古村治彦です。

 ウクライナ戦争は越年した。最近の動きではロシア側が36時間の一時停戦を発表し、ウクライナは欺瞞だと反発している。ウクライナ軍は停戦中のロシア軍に攻撃を仕掛けて攻勢を強めるという行動に出るのかどうかだが、そうなればロシア軍も反撃ということになるので、停戦は実行不可能となる。しかし、戦わされる両国の兵士たちの本音としては自分が無傷で元気なうちに停戦が実現し、家に帰れるようになれば良いということだろう。

 ウクライナ戦争に関しては戦争当初から停戦を主張する、ウクライナ側に対して疑義を持つといった人々に対して、正義感丸出しで「ロシアの手先」「正義に反する間違った行動を取っている」などと非難されてきた。アメリカでも同様のようだ。

 下のスティーヴン・M・ウォルトの論稿では、「自由主義的介入主義派、悔い改めないネオコンサヴァティヴ派、そしてウクライナに全面協力する進歩主義派の一部」が、「ウクライナが絶対的な善、ロシアが絶対的な悪」という大義名分の下、「抑制外交政策派(restrainers)」を激しく非難してきた。「抑制外交政策派」は「リアリスト」「リアリズム」と言い換えることができる。

 ロシア侵攻の理由、ウクライナとNATOとの関係、ウクライナ国内問題の検討など、冷静になって戦争に結びついた様々な要素について冷静に検討して、そこから何とか停戦の糸口を探すということは、「正義」や「道徳」の視点からすれば、間違って見えるかもしれない。しかし、現実は抽象論ではない。実際に人々が傷つき苦しむ中で、実践的な方法で苦しみを取り除くことが重要なのである。

 勇ましい掛け声で「ロシアをやっつけろ」「プーティンを絞首刑に」などと言って、戦争を煽ることは苦しみを継続させるだけのことである。しかも、武器はふんだんに渡すが、戦うのはウクライナの人々、というのが正義だろうか。自分たちは安全な場所にいて、金儲けができて、戦争映画さながらの「リアル」を目にする。自分たちに危険は及ばないというのは間違っている。

ウォルトは「もし世界が一連の悪の中からより小さな悪を選ぶこと(to choose the lesser evil from a sed of bad choices)を余儀なくされる場合、より市民的で非難が少ない言説がなされるのであれば、政策立案者たちはより幅広い選択肢を検討しやすくなり、ウクライナとそれを現在支えている連合体が正しい判断を下す可能性も高くなるであろう」と書いている。たとえ気に入らなくても、冷静に異なる意見にも耳を傾け、視野と意見の幅を広げることが重要だ。しかし、残念なことではあるが、そのようなことがなかなか困難であることは歴史が証明している。

(貼り付けはじめ)

いつまでも続く不合理なウクライナ論争(The Perpetually Irrational Ukraine Debate

-戦争に関して自己満足と自虐的な方法で議論が続いている。

スティーヴン・M・ウォルト筆

2022年11月29日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/11/29/the-perpetually-irrational-ukraine-debate/

戦争は不確実なものであり、信頼できる情報も少ないので、ウクライナの戦争がどのように展開されるかは誰にも分からない。また、最適な行動方針が何であるかについても、誰も完全に確信を持つことはできない。理論や予感、信念、希望はそれぞれだが、戦争の最中に水誰が持っている晶玉であってもそれを100%信頼できるはずがない。

このような状況であれば、この問題に対してある種の謙虚さをもって臨み、たとえ自分の考えと異なるものであっても、別の視点からの意見を公平に聞くことができるようになると読者である皆さんは考えるかもしれない。しかし、戦争責任や取るべき行動についての議論は、現代のソーシャルメディアにおける罵り合いの基準からしても、異常に意地悪く、不寛容なものとなっている。私は、どうしてこのようなことが起こるのか、原因を探ってみた。

