古村治彦の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、以下のアドレスをご覧ください。http://soejimaronbun.sakura.ne.jp/goaisatsu.html 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。よろしくお願いします。

カテゴリ: 日本政治

 古村治彦です。

 

 安倍晋三首相の論説が2017年9月17日付の『ニューヨーク・タイムズ』紙の論説(Opinion)の欄に掲載されました。今回はこの論説をご紹介します。

 

 論説の内容は、北朝鮮の脅威に対して、国際社会が一致協力、連帯して対処しなければならない、制裁を強化し、制裁内容を強制しなければならない、というものです。

 

論説の展開は次のようなものです。①北朝鮮はこれまで国際社会が手を差し伸べてきて、合意をしてきたのに、それらをことごとく無視している。②北朝鮮は幼い少女を含む多くの日本人を拉致してきた。③国連はこれまでにも複数回にわたって制裁決議を可決し、制裁内容も厳しいものであるのに、北朝鮮はミサイル開発、核兵器開発のための物資、資金、技術などを手に入れている。④これは、今でも北朝鮮と交易している国々(主にアジア諸国)があるからだ。⑤日本はアメリカとの強固な同盟関係を確認し、アメリカ、韓国と緊密に協力する。⑥国際社会は連帯して北朝鮮の脅威に対処しなければならない。そのために国連決議の内容の履行を進めねばならない。

 

 「対話を続ける」と中国やロシアの姿勢とは一線を画し、6か国協議の枠組みの参加国のうち、日米韓、と中露を切り離して、日米韓は対話よりも今は制裁の実効を優先するということを主張しています。

 

 「対話を望んでも効果はない、無駄である」「北朝鮮に対話を求めることは、ミサイルや核兵器実験の成功に屈していると北朝鮮に考えさせる可能性が高い」「アジアの国々の中で北朝鮮と交易や労働者受け入れを継続している国々がある(これがミサイルや核兵器開発の資金や物資入手の元手となる)」という文言は中国とロシアに対する強烈な嫌味と批判です。アメリカが言えない分、日本が言わされているという感じです。

 

 この論説の内容は日中戦争時の近衛文麿首相の「国民政府を対手とせず」という「近衛声明」のようなものです。対話や交渉をここまで否定するとなると、どうしようもありません。日本政府が裏できちんと北朝鮮側とつながって話ができて、それで表向きはこのような強い調子の言葉遣いができるのなら良いのですが、そこまでのことができているのか、不安です。日中戦争当時、日中間には複数のチャンネルとなりうる人物たちが存在していましたが、それでも近衛声明の後はコンタクトが難しくなりました。それで日中戦争が泥沼化していくことになりました。日朝間のチャンネルはその時よりも細く、数が少ないものでしょう。それで「安倍声明」を出すことは、問題の解決を遠のかせることになりますし、中国とロシアに不快感を生み出すことにもなり、良いことはありません。

 

 日本は調子に乗って後で痛い目を見るという愚かな行為をまた繰り返すのかと暗澹たる思いになります。

 

(貼り付けはじめ)

 

安倍晋三:北朝鮮の脅威に対する連帯(Shinzo Abe: Solidarity Against the North Korean Threat

 

安倍晋三筆

2017年9月17日

『ニューヨーク・タイムズ』紙

https://www.nytimes.com/2017/09/17/opinion/north-korea-shinzo-abe-japan.html?action=click&pgtype=Homepage&clickSource=story-heading&module=opinion-c-col-left-region&region=opinion-c-col-left-region&WT.nav=opinion-c-col-left-region

 

東京発。北朝鮮は、世界全体に対して、前代未聞の、深刻な、そして差し迫った脅威を与えている。2017年9月3日、北朝鮮政府は非難されるべき核兵器実験を強行した。先週末、北朝鮮は、わが国、日本を飛び越える弾道ミサイルを発射した。そのわずか2週間前にも同様のミサイル発射テストを行った。北朝鮮政府は繰り返しミサイル発射テストを行ったが、これは、国際連合安全保障理事会のこれまでの決議を侵害することになる。北朝鮮は、アメリカとヨーロッパにまで、ミサイルが届くことを証明した。

 

北朝鮮の行動は国際社会に対する明確な挑戦である。2017年9月11日、国際連合安全保障理事会は、新たなより厳格な制裁内容である決議を満場一致で可決した。制裁内容は、国連加盟国に対して、北朝鮮への原油の売却を制限し、北朝鮮の繊維輸出を禁止し、加盟諸国に対して北朝鮮国民の国外労働を許可することを禁止する、というものだ。

 

これらの処置は重要なステップである。しかし、北朝鮮政府指導部はこれまで複数回出された決議を常に無視してきた。国際社会は一致団結して、制裁を実行しなければならない。

 

北東アジア地域においては、北朝鮮の脅威は25年以上にわたり、現実的なものであった。私たちは短距離、中距離ミサイルの脅威、加えて、化学兵器による攻撃の可能性にも直面している。

 

北朝鮮は、多くの無辜の日本国民を多く拉致することで日本を標的としてきた。拉致された人の中には、1977年に拉致された13歳の少女も含まれている。こうした拉致被害者のほとんどは1970年代から1980年代以降、北朝鮮にとどめられている。

 

