し、その条件をロシアとウクライナの両方に指示すべき(できる)という大国主義を不用意に繰り返してしまう。これには、アメリカはウクライナの領土とそこに住む人々をロシアに譲り渡すよう説得すべきだという考えも含まれている。

ヤルタ会談の考え方を復活させた、しかし左派の、表向きは進歩主義者である者たちは、ウクライナ人の代理人であることを拒否し、アメリカの武力関与(U.S. armed involvement)に反対している。そして、アメリカにはウクライナの平和と引き換えにウクライナの土地を分割する力と権利があると信じている。この倒錯した左翼的反帝国主義(leftist anti-imperialism)の中心には、帝国主義的権力を行使する非帝国主義的衝動がある。しかし、表向きは平和の名においてのみ、現地の人々の意思に関係なく、帝国主義的力を行使するのだ。

アメリカの極右と極左が統一的な外交政策ヴィジョンを共有しているものではないが、ウクライナに対するヴィジョンとして素朴な反介入主義(anti-interventionism)を共有している。しかし、このような奇妙な組み合わせの存在は、馬蹄理論を裏付けるというよりも、政治スペクトラムを左右一体型の政治空間として単純化することに疑問を投げかけるべきかもしれない。

サンダースをはじめとする国際主義(internationalism)、社会正義(social justice)、再分配政策(redistributive policies)などを支持する左派の中には、アメリカの海外軍事展開に反対するなど、彼らの政治観と一致する理由からウクライナを支持する者も少なくない。また、自由市場を信奉し、一般に保守的な社会政治的立場をとる右派の人々も、世界政治における米国の強力な役割のヴィジョンなど、彼らの政治と一致する理由からウクライナの武装化を支持している。広義の中道派もまた、実際の政策では比較的コンセンサスが得られている。

それでは、馬蹄の端が互いに磁気的に引き付けられ、スペクトルの残りの部分から引き離される理由は何だろうか?

その磁力は、スペクトルの両側の政治的内容から来るものではない。政治学者のフィリップ・コンヴァースが1964年に示したように、そしてその後、他の学者も示したように、圧倒的多数のアメリカ人は一貫したイデオロギー的見解を持っていない。そして、そのような人たちは、多くの意味で「はみ出し者(outliers)」である。つまり、馬蹄の背後にある力は、政治の別の側面である。この側面がなければ、チョムスキーとキッシンジャーが、他の多くの点では決して両者に同意しない人々によって受け入れられる理由を、とりわけ理解することは不可能であろう。それはアメリカ政治のポピュリズム、反体制的な側面である。

ポピュリズムという言葉は空疎な記号(signifier)のようなもので、多くの人にとって侮蔑的な言葉になっている。ブラジルのジャイール・ボルソナーロ大統領、ハンガリーのヴィクトール・オルバン首相、ポーランドの政治家ヤロスワフ・カジンスキー、そしてトランプといった土着的な右翼指導者たちと結びついているが、サンダースの大統領選挙キャンペーンともまた結びついている。どちらかというと、アメリカ国内においては、ポピュリズムは歴史的に見て、ポピュリスト党(Populist party)の平等主義的な政治とその後の左翼的な進歩主義的な運動と結びついている。

しかし、ここでいうポピュリズムとは、簡単に言えば、ポピュリストが腐敗しているとみなす「エリートたち(the elites)」に対して、平均的な市民である「民衆(the people)」を対峙させる世界観のことである。このことは、保守的なポピュリストと進歩的なポピュリストとでは、異なる意味を持つ。

例えば、右派では、「アメリカ・ファースト(America First)」のナショナリズム、孤立主義(isolationism)、専門家たちやニューズメディアへの不信感として現れる。一方、左派の場合は、伝統的な政党のエスタブリッシュメント派、ビジネス関係者、主流派のコメンテーターたちに対する不信感という形で現れている。そのため、馬蹄の両側のポピュリストたちは一般に、従来の主流報道機関やそのエリート論客たちに不信感を抱き、より表向きは独立した、明らかにイデオロギー的に整合した情報源から情報を得ようとすることが多くなる。また、アメリカが海外に関与する場合、それは自国の政界や財界のエリートの利益のために行われるという信念に根ざした孤立主義が人々を内向きに押しやっている。

どちらの場合も、ウクライナ支援のような国民的コンセンサスが希薄な問題で、おそらく最も顕著に見られる逆張り主義(contrarianism)を助長している。この場合、左右のポピュリストの動機が対照的であることから、両者は同じ立場に達する。つまり、ウクライナ戦争を「両成敗(both-sides)」し、ウクライナ人の代理権を否定し、プーティンの手にかかるような立場に立つのである。そして、極右思想にも極左思想にも、ロシア支持やウクライナ人の苦境への反発につながるようなものは内在していないにもかかわらず、このようになるのである。

そこで、フェイが概念化した馬蹄理論は、完全には正しくないのかもしれない。政治的スペクトルの両端は、本質的に互いに曲がっている訳ではない、つまり、共産主義者とファシストが本質的に一致しているものではない。どちらかといえば、政治的スペクトルの両端は、意見において幅広い異質性を持つ傾向がある。むしろ、両端にあるポピュリストや反体制の衝動が、イデオロギーが違っても一致する信奉者の細部を切り離してしまうのだ。

もちろん、伝統的で一次元的な政治的スペクトル自体が、人々の政治的コミットメントの全体を理解するための試行錯誤を通じて欠陥があることは、特にアメリカのような国では助けにはならない。経済協力開発機構(Organization for Economic Cooperation and DevelopmentOECD)の基準は、ある人を左派としてマークし、民主的な選挙の結果を否定することは、その人をかなり主流の右翼と見なすことになる。

しかし、ある種のポピュリズムが右にも左にも蔓延し、それがオンラインやメディアにおける議論を形成し、民主党や共和党の所属政治家たちの政治メッセージや政策の優先順位をも形成していることは、政治状況だけでなく政治言説(political discourse)の性質が深く分裂していることを示す。これは単に両極化(polarization)という問題ではなく、政治的現実に対する理解の共有がますます不可能になっているという、より深い問題なのである。ウクライナはこの流れの主人公というよりは、来るべき事態の前兆に過ぎない。

※ジャン・ダトキウィックス:ハーヴァード大学法科大学院ブルックス・マコーミック・ジュニア動物関連法・政策プログラム政策研究員。ツイッターアカウント:@jan_dutkiewicz

※ドミニク・ステキュラ:コロラド州立大学政治学助教授。ツイッターアカウント:@decustecu
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