古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

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カテゴリ: 映画

 古村治彦です。

ドライブ・マイ・カー』は米アカデミー賞で国際長編映画賞を受賞した。日本映画13年ぶりの快挙だった。私自身は映画をほぼ見ない人間で、このように一般的なニューズになって初めて、そのような素晴らしいと評価される映画があったのかと知るくらいのことだが、『フォーリン・ポリシー』誌に『ドライブ・マイ・カー』を紹介する論稿が掲載されていたのでご紹介する。
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『ドライブ・マイ・カー』

 この映画の濱口竜介監督はこの映画を韓国で撮影しようとしたが、新型コロナウイルス感染拡大もあって、日本の広島を舞台に設定して撮影したということだ(韓国では釜山を舞台にする予定だったそうだ)。

 下記の論稿では、日本と韓国の映画やエンターテインメント業界の比較を行い、日本の問題点を指摘しながらも、日本の映画業界が多くの情熱と才能に溢れた人々の努力によって前進しているということが述べられている。私は個人的に岡本喜八監督の映画が好きで、1950年代から60年代にかけて、日本映画は全盛期だったということは知っている。著名な映画監督(スティーヴン・スピルバーグやジョージ・ルーカス、クゥエンティン・タランティーノなど)が日本映画、黒澤明や溝口健二の影響を受けていることは知られている。

それ以降、映画業界全体がテレビに押され、元気を失ってしまった時代に生まれ育った。1990年代後半に大学生だったが、映画が好きだという知人と話をしていて、「自分は洋画ばかり見ている。邦画はつまらない」と言っていたことを思い出す。

 濱口監督が韓国映画の撮影手法やインフラに魅かれて、韓国で撮影しようとしていたという話は興味深い。日本映画の隆盛で「日本で撮影をしたい」「日本映画に学びたい」となることを望む。映画のような文化やエンターテインメントで自国の魅力を発信することは、軍事力や経済力とは異なるが、それはそれで「パワー」である。ジョセフ・ナイが述べた「ソフト・パワー」ということになる。もちろん、国策映画やプロパガンダではよくないが。

 文化を守り育てるためには、何よりも人々の余裕がなければ難しい。現在の日本ではそれは難しいことである。しかし、たとえ衰退国家であっても文化は必要だ。人間は楽しみや遊びがなければ生きていけない。遊びをせんとや生まれけむ、だ。

(貼り付けはじめ)

『ドライブ・マイ・カー』は日本映画を永久に変化させた(‘Drive My Car’ Could Change Japanese Cinema Forever

-今年のアカデミー賞ではこの日本映画が最優秀作品賞の候補に挙がっている。

エリック・マルゴリス筆

2022年3月27日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/03/27/oscars-2022-drive-my-car-best-picture-nominee-japan/?tpcc=recirc_trending062921

2年前、韓国の『パラサイト 半地下の家族(Parasite)』が、外国語映画として初めてアカデミー賞最優秀作品賞を受賞し、世界に衝撃を与え、映画を一変させた。今年は、日本の芸術的で瞑想的なドラマである『ドライブ・マイ・カー(Drive My Car)』が最優秀作品賞の候補に挙がっている。オッズは不利だが、日本映画の受賞は革命的と言えるだろう。

1950年代から1960年代にかけて日本映画は黄金時代の中にあった。その後、日本の映画界は浮き沈みを繰り返しながら苦闘してきた。『乱』(1985年)、『千と千尋の神隠し』(2001年)、『君の名は』(2016年)などの映画が世界の注目を集め、活況を呈した時期もあった。しかし、批評家のお気に入りでも、人気を集められない映画が多くなっている。一方、日本の映画製作者たちは、国内市場という狭い視野に立ち、海外にアピールすることを考えずにいる。

日本映画として初めて作品賞にノミネートされた、伝説的な黒澤明監督の作品集以来、アカデミー賞で最も成功した日本映画として、『ドライブ・マイ・カー』は歴史、芸術性、ソフトパワー、そして幸運の特別な組み合わせによってこの位置に到達した。