これらの挑戦に対して、人々はすべからく平和的な解決がなされることを望んでいる。国際的な連帯が最も重要である。現在までのところ、外交を最優先し、会話の重要性を強調することは北朝鮮に対しては効果を上げていない。歴史が示しているところでは、国際社会全体による圧力が必要不可欠である。

 

1990年代初頭、北朝鮮は核拡散防止条約と国際原子力機関からの離脱を発表した。これが最初の警鐘となった。これに対して、日本、アメリカ、韓国は北朝鮮との対話に関与し、北朝鮮の核プログラムの凍結と最終的な廃棄の代償に、2基の軽水炉の建設と重油を提供することに合意した。日本、アメリカ、韓国は、ヨーロッパとアジア各国の協力を仰ぎ、この計画の財政負担のほとんどを担った。

 

私たちは次に何が起きたかを覚えている。重油供給と軽水炉建設が始まって数年後、北朝鮮はウラニウム濃縮プログラムを遂行中であると認めた。これは合意内容違反であった。

 

2002年の終わりまでに、北朝鮮は国際原子力機関の査察官たちを退去させ、2003年には核不拡散条約から公式に脱退した。中国、ロシアに加えて、日本、アメリカ、韓国が北朝鮮と交渉をするために6か国協議を創設した。北朝鮮は、朝鮮半島における検証可能な非核化を行うことに、再び合意した。しかし現実には、北朝鮮は2005年に原子力発電の所有を宣言し、2006年には核兵器実験を実行した。5か国による対話を通じての問題快活の試みは失敗に終わった。

 

簡潔に述べると、国際社会は、北朝鮮の制約に対する「補償」として制裁の緩和と支援を与えてきたが、北朝鮮政府は履行すべき義務のほとんどを無視し放置してきた。

 

これまでの歴史と現在行っているミサイル発射と核兵器実験を考慮すると、北朝鮮との更なる対話は暗礁に乗り上げるという結末に至る可能性が高い。北朝鮮政府は、更なる交渉を、「他国は我が国のミサイル発射と核兵器実験の成功に屈服した」ことの証明と考えることだろう。今こそ北朝鮮に最大の圧力をかけるときである。これ以上の遅延は許されない。

 

50年以上にわたり北朝鮮が冷酷にミサイル開発と核兵器実験を遂行できたのはどうしてだろうか?国連による10年に及ぶ継続的な制裁の下で、北朝鮮が燃料、部品、強力なエンジンを入手できたのはどうしてだろうか?統計数字によると、現在でも北朝鮮との交易を継続している国々が複数存在している。そのほとんどがアジアの国々だ。更に言うならば、こうした国々と北朝鮮との交易は2016年の段階で前年よりも拡大している。国際連合によると、北朝鮮の弾道ミサイルには外国製の部品が使用されているということだ。北朝鮮からの製品やサーヴィスを購入し続け、あるいは労働者を受け入れ続けている国々も存在している。北朝鮮はアジア地域に複数のフロント企業を設立している。これらを通じて北朝鮮は外貨にアクセスしている。

 

日本はアメリカとの鋼鉄のように強力な同盟関係を再確認することで北朝鮮の行為に対応してきた。日本はアメリカ、韓国と緊密に協力してきた。私は「全てのオプションはテーブル上にある」とするアメリカの立場を強力に支持するものである。

 

最新の核兵器実験への対応として、私は2017年9月11日の国連安保理決議2375号の即時かつ全会一致の可決を訴えた。その内容は北朝鮮に対する更に厳しい制裁を科すものだ。しかし、私は、これらの制裁の可決を単純に独りよがりで喜んでばかりいてはいけないと強調したい。北朝鮮がミサイルと核兵器開発プログラムに必要な物品、技術、資金、人材を手にすることを防ぐために、制裁内容の徹底した強制を行わねばならない。

 

北朝鮮は私たちが生きる世界に対して、深刻な脅威を与え、挑戦してきている。北朝鮮はこれまでの行為によって国際的な核不拡散体制は無視している。私たちは、北朝鮮に対して、挑発行為を止めさせ、核兵器と弾道ミサイル開発を放棄させ、拉致被害者を帰国させるようにしなければならない。それも可及的に速やかに。

 

国際社会における連帯、協力して努力すること、国連の効果的役割がこれまで以上に必要不可欠になっている。

 

※安倍晋三:日本国首相

 

(貼り付け終わり)

 

(終わり)

アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12







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 古村治彦です。

 

 前々回、前回に続いて、『組織の不条理 日本軍の失敗に学ぶ』(菊澤研宗著、中公文庫、2017年)を皆さんにご紹介します。

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組織の不条理 - 日本軍の失敗に学ぶ (中公文庫)

 

③の所有権理論とは、人間は限定的合理性しか持っていなくても、自分の利益を最大化するために取引を行います。その際の取引されるのは、取引財の特定の特質を巡る所有権ということになります。私たちが取引するのは、財のある特質を自由に使える権利、財のある特質が生み出す利益を手にする権利、他人のこの所有権を売る権利ということになります。この所有権理論については、私はよく理解できませんでした。しかし、読み進めていくと、菊澤氏が言いたいことは理解できました。

 

