古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

カテゴリ: 日常

 古村治彦です。

 

 ブログがおよそ1カ月ぶりの更新となります。6月中は昨日開催されました「副島隆彦の学問道場」の定例会の運営準備と共に私の講演の準備を進めながら、別の仕事のための準備、更に体調不良もあり、ブログを更新することが出来ませんでした。

 

 昨日の講演は反省点が多く、更に改善と綿密な準備を高いレヴェルで行わねばならないということを痛感しました。このブログをお読みいただいている方でご出席いただきました皆様には御礼を申し上げます。ありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 

 昨日は定例会開催中にアメリカのドナルド・トランプ大統領が朝鮮半島の非武装地帯を訪問し、アメリカ大統領で初めて北朝鮮領域内に入った大統領になりました。「ツイッターの記事を読んで驚いた」と言いながら、北朝鮮の金正恩委員長も姿を見せたことで、本当の意味で世界の注目を集めました。大阪で開催され、安倍晋三首相が議長役を務めたG20のことなどどこかに吹き飛んでしまいました。

 

 トランプ大統領は、米中貿易戦争の深刻化を防ぐために、とりあえずこれ以上の攻撃と報復を取り止めようということで中国の習近平国家主席と合意をし、米朝関係ではとりあえず良い関係は続いているという姿を見せるために、北朝鮮の金正恩委員長と良好な関係をアピールしようということで合意をしていたということになります。部下たちがやり過ぎてしまったことを引き戻す、状況をこれ以上悪化させないということを、行ったものと思います。

 

 そのために手足となったのは、ホワイトハウスの中、ジャレッド・クシュナーとイヴァンカ・トランプ両上級補佐官だったと思います。思い返してみれば、ジャレッド・クシュナーがまずヘンリー・キッシンジャーと関係を結び、そこからトランプ大統領に紹介し、大統領選挙期間中にトランプ候補(当時)とキッシンジャーが極秘に会談を持ちました。そう考えると、今回はホワイトハウスのこのラインが働いて、キッシンジャーの助演を受けながら、状況を悪化させないということが実現したものと思います。

 

 目を日本に転じれば、日本政府は、安倍晋三首相が韓国に経済制裁を科す、そして文在寅大統領と少しの時間でも話をするということを行いませんでした。徴用工問題での報復だそうですが、相手との交渉を行わず、すぐに懲罰的な処置を行うというのは、戦前の日本と何ら変わりません。近衛文麿首相は日中戦争不拡大を希望しながら、周囲に引きずられ、最後には「暴戻支那を膺懲す(暴支膺懲)」とばかりに過酷な和平条件提案を行い(とても和平案とは言えない内容)、中華民国政府側の態度を硬化させましたし、「爾後国民政府を対手にせず」という声明まで出しました。この時の近衛首相の誤った判断が最終的に日本を亡国に導きました。安倍首相の行動様式はこの時のそっくりです。

 

 「世界が注目する大阪でのG20」「議長国日本の存在感」「議長役である安倍首相のかじ取り」などという国内向けプロパガンダ報道から脱してみれば、日本は、国際政治を舞台や映画にたとえてみれば、道化役、脇役、端役であって、中心的な役割を演じる俳優ではありません。

 

 6月30日の講演で私はアメリカ大統領選挙についてお話をしました。アメリカ大統領選挙の状況は大きく見れば、共和党はドナルド・トランプ大統領への一本化、民主党は予備選挙に向けての討論会と選挙運動が進行中だがジョー・バイデン前副大統領が独走、という状況で安定しています。バーニー・サンダースの人気が下降気味、エリザベス・ウォーレンとカマラ・ハリスが持ち直す、ピート・ブティジェッジは横ばいということで、これら以外の候補者たちは人気とお金がない順番でどんどん撤退していくことになります。

 

