古村治彦です。
私はプロゴルフの世界には疎いのだが、PGAツアーとか全米オープン、全英オープンといった言葉は知っている。国際的な機関であるPGAが主催してツアーを開催し、伝統のある有名な大会があるということは分かる。日本ではJPGAがツアー主催し、プロゴルファーの資格認定を行っていることも分かる。こうした中で、サウジアラビアのソヴィリン・ウェルス・ファンド(政府系ファンド)が出資してLIVゴルフ・ツアーが2021年に創設された。この新しいゴルフ・ツアーではティーム対抗戦、54ホールの試合(一般的には72ホール)などの新機軸が実施されている。PGAはLIVツアーに参加した選手のPGAのツアーに参加することを認めていない。そのために、有名選手たちの多くはLIVツアーには参加していない。それでも何人かの有名ゴルファーとの契約に成功した。サウジアラビアがLIVツアーに出資しているのは
今回はゴルフ界の既存の統括団体に挑戦する新興勢力の挑戦という構図を国際政治に当てはめると、新興勢力が既存の国際機関の内容や機能を変化させようとする、もしくは自分たちで新しい機関を創設するということになる。具体的には中国やロシアが国際機関やルールを自分たちに都合が良いものに変えようという試みだ。しかし、それはなかなかに難しいことだ。既存の機関の方が強く、また、伝統があることから、正当性が担保されていて、中々新しいものが入り込む余地はない。ゴルフの世界で言えば、LIVツアーには、私でも名前を知っているような、タイガー・ウッズやジャック・ニクラウスらの有名ゴルファーは参加していない。それは、LIVツアーに参加すれば、PGAが主催するツアーには出られなくなり、伝統ある有名な全米オープンやマスターズにも出場できなくなるからだ。
国際政治に目を転じてみれば、ヨーロッパの非公式の列強政治の枠組みが崩壊して第一次世界大戦が起き、その後はヴェルサイユ体制と国際連盟の機能不全によって、第二次世界大戦が勃発した。戦後は米ソ両超大国による冷戦構造の中で、国際連合が作られた。国連常任理事国である米ソ(後に露)英仏中(台湾から本土)の5つが世界の大きな決定を行うということになった。しかし、実態は米ソ二大超大国の二極構造から冷戦終結・ソ連崩壊によるアメリカ一極構造へと変化していった。21世紀に入って、中国が台頭し、既存の秩序に挑戦する形になっている。第二次世界大戦後の世界構造が大きく変化する中で、国際機関の性格が変化する、新たな国際機関が創設されるということはある。そうした大変化の際に、戦争が起きることが多いが、米中対立から戦争へと発展するという可能性は存在する。国際政治の変化に常に目を配っておく必要がある。
(貼り付けはじめ)
ゴルフの魂のための戦い(The Battle for the Soul of Golf)
-サウジアラビアが主催するあるゴルフトーナメントは、中国や他の新興諸国が既存の国際機関を独自のものに置き換えるのに苦労する理由を示している。
スティーヴン・M・ウォルト筆
2022年8月9日
『フォーリン・ポリシー』誌
https://foreignpolicy.com/2022/08/09/liv-tour-saudi-golf-china-soft-power-battle-for-soul-of-golf/
サウジアラビアがスポンサーとなった新しいゴルフ・ツアーであるLIVゴルフ・ツアーは、王国の不安定なパブリックイメージを「スポーツウォッシュ(sportswash)」するための露骨な試みであると言えるかもしれない。この新しい試みは、プロゴルフ界を騒がせたが、最初のイヴェントにはあまり観客が集まらなかった。サウジアラビアがマスターズ・トーナメントと肩を並べることはないかもしれないが、新しい挑戦者が既成の秩序に対抗しようとする際に直面する障害と同様であることは明らかだ。実際、中国が現在の国際機構を中国の意向に沿ったものに置き換えようとする動きも、同じような力によって阻まれているように見える。
