古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

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カテゴリ: 経済学

 古村治彦です。  
 主流派経済学の「誤り」、行き過ぎたグローバライゼーション(超[ハイパー]グローバライゼーション)によってアメリカの労働者たちは傷ついたということについて、経済学者たちから反省が出ている。1990年代から既にグローバライゼーションに対して批判を行った経済学者たちもいたが、そうした人々は激しい批判に晒された。しかし、そうした人々は復権しつつある。
 中野剛志著『目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】 (ワニの本)』では、激しいインフレ対策のためには競争や規制緩和、グローバライゼーションが有効だ、それはこれらの政策はデフレを生み出すからだとしている。1970年代から80年代にかけてのアメリカは激しいインフレに苦しんでおり、その対策にはこれらの政策は有効だった。しかし、経済がデフレになればこうした政策は逆効果ということになる。  
 日本ではバブル崩壊からデフレになる中で、インフレ対策のための政策が実行された。そのために、デフレはより進行することになった。新自由主義的な政策と社会主義的な政策は、その時の状況に応じて使い分けをするべきで、どちらが完全に正しく、完全に間違っているということはない。しかし、日本では新自由主義が神の言葉のように扱われ、デフレ不況下にもかかわらず、更にデフレを進行させる政策が実行された。それが平成という時代だった。  
 経済学に振り回されて不幸になった日本。まずは主流派経済学のどこが間違っていたのか、どのように間違っていたのかということを知らねばならない。
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経済学という人類を不幸にした学問: 人類を不幸にする巨大なインチキ 

(貼り付けはじめ)

「次々と逃げ出す経済学者たち(ECONOMISTS ON THE RUN)」

―ポール・クルーグマン(Paul Krugman)やその他の主流派の国際貿易を専門とする学者たちは現在、「自分たちはグローバライゼーション(globalization)について間違ってしまった」ということを認めつつある。その内容は、専門家たちが考えていた程度以上にグローバライゼーションがアメリカの労働者たちに損害を与えた、というものだ。アメリカ国内にいる自由市場を信奉する経済学者たちがホワイトハウスに保護主義を唱える煽動政治家(demagogue)を据えることに貢献したことになるのだろうか?

マイケル・ハーシュ(MICHAEL HIRSH)筆

2019年10月22日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2019/10/22/economists-globalization-trade-paul-krugman-china/

ポール・クルーグマンは、これまで自分が馬鹿だと判断した人間や考えを認めて受け入れることなどなかった。ノーベル経済学賞を受賞した経済学者クルーグマンの名声はアメリカ国内にとどまらず海外にまで鳴り響いた。知識人ならば一度は書いてみたいと羨む『ニューヨーク・タイムズ』紙の論説ページにスペースが与えられてきた。彼が名声を獲得した方法は自分とは考えの異なる反対者たちを最も効果的な方法でやっつけるというものだった。1990年代初頭から数多くの著書と論文を発表してきたが、クルーグマンは一貫して、グローバライゼーションの進展のペースが急速であることに疑問を持った人々全てに対して経済をよく理解していない馬鹿者という烙印を押し続けた。他国との競争、特に中国との競争への恐れを募らせた専門家たちを形容するのにクルーグマンは「愚か者(Silly)」という言葉を多用した。他国との競争を恐れるな、とクルーグマンは言い放った。そして、自由貿易は皆さんの国(訳者註:アメリカ)の繁栄にほんの小さな影響しか与えないだろう、と言っていた。

格差についてこれから出版される本の一章を短くまとめた「経済学者たち(私も含まれる)がグローバライゼーションについて間違っていたこと」という題の最新の論稿の中で、クルーグマンは、彼自身と主流派経済学者たちが、グローバライゼーションが「ハイパーグローバライゼーション(hyperglobalization、過剰なグローバライゼーション、超グローバライゼーション)」を引き起こすことになることと、経済や社会の大変動、特にアメリカ国内の製造業に従事する中流階級の大変動を認識できず、「物語の極めて重要な部分を見逃してしまった」と書いている。そして、労働者階級が多く住む地域は中国との競争の影響を深刻に受けてしまっている。クルーグマンは、経済学者たちは中国との競争の影響を過小評価するという「重大な誤り」を犯してしまったと述べている。

1990年代以降に荒廃してしまったアメリカの地域と解雇された数多くの労働者たちのことを考えると、これはまさに「しまった」という瞬間だ。最近すっかり謙虚になったクルーグマンは、彼をもっと悩ませるであろうことについて考察しなければならない。それは、「クルーグマンとその他の主流派経済学者たちはホワイトハウスで歴代政権に自由市場について間違った助言を多く行ってしまったことで、保護主義を唱導するポピュリスト、ドナルド・トランプをホワイトハウスの主に据える手助けをしてしまったのではないか?」という疑問だ。

公平を期すならば、クルーグマンはここ数年、彼自身が以前に唱えていた自由貿易の影響についての主張が誤りであることを認め修正するということを率直に行っている。クルーグマンは、2008年の金融危機とそれに続く大不況の後、彼が専門としている経済学についての批判の急先鋒を務め、その内容は時に辛辣だ。クルーグマンは、過去30年間の大部分の機関において、マクロ経済学は「良く言ってけばけばしいほどに役立たずで、悪く言えば明確に有害(spectacularly useless at best, and positively harmful at worst)」だったと断言した。クルーグマンはオバマ政権が及び腰で財政と経済に関する諸改革をほとんど進めなかったことを厳しく責め立てた。クルーグマンは、トランプ政権で労働長官を務めた、現在の進歩主義派の源流とも言うべきロバート・ライシュのような人々についても非難の言葉を投げつけた。ライシュは国際的な競争に懸念を持ち、アメリカの労働者たちのためにより良い保護政策と再訓練プログラムを実行しようとした。クルーグマンは、勢いよく人々をやっつけていた1990年代に私に向かって、ライシュは「気の利いた言い回しはうまいが、深く考察することをしない、嫌な奴(offensive figure, a brilliant coiner of one-liners but not a serious thinker)」とこき下ろした。

ライシュは私(著者)宛のEメールの中で「彼(訳者註:クルーグマン)が貿易についてやっと正しく理解することになったのは喜ばしいことだ」と書いている。クルーグマンは別のEメールで、「私はライシュに対して述べたことの内容について後悔している。もっとも彼がハイパーグローバライゼーションの到来を予測し、チャイナ・ショックの影響を最小限にとどめようとしたなどとことは聞いたことなど一切なかったけれども」と精一杯の負け惜しみを込めて書いている。

しかし、経済学者たちが経済学自体に過剰なまでに自信を持っていたことを認めるのにあまりにも長い時間がかかってしまった。また、誤りを認めたクルーグマンは2009年、『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』誌の記事の中で、「経済学者たちは一団となって、数学という素晴らしい装いに包まれた美しい理論を真実だと思い込んでいた(economists, as a group, mistook beauty, clad in impressive-looking mathematics, for truth)」と書いている。ジャーナリストのビンヤミン・アッペルボームは彼の最新刊『経済学者たちの時間:誤った予言者、自由市場、社会の断面(The Economists’ Hour: False Prophets, Free Markets, and the Fracture of Society)』の中で書いているように、経済学者たちは1960年代末からそれまでなかった方式でワシントンの政策立案を支配するようになり、アメリカを誤った方向に導いた。経済学者たちは、自由市場が持つ驚嘆すべき機能に関して確実性が科学的に証明されているという誤った考えを主張することで、アメリカ社会を崩壊させ、分裂させた。経済学者たちは、社会福祉を犠牲にして効率性を最優先し、「高賃金の雇用を切り捨て、低コストの電子工学(low-cost electronics)に未来を託する形で、アメリカの製造業の利益をアメリカの消費者の利益に飲み込ませることになった(訳者註:消費者の利益[製品の価格が下がること]が製造業者の利益よりも優先されることになった)」というのだ。

デイヴィッド・オーターは、マサチューセッツ工科大学(MIT)に所属する経済学者で、中国の急速な台頭がアメリカの労働市場に驚くべき影響を与えていることを論文として発表し、クルーグマンは自分の最新の論説の中で、オーターの論文を引用している。オーターは、ニューヨーク・タイムズ紙のコラムニストでもあるクルーグマンが自分の誤りを認めたことを評価している。オーターは私宛のEメールの中で、「なんて珍しいことが起きたんだ?!」と書いている。オーターはクルーグマンや貿易に関する誤った予測をすることにつながった「以前のコンセンサス」を擁護する人々を責めはしないとEメールの中で書いている。彼は次のように書いている。「率直に言って、その当時に現在の状況を予測することは、地震が何日の何時何分にどこそこで起きるということまで正確に予測することと同じことだ(訳者註:不可能だった)と私は考えている」。より大きな問題は自由貿易こそが正しいのだと信奉する時代精神(zeitgeist)だ、とオーターは述べている。彼は次のように書いている。「一般に正しいとされる知見にとらわれたために、経済学者は何が起きているかを示す証拠をきちんと評価することができなかったのだ。・・・そこには何かギルドに入っている会員たちが共通で信奉しなければならない正統とされる教義(guild orthodoxy)があったと言えるだろう。その教義とは、世界中の全ての場所に住む人々全てにとって、国際貿易は善である、と政策決定者たちに助言することが私たち経済学者の仕事なのだという断定であった」。

