古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

カテゴリ: 映画

 古村治彦です。

 

 今回は映画『椿三十郎』を見た感想を書きたいと思います。


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椿三十郎 

 映画『椿三十郎』のストーリーは次の通りです。藩上層部の不正に怒りを募らせる若侍たち。若侍のリーダー(加山雄三)は城代家老の甥で、城代家老に処分を訴えるが、うまくいきません。監察である大目付に訴えたところ、彼らと同調するという返事をもらい、喜んでいました。

 

 若侍たちが集まっている古い神社には先客がいました。それは一人の浪人者、椿三十郎(三船敏郎)でした。三十郎は若者たちの話を危険だ、大目付が実はワルなのだと忠告し、やがて参謀役兼助っ人として仲間に加わることになりました。大目付は、側近の室戸半兵衛(仲代達矢)を使い、城代家老を捕まえ、不正の罪を城代家老になすりつけようとします。

 

 若侍たちは三十郎たちに反発しながらも三十郎の慧眼に心服するようになります。最後には城代家老を救出し、大目付をはじめとする藩上層部の不正を暴くことに成功します。城代家老は祝宴を用意しますが、その席に三十郎が居並ぶことはありませんでした。

 

 『椿三十郎』と言えば、ラストシーンの椿三十郎と室戸半兵衛の居合抜きによる対決のシーンが有名です。人間を本当に斬ればあのように血が噴き出すというリアルさを描き切ったのは凄い、の一言です。白黒映画ですが、どす黒い血の感じがよく出ています。黒沢監督の色彩感覚と素晴らしさを改めて感じます。

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 この映画にはチェンジオブペースと言うか、デウスエクスマキナと言うか、そういう役割を果たす人物たちが出てきます。それが城代家老の妻と娘、そして、大目付の配下で若侍側に捕らわれた壮年の侍です。城代家老の妻はおっとりとした性格と行動で(今で言えば空気が読めない)、三十郎や若侍を困惑させますが、その一言は重いものがあります。

 

家老夫人は「良い刀とは鞘に入っているものですよ」という言葉を三十郎に発します。頭が切れて腕も立つ三十郎を一言で評した言葉です。そして、三十郎が最後に若侍に贈った言葉が「鞘に入っていろよ」というものでした。

 

 この映画は若者たちの正義感とその暴走がテーマになっていると思います。戦前の青年将校の暴走と1960年の安保闘争といった日本にとって重要な局面で、若者たちは正義感が強ければ強いほど、暴走して結果として悲惨な事件を起こしたり、状況を悪化させてしまうものです。

 

 城代家老は凡庸な人物として馬鹿にされているところもありますが、藩上層部の不正についてはきちんと把握しており、証拠を集め、この証拠を突き付けて当事者たちの隠居を迫る、という方針を持っていました。城代家老は穏便にかつ怪我人を出さないで事を収めるという大人の知恵を持っていました。しかし、若者たちからしてみれば、このような穏健なやり方は生ぬるく、かつ敵を利するとさえ思われるようなものです。

 

 この映画の主人公である椿三十郎は若い時に、若侍のような正義感でもって不正を正そうとして、大きな騒動を引き起こしてしまった、という苦い経験と傷を持っている、老革命家のように思われます。若者たちが道を踏み外して自分のようにならないように、という姿勢を貫いているかのようです。

 

 ラストシーンで、居合で室戸半兵衛を斬った三十郎に対して、若侍が「お見事」と声をかけたことに対して、「馬鹿野郎」と怒鳴ったところも印象深いです。三十郎はこれまでにも何十人も斬ってきたことでしょうし、映画の中でも何人も斬っています。しかし、人間を斬ってしまうというのは下策であって、褒められたものではない、ということもあって怒鳴ったのでしょう。

 

これはまた、若者にありがちな「頭でっかちな」言葉遣い、地に足がついていない実感のない空虚な言葉遣いに対するメタファーということも言えるでしょう。60年安保や学生運動に参加した若者たちが聞きかじりのマルクスの言葉を振り回していたことに対する皮肉ということになるのでしょう。1962年公開の映画ですから、60年安保が沈静化していく中で、黒澤監督が時代の雰囲気をとらえて撮影したのが『椿三十郎』ということになるでしょう。

 

 スピード感のある映像と展開で見ていて大変面白い映画です。

 

(終わり)

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 古村治彦です。

 

 今日は先日見た映画『ブルークリスマス』の感想を述べます。私の友人に映画隙の人がいて、私が岡本喜八監督に興味があると言うと、DVDを貸してくれました。私は映画をあまり見てこなかったのですが、岡本喜八監督の映画『大誘拐』を中学生だったか、高校生だったかの時期に見て面白かったので、岡本喜八監督について興味を持っていました。この他にも『独立愚連隊』「独立愚連隊 西へ」という映画のDVDも借りましたので、これらも見てまた感想を書きたいと思います。

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ブルークリスマス [DVD]

 映画『ブルークリスマス』は大変面白い映画でした。コメディでもハッピーエンドでもないので、「楽しい」と書いてよいのかは分かりませんが、いろいろと考えてしまう映画でした。

 

 映画の内容は次の通りです。ある日、世界各地で文字通り青い血液を持つ人々が出現し、その数が増えていく現象が確認されました。これは宇宙船、UFOを目撃し、それから発せられる光を体に浴びて出てくる現象でした。当初は荒唐無稽の噂話として広がっていき、非現実的だ、非科学的だとして打ち消されますが、やがてそれが本当だということになります。

 

 人類の中に青い血液を持つ人たちが出て来ていることを報告した宇宙科学を専門とする兵頭博士(岡田英次)は失踪し、その事件を追う国営放送JBCの報道局員南(仲代達矢)は奇妙な出来事に遭遇し、真実を知りながら、それを発表出来ないことになります。

