古村治彦です。
アメリカ国内のインフレーションの進行が深刻ということはこれまで何度もご紹介した。「耳にたこができる」くらいに聞いたよ、と言われる方もいるだろう。ブログの場合は私の肉声ではなく、読んでいただくものであるので、その表現が正しいと言いにくいのであるが、それだけ繰り返しご紹介してきた。アメリカの中央銀行である連邦準備制度(Federal Reserve System)は2022年3月に利上げを行うことを決定しているということだ。
利上げを行うことで、現在市場に出回っている貨幣を回収することになる。簡単に言えば、預貯金の金利が高くなって人々が預貯金にお金を回すということになる。しかし、インフレーション退治のため利上げが貧しい人々や労働者階級を苦しめることになるというのが下に紹介する論稿の内容だ。
賃金の上昇率が物価の上昇率を上回れば、人々の生活は楽になる(もしくは楽に感じられる)。しかし、下の記事にあるように、イギリスのイングランド銀行総裁は、現在アメリカほどではないが高いインフレーション状態になっているイギリスの労働者たちに対して、「賃上げを要求しないように」と発言した。論稿の著者ダウニーは「労働者に賃上げを要求しないようにと求めるのは当然のこととして受け取られているのに、企業に製品の価格を上げないように求めるのはおかしいと受け取られていることは不自然だ、ディレンマがある」と主張している。そして、インフレーション退治のための利上げは人々の生活を苦しめることにもなる。一方で金融資産を多く持つ富裕層は利上げによって、利息収入が増える。結局のところ、中央銀行がやろうとしていることは金持ちを助け、貧乏人を苦しめることで、「階級間戦争」「階級間闘争」の状態になると結論付けている。この論稿の著者ダウニーは金融政策だけでは駄目だ、という点で、論稿に書いていないが、財政政策も合わせて実行すべきという考えであろうことは推測できる。その点ではMMTに近い考えを持っているかもしれない。
物価を下げる、安定させることは人々の生活を安定させることであり、行き過ぎたインフレーション退治を行うことは全ての人々のためになる。それは労働者の為でもあり、インフレーション退治が階級間闘争を引き起こすということではない。しかし、問題はやり方であって、利上げだけではローンを抱える人々の負担が大きくなるだけのことだ。重要なのは賃上げも並行して行うことで、そのために各企業には利益の一部を犠牲にしてもらうべきだという考えが出てくる。
しかし、現在の資本主義体制では、各企業の利益は株主のために出されるものであり、株主の利益最大化こそが究極の目的である。そのためにプロの経営者が雇われている。利益の最大化のためには最大の固定費である人件費の削減が簡単でかつ効果的な方法である。日本でも行われているように、正社員を減らし、雇用する人数を減らす。これが手っ取り早い方法だ。現在必要だと思われる方法、賃上げを行うことは難しい。日本でもあれだけの権勢を誇った安倍晋三前首相がいくら頼んでも、経済界の反応は鈍かった。過去最高の内部留保がありながら、賃上げにつながらず、働く人々は給料が上がらない中、企業の内部留保をため込むだけのために、過労死寸前になって働く状況が続いてきた。
今回の論稿の主張を政治の面から考えると、アメリカのバイデン政権と民主党にとっては、利上げは痛しかゆしというところだ。物価を下げたい、安定させたい、そのためには利上げだということはその通りだが、そのために自分たちの支持基盤である労働者、貧困層の生活が苦しくなっては元も子もない。何といっても今年の秋には中間選挙がある。少なくとも今年前半までには現状を何とかしたいところだ。利上げの効果が出ることを神に祈るしかない。
(貼り付けはじめ)
インフレーションに対する戦いは階級間戦争になりつつある(The Fight
Against Inflation Is Becoming a Class War)
-各国の中央銀行は、コイン投げゲームの表は金持ちが勝ち、裏は貧乏人が負けとなるように決めている
リー・ダウニー筆
2022年2月16日
『フォーリン・ポリシー』誌
各国の中央銀行がインフレーションに反応し始めた。2022年2月にイングランド銀行は2ヶ月ぶりに基準金利を引き上げ、アメリカ連邦準備制度理事会も2022年3月の会合で同じことをすると予想されている。(興味深いことにロシア銀行も同様である。戦争の脅威でさえ、現代の中央銀行の支配的なコンセンサスを破ることはできない)。このような金融政策の変化と並行して、イングランド銀行のアンドリュー・ベイリー総裁は、ベイリー自身が大変高額な年俸をもらっているにもかかわらず、賃上げを求めないよう労働者に求めている。
ベイリー自身の年収と彼の労働者たちへの要求との差は、階級間闘争(class
conflict)の匂いもあって、多くの人が強調してきた不協和音(dissonance)でもある。労働者を苦しめながら、自分自身は金塊でいっぱいの城に座っている。このような階級間闘争の特殊な場での問題は、労働者階級が勝つ方法が存在しないことだ。つまり、資産を持っている人々が勝ち、労働者階級が負けるのだ。
この場合のコイン投げの表は、中央銀行が金利を引き上げてインフレーションを抑制し、低く安定した物価を実現することだ。この政策は、強力な民間金融セクターを支援するためのもので、多くの人が、2008年のような金融崩壊を誰も望んでいないため、誰にとっても良いことだと信じている。しかし、金利の上昇は、労働者階級が住宅ローンやその他のローンを組むことを困難にし、最も重要なことは、金利の上昇は民間投資と雇用の減少を招き、失業率を増加させることだ。一般に、金利の引き上げは生活環境を悪化させる可能性が高い。