ハーヴァード大学の経済学者ダニ・ロドリックは1997年に『グローバライゼーションは行き過ぎか(Has Globalization Gone Too Far?)』という著書を発表した。この本は発表された当時異端(then-heretical)とされた。先週、ロドリックはこの本を書いたのは、「グローバライゼーションに関して経済学は全く無関心だ」と確信したからだ、と述べている。現在では彼の考えが主流になっている。ロドリックは国際経済学会の次期会長に決まっている。しかし、経済学者たちは自分たちが作り出して残してしまったゴミを片付けるためにようやく始動し始めた。ロドリックは、元国際通貨基金(IMF)チーフエコノミストのオリビエ・ブランシャールと一緒に、ワシントンに本拠を置くピーターソン国際経済研究所で格差に関する会議を開催した。しかし、ロドリックが述べているように、もう手遅れかも知れない、それはトランプ大統領の下では道理にかなった議論ができないからだ。現在のアメリカ大統領は現代経済学を無用の長物として切り捨てて、アダム・スミスよりも前の時代の重商主義者たちがそうであったように、荒削りの保護主義を復活させ、主張している。大統領は貿易をゼロサムゲームと見なし、貿易黒字は利益、貿易赤字は損失と捉えている。トランプ大統領は経済学の基本を全く分かっていない。アッペルボームは最新刊『経済学者たちの時間の中で、トランプ大統領の無知は「現代アメリカの大統領の中でも比べるべくもないほど酷い」とアッペルボームと書いている。

トランプ大統領はこれまでになかった規模の貿易戦争を始めた。彼は一般国民の中国に対する不信と恐怖を利用している。一般国民に中国に対する不信と恐怖が広がったのは経済学者たちの初期の誤解、特に中国の経済成長がいかに素早く膨大な数のアメリカの製造業の雇用を喪失させたかについて誤解していたせいである。現在ではクルーグマンも認めているように、「製造業における雇用は2000年を境にして崖から落下するかのように急落し、この急落はアメリカの貿易赤字、特に対中貿易赤字の急増に対応している」のだ。雇用や貿易赤字の数字は、トランプ大統領の重商主義の主張に信憑性を与えるようになっている。トランプ大統領の主張はどこまでいってももっともらしいだけで中身はないのだ。

ロドリックは「トランプ大統領登場の効果の中で最も予想外だったのは、貿易、格差、労働者にとっての適切な保護についての根拠に基づいた議論がアメリカ国内で完全にできなくなってしまったことだ」と述べている。これもまた1990年代に経済学者たちが行った自由貿易に関する間違った助言によるマイナスの影響のためだ。

また、MITのオーターは次のように述べている。「自由貿易を熱狂的に推し進める政策によって、政策立案者たちは貿易が与えるショックによる悲惨な結果が起きることに目を向けることができず、またこれらのショックに対する準備を全くできないようになってしまった(例えば、この当時のアメリカには貧弱なセーフティネットと職業再訓練政策しかなかった)」。その結果、アメリカは何の懸念も持たず、準備もないままに、政策が生み出した無視できない規模の災害(別名:チャイナ・ショック)に見舞われた。そして、一般国民の自由貿易に対する怒りがかき立てられ、アメリカ国内の政策議論において自由貿易の害悪ばかりが強調されることにつながった。読者の皆さんもこの皮肉がお分かりになるだろう。貿易を熱狂的に推進することで、自由貿易の正当な根拠を完全に壊してしまったのである。

クルーグマンに対して、彼と他の経済学者たちが犯した誤りがトランプ大統領の台頭を助けることになったのではないかと質問してみた。これに対してクルーグマンは次のように答えた。「私たちはその問題について議論をしている最中だ。しかし、トランプ大統領の貿易政策に関する限り、彼を支持しているブルーカラーの労働者たちさえも含めて、多くの人々が支持していないと私は考える。従って、トランプ大統領の台頭という現象について、貿易を専門とする学者たちに責任を問うことは酷だ」。

このクルーグマンの発言に同意しない人もいるだろう。問題の一部は、ポスト冷戦時代のコンセンサスが出現しつつあった1990年代、学者たちが貿易に関して、単純な二者択一の考え方、自由貿易を信奉するのかそれとも保護主義貿易を信奉するのか、どちらかを選ぶように強いるという考え方をする傾向があったことだ。クルーグマンもこうした経済学者の一人だった。クルーグマンは概して自由貿易を支持する立場だった。クルーグマンの著書や論説(これらは賢明な戦略的貿易政策の知的基盤となった)とノーベル経済学賞の受賞理由となった論文と比べると、微妙に矛盾する内容が含まれていることを考えると結果として皮肉な話ということになる。

政策論争に参加した人たちの中には、ロドリック、ライシュ、ビル・クリントン政権で大統領経済諮問委員会委員長を務めたローラ・ダンドリア・タイソンのように、急速なグローバライゼーションに対してより深刻に懸念を持っている人たちもいた。こうした人々は、自由貿易を推進する考え方に疑義を呈したり、タイソンの場合にはアメリカの競争力を高めるために政府主導の産業政策(government-led industrial policy)を強力に推し進めたりした。この当時は冷戦終結直後であり、新たに自由化された国々の多くが盛んに国際経済に参入するようになっていた。クルーグマンは急速なグローバライゼーションに懸念を持つ考え方も激しく嫌った。

オーターは次のように述べている。「ダニは先を行き過ぎていたのだ」「彼は突然に起きるショックそれ自体を懸念していたのではなく、グローバライゼーションに付き物の、開放経済(open economies、訳者註:外国との金融や貿易の取引を行っている経済)に基づいた政策オプションについて懸念を持っていた(社会保険への資金供給や増大しつつあった国家間を移動する資本への課税などといったオプションについてどうなるのかと懸念していた)。これは問題の核心だったし、今でもそうだ。・・・一方、ローラ・タイソンは積極的な産業政策は主張していたが、その時期、産業政策が政策の分野におけるヴォルデモート(訳者註:ファンタジー小説『ハリー・ポッター』に出てくる敵役)のような存在であった」。オーターをはじめとするクルーグマンのこれまでの業績を詳細に調べた人たちは、クルーグマンが正しい産業政策は産業部門に競争力を持たせるのに役立つことは当然のことながらきちんと理解していた、と評価している。しかし、オーターは次のようにも述べている。「経済学者たちは産業政策によって競争力を高めることを声高に主張すると、落ち着きのない子供に実弾が入った武器を渡すのと同じで、政策立案者たちに危険な武器を渡すことになると恐れていたのだろうと私は考える」。

クルーグマンは、国際貿易がいかに低賃金の労働者に影響を与え、格差を拡大させたのかについて「極めて小さい」程度の読み違いをしただけだと責任を認めている。これは間違ってはいない。しかし、冷戦終結後、貿易をめぐる議論(クルーグマンが貿易に関する研究でノーベル賞を受賞)は、自由市場対政府の介入をめぐる、より大きな規模の知的な分野での争いの代理戦争となった。クルーグマンは、発展途上諸国の低賃金労働との競争からアメリカの雇用と賃金は深刻な影響を受けると主張した「戦略的貿易論者」を経済学的に無知だとして攻撃した。『ワシントン・ポスト』紙の記者を務めた経験を持つジャーナリストのウィリアム・グレイダーは詳細な調査をまとめた著書『一つの世界に向けて準備が出来ているのかどうか:国際資本主義の騒々しい論理(One World, Ready or Not: The Manic Logic of Global Capitalism)』の中で、発展途上諸国が先進諸国に向けて輸出攻勢をかけるようになっており、「アメリカ国内で誇らしい勝者となる産業部門と無残な敗者となる産業部門が出てくる」と警告を発した。クルーグマンはぐレイダーの本を「最初から最後まで愚かな内容の本」と切って捨てた。高名な評論家であるマイケル・リンドも、アメリカの生産性向上の進み具合では「世界規模の低賃金労働経済(global sweatshop economy)」に太刀打ちできない、と(正確に)主張していた。これに対して、クルーグマンは、リンドは経済的な「諸事実」について全くの無知だと切り捨て、「誰かからの案内や指南がなければ一つの分野できちんとした仕事が出来ないような人物を信頼することはできない」と述べた。クルーグマンは自由貿易に関するコンセンサスに疑いの目を向ける同じ学問分野を研究する仲間であるはずの経済学者たちに対しても同様に辛辣だった。ローラ・タイソンが1993年にクリントン政権の大統領経済諮問委員会委員長に選ばれた時、クルーグマンはタイソンには「必要不可欠な分析スキル」が欠けていると発言した。