 菊澤氏は、所有権理論を使って今村均中将によるジャワ軍政を分析しています。日本軍は開戦後、瞬く間に東南アジアのほぼ全域を占領しました。そして、軍政を開始しました。日本軍の軍政はどうしても「日本の威光を現地住民と植民地としていた西洋諸国の人々に知らしめる、日本を盟主とする新秩序を教え込む」ということに重きが置かれ、苛烈を極めました。ガダルカナル島の作戦の際にも名前が出てきた辻正信は、シンガポールで中華系住民の大量虐殺を引き起こしています。また、現地の文化や伝統に無理解で、日本の文化や伝統を押し付けたために、現地の人々から反発が起きることもありました。


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今村均 

そうした中で、今村均中将(第16軍司令官)によるジャワ軍政は数少ない成功例となりました。今村は苛烈な弾圧を加えず、「日本の威徳を伝える」ことに重きを置き、かつ、現地の文化や伝統を尊重しました。インドネシアでは日本軍による苛烈な弾圧もない中で、治安が維持されました。今村は日本兵がインドネシアの人々の頭を殴打することを厳しく戒め(頭に神が宿ると考える現地の人々を尊重)、バタビアと呼ばれていたジャワを現地語であるインドネシアに改名しました(日本軍は多くの場合占領地を日本名に改名した)。神社なども作りませんでした。学校教育に投資をし、工業や農業の改善にも努力しました。また、インドネシア独立運動のスカルノやハッタといった幹部たちと協力体制を築きました。オランダ軍の捕虜たちの待遇もある程度の自由を与えるなどしました。

 

 こうした今村軍政に対して、大本営を中心に「手ぬるい」という批判の声が上がりました。しかし、今村は「占領地統治要綱」に書いてある通り、「公正な威徳で住民を悦服」させているのであって、自分は占領地統治要綱に従っているだけだ。だから、軍政を変更するには、占領地統治要綱を改定しなければならないし、自分はその改定に反対であるので、改定するのであれば軍職を賭ける、と言い切りました。

 

今村均は、陸軍士官学校第19期で、この期は旧制中学校出身者だけで構成された期で、バランスが取れた人物が多く輩出されたという評価を受けています(他は陸軍幼年学校卒のコースが主であり、幼年出身者が陸軍主流となった)。田中静壱や本間雅晴といった後に高い評価を受ける人々が今村の同期です。彼らは駐在武官や留学などで英米経験が長かったことでも知られています。旧帝国陸軍軍人で、バランスが取れていたという評価を受けている人々の多くは旧制中学校出身(外国語は英語が中心、幼年ではドイツ語とロシア語など)であることが多く、また、他の学校を受験したり、他の志望であったりしたのが、事情があって陸軍士官学校に入学してしまったというタイプが多いようです。陸軍士官学校や海軍兵学校は大変な難関でしたから、仕方なくで入れる学校ではありませんから、彼らは秀才であったとも言えます。このようなタイプは陸軍で主流には乗れずに、中央から外されてしまうことが多かったということは日本の敗北の理由と言えるでしょう。

 

今村はその温厚篤実の人柄が既に名将の風格を備えていたと言われています。今村は戦後、オーストラリアとインドネシアの軍事法廷で裁かれることになりました。今村は自分の部下が戦犯となった責任を問われて、オーストラリアの法廷で10年の刑を言い渡されました。彼は巣鴨で服役していたのですが、自分の部下と一緒に服役したいとマッカーサーに訴えて、マヌス島にある収容所に自ら移りました。マッカーサーは「武士道を見た」という談話を発表しました。

 

 菊澤氏は次のように分析しています。日本軍は占領地、ジャワの資源、人的資源(住民や捕虜たちの労働)を有効活用したい、一方、ジャワの人々や捕虜たちもまた日本軍を利用したいという関係になります。日本軍は少ない食事と睡眠で住民や捕虜たちに働いてもらいたい、住民や捕虜たちはできるだけ働きたくないということになります。お互いに、どこが均衡点か分からないということになります。となると、広範囲な勝日常的なサボタージュが起きたり、それに対しての弾圧が起きてしまうということになります。日本軍にしてみると、管理や監視のコストが増大します。

 

 今村は捕虜や住民の労働の利益を還元したり、自由や休息を与えたりということを行いました。そうすると、捕虜や住民たちは働いたら自分たちにも得になるということになって、サボタージュをしないということになります。また、教育や文化・伝統保護を通じても多くの権利を認めたために、ジャワの人々は日本軍に敵対しないということになり、治安維持のコストも下がりました。

 

 著者の菊澤氏はその他にも沖縄と硫黄島での戦いも分析しています。沖縄と硫黄島では悲惨な戦いが行われ、沖縄では民間人に約10万の犠牲が出ました。菊澤氏は、2つの戦いで、アメリカ軍は日本軍以上の犠牲を出し、大苦戦となったことに注目しています。そして、沖縄の八原博道高級参謀と硫黄島の栗林忠道司令官がともに大本営の命令をある部分は無視し、命令の目的を理解し、その実現のために合理的な行動を取ったと分析しています。もちろん、日本軍にも多大な犠牲が出て、ほぼ全滅状態となり、戦死した人々1人1人にとっては何が合理性か、ということにはなると思いますが、本土決戦までの時間を稼ぐ、という大本営の目的を的確に把握し、それを成功させたという点で、栗林司令官と八原高級参謀は合理的ということになります。

 

