古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

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カテゴリ: 日本政治

 古村治彦です。

 2022年の日本における最大の事件は安倍晋三元首相暗殺事件だった。これによって、日本の政界では現在、自民党と統一教会の関係清算の動きが進んでいる。統一教会への批判も依然として強いままだ。安倍晋三元首相暗殺事件の山上進容疑者の背景に、家庭関係の不幸と母親の統一教会への入信と多額の寄付による不幸があり、山上容疑者が統一教会に怨恨の感情を抱き、現在の教団最高指導者韓鶴子総裁を狙うも果たせず、統一教会と関係が深いと彼自身が考えた安倍晋三元首相を狙ったが報道され、統一教会に対して注目が一気に集まった。そして、統一教会が政界、特に自民党に深く食い込んでいる実態が明らかにされるようになり、自民党は統一教会との関係を清算せざるを得ない状況に追い込まれた。

 祖父信介元首相以来、父安倍晋太郎元外相がともに統一教会と深い関係にあり、安倍晋三元首相もまた関係を継続させた。その結末が悲劇的なことであったことは何とも皮肉なものだ。

 安倍晋三元首相は「改革の熱狂」を引き起こした小泉純一郎・竹中平蔵時代の申し子のような形で、若きスターとして自民党や政府の重職をほぼ担うことなしに、これまでのキャリアパスとは異なる形で首相に就任した。第一次政権は1年弱と短気であったが、第二次政権は長期政権となり、政権担当機関は憲政史上最長を記録した。この間に安倍晋三元首相が行ったことは、戦後日本の構造の改悪であった。格差の拡大、解釈改憲の強行による憲法九条の骨抜き、対米従属体制の強化であった。アベノミクスと呼ばれる経済政策は効果を生まなかった。戦後体制の変革を目指した安倍晋三元首相の残した日本は、衰退国家の道をたどる日本となった。少子高齢社会の流れを止められなかったが、これは安倍氏以外の政治家でも同じことだっただろう。

 安倍元首相の暗殺によって、政界における安倍晋三元首相の影響力が消え、彼に守られていた人々は後ろ盾を失った。「チェンジ・オブ・ペース」で就任した岸田文雄首相は、国防費GDP比2%達成というアメリカからの指令(トランプ政権時代から言われていた)を実現するために、大幅な増税を画策している。また、先制攻撃の容認という重要な転換も行おうとしている。国防予算の増額と先制攻撃の容認ということが合わされば、近隣諸国にとっては脅威ということになる。安全保障の不安定な環境があるので国防を強化するということがさらに不安定化を増長するということになる。

 私は安保条約改定で退陣した岸政権から経済重視の池田政権への移行と、安倍政権から岸田政権への移行をアナロジーとして比べて考えていた。簡単に言えば、宏池会系になれば、好戦的な姿勢は弱まるだろうと考えた。しかし、21世紀にはこのようなアナロジーは適さなかったようだ。宏池会は平和路線で経済重視という常識は既に通用しないようだ。ある意味で、戦後体制が終焉したということが言えるだろう。そして、非常に残念なことであるが、安倍晋三元首相が目指した戦後体制の終焉は成功したということになるのだろうと思う。

(貼り付けはじめ)

安倍晋三元首相の国葬は、安倍元首相の存命中と同様に議論を巻き起こすものだ(Shinzo Abe’s State Funeral Is as Controversial as He Was

-暗殺された元首相のための儀式は一つの時代の終焉を際立たせた。

スペンサー・コーエン筆

2022年9月26日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/09/26/japan-shinzo-abe-state-funeral/

戦後初のそして最後の首相公葬が秋の暖かい火曜日に行われた。1967年10月31日、吉田茂はその2週間前に89歳で亡くなった。不確実で激動のアメリカ占領時代とその後の独立時代に日本を率いたこの人物を国家は讃えた。1951年、サンフランシスコで戦争終結のための講和条約に調印し、瓦礫と火の海から生まれた新しい民主政治体制国家「新生日本」を体現した人物ことが吉田茂だった。

神奈川県大磯の吉田茂邸の芝生の上に、小銃を手にした自衛隊の儀仗隊の列が立ち、式典は始まった。長男で作家・評論家の吉田健一が遺骨を入れた箱を持ち、ゆっくりとした足取りで重厚な黒塗りの車に乗り込んだ。車は東京に向かい、頭を下げて祈る弔問客で埋め尽くされた通りを走り、やがて皇居近くの日本武道館に到着した。外は大勢の人、中は関係者や外交官たちなどが集まり、厳粛な雰囲気に包まれていた。吉田健一は父の遺骨を持って中央通路を歩き、佐藤栄作首相に遺骨を渡すと、佐藤首相は自衛隊の儀仗隊3人に遺骨を手渡した。その遺骨は、数千本の菊の花で覆われた祭壇と、高さ3メートルの遺影の下に運ばれた。

吉田茂の肖像画は、1964年の東京オリンピックのために建設された会場である日本武道館に集まった政治家や外国の外交官たちを見下ろし、建設と成長に沸く首都で、安定と経済力の象徴である新しい新幹線が横切る国土を眺めていた。この平和と繁栄は、数十年前に吉田茂が行った政策によって形作られたものである。吉田は、軍事力とアメリカからの完全な独立を、自由民主党(Liberal Democratic PartyLDP)政権を強固にした産業と経済力に引き換え、「吉田ドクトリン(Yoshida Doctrine)」「サンフランシスコ・システム(San Francisco System,)」「吉田案件(Yoshida Deal)」と呼ばれるものによって、国家の指導者になった。吉田の死は、1945年の第二次世界大戦の終結から始まった壮大な歴史の幕を閉じたかのようであった。歴史家のジョン・ダワーは、「彼の死は、吉田が他のどの日本人よりも体現した『戦後』という章に、最後の文章を書いたのだ(the death wrote the final sentence to the chapter called ‘postwar,’ which Yoshida more than any other single Japanese personified)」と書いている。

2時10分、日本中にサイレンが鳴り響き、武道館は静まり返り、多くの人が一つの時代の終わりを感じた。しかし、多くの人がそれを受け止めた。銀座で黙祷する人たちに10代の少女が、「あれ、皆さん何をしているんですか?」と声をかけた。佐藤内閣は1947年に廃止された戦前の国葬令(state funeral ordinance)を回避し、公示や国会審議によらず閣議決定(cabinet decision)で葬儀を行ったのだ。このような経緯に戸惑う人もいれば、真っ向から反対する人もいた。国葬の正当性を疑問視し、恣意的な法的根拠を糾弾し、国葬は過去の帝国の遺物であり、残すべきものではないとする評論家もいた。保守的な読売新聞の記者でさえも「無感動な国葬(an emotionless state funeral)」と評した。

さて、今週火曜日に行われる安倍晋三元首相の国葬では、華やかさ、ページェント、喪服、弔辞、批判、そしてスペクタクルが再び繰り返されることになる。政治家の国葬は、約80年前に終わった戦争の後で2回目、50年以上ぶりのことである。「吉田茂以来、国葬が行われなかったと言うよりは、吉田以降、国葬が永久に廃止されたと考えた方が真実に近いと思う」と朝日新聞はで論評した。1975年、佐藤栄作は死去し、彼の支持者たちは国葬で彼を讃えようとした。しかし、明確な法的根拠がなかったため、国、国民、自民党の出資による形での国民葬(national funeral)が行われた。

それ以来、戦後はこの方式が定着した。内閣総理大臣の葬儀は、内閣と自民党の共同出資で行われることになった。1989年、昭和天皇(海外では裕仁天皇と呼ばれる)は、宮内庁が「国家儀礼(State Ceremony)」と呼ぶ「大喪の礼」を行い、吉田首相の儀式とは異なる形で国民が敬意を表した。しかし、現在の岸田文雄首相は儀礼にとらわれない。しかし、岸田文雄首相は、佐藤首相に倣い、閣議決定で安倍首相の国葬を行った。

安倍首相を例外とすることは、当然といえば当然だが、賛否両論があった。7月、街頭演説中に手製の銃で撃たれて亡くなった安倍元首相は、ある時代の政治を象徴する人物だった。岸信介元首相の孫であり、自民党の有力政治家だった故安倍晋太郎元外相の子息である安倍晋三は、戦後最も長く首相を務めた政治家となった。亡くなった当時は、自民党の最大派閥を率いていた。

しかし、国葬1週間前の時点でも日本人の約6割が葬儀に反対している。その理由は、安倍首相の右翼的な政策に対する軽蔑から、あるいは葬儀そのものが独裁的な行事であるという考えからである。ここ数カ月、市民団体が葬儀に国費を使うことの差し止めを求め、何千人もの人々が東京の街頭に出て、国民が何も言えないで決まった儀式だと抗議している。「国葬が民主政治体制のための葬儀であってはならない(A state funeral must not be a funeral for democracy)」と、8月31日に約4000人の群衆が国会の前に集まって叫んだ。批評家たちは、国葬は大衆に、しばしば不人気な人物を集団で悼み、記憶することを強要し、時に物議をかもす彼の政策への批判を押しとどめようとする試みであると見ている。国葬は「民主政治体制の破壊」を意味すると経済学教授の金子勝は書き、およそ1200万ドルにのぼる納税者の資金を追悼のために使うことは非民主的で、特に法的根拠があいまいな式典の場合はそうであると主張した。しかし、岸田首相と自民党は葬儀を続行し、首相は葬儀は「民主政治体制を守るものだ」と宣言した。

先週、イギリス女王エリザベス二世の国葬のために参加者たちがロンドンに集まった。その儀式と人物との比較は避けられないものであった。エリザベス女王は、多くの人々から慕われる君主であり、今日イギリスに住むほとんどの人々が生きている間、国の象徴的な舵取りをする中立的な存在として見られていた。もちろん全ての人々がそうであった訳ではない。これに対し、安倍首相は君主ではなく政治家として、国際的なリベラリズムと右翼的なナショナリズムの間に境界線を引いた。そして、2000年代初頭に政権を握った。S・ネイサン・パークは次のように主張している。安倍首相は、歴史修正主義(historical revisionism)を標榜したことで物議をかもし、分裂している人物ではあった。しかし、彼の周囲にいた人々と外国の外交官の双方を惹きつける魅力があった。しかし、おそらく最も適切な比較は、エリザベス女王の死と、戦前、戦中、戦後とその地位にあった昭和天皇の死である。1989年の昭和天皇の葬儀は、何日も喪に服し、結束して、明確で顕著な歴史の区切りを示すように見えた。