クルーグマンは、こうした疑いや疑問を持つことは全て誤った経済学なのだ、と述べている。他の国々の動向について心配し過ぎてはいけない。全ての国が開かれた貿易から利益を得るという比較優位(comparative advantage)など新古典派の概念のおかげで安定がもたらされる。実際のところ、市場への政府の介入と「自由貿易」よりも「公平な貿易」(より広範で高い関税、失業保険、労働者保護)に類した主張を行った人々は保護主義貿易論者のレッテルを貼られ、議論から締め出された。クリントン大統領は「グローバリゼーション」大統領という評判をとっていたが、それでも競争力を失った産業に従事していた人々の運命についての会議を開くなどしていた。クリントン大統領がローズ奨学生としてオックスフォード大学に留学していた時代からの古い友人であったライシュ労働長官は、クリントン大統領が赤字削減を熱心に進めていた時期に、教育、訓練、社会資本への再投資を公の場で主張した。そのためにライシュはクリントン大統領との会話から締め出され、遂には政権から去ることになった。

国家経済会議委員長を務めたジーン・スパーリングをはじめクリントン政権時代の高官たちは議論がそこまで激しいものではなかったと証言している。スパーリングは私に対して、「クリントン大統領は中流階級に気を配っていた」と述べた。また、スパーリングは次のようにも語っている。民主党がクリントン政権後も引き続き権力を握っていたら(訳者註:2000年の大統領選挙でアル・ゴアが勝利していたら)、中国が貿易の規範を守るようにより努力をしたであろう。例えば、「対波状攻撃(anit-surge)」の保護策を中国に強いたであろう。これは、1999年にクリントン政権が中国の世界貿易機関(World Trade Organization)参加をめぐる交渉を行った際に、参加のための必要条件としたものだった。具体的には、低価格の製品のダンピング輸出でアメリカの雇用を減少させることに反対するための施策のことだ。「人々は、(2000年の大統領選挙での)ある・ゴアとジョージ・W・ブッシュとの間の唯一の違いはイラク戦争についてであったと今でも考えている。しかし、もう一つの大きな違いがあった。それは、製造業を守ることに関してブッシュがやったよりもはるかに大きなそして多くのことをアル・ゴアがやったであろうということだ」と述べた。(ワシントン・ポスト紙で経済専門記者を務めたポール・ブルースタインは新著『分裂:中国、アメリカ、国際貿易システムの分解(Schism: China, America, and the Fracturing of the Global Trading System)』の中で、ブッシュ政権は中国をあまりにもやりたい放題にやらせ過ぎたと結論付けている。中国は輸出を加速させるために人為的に通貨価値の切り下げを行った。こうしたことを受けて、トランプ大統領はアメリカ経済が中国に「レイプ」)されたとまで主張している。)

クルーグマンにこき下ろされた人々は今でも彼の誤った判断を批判し、彼が懺悔をしても腹立ちを抑えられないままでいる。『アメリカン・プロスペクト』誌の共同編集長で、進歩主義派の思想家としてよく引用されるロバート・カットナーは次のように述べている。「誤りを認めて懺悔をすることは悪いことではないが、彼が書いていることを最後まで読むと、クルーグマンは今でも自由貿易か、さもなくば保護主義貿易かという過度に単純化した二分法を主張していることが分かる」「若き日のクルーグマンは(訳者註:アメリカの)競争力の優位は創出できることを証明したことで経済学界での名声が上がったのに、まるで経済学史を専攻している、数学を使わない学者たちが彼に言いそうなことを、クルーグマンが述べるようになっているのは何とも奇妙なことだ」。

こうした批判に対して、クルーグマンは中流階級に対しては、より良い医療と教育という保護が与えられるべきだと確信していると自己弁護している(彼が以前にニューヨーク・タイムズ紙のインターネット版に持っていたブログのタイトルは「1人のリベラル派の良心(The Conscience of a Liberal)」だった)。そして、彼は、自分が貿易に関する知見で誤りを認めたからと言って、それがワシントン・コンセンサス(Washington Consensus)と呼ばれる考え方を支持していることとはつながらない、と述べている。ワシントン・コンセンサスとは、ネオリベラルな(つまり、自由貿易を支持する)考え方で、財政規律、急速な民営化、規制緩和を支持するものだ。先週、クルーグマンは私に対して次のように述べた。「私たちは間違ったと認めることは、私たちを批判してきた人たち全てが正しかったということにはならないという点が重要だと私は考える。私たちを批判してきた人たちが何を言ってきたのかが重要だ。私が知る限り、貿易の分野で中国がここまで巨大に成長することを予測した人はほとんどいなかったし、一部の地域に集中した影響について注目した人もまたほとんどいなかった」。

だがしかし、グローバリゼーションを支持するコンセンサスに関してはより深刻な概念上の諸問題も存在した。こちらもノーベル経済学賞を受賞した経済学者のジョセフ・スティグリッツは、前述のロドリックと同様、1990年代には貿易と資本移動に関する障壁をあまりにも早く撤廃することについて警告を発していた。スティグリッツは私に対して、「“標準的な新古典派経済学の分析”が抱える問題は、調整について注目をしないことだ。労働市場での調整は驚異的なまでにコストがかからないものだ、と新古典派経済学では考える」と述べた。タイソンとライシュ同様、スティグリッツもクリントン政権下で大統領経済諮問委員会委員長を務めた。この当時、スティグリッツは主流派からすればはずれ者(outliner)であり、 国際規模での資本の流れのペースを緩やかなものにしようと試みた(が失敗した)。スティグリッツはまた「通常、雇用の喪失のペースは新たな雇用の創出のペースよりもかなり速いものだ」と主張した。

最近の論説の中で、クルーグマンは、自由貿易の基調となった1990年代のコンセンサスを支持した彼のような経済学者たちは、貿易が労働市場に与える影響は最小限度のものとなると考えていたが、「特定の産業部門と地方の労働者たちに注目する分析的な方法に目を向けなかった。この方法を経済学者たちが採用していれば短期的な動向をより良く理解できたことだろう。この方法に目を向けなかったことについて私は大きな間違いであったと確信している。そしてこの間違いを犯すことに私も協力したのだ」と書いている。

開かれた貿易と比較優位についての古くから正しいとされてきた主張に説得力がなくなり、世界規模での供給チェインのような新しい現象に取って代わられたことに興味関心を持つ人々はたくさん存在した。世界規模での供給チェインによって、海外に雇用が移り、各地域から雇用が消えてしまった。クルーグマンは彼自身で2008年に発表した学術論文の中で、こうした超複雑な供給チェインがあるために、「世界貿易の性質は変化しているが、そのペースは明確な量的分析に関与するための経済学者の能力向上のペースを上回るものだ」と結論付けた。

スティグリッツは『フォーリン・ポリシー』誌に記事を掲載し、その中で次のように書いている。「はっきりしているのは、(グローバライゼーション)のコストは特定の地域、特定の場所にのしかかるものだということだ。製造業が位置していたのは賃金が低い場所であった。こうした場所では、調整コストは大きなものとなる」。また、グローバライゼーションの有害な影響は一時的な潮流ではないのではないかということが明らかにされつつある。アメリカ政府は発展途上諸国との貿易を急速に自由化し、それに伴って投資協定を結んだ。これによって「(労働組合の弱体化と労働関連の法規や規制の変化もあり)アメリカの労働者たちの交渉力に劇的な変化が起きた」。

伝統的な経済学におけるもう一つの側面について考え直さねばならないとこまできている。かつて経済学者たちは、失業率が低ければインフレーションが起きると信じていた。しかし、『エコノミスト』誌が最近の号の巻頭記事で書いているように、今日では、失業率とインフレーションとの関係を示す標準的なフィリップス曲線(standard Phillips curve)では説明がつかないようになっている。繰り返しになるが、最大の敗者はアメリカの労働者だ。経済学者たちはかつて、好況時には労働者たちは自分たちの賃金を引き上げることができる(だからインフレーションになる)と確信していた。一方で、現在出来上がりつつある経済学上の知見では、これとはいささか異なることを示唆している。その内容は、多国籍企業が世界全体を自分たちの領域に引き入れてから四半世紀が経過し(一方で労働者たちは大抵の場合、自分たちの生まれ育った国にとどまらねばならなかった)、世界を動き回るようになった資本は、世界各国を股にかける供給チェインという形で姿を現したのだが、国内にとどまった労働者たちよりも優位に立つようになった。