 先週、民主党の候補者たちによる1回目の討論会が2夜連続、2時間ずつ実施されました。24名の立候補者中、20名が討論会への参加資格をクリアし、10名ずつが登壇しました。参加資格は2019年1月以降に実施された世論調査の中で、1パーセントの支持率を3回獲得すること、もしくは6万50000名以上の人に政治献金をしてもらうこと、これ以外には1つの州で200名以上の献金者を獲得し、それが20州以上にわたること、というものがありました。

 

 出席者たちの中で、人気上位の人たちは揚げ足を取られないようにしながら、的確に発言する(発言時間はやはり人気上位の人たちの方が長かったようです)というアウトボクシング的な戦い方でした。人気がない候補者たちは割り込んで発言をしたり、自分の言いたいことを言ったり、与えられた時間を1秒でもオーバーして話をしようとどん欲な姿勢を見せましたが、それがかえって焦っているという印象を与えました。

 

 私が注目していたトゥルシー・ギャバ―ド連邦下院議員は1回目の討論会に出席し、クリティカルヒットを当てました。アフガニスタンへの米軍の駐留問題で、ティム・ライアン連邦下院議員の支持論に真っ向から堂々と反論し、ギャバ―ドはイラクとアフガニスタンで従軍した経験を持っているので、説得力の発言を行いました。ライアンは顔を真っ赤にして慌てて反論しましたが、その姿が見苦しく、ライアンの浮上はなくなったと言えます。

 

 ピート・ブティジェッジも無難にこなしました。現在、彼が抱えている大きな問題は、市長を務めているサウスベンド市で白人の警察官が盗難事件を起こした黒人男性を射殺した事件です。サウスベンド市警察における黒人警察官の割合が6%と低いこと、以前、ブティジェッジが警察本部長を務めていた黒人警察官を更迭したこと、もあって、これが攻撃材料とされました。数人の無名候補者たちがこの機会だとばかりに嫌味たらしく話しかけていましたが、ブティジェッジは毅然とした態度で反省の弁を述べていました。

 

 今回の大統領選挙民主党予備選挙で人気上位10位内に入るような政治家たちはそれぞれ素晴らしい特徴を持っていて、人気が出るべくして出た人たちなのだと改めて認識ました。同じ連邦上院議員や連邦下院議員を務めていても人気が出ないのは、魅力がない、話し方が下手、頭の回転が悪いということになるのだということも良く分かりました。それでも、日本の政治家たちに比べれば、魅力があり、話が上手、頭の回転は格段に速いということになります。

 

 7月に入って落ち着きましたので、これからブログの更新を再開したいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

(終わり)

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 古村治彦です。

 新年あけましておめでとうございます。

 旧年中はお世話になりました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 2017年が皆様にとりまして素晴らしい一年となりますように祈念申し上げます。 

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ダニエル・シュルマン
講談社
2015-11-25



アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12



 

 古村治彦です。

 

 今回、NHKの連続テレビ小説が「あさがくる」というものになりました。私の大好きな女優さんである波瑠さんが主演を務め、鹿児島では明治新政府で活躍しなかったために、地元ではそこまで知られていない、五代友厚(1836―1885年)が重要なキャラクターで出るということで、関心を持っています。波瑠さんが演じるのは、明治期の実在の人物で、大同生命創業家である広岡家の広岡浅子(1849―1919年)です。広岡浅子は京都の三井系の一族から大阪の広岡家に嫁ぎました。彼女は五代の教えを受けながら、炭鉱経営や銀行経営に成功し、江戸時代から続く商家である広岡家を守りました。晩年は女性の教育に力を入れ、日本女子大学の創設にも参画しました。日本女子大学のご近所と言ってよい場所にある早稲田大学の創始者である大馬重信は、広岡浅子の人物を評価し、日本女子大学創設に協力しています。

 
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広岡浅子
 

 私は入院中に原口泉著『維新経済のヒロイン広岡浅子の「九転十起」―大阪財界を築き上げた男五代友厚との数奇な運命』(海竜者、2015年9月)を読みました。朝ドラと五代友厚からこの広岡浅子という人物に興味を持ったからです。そして、上記のようなことをした人だということを学びました。この本の著者である原口先生はご尊父・原口虎雄先生から続く鹿児島の歴史研究の第一人者で、私が小さい頃から鹿児島のテレビや新聞に頻繁に登場されていました。ハンサムなお顔立ちと優しい語り口で、多くの県民に親しまれた方で、歴史好きの子供たちにとってはヒーローのような存在でした。