安倍元首相の死は、女王や天皇といった君主の死ほどには、国家の安定を破壊していないように見える。しかし、東京大学の五百旗頭薫教授(日本政治・外交史)は、銃撃事件直後の『フォーサイト』誌に、日本政治では有力な保守政治家が暗殺されると「政治が漂流する(politics goes adrift)」のが通例だと書いている。安倍首相のような「保守主義と進歩主義」のバランスを取る政治家が国政の舵取りをし、その暗殺によって全てが混迷と混乱(confusion and disorder)に陥るという。

そして、1967年と同じように、終わりを宣言する日々が続いている。安倍元首相のスピーチライターだった慶応大学教授の谷口智彦は、「国葬によって、安倍首相の『チャーチル的(Churchillian)』な、国家への貢献が歴史に刻まれる」と書いている。また、この式典にあまり賛成でない人たちもその歴史的意義を認めている。朝日新聞のある論説委員は、銃撃事件の数日後、そして東京の寺院で行われたより小規模で内輪の安倍首相の葬儀の翌日に、「1つの時代が終わったのに、人々や車は何も変わっていないかのように動き続けていた」と書いている。

また、グローバルな視点からの意見もあった。産経新聞の磨井慎吾は、「私たちが生きてきた平成という時代は、急速に歴史になりつつあるという思いが強くなっている」と書いている。平成は厳密には2019年に天皇陛下の退位で既に終わっているが、暦が変わり、祝日が規定されたものの、その推移は穏やかで地味なものだった。そして、3年後の今、世界的な新型コロナウイルス感染拡大、ウクライナ戦争、安倍首相の暗殺を経て、変化が起きているのではないかと磨井は主張している。安倍元首相の葬儀は、吉田元首相の葬儀と同じように、一つの時代の終わりを意味するのかもしれない。

安倍首相暗殺の意味は、週ごと、日ごと、最初は時間ごとに変化していった。しかし、多くの人が口にしたのは、「民主政治体制(democracy)」という言葉だった。7月8日、銃撃事件から数時間後、岸信夫防衛相は記者団にこう語った。参院選の2日前だった。安倍首相の弟である岸首相はやつれた様子で、声は小さく、テンポはゆっくりで落ち着いていた。彼は「民主政治体制への冒涜(an affront to democracy)」と述べ、次に銃撃は暴力的で、言論の自由(free speech)と公正な選挙(fair elections)を抑圧しようとするものだと言い、厳しく非難した。岸田首相も同じように「日本は民主政治体制を守らなければならない」と演説を続けた。読売新聞が7月12日に発表した世論調査では、73%の人が暗殺事件を民主政治体制(a threat to democracy)への脅威と見ている。

また、当初は犯人の動機があいまいであったこと、標的があまりに重要で影響力があったこと、そして近年との比較があまりに平板であったことからか、コメンテーターたちは政治的暗殺の多い日本の歴史に他の場所との類似性を探した。国内外のジャーナリストや学者たちが「日本における政治的暴力の歴史」や「日本の過去の暗殺に関する入門書」を執筆した。保守的とはいえ国民感情のバロメーターであるNHKは、過去の暗殺の写真や映像をふんだんに使って安倍首相狙撃の特集を組んだ。

戦前の複数の暗殺は実質的時代を転換させるものであり、行為や時代は違うが、安倍首相狙撃後の類似を危惧する論者が出ているのは当然だ。昭和時代の研究者である保阪正康は、暗殺事件後に『文芸春秋』誌に書いたように、当初、犯人は安倍を批判する極左か極右の人物だと考えていた。そして、銃撃の2日後、朝日新聞のインタヴューで、その推測に基づいて、戦前の暗殺のように「暴力の連鎖(chain of violence)」が続くと警告していた。保坂は、1930年に東京駅で撃たれた浜口雄幸首相や、1932年に超国家主義者の青年軍人たちがクーデターを起こし、犬養毅首相を殺害したいわゆる5・15事件のことを読者に思い起こさせた。このような政治家の刺殺事件や射殺事件は、戦前の民主主義に対する攻撃であり、戦争への足がかりであり、ファシズムの初期の侵攻の兆候であると、1947年に碩学丸山真男が指摘した。

保坂は戦後にも目を向けていた。彼は朝日新聞の取材に対し、1945年以降、「暴力の連鎖」は終わったと述べている。歴史学者でジョージワシントン大学国際関係学部准教授のアレックス・フィン・マッカートニーは、「暗殺は特に、日本の極右勢力によって使われた政治的暴力の戦術だ」と述べた。戦後でも、日本社会党の浅沼稲次郎委員長が他の党首たちと討論しているときに刀で刺されて殺された陰惨な事件や、安倍首相の祖父である岸信介の暗殺未遂事件などが起きた。保坂は取材に対して「戦後の長い期間、政治家に対する暴力は連鎖的に起こることはなく戦争に発展することもなかった。私にとって、これは民主政治体制が確立されていた証拠だ。今回の事件を受けて、もう一度、これを証明しなければならない」と述べた。

しかし、今回の安部元首相暗殺事件は特異な出来事なのだろうか? 衰退(decline)、崩壊(collapse)の兆しという見方もある。それは、41歳の山上徹也容疑者は、一見するとバラバラで単発に見える最近の暴力事件の複数の犯人の一人であったからだ。2008年に東京・秋葉原の群衆に車で突っ込み、道行く人を刺して7人を殺害、10人を負傷させた残虐な殺人事件で、犯人の加藤智大に対して、日本政府によって39歳にして2021年12月以来の死刑執行が行われた。2019年には、家族と暮らす51歳の無職、岩崎隆一がナイフで武装してバス停で待つ子供たちに近づき、2人を殺害し、十数人に怪我を負わせ、自分自身は自殺した。同年、青葉真司(41歳)が京都のアニメスタジオに火を放ち、36人が死亡した。

山上、加藤、青葉、岩崎の4人は、政治的、思想的に一致している訳でもない。しかし、彼らはほぼ同時代の1960年代後半から1980年代前半に生まれ、バブル崩壊後の崩壊の真っ只中で育った世代である。「就職氷河期世代(Employment ice age generation)」である。戦後の終身雇用(lifetime employment)の約束が株価とともにしぼんでしまった、意気消沈し忘れ去られた世代である。後に、英語では「Lost Generation」と呼ばれるようになった。どんな意味で失われたのか? 仕事が失われ、社会的流動性が失われ、希望が失われた。

これは、山上容疑者が高校の卒業アルバムに書いた、未来の自分を表現するための言葉である。バブル崩壊から7年後の1999年、高校卒業者の就職率は88.2%と、日本史上最低の数字となった。父親が自殺し、兄が癌に侵され、山上容疑者と母親は悲しみと喪失感に苛まれていた。母は統一教会に入会し、多額の寄付をしたため、山上容疑者は大学に通うことができなかった。彼の将来は不安定であり、経済的な停滞によって更に悪化した。

慶應義塾大学経済学部の嘉治佐保子教授は2015年、「失われた数十年は、日本が大切にしてきた一体感と調和という概念を侵食した(The lost decades have eroded Japan’s cherished notion of oneness and harmony)」と書いている。戦後、吉田が築いた取り決めで鍛えられた思想の崩壊ということになる。解雇されたサラリーマンがスーツを着て公園のベンチで新聞を読み、親族や近所の人に解雇されたことは言えなかったこと、1990年代後半の自殺率の上昇、ネトウヨや2ちゃんねる文化、ひきこもり、これらは全て崩壊の兆候だろう。アメリカ在住の作家イアン・ブルーマは2009年に「悲惨な世界大戦の残骸から構築された日本社会の構造全体が崩れてきている」と書いている。

そして山上容疑者は、統一教会への恨みを募らせている中で、戦後社会の崩壊に巻き込まれた。統一教会に人生を狂わされ、経済的な停滞で更に悪くなったと彼は考えた。そこで彼は、統一教会の現在の指導者であり、故・創始者である文鮮明の妻である韓鶴子を殺害しようと計画したが、新型コロナウイルス感染拡大時代の渡航制限のために不可能だったと捜査当局に語った。しかし、統一教会と緩いつながりがあるとされる安倍元首相が統一教会のイヴェントで演説している映像を見て、標的を安倍首相に移し、7月8日に奈良で殺害した。

山上徹也は戦後の崩壊と衰退の産物だ。しかし、安倍元首相の死は、それ自体が変化の触媒(catalyst)となり、敗戦後の数年間に最初に刻まれたシステムの解体を更に進めることになるかもしれない。安倍の死は、数十年にわたる保守支配の終焉を意味するかもしれない。歴史家のアンドリュー・レヴィディスは、「安倍首相の殺害によってもたらされた問題は、岸信介によって定義された保守政治の時代の終焉に到達したかどうかである」と述べている。安倍元首相が継承してきた保守の覇権(conservative hegemony)と一党支配(one-party rule)は、彼の暗殺によって混乱と不確実性に投げ込まれるかもしれないが、今のところその可能性は低いと思われる。

銃撃事件はまた、自民党幹部と統一教会との関係に明るい光を当てた。これは、今や崩壊するかもしれない戦後の秩序のもう一つの遺物である。また、多くの人が、暗殺について、どうやって個人が銃を作ることができたのか、と疑問を持っている。そして政治学者の彦谷貴子が『フォーリン・アフェアーズ』誌に書いているように、ウクライナ戦争後に起きた暗殺に続いて、安全保障についての関心が高まって、国防と安全保障に関する会話が起きている。知るのは時期尚早だが、安倍元首相の銃撃は、戦後の平和主義の秩序さえも解体させる可能性がある.