従って、経済学者たち自身が、主流派経済学がいかに急速に左傾化しているかということに驚愕している。先週開催された格差に関する会議で経済学者の多くが経済学の左傾化の現状を目撃した。会議の参加者の中には、「2020年の米大統領選挙をめぐる政治に関しては、経済学者の多くが中道派のジョー・バイデンよりもエリザベス・ウォーレンとバーニー・サンダースといった進歩主義者たちを支持している」と語る人たちもいた。進歩主義派は労働者側に交渉力を取り戻させるための急進的な解決策を提示している。(例えば、ウォーレンは企業の役員会において労働者が参加できる割合を高くするという提案を行っている。)元IMFチーフエコノミストのブランシャールは「私はフランスで社会主義者となりそのままアメリカにやってきた。現在、私は自分自身何も変わっていないのに中道派になっていることに気づいた」とジョークを飛ばした。

こうした経済学の左傾化は、1990年代まで遡る経済学者たちの読み間違いが与えるマイナスの影響の結果と言えるだろう。ローラ・タイソンは「人々は物事がどれほど早く変化することができるかを見落とした」と語った。

(貼り付け終わり)

(終わり)

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 古村治彦です。

 1990年代から流行したグローバライゼーションは人々を不幸にした。ジョセフ・スティグリッツという経済学者は『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』(2002年)を書いて警鐘を鳴らした。しかし、主流派経済学が唱えるグローバライゼーションが日本を含む世界中を席巻した。日本の失われた30年、デフレが進行した時代と重なる。

 グローバライゼーションによって国際的分業が進めば人々の幸福は増進する、という主張は正しくなかった。先進国では製造業が発展途上国、新興工業国との競争に敗れた。その結果として、労働者たちは失業し、賃金は下がり、消費は伸びず、日本ではデフレ・スパイラルに陥り、そこからいまだに脱却できていない。競争に敗れた人間は「努力の足りない敗残者」であり、「非正規雇用になったり、失業したりするのは自己責任」だとして片づけられた。

 しかし、これは正しいことではなかった。主流派経済学者たちは自由市場を信奉し、市場に任せていればすべてがうまくいくという、ナイーブ(馬鹿げた)な「信仰」に基づいて、世界を壊した。そして、主流派経済学者たちの中からそうしたことを反省する人間たちが出てきている。その代表格がポール・クルーグマンだ。私たちはクルーグマンの反省の弁に耳を傾けてみる必要がある。


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経済学という人類を不幸にした学問: 人類を不幸にする巨大なインチキ

(貼り付けはじめ)

「経済学者たち(私も含まれる)がグローバライゼーションについて間違ってしまったこと(What Economists (Including Me) Got Wrong About Globalization)」

―1990年代に発展途上諸国からの輸出が与える影響を測定するために経済学者たちがよく使用していた複数のモデルはどれも雇用と格差に与える影響を過小評価するものだった。

ポール・クルーグマン(Paul Krugman)筆

2019年10月10日

『ブルームバーグ』誌

https://www.bloomberg.com/opinion/articles/2019-10-10/inequality-globalization-and-the-missteps-of-1990s-economics

※ポール・クルーグマンはニューヨーク市立大学大学院センターで教鞭を執り、『ニューヨーク・タイムズ』紙のコラムニストを務めている。2008年、国際貿易と経済地理学に関する研究でノーベル経済学賞を受賞した。

この論説は『グローバライゼーションに対する様々な挑戦に直面して(Meeting Globalization’s Challenges)』(プリンストン大学出版局)の一つの章を短くまとめたものである。『グローバライゼーションに対する様々な挑戦に直面して』は2017年10月11日に国際通貨基金(International Monetary Fund)が開催した学会で発表した様々な学者たちの論文を集めたものだ。この本は2019年11月4日に発刊される。

グローバライゼーションによる望ましくない効果についての懸念は最近になって出てきたものではない。1980年代、アメリカ国内の収入格差(income inequality)が大きくなり始めた時期、多くの専門家やコメンテイターたちは収入格差の拡大という新しい現象をもう一つの新しい現象につなげて論じた。そのもう一つの新現象とは、新興工業諸国(newly industrializing countries)からの工業製品輸出の増大だった。

経済学者たちは収入格差の拡大に深刻な懸念を持った。国際貿易の標準的なモデルでは、国際貿易は収入の配分に大きな効果を持つ、とされる。1941年に発表された有名な論文では、労働力豊富な国家との貿易によって国全体の収入総額は上がっても労働者一人当たりの収入額は減るプロセスが示された。

その後、1990年代に入り、私自身を含む多くの経済学者たちは国際貿易の状況が変化することが格差拡大にどれほど影響を与えるかについて理解しようと試みた。経済学者たちは、影響は比較的穏やかなもので、収入格差を広げることになる、中心的な要素ではないと徐々に結論付けるようになった。その結果として、国際貿易が与えるマイナスの影響の可能性についての学者たちの関心は消え去ることはなかったが、小さくなっていった。

しかしながらここ数年、グローバライゼーションについての懸念と不安は様々な問題のトップに浮上している。グローバライゼーションについての新たな研究結果が出るようになり、ブレグジスト(Brexit、訳者註:イギリスのEU離脱)とドナルド・トランプ米国大統領が与えた政治的衝撃のために、グローバライゼーションに対する不安が大きくなっている。1990年代のコンセンサスである、「国際貿易の増加は格差を増大させるのは真実だがその影響は穏やかなものだ」という考えの形成に貢献した人間の一人として、この時期に私たちが何を見落としたのか、見落としてきたのかを問うことは適切なことだと私は考える。

●1990年代のコンセンサス(The 1990s Consensus

1990年代中盤、貿易が人々の収入に対してどのように影響を与えるかを評価するためにデータをどのようにして利用するかで混乱が起き、議論も起きた。ほとんどの研究は貿易量と労働力の量、その他の輸出入に伴う様々な資源についてというものが中心的なテーマであった。経済学者の中にはこのようなアプローチに反対する人たちも出た。こうした人々は量(quantity)よりも価格(price)を中心的に研究することを選んだ。

徐々に姿を見せ始めたのは「~がなかったら(but for)」アプローチだった。これは、発展途上諸国からの工業製品輸出が増大するという現象がなかったとしたら、そうした場合の賃金は実際の賃金に比べてどれほど異なるものとなるかという問題設定を行うものだ。発展途上諸国からの輸出増加は1970年には小さいものであったが、1990年代半ばまでに急増した。発展途上諸国からの工業製品輸入は過去に比べればかなり大きくなっているが、先進諸国の経済規模に比較すれば小さいものであった。だいたいGDPの2%だった。この程度では相対賃金に中程度の変化を与えるにも十分ではない。その影響は瑣末ではないが、経済において中心的な役割を果たすまでに大きなものとは言えなかった。

●ハイパーグローバライゼーション[過剰なグローバライゼーション・超グローバライゼーション]Hyperglobalization

国際貿易が与える影響力に関するこうした評価は1995年前後になされたものだ。これらの評価の基となるデータは必然的にそれよりも前の数年間のものとなる。国際貿易の与える影響力は穏やかなものとなるという研究結果が出るのは間違ったことではなかった。しかし、振り返ってみれば、1990年代初めの国際貿易の流れは、より大きな現象、もしくは経済学者アルビンド・スブラマニアンとマーティン・ケスラーが2013年に発表した論文で「ハイパーグローバライゼーション(hyperglobalization)」と呼んだ現象の始まりでしかなかった。

1980年代までは、「第二次世界大戦後の国際貿易の増加は戦争前に設定された貿易障壁の廃止が主な理由であった」と論じることも可能であった。戦後の国際貿易が世界のGDPに占める割合は1913年の時点よりも少し高いくらいのものだった。しかし、80年代以降の20年間で、国際貿易の量と性質は未知の領域に踏み込むことになった。

下のグラフはこの変化の1つの指標を示している。発展途上諸国からの工業製品輸出が世界のGDPの占める割合を測定したものだ。これを見ると1990年代初めに貿易力における大変動が発生し、それが始まりに過ぎないものだったということが分かる。

■何かが起きていたのだ

世界GDPにおける発展途上諸国による工業製品の輸出に割合(%)