 日本軍の失敗から学び、現代にその教訓を活かすということはこれまでも言われてきました。日本の組織が持つ非合理性や非倫理性は日本軍と共通するところがあるので、それらを改善しなくてはならないと言われてきました。しかし、大企業や官庁、更には内閣まで、日本型組織の持つ欠点を改善するに至っていません。こうした欠点を改善するには、私たち人間が完全に合理性を持つ人間にならねばなりませんが、これは全く実現不可能なことです。そうなると、人間は限定合理性しか持たない、間違うものだ、完全ではないものだということを前提に置いた組織づくりが必要です。

 

 組織において常に批判ができるようにしておくこと、が重要であると思います。失敗が起きた時に失敗を隠すのではなく、失敗を改善のための貴重な機会と捉えることもまた重要です。そして、常に目的を明確にして、その目的のために合理的な方法(一番の近道、お金も時間も労力もかからない方法)は何かを常に求める姿勢が重要だと思います。

 

 しかし言うは易し、行うは難しです。人間はどうしてもこういうことはやりたくないので、昔ながらのやり方のままでいたり、批判に耳を貸さないということになりがちです。ということになれば、嫌でもそのようなことをしなければならないようにルールで定めたり、制度化したりしておくことが必要ということになります。そして、人間は失敗するのだから、失敗に関しては寛容に対応し、失敗から教訓を得られるようにしておくということは頭でわかっていても、なかなか難しいことです。ですから、人間は完ぺきではないと理解しつつ、だから何もしないということではなくて、少しでも改善していくという態度が重要なのだろうと思います。

 

(終わり)



アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12


野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23


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 古村治彦です。

 

 安倍晋三内閣は改造を経て、新たなスタートを切りました。今回は、安定した仕事のできる人物を集めたということで、「仕事人内閣」だと安倍首相も自画自賛しました(じゃあ、これまでは仕事人内閣じゃなかったのですか、と言いたくなりますが)。しかし、早速、とても仕事人とは思えない人物が入閣していることが明らかになりました。それは、江崎鉄磨(えざきてつま、1943年~、当選6回、自民党二階派)です。江崎代議士は、父である江崎真澄元通産大臣の地盤を引き継いだ二世委議員です。江崎代議士は今回、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当・消費者及び食品安全・海洋政策)及び領土問題担当大臣として初入閣となりました。

 

江崎氏は二階派に所属していますが、初当選以来、二階俊博代議士とずっと行動を共にしてきた人物です。二階代議士は、江崎代議士の父・真澄氏に近い人物で、竹下派結成時、竹下派結成に反対していた真澄氏に遠慮してすぐには竹下派結成に駆けつけることができないほどでした。

 

鉄磨氏は父真澄氏の秘書を1971年から20年以上務めており、1983年に初当選の二階氏とは古くからの付き合いということになります。二階氏は真澄氏に深い恩義があり、その息子である鉄磨氏を何とかしてあげよう、引き立ててあげねばという気持ちが強いのだろうと思われます。ですから、二階派から是非、江崎氏を入閣させて欲しいと働きかけてそれが実現したようです。

 

 江崎氏はとても正直な人物のようです。彼は入閣の打診に対して、「自分には荷が重い」「年齢が高い」などを理由にして、辞退しようとし、二階氏から叱責されたという報道がなされました。また、国会答弁について、官僚が書いた文書を朗読する、間違いがあってはいけないから、とも述べました。「自分には大臣をやるだけの能力がない」ということを自分自身でよく分かっていて、辞退するというのは、自分自身を冷静に見つめて分析ができているという点で、人間として素晴らしいことだと思います。

 

 しかし、当選6回となると、「入閣適齢期」などと呼ばれ、それだけの期間、国会議員をやっていれば大臣を務める力がついているはずだ、という判断が自民党内のキャリアパスのモデルによってなされるということもまた事実です。しかし、当選回数の多い少ないにかかわらず、大臣に不適格な人物がいるということは、ここまでの安倍内閣の大臣を見てきても明らかです。

 

 私は江崎鉄磨氏は、自民党の二世議員のひとつの典型ではないかと思います。父・真澄氏は閣僚を複数回務めた経験を持っています。1971年から父の秘書を務めた訳ですから、父が、自治大臣、通産大臣、総務庁長官を務めた時には近くで仕事を見てきたはずです。1971年から50年近く政界におり、代議士としても6回も当選してきた人物である真澄氏が、自分が初めて大臣をやるにあたり、「自信がない」と言うのは、そもそも政治家として研鑽を積むとか、大臣を目指して勉強をしてきたということが全くない人物であるということが言えます。議席を守って、親分の言うことを聞いて、平々凡々、穏やかに暮らせたらいい、地盤はしっかりとあるし(少し弱いけど)、何かあったら親分(二階俊博代議士)が何とかしてくれるよという極めて安定志向な政治人生であったと言えます。そして、二世議員の中にはこういうお坊ちゃんがいるのだろうと推察されます。江戸時代のお殿様みたいです。

 

 自民党にとってはこういう人物は、採決の時くらいにしか役に立たない人物です。こうした人物ばかりでは活力がなくなってしまいます。そこで重要なのは、ここ最近の選挙で通って来た安倍チルドレンの面々です。安倍チルドレンは別名「魔の二回生」とも呼ばれています。問題行動を起こす議員たちが複数出ていることが理由です。その一人が豊田真由子議員(とよたまゆこ、1974年~、当選2回、自民党に離党届提出中)です。豊田氏は、秘書へのパワーハラスメント(暴言が録音され、暴力行為もあったと言われている)が明らかにされ、