それでは、安倍首相の葬儀は、戦後の最後の息の根を止めることになるのだろうか? 東京大学の五百籏頭薫教授は、銃撃事件後の数日間のメール交換で、「様子を見なければならないが、吉田の葬儀が本当に終わらせることができなかった戦後の時代の終わりになるかもしれない」と慎重に語った。この葬儀は、戦後の、冷戦の、ある種の終わりであるかもしれない。2006年に初めて政権を取った安倍首相は、その政策と目的、思想と信条、意欲、意思を集約した言葉を口にした。それが「戦後レジームからの脱却(overcoming the postwar regime)」だった。安倍晋三元首相は、生前にはこの目的を果たせなかったが、死後はそれに成功するかもしれない。

※スペンサー・コーエン:ニューヨークを拠点とするジャーナリスト。以前は東京を拠点としていた。朝日新聞のスタッフとしてニューヨーク支局から記事を送っている。今回の記事は彼個人の仕事であり、朝日新聞とは関係ない。

(貼り付け終わり)

(終わり)

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 古村治彦です。

 2022年9月27日の安倍元晋三元首相の国葬については反対論が国民の多数を占めている。私は正直に言って、国葬が決定された直後、「世論調査を刷れば国民の半分くらいは賛成ということになるんだろう」と考えていた。安倍晋三元首相は選挙に強く6回の国政選挙で勝利を収めていたのだから、国民の半分くらいは国葬に賛成するだろうと思っていた。しかし、私の考えは間違っていた。国民の過半数が安倍元首相の国葬に反対という世論調査の結果が多く出た。安倍元首相の人気や人々からの支持はそれほど高くなかったということになる。そして、安倍元首相率いる自民党が選挙で勝ち続けたのは選挙制度のおかげも大きいということが私の中で明らかになった。

 私は国葬という話が出てきた時から反対だ。国葬を行うための根拠となる法律はない。国会での審議もおざなりで、閣議決定で国葬実施が決まった。国家が行う行事はすべからく税金の支出が伴う。税金の使われ方を行政府が勝手に決めるというのは危険な暴走行為である。更に言えば、国家の行う全てにおいて重要なのは手続きだ。そこに毛ほどの瑕疵があれば、その行事や行為には正当性はない。今回の国葬に関しては、手続き面で多くの瑕疵がある以上、国葬に正当性はなく、それを強行することは、日本という国家の正統性もなくなるという重大な暴走ということになる。だから、私は国葬に反対だ。

 そして、安倍元首相暗殺事件によって日本政界と統一教会の深い関係が白日の下に晒された。安倍晋三元首相やその周辺の「保守」と呼ばれる政治家たちは、韓国や中国に対する嫌悪感を煽る、ナショナリスティックな言動を繰り返してきた。しかし、安倍元首相は韓国を拠点とし、「日本は韓国に奉仕する存在」と主張してきた統一教会と深い関係を築いていた。この矛盾に戸惑う人が多い。「反共」という補助線を引けばある程度理解できる。

文鮮明は「反共」を旗印にして、アメリカの共和党や世界各地の独裁者たちと深い関係を築いてきた。冷戦下、反共産主義であれば、「自由と人権の総本家」を自称するアメリカも独裁国家を支援してきた。文鮮明は膨大な資金(日本の信者や弱っている人々から搾り取った)を使ってそうした人々に取り入ってきた。日本の窓口が岸信介から発する自民党清和会であり、笹川良一であった。文鮮明が築いた反共ネットワークは、独裁国家や独裁者たちをつなぐネットワークであり、岸信介や安倍晋三はそのラインに連なる。

更に言えば、こうした反共ネットワークの基底にあるのはアメリカのCIAだった。CIAの謀略や世界各国の指導者たちをエージェントにしていった様子は『』(ティム・ワイナー著)に詳しい。岸信介は戦前には満州国建国から国家総動員計画を作り上げ、戦後はアメリカのエージェント、具体的にはCIAのエージェントとなった。日本を「反共の防波堤(bulwark against Communism)」とすることに成功した。「反共」の旗印さえ掲げれば、後は何でも良かった。岸信介の権力志向と戦前回帰志向も日米安保条約改定までは利用価値があり不問に付された。岸の日米安保改定については評価する主張もあるが、現在の「対米従属」を固定化する枠組みを強化したという点では、「反米で独立志向の立派な岸信介」という評価は過大評価だと私は考える。

 今回の安倍晋三元首相の暗殺と国葬は日本の戦後政治が抱えてきた負の部分を一部ではあるが国民に示すことになった。日本政治の汚れた部分を急に全部きれいにすることはできないし、そもそも政治に汚い部分が存在するのは当然のことだ。しかし、あまりにも汚れ過ぎている場合にはその掃除が必要だ。自民党内部の良識ある人々も含めて国民的な動きとして掃除を行うことが重要だ。

(貼り付けはじめ)

安倍晋三元首相の殺傷事件をきっかけにして統一教会について詳細に調べられる(Shinzo Abe’s Killing Puts Unification Church Under Microscope

-日本の与党と韓国の統一教会との関係が国民の怒りを買っている。

ウィリアム・スポサト筆

2022年8月29日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/08/29/shinzo-abe-killing-unification-church-japan/

東京発。安倍晋三元首相が暗殺された事件をきっかにして、予想もしなかった公の場での議論が起きている。当初は悲しみの声が覆っていたが、犯人が人々に注目させたかった問題について、政府に対する人々の怒りに変化している。

合法的であれ何であれ日本では銃を入手することはほぼ不可能なので、先月起きた安倍元首相襲撃は、粗末な手製の武器で行われたが、いくつかの計画変更により首相が標的になった。犯人の長期的な目標は、統一教会の宗教指導者を狙うことだったようだ。統一教会(Unification Church)は、韓国を拠点とする宗教団体で、信者に対する強引な資金集め(heavy-handed fundraising among members)や集団結婚式(mass wedding ceremonies)で知られ、論争の的になっている。統一教会の最高指導者の代わりに安倍元首相を攻撃しようと決めたのは、安倍元首相が世界平和統一家庭連合(Family Federation for World Peace and Unification)として知られる統一教会とつながりがあると考えたからである。

安倍元首相暗殺で逮捕された41歳の元自衛隊員の男性、山上徹也容疑者は、1984年に父親が亡くなった後、母親が統一教会に入り、家族が経済的に破綻したことに怒りを持っていたと捜査当局に供述している。家族の1人によると、母親は長年にわたって合計70万ドル以上の献金をしていたという。1954年にカリスマ性のある文鮮明によって設立されたこの教会は、高圧的な資金調達の手法に詐欺の疑いがあるとして、日本の警察と何度も揉めている。日本人の会員数の推定は調査によって大きく異なるが、日本の信者は主要な収入源であると考えられている。世界的には200万人から300万人の信者がいると言われている。

山上は当初、教団の再興指導者、特に2012年に文鮮明が亡くなった際に教団を引き継いだ文鮮明の未亡人、韓鶴子(Hak Ja Han、ハンハクジャ)を標的にしようと考えていたという。しかし、新型コロナウイルス感染拡大の影響で韓鶴子は予定していた日本への渡航をキャンセルし、更に山上は韓国への渡航が不可能になった。2021年の同時期、ある教団大会で安倍元首相が行った賛辞のビデオを見て予定を切り替えたという。安倍の祖父で戦後の首相だった岸信介の1950年代までさかのぼる、教会と日本の与党・自民党の関係も山上は知っていたのだろう。

政治に精通した文鮮明は、その厳格な反共主義的見解において、日米の保守派と共通の基盤を見出した。統一教会は常に論争にさらされ、カルトと揶揄されたが、それでも文鮮明は世界の有力者たちと親しくなり、彼らはしばしばその好意に応えた。また、ウォーターゲート事件で苦境に立たされたニクソン大統領を支援したことで、ニクソン大統領から感謝されたこともある。

文鮮明は、1990年にはソヴィエト連邦を訪問し、ミハイル・ゴルバチョフ大統領と会談し、政治・経済改革への支持を表明した。1995年、ジョージ・HW・ブッシュ(父)元米大統領とバーバラ・ブッシュ夫人は、文鮮明の妻が運営する教会系の団体である世界平和女性連合(Women’s Federation for World Peace)の大規模な会合で演説を行った。安倍元首相が登場した2021年のネットイベントには、ドナルド・トランプ前米大統領も登場し、文氏が1982年に設立した、共和党支持の『ワシントン・タイムズ』紙を絶賛した。

文鮮明にとって、日本は勧誘と資金調達のための肥沃な土地だった。宗教が人生において非常に重要であると答えた日本人はわずか10%であり(多くの人は神道の結婚式と仏教の葬儀を抵抗感なく行き来する)、統一教会を含む多くのニューエイジ宗教に引き寄せられる人々もいる。外部の人間から見れば、こうした宗教は世間知らずの人々からお金を搾取する洗脳カルトだが、人気が衰えないのは、何らかのニーズを満たしていることを示唆している。自民党にとって統一教会は、熱心でよく組織された支持者集団であり、信者の票集めという選挙戦の最前線での仕事を引き受けてくれた。

こうした政党と宗教のつながりは異常なことではなく、必ずしも裏があるわけでもない。アメリカの福音派(U.S. evangelicals)と共和党の密接な関係は周知の通りである。同時に、アメリア南部の黒人教会は、会員の投票率を上げるのに十分な効果があることが証明されており、ジョージア州とテキサス州の共和党は日曜日の投票を禁止しようとしたが、これは悪い方向に作用した。

日本では、過去10年間連立政権の一翼を担ってきた公明党は、1930年に設立され、過去には政府からしばしば疑いの目で見られてきた仏教運動である創価学会という宗教団体に支えられている。公明党の山口那津男代表は、宗教と政治が結びついている問題について、8月初旬の記者会見で、統一教会は別問題であると示唆し、慎重な姿勢を示している。山口代表は「社会的な問題を抱えたり、大きな迷惑をかけたりする団体については、政治家は選挙で支援を求めたり、国民を誤解させるような行動を慎むべきだ」と述べた。

安倍元首相暗殺がなければ、今さらスキャンダルに爆発することもなかっただろう。統一教会の資金調達方法は、何年も前から批判されてきた。2009年には訴訟を受けて、資金調達方法を改め、信者が返還を要求したお金を返すと約束したが、最近になって、少なくともいくつかの問題が続いていることを認めている。統一教会関係者は、元信者からの苦情を聞く仕組みがあることを指摘し、該当件数は着実に減少していると主張している。

