古村治彦です。
ウクライナ戦争はロシアが併合した4州に対するウクライナ軍の攻勢が強まっており、泥沼化から抜け出せない状況だ。ウクライナとしてはロシアに併合された地域を奪還すべく戦いを進めているが、この目的を完全に達成するためには年単位の時間と莫大な資金、そして何よりも更なる人的な犠牲が必要となる。そのようなコストは甘受すべきだという考えもあるだろうが、ウクライナ国内で不満も募っていくだろう。ロシア軍は併合した地域を防衛するための拠点づくり、洋裁づくりを進めていくと考えられる。戦争の鉄則の一つとして、攻撃側と守備側では、攻撃側により大きな犠牲が出る、守備側を抜くためには3倍の兵力が必要だ、というようなことが言われている。以下の地図を見ても、ロシアの併合地域を全て奪還することは不可能だと思われる。また、そのようなことをすれば戦争が長引くだけではなく、戦争が拡大する可能性を秘めている。またヨーロッパ諸国はウクライナ戦争の影響によるエネルギー不足と食料価格の高騰で厳しい冬を迎えることになる。
今回のウクライナ戦争は「西側諸国(主にアメリカ)が支援するウクライナ対(VS)西側以外に国々が間接的に支援するロシア」という構図になっている。西側諸国からは「ウクライナ戦争は民主的な政治を独裁政治から守る戦いだ」という声も聞かれる。この主張の根底にあるのは、「自分たちが信奉し、守っている価値観である自由や人権、平等という考えとそれらを実現するための政治制度である民主政治体制こそが最良のものだ」という考えだ。
拙著『悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める』『アメリカ政治の秘密 』で書いてきたように、アメリカの共和党系のネオコン、民主党系の人道的介入主義派は、こうした考えに基づいて、「こうした価値観や民主政治体制を世界中に拡散すれば世界は安定し、平和になる」ということになり、世界の独裁政治体制国家や非民主政治体制国家の体制転換(regime change)を行うという結論に至る。このような押し付けがましい考えがアメリカの外交政策の柱になってきた。
今回のウクライナ戦争では西側諸国はいち早くロシアに対して制裁を科した。「ロシアを素早く敗北に追い込んで、プーティンを引きずり下ろす」という目論見であったが、それは成功しなかった。そして、戦争は泥沼状態になっているが、アメリカは武器をウクライナに送り、ヨーロッパには自国産の高い天然ガスを売りつけて設けるという構図を作り上げている。ロシアの体制転換には失敗したが、転んでもただは起きぬ、とばかりに戦争を利用して金儲けをしている。
ウクライナが戦争に勝利することでロシアの体制転換を引き起こし、「アメリカの掲げる諸価値と政治体制の優越性」を宣伝し、世界覇権国として、崩れつつあるアメリカ主導の世界秩序の箍(たが)を締めなおすということをアメリカは目指している。しかし、時代は転換点を迎えつつある。体制転換と民主政治体制の構築は各国の国民の意思に基づいて、下から行われるべきであり、上からしかも外国から行われるべきものではない。そして、急激に行うべきものでもない。
アメリカをはじめとする西側諸国は自国の価値観や政治体制を誇るあまりに傲慢になって、くだけた表現を使えば「上から目線のお説教」をこれまで繰り返してこなかったかを反省しなければならない。そういう時代はもう終わった。ウクライナ戦争後はこのことをよくよく考えねばならない。
(貼り付けはじめ)
ロシアの敗北はアメリカにとっての問題となるだろう(Russia’s Defeat
Would Be America’s Problem)
-ウクライナでの勝利はワシントンの傲慢さを意味することになる。
スティーヴン・M・ウォルト筆
2022年9月27日
『フォーリン・ポリシー』誌
https://foreignpolicy.com/2022/09/27/russia-defeat-ukraine-america-problem-hubris/
紀元前431年、スパルタに対する宣戦布告のためにアテネ市民たちを説得するペリクレスの演説の最後に、ペリクレスは、自分は「敵方の装備よりも自分たちの大失策をより恐れている」と明言した。特に、傲慢さ(hubris)と「新たな征服の計画と戦争の遂行(schemes of fresh