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五代友厚

 

 浅子が創設に参加した日本女子大学(現在も目白にありますが、土地は浅子の実家である三井家が寄付したものだそうです)の出身者には、丹下梅子(1873―1955年)博士がおられます。丹下梅子博士は日本で初の女性農学博士号取得者です。幼い頃に事故で右目を失明するという不幸に見舞われながらも教師となり、更に日本女子大学に進学し、更には東北帝国大学で研さんを重ね、ついに日本初の女性博士号取得者となりました。鹿児島には出生地である金生町のデパート山形屋前には丹下博士の胸像が立っています。

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丹下梅子

 

 私は、五代の教えを受けた広岡浅子が創設に参加した日本女子大学で、鹿児島出身の丹下梅子が高等教育を受け、農学博士号を取得したことに、合縁奇縁を感じます。

 

 先日、雑誌『ニューズウィーク日本版』のウェブサイトで以下のような記事を発見しました。鹿児島県知事の伊藤祐一郎氏が「女子にサイン・コサイン・タンジェントは必要ない」という発言をしたことはニュースになりましたが、鹿児島出身としてびっくりしたのは、

鹿児島県の4年制大学進学率が全国最低、女子は3割に満たないということでした。「鹿児島は教育県なんだよ」と言われて育ってきましたが、東京に出てきて各地から来た友人たちに聞いてみると、どこも教育県だと言われて育ってきたということで、「これは大人たちの口から出まかせであったか」と思いましたが、実際の数字として、教育県であることを否定されたのは初めてでした。

 

 もちろん、大学進学率だけが指標ではありませんし、以下の数字には短期大学への進学率は含まれていません。鹿児島には短期大学が複数あり、女性の教育を担っていますし、県立短期大学は昔から入学が難しい学校として知られています。また、県民所得が全国でも低い方で、地理的に九州の端っこということもあり、他の都道府県に出ていくこと、そこで4年間学生生活を送ることは難しいという状況もあります。これに関連して、高校生や親御さんたちには「私立大学は学費が高い」ということで、国公立志向が強いということもあり、鹿児島以外にある私立大学に進学したがらないということもあります。更には、年代的に言えば、現在の65歳以上の人たちは保守主義と封建主義を混同している人たちが結構いるということもあります。ですから、鹿児島全体で「女性に高等教育が必要ではない」という雰囲気が残っているとは一概に言えないのではないかと思います。

 

 しかし、五代の薫陶よろしきを得た広岡浅子が創設した日本女子大学に鹿児島出身の丹下梅子が進学し、やがて博士号を取得するまで研さんを重ねたという事実を前にして、鹿児島県知事の伊藤祐一郎氏の発言は恥ずべきものです。明治時代の先駆者たちの意識と比べて、現在の我々の意識の方が遅れているということは、保守主義ではなく、退嬰そのものです。

 

 鹿児島県は他人の褌で相撲を取るのが得意ですから、今回の朝ドラに何か便乗することでしょう。しかし、県知事がこのような意識であり、鹿児島県は教育県と言いながら、4年制大学進学率が全国最低であるという事実をきちんと踏まえて、これまでの退嬰を改める方向に進んでほしいと願っています。そして、伊藤知事には丹下梅子博士の胸像の前で、自身の胸に手を当てて自分の考えの退嬰さについて考えていただきたいと思います。

 

(雑誌記事貼り付けはじめ)

 

●「大学進学率の男女差が物語る日本の「ジェンダー意識」」

知事の「コサイン発言」を裏付ける、全国最低の鹿児島の女子進学率

 

ニューズウィーク日本版 2015106日(火)1700

舞田敏彦(武蔵野大学講師)

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/10/post-3966_1.php

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/10/post-3966_2.php

 

 