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ソース:世界銀行

1990年代に国際貿易が急増した理由は貿易における新たな形式のためであったのだろうか?この疑問に対する答えは技術と政策の混合ということになるだろう。飛行機によるコンテナ輸送(freight containerization)は最新の技術という訳ではなかったが、この技術によって輸送コストが減少することで製造業における労働集約が必要な部門を海外に移転させることが可能なのだということをビジネス界が認識するまでにしばらく時間がかかった。その時期、中国は中央計画(central planning)から輸出に特化した市場経済(market economy focused on exports)へと大きな変化を遂げた。

発展途上諸国からの工業製品輸出の世界GDPに占める割合を測定すると、現在の数値は1990年代半ばに比べて3倍になっている。それでは発展途上諸国の輸出が収入配分に与える影響力もそのまま3倍になっていると結論付けることになるだろうか?少なくとも2つの理由からそうではないということになる。

第一の理由は、発展途上諸国からの輸出の増大の多くの部分は、近代化しつつあるアジア、アフリカ、ラテンアメリカの各国間の貿易量の増大を反映しているというものだ。これは重要な事実であるが、先進諸国に住む労働者たちに与える影響にとっては大きいものではない。更に重要な第二の理由は次の通りだ。この貿易拡大が含む本質は、「非熟練と熟練の2つのタイプの労働者による製品が同時に存在し、南北貿易に関与している労働者の労働価値(訳者註:賃金のこと)の増大が貿易量の増大に比べて早くない(訳者註:労働者の給料が上がらない)」ということである。

バングラデシュからの衣服の輸入と中国からのiPhoneの輸入、という2つのケースを考えてみよう。バングラデシュからの衣服の輸入は、言い換えるならば教育水準の低い労働者たちのサーヴィスを輸入し、アメリカ国内の教育水準の低い労働者に対する需要を引き下げる圧力がかかるということである(訳者註:アメリカ国内の低賃金の労働者の仕事がなくなる)。中国からのiPhoneの輸入の場合は、iPhoneの価値(訳者註:値段)の大部分は、日本のような高収入で、より教育水準の高い国々で行われた労働を反映しているものだ(訳者註:だから値段が高い)。中国からのiPhoneの輸入は言い換えるならば熟練と非熟練の2つのタイプの労働を輸入するということであり、収入配分に与える影響はより小さくなるということである。

これら2つの理由があったが、1995年から2010年にかけての発展途上諸国からの輸出増加は、1990年代のコンセンサスが可能だと想像したよりも、より大きいものとなった。この輸出増加はグローバライゼーションについての懸念をぶり返させることになった理由であろう。

●貿易不均衡(Trade Imbalances

学者たちがグローバライゼーションの与える影響を測定する方法と、トランプ大統領のアプローチをはじめとする一般の人々がグローバライゼーションを見る方法は対照的なものだ。大きな違いが見られるのは貿易不均衡についてだ。一般の人々は貿易黒字もしくは赤字が国際貿易における勝者と敗者を決定する要因だと見る傾向がある。しかし、1990年代のコンセンサスの基盤となっている国際貿易に関する経済学のモデルでは、貿易不均衡は何の役割をも果たさないということになる。

各経済学者が採用する単一のアプローチは長期的に見れば正しいと言える。それは、各国は自分の力で何とかしなければならないし、貿易不均衡は主に雇用における貿易関連部門と非貿易関連部門の配分率に影響を与えるが、労働に対する総需要に明確な影響を与えないからだ。しかし、貿易不均衡における急速な変化は調整という面で深刻な問題を引き起こす。より広範囲にわたるテーマにはこのコラムではすぐに戻ることにする。

ここでは、アメリカの石油以外の貿易収支(その大部分は工業製品が占める)とアメリカ国内の製造業における雇用についての比較について特に考えてみよう。

■2000年の輸入ショック

2000年代に工場関連の雇用の多くが失われた。この理由として貿易赤字の悪化が挙げられる

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ソース:アメリカ経済分析局;アメリカ労働統計局

1990年代末までに、製造業における雇用は雇用全体に占める割合は下落し続けていたが、絶対数で見れば安定していた。しかし、製造業における雇用は2000年を境に崖(cliff)を落ちるかのように急落した。この急落は石油以外の貿易赤字の急増に対応するものだった。

貿易赤字の急増は雇用の落ち込みを説明するものだろうか?その通りだ。理由の大部分を占める。

次の推定評価はきちんとした根拠があるものだ。1997年から2005年にかけて貿易赤字の増大によってGDPに占める製造業の割合は1.5パーセンテイジポイント低下した。言い換えるならば、製造業の産出量自体では同時期に10%以上も下落した、ということになる。製造業の雇用がおよそ20パーセント低下したということの原因の半分以上をこれで説明できる。

この推定評価は、比較的短い期間における製造業の雇用が雇用全体に占める割合ではなく、製造業の雇用の絶対数に焦点を当てている。製造業経済からサーヴィス経済への長期的な変動について、貿易赤字を使ってもほんの一部しか説明はできない。しかし、輸入の急増はアメリカの労働者の一部に衝撃を与えた。この衝撃はグローバライゼーションに対する反撃を引き起こす理由となった可能性が高い。

●急速なグローバライゼーションと崩壊(Rapid Globalization and Disruption

1990年代のグローバライゼーションを肯定するコンセンサスは、国際貿易は格差拡大にほぼ影響を与えないというものだった。このコンセンサスが基盤とした諸モデルは貿易量の増大が、大学に進学しなかった労働者など広範な層の労働者たちの収入にどれくらい影響を与えるかを問うものだった。長期的にみてこれらのモデルが正確であると考えることは可能であり、おそらく正しい。1990年代のコンセンサスを受け入れていた経済学者たちは、特定の産業部門と地方の労働者たちに注目する分析的な方法に目を向けなかった。この方法を経済学者たちが採用していれば短期的な動向をより良く理解できたことだろう。この方法に目を向けなかったことについて私は大きな間違いであったと確信している。そしてこの間違いを犯すことに私も協力したのだ。

グローバライゼーションをめぐる政治は、国際貿易がブルーカラーとホワイトカラーの報酬格差、もしくはジニ係数として知られる格差を測定するための広範な統計的方法にどのように影響するかという大きな疑問よりも、貿易の流れの大変動によって利益を得た、もしくは損失を被ったそれぞれ個別の産業部門の経験によって、より影響を受けているということが明確に示されるべきであったのだ。

2013年に発表され、今ではすっかり有名になっているデイヴィッド・オーター、デイヴィッド・ドーン、ゴードン・ハンソンの論文『チャイナ・ショック(China Shock)』の中でなされた分析が人々の耳目を集める余地がここにあった。この本の著者たちが主に行ったのは、国際規模の収入配分に関する広範で様々な疑問を投げかけることから急速な輸入の増大がアメリカ国内の各地方の労働市場に与える影響についての疑問を提示することであった。そして、著者たちはその影響は巨大で永続的なものだと結論付けた。この結論付けは新たなそして重要な示唆を与えるものとなった。

こうした様々な問題について、25年前には考察することもできなかった私たちのような経済学者たちのために弁解するならば、1990年代に始まったハイパーグローバライゼーションについて知る方法がなかった、もしくはそれから10年後に貿易赤字の急増が起きることなど分からなかった、ということになる。ハイパーグローバライゼーションと貿易赤字の急増ということが一緒になって起きなければ、チャイナ・ショックの規模はより小さいものとなったことであろう。私たちは物語の極めて重要な部分を見逃してしまったのだ。

●保護主義を擁護する十分な論拠となるか?(A Case for Protectionism?

1990年代のコンセンサスが見逃したものは何か?それはたくさんある。発展途上諸国からの工業製品輸出はコンセンサスが形成された時点でのレヴェルをはるかに超えるものにまで成長した。輸出の拡大と貿易不均衡の拡大が同時に起こったのだが、これはグローバライゼーションが1990年代のコンセンサスが想像したよりもより大きな崩壊とコストを(訳者註:アメリカ国内の)労働者の一部に与えた、ということを意味した。

それではグローバライゼーションが与えた崩壊とコストは、トランプ大統領の主張は正しく、貿易戦争はグローバライゼーションによって傷つけられた労働者たちの利益となるであろうということになるだろうか?