一方では、主要なストリーミング・パートナーを持たない静かなトーンの3時間の中程度の予算の外国映画である『ドライブ・マイ・カー』は2022年にビジネスとしては成功する可能性が低い映画である。しかし、批評家や専門家は、『ドライブ・マイ・カー』は傑作だと絶賛している。

濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』は、俳優で演出家の家福悠介が、妻の死の直前に浮気が発覚し、その喪失感に悩む姿を描いたフィクションである。東京から広島に移り、アントン・チェーホフの「ワーニャ伯父さん」を多言語化した作品を演出するが、主演に妻の元交際相手を起用するなど、抑制的だが時に力強い作品となっている。

村上春樹の同名の短編小説を原作とする『ドライブ・マイ・カー』は、濱口監督のこれまでの作品に比べると実験的な要素は少なく、説得力のある人間ドラマと大胆な芸術的意思決定の境界線を見事に行き来している。「RogerEbert.com」の映画評論家であるカルロス・アギラは、『フォーリン・ポリシー』誌に「これは絶対にベスト・ピクチャーに値する」と述べている。アギラは「この作品は、悲しみに対処する方法と、人と人とのつながり、特に痛みを分かち合うことが、重荷を一人で背負うことからいかに解放してくれるかという、微妙に強力なドラマだ」と語っている。

家福のつながりの源は、寡黙な若い女性、渡利みさきだ。彼女は家福の広島滞在中の運転手である。最初は、渡利のような若い女性を、愛車のサーブ900ターボの運転手として雇うことに抵抗があったが、彼女はすぐに自分自身の力を証明する。2人は毎日の長い通勤の中で心を通わせ、やがて辛い過去を癒す手助けをするようになる。

数人の大スターとそれなりの予算、そしてインディーズ的なメンタリティのバランスをとることで、『ドライブ・マイ・カー』は日本国内でもユニークな映画になっている。東京在住の日本映画・アニメ記者マット・シュリーは『フォーリン・ポリシー』誌の取材に対し、最近の日本映画のほとんどは、安価なインディーズ映画か、大予算のドラマやアニメの映画化であると語った。シュリーは、「中間が空洞化したようなものだ」と指摘する。シュリーは「『ドライブ・マイ・カー』は、90年代に日本映画が海外の映画祭でとても良い成績を収めていた頃を思い起こさせる作品だ」と語った。

『ドライブ・マイ・カー』は、その制作、輝き、そして有名なストリーミング・パートナーがいないため、綿密な配給が特徴的だ。しかし、ハリウッドの状況や視点の変化も、このノミネートを可能にする重要な役割を担っている。現在、作品賞の候補作品は5ではなく10作品であり、昨年はクロエ・ザオが監督賞を受賞し、ユン・ユジョンが演技賞を受賞するなど、アジア人受賞者の先駆者が何人も誕生しており、アカデミー賞でアジア人やアジア系アメリカ人が投票に参加し、受賞する前例ができた。2015年と2016年、2年連続で主要演技部門のノミネート20人全員が白人だったことで批判にさらされたアカデミーは、より多様なメンバーに向けて拡大を図ってきた。

『ジャパメリカ:日本のポップ文化がいかにしてアメリカに侵攻したか(Japanamerica: How Japanese Pop Culture has Invaded the U.S.)』の著者であるローランド・ケルツは、「イカゲームはNetflixの最大のヒットの一つで、もちろん全てのストリーミング大手がアニメ資産のライセンスを取得しようと躍起になっている」と述べた。

日本国内では、ほとんどのコメンテーターがこのノミネートを驚きとともに歓迎し、同時にこの可能性が何年も前から着実に積み重ねられてきたことを指摘している。テレビプロデューサーの佐久間宣行はニッポン放送の番組で、今回の受賞は日本のインディーズ映画界が10年間、着実に向上してきたことの積み重ねであると語った。また、日本の映画界における労働や男女の不平等などの問題を研究・提言しているNPO法人「日本映画プロジェクト」のメンバーでジャーナリストの伊藤えりなは、濱口監督の才能と、彼の作品を可能にした日本映画の偉大な歴史の両方によって、今回のノミネートがもたらされたと述べた。