日本ではいまだに男子と女子の大学進学率には差がある

 

 この夏、鹿児島県知事が「サイン、コサイン、タンジェントを女の子に教えて何になる?」と発言して猛反発を食らった(知事はその後、発言を撤回)。明治維新では薩摩藩が日本の近代化をリードしたが、残念ながら現在の鹿児島では、「女子に高等教育は必要ない」という封建的な考え方が色濃く残っているようだ。

 

 このような「性差(ジェンダー)」の意識は、大学進学率の男女差からうかがえる。2015年春の全国の4年制大学進学率(浪人込み)は51.5%だが、性別にみると男子が55.4%、女子が47.4%と、8ポイントの開きがある(進学該当年齢の18歳人口を分母とした進学率)。これは能力差とは考えられないので、「女子に大学教育なんて......」というジェンダー意識の表れだ。

 

 大学進学率の性差は地域によってかなり違っている。<表1>は、2015年春の男女の大学進学率を都道府県別に計算したものだ。47都道府県中の最高値には黄色、最低値には青色のマークを付けた。

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 大学進学率は地域格差が大きく、最高の東京(72.8%)と最低の鹿児島(35.1%)では倍以上開いている。進学率は都市部で高く地方で低い傾向にあるが、これは住民の所得水準や大学の立地状況の違いが影響している。

 

 大学進学率が最も低いのは鹿児島で、その原因は女子の進学率が低いことだ。鹿児島の女子の大学進学率は29.2%で、全国で唯一3割に達していない。それだけ男女差が大きく、男子の進学率は女子の約1.4倍にもなっている(右端)。北海道(ここも男女差は1.4倍)と並んで、大学進学率の性差が最も大きい地域だ。前述の知事の発言がただの「失言」ではないことがわかる。

 

 男女の大学進学率に1.4倍もの差が出るのは、「女子に高等教育は不要」、「女子よりも男子優先」というジェンダー意識が根強いためだろう。大都市の東京は比較的それが弱いようで、進学率の性差はほとんどない。地方でも徳島のように、男子より女子の進学率の方が高い県もある。このことから見れば、ジェンダー意識は克服できるはずなのだ。

 

これは国際比較をするとよく分かる。<表2>は、社会的価値観に関する国際的な調査から「大学教育は、女子よりも男子にとって重要だ」という項目の肯定率を国別に抽出して、高い順に並べたランキング表だ(英仏は調査に回答せず)。

 

 その肯定率が最も高いのは、カースト社会のインドだ。20歳以上の国民の6割が「大学教育は、女子よりも男子にとって重要だ」と考えている。バーレーンやパキスタンなど、イスラム社会の肯定率は総じて高い。女性はあまり外に出るべきでない、という宗教的戒律があるためだろう。

 

 日本の肯定率は22.6%で真ん中より少し下だが、欧米諸国と比べると格段に高い。ドイツは13.6%、アメリカは6.6%、スウェーデンにいたってはわずか2.5%だ。こうしたジェンダー意識の低い国々では大学生の男女比は半々だが、日本では男女比が「6対4」とまだまだ偏っている。東京大学の女子学生比率は18.6%しかない(20155月時点)。

 

「人材」しか資源のない日本にとって、この現状は見過ごせない。男女を問わず能力を開花させ、社会・経済を活性化させるための意識改革、制度づくりは急務の課題だ。

 

(雑誌記事貼り付け終わり)

 

(終わり)





野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23


 
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ダニエル・シュルマン
講談社
2015-11-25



アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12





 古村治彦です。

 

 2015年9月27日深夜に左耳に違和感が生じ、吐き気やめまいも感じたために、28日に病院を受診したところ、突発性難聴と診断されました。すぐに入院となり、本日10月6日に退院となりました。突発性難聴という病気は、誰にでも起こりうる病気で、原因が特定されていない難病の1つです。たいていの場合は治る病気ですが、さすがになった時にはとても驚きました。

 