しかし、7月8日に安倍首相が殺害されてからの数週間で、国民は統一教会の政治的なつながりに目覚め、どんなに無害に見えても心配だと感じるようになったようである。違法なものは見つかっていないが、着実な報道は、この国の最も確立された政党と、倫理的に問題があり、弱い立場の日本人を食い物にしているように見える韓国の宗教団体とのつながりに焦点をあてている。その中でも、萩生田光一元経済産業大臣は、ブッシュ元大統領が演説したのと同じ教会関連の女性団体の会合に出席し、数年にわたり毎年650ドル程度の寄付をしていたことが判明した。萩生田は、この会のメンバーは一般の有権者であり、自分はこの会の慈善活動を支援していると説明した。

このような報道の中で、共同通信社は日本の国会議員712人全員を対象に、教会との関係を問うアンケートを実施した。その結果、100人が「何らかのつながりがある」と答えた。そのほとんどは、イヴェントに参加したり、募金活動のチケットを教会員に売ったりすることであった。また、30人の議員は、教会の会員が票集めを手伝ってくれたと言っている。

国民の反応は強く、多くの政治家たちがその関係を否定したり、ごまかしたりしたが、新たな報道で事実が発覚し、不信感が募った。また、出席した会合や寄付が統一教会と関係しているとは知らなかったと説得力のない主張をする政治家もいた。自民党と統一教会とのつながりが次々と明らかになるにつれ、岸田文雄首相はますます圧力を受けるようになった。岸田首相は、政権に新しい活力を注入するために、日本ではおなじみの内閣改造にいち早く踏み切った。首相はまた、閣僚や高官は教会との関係を絶つべきだと述べたが、その作業は個々の議員に任されているようだった。岸田は最近の記者会見で、「統一教会をめぐって国民から様々な意見が寄せられている。政治の信頼を確保するために、政治家はどう行動すべきかを考えるべきだ」と述べた。

しかし、性急な措置も功を奏さず、統一教会とつながりのある議員3人がまだ閣内に残っているとの報道がなされた。このため、7月上旬の参議院議員選挙で好成績を収め、わずか1カ月前に勢いに乗っていた政権が危うくなっている。7月中旬には63%あった支持率は、毎日新聞の最新の調査では36%にとどまっている。岸田の任期が危ういと言うのは早計だが、これほどの急落があれば、普通なら不運な指導者は退陣に追い込まれる。このように国家指導者が損切りをする傾向があるため、安倍首相を除いて、日本は過去16年間、回転ドア首相が続出している。

9月下旬に予定されている安倍首相の国葬(state funeral)は、戦後日本の政治家の国葬としては、第二次世界大戦を終結させたサンフランシスコ条約の交渉にあたった吉田茂に次いで2例目であることも、こうした事態が暗礁に乗り上げた一因となっている。今回の国葬は、日本を再び世界に知らしめた安倍首相の幅広い影響力を示す、有力者の集まりとなることが約束されている。出席予定者は、バラク・オバマ前米国大統領、カマラ・ハリス米副大統領、ナレンドラ・モディ・インド首相などだ。フランスのエマニュエル・マクロン大統領やドイツのアンゲラ・メルケル元首相も出席する可能性があると報じられている。このように世界的な支持を得ているにもかかわらず、毎日新聞の世論調査では53%の人が国葬に反対していると答えている。

岸田内閣に向けられた国民の怒りは、統一教会と自民党のつながりと偽善に対する一般的な不安以上に、明確な焦点がないように思われる。安倍元首相は韓国との関係で強硬な姿勢を示したが、これは日本の多くの地域に長年存在する反韓感情の底流を反映したものだ。

しかし、安倍元首相が殺害された後に明らかになったことは、親日的なナショナリストの感情と、弱者から金を引き出すことに熱心な韓国の宗教団体を結びつけた、皮肉な関係を指摘するものだった。多くの世界的人物がそうであるように、安倍首相も常に国際的な議論より国内での議論の方が多かった。死後もそうである。

※ウィリアム・スポサト:東京を拠点とするジャーナリスト。2015年から『フォーリン・ポリシー』誌に寄稿している。20年以上にわたり、日本の政治と経済を取材しており、ロイター通信とウォールストリート・ジャーナル紙で勤務していた。2021年にはカルロス・ゴーン事件と日本への影響について共著を出版した。
(貼り付け終わり)

(終わり)

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 古村治彦です。

 安倍晋三元首相の銃撃暗殺事件から、日本政治においては、「政治と宗教」のつながりが焦点になっている。具体的には統一教会と政界(主に自民党)のつながりが取り沙汰されている。私は政治家たちがどの宗教を信仰していてもそれは自由であるが、その情報は公開され、有権者へ投票の際の判断材料として提供されるべきだと考えている。それが嫌なら立候補しなければよい。そして、各政党はどの組織からどのような支援を受けているのかを明確に発表すべきだと考えている。これも有権者の判断のためだ。
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 統一教会は反社会的な行動のために多くの裁判で敗訴となっている。霊感商法や正体を隠しての勧誘や脱会の際の強引な引き留めなどが社会問題となり、かつ合同結婚式という、見知らぬ男女が結婚式で初めて会って有無を言わさずに結婚させられてしまうという儀式などのために、危険視されてきた。マスコミでは1980年代から1990年代にかけて報道されたがそれ以降は報道がなくなっていた。しかし、今回の安倍晋三元首相銃撃事件によってクローズアップされ、統一教会が政界に深くかかわっていることが明らかになった。統一教会と政界の接点の中心にいたのが安倍晋三という人物であった。より大きく言えば、自民党と活発な政治活動を続ける宗教を結び付ける存在が安倍晋三元首相だった。
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 安倍晋三元首相は2006年9月に首相に就任した。その前には安倍元首相や日本の右翼勢力の危険性は取り沙汰されていた。日本国際問題研究所のウェブサイトに玉本偉(たまもとまさる)研究員の論稿(英語で書かれた)が掲載された。その論稿は小泉純一郎首相が周囲の反対を押し切って靖国神社参拝を強行し、「ザ・カルト・オブ・ヤスクニ(the Cult of Yasukuni)」勢力が台頭し、また日本が右傾化することで周辺諸国から孤立するという内容であった。この論稿に対して、産経新聞の古森義久(当時のワシントン特別論説員)が新聞で取り上げ批判した。日本国際問題研究所が外務省からの補助金で運営されている団体なのにこのような偏向した内容の論稿を掲載して良いのかという論理で、日本国際問題研究所に「公開質問状」となる記事を掲載した。日本国際問題研究所の佐藤行雄理事長は狼狽し、産経新聞に謝罪文を送り掲載された。そして、玉本研究員をけん責処分俊、研究員の論説記事を全て削除した。

 それに対して、ニューアメリカ財団研究員スティーヴン・クレモンスは『ワシントン・ポスト』紙に「日本の思想警察の台頭」という記事を掲載した。これは日本の右翼勢力が、暴力も使いながら、言論封殺を行っており、その代表例が古森による玉本論文非難だという内容だった。古森はワシントン・ポストに反論文を掲載した。この頃、加藤紘一衆議院議員(当時)の自宅が放火され全焼するなど、右翼勢力による暴力まで用いた言論封殺の動きが活発だった。第一次安倍政権時代の分析については、副島隆彦先生と弟子たちの論文集『最高支配層だけが知っている日本の真実』(成甲書房)に詳しく書かれている。
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 安倍晋三元首相は、神道政治連盟、日本会議(生長の家の学生部から出た組織)、そして統一教会と深い関係を持ち、「政治と宗教」を象徴する人物であった。2006年の第一次政権時代から、右翼的な宗教との関係があり、日本の右傾化を進めたということになる。そして、国民全体がそれを許容した。その結果が現在のような閉塞状況であり、自民党の極端な右傾化、復古主義である。私たちは「カルト・オブ・ヤスクニ」という言葉をしっかりと覚えておかねばならない。これらの宗教団体は一様に日本国憲法の変更を主張し、自民党の憲法草案はそうした主張が多く盛り込まれたものとなっている。戦前への復古を目指す。このような動きについて、今回の安倍元首相銃撃暗殺事件を契機にして、国民に広く周知され、そうした動きが阻止されるということを願う。

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神道は長い間日本の政治と絡み合ってきた-そして、安倍晋三はその多くの団体と関わりを持ってきた(Shinto religion has long been entangled with Japan’s politics – and Shinzo Abe was associated with many of its groups

ケイトリン・ウゴレッツ筆(カリフォルニア大学サンタバーバラ校東アジア言語・文化研究科、博士取得候補者)

『ザ・カンヴァセイション』誌

2022年7月18日

https://theconversation.com/shinto-religion-has-long-been-entangled-with-japans-politics-and-shinzo-abe-was-associated-with-many-of-its-groups-186697

ケイトリン・ウゴレッツは、この記事から利益を得るいかなる企業や組織にも勤務したり、コンサルタントとして相談を受けたり、株式を所有したり、資金提供を受けたりはしておらず、学術分野における任命以上の重要な所属についても明らかにしていない。

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安倍晋三前首相の写真の前で献花する人々。安倍晋三元首相の葬儀を前に、弔問に並ぶ人々(2022年7月12日、東京・増上寺にて)。

安倍晋三元首相の狙撃犯とされる山上徹也容疑者は、安倍首相が統一教会として知られる、救世主の登場を約束する新興宗教運動とつながりがあったことが動機だと警察に供述した。

山上容疑者は、母親がこの団体に「多額の寄付(huge donation)」をしていたと説明し、母親を破産させ家庭を崩壊させたのはこの教会だと非難した。2022年7月11日の記者会見で、統一教会の日本支部長は、山上容疑者と安倍元首相は信者ではないが、山上容疑者の母親が信者であることを認めた。

統一教会は1954年、韓国の宗教指導者、故文鮮明(Sun Myung Moon)によって設立された。文鮮明は、家族を救い、世界平和を実現するために、自分はイエスから遣わされたと主張した。彼の信者は一般的に「ムーニーズ(Moonies)」と呼ばれている。

文鮮明は宗教活動以外にも国際的なビジネス取引や保守的な反共産主義の政治に深く関与した。

安倍家と統一教会の政治的なつながりは、母方の祖父・岸信介、父・安倍晋太郎と3代にわたっている。安倍晋三は2021年の時点でも統一教会関連のイヴェントに有料スピーカーとして登場した。

今回の銃撃の背後に考えられる動機は、日本を最も宗教的でない国の一つと見ている多くの人々を驚かせた。日本の宗教を研究対象としている学者として、私は安倍元首相と彼の政党である保守系与党である自民党が、いくつかの宗教的伝統や宗教政党とつながりを持っていることを知っている。しかし、安倍首相と神道との深いつながりがニュースになることはほとんどない。その理由は不明だ。

神道は長い間、安倍元首相の政治の一部であり、今も自民党にとってそうである。

●神道とは何か?(What is Shinto?