特に顕著なのは、自由主義的介入主義派、悔い改めないネオコンサヴァティヴ派、そしてウクライナに全面協力する進歩主義派の一部が、紛争の成り立ちや今日取るべき適切な行動に対して何の疑問も抱いていないように見えることである。彼らにとっては、この戦争の責任はロシアのウラジミール・プーティン大統領にあり、過去に犯した唯一の過ちは、ロシアに寛容過ぎる接し方をしたこと、ロシアから石油やガスを過剰に購入したことになる。そして、モスクワの政治体制転換(regime change)、ウクライナ復興のための賠償金、プーティンとその関係者の戦争犯罪裁判を伴うことを理想としている。このような幸福な結果でなければ、侵略に利益をもたらし、抑止力を弱め、現在の世界秩序を危うくすると確信している彼らの唱える経文のような主張は次のようなものだ。「戦争の期間が続く限り必要なことは何でも与える(Whatever it takes for as long as it takes)」。

このグループは、戦争の責任はロシアの大統領に限定されないと考える人々や、これらの(上記の)戦争目的は抽象的には望ましいかもしれないが、許容できるコストとリスクでは達成できそうにないと考える人々に対して、激しい批判を浴びせている。NATOの拡大とそれに関連する諸政策が戦争への道を開くことにつながったと大胆にも示唆する場合、最も可能性の高い結果が交渉による解決であり、遅かれ早かれそこに到達することが望ましいと考える場合、ウクライナ支援に賛成するがその目的は他の利益と比較検討されるべきと考える場合、そうした人々はほぼ間違いなくプーティンの手先(pro-Putin stooge)、弱腰の融和主義者(appeaser)、国内問題優先主義者(isolationist)などと非難されることになる。数週間前、少数の進歩的な米連邦議会議員たちが、外交にもっと力を入れるよう求める、かなり控えめな声明を発表したところ、批判の嵐に晒され、支援者たちからもすぐに拒絶されることになった。これが具体例の一つだ。

戦時中こそまさに、自国の利益と戦略について最も冷静かつ慎重に考えねばならない時だ。残念なことだが、弾丸が飛び交い、罪のない人々が苦しみ、国民の支持を集めることが優先される状況では、冷静さを保つこと(keeping a cool head)は特に困難になる。政府は愛国的な集団思考(groupthink)を奨励し、様々な反体制的な意見(dissident views)を排除するため、少なくとも長い間、ほとんどの戦争で議論の幅が狭まるのがお定まりだ。ウクライナの戦争もその例外ではない。

世論がこれほどまでに熱を帯びている理由の一つには、道徳的な憤りがあり、私もこの立場にはある程度共感している。ロシアがウクライナにやっていることは恐ろしい。人々が怒り、キエフを少しでも支援したいと思い、ロシアの指導者の犯罪を喜んで非難し、加害者に何らかの罰を与えたいと思う気持ちは容易に理解できる。特に、相手が罪のない人々に大きな被害を与えている場合、弱い方(underdog)の味方をするのは感情的に受け入れやすい。このような状況下で、異なる意見を持つ人を「正義感が足りない」と見なし、「敵に共感を持っているに違いない」と結論づける人がいることも理解できる。今の政治状況では、ウクライナを全面支援しない人は、プーティンの味方ということにされてしまうのだ。

しかしながら、道徳的な怒りは政策ではないし、プーティンやロシアへの怒りは、ウクライナや世界にとってどのようなアプローチがベストなのかを教えてくれない。タカ派が正しく、ウクライナが勝利のために必要だと思うものは何でも与えることが最善の行動である可能性もある。しかし、この方法が成功する保証はほとんどない。無意味に戦争を長引かせ、ウクライナの苦しみを増大させ、最終的にはロシアがエスカレートさせ、核兵器を使用するようになるかもしれない。私たちの誰もが、自分たちが支持する政策が期待や希望通りになることを100%確信できる訳ではない。