 本日まで病院で治療をし、お世話になりました。社会保障制度の基礎として、相互共助があります。皆様からの負担金で運営されている社会保障制度によって今回お世話になることが出来たことに、深く感謝し、病気を治し、次は自分が支えられるようにしていきたいと考えます。

 

 今回、このような病気になりましたが、安心感を持って過ごすことが出来たことは、日本の社会保障制度のお蔭だと思います。私もしばらく生活したアメリカでは、このような訳にはいかなかっただろうと思います。高額の医療負担とにらっめこしながら、病気の不安と戦いながら、たとえ治療が途中になってもお金が無くなれば病院から追い出されたことだと思います。資本主義の論理を突き詰めていけば、人間の存在とはそのようなものになるのだと思います。

 

 社会福祉、社会保障にお金(公的資金、税金)がかかる問題は先進国では深刻な問題です。それを解決するために資本の論理の導入が進められようとしています。しかし、その最先端国であるアメリカでは、資本の「剥き出し」の論理によって、お金のない人間がゴミ屑のように扱われているという現実があります。もちろん、福祉に「たかって」生きることは悪です。社会保障費の増大を進め、社会保障制度、ひいては国家の破綻にまでつながってしまいます。この難しい問題をどのように解決すべきか、私自身は答えを見つけられません。しかし、少なくとも、現在の日本の社会保障体制の根幹は維持しながらの漸進的な改良こそが道筋ではないかと考えます。

 

 私の入院中、ラグビーの日本代表がワールドカップの三戦目でこれまで分の悪かったサモア代表に勝つという嬉しいニュースがありました。小学生の時に、今泉、堀越の一年生コンビが活躍した早稲田のラグビーに憧れて以降、30年近く、ただのラグビーファンでしかありませんでしたが、日本ラグビーの進歩には感激しています。

 

 ラグビーティームは1ティーム15名編成ですがフォーワードとバックスの選手に分かれます。様々な体型や能力の選手たちがいて、彼らが適材適所のポジションでティームとして機能しています。良いティームとは個々の能力を活かしながら、個々の献身を引き出し、それぞれをうまくオーガナイズしていくものです。誰か一人スターがいるからと言って勝てるものではありません。また、上から引っ張るような、個を潰すような日本にありがちなリーダーシップではラグビーティームはオーガナイズされません。私たちは、今回のラグビー日本代表ティームの姿に、これまでの日本型ではない新しいティームの形を見ており、それに新鮮な驚きを持っているのだと思います。

 

 安倍晋三首相は先日の記者会見で、「一億総活躍社会」なる、「国家総動員」という言葉とよく似たコンセプトを打ち出しました。安倍首相の祖父である岸信介が革新官僚として商工省や満州で活躍し、東條英機内閣の商工大臣となって太平洋戦争に突入する訳ですが、国防国家のための総動員という概念を打ち出しました。これは、日本的な上からの、個を潰すような形のリーダーシップでありました。私は、安倍首相の今回の「一億総活躍社会」という言葉遣いにもそのような匂いを感じます。もっと言えば、「活躍」という言葉の定義が曖昧であり、何を持って活躍というのか、そもそも安倍首相や自民党の面々はそれなら「活躍」しているのか、偉そうに国民に対して「活躍せよ」と言えるのかと私は思います。

 

 このような管理型の匂いがする「一億総活躍社会」がうまくいくとは思えません。それは、日本国民の多くが「個」の重要性に気付きながら、かつ「共」との両立、更には新たなリーダーシップに関して気付き始めていると思うからです。そのようなときに、「一億総活躍」などという定義も曖昧なことを言われても、国民は「はいはい、また税金の無駄遣いがあるのね」くらいにしか思わないでしょう。

 

 社会における「個」と「共」の関係は人類永遠のテーマだと思います。政治思想の潮流で言えば、個を優先する考えがリバータリアニズムとなり、共を優先する考えが共産主義となります。それぞれが2つのベクトルの先にあるとすると、現実はその中間にあると思います。それぞれが実現した社会は恐らく地獄のようになるでしょう。それはどちらの考えも「個」と「共」のバランスを著しく欠いた極端なものであるからです。