 

 豊田議員は、都内の超名門女子教育機関である桜蔭中・高を卒業し、ストレートで東京大学文科一類に合格し、東大法学部に進学し、キャリア官僚として厚生省(当時・現厚生労働省)に入りました。在職中にはハーヴァード大学にも留学し、修士号を取得しました。彼女はエリート中のエリートではない、という主張をする人々もいますが、それでもエリート官僚であることは間違いありません。そして、2012年に地縁などなかった埼玉四区から立候補し、初当選します。豊田議員は選挙区内には住まず、家族と一緒に都内に住みながら、通いで選挙区内での活動を行っていたということです。豊田議員はキャリアが示すように、官僚の世界に長くいたこともあって、政策通という評価を受けていたとも言われています。

 

 豊田議員の暴言や暴行(本当であれば)には驚くばかりですが、これは彼女が子供の頃から受けていた虐待が理由としてあるのではないかと私は推察しています。過度の完璧主義と暴言の酷さは彼女の成育歴の中に原因があるのではないかと思います。また、豊田議員が秘書に対して暴言をぶつけていたのは、手違いで別の人物に誕生日のお祝いカードを送ってしまったことに対するお詫び行脚の中で行われ、暴言の中に「これ以上、私の支持者を怒らせるな」という言葉があったことは報道されています。

 

 豊田議員が何よりも恐れていたのは、落選です。官僚はよほどのことがない限りは身分は保障されています(退職勧奨されても次のポジションはしっかりと確保されています)が、議員は選挙に落ちたら、何もできません。政策通として国会で活躍することはできません。豊田議員は落下傘候補として埼玉四区にやってきた人物ですから、古くからの友人、知人、親戚、支援者もいない中で、地盤を固めていかねばなりません。固めきれていない地盤=弱いとなれば他党からも狙われるということになります。自然の世界でまだ力の弱い動物が必死で生き抜こうとする姿が思い出されます。

 

 豊田議員の暴言は彼女の持つ焦りを示すものであり、その焦りとは地盤が強固ではないために、次は落選するかもしれない、そうなれば国会で活躍する、当選を重ねて党の重要なポストや大臣を狙う、ということができなくなるということです。もし豊田議員に何のスキャンダルもなくて、「大臣をやりませんか」となれば彼女は何があっても大臣を引き受けていたことでしょう。

 

 江崎代議士と豊田代議士。2人の代議士は自民党内部が格差社会であることを示しています。親の「遺産」で優雅に代議士生活(落選を経験しているのでそうとばかりも言えませんが)と、代議士の地位を守るために必死で駆けずり回る代議士生活。どちらも自民党の典型的な議員の姿と言うことができます。

 江崎大臣について言えば、「ぼんくら坊ちゃん」気質が、早速安倍内閣の弱点となっています。安倍政権の退陣を求めている私にとっては何とも心強い存在です。沖縄担当大臣として、日米地位協定の変更に言及しました。これは安倍政権ではタブーですが、江崎大臣は至極真っ当なことを述べています。また、皇居での認証式の前に出されたドンペリをグビグビと飲み、初閣議の後に出される日本酒を人よりも飲んで、「会見が控えているのだから」と安倍首相や周囲に制止されたそうです。それに関して、「不適格ならいつでも辞めます」と啖呵を切っています。


 江崎氏のこうしたお殿様気質というか、怖いもの知らずは、開き直りともとれますが、坊ちゃん気質という面もあるのだろうと思います。総理に向かって何でも唯々諾々という大臣が続いてきました。しかし、昔はこれくらいの謀反気がある大臣はいました。


 江崎議員のように総理を恐れない人物は得難い人物であり、坊ちゃん育ちのひ弱さがありながら、いざ開き直った時の怖いもの知らずの態度は、応援したくなります。


 正直さと開き直りが安倍内閣にとってプラスになるか、マイナスになるか、注目です。 

 

(終わり)





アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12



野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23


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 古村治彦です。

 

 2017年8月7日、若狭勝衆議院議員は、「日本ファーストの会」という国政政党を立ち上げると発表しました。

 

(貼りつけはじめ)

 

●「「日本ファーストの会」設立 小池氏は役職に就かず」

 

8/7() 11:56配信

テレ朝 news

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20170807-00000013-ann-pol

 

 若狭勝衆議院議員が国政選挙をにらんで、政治団体「日本ファーストの会」を立ち上げたことが分かりました。候補者集めの政治塾も開き、小池都知事が講師を務めるということです。

 

 若狭議員は7日午後、自らが代表を務める政治団体「日本ファーストの会」の設立を発表します。「輝照塾」という政治塾も立ち上げ、国政進出に向けた候補者集めを始めます。小池都知事は都政に専念する立場から当面、役職に就かない方針ですが、来月16日に予定される第1回の政治塾で講師を務めるということです。

 

(貼りつけ終わり)

 