しかし、ほんの2年前でも、日本のコメンテーターたちは、日本が『パラサイト』のような国際的なヒット作を生み出す可能性について、どこまでも悲観的だった。韓国は日本と違い、過去数十年間、映画やエンターテイメント産業に積極的に投資してきた。確かに、日本の芸術や文化は、マンガやアニメの人気の急拡大や新型コロナウイルス感染拡大以前の観光ブームを通じて、その影響力を増大させている。しかし、韓国の映画やドラマの隆盛に比べれば、日本の実写映画やテレビは海外で成功するような構造にはなっていない。実際、『ドライブ・マイ・カー』は、労働力を正当に補償せず、国境を越えることに失敗した日本の映画産業の中では、多くの意味で異端児的存在だ。

伊藤はEメールを通じて次のように述べている。「日本の映画界にいるほとんどの人はフリーランスだ。彼らは映画が好きで、良い映画を作りたいと思っている人たちだが、労働契約もなく、労働基準法も守られていない酷い環境下で働かされている(具体例としては、長時間労働、低賃金、パワハラ、セクハラ)」。

日本の映画界には、ハリウッドのように労働者を保護する労働組合がないことが特徴である。その結果、過酷なスケジュールと低賃金で、常に優秀な人材を業界から追い出している。また、日本の製作委員会制度も大きな問題で、5から10社がそれぞれ資金を出し合って映画を製作する。

シュリーは「映画が失敗しても、1社も倒産しないので、財政面では理にかなっている。しかし、多くの監督は、別々の利害関係者が全て異なるクレームが入ることで、創造性が破壊されると文句を言っている」と述べた。

しかし、濱口監督は大手映画製作コングロマリットに頼ることもなく、日本映画の標準的な世界を代表しているわけでもない。また、濱口監督は長いリハーサルのスケジュールで、役者たちに素材を消化し、記憶する時間を与えることで、異端児であることを証明した。日本映画の多くはリハーサルなしで撮影される。

実は、濱口は当初、韓国の優れた映画製作のインフラに頼って、自分のヴィジョンを実現するつもりだった。広島ではなく、韓国の釜山を舞台にする予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大でそれが頓挫した。この歴史の一致は驚くべきアクシデントである。『ドライブ・マイ・カー』は、日本映画の成功のために、韓国の優れた映画制作の才能に依存する予定であった。しかし、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、『ドライブ・マイ・カー』は国産映画となった。

濱口監督は釜山国際映画祭の記者会見で「韓国映画の隆盛と影響力に注目した。そして、韓国の映画人の仕事ぶり、映画制作のやり方から多くを学べると思った」と語った。

『ドライブ・マイ・カー』は、今年の最優秀作品賞を受賞しない可能性が高い。『パラサイト』のような人々へのアピールもなければ、ハリウッドで受賞者が通常行うようなPRもできないからだ。これほど長時間の映画かこの部門を受賞するのは約20年ぶりのことで、より大きなスタジオと競争することになる。アカデミー賞の準備期間中、作品賞にノミネートされた作品の広告がロサンゼルスに溢れ、今年のノミネート10作品のうち、ロサンゼルスで積極的な受賞キャンペーンを行っていない作品は『ドライブ・マイ・カー』だけだ。

アギラは「『ザ・パウア・オブ・ザ・ドッグ』にはNetflixとその全てのリソースがあり、つまり彼らはより多くの宣伝費を払い、より目につくようにすることができる』と語った。ラスベガスでアカデミー賞の結果に賭けている人の間では、『ザ・パワー・オブ・ザ・ドッグ』が-155(勝つ確率50パーセント以上)、『ドライブ・マイ・カー』が324日の時点で+10000(勝つ確率1パーセント)になっている。