神道は、仏教と並ぶ日本の二大宗教の1つだ。多くの宗教的伝統と同様に、神道は人々にとって異なる意味を持つことがある。ある人々にとっては、日本人の中心的な信仰ということになる。また、神道を宗教として捉えていない人たちもいる。

神道は通常「神々の道(Way of the Gods)」と訳される。簡単に言うと、神道は「カミ(Kami)」と呼ばれる神々を崇拝することに焦点を当てた儀式の伝統の集合だ。これらの強力な神々は、作物の成長を助け、人々の健康を守るなど、多くのことに責任があると信じられている。

神道の神々の中には、日本の皇室とつながりのある神々がいることが知られている。特に太陽の女神(sun goddess)である天照大神(Amaterasu)は、日本の天皇や皇后の祖先であり、国の守護神として崇められている。伊勢神宮(Grand Shrines of Ise)は、日本で最も神聖な場所とされている。

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黒いスーツに身を包んだ男たちが一列になって歩く儀式的な行列。日本の中部にある三重県の伊勢市にある伊勢神宮の外宮(outer shrine)を後にする日本の、明仁上皇(2019年4月18日撮影)。

神道の儀式は、日本中、いや世界中の神社の神職が、神とその管轄下にある地域社会の人々のために行うものである。天皇陛下も毎年、五穀豊穣を祈り、即位や退位の際に国民のために神事を執り行う。

神事に参加することが神聖で、精神を高揚させるという人々もいる。また、神社に参拝することは、単に伝統や国の誇りの問題である人々もいる。

●神道との絡み合い(Entanglement with politics

神道は政治や国家と長い間複雑に絡み合ってきた歴史がある。現存する最古の日本の書物は、天皇や公家がその子孫であると主張する神々の神話的な行為を想起させ、彼らの支配を正当化するものであった。

研究者ジョリオン・トーマスは、著書『偽装された自由(Faking Liberties)』の中で、近代日本における宗教のあり方をめぐる100年にわたる議論の中心に神道があったことを明らかにしている。19世紀まで、日本には西洋で考えられているような「宗教(religion)」という概念はなく、日本語で「宗教」という言葉もなかった。しかし、1889年の明治憲法に信教の自由の権利(the right to religious freedom)が盛り込まれると、政府はどのような伝統や集団が宗教的であるかそうではないかを決定しなければならなくなった。

当時、神道は公式に分裂していた。天皇や神である祖先に関する儀式は無宗教の民間の儀式(「国家神道(State Shinto)」と呼ばれることもある)として、それ以外の個人の信仰や実践に関することは私的宗教として分類された。

第二次世界大戦後、アメリカを中心とする連合諸国(the Allies led by the United States)は日本に占領政府(occupation government)を作り、戦後の国家から神道の全てを宗教に分類して分離した。しかし、他の宗教と同様に、神道も日本の政治と関わりを持ち続けた。

日本における重要な団体の一つに、神道政治連盟(Shinto Association for Spiritual LeadershipSAS)がある。神道政治連盟(SAS)は、約8万社の神社が加盟する神社本庁(Association of Shinto Shrines)の政治部門として1969年に設立された。

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黒いスーツを着た3人の男性が先行している神職と他の3人に頭を下げられながら廊下を歩く。2005年8月15日、物議を醸した東京の靖国神社で戦没者への祈りを捧げた後、神職の後を歩く安倍晋三元首相(当時自民党副幹事長)。

研究者のマーク・マリンズによると、ナショナリスト集団の目的は、天皇の権力を増大し、憲法を改め、学校で神道の道徳教育を実施することである。また、日本の過去の軍国主義を象徴する空間として物議を醸している東京の靖国神社への政府関係者の参拝も支持している。この神社では、植民地支配や戦犯を含む戦没者の霊が、神道の神々として祀られている(are enshrined as Shinto deities)。

安倍首相とその政権は、数十年にわたり神道政治連盟(SAS)と緊密に連携してきた。2016年、安倍内閣の閣僚20人のうち19人が神道政治連盟に所属していた。14人は日本会議(Japan ConferenceNippon Kaigi)のメンバーだった。日本会議は、日本を守る会(Society to Defend Japan)などの神道系団体とつながりのある、神道政治連盟とは別の右翼民族主義団体である。安倍首相は日本会議のメンバーであり、特別顧問を務めていた。

安倍首相とその家族は、政府以外の右翼的な宗教プロジェクトにも関連している。2017年、安倍夫妻は超国家主義的な私立神道小学校に関する汚職スキャンダルに巻き込まれた。土地取得のための政府の巨額値引きに疑問が生じ、安倍夫妻は関係を断ち切り、学校の計画は頓挫した。

ナショナリズムとは別に、安倍は環境保護主義など現代神道の他の側面の政治化に貢献した。2016年、彼はG7首脳を、天照大神が祀られている三重県の伊勢神宮内宮(Inner Shrine of Ise)に招待した。この訪問では、植樹式(tree-planting ceremony)が行われた。学者であるアイケ・ロッツは、安倍がこの行事を利用して正当性を獲得し、国家的な公的精神性(national public spirituality)の一形態として神道を推進したと書いている。

安倍晋三は首相在任中も、そしてその後も、各世代の保守派、ナショナリスト、信奉者にとって、神道政治のリーダーでありモデルであった。この遺産は今後も生き続けている。

カリフォルニア大学サンタバーバラ校の博士課程に在籍するケイトリン・ウゴレッツは、日本の宗教、グローバリゼーション、デジタル技術、大衆文化を専門とする研究者だ。博士論文の研究テーマは、世界規模の神道信者のデジタルエスノグラフィーとオンライン神道共同体の成長というものだ。また、デジタル技術とソーシャルメディアの時代における東アジアの宗教の権威、信憑性、帰属意識、革新性に関連する問題にも関心を持っている。ゲームやアニメのプロジェクトで日本の宗教と大衆文化に関するコンサルティングを行った経験があり、ユーチューブ(YouTube)の教育チャンネル「Eat Pray Anime」を主宰している。

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日本の思想警察の台頭(The Rise of Japan's Thought Police

スティーヴン・クレモンス筆

2006年8月27日

『ワシントン・ポスト』紙

https://www.washingtonpost.com/archive/opinions/2006/08/27/the-rise-of-japans-thought-police/7953533b-62bf-482b-b854-acb7436c4dd5/

他の国であれば、政策通の間で繰り広げられる、利害関係の薄い争いに過ぎないかもしれない。しかし、受け入れ可能なナショナリズムを見つけるのに苦労している日本では、最近起こった、新聞の論説委員と一流の外交政策シンクタンクの編集者との間の激しい争いは、はるかに憂慮すべきものであった。公人に対する右翼の威嚇キャンペーンの最新の攻撃は、言論の自由を圧殺し市民社会の後退を招いているのだ。

2006年8月12日、超保守的な(ultra-conservative)産経新聞に所属するワシントンを本拠とする論説委員である古森義久は、日本国際問題研究所(Japan Institute of International AffairsJIIA)が運営するオンライン・ジャーナル「コメンタリー」の編集長である玉本偉の記事を攻撃した。玉本の記事は、反中国的な恐怖を煽り、戦没者を祀る神社への公式参拝に代表されるような、日本における新しい「タカ派ナショナリズム(hawkish nationalism)」の台頭を懸念するものであった。古森はこの記事を「反日(anti-Japanese)」と決めつけ、主要な著者を「極左知識人(extreme leftist intellectual)」であると非難した。

しかし、古森はそれだけにとどまらなかった。小森は研究所の佐藤幸雄所長に対して、小泉純一郎首相が毎年靖国神社(Yasukuni Shrine)に参拝していることに疑問を呈する著者である玉本を支援するために税金を使ったことについて謝罪するよう要求したのである。

驚くべきことに、佐藤は古森の要求に従った。日本国際問題研究所のウェブサイトは日本の外交政策と国家アイデンティティの問題について率直な議論をする場であるべきだという彼自身の声明も含めてもそうだ。佐藤所長は先週、産経新聞の編集部に手紙を送り、許しを請い、「コメンタリー」の編集管理を全面的に見直すことを約束した。

佐藤の古森と産経新聞に対する降伏は息を呑むほどの出来事であった。しかし、日本を覆っている政治的雰囲気の中では驚くには当たらない。最近のナショナリズムの高まりに刺激され、1930年代の軍国主義(militarism)、天皇崇拝(emperor-worship)、「思想統制(thought control)」への回帰を切望する過激な右翼活動家たちが、より主流の世界に進出し、自分の考えにそぐわない人々を攻撃し始めたのだ。

先週、こうした過激派の一人が、小泉純一郎首相の今年の靖国参拝を批判した元首相候補の加藤紘一の実家を焼き払ったばかりだ。数年前には、富士ゼロックスの小林・トニー・陽太郎会長が「小泉首相は靖国参拝を止めるべきだ」と発言した後、自宅を手製の爆弾で狙われたことがある。爆弾は爆発する前に解体されたが、小林は殺害の脅迫を受け続けた。圧力はその効果をもたらした。小林が率いる大企業の連合組織である経済同友会は、小泉首相の中国に対する強硬姿勢や靖国参拝に対する批判を撤回し、小林は現在ボディーガードと一緒に行動している。

2003年、当時の田中均外務審議官は自宅で時限爆弾を発見した。北朝鮮に甘いということで狙われた。その後、保守派の石原慎太郎都知事が講演で、田中に対する攻撃は「自業自得(had it coming)」と主張した。