 若狭氏は昨日、民進党を離党した細野豪志代議士との連携もあるという発言を行っています。日本ファーストの会は、小池百合子都知事を中心とする地域政党「都民ファーストの会」の国政版となります。若狭代議士の他、長島昭久代議士(民進党除籍)渡辺喜美参議院議員(日本維新の会除名)、松沢成文参議院議員(無所属)が都民ファーストの会を軸に結集すると見られています。ここに細野氏が入ることは大きな戦力になることを意味します。長島氏は細野氏の師匠格として知られています。

 

 「都民ファーストの会」の国政版であるからには「国民ファーストの会」であるべきですが、「日本ファーストの会」ということになりました。ここにこの「小池新党」の限界があります。この政党は「国民ファースト」を名乗ることができなかったということは、「国民のことを第一とはできない、しない」ということになります。

 

 私は今回の動き、都民ファーストの会の躍進から国政政党日本ファーストの会結成までの動きは、安倍晋三政権を支援する動きであり、その裏にアメリカ人脈が動いているということが考えられるということを私は主張したいと思います。

 

 日本ファーストの会が次の衆議院議員選挙で民進党がまだ勝利できている都市部に進出したとすると、民進党はぼろ負けで消滅の危機に瀕することになるでしょう。自民党はもともと負けているのですから、惜敗率で比例復活できる人が出てきたらいいや、というくらいの選挙区です。日本ファーストの会は組織力はない訳ですから、組織で固めた自民党の地盤、特に地方でそこまで切り崩すことは不可能ですから、民進党を切り崩して、「新しい受け皿」を狙うことになるでしょう。

 

 日本ファーストの会がどのような香料や政策を掲げるかはまだ分かりませんが、現在の民進党に比べて、かなり自民党寄りになることは、合流予定の議員たちの顔ぶれを見ても明らかです。そうなれば、「第二自民党」の誕生であり、自民党の補完勢力となることもまた明白です。日本ファーストの会が民進党を食ってくれれば自民党、そして安倍政権は安泰となります。

 

 私はこうした仕掛けはアメリカが行ったものと考えます。このように書くと、陰謀論だ、反米に凝り固まった考えという批判を受けるでしょうが、アメリカが日本政治に深く絡んでおり、アメリカの利益のために日本が存在するという状況が続いていることには多くの人々が気付いているだろうと思います。


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ハガティ

 8月下旬、ウィリアム・ハガティが駐日アメリカ大使として日本にやってきます。ハガティはドナルド・トランプ大統領の政権移行ティームで、政治任用担当者として、登用すべき人物たちの面接を担当していました。今回の大使起用はその論功行賞ということになります。ハガティはヴァンダービルト大学卒業、並びに同校法科大学院終了後にボストン・コンサルティングに入社し、日本で3年間勤務した経験を持っています。その後は、出身地であるテネシー州に戻り、投資会社を立ち上げ、またテネシー州への外国からの投資を誘致していました。また、ジョージ・W・ブッシュ大統領の経済顧問も務めました。


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ヴァンダービルト大学

 ハガティという人物を考える上で重要なのは、彼がヴァンダービルト大学卒業、並びに同法科大学院修了である点です。ハガティは出身地から離れることなく地元の名門大学に進み、そこで法科大学院まで修了しています。テネシー州やナッシュヴィルに大変愛着があるのかもしれませんが、東部の名門大学に進むチャンスもあったでしょうに、彼はテネシー州に残ります。しかし、ボストン・コンサルティングに入社し、極東アジアの日本、東京まで来ることになります。

 

 ハガティはその後の人生でも自分の投資会社をナッシュヴィルで創設し、テネシー州に他の地域や国々からの投資を呼び込む仕事をしていました。ヴァンダービルト大学人脈に組み込まれた地元の名士ということになります。そして、このヴァンダービルト大学には、ジェイムズ・アワー教授がいます。ハガティとアワーの共通項は「日本」です。

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アワー
 

 ジェイムズ・アワーはウィスコンシン州出身で、1963年にマーケット大学(ウィスコンシン州)を卒業後、米海軍に入隊し、佐世保に赴任します。その後、1968年にボストンにあるタフツ大学フレッチャー記念法律外交大学院(フレッチャースクール)の博士課程に入学します。ボストンにあるハーヴァード大学、マサチューセッツ工科大学、タフツ大学は名門校同士で、教授や学生たちの交流が盛んなことで知られています。

 

 アワーはハーヴァード大学教授だったエドウィン・O・ライシャワーの勧めもあって、日本の海上自衛隊の研究で博士号を取得します。博士論文(「日本海上兵力の戦後の再軍備194571年」)は、『よみがえる日本海軍』(妹尾作太男訳、時事通信社、1972年)として日本でも出版されました。その後、在日米海軍司令官付政治顧問、横須賀基地所属ミサイル・フリゲート艦長などを歴任し、1983年に海軍を退役し、国防総省勤務となりました。国防総省では、日本部長や国防次官特別補佐官を歴任し、1988年に国防総省を退官し、ヴァンダービルト大学教授となりました。ヴァンダービルト大学でアワーの薫陶を受けた人物には、長島昭久衆議院議員(民進党除籍)がいます。長島代議士は防衛政策に造詣が深いことで知られています。


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 恩師ジェイムズ・アワーと長島昭久

 ジェイムズ・アワーは防衛省と深い繋がりを持っています。そして、日本初の女性防衛大臣となった小池百合子氏ともつながりを持っています。小池氏は自身の著書の中で、アワーについて「自分よりも防衛省内部に詳しい」と書いています。長島議員は民主党政権時代に防衛大臣政務官、防衛副大臣を歴任しました。