それでも、『ドライブ・マイ・カー』のノミネートは、既に日本だけでなく海外でも成果を上げている。国際的なノミネートを通過するたびに、アメリカ映画以外の作品への注目度が高まり、勢いを増す。日本の映画業界関係者たちは、このノミネートをきっかけに、日本の配給会社やスポンサーが、才能ある映画制作者により良い予算と芸術的な自由を与え、賃金や労働条件を改善することを望んでいる。しかし、製作委員会が濱口監督のような才能ある監督に、彼らの芸術的なヴィジョンを実現する力を与えることができればの話ではあるが。

日本映画界の関係者の大多数にとって、『パラサイト』は実現不可能な理想を示していた。批評家や観客に愛され、国内映画を世界の舞台へと押し上げる国際的ヒット作となった。日本の映画監督たちは常に韓国の映画製作のインフラや労働条件に感銘を受けており、濱口監督も新型コロナウイルス感染拡大がなければ韓国で『ドライブ・マイ・カー』を撮影していたかもしれない。しかし、この歴史の偶然によって、日本国内で楽観主義が拡大している。

近年、日本の大衆文化に対する韓国の大衆音楽や映画の優位性が叫ばれている。しかし、日本文化を海外に発信し、日本文化を支えるインフラとしての『ドライブ・マイ・カー』の成功は、『パラサイト』なくしてはあり得なかったと言えるだろう。『パラサイト』のような大ヒットがあったからこそ、『ドライブ・マイ・カー』のような芸術的なドラマが生まれたのだ。アジア文化と世界のポップカルチャーは、多くの人が主張する以上に相乗効果があり、濱口監督の場合は文字通りコラボレーションしている。

『パラサイト』、村上春樹、米アカデミーによって称賛されなかった何世代もの日本の映画監督たちが整備してくれた道のおかげで、『ドライブ・マイ・カー』は歴史を切り拓く機会を得ている。また、今回のノミネートは日本映画界が成長しようと決心すれば、日本映画を永遠に変える機会でもある。映画製作者たちにとってはまだあまり大きな変化はないが、3月27日のアカデミー賞で何が起こるかにかかわらず、日本映画の未来はこれまでと同じくらい明るいことは間違いないところだ。

※訂正(2022年3月28日):佐久間宣行の発言の誤った翻訳を削除した。

※エリック・マーゴリス:作家・翻訳家

(貼り付け終わり)
(終わり)
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 古村治彦です。

 

 今回は映画『ダイナマイトどんどん』をご紹介したいと思います。

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ダイナマイトどんどん [DVD]

 

 『ダイナマイトどんどん』は1978年に制作された映画です。監督は岡本喜八、主演は菅原文太です。舞台は昭和25年ごろの北九州小倉で、伝統的な任侠道を追求する岡源組と新興勢力の橋伝組が激しく抗争を繰り返しています。この映画ではユーモラスに流血の場面は描かれていませんが、実際には相当激しい抗争があったのだろうと思います。現在でも、小倉を拠点にしている工藤会は武闘派として、手榴弾を使うなど荒っぽいことでも知られています。


 

 抗争に業を煮やした警察署長は小倉の親分衆を警察署に集め、脅したり宥めたりしながら抗争の鎮静化を要請します。そして、抗争は暴力ではなく、野球の試合で決着をつけろ、とういうことになります。どの組も組員内の野球経験者を探したり、新たに身を持ち崩した元野球選手たちをスカウトしたりしますが、橋伝組は特に札ビラ攻勢で、有力選手を次々と獲得します。一時期のプロ野球のようです。プロ野球のスカウト合戦については、『あなた買います』という映画(同名小説が原作)があります。南海ホークスに外野手と入団し、後に監督となった穴吹義雄(高松高―中大)のスカウト合戦の実話が小説化され、映画化されています。

 