また、ロシアの現在の行動に対する怒りは、西側諸国の政策が将来の紛争の可能性を高めていると警告した人々を、モスクワの味方とみなすことを正当化するものではない。なぜ悪いことが起きたのかを説明することは、それを正当化したり擁護したりすることではない。また、外交を求めることは(そのような努力が直面する障害を強調しながら)、ウクライナそのものへの関心を欠くことを意味するものでもない。ウクライナを助けたいという気持ちは同じでも、そのための方法は人によって大きく異なる。

ウクライナに関する議論もまた責任回避のために歪められてきた。アメリカの外交政策エスタブリッシュメントたちは間違いを認めたがらない。プーティンに戦争の全責任を負わせることは、NATO拡大推進派がこの悲劇的な出来事においていかなる役割も果たさなかったことを免責する「免罪符(“get out of jail free” card)」となっているである。この違法で破壊的な戦争について、プーティンは明らかに大きな個人的責任を負っている。しかし、もし欧米諸国の先行する行動が彼の決断をより確かなものにしたのなら、欧米諸国の政策立案者たちに罪がないということではない。そうでないと主張することは、歴史と常識(すなわち、強力な同盟が着実に国境に近づいていることに無関心な大国はない)、そしてロシアのエリート(プーティンだけではなく)がNATOとヨーロッパ連合(EU)が行っていることに深く悩み、それを阻止する方法を活発に探していたことを示す長年の証拠の両方を否定することである。

NATO拡大推進派は、プーティンとその仲間はNATOの拡大について懸念を持っておらず、この政策に対する彼らの多くの抗議は、長年の帝国主義的野心を隠す巨大な煙幕(giant smokescreen)にすぎなかったと主張している。プーティンとその仲間たちが本当に恐れていたのは民主政治体制と自由の拡散であり、旧ソ連帝国の復活こそが政権発足当初からの彼らの真の目的だったというのである。しかし、ジャーナリストのブランコ・マルセティッチが示すように、こうした防衛に関する主張は事実と合致しない。しかも、NATO拡大と自由主義的な価値観の普及は、別個の問題ではなかった。ロシアから見れば、NATO拡大、2014年のウクライナとのEU加盟協定、民主化カラー革命に対する欧米諸国の支援は、切れ目のない、ますます心配になるパッケージの一部だった。

西側諸国は、これらの行動がロシアにとって何の脅威にもならず、長期的にはロシアの利益になると考えていたかもしれないが、問題はロシアの指導者がそのように考えていなかったことである。しかし、西側諸国の政策立案者たちは、プーティンと彼のアドヴァイザーたちが憂慮している、現下の状況が変化し続けても、プーティンが反応することはないだろうと単純に考えていた。世界は、民主政体諸国がルールに基づく秩序を拡大し、広大な平和地帯を作り出していると考えていたが、結果は正反対であった。プーティンは誇大妄想的で自信過剰で冷酷だと非難されるべきだが、欧米諸国の政策立案者たちは傲慢で甘く、軽率だと非難されるべきだ。

第三に、戦争はウクライナ人にとって災難だったが、アメリカの自由主義的覇権(U.S. liberal hegemony)の支持者たち、とりわけ外交政策「役立たずのアホ(Blob)」のタカ派は、いくらか元気を取り戻したようだ。欧米諸国の支援によってウクライナがロシア侵略軍を破り、危険な独裁者に恥をかかせることができれば、イラク、アフガニスタン、リビア、シリア、バルカン半島の失敗を記憶の彼方に追いやり、アメリカ主導の自由主義秩序拡大キャンペーンが新たな息吹を得ることができる。役立たずのアホたちがウクライナを勝利の列に並べようと躍起になるのも無理はない。