 

 ウィリアム・ハガティ駐日アメリカ大使、ジャパン・ハンドラーズの1人ジェイムズ・アワー、長島昭久衆議院議員、小池百合子東京都知事(元防衛大臣)はこのようにしてつながっていきます。

 

 アメリカのジャパン・ハンドラーズのトップとも言うべき人物マイケル・グリーンは、2012年の段階で、日本の「リベラル」を壊滅することで、安倍政権を成立させることに成功しました。野党は多弱化し、「ゆ党」として維新勢力も出てきて、安倍一強体制が構築されました。

 

 しかし、安倍政権も長期化する中で緩みが出て、傲慢さや強引さが政権運営で目立つようになりました。そうした中で、安倍政権最後の大仕事、総仕上げである改憲(アメリカにとっても利益となる)も先行きが不透明となってきました。こうした中で、小池百合子都知事の誕生、都民ファーストの会の躍進、日本ファーストの会設立といった一連の流れは、安倍政権を別働隊として支える第二自民党、維新に代わる「ゆ党(与党でも野党でもない)」という補完勢力を生み出し、うまくいけば民進党にとどめを刺すというシナリオになっており、このシナリオを描いているのは恐らく、マイケル・グリーンであり、実行者はジェイムズ・アワーなのだろうと私は考えています。

 

 こうした動きを阻止するためには、民進党やその他の野党を自民党に代わる受け皿となるようにすることです。そうしなければ、大政翼賛会ならぬ、「米政(アメリカのための政治)翼賛会」が生み出されてしまうことになります。

 

(終わり)



アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12




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 古村治彦です。

 前回に続いて、『組織の不条理 日本軍の失敗に学ぶ』(菊澤研宗著、中公文庫、2017年)を皆さんにご紹介します。


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組織の不条理 - 日本軍の失敗に学ぶ (中公文庫)

 

②のエージェンシー理論とは、人間の取引関係は依頼人であるプリンシパルと代理人であるエージェントに分けられます。私たちは選挙で代議士を選びますが、有権者はプリンパル、代議士はエージェントとなります。政治家と官僚の関係で言えば、代議士はプリンパル、官僚はエージェントとなります。プリンパルとエージェントはともに自己利益を追求しますが、彼らの利益が一致しない場合が出てきます。エージェントがプリンパルの利益とはならない行動をすることがあります(エージェンシー・スラック問題と言います)。また、両者の間には得られる情報にも差が出てきます(情報非対称と言います)。こうした中で出てくる現象がモラル・ハザード現象とアドバース・セレクション(逆淘汰)現象です。モラル・ハザード現象はエージェントがプリンシパルの意向とは異なる行動をすることです。逆淘汰現象は、プリンシパルがエージェントのモラル・ハザードを防ごうとして合理的に行動することでかえって、非合理的な結果をもたらすということです。

 

 インパール作戦は、ビルマを確保した日本軍がインド方面に向けて進撃する大作戦でした。険しい山岳地帯とジャングルを抜けてインドの要衝インパールを占領して、イギリス支配下にあるインドに刺激を与え、イギリスに打撃を与えることを目的としていました。1944年3月にインパール作戦が開始されました。日本軍はインパール近くまで攻め込みながら、補給が続かなくなり、イギリス軍がジャングルに合わせた戦法と最新鋭の武器を採用し、物資の空中補給をはじめとする物量で日本軍を圧倒しました。イギリス軍はわざと日本軍をインパール近くまで引き寄せて(イギリス軍は少しずつ負ける形で撤退しながら)、補給船が伸びきったところで逆襲をかけ、日本軍を敗退させました。補給が続かなくなった日本軍将兵は撤退途中で飢えと病で力尽き、ビルマへの撤退路は「白骨街道」と呼ばれました。将兵3万が戦死、4万が傷病に倒れるという悲惨な結果に終わりました。

 

 インパール作戦を強く推進したのは、牟田口廉也(むたぐちれんや)第15軍司令官でした。牟田口廉也中将は日本陸軍史に残る世紀の愚将という評価を受けています。インパール作戦に参加し生還した将兵は後々まで「牟田口を許さない」「牟田口が畳の上で死ぬなんて許さない」と強く非難し続けてきました。インパール作戦でその評価を高めた人物もいました。宮崎繁三郎中将は最前線指揮官として激戦で多くの部下を失いながらもコヒマを奪取、その後、撤退中も自身が最後列に立ち、将兵を励まし、傷病兵を保護しながら見事な撤退を行い、日本陸軍きっての名将という評価を受けています。インパール作戦からの生還者たちは、「あの指揮官の下なら死んでもいい」と思わせるほどの人物だったと評価をしています。


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 牟田口廉也

 インパール作戦については、最初から補給の面で全く実行不可能な作戦であるとして反対が多いものでした。第15軍の参謀長・小畑信良少将は兵站(輜重兵科)の専門家で、現地視察を行ったうえで、作戦に強く反対しました。その結果、牟田口司令官から参謀長着任直後だというのに解任されてしまいました。牟田口は「日本人は古来草食動物であったのだから、草を食べればよい、青々としたジャングルで食糧不足とはなんだ」「牛で物資輸送を行い、その牛は最後には食料とする、ジンギスカン作戦だ」「皇軍は弾がなくても食うものがなくても戦うものだ」というような非合理的な思考の持ち主でした。突撃一辺倒の人物であり、司令官には向かない人物であったとも言えるでしょう。