自由な発想と脅迫が対峙する(free-thinking-meets-intimidation)もう一つの例は国際的に尊敬されている慶応大学の名誉教授の岩男寿美子である。昨年2月、日本の多くが女性の皇位継承を支持する用意があることを示唆する論文を発表した後、右翼活動家が彼女を脅迫した。彼女は主張の撤回を発表し、現在は身を隠していると伝えられている。

このような過激な言動は、過去に起きた不穏な響きを呼び起こす。1932年5月、犬養毅首相は、満州における中国の主権(recognition of Chinese sovereignty over Manchuria)を認め、議会制民主政治体制(parliamentary democracy)を堅く守ることに反対した右翼活動家の一団によって暗殺された。第二次世界大戦後、右翼の狂信者たちは主に影に隠れていたが、日本の国体(national identity)、戦争責任(war responsibility)、皇室制度(imperial system)に関する微妙な話題に近づきすぎたり、公然と発言したりする人々を脅かすことはあった。

今日の右派による脅迫について憂慮すべき重要な点は、それが機能していること、そしてそれがメディアの中に相互主義を見出したことである。産経新聞の古森は、最近の事件の犯人たちと直接の関係はないが、自分の言葉が頻繁に彼らを動かしていること、そして彼らの行動が自分の発言に恐怖感を与える力を与え、彼らが議論を封じるのを助けていることに気づいていないことはないだろう。更に悪いことに、日本の現首相である小泉純一郎も、来月の選挙で後継者となるであろう安倍晋三も、日本の主要な穏健派の言論が自由に表現されることを抑圧しようとする人々を糾弾するようなことは何も言っていない。

脅迫のケースはまだまだたくさんある。私はここ数日、日本のトップクラスの学者、ジャーナリスト、政府の公務員など数十人と話をした。彼らの多くは、右派からの暴力や嫌がらせを恐れて、数々の事件について公に言及しないよう私に懇願してきた。ある政治評論家は私にこう書いた。「右翼が私の書くものを監視し、さらに問題を起こそうと待ち構えているのは知っている。このような人たちのために時間やエネルギーを無駄にしたくない」。

日本にはナショナリズムが必要だ。しかし、健全なナショナリズムが必要だ。タカ派的で過激なものではないナショナリズムが必要だ。最近、こうしたタカ派的で過激なナショナリズムのために、この国で最も優秀な人たちの多くがその見解を明確に示すことができない状態を余儀なくされている。

スティーヴン・クレモンス:ニューアメリカ財団American Strategy Program)アメリカ戦略プログラム部長兼日本政策研究所(Japan Policy Research Institute)共同創設者。

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私は過激派を支持しない(I Don't Back Extremists

2006年11月11日

『ワシントン・ポスト』紙

https://www.washingtonpost.com/archive/opinions/2006/11/11/i-dont-back-extremists/f78707dc-62cb-4715-b224-89621adb50d1/

「日本の思想警察の台頭」(8月27日)という記事の中で、筆者スティーヴ・クレモンスは私の誠実さに対する攻撃を行い、また重要な事実についても間違っている。クレモンスの発言と事実は次の通りである。

クレモンス氏:産経新聞と古森義久は、「1930年代の軍国主義への回帰を切望する極右活動家の過激化したグループ」と何らかの形で連携している。

私の回答:産経新聞は毎日220万部発行されている日本の主流な新聞である。産経新聞も私もそのような活動家たちとは全く関係がない。

クレモンス氏:小森氏は「自分の言葉がしばしば彼ら(テロリスト)を活気づけ、彼らの行動が今度は彼の主張に対して恐怖感を煽る力を与え、彼らが議論を封じるのを助けることを認識していないことはないだろう」。

私の回答:クレモンス氏は、私が意図的にテロ行為を鼓舞しようとしていると非難している。彼はこの主張に対して何の立証もしないし、することもできない。要するに、産経新聞も私もそのような行為を糾弾し、反対しているのである。

産経新聞は、小泉純一郎首相の政敵である加藤紘一の自宅を放火した事件を厳しく非難している。

小泉純一郎首相の政敵である加藤紘一の自宅を放火した事件では、加藤自らが編集部に感謝の言葉を述べている。

クレモンス氏:古森氏は表現の自由を抑圧した。

私の回答:私は、政府の出資する研究所が、海外の読者に向けて、政府の政策や指導者について、非常に意見の多い批判や誤った報道を英語で発信していることを報道した。私は言論の自由を強く支持しており、政府が出資している客観的であるべき政策研究機関がこのような攻撃を助長していることを国民に知らせることもその一つだ。クレモンス氏が主張するように、私は誰かに謝罪やその他の行動を要求したことはない。

古森義久

編集委員

産経新聞、東京

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 古村治彦です。

 安倍晋三元首相が銃撃によって暗殺され1か月ほどが経過した。日本憲政史上において最長の首相在任期間を記録し、国政選挙にも勝ち続けた安倍元首相と安倍元首相がリーダーだった日本の右派だったが、一気に退潮に瀕している。安倍元首相が率いた安倍派は後継者が育っておらず、集団指導体制となった。自民党の派閥の歴史を見てもらうと分かるが、安倍派はこれまで代替わりの度に分裂ということが頻繁に起きた。最近は起きていなかったが、一時的には集団指導体制で収まると思うが、やがて誰かリーダーを選ぶとなった場合には内紛が起きる可能性がある。また、安倍派は岸(信介)系と福田(赳夫)系の流れがあり、それらが争うということもある。現在の安部派のプリンスは福田達夫自民党総務会長であるが、福田を早く総裁候補に育てたい勢力とそれを阻止したい勢力で争うことになるだろう。

 現在の岸田政権のキーパーソンとなるのが松野博一官房長官と木原誠二官房副長官だ。この2人についての紹介記事を下に掲載する。松野官房長官は安倍派所属であるが、系統としては福田系と言える人物である。首相を狙うタイプではなく、キングメイカーを目指す寝業師のタイプのようだ。岸田文雄首相率いる宏池会とも関係が良いようだ。

 木原誠二官房副長官は財務官僚出身でイギリスでの経験がある。2009年の選挙で落選してしまったがその後は順調に当選を重ねている。木原は岸田の側近であり、首相を目指す姿勢を隠そうとしない。官僚系でおとなしい人物が多く、お公家様集団というのが特徴されてきた宏池会系では珍しい感じである。

 今回の安部元首相暗殺で日本の右派がこんなにもろくも崩れてしまうのかということが私にとっては驚きだった。それは安倍元首相が統一教会に恨みを持つ人間に殺されたという「舞台設定」が大きく影響している。暗殺事件後、暗殺事件自体への興味関心と言うよりも、統一教会自体そして、政界と統一教会との腐れ縁的な関係へと関心が集まり、自民党に対しては批判的な目が向けられている。統一教会との関係が突破口になって、日本の政界の浄化と右派の暴走への歯止めが効くようになるということを多くの国民が期待している。

 2022年は世界規模、日本国内両方で政治史における大きな転換点となった年だったということが後々言われるようになるかもしれない。それほど大きな変化が起きつつある。

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安倍元首相後の日本:脅威の下での政治的安定性?(Japan after Abe: Political stability under threat?

-指導者不在の保守派、経済的課題、岸田首相の先行きの不安など、様々な問題が立ちはだかる。

ナオヤ・ヨシノ筆

2022年7月13日

『アジア日経』紙

https://asia.nikkei.com/Spotlight/The-Big-Story/Japan-after-Abe-Political-stability-under-threat

東京発。7月8日、安倍晋三元首相は奈良市内で、参議院選挙を翌日に控えた選挙活動を行っていた。安倍首相らしい名演技だった。安倍首相は見物人に手を振りながら、自民党候補の応援演説をした。

演説の途中で2発の爆音がして、安倍は倒れ、暗殺者の手製の銃で致命傷を負った。

生前の安倍首相は、おそらく21世紀の日本がこれまでに見た中で最も手ごわい政治家であった。在任日数が3188日と日本史上最長の首相であり、リフレ政策「アベノミクス」から不運な2020年東京五輪の開催準備まで数々の業績を残した。

しかし、銃犯罪の少ない日本では、安倍元首相の暗殺による死は彼の遺志を汚すほど大きな出来事であった。この事件は平和主義の日本だけでなく、新型コロナウイルスの大流行やロシアのウクライナ侵攻など世界的に不安定な時期に世界中に波紋を広げた。

安倍元首相は祖父が首相、父が外相という名門一家出身の政治家であり、階級社会の頂点に立つ人物であった。

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安倍晋三(左)と1982年から1986年まで外相を務めた父安倍晋太郎。1987年撮影。

安倍元首相殺害の容疑者である山上徹也(41歳)は元工場労働者で、恨みのために安倍を銃撃したと主張している。統一教会(Unification Church)として知られる、世界平和統一家庭連合(Family Federation for World Peace and Unification)という宗教組織と安倍元首相が関係を持っている確信していた。山上容疑者の母親は巨額の資金を教団に寄付し、結果として破産してしまった。統一教会は月曜日、山上の母親は現在も信者であると認めたが、安倍元首相との関係を否定した。

山上容疑者が単独で行動し、政治的な意図で襲撃をしたのではなかったということは、暗殺事件の捜査によって示唆されている。国家的指導者が血を流して倒れている姿は、日本の政治史における困難な時代を思い起こさせる。1930年代、日本では犬養毅首相や他の政治家たちに対する一連の襲撃事件が起きた。この暴力は民主政治体制を溶解させ、最終的には戦争につながる軍国主義を生み出した。
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78日、奈良の集会で演説する安倍晋三の写真。安倍を射殺した山上徹也容疑者はポロシャツにカーゴパンツ姿で右から2番目。 

安倍首相の死後時間を置かずに行われた参議院選挙は、岸田文雄首相が率いる与党自民党の勝利に終わった。ポスト安倍の時代、岸田には、日本の言論の自由と民主政治体制が暴力によって抑圧されないようにする責任がこれまで以上に重くのしかかることになる。

●変革的な人物(A transformative figure

安倍元首相の遺体は、土曜日に東京都の富ヶ谷にある自宅に帰った。火曜日には、岸田首相を含む安倍元首相の家族と親しい友人のみが参列する、ほぼ非公開の葬儀が執り行われた。

それでも、葬儀会場の東京の増上寺の前には、大勢の弔問客が詰めかけた。安倍元首相の遺体は黒い霊柩車で運ばれ、その中で未亡人の昭恵氏が頭を下げているのが見えた。寺院内に設けられた慰霊塔には一般市民が花を供えながら祈りを捧げた。