 

 私は「個」と「共」のバランスを決める要素は多くあり、かつそれらは複雑に絡み合っています。また、個を活かす要素が共をダメにすることがありますし、その逆もまたあります。最善のバランスは永遠に見つからないかもしれません。それでも、過剰を起こしながら、頭をあちこちにぶつけながら、人類は少しずつ進んでいくんだろうと思います。漸進的改良主義は常に批判されてきましたが、結局これで行くしかないという大変平凡な話になってしまいます。「お前の話は面白みがない」という批判を受けますが、まさにその通りだと思います。

 

 以上、とりとめもなくなりましたが、今回人生初の入院を経験して、私が考えたことを書きました。


(終わり)





野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23



 
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ダニエル・シュルマン
講談社
2015-10-28



アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12



 

 古村治彦です。

 

 先日、ある出版社の編集者の方とお話をしました。このところ、韓国や中国を批判する本ばかりで嫌になりますね、と話したところ、「読者の読みたい内容の傾向は少し変化しているようですよ」という話をしてくれました。確かに韓国や中国のことばかり、あんなにたくさん、短期間に一気に出れば、書かれていることは重複しているでしょうから、「この話も知っている」ということばかりになるでしょう。

 

 その編集者の話だと、「アメリカの占領時代に関心が移っているようですよ」ということでした。今年は敗戦70年で、8月15日が終戦の日ですから、今本屋さんに行けば、これまで出された太平洋戦争関係の本が一つの棚にまとめられています。また、映画で「日本のいちばん長い日」もリメイクされます。私がそういうことですか、と尋ねると、「いや、ちょっと違いますね」ということになりました。

 

 編集者の方の体感だと、「戦後占領したアメリカ軍に何をされたのか」ということに読者の関心が移っているということでした。確かに、その「されたこと」の最大のものが日本国憲法の制定で、現在参議院で審議されている安保法制は、この日本憲法の解釈変更なのかどうかが大きな争点になっています。

 

 私は、人々の興味関心の根底にある「戦後日本を占領したアメリカは日本に何をしたのか」という問いがあるのだと思います。戦後のアメリカの占領政策によって日本は良い方向に変えられたので、再び独立国となり、国際社会が暖かく歓迎し、経済発展を遂げ、大国となったというのが公式のストーリーです。ですから、このストーリーを信じるならば、「アメリカは日本によいことをしてくれた」という結論になります。

 

 この結論に対して「本当にそうなのか」という疑問が日本人の中で湧いているのだろうと思います。そして、「アメリカは日本を属国にして利用するために、占領政策を実行し、それに成功したのだ」という思いが出てきて、成功のストーリーに疑問を持つようになっているのだろうと思います。そして、これは政治的な見解やイデオロギーを異にする人々が共通に持っている「心性」なのだと思います。つまり、日本人が「日本はアメリカの属国なのだ」という前提から、物事を考えるようになったと思うのです。

 

保守派からすれば、「日本はアメリカの属国のままで、本当に独立したとは言えない。その最たるものが憲法だ。憲法のせいで他の国がやるように戦争ができない(専守防衛)。だから安保法制を成立させて自衛隊の海外派兵をしなくてはいけないのだ。都合が良いことに、憲法を押し付けたアメリカも望んでいることじゃないか。これを機会にして、軍隊を海外に派兵できる“普通の国”になるんだ」となります。この人たちは、「アメリカに不当に属国されて日本は誇りを失うことになった。アメリカは日本人を洗脳して、先の大戦が悪い戦争だったと思わせ、日本が戦争をすることは悪だと教え込んだ。だから、洗脳を解いて、普通の国になるには、軍隊の海外派兵ができるようにして中韓と戦わねばならないのだ」とも考えます。

 

リベラル派からすれば、「日本はアメリカの属国のままだ。だから安保法制のようなものを飲まされて、憲法の解釈が勝手に変えられて自衛隊を海外に派兵することになるのだ」ということになります。そして、「日本はアメリカの属国のままだから、アメリカの手伝いをさせられて、やりたくもないし、放棄している戦争に参加させられることになるのだ」と主張することになります。