スポーツに興味のない人のために説明すると、LIVゴルフ・ツアーは、サウジアラビアのソヴリン・ウエルス・ファンド(Saudi sovereign wealth fund)が支援する新しいゴルフトーナメントである。LIVゴルフ・ツアーは、多くの有名なプロゴルファーを招待し、スター選手には多額の契約金を支払い、優勝者には多額の賞金を約束し、最下位まで参加者全員に相当な報酬を保証している。これに対し、PGAツアーをはじめとする著名なゴルフ団体(全英オープンを運営するR&A協会を含む)は、LIVツアーに参加する者は既存のツアーイヴェントに参加する資格がないと宣言している。
PGAの決定はいくつかの興味深い法的問題を提起するが、私はLIVツアーが苦しい戦いに直面していると思う理由は次の通りだ。サウジアラビアのソヴリン・ウエルス・ファンドからの多額の資金が提供されているが、LIVツアーには何の歴史もない。サウジアラビアのソヴリン・ウエルス・ファンドは、ゴルファーたちが子供の頃から優勝を夢見てきた、そしてファンが毎年楽しみにしている象徴的なトーナメントを後援していない。ゴルフは伝統を重んじるスポーツであり、LIVツアーにはそうしたものが何もない。かつて全米オープンを制したジョン・ラームが言ったように、「何百年も続いているフォーマットで、世界最高峰の選手と対戦したい」ということになる。
LIVツアーの斬新なフォーマット(54ホール対72ホール、カットなし、支払い保証付き)もゴルフの歴史と相反するもので、ファンにとって明白な利点はない。LIVツアーのイヴェントはまた、多少人工的なティーム形式を含むが、この配置がライダーカップのような国際的なティーム競技を取り巻くような激しい関心を生み出すとは想像しにくい。オーガスタナショナルやセントアンドリュースのような有名なコースがないだけで、基本的には同じものだ。既存のPGAツアーは、テレビ放映、多くの企業スポンサー、既存のサテライトツアーや大学のスポーツプログラム、アメリカやその他の地域のゴルフクラブで働くプロの広大なネットワークとの幅広いコネクションを持っている。
新しいゴルフ・ツアーはまた、批判的な視線に悩まされている。サウジアラビアはこの新しいツアーで、ジャーナリストのジャマル・カショギの殺害や911テロ事件を実行したサウジアラビア国民のことを忘れさせたいと考えているが、911テロ事件の遺族や王国の人権記録を懸念する人々は、選手がティーアップする度にこの問題を持ち出すだろう。新しいツアーは、過去の残虐行為を深い砂の罠に隠す代わりに、批評家たちにこれらの問題を前面に押し出す機会を無限に与え、そうでなければ非政治的なゴルファーに、通常は説得力のない話題を避けるか変えようとすることを強いるのである。
新ツアーの大物選手(フィル・ミケルソン、ブルックス・ケプカ、ブライソン・デシャンボーなど)が、最も好感の持てる選手という訳ではない。これらの中で最も大物のミケルソンには長年にわたって倫理的な問題があった。もちろん、これらの選手にはファンがいるが、お金をもらって道徳的なディレンマを無視することに決めた傭兵のように見えるのを避けることは不可能である。彼らに道徳心がないとは言わないが(あるいは、既存のツアー参加者が皆、美徳の模範であるとも言わないが)、金が全てであるかのように見えないようにするのは難しいことだ。スポーツは、正当化されようがされまいが、英雄崇拝の上に成り立っているのであって、このような人たちを英雄視することはない。
最後に、プロ・スポーツのリーグは、二大政党制のようなものであることを忘れてはならない。一度(ひとたび)リーグが確立され、ファンの忠誠心が固まってしまうと、競合する存在は参入することが困難になる。アメリカン・バスケットボール・アソシエーション、ユナイテッド・フットボール・リーグ、ワールド・ボクシング・リーグ、ノース・アメリカン・サッカー・リーグは全て数年で崩壊し、最近の話で言えば、ヨーロッパのサッカーの既存の構造をエリート・スーパーリーグに置き換える試みは、ファンの熱烈な反発に直面して崩壊した。ワールドティームテニスのような構想は、テニスプロフェッショナル協会や女子テニス協会のツアー、ウィンブルドンや全米オープンのようなメジャーイヴェントに捧げられる熱意や関心には到底及ばない。アメリカン・フットボール・リーグ(AFL)は、このパターンの例外であるが、1970年にNFLと合併することで生き残った。
それでは、このことは国際政治と、中国とロシアが既存の制度を自分たちの好みに合わせたり、自分たちで設計した制度に置き換えたりする努力と、どのような関係があるだろうか?