答えは「ノー」だ。保護主義という答えは自由貿易に対する厳格な関与よりも、グローバライゼーションが与えた損失を基にしている。急速に拡大し続けるグローバライゼーションに伴う問題点とは、歴史上最も急速な変化による崩壊が起きている中で労働に対する需要が変化していることではない。急速な変化は私たちに迫っている。多くの指標が示しているのは、ハイパーグローバライゼーションは一時的な現象だったのであり、国際貿易は世界のGDPにおいて比較的安定してきているということだ。上にある1つ目のグラフを見れば横ばいになっていることが分かる。

結果として、現在の貿易体制からの離脱ではなく、グローバライゼーションを逆行させようという試みによって現在の大崩壊は起きている。現時点では、どこに生産設備を建設するか、どこに移動して仕事に就くかなどについて膨大な数の決断は、開かれた世界貿易システムがこれからも存続していく、という前提の上に行われている。関税を引き上げることや世界貿易量を収縮させることでこの前提が間違っていると示すことは、これまでとは違う形で新たな勝者と敗者を生み出す新しい崩壊の波を発生させることになる。

グローバライゼーションがもたらす影響についての1990年代のコンセンサスが称賛されなくなってはいるが、グローバライゼーションに欠点があるからと言って、現在の保護主義が正当化されることはない。私たちは1990年代の時点で将来何が起きるのかを分かっていたならば、実際にやってきたこととは違ったことをやったであろう。しかし、時計の針を戻すことを正当化するだけの理由は存在しない。

(貼り付け終わり)

(終わり))

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 古村治彦です。

 今回は経済学批判の記事を紹介する。『ニューヨーク・タイムズ』紙の編集委員で経済記者として活躍しているビンヤミン・アップルバウムが昨年、著書『経済学者たちの時間:間違った予言者たち、自由市場、社会の分断(The Economists' Hour: False Prophets, Free Markets, and the Fracture of Society)』を出した。この紹介記事の中で、経済学と経済学者たちへの批判を行っている。

 経済学者たちが政策立案や実行に関わるようになり、最高幹部クラスの地位に就くようになったのは20世紀中盤以降のことだった。そして、「自由市場至上主義(市場によって均衡がもたらされて何事もうまくいく)」という宗教的な信念に近い原理を政策に応用するようになった。アップルバウムはその結果が格差の拡大だと述べている。そして、「経済学の発展は格差拡大の主要な理由である(The rise of economics is a primary reason for the rise of inequality.)」とさえ述べている。

 日本の「失われた30年」を振り返って考えてみても、このアメリカの20世紀中盤からの動きにそっくりだ。政府の役割の縮小と市場原理の導入によって、「日本特有の特徴のある資本主義(Capitalism with Japanese characteristics)」は破壊された。その結果が今日の惨状を生み出している。

 経済学の自由市場原理(free market principles)は宗教のドグマ(教義、dogma)とそっくりだ。また、原理から生み出された政策は非現実的である。たとえば、異次元の金融緩和について考えてみる。「経済が好調(好況、好景気)だと通貨供給量が増える」という事実がある。それをひっくり返して「通貨供給量を増やせば経済が好調になる」と「経済学者の頭」で考えた。そして、現在の日本ではそれを行っている。しかし、好景気になどなっていない。このような演繹的な(deductive)政策に対する、帰納的な(inductive)反撃として起きているのがMMT理論だと私は考える。

 経済学は社会科学の中で最も「科学的」であると言われてきた。しかし、実際には宗教的なドグマに凝り固まって、悲惨な結果をもたらすということを私たちは認識すべき時である。

(貼り付けはじめ)

私たちが取り込まれているゴミを生み出したのは経済学者たちで彼らに責任がある(Blame Economists for the Mess We’re In

―なぜアメリカは私たちには「より多くの富豪とより多くの破産」が必要なのだと考えた人々の話に耳を傾けてしまったのか?

ビンヤミン・アップルバウム(Binyamin Appelbaum)筆

アップルバウム氏は『ニューヨーク・タイムズ』紙編集委員であり、最新刊『経済学者たちの時間:間違った予言者たち、自由市場、社会の分断(The Economists' Hour: False Prophets, Free Markets, and the Fracture of Society)』の著者である。

2019年8月24日

『ニューヨーク・タイムズ』紙

https://www.nytimes.com/2019/08/24/opinion/sunday/economics-milton-friedman.html

1950年代前半、ポール・ヴォルカー(Paul Volcker、1927―2019年、92歳で死亡)という名前の若い経済学者はニューヨーク連邦準備銀行の建物の奥にある事務室で計算手として勤務していた。ヴォルカーは決定を下す人々のために数字を高速処理していた。ヴォルカーは妻に対して自分が昇進する機会はほぼないと思うと話していた。中央銀行の最高幹部には銀行家、法律家、アイオワ州の豚農家出身者はいたが、経済学者は一人もいなかった。連邦準備制度理事会議長はウィリアム・マクチェスニー(William McChesney、1906-1998年、91歳で死亡)という名前の株式仲買人出身者だった。マクチェスニーはある時訪問者に対して、自分はワシントンにある連邦準備制度の本部の地下に少数の経済学者を閉じ込めているのだと語った。経済学者たちが本部の建物の中にいるのは、彼らが素晴らしい質問をするからだと語った。そして経済学者たちを地下に閉じ込めておく理由は、「彼らは自分たちの限界を分からない」からだと述べた。

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若き日のポール・ヴォルカー

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ウィリアム・マクチェスニー

 マクチェスニーの経済学者嫌いは20世紀中盤のアメリカのエリート層において共有されていた。フランクリン・デラノ・ルーズヴェルト(Franklin Delano Roosevelt、1882-1945年、63歳で死亡)大統領は、その世代の最重要の経済学者ジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes、1883-1946年、62歳で死亡)を、非現実的な「数学専門家」に過ぎないと非難した。アイゼンハワー(Dwight David Eisenhower、1890-1969年、78歳で死亡)大統領は大統領退任演説の中で、テクノクラートを権力から遠ざけるようにすべきだとアメリカ国民に訴えた。連邦議会が経済学者に諮問することなどほとんどなかった。政府の規制機関は法律家たちが率いていた。裁判所では裁判官たちが経済的な証拠は重要ではないとして退けていた。

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ジョン・メイナード・ケインズ

しかし革命が起きた。第二次世界大戦終結から四半世紀が過ぎ成長が止まる時期になると、経済学者たちは権力の諸機関に入るようになった。経済学者たちは政治家たちに経済を運営するにあたり政府の役割を小さくすることで成長を再び促進させることができるという助言と指導を与えた。経済学者たちはまた不平等(格差)を抑えようとする社会は、低成長という代償を払わねばならないという警告を発した。新しい経済学に属するイギリスのある学者は、世界には「より多くの富裕層とより多くの破産」が必要だ、という発言を残した。

1969年から2008年まで40年間で、経済学者たちは富裕層の課税の引き下げと公共投資の削減に主導的な役割を果たした。経済学者たちは輸送や通信といった社会の主要な諸部門の規制緩和を監督した。経済学者たちは大企業を称賛し、企業の力の集中を擁護した。そして、彼らは労働組合を悪しざまに罵り、最低賃金法のような労働者保護策を反対した。経済学者たちは、規制に価値があるかどうかを評価するために、人間の生命をドルの価値に換算することを政治家たちに訴えた。人間の生命は2019年の段階で1000万ドルである。

経済学者たちの革命は、それまでの多くの様々な革命と同様、行き過ぎた。成長が鈍化し、格差が拡大する中で悲惨な結果をもたらした。経済政策の失敗の最も深刻な結果は、アメリカの平均寿命の減少であろう。富の偏在は健康の格差を生み出した。1980年から2010年の期間、アメリカの豊かな上位20%の平均寿命は伸びた。同じ30年間、アメリカの貧しい怪20%の平均寿命は短くなった。衝撃的なことは、アメリカ国内の貧しい女性と富裕な女性の平均寿命の差が3.9年から13.6年へと拡大したことだ。

格差の拡大は自由主義的民主政治体制の健全性を損ねている。「私たち人間」という概念は消え去りつつある。格差が拡大し続けているこの時代、私たちは共通に持っているものは少なくなっている。その結果、教育や社会資本への公共投資のような長期間にわたる広範囲な繁栄をもたらすために必要な政策への支持を形成することがより難しくなっている。

経済学者たちの多くは20世紀中盤に公共サーヴィスの分野に入り始めた。政治家たちは連邦政府の急速な拡大を統制するために苦闘していた。政府に雇用されている経済学者たちの数は1950年代には約2000名であったが、1970年代末には6000名にまで増えた。経済学者たちが採用されたのは政策実行の正当化のためであったが、すぐに政策目標の形成を始めるようになった。アーサー・F・バーンズ(Arthur Frank Burns、1904-1987年、83歳で死亡)は1970年に連邦準備制度理事会議長になったが、彼は議長になった最初の経済学者になった。その2年後、ジョージ・シュルツ(George Pratt Shultz、1922年―、99歳)は経済学者として財務長官に就任した。1978年、ヴォルカーは連邦準備制度内での昇進を極め、ついに議長に就任した。