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この時の指揮命令系統は大本営→南方軍→ビルマ方面軍→第15軍となっていました。大本営の真田穣一郎第一部長、南方軍の稲田正純総参謀副長、ビルマ方面軍の中永太郎参謀長といった人々がインパール作戦に反対しましたが、それぞれの上司に説得されたり、解任されたりということになりました。大本営の杉山元参謀総長は「南方軍の寺内さんの頼みだからやらしてやって欲しい」、南方軍の寺内寿一(長州閥の寺内正毅陸軍大将・総理大臣の息子)総司令官は「苦戦が続く南方軍の管轄内での壮挙だ」、ビルマ方面軍の河辺正三司令官は「(日中戦争のはじまりとなった盧溝橋事件以来の上司と部下の関係である)牟田口が是非やりたいということなのでやらせてやりたい」という根拠が薄い理由で作戦の実行を後押ししました。また、東條英機首相・陸相は戦局打開のためにインパール作戦を利用しようと考えていました。

 

インパール作戦に参加した3個師団を率いた佐藤幸徳、山内正文、柳田元三の各師団長は作戦開始前から作戦が失敗に終わると明言し、牟田口司令官に批判的でした。山内師団長はアメリカ留学経験者で、留学先の米陸軍大学校を非常に優秀な成績で卒業したので、アメリカ軍の将官の中にも山内の消息を気にする人たちが多くいました。山内は合理的精神を持った軍人でした。柳田元三は陸軍大学校を優等で卒業した「恩賜の軍刀組」で、こちらも作戦においては合理性を重視しました。

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佐藤幸徳 

師団長たちは作戦中も司令部の牟田口司令官に補給を要請し続け、牟田口を激怒させました。そして、それぞれ敢闘精神の欠如などを理由にして師団長を解任されました。師団長は天皇が直々に任命する(新補)する重職でした。そうした中で、作戦途中で、3名の師団長が解任されるというのは異常事態でした。佐藤幸徳師団長の場合は、補給を受けられないのでは宣戦を維持できないとして、命令に違反して独断で戦場を離脱しました(抗命)。従って、軍法会議にかけられ、死刑を宣告される可能性もありました。しかし、佐藤師団長は「心神耗弱」を理由にして不起訴となり、終戦まで現役に留まりましたが、閑職に追いやられました。佐藤師団長は軍法会議で命がけで軍上層部の無責任を批判するつもりであったのですが、彼の意図通りにはなりませんでした。それは、軍法会議にかけて有罪にしてしまうと、天皇が任命した師団長がこのような不始末を起こしたことに関して天皇にも責任があるという論法につながってしまうからです。

 

 こうしてみると、現場の指揮官や作戦立案者たちはインパール作戦に反対しながら、上層部がかなり根拠薄弱な理由で作戦実行を後押ししたということが分かります。それでは、現実的に実行不可能な作戦がどうして実行されたのか、という疑問が出てきます。日本陸軍の精神偏重主義、兵站軽視と答えるのはあまりに簡単ですし、大本営の中にさえ反対者がいたということも考えると、そればかりという訳にはいきません。

 

 インパール作戦に置いては当事者間の利害が一致していなかったということを菊澤氏は指摘しています。牟田口司令官は、盧溝橋事件を起こした当事者で常に「自分には日中戦争を始め、そして拡大させた責任があるので、戦争のかたをつけるのも自分だ」という奇妙な論理を持っていたということです。そして、個人的にはインドにまで進軍することで軍功を挙げ、大将昇進を狙っていたということです。反対者たちは、兵力や兵站の点から、この作戦はできないという判断をしました。また、情報の非対称性も指摘されています。牟田口は歴戦の指揮官で、上層部、特にビルマ方面軍の中永太郎参謀長に対しては、「あなたは実戦の経験がないからそんなことを言うのだ」と言ったということです。実戦の経験を出されてしまうと、こうした人々(ずっとエリート街道を歩いてきたような人たち)は反論が出来なくなってしまいました。

 

 モラル・ハザードの点からは、大本営は牟田口の「独断専行(命令なしに自分の判断で行動すること)」を懸念していたようです。牟田口はインパール作戦も独断専行で始めてしまうのではないか、という心配をしていたそうです。盧溝橋事件でも牟田口は独断専行で攻撃を開始したという「前科」がありました。この時に成功したので、処分されませんでしたが、この時にきちんと命令違反だとして処分しておけばという気持ちになります。そこで、大本営は「作戦実施準備命令」を出しました。これは何とも曖昧なもので、作戦を実施せよ、という命令ではなく、作戦実施に向けて準備をしておけ、という命令で、現場ではこの命令をどう実行してよいのか困ったそうです。これは、牟田口に独断専行させないために、出されたものですが、結果としては、完全な中止命令ではなかったために、推進派の作戦実施の口実に使われました。そして、合理的な反対派は説得されたり、解任されたりで排除されていき(逆淘汰)、インパール作戦が実施されることになりました。

 

(続く)



アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12


アメリカの真の支配者 コーク一族
ダニエル・シュルマン
講談社
2016-01-22


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