 菅原文太演じる主人公の加助は、岡源組の組員で野球経験もありますが、野球の試合をやることなどに気が進まずに、ティームに参加しませんし、野球なんかできるかと毒づきますが、最後には参加することになります。橋伝組には、北小路欣也演じるハンサムな元中学野球(現在の高校野球)のエース(身を持ち崩している)・橘銀次が参加し、加助とは恋のライヴァルということになり、勝負は白熱します。最後はやっぱりドタバタの暴力沙汰となります。タイトルは、岡源組のティーム岡源ダイナマイツの掛け声「ダイナマイトー、どんどん」から来ています。

 

 「ヤクザ(暴力団)が野球ティームを作り、何かを賭けて試合をする」というプロットで思い出したのは、漫画の『じゃりン子チエ』に出てくるエピソードです。主人公チエの住宅兼店舗(ホルモン焼きと酒の店)をヤクザが取り上げようとして、野球の試合をするというもので、ヤクザのティームに昔甲子園で活躍した名投手がおり、最後に打たれ、店は守られるという内容でした。

 

『じゃりン子チエ』の作者はるき悦巳は、映画のプロットをそのまま使ってしまう癖があるようで、『じゃりン子チエ』に出てくる猫・小鉄が主人公の外伝『どらン猫小鉄』では、映画『用心棒』(黒澤明監督)そのままのエピソードがあり、これは現在は絶版になっています。この外伝は、舞台は九州北部で、猫たちがダイナマイトを投げ合うという内容になっていて、これは、『ダイナマイトどんどん』から着想を得ているのではないかと思います。『用心棒』と『ダイナマイトどんどん』を混ぜてオマージュしたというところでしょう。


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 『ダイナマイトどんどん』は野球がメインなのでどうしても野球のシーンが長くなって、ちょっと冗長かなと思いますが、大変面白く見ることが出来る映画です。「民主主義の世の中になったのだから抗争(出入り)も民主的に」「それなら、アメリカから教えてもらった民主主義、最も民主的な野球だろう」「市民に愛されるヤクザになろう」という馬鹿馬鹿しい発想から野球大会となる、というのはぶっ飛んでいる感じがして面白い。

 

日本人は本当に野球が好きだった(今はだいぶ人気が落ちている)のだなと思わされます。そして、ヤクザという世界も怖いもの見たさもあって興味がある、好きなのだということです。『ダイナマイトどんどん』それらが一緒になって痛快な映画となっています。

 

そして、うわべだけの民主化を皮肉たっぷりに馬鹿にしている、形だけ真似をして本質を理解しない日本人の姿を描いているようにも思います。結局最後は暴力に戻ってしまうところも日本らしいところです。

 

監督役の元プロ野球の有名選手で、徴兵され戦争で負傷して(左手と足に重傷を負った)野球を続けられなくなった人物・五味徳右衛門(フランキー堺が演じています)が出てきます。この人は平安高校(現在は龍谷大学付属平安高校)を率いて全国制覇を果たした西村進一氏がモデルになっていると思われます。西村氏は旧制平安中学から立命館大学に進み、その後、名古屋軍でプロ野球選手として活躍します。


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西村進一 

その後、徴兵され、フィリピンで戦い、右手首を失うという重傷を負い、野球選手としては再起不能となります。復員後は、指導者として平安中学野球部を率い、右手の義手にボールを乗せ、左手でバットを操りノックを行うなど熱血指導で、平安高校を全国制覇に導きました。元名選手が不遇な状態になり、指導者となるというのは漫画『タッチ』でもこのようなプロットがあったように記憶しています。

 

 ヤクザを使って世の中を風刺するという意味では、小林信彦の『唐獅子株式会社』という小説と通底するところがあります。この小説も後に映画化されます。小林信彦の『オヨヨ大統領』シリーズと『唐獅子株式会社』を読むと、1970年代の日本の雰囲気を味わうことが出来ます。真面目に茶化すという点で、岡本喜八監督とは表現方法は違いますが、共通しているとことがあると思います。