安倍元首相と食事をした人なら誰でも、安倍元首相の会話への情熱と人脈の広さを感じることができただろう。安倍元首相は、大勢が集まる席では、テーブルからテーブルへ移動し、参加者一人ひとりに声をかけていた。
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安倍元首相の葬儀を終え、増上寺から遺体を乗せた霊柩車が出発するのを見守る大勢の弔問客。

安倍首相の暗殺は世界的なニューズとなり、死去当日に発表されたジョー・バイデン米大統領、アンソニー・アルバネーゼ豪首相、ナランドラ・モディ印首相による共同声明では、安倍首相を「日本における変革的な指導者(a transformative leader for Japan)」と呼んだ。ロシアのウラジミール・プーティン大統領から安倍元首相の家族へのメッセージでは「壮大な人物(a magnificent person)」「卓越した政治家(outstanding statesman)」と表現されていた。

元駐日米国大使のジョン・ルースは「自分の国を越えていくリーダーはほんの一握りだと思う。そして、安倍元首相は自分の国を超え世界の指導者になった一人だった」と本紙に語った。

安倍元首相の世界的な影響力は政権の長さによってもたらされた。日本政治では、長期政権を維持するリーダーは稀である。過去30年間、多くの首相は2年未満しか政権を維持できなかった。安倍元首相が海外で注目されたのは、ウラジミール・プーティンやドナルド・トランプ前米大統領など、気難しい人物とも、その気配りを重視する人柄によって信頼関係を築くことができたからでもある。

しかし、2013年に日本の第二次世界大戦の戦死者を祀っている東京の靖国神社を参拝したことで、海外での評価は少し低下した。この参拝は中国や韓国からの反発を招き、東京のアメリカ大使館からも批判された。

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2013年12月、安倍首相は二度目の首相に就任して早々、第二次世界大戦の戦犯を祀る靖国神社を参拝し物議を醸した。

日本を戦後の平和主義から脱却させるという安倍元首相の意図も物議を醸した。彼は防衛費を引き上げ、2015年に日本の軍隊が「集団的自衛権(collective defense)」の責任を負うことを可能にする画期的な安全保障関連法案を可決することによって、この国をアメリカとより対等な立場に置くことを目指した。

前東アジア・太平洋担当国務次官補で現在はアジア・ソサエティ政策研究所の国際安全保障・外交担当副所長を務めるダニエル・ラッセルは「安倍首相の下で、日本は純粋な内向き志向から、安全保障の提供と地域における強制や軍事行動の防止を目的としたアメリカとのパートナーシップに移行した」と述べた。

●アベノミクス:素晴らしいバランス(Abenomics: A fine balance

2006年に始まった安倍首相の1回目の首相在任期間は約1年という短い期間だった。52歳という日本の戦後最年少の首相として選出されたが、2007年の参議院選挙での大敗と健康不安を理由に、1年も経たないうちに辞任した。

しかし、2012年12月に2度目に就任した安倍首相は、自民党を率いて衆議院と参議院の選挙で6連勝を達成した。慢性的なデフレ脱却を目指したアベノミクス政策により、日経平均株価は3年で2倍の上昇し、失業率もほぼ半減した。

しかし、国会で対立する国会議員たちに罵声を浴びせるなど、従来の日本政治における合意形成のスタイルとは一線を画す不寛容な風潮が批判された。

安倍元首相自身の政治的特徴は保守主義とプラグマティズムの絶妙なバランスであった。アベノミクスはそのプラグマティズムを支えるものであり、その効果は選挙での成功に表れている。

アベノミクスが日本経済に最も貢献したのは雇用の創出だ。2012年から2020年までの2度目の首相在任中に、日本の雇用者数は430万人、つまり7%増加し、失業率は4.3%から2.2%へと低下した。
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1995年以降、日本の生産年齢人口は減少し、移民も厳しく制限されているため、安倍首相が慢性的な労働力不足と製造業の雇用喪失に対処するために利用できるのは、女性と高齢者だけであった。

より多くの女性を労働力にするために、安倍首相は2013年に「ウーマノミクス(womenomics)」を打ち出した。その目的は、女性の育児サーヴィスへのアクセスを向上させ、女性社員により多くの責任あるポジションを与えることで、女性の就労を奨励することであった。

女性の雇用は安倍政権下で飛躍的に改善された。430万人の新規雇用のうち300万人が女性であった。経済協力開発機構(Organization for Economic Cooperation and Development OECD)によると、2012年から2021年の間に、日本の女性の労働参加率は63%から73%に上昇した。これは世界平均の65%を上回った。

しかし、アベノミクスの下で創出された雇用の半分以上は、比較的低賃金で不安定な非正規雇用(relatively low-paying, insecure, nonregular ones)であった。賃金は上昇したが、わずかであり、生活費の上昇と増税が賃金を大きく上回った。

アベノミクスはまた、日本の所得格差が着実に拡大していることを覆すことにもほとんど失敗した。アベノミクスの焦点は常に、まず企業の財布を潤し、それを労働者たちに分配してもらうことであった。しかし、企業は利益を確保し、巨額の資金を蓄えることを選択した。

その結果、日本の貧困率はほとんど動かず、2007年の16.0%に対し、2018年は15.7%となり、2018年のOECD平均の11.2%よりも悪くなっている。
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テンプル大学日本校のマイケル・クーセック准教授(アジア研究)は「安倍政権下では、賃金が上昇するという希望があった。それは、通貨を切り下げることで、企業の利益が上がり、人々の給料が上がり、消費意欲に火がつくという良いサイクルの一部となるはずだった」と語った。しかし、それは実現しなかった。

日本の男女間賃金格差も先進国の中で最も高い水準にとどまっており、政府のデータによると、2020年の女性の平均賃金は男性より約26%低い水準にある。世界経済フォーラムによると、日本はまだ男女平等の面で146カ国中116位にとどまっている

現在の世界的な物価の高騰は、多くの人々にアベノミクスの再評価を促している。アベノミクスは非伝統的金融緩和を前提にしており、日米の金利差、円安を加速させた。現在では、アベノミクスは負担の大きいレガシーであるという見方もある。また、構造改革など保守派が好む政策も、安倍首相退陣後は目立たなくなったように見える。

安倍元首相が執拗な赤字財政、中央銀行による大量の国債購入、民間投資を喚起するための構造改革を行ったにもかかわらず、消費を期待したほどには増加させることができなかった。現在、日本はデフレに陥ってはいないが、新型コロナウイルス感染拡大やロシア・ウクライナ戦争で世界中が高インフレに陥る中、消費者物価の上昇は2%をやっと超える程度である。

今度は岸田が「新しい資本主義(new capitalism)」を掲げて経済を動かす番だ。7月11日の選挙勝利演説で、彼はアベノミクスのレガシーを基に、科学と技術革新への民間と公共の投資を増加させ、「持続可能で包括的な経済を創造する(create a sustainable and inclusive economy)」と宣言した。

●自民党をまとめる(Unifying the LDP

アベノミクスのレガシーもさることながら、安倍元首相が日本の政治に与えた最大の影響は自民党内で果たした重要な役割である。父である安倍晋太郎元外相の秘書として働きながら、自民党の派閥力学の重要性を学び、日本の首相であれば当然、党内最大派閥の意見に左右されることを常に心得ていたのだ。

2020年9月に持病のため首相を辞任してから1年足らずで、安倍元首相は自民党の党内最大派閥「清和政策研究会」の代表に就任し、政治のあり方と政策の両面から発言し続けることになった。

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安倍晋三元首相に黙祷をささげる岸田文雄首相(中央)。710日、東京・永田町の自民党本部。

2021年10月、不人気だった菅義偉首相の辞任に伴い、自民党が党首選に臨んだ際、安倍元首相は自分の好みを明らかにした。

長年、安倍元首相を支え、多くの信条を共有してきたタカ派の女性議員である高市早苗を安倍元首相が推薦した。高市はどの派閥にも属さないが、安倍元首相の狙いは、自身がそれまで率いてきた党内外の保守派を彼女の下にまとめることだった。

安倍元首相の後押しを受けた高市早苗は、国民に広く支持されていたもう一人の党首候補だった河野太郎を追い抜き、自民党現職議員の中で2位の得票率となったが、自民党第4派閥を率いる岸田現首相に敗北を喫した。

しかし、党政調会長に就任した高市が、安倍の後釜として保守のリーダーの座に就くことは困難となった。結局、安倍元首相は自民党の第一線に自分が必要であることを自覚し、特に防衛費問題で発言力を強めた。安倍元首相が前面に出るようになると、保守派における高市の影響力は弱まった。

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2021年12月、東京都内で開かれたパーティーに出席した安倍晋三と高市早苗(右端)。安倍元首相は昨年の自民党党首選で高市を支援したが岸田文雄に敗れた。

安倍元首相が高市を後継者として推すには常に限界があった。安倍元首相の派閥には萩生田光一経済産業相など有力な議員がおり、派閥に属さない高市早苗を持ち上げることは簡単にはできなかった。結果として安倍元首相は事実上の保守のリーダーであり続けた。

しかし、安倍元首相がいなくなった現在、保守派を束ねるリーダーは存在しない。高市早苗は失速した。安倍派内にも安倍元首相の後継者が見当たらない中、同じようなカリスマ的リーダーが現れるかどうかは不透明だ。

テンプル大学のクーセック准教授は「自民党の最重要派閥において、後継者不在の状態になっている。岸田氏の上に立ちはだかる派閥は今やリーダー不在だ」と指摘する。そして、「それは自民党の政治体制を変えることになる」と述べた。

●岸田首相にとってのポスト安倍時代の諸課題(Post-Abe challenges for Kishida

安倍首相の影響力は大きく、首相の座から退いた後も、国会においてなくてはならない存在であり続けた。

岸田首相の人事は安倍元首相とその一派を引き留めるためのものと考える人々が多かった。岸田は安倍の盟友である高市や安倍の弟である岸信夫に党内や閣僚のポストを提供した。安倍元首相を無視できない岸田首相はこのような手当をするしかなかったと見られている。