conquest with the conduct of the war)」を結びつける危険性を戒めた。しかし、彼の警告は聞き入れられず、彼の後継者たちは結局アテネを悲惨な敗北に導いた。
数世紀の後に、イギリスが革命派フランスとの戦争に向かったとき、エドマンド・バークがイギリスの国民に同じような警告を発している。1793年に彼が書いたように、「私は自分たち自身の力と野心(our own power, and our own ambition)に恐れをなしている。つまり、私たちは、この驚くべき、そしてこれまで聞いたこともないような力を乱用することはないと言うかもしれない。しかし、他のどの国も、私たちがそれを乱用すると考えるだろう。遅かれ早かれ、このような事態が、私たちに対抗する団結を生み出し、私たちを破滅に追い込む可能性があるということになる」。しかし、バークの予言は、フランスが敗北した後も、イギリスの野心が限定的であったこともあり実現しなかった。
この2つの暗い予言に触れたのは、アメリカとその西側同盟諸国がウクライナ戦争で明確に勝利する可能性があるからだ。西側諸国がもっと先見の明のある国家運営をしていれば、そもそも戦争は防げたかもしれないし、ウクライナがロシアの手によって被った甚大な破壊を免れたかもしれない。しかし、ロシアの誤算と軍事的な無力、ウクライナの抵抗、西側諸国による強力な軍事・情報支援、モスクワへの強力な制裁が相まって、最終的にはキエフと西側の支援諸国が勝利を収める可能性がある。戦闘がこれ以上拡大せず(その可能性は否定できない)、ウクライナが最近の戦場での成功を継続すると仮定すれば、ロシアの力は今後何年にもわたって大きく低下することになる。ウラジミール・プーティンがモスクワの権力の座から追われる可能性さえある。ロシアが決定的な敗北を喫した場合、「西側諸国の衰退は避けられない」という警告は時期尚早と言わざるを得ないだろう(the inevitable decline of the West will seem premature at best)。
核兵器が使われず、ウクライナが失った領土をほぼ全て取り戻せると仮定すれば、道徳的にも戦略的にもこの結果には多くの好感が持てる。だから、私はこの結果を間違いなく応援している。しかし、その後はどうだろうか。西側諸国、特にアメリカはこの勝利をどう生かすべきか?
そして何より、勝利の果実を無駄にしないために、どのような手段をとるべきか?
ウクライナの最終的な結末が不透明である以上、こうした問題を提起するのは時期尚早と思われるかもしれない。しかし、勝利の瞬間が訪れた時のことを考え始めるべきだろう。前回、アメリカが地政学的に大勝利を収めた時(ソ連帝国の平和的崩壊)は、ペリクレスが警告したような傲慢さに陥り、より永続的で平和な世界を構築する機会を無駄にしてしまったのである。もし次の機会があれば、失敗から学び、今度はより良い仕事ができるはずだ。
ここで懸念が出てくる。ウクライナでの成功は誰もが望むところだが、単極支配時代(unipolar
era)の逆行する行き過ぎを生み出したアメリカ国内の政治勢力を強化する可能性がある。ウクライナでの勝利は、民主政治体制の本質的な優位性についての主張を強化し、それを海外に広めるための新たな努力を促すだろう。反省しないネオコンサヴァティヴたちと野心的なリベラル派の十字軍は、「30年間も失敗が続いたが、ようやく成功を収めた」と喜ぶだろう。この戦争で大儲けした軍産複合体(military-industrial complex)は、更に何百万ドルも使って、無思慮なアメリカ人たちに、世界を守備範囲に入れ、次の7、もしくは9カ国を合わせたよりも多くの防衛費を使うことでしか安全を確保できないと説得することができるようになる。ロシアはウクライナでやい卜することで、大きく衰退し、経済不況が迫るため、ヨーロッパの防衛力を高めるという現在の公約は効力を失い、アメリカのNATO同盟諸国は、アンクルサム(イギリス)に保護を頼ることに戻るだろう。過去の多くの失敗にもかかわらず、自由主義的覇権(liberal hegemony)の支持者たちは、少なくとも一時的には正当性を主張するだろう。
それの何が問題なのだろうか?