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小林信彦

 
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岡本喜八

 この『ダイナマイトどんどん』は、以前にご紹介した『ブルークリスマス』と同じ1978年に公開されています。同一監督が同じ年に2回も映画を公開するというのは、映画全盛期だと珍しくないのでしょうが、現在では聞いたことがないように思います。岡本監督の気力や体力が充実していたのだろうと思いますが、方向性の違う2つの作品を共にうまく仕上げるというのは凄いことだと思います。

 

(終わり)

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 古村治彦です。

 


 舞台は1980年の東北地方の寂れた廃村。この村は満洲引揚者が戦後に入植してできただ。無償提供された土地は農耕に適していなかったために、入植後約30年が経ち、村に残ったのは、主人公のユミエ(大竹しのぶ)と娘のエミコ(伊藤歩)だけだった。夫は東京に出稼ぎに行き、そのまま蒸発してしまった。他の家族は、村を捨てて出て行ったり、一家心中をしたりした。

 

 2人は誰からも見捨てられ、生活は困窮し、餓死寸前にまで追い込まれる。そこで、二人は身なりを整え、「客」を取ることにした。それから次々と男たちがやってくる。最初は山の向こうのダム建設現場で働く、東京からの出稼ぎ者(木場勝己)であった。彼は2万円払い、ユミエと寝る。そのアフターサービスに出されたのが、猛毒入りの焼酎。一気飲みした彼はそのまま泡を吹いて死亡する。母娘は死体を一輪車に乗せて外に運び出す。喜納昌吉&チャンプルーズが1980年に発表した『花〜すべての人の心に花を〜』を歌いながら。

 

 2人目は、電気代を支払ったので、電気再開のためにやってきた技師(六平直政)。電気を復活させた後、ユミエの客となる。3人目はこちらも代金を払ったために確認にやってきた水道職員(田口トモロヲ)。4人目は1人目の客となったダム工事の現場監督の助手(柄本明)。彼は行方不明になった男を探しにやってきた。5人目は、電気技師の上司(魁三太郎)、6人目は、ダム工事の監督(原田大二郎)。前半部は「語り→セックス→死(殺害)」の繰り返しであった。それをずっと見ていたのは、森に棲むふくろうであった。

 

後半部になると、とたんにシリアスな話になっていく。前半部は「語り→セックス→死(殺害)」の繰り返しであったが、警察官、県の職員である引揚者援護課の男、エミコの幼馴染が出てきてからは、大変シリアスな話になる。彼らもまた死を迎える。ユミエとエミコは全てを片付けて、朗らかに村を出る。

 

 私がまず思ったのは、1980年の日本でこのような困窮者が存在するんだろうか、警察が月に1度巡回して、その生活の困窮ぶりを見ている訳だから、生活保護なり、他の手段なり、行政が何らかの手段を講じるのではないか、という点が疑問に残った。野暮なことは言いっこなし、あくまで芸術だからと言われてしまえばそうなのだが。電気を止められ、水道まで止められてしまって、木の根を食べるというのはどうかと思うが、この村が戦後の入植地であり、本村から七曲りの峠を登ってこなければならないということになると、親戚はいないだろうし、地元の人たちからすればヨソモノであって、心配をしてやる必要なんかあるものかということもあったかもしれない。

 

 映画の中で「リストラ」という言葉を使っていたが、この言葉が1980年に人口に膾炙し、寂れた寒村に住むような主婦や少女に理解できたとは思えない。1980年と言えば、私は6歳であったが、そのような言葉が「会社からの解雇」の意味で使われていたという記憶はない。「レイオフ」とか「解雇」という言葉ならあったように思う。

 

 前半部の登場人物たちは、ほとんどがセックスをして、その余韻の中で死んでいくのだが、それぞれのスケッチでは、登場人物たちの人生と日本の戦後史が語られていく。この点が重要なのではないかと思う。

 

 後半部は、停滞した物語を終わりに向かわせるために、急に動きが早くなる。それは物語を終わりまで運ぶために取ってつけたような感じになりかけるが、最後にユミエとエミコが朗らかに村を出る決心をするところで、それもまたよしだなぁと思わされた。主人公のユミエ役の大竹しのぶは怪演と言ってよいくらいに様々な表現をしていた。その他のキャストも十分に素晴らしい演技であった。監督の要求に応えているのだろうと思う。