コイン投げの裏となるのは、中央銀行が金利を上げない場合、インフレーションが続くということだ。これは、食料、エネルギー、住宅の価格上昇を意味し、生活水準の危機を招き、最も貧しい人々が打撃を受けることになる。しかし、物価が上昇しても生活水準を維持するのは、それに見合った賃金の上昇を確保できない場合にのみ、深刻な苦痛となることを忘れてはならない。
このことは、私たちにディレンマを残してしまう。仮に、労働者階級にとってベストなことは何でもしたいということに全員が同意したとしても、どのような行動方針を支持すべきなのだろうか。インフレーションを放置しておくわけにはいかないが、「インフレーションを何とかする」ということは、金利を上げることと同義であり、それは我々の中で最も貧しい人々に害を与えることになる。
それでは、中央銀行はどうすればいいのだろうか。従来の金利メカニズムを捨て、物価統制を導入することを提案する人もいる。これは、経済学界で攻撃的で卑屈な議論を引き起こした。しかし、なぜだろう?ベイリーが労働者に賃上げを要求しないよう求めることができるのなら、政府が企業に値上げを要求しないよう求めるのは、どうしてそんなにおかしなことなのだろうか。特に、最近の記録的な利益を考慮すると、そうなるのは当然だろう。経済学者のドミニク・ロイスダーが言うように、「価格統制は良いが、それは労働者のためになる時だけだ」というメッセージは明らかである。
現在、中央銀行の最大の関心事は、賃金価格スパイラルを回避することである。この考えは、労働者が十分な力を持っていると仮定すると、物価上昇に直面したとき、彼らは生活水準を維持するために賃金の上昇を求めるだろう、というものだ。賃金が上がれば、また物価が上がり、さらに賃金が上がるというスパイラルである。つまり、危険なインフレーションの暴走は、賃上げを要求する労働者の責任なのだ。それゆえ、ベイリーのコメントは受け入れられることになるのだ。
しかし、基本に立ち返れば、これがいかに奇妙な話であるかはすぐに理解できる。インフレーションとは一般的に物価が上昇することだと理解されている。これはただ偶然に起きるのではない。物価が上がるのは、企業が物価を上げようと決めた時である。つまり、インフレーションと企業の意思決定との関係は、インフレーションと労働者が生活費の上昇に見合う賃上げを求めることとの関係より、はるかに明確で緊密なものだ。それでは、繰り返しになるが、なぜインフレーションに対する既定の反応は、企業に記録的な利益の一部を犠牲にするよう求めるのではなく、賃金より速く上昇する物価の痛みを労働者に求めるのだろうか?
賃金価格スパイラルの強さと、価格統制の提案に対する激しい拒絶反応から分かることは、極めて簡潔なものだ。現在の限定的な金融政策の枠組みは、社会の中のあるグループ、つまり、民間の金融業界に利益をもたらしている。
現代の金融政策の主流は、安定した物価(2%のインフレーション率)を確保し、2008年以降は金融規制を通じて、民間金融システムの安定を維持することとなっている。歴史的に見れば、これは当然のことだ。それはそのように設計されているからだ。アメリカでは、1907年の金融恐慌の後、民間銀行システムの安定と成功を確保するためにFRBが設立された。イギリスでは、イングランド銀行はその歴史のほとんどを通じて、民間銀行業と戦争資金調達のために作られた、利益を追求する民間機関であった。
今日、FRBとイングランド銀行はそれぞれの国の金融政策当局であり、マネーサプライを管理するための公共政策を立案し、実施している。民主政治の尖兵として、公共政策は人民による、人民のための、人民のものであるべきだ。しかし、FRB とイングランド銀行は、公共政策の権限を得るに当たって、民間金融システムとの基盤的なつながりや、民間金融システムに奉仕するという基本的な目的を捨て去ることはなかった。
これが、現在の厄介な事態を招いている。公共政策の巨大な力を使って設計された独立した中央銀行が社会の一部門である民間金融の利益のために機能している。だからベイリーは労働者に賃上げを要求するように求めているのではなく、企業に値上げを要求しないよう求めているのだ。それはまた、現代の金融政策システムに関して言えば、「頭でっかちの金持ちが勝ち、尻尾で貧乏人が負ける」状況である理由でもある。
もし、金融政策が社会の全ての部分に等しく奉仕するとしたら、どのような政策になるのだろうか。簡単に言えば、そのような金融政策は、他の種類の公共政策と同じように、より政治的なものになるだろう。このような金融政策を実施することは、現在の高いインフレーションか高金利かという二者択一の政策から、資産保有者の利益を優先させないような政策を取り入れることができるようになることを意味する。
従来の短期金利調整以外の政策オプションがあることを想像するのは難しいという人もいる。このこと自体、金融政策の枠組みが支配的であることの証拠となる。しかし、もちろん代替案は存在する。例えば、物価統制(price controls)、信用誘導(credit guidance)、信用供与(credit provision)、様々な種類の公庫(public banking)などが挙げられる。
金融政策をより民主的に決定するためには、必ずしもこれらの具体的な政策案のいずれかを採用する必要はない。しかし、政策決定への民主的なアプローチは、結果がどうであれ、結果として生じる政策が社会のある(少数)グループの利益に資するような不正なプロセスでないことを要求するものだ。公正なコイン投げ(表:私の勝ち、裏:あなたの勝ち)が、私たち双方に自分の利益を促進する機会を与えるように、金融政策を実施するための公正で民主的
なアプローチを確立するには、現代の表:金持ちの勝ち(高い金利)、裏:貧しい者の負け (高いインフレーション)を超える選択肢を検討する必要がある。
(貼り付け終わり)
(終わり)

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