LIVのケースは、制度論の重要な前提である「制度は粘着性を持つ傾向がある(Institutions tend to be sticky)」ということを物語っている。一旦確立された既存の組織や制度は、長い間存在することによって、やがて永続的な性格を獲得することができる。ゴルフでは、4大メジャートーナメント(全米オープン、全英オープン、マスターズ・トーナメント、PGAツアー)のいずれかに勝つことが、偉大さを評価する基準になっている。もちろん、これは完全に恣意的な尺度だが、ゴルファーやファンがそれをより深刻に真剣に受け止めていない訳ではない。
長く続いていることは、それ自体の正当性を証明する。アメリカとヨーロッパの同盟諸国が、NATOの大きな記念日を祝うたびに、人類の歴史の中で最も成功した同盟だと賞賛していることを見て欲しい。国連安全保障理事会の構造のように、もはや作られた当時の状況を反映していない制度でさえ、しばしば驚くほど変化や代替が効かないことがある。
過去数十年間、中国とロシアは、リベラルなルールに基づく秩序と呼ばれるものを構成する様々な制度(institutions)やレジーム(regimes)に対する多くの代替案を策定し、あるいは強化しようと試みてきた。上海協力機構(Shanghai Cooperation Organization、SCO)のような安全保障パートナーシップ、ロシアのユーラシア経済連合(Eurasian Economic Union、EEU)のような新興の地域組織、ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカからなるいわゆるブリックス(BRICS)諸国の象徴的なサミット、中国のアジアインフラ投資銀行(Asian
Infrastructure Investment Bank、AIIB)や「地域包括的経済連携(Regional Comprehensive Economic Partnership)」など様々な構想がある。中国の「一帯一路構想(Belt and Road Initiative)」も、基本的には二国間の取り決めであり、新たな国際機関ではないが、国際機関の1つに加えてもよいかもしれない。
AIIBをはじめとするこれらの構想は成功を収めているが、世界銀行(World Bank)や国際通貨基金(International Monetary
Fund、IMF)といった既存の機関や、アメリカが当初のTPP(Trans-Pacific Partnership)から離脱した後に日本が主導したTPPに取って代わるには至っていない。その理由を理解するのは難しいことではない。これらの制度は今でもそれなりに機能しており、中国や他の国によって作られた代替制度はより良いものであることを示すには至っていない。ドルが世界の基軸通貨として支配を続けていることは既存の金融制度を強化しており、代替通貨が普及することをより難しくしている。
つまりは、既存の仕組みが存続しているのは、その仕組みに参加することが多くの国々の利益につながるからである。アメリカが NATO、世界銀行、世界貿易機関(World Trade Organization、WTO)といった機関や、ドルの中心的役割、SWIFTといった金融決済システムを、自国の特定の利益を高めるために利用してきたことに疑問の余地はない。他の国々は、より良い代替案が存在しないので、このような取り決めに従わざるを得なかった。
PGAツアーで人気と尊敬を集める有名なプロゴルファーたちがLIVツアーを敬遠するように、ほとんどの主要国は既存の秩序にこだわり、中国が主導する代替策を警戒している。
しかし、中国自身を含む他の国々がしばしばこうした協定から利益を得てきたことも事実であり、他国を犠牲にしてアメリカだけが豊かになるために利用されてきた訳ではない。このような取り決めが崩壊しない限り、あるいは中国が明らかに優位なものを構築できない限り、他の国がこの取り決めを放棄することはないだろう。ちょうど、ほとんどのプロゴルファーが、PGAサーキットでの出場枠が失われるなら、LIVツアーに飛び乗ることはないだろう。
更に言えば、PGAツアーの人気選手であるローリー・マキロイ、タイガー・ウッズ、ジャスティン・トーマス、ラームがLIVツアーを公然と避けているように、ほとんどの経済・軍事主要国は既存の秩序にこだわり、中国主導の代替策を警戒し続けているのだ。
これまで、中国やロシアと手を組んだ国々は、比較的弱いか、特に人気がないかのどちらかであった。もし、あなたが親密なパートナーとして名前を挙げる国が北朝鮮、ベラルーシ、ヴェネズエラ、キューバ、イランといった国々で、デンマーク、日本、オーストラリア、ドイツ、カナダ、その他のG20の加盟諸国ではないとしたら、あなたは特に印象深いパレードを率いているとは言えないだろう。EUが2021年の主要投資協定の停止を決定したことが示すように、中国の強引な外交や疑問符が付く人権状況によって、他の国も北京に近づき過ぎることを警戒している。
皮肉なことに、中国は既存の国際組織の中で影響力を高めようとする努力の方が成功している。世界のデジタル・インフラの将来に影響を与えるというキャンペーンがその成功を示している。同じ理屈で、サウジアラビアがゴルフで自国のイメージを改善しようとするのも、その巨万の富を利用して、全く新しい選択肢を作ろうと大げさに取り組むのではなく、アメリカ、ヨーロッパ、アジアに既に存在するツアーの中でイヴェントのスポンサーになる方が成功するかもしれない。サウジアラビアが支援するイギリスのサッカークラブ、ニューカッスル・ユナイテッドの成功と、それに対する比較的穏やかな政治的反発は、この戦略がいかにうまく機能するかを示唆している。
だからと言って、LIVツアーが失敗する運命にあるとか、中国が自国のデザインに合わせた一連のグローバルな制度を構築することができないと言っているのではない。PGAツアーが苦境に陥ったり、現在PGAツアーに参加しているゴルファーたちの怒りを買ったりすることがあれば、スポーツの世界観は、たとえそれが古い秩序の伝統を欠いていたとしても、新しい代替手段を受け入れるかもしれない。同様に、ナポレオン戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦の後のように、現在のグローバルな制度が完全に崩壊した場合、瓦礫の中から現れた最も強力な国家は、新しい秩序構築のための理想的なポジションにいることだろう。
PGAツアーや現在の秩序に固執する国々が学ぶべき教訓は、自分の家を正常に保つことが優先され、対立構造を積極的に阻止しようとするよりも重要であるということである。そして、理想主義的に聞こえるかもしれないが、一時的にせよ、どちらの例も、道徳的な配慮が重要なアクターの対応を形作ることがあることを思い起こさせる。
※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。
(貼り付け終わり)
(終わり)

ビッグテック5社を解体せよ
コメント