 

 国防庁の特殊部隊員である沖(勝野洋)は、職務として、青い血液となってしまった人々を監視し、かつ、その真実を暴こう、拡散しようとする人々を弾圧し、最悪の場合には殺害していきます。

 

 世界各国の指導者たちは、青い血液を持つ人類が少数派のうちに抹殺することを決めます。宗教やイデオロギー、国家体制の違いを超えて、この点で一致団結します。日本でも全国民に血液検査が実施され、青い血液を持つ人々は隔離され、強制収容所に送られます。それに反対する人たちもいますが弾圧されます。

 

 沖は冴子(竹下景子)と恋に落ちます。不器用ではあるが誠実な沖と冴子は合いを深めますが、不幸な結末を迎えてしまいます。

 

 映画では、青い血液を持つようになってしまった人々は、イライラもなく、過度の競争心や嫉妬心を持たなくなり、穏やかな性格になると描かれています。ただ、血液が青くなってしまっている、ということだけです。映画では血液が青い生物としてイカが紹介されており、それは人類の血液には鉄分が含まれているのですが、それがイカの場合は代わりに銅が含まれており、そのために血液が青くなるということも説明されています。

 

 この映画を見ての感想ですが、まずは、真実とは何かということを追いかけるはずの科学と報道という2つの分野が機能しないということです。科学の場合には、「宇宙人であるとか宇宙船などというものは存在しない」という前提から宇宙船からの光を浴びた人が青い血液を持つということを税所否定しますが、じわじわとそれが広がっていくと、今度は実験(観察)の対象、実験材料とし、そのために非人道的な取り扱いをします。報道はその変わった話に飛びつきますが、やがて上の存在から口止めされ、そして最後には協力してしまう、口を閉ざした時点で協力していることになります。

 

 真実について語り、人類のために奉仕すべき分野である科学や報道が実際には時の権力に奉仕し、人道に反する行為を行った例はこれまでの歴史でも見られることですが、この映画でもそのことが描かれています。ですから、科学や報道に従事する人たちも、私たち受益者、受け手も不断の点検が必要になるということだと思います。

 

 青い血液となってしまった人々は血液以外にはそれまで通りであり、極めて普通の人間です。そして、心が穏やかになり、嫉妬心や競争心がなくなります(これは一種の麻薬のメタファーでもあると思います)。しかし、少数派であるこの人々は、多数派である赤い色の血液を持つ人々にとっては不安材料です。今のところは無害(それまでも無害で外見上は変わらないのですから当たり前です)ですが、これからどうなるか分からない、ということに、世界各国の権力者たちは大きな不安を覚えます。

 

 そして、最後には強制収容を行います。それに対して、「やり過ぎではないか」「人権侵害ではないか」という当然の反対意見も出ます。それを抑えるために、青い血液を持つ人々は、暴力蜂起を行う、それは宇宙人に唆されたからだ、という主張を流し、かつ、最後には、そのようになった青い血液を持つ人々は、人類ではない(人類の定義は赤い血液を持つ)ので、人権などなく、抹殺対象になるのだというところまで進み、この映画の悲劇的な最後につながります。

 

 この映画は1978年に公開で、映画の設定もそれくらいの年になっています。そして、1980年には青い血液を持つ人々の人口は全世界で2億人弱くらいにまで増えると予想されています。政府機関や報道機関の上層部は、青い血液を持つ人々について最初は、なにも迫害までしなくても良いではないか、と考えますが、職務上の命令のために、最後は非人道的な行動を部下に命令することになります。ここのプロットは、ナチス・ドイツのユダヤ人虐殺のメタファーと言えるでしょう。

 

 私はこの映画を見ながら、「人間的」とはどういうことかということを考えました。青い血となってしまった人々は偶然からそうなってしまいました。そして、穏やかで他の人たちを争わない性格になりました。私はこの部分を世界の指導者たちは危惧し、そのような人たちを抹殺することに決めたのだろうと思いました。

 

穏やかで、人と争わないというのは素晴らしい性格ですが、それでは現代社会は崩壊してしまいます。よりおいしいものを食べたい、より高い洋服や時計、装飾品を身に着けたい、より立派な家に住みたい、といったことは、他人に見せびらかしたい、羨んで欲しいという気持ちが原動力です。逆に言えば、そのようになりたいという気持ちから人間は他人と競争もするし、少々ずるいことをしても他人を出し抜こうとします。そうして大量生産・大量消費の大衆社会が維持されます。資本主義体制も、そして社会主義体制もそうして動いています。

 

 しかし、青い血液を持つ人々は、そのシステムにとっては邪魔になります。そのような人たちは自分で満足していればそれで良いし、他の人たちを羨まないのです。それは人間にとっては一つの理想形ですが、逆の面から見れば、「人間的ではない」ということになります。そして、自分と違う(と思われる)存在に対しては、どこまでも冷酷になれる、ということがこの映画の中で描かれている「人間らしい」行動となっています。青い血液を持つ人々は、赤い血液を持つ人、青い血液を持つ人、どちらの血も流させない存在ですが、赤い血液を持つ人々は、赤い血液を持つ人、青い血液を持つ人、両方の血を流させる存在です。

 

 この映画の題名についている「ブルー」ですが、映画に出てくる青い血液の「青」と「陰鬱な」「気持ちが盛り上がらない」状態を示す「ブルー」がかかっています。悲劇的なラストシーンがクリスマスイヴの日ですから、まさにブルーなクリスマスということになります。見終わればブルーになってしまう映画ですが、私たちが生きる現代を考える上でも参考になる映画だと思います。

 

(終わり)

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