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アーサー・F・バーンズ

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ジョージ・シュルツ
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議長時代のヴォルカー

しかし、最も重要な人物はミルトン・フリードマン(Milton Friedman、1912-2006年、94歳で死亡)だった。妖精のようなリバータリアンで、アメリカ政府で地位を得ることを拒絶した。しかし、彼の著作や発言は政治家たちを魅了した。フリードマンはアメリカが抱える諸問題に対して、明快で単純な答えを提示した。それは、政府は関わらない、というものだ。フリードマンは、「官僚たちがサハラ砂漠を管理するようになると、すぐに砂の不足を訴えるようになるだろう」というジョークを飛ばした。

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ミルトン・フリードマン

フリードマンは勝利を期待できない戦いで大勝利を収めた。彼はニクソン(Richard Nixon、1913-1994年、81歳で死亡)大統領に助言して1973年に徴兵を終わらせた。フリードマンやその他の経済学者たちは、市場レートに沿った報酬を支払う志願兵だけで構成される軍隊は財政的に実行可能でかつ政治的に人々から受け入られ易いものだった。

ニクソン政権は、ドルと外国通貨の為替レートを市場に決定させるというフリードマンの提案を採用した。また、ニクソン政権は規制に対する制限を正当化するために人間の生命に値段をつけた最初の政権となった。

しかし、市場志向は無党派のテーマであった。連邦所得税の削減はケネディ大統領下で始まった。カーター(Jimmy Carter、1924年―、95歳)大統領は、1977年に民間商業航空に対する監督を行う官僚組織を廃止するために経済学者アルフレッド・カーン(Alfred Kahn、1917-2010年、93歳で死亡)を任命することで、規制緩和時代の扉を開いた。クリントン大統領は、1990年代に経済が上昇する中で連邦政府の支出を抑制した。 クリントン大統領は「大きな政府が終わった時代」を宣言した。

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アルフレッド・カーン

リベラルと保守派の経済学者たちは公共政策における主要な疑問に関する戦いを主導した。しかし、両派の経済学者たちが合意した分野はより重要であった。自然はエントロピー(entropy、均質化)に向かう傾向があるが、経済学者たちは市場が均衡(equilibrium)に向かう傾向にあることに自身を持っていた。経済学者たちは経済政策の重要な目標は国家の生産高のドルの価値を高めることであるということに同意していた。経済学者たちは格差を緩和するための努力に対する辛抱強さをほとんど持っていなかった。カーター政権の経済諮問会議議長を務めたチャールズ・L・シュルツ(Charles Louis Schultze、1924―2016年、91歳で死亡)は1980年代初頭に、「経済学者たちは効率的な政策の実行のために戦うべきだ。たとえその結果が得敵の諸グループの所得が大きく減少することになっても戦うべきだ。効率的な政策を実行することで所得は下がるものであるが」。それから30年ほど経過した2004年、ノーベル経済学賞受賞者ロバート・ルーカス(Robert Lucas、1937年―、82歳)は格差緩和のための努力の復活に警告を発した。「健全な経済を傷つける、最も人々を惹き付けかつ私の意見で最も有害な傾向は、配分に関する疑問に集中することだ」。

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チャールズ・L・シュルツ

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ロバート・ルーカス

格差の拡大に対する説明は宿命論的なものだ。格差問題は資本主義特有の結果である、もしくはグローバライゼーションや技術の進歩といった要素が理由であるという説明がなされている。そうなると格差問題は政治家たちが直接コントロールできないものということになる。しかし、失敗の大部分は私たち自身の中にある。効率を最優先し、富の集中を促進する政策を採用するという私たちの集合的な決定が私たちの失敗である。そうした政策は、機会を均等化し、所得再配分するための政策は否定された。経済学の発展は格差拡大の主要な理由である(The rise of economics is a primary reason for the rise of inequality.)。

私たち自身が問題を生み出しているならば、解決策は私たちの中にあるのは事実だ。

市場は人々が作り出し、人々によって選択された諸目的のためのものだ。そして、人々は規則を変更できる。社会は格差を無視すべきだという経済学者たちによる判断を捨てる時期だ。格差の減少は公共政策にとっての主要な目標であるべきだ。

市場経済は人類の素晴らしい発明の一つであることは確かだ。市場経済は富の創造を行う強力なマシーンである。しかし、社会の質を測定する方法は、社会全体、全ての階層の生活の質を見ることである。トップの生活の質だけを見るのではない。そして、次々と出される研究結果が示しているのは、現在、低い階層に生まれた人々は前の世代に比べて、豊かになる、もしくは社会全体の福祉に貢献する機会を持てないようになっているということだ。それでも現代社会で貧しいと言っても歴史的に見れば豊かではある。

これは苦しんでいる人たちだけにとって悪いことではない。それでも十分に悪いことではあるのだが。これは豊かなアメリカ人にとっても悪いことである。富が少数の人々に握られている現在において、消費総額は減額し、投資も減少しているという研究結果が出ている。各企業と豊かな家庭はどんどんスクルージ・マクダックに似るようになっている。企業と豊かな家庭はスクルージのように、山のようなお金の上に座っているが、生産的な形でお金を使うことができていないのだ。

これまでの半世紀、繁栄の分配に対する頑なな無関心は、自由主義的民主政治体制の存在がナショナリズムに基づいた煽動家たちからの試練に直面している主要な理由である。ロープにいつまで掴まっていられるのか、ロープはどれくらいの重さまで耐えられるのかについて私は全く見通しを持てないままでいる。しかし、私たちが負担を減らせる方法を見つけることができれば、私たちの絆はより長く存続することになるだろうということは分かっている。

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ビンヤミン・アップルバウム著『経済学者たちの時間:間違った予言者たち、自由市場、社会の分断(The Economists’ Hour: False Prophets, Free Markets, and the Fracture of Society)』

『パブリッシャーズ・ウィークリー』誌

2019年9月

https://www.publishersweekly.com/978-0-316-51232-9

『ニューヨーク・タイムズ』紙記者アッブルバウムはサブプライムローンに関する報道でジョージ・ポーク賞を受賞した。アップルバウムは、彼が「経済学者たちの時間」と名付けたおおよそ1969年から2008年の時期の公共政策における経済学者たちの重大な影響力を時系列的にまとめた。アップルバウムはアメリカ国内で経済学者たちがどのように重要な地位を占めるように至ったかを詳述している。経済学者たちはワシントンで低い地位にとどまっていたのが、財務長官と連邦準備制度理事会議長のような最高位の役割を果たすようになった。アップルバウムは経済学者たちの繁栄を生み出すという錬金術のような力に対して極めて懐疑的である。特にミルトン・フリードマンやアラン・グリーンスパン(Alan Greenspan、1926年―、93歳)のような自由市場原理を猛進していたが、自由市場原理は大恐慌と収入格差を促進したのだとアップルバウムは主張した。アップルバウムは、世界各国は経済理論を考慮している。しかし、技術者たち(台湾)や国家(中国)が主導する経済の方が経済理論を重視するアメリカ経済よりもうまくいっている。アメリカは市場に対する政府の介入を最小化する政策を採用している。アップルバウムは健康と安全に関する規制、産業に対する規制、反トラスト訴訟に関する自由市場哲学の有害な影響についても詳細に研究している。そして、アップルバウムは自由市場に対する妄信によって少数に富が集中する結果をもたらしたと結論付けた。『経済学者たちの時間』では、経済哲学に関する徹底的に研究された、包括的な、批判的説明がなされている。本書は半世紀にわたり政策を支配してきた経済学哲学を強力に告発している書である。

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アラン・グリーンスパン

(貼り付け終わり)
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経済学という人類を不幸にした学問: 人類を不幸にする巨大なインチキ(終わり)
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アメリカ政治の秘密
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ハーヴァード大学の秘密 日本人が知らない世界一の名門の裏側
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 古村治彦です。

 今回は、ミルトン・フリードマンの理論が間違っていたという内容の記事を紹介する。フリードマンの理論とは「シェアホルダー[株主]優先理論(shareholder theory)」で、下に紹介している記事では「CEOは株主に雇用されている『被雇用者』であるので、CEOは株主の利益のために行動する義務がある」という内容だと書いている。CEOはお金を出している(資本を投資している)株主の利益(配当)を最大化するために行動する、というもので、私たちからすれば「何を当たり前のことを仰々しく理論などと言うのか、馬鹿らしい」ということになる。
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 一方に存在するのは「ステイクホルダー[利害関係者]優先理論(stakeholder theory)」である。これは企業、経営陣は株主の利益の最大化を最優先するのではなく、従業員、顧客、市民など、企業と関係を持つ人々の利器を最大化するべきだというものだ。慈善事業や社会的に意義のある活動にも資金を出すというようなことである。