過去の失敗をバックミラーに収めたいというこの同じ願望は、抑制的な外交政策を主張する人々を疎外しようとする現在進行中の努力と完全に一致する。抑制外交政策派(restrainers)はワシントンではまだ少数派だが、戦争が始まる前にはある程度の支持を集めていた。過去30年間の外交政策の失敗と、トランプ時代の支離滅裂な混乱を考えれば、この展開は驚くには値しない。著名な抑制外交政策派は開戦以来、ロシアの行動を繰り返し批判し、欧米諸国のウクライナ支援を支持してきたが、同時にエスカレーションのリスクを警告し、より柔軟な外交の必要性を強調し、自由主義的な理想を広めようとする不用意な努力がこの悲劇を引き起こしたということを人々に思い起こさせている。しかし、自由主義的な覇権主義の頑強な支持者たちにとっては、こうした考え方は忌むべきものであり、信用を失い、世界規模での米国の力の積極的な行使を回復し救済しなければならない。

ウクライナ人(そして世界中の何百万もの人々)の苦しみに比べれば、外交政策の専門家同士のいさかいなど大したことではない。アメリカの強硬派が、自分たちと意見の異なる相手に対して大げさな攻撃をしかけ、その怒りの対象が反撃してきたとしても、誰か気にする人がいるだろうか? このようなやりとりの参加者は皆、うらやましいほど快適な生活を送っており、ある程度の罵倒には自尊心が耐えられるはずである。このような楽屋話は、本当に重要なことだろうか?

なぜなら、ジョー・バイデン政権は今後数ヶ月あるいは数年の間に厄介な立場に立たされる可能性があるからだ。一方では、戦争に勝つことを公言し、アメリカ兵が戦闘に巻き込まれないことを望んでいるが、国家安全保障機構全体が様々な形でウクライナを助けている。一方、バイデン政権はエスカレーションのリスクを念頭に置いているようで、ロシアとの直接の交戦は望んでいない。また、アメリカ政府関係者の一部には、ウクライナの完全勝利はあり得ず、最終的には取引(deal)が必要になると考えている人たちもいるようだ。

もし、戦争がハリウッド映画のようなハッピーエンドではなく、混乱と失望に満ちた妥協(compromise)に終わったとしたらどうだろうか? ウクライナ戦争はここ数カ月で喜ぶべき進展を遂げたが、それでもこのような不満足な結果になる可能性が最も高いかもしれない。1年後もロシアがウクライナのかなりの領域を支配し、ウクライナはその間に更に被害を受け、プーティンは自らの戦争がロシアに与えた被害にもかかわらず依然としてモスクワを支配し、アメリカのヨーロッパにおける同盟諸国は再び難民の流入を受け入れ、ウクライナ関連の厳しい経済困難に耐えなければならないとしたら、バイデン政権がこの戦争を成功例として取り上げることはますます難しくなるだろう。そうなれば、バイデン政権がこの戦争を成功例として語ることはますます難しくなる。責任追及(finger-pointing)、責任転嫁(blame-casting)、責任回避(blame-avoidance)は、今日の激論に比べれば、穏やかなものに見えてしまうだろう。

残念ながら、このような政治的状況が、各国の指導者たちが遠い国の戦争を継続させることにつながるのだ。たとえ勝利へのもっともらしい道がなくても、十分なことをしていないと非難されるのを避けたいという欲求が、何らかの形でエスカレートさせるか、問題を先送りにする(kick the can down the road)ように仕向けるのだ。忘れているかもしれないが、こうしてアメリカはアフガニスタンに20年近くも駐留することになった。バイデン米大統領とそのチームは、自分たちに多くの余裕を与えていない。キエフへの全面的な支援ではないことが示されると、タカ派の非難の嵐が発生し、彼らの行動の自由度はさらに低下することになる。もし世界が一連の悪の中からより小さな悪を選ぶこと(to choose the lesser evil from a sed of bad choices)を余儀なくされる場合、より市民的で非難が少ない言説がなされるのであれば、政策立案者たちはより幅広い選択肢を検討しやすくなり、ウクライナとそれを現在支えている連合体が正しい判断を下す可能性も高くなるであろう。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。ツイッターアカウント:Twitter: @stephenwalt
(貼り付け終わり)
(終わり)

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