 

 「日本はアメリカとの戦争に負けて、アメリカの属国となった、そして現在も属国のままだ」ということが国民的コンセンサスとまではいかないまでも、「そんなことあるか!」と顔を真っ赤にして怒り出すよりも、「そうかもしれないねェ」としみじみと語る人が多くなった、と私は思います。

 

 この前提に立つことが出来てはいるが、そこからが考え方の違いで結論が大きく異なることになります。しかし、大きく異なるように見える結論も実はそんなに違わないのではないかと私は思います。それはどちらにしても「アメリカ頼りではダメだ」ということになるからです。「反米」という言葉ほど激しくはないにしても、「離米」、アメリカから少しずつ距離を取ってみるということが起きているのだろうと思います。

 

 ただ、激しく対立している保守とリベラルの違いは何かということになるとそれもまたある意味で人間の中に含まれる要素のうちのある部分が大きく出ているということに過ぎないのではないかと思います。アメリカと戦争をしてコテンパンにやられた、歴史上初めて降伏文書に全権が署名したということ、戦争によって加害者になり勝被害者になったこと、これらは大きな傷(トラウマ)です。この傷に対する時、そのことを忘れようとするか、もしくは傷に薬を塗り続けるかということだと思います。どちらにしてもとても人間らしい反応です。

 話は急に飛びますが、私は先日、2冊の本を読みました。内田樹『最終講義』(文春文庫)と半藤一利述・井上亮編『いま戦争と平和を語る』(日経ビジネス文庫)です。この中で、内田氏は、戦後のヴェトナム戦争反対運動で行われた米軍艦(空母エンタープライズなど)寄港反対で反対運動の学生たちが旗を林立させ、木の棒を手に集まっていたのは、先の戦争末期に「竹槍で敵を迎え撃つ」ことの実行なのだと書いています。半藤氏は日本は幕末に開国した時から、「攘夷」がその根底にあると指摘しています。 明治時代からの対外膨張主義(国家の安全保障のための自衛に名を借りている)と戦争は攘夷の現れであるとみています。この2人が指摘しているポイントは、日本は近現代において対外関係の基礎には攘夷があるということであり、その目標はアメリカであり、そして太平洋戦争でアメリカに敗れてもなお、そのアメリカに対する戦う気持ちは継続しているということです。私は、戦後70年において、攘夷が再び顔を出しているのだと思います。

 日本は現在の覇権国であるアメリカと覇権国への階段を上りはじめている中国の間に存在するという点で特異な位置にあります。現在はアメリカの「不沈空母」のような役割を果たさねばならないようになっていますが、この2つの間に立って、特異な位置を占めることも可能です。2つの異なる勢力、争っている勢力の間にはそれらをつなぐ存在が必要であり、日本はそうした存在になることが可能です。そのためには日本がアメリカの属国であることを形式的にはともかく、実質的には止めることが必要です。戦後70年、それが少しずつできる環境になっているのではないかと思います。 


 それでは、「日本が属国の地位から脱するために自衛隊を海外派遣し、戦争に巻き込まれねばならないのか」というと、そうではないと私は考えます。自衛隊の「専守防衛」と経済における相互依存関係の強化以上に力強い防衛手法はありません。

 私は昔、「良い木こりは手に1つだけ傷を持っている」という話を聞いたことがあります。傷跡が残るほどの失敗を1度だけして、それ以降、慎重になって怪我をしない木こりは良い木こりだ、ということだそうです。この木こりは時にこの傷痕に触れることでしょう。また日常ふとした時に目にするのでしょう。そして、その時の痛みと後悔を思い出すのでしょう。日本では戦争を体験したことがない人間が国民のほとんどを占めるようになりました。そうした中で、私たちはふとしたときに自分たちの中にある傷跡に触れてみる、想像の翼を広げてみる、それが終戦の日なのだろうと思います。

 

(終わり)







野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23


 
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