 1970年代からアメリカの市場原理主義の中でシェアホルダー理論が主流であったが、ここのところステイクホルダー理論が注目されるようになっているようだ。

 市場原理主義のアメリカで「ステイクホルダー理論」が影響力を増しているというのは、アメリカでそして経済の分野で何かが起きていることを示す。市場を崇拝してばかりでは、経済はうまくいかない、そもそも大企業になれば競争から逃れ独占を望み、それで労働者や消費者から搾取をして利益を最大化する、政府に対する影響力を行使してそのような独占を守るような方策を採るではないか、という批判が大きくなっている。下の記事では、「実際、巨大企業が自由市場の保護者であるという考えは極めて非現実的なものである。巨大企業とは我が国の市場経済という海の中に浮かぶ社会主義の島々ということになる」と書かれている。

 経済学に対する不信感をたどると、「科学(science、因果関係から法則を見つける行為)だと威張っていたが、そんなことはできず、宗教のドグマのように市場至上の教理を押し付けてきた」「経済学が自分たちの生活に脅威を与えてきた(リーマンショックからの経済不況など)」ということが挙げられる。経済学だけ、自然法則で人為よりも素晴らしいということにはならないということだ。そこの点を認めることが出発点ということになるだろう。

(貼り付けはじめ)

ミルトン・フリードマンの考えは間違っていた(Milton Friedman Was Wrong

―高名な経済学者の唱えた「シェアホルダー理論」は企業が消費者の諸権利と信頼を損なうための大き過ぎる余地を与えた

エリック・ポズナー筆(シカゴ大学法科大学院教授)

2019年9月22日

『ジ・アトランティック』誌

https://www.theatlantic.com/ideas/archive/2019/08/milton-friedman-shareholder-wrong/596545/

月曜日、各産業分野の大企業のCEO(最高経営責任者)で構成しているグループ「ビジネス・ラウンドテーブル」は、「企業の目的」について考えを変えると宣言した。その目的とは、株主たち(shareholders)の利益の最大化ではなく、被雇用者、顧客、市民を含む株主以外の「利害関係者たち(stakeholders)」の利益を追求するということだ。

今回の宣言は、大きな影響を持つが中身が不明確な企業責任理論(シェアホルダー[株主]優先理論)の否定ということになる。しかし、この新しい哲学(ステイクホルダー[利害関係者]優先理論)を提唱することになっても、企業の行動様式を変化させることはできないだろう。一般の人々の利益を追求するように企業に行動させる唯一の方法は、法的な規制に従わせることだ。

シェアホルダー理論は、シカゴ大学で教鞭をとった経済学者にしてノーベル経済学賞受賞者であるミルトン・フリードマンが生み出したものと一般には考えられている。1970年に『ニューヨーク・タイムズ』紙に掲載された有名な論説の中で、フリードマンは、CEOは株主に雇用されている「被雇用者」であるので、CEOは株主の利益のために行動する義務があると主張した。その結果としてCEOは可能な限り最高の報酬を得ることができる、と主張した。フリードマンは、もしCEOが企業の資金を環境保護や貧困対策プログラムに寄付するということになると、その資金は、消費者たち(より高い価格を通じて)、労働者たち(より低い賃金を通じて)、株主たち(より低い配当を通じて)から奪い取られたもので、そうしたお金をCEOが寄付していることに過ぎないと指摘した。CEOは他人に対して「税金」を課し、集めたお金を彼もしくは彼女の専門外の社会的な大義のために使っているだけのことだ、ということになる。それならば、消費者、労働者、投資家たちに本来自分が手にするべきお金を使って、自分が望む慈善事業への寄付をしてもらう方がより良いことだということになる。

フリードマンのシェアホルダー理論は広く受け入れられている。それは、シェアホルダー理論によって、企業は難しい道徳上の選択を行うことを免れ、利益を上げている限りは人々からの批判から企業が守られることになるからだ。同時に、CEOたちは、「公共の責任について考えない」という主張を否定したが、強い怒りの対象となっていた。確かに、1970年の時点で彼らは怒りの対象であった。そして、ウォール街は企業の利益のみを追求するという姿勢を貫いていた。

しかし、フリードマンの主張には1970年の時点でも読者たちにも明白に分かったであろう矛盾を抱え込んでいた。フリードマンは、経営陣が賃金と物価の統制を支持していることについて非難した。後にリチャード・ニクソン大統領はこの政策を実施した。フリードマンは、賃金と物価の統制は経済を損なうだろうと確信していた。従って、経営陣は「かなり遠くの将来のことを見通すことができ、自分たちのビジネスについて明確な思考もできる」のに、公的な問題になると「途端に極めて近視眼的かつ混乱した思考」をするようになるとフリードマンは主張した。

しかし、経営陣の心理についてのこのような疑わしい理論など使わなくても、もっと単純に説明することができる。経営者の多くは賃金と物価の統制は、労働コストやそのほかの資源の投入に関わるコストを低く抑えることで当然の結果として、彼らのビジネスの利益に貢献すると認識していた。また、彼らの行動によって経済全体にマイナスな結果が生じることが起きるかどうかについて全く関心を持たなかった。

フリードマンはこの可能性について気づくべきだったし、おそらく気づいていただろう。既存のビジネスは競争をなくすことで最大の利益を生み出すことになる。そのための効果が実証済みの方法は、新しい企業が市場に参入することを阻止する法律を成立させるように政府に働きかけることであり、もしくは競争によるコストを引き下げることである。そして、ビジネスの目的が、フリードマンが主張しているように「利益を増大させる」ことであるならば、ビジネス界がその政治的影響力を使ってフリードマンが称賛している自由市場をなくすようにすることが、「明確な思考に基づいた」、正当化される方法ということになる。

実際、巨大企業が自由市場の保護者であるという考えは極めて非現実的なものである。巨大企業とは我が国の市場経済という海の中に浮かぶ社会主義の島々ということになる。つまり、巨大企業はその巨大性によって消費者と労働者にとって利益となる競争から守られている。製品と労働の市場が独占状態になっている中で資本を投資した人々が利益を上げるということになれば、CEOとしては投資家たちに協力するのは願ったりかなったりということになる。

フリードマン流のビジネスが利益を最大化するためのありふれた方法が他に様々に存在する。ビジネスマンたちは(フェイスブックと同様)、消費者たちのプライヴァシーを尊重するという約束を破ることができる。ビジネスマンたちは(ツイッターとグーグルと同様)、ヘイトスピーチの伝達を促進することで広告収入を生み出すことができる。ビジネスマンたちは(エクソンがそうであったように)、気候変動に関する研究に反対する宣伝活動を行うことができる。ビジネスマンたちは(ジミー・ジョンズと同様)、非熟練労働者たちが低賃金の仕事から離れないように違法な契約条件を使うことができる。ビジネスマンたちは(タバコ会社と現在のテック企業と同様)、子供たち向けの中毒性の高い製品を売り込み、(パデュー・ファーマと同様)麻薬中毒の人々を生み出すことができる。ビジネスマンたちは企業によるロビー活動に関与することができる。フリードマンの理論に関する最大の問題は、フリードマンの理論によると、各企業は連邦議会に対する影響力を利用して各企業が人々に対して不都合なことを行わないようにするための法律を可決することを阻止する、ということだ。

フリードマンは経営陣が株主たちの被雇用者であるという主張は正しくない。法律的に見て、経営陣は企業の被雇用者である。企業を監督するには株主ではなく、経営陣の存在が必須だ。株主は企業とは契約に基づいた関係を持っている。株主は契約に基づいて企業が上げた利益を受け取り、企業の重要な決定について投票する権利を持つ。株主たちが企業に対して社会的に責任のある行動をとるように提案するときには、CEOたちはいつも自分たちが持つ企業に対する力を使って株主を遠ざけてきた。雇用者が被雇用者に「ジャンプせよ」と言えば、その被雇用者はジャンプするものだ。株主たちが最高経営責任者に「ジャンプせよ」と言えば、最高経営責任者は株主たちを裁判所に訴えることだろう。

フリードマンの最大の主張は、実業界のリーダーたちは企業の資金を公共のために使用することを決定できるだけの資格がないとしている点だ。「ステイクホルダー」理論への転換があってもそれで企業が責任感を持って行動することを保証することはできないというのにこのことが理由となる。企業に環境汚染、詐欺行為、独占化させないための効果が実証されている唯一の方法は法律を通じてそのような行為を行った企業を罰することである。

※エリック・ポズナーはシカゴ大学法科大学院教授である。

(貼り付け終わり)
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経済学という人類を不幸にした学問: 人類を不幸にする巨大なインチキ(終わり)
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