まず、ウクライナ戦争から得た重要な教訓のいくつかを無視することになる。教訓その1は、ある大国が重要な利益と考えるものを脅かすことは、たとえその意図が崇高で良いことであっても危険であるということだ。NATOの開放的な拡大もそうであった。様々な外交専門家たちが、この政策はトラブルを招くと繰り返し警告してきたが、ウクライナ危機が始まった2014年2月以降、その警告を無効とするものは何もなかった。回避できたかもしれない戦争で勝利をもぎ取ることは、同じ過ちを再び繰り返すことの論拠にはならない。私は宥和政策(appeasement policy)を主張しているのではなく、他の大国が重要な利益とみなすものを無視することは本質的に危険であると警告している。
教訓その2は、脅威を誇張することの危険性だ。ウクライナ戦争は、ウクライナが西側諸国の軌道に乗るのを阻止するためにロシアが仕掛けた予防戦争であると理解するのが最も妥当だ。予防戦争(preemptive war)は国際法上違法だが、プーティンは、アメリカが主導するウクライナの武装化と訓練により、モスクワがキエフの地政学的再編(geopolitical realignment)を阻止することが最終的に不可能になると考えた。ヴェトナム戦争でアメリカの指導者たちがドミノ倒し(falling dominos)の危険を誇張し、2003年にサダム・フセインのイラクがもたらした脅威を意図的に誇張したように、プーティンはおそらくウクライナの「喪失(losing)」がロシアにもたらす実際の危険を誇張しすぎていたのだろう。 ロシアの指導者たちは、この結果を「存在を脅かす脅威(existential threat)」、つまり、それを防ぐために戦争をする価値があると繰り返し述べているが、NATOの侵攻や「カラー革命(color revolutions)」がいずれロシアに広がるかもしれないというロシアの指導者たちの懸念は、おそらく誇張されていた(彼らが正直ではなかったと言う訳ではない)。
もしそうだとすれば、この判断ミスがモスクワを高いコストを伴う泥沼(costly quagmire)に導くことになったのだ。私が言いたいのは、脅威を誇張することは、それを軽視することと同じくらいに国家を窮地に陥れるということだ。だからこそ、ドイツのオットー・フォン・ビスマルクは、予防戦争は「死を恐れて自殺する(committing suicide for fear of death)」ようなものだと警告した。アメリカの将来の政策立案者たちは、このことを心に留めておく必要がある。
教訓その3は、プーティンは無視したようだが単純だ。もしあなたが外国を侵略したら、友好的な歓迎を期待してはいけない。それどころか、外国からの侵略者は、それまで分裂していた社会を団結させ、獰猛で非常に効果的な抵抗を鼓舞するのが普通である。ウクライナはその典型であり、戦争犯罪やその他の残虐行為を行う軍隊は歓迎されないということを、この戦争は教えてくれている。この教訓も前面に押し出しておくとよいだろう。
第4の教訓は、プーティンはこれを軽視したようだが、明白な侵略は他国を警戒させ、それに対抗する措置を取らせるということだ。もしロシア大統領が、2014年のクリミア奪取に対する比較的穏やかな反応から、2022年の侵略に対して外部勢力はほとんど反対しないと考えたとしたら、彼は、アドルフ・ヒトラーが1939年3月にチェコスロヴァキアの一部を奪取し、その数ヵ月後にポーランドを追ったときと同じ誤りを犯したことになる。バランスを重視する行動は時に非効率的であり、国家はしばしば他国にその責任を転嫁しようとするが、直接的な侵略に直面した場合、効果的なバランスを重視する行動ははるかに起こりにくくなる。一極集中時代のアメリカの冒険主義(adventurism)が、ある国によるソフトバランシング(soft balancing)と他の国によるハードバランシング(hard-balancing)を引き起こし、こうした力学(dynamics)がアメリカの大きな野望を阻止するのに役立ったことを考えれば、私たちはこのことを理解しなければならない。私たちはこの教訓も覚えておくのが賢明であろう。
これら4つの教訓を総合すると、ウクライナで勝利しても、アメリカが世界秩序を思い通りに再構築できる状況にはないことが分かる。中国の台頭、ヨーロッパの経済的脆弱性、発展途上の多くの国々のアメリカに対する二律背反的な態度などを考慮すると、そのような目標は一極支配の最盛期には手の届かぬものであり、全体としての条件は不利なものとなっている。もしアメリカの政策立案者たちがウクライナの勝利を世界規模のリベラル派の聖戦の新たな機会として捉えるならば、再び失敗する運命にある。
むしろ、ウクライナでの成功は、過去50年以上にわたるアメリカの大戦略(grand strategy)を注意深く振り返り、どのアプローチがうまくいき、どのアプローチがうまくいかなかったかを明らかにするきっかけとなるはずである。以下、簡単に振り返ってみよう。