 

 私は映画をほとんど見ない。詳しくない。だから、映像がどうとか、俳優がどうとかということは分からない。難しいことは分からない。しかし、この映画は面白かった。こんな話はあり得ないよ、だって連続殺人で出てくる主要な男性キャストはほとんど殺害されるんだよ、しかも、殺害した母娘が捕まらないんだし、と思った。しかし、そんな無粋なつっこみを跳ね飛ばすだけの力があった。

 

 この映画が公開されてヒットしなかっただろうし、興行収入も低かったんじゃないかと思う。舞台はほぼ家の中だけだし、俳優陣は豪華だったけど、そんなにお金がかかっていなかったことは素人でも分かるから、赤字になることはなかっただろう。

 

 このような不思議な映画が出てくるところに、日本映画全体が持っている力があるのではないかと思う。日本映画はつまらない、面白くないと言われていて、映画に疎いので、「そんなものなのかな」と思っていた。しかし、面白い作品があるではないかという気持ちにさせられた。こうした映画を生み出せるのだから、全体として日本映画は調子は悪いのかもしれないが、死んでいる訳ではないと思う。

 


(終わり)





 
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 古村治彦です。

 

 今回は、『衝撃の「実録映画」大全』(洋泉社、映画秘宝COLLECTION、2016年7月9日)を皆様にご紹介いたします。「実録映画」と言うと、「仁義なき戦い」「県警対組織暴力」のような、深作欣二の「実録もの」を思い出しますが、ここでいう「実録映画」は、現実に起きた事件や歴史上の出来事を基にした映画です。

 


私は、第1章の「カトリック教会の束縛と偽善 スポットライト 世紀のスクープ」(12-27ページ)を担当しました。今年公開の映画『スポットライト 世紀のスクープ』を評論しました。この映画は日本では今年公開され、今年のアカデミー賞の作品賞と脚本賞を受賞した秀作です。

 


 この映画は、2002年にアメリカで発覚し、国際的大事件となったカトリック教会の聖職者たちの虐待をスクープした『ボストン・グローブ』紙の特別取材ティームの物語です。

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 私は映画に詳しいと言うほどたくさんの映画を見ていませんが、今回の論稿では、映像がどうとか、俳優の演技がどうとか、そういうことではなくて、映画のテーマであるカトリック教会の聖職者による虐待事件やカトリック教会について書きました。

 

 この映画はボストンという土地柄、事件の舞台を十分に描き出した映画です。論稿でもそのことには触れましたが、この点は強調してもしすぎることはないと思います。映画の中で、「バンビーノの呪い」という本が出てきたときには、なるほど、とちょっと苦笑いをしました。

 

 バンビーノというのは、大リーグの伝説的大選手ベーブ・ルースのニックネームです。ベーブ・ルースはもともとボストンを本拠地とするボストン・レッドソックスに所属する若手の成長株でした。しかし、1920年に球団側と衝突して、宿敵ニューヨーク・ヤンキースに金銭トレードとなりました。レッドソックスはルース在籍中の1918年にワールドシリーズを制廃しましたが、それ以降、名選手を輩出するものの、ワールドシリーズ制覇は出来ませんでした。この状態を指して、ベーブ・ルースに呪われているとして、「バンビーノの呪い」という言葉が作られました。この呪いも2004年に解かれました。日本人の松坂大輔投手と岡島秀樹投手が活躍したことは記憶に残っています。

 

 字幕だけではこうしたことを知ることはできません。落語では「くすぐり」といいますが、観客を笑わせたり、驚かせたりするちょっとした表現は、背景を分かっていなければ理解できず、それが理解できなければ、映画の面白さも減ってしまいます。

 

 是非、手に取ってお読みいただき、その後に映画『スポットライト 世紀のスクープ』もご覧いただければと思います。よろしくお願い申し上げます。

 


(終わり)










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