アメリカの軍事力は、冷戦時代にヨーロッパや北東アジアで行われたように、真の大国のライヴァルに対して強力な抑止態勢を構築するために用いられた場合に有効であったが、「巻き返し(rollback)」や政権交代を目的としたあからさまな努力は避けなければならなかった。このような努力は、強力で有能、かつ正当なパートナーがいる場合には成功したが、不人気で弱く、無能な従属国(client)を支えようとする場合には、あまりうまくいかなかった。アメリカの軍事力は、1991年の湾岸戦争や今日のウクライナのように、いわれのない不法な侵略に対抗する場合には効果的な手段であった。しかし、外国政府を倒し、銃口を向けて民主政治体制を押し付けるために使われた場合は、特に信頼できる現地パートナーがいない場合には失敗した。そのような取り組みが短期的には成功しても(1953年のイラン、2001年のアフガニスタン、2003年のイラク、2011年のリビアなど)、長期的な結果はほとんど常に否定的であった。
より広く言えば、アメリカの外交政策が最も良く機能したのは、国家の相違を認め、地球上の全ての国家がアメリカの政治的価値を受け入れなければならないと主張せず、主として他の国々がそれぞれのペースで、それぞれの方法で具体例を示すことによって民主政治体制を推進した時であった。アメリカの指導者たちが、アメリカ流の自由民主政治体制(liberal democracy)を政治的・経済的成功のための魔法の公式(magic
formula)と考え、全ての人間が他の全ての価値よりも自由と解放を切望すると仮定し、アメリカとは大きく異なる国々で「国家建設(nation-build)」を行う方法を知っていると自負していた時には、失敗したのである。
アメリカの対外経済政策は、社会的・経済的安定に十分配慮しつつ、より大きな開放性を奨励しようとした時に成功した。故ジョン・ラギーが古典的な論文で示したように、第二次世界大戦後の「埋め込まれた自由主義(embedded liberalism)」という妥協案は、貿易と成長を奨励する一方で、国内の人々をグローバル化の最も深刻な影響から隔離し、そうした政策の成功例の1つであった。アメリカの対外経済政策は、1930年代のように保護主義(protectionism)に逆戻りした時、あるいは超グローバリズムの新自由主義戦略のように、市場を他の全ての考慮事項より優先させた時に失敗したのだ。後者の場合、政治的に爆発的な不平等が生じ、大規模な金融危機が発生し、サプライチェインは予期せぬショックに対しては脆弱であることが証明された。
アメリカの外交政策は、マーシャル・プランの策定、ヨーロッパとアジアにおける印象的な同盟システムの構築、エジプトとイスラエルの和平交渉、経済パートナーとの貿易取引の成立、敵対国との安定的な軍備管理協定の追求など、外交を優先させることでより多くの成果を上げることができた。アメリカの交渉努力は、他国にも自国の利益があり、成功する取引は全ての参加者にとって価値あるものでなければならないことをアメリカの指導者たちが認識したときに成功する。これとは対照的に、アメリカが真の外交を放棄し、取るか取られるかという単純な思考で交渉する場合、アメリカの努力は失敗してきた。最終通告を行い、制裁を強化するような場合、相互の有益な妥協を否定することになる。
ウクライナでの勝利は、それが実際に起こると仮定しても、旧ソ連帝国の崩壊のような重大な出来事にはならないだろう。なぜなら、中国は1990年代よりもはるかに強くなっており、ウクライナ戦争もその事実を変えることはないからだ。ウクライナの勝利は、アメリカ国内の政治的分極(political polarization)の機能不全を解消するものではない。むしろ、より穏やかな外部環境は、国内での分断を助長し、アメリカが多様で複雑な世界のあらゆる地域の政治を管理・指導する能力を魔法のように手に入れることはないだろう。
実際、ウクライナと西側諸国が勝利した場合、ロシア軍がウクライナ国境を越える前と同じ外交政策上の課題リストに直面することになる。それらの課題とは、(1)破滅的な気候変動の回避と既に顕在化している深刻な影響への対処、(2)中国とのバランスと関与、(3)イランの核武装阻止、(4)低迷する世界経済の管理、(5)次のパンデミックに対する世界の備えなどである。これらの重要な目標を達成するためには、明確な優先順位を設定し、奇想天外な聖戦(quixotic crusades)を避けることが必要である。ウクライナのタカ派が勝利の階段を上るのを止めることはできないが、彼らが西側諸国を過去の過ちの繰り返しに導かないようにすることが肝要である。
※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト、ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。
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