安倍元首相がいなければ、岸田首相はより自由に政権運営を行うことができる。クーセックは日本経済新聞の取材に対し、安倍元首相がいなくなったことで、「岸田の肩から大きな重しが取れた。安倍元首相と問題を起こすような統一された派閥がいない。だから、岸田が動けるスペースが増えることになった」と述べた。

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7月9日、前日の参院選の選挙運動中に安倍首相が射殺された現場で祈りを捧げる弔問客。

しかし、安倍元首相を失ったことで、岸田には注目すべき政治的負債が生じる。自民党内だけでなく、社会を二分するような政策を進めるための「口実(excuse)」として、党内に大きな影響力を持った安倍首相を利用できなくなるのである。その最たるものが憲法改正である。

新型コロナウイルスやロシアのウクライナ侵攻など世界は大きく変化している。サイバー空間など非通常的な分野での攻撃に対し、日本国憲法や既存の法体系では対応しきれないと懸念する声も少なくない。憲法9条は武力行使を放棄し、軍事力は「決して保持しない」としている。

安倍元首相は憲法9条を改正し、日本の安全保障を強化したいという思想的欲求を明らかにした。2015年、安倍は新しい総合安全保障法を国会に押し通し、日本に「集団的自衛権(the right to collective self-defense)」を認めることになった。

シドニー大学アメリカ研究センターCEOで、アメリカ国家安全保障会議でアジア上級部長を務めたマイケル・グリーンは本紙の取材に対して、「総合安保法制は日本の防衛庁(現在の防衛省)と自衛隊が誕生した1954年以降、最も野心的な法律となった」と述べている。

グリーンは、安保法制の主な動機は、憲法に関するイデオロギーというよりも、安倍元首相の強い戦略的論理にあると主張している。グリーンは「中国勢力の台頭と中国の強権と侵略の拡大を見て、安倍元首相は日本が日米同盟を強化し、抑止力を強化する必要があると結論づけた」と語った。

岸田は政権に就いてからの9カ月間、日本の安全保障を強化する必要性について安倍元首相と同じ考えであることを明らかにし、現実主義外交を推し進め、日本の防衛費を倍増させると公約した。

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岸田文雄首相は7月10日、東京の自民党本部で自民党候補者の名前の上にバラの紙を置き、参議院選挙での勝利を示す。同党を含む連立与党は改選議席の半数以上を確保した。

しかし、戦後の平和主義を掲げる日本では、憲法改正は争点になる。もし安倍元首相が生きていれば、岸田首相は9条改正を強く主張した安倍元首相を利用し、寄り添うことができたことだろう。安倍元首相が生きていれば、憲法改正に反対する人たちからの批判に直面した際に、岸田首相は安倍元首相を盾にして身を隠すことができたはずだ。

その選択肢がなくなったことで岸田内閣への批判はあらゆるところからやってくる。野党からの不満に加え、安倍元首相が鈍化させたはずの保守派からの不満にも、岸田首相はこれまで以上に直面する可能性がある。

安倍元首相を失ったことで、「右翼はチャンピオンを失った」とクーセックは言う。これが岸田氏に有利に働くかどうかはまだ分からない。

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安倍晋三の砂上の楼閣:死去により最大派閥が宙に浮く(Abe's house of cards: Death leaves largest party faction in limbo

-日本で最も強力な政治集団が集団指導に移行する可能性

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安倍晋三前首相の死去により支配的な派閥は後継者探しに奔走している。

ガク・シマダ筆

2022年7月14日

『アジア日経』紙

https://asia.nikkei.com/Politics/Shinzo-Abe/Abe-s-house-of-cards-Death-leaves-largest-party-faction-in-limbo

東京発。安倍晋三元首相が暗殺されて1週間近く経つが、彼が率いた支配的な派閥はまだ後継者候補を決められないでいる。

自民党の最大派閥である清和会は結束を維持するために奔走している。しかし、安倍元首相が殺害されたことで後継者を選び育てる時間がほとんどなく不安定な状態に陥っている。

清和会は自民党の衆参議員93名を擁し、軍事費の拡大や日本国憲法の平和条項の改定を求める声も多い。最長の総理大臣を輩出したこのグループは党内で大きな影響力を持つ。

清和会幹部たちは月曜日、東京のホテルで次のステップを議論したが、連帯を維持するという曖昧な誓約を行うことができただけだった。

安倍元首相は2017年、父の安倍晋太郎が数十年前に派閥を率いていた時のような仕組みを模して、派閥の中核的リーダーを4名にする案を浮上させた。明確なリーダーがいないことを考えると、派閥はこの選択肢を選ぶ可能性がある。

現在、下村博文、塩谷立の両元文科相が会長代理を務めている。下村博文、塩谷立の2人は、安倍元首相の私邸で弔問客と会うなど、試練の中で安倍首相一家を支えてきた。

萩生田光一経済産業相や松野博一官房長官も後継者争いの候補と目されている。安倍派幹事長を務める西村康稔も自民党参議院幹事長の世耕弘成氏と並んで候補に挙がっている。

そして、政界の名家出身の新星である福田達夫(55歳)もある。昨年の自民党総裁選では、福田は、派閥推薦の候補者を自動的に応援するのではなく、当選回数の少ない若手議員たちを集めて首相候補の公開投票を呼びかけた。

総裁選挙期間中、安倍元首相は保守派の火付け役である高市早苗(現自民党政調会長)に肩入れしていた。高市は現在、自民党の派閥に属していないが、かつては安倍元首相の派閥に属していた。

元防衛相で現在は安倍派の幹事長を務める稲田朋美氏も後継者候補として名前が挙がっている。

安倍派のある幹部は「座長代理を2人にする案や7人体制にする案も出ている」と述べている。

岸田文雄首相は8月から9月にかけて内閣と自民党幹部の改造を行う予定だ。このスケジュールであれば岸田は安倍派の新体制がどうなるかを見極める時間ができる。

安倍派のメンバーが誰も重要ポストに就かなければ、派閥の影響力が低下する可能性がある。

下村博文は月曜日のテレビ番組で「岸田内閣が自民党の保守派を軽視すれば、自民党は弱体化する」と警告を発した。

自民党の最大派閥であることにはそれなりの注意点がある。内紛は簡単に分裂につながり、後継者争いが起爆剤になることもある。

「最も危険な時期は派閥規模が100人に近づいた時だ」と元首相で清和会の会長を務めたこともある森喜朗は5月の政治資金集めイヴェントで警告を発した。森は「半分の人数を味方につければ、他の派閥より大きくなれるという幻想を抱き始める人もいる」と述べている。

首相を務めた田中角栄や竹下登など過去の名だたる派閥は、解散時には100人以上の会員を抱えていた。清和会は1991年の安倍晋太郎の死去に伴う内部抗争で分裂した。

複数のリーダーを置くことは前例がないこともない。2007年から2009年にかけて、清和会は3人の議員による集団指導体制を維持した。

しかし、自民党が政権から転落した2009年の政治状況と、現在の派閥の影響力には天と地ほどの差がある。集団指導体制が円滑に機能する保証はない。

派閥の役割は低下したが、派閥は依然として政治任用を獲得し、議員の資金調達に貢献している。安倍元首相は岸田に対して、内閣における安倍派のメンバーを4人から5人に増やすよう要請していたようだ。

安倍元首相は亡くなるまで、他の追随を許さないリーダーであった。批評家たちは、安倍元首相が若手に仕事を任せることに消極的なため、派閥が次世代のリーダーを育てることが難しくなっていると指摘する。その結果、派閥を統率するリーダー不在の状態に陥っている。

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日本政治の内幕

無名の松野博一が岸田総理の右腕になるまで(How unknown Hirokazu Matsuno became PM Kishida's right-hand man

-映画監督志望だった議員が今や日本の官僚を率いている。

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松野博一官房長官は、文部科学大臣としての唯一の政府トップの経験があり、自らを「右派でも左派でもない中立主義者(neither a rightist nor leftist, but a neutralist)」と表現している。

ミキ・オクヤマ筆

2021年12月29日

『アジア日経』紙

https://asia.nikkei.com/Politics/Inside-Japanese-politics/How-unknown-Hirokazu-Matsuno-became-PM-Kishida-s-right-hand-man

東京発。日本の岸田文雄首相が松野一博 (59歳) を官房長官に指名した時、そのニューズは政治評論家たちを驚かせ、「松野とは何者か」という疑問が急に起きた。

官僚統制の責任者である官房長官に指名されたのは、安倍晋三元首相が推す萩生田光一でも与党自民党の岸田派に属する小野寺五典元防衛相でもなかった。いずれも有力候補と目されていた。

松野は10月4日の岸田内閣発足後の記者会見で、政府広報のトップに任命された理由について問われ、「自分の能力で選ばれたとは思っていない」と答えた。

松野は自民党議員の中で最も教育政策に詳しい一人であり、安倍内閣での文部科学大臣のポストが唯一の大臣経験であった。「首相に迷惑をかけないようにしたい」と、安倍首相の後任首相となり、安倍政権の官房長官として並々ならぬ辣腕を振るった菅義偉とは明らかに異なる姿勢を見せた。

彼は自らを陣笠政治家(jingasa politician)と呼んでいる。陣笠とは、リーダーのために勢力を拡大しようと努力する派閥のメンバー政治家である。陣笠とは、戦国時代(1467-1568年)に、上級武士の「手足(hands and feet)」となって戦った兵士がかぶっていた兜(helmets)に由来する言葉である。

松野は千葉県木更津市に生まれた。カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドール(Palme d'Or)を2度受賞した今村昌平監督をはじめ、多くの映画人を輩出した東京の早稲田大学に入学し、映画監督になることを目指した。

しかし、早稲田大学を卒業した当時、映画界は大不況で、松野は就職が決まらず、日本の大手日用品メーカーであるライオンの広告宣伝部に就職した。「2時間の映画と30秒のCMの違いはありますが、同じ映像の仕事なので、とりあえず大丈夫だろうと思っていました」と当時を振り返っている。

松野はライオンでCMの企画、キャッチコピーの作成、CM撮影の準備などを行った。本社の商品企画課やテレビ局との交渉を通じて実社会について知ることができた。

松野がサラリーマン時代に身につけた原理こそは合理性だ。「私は、右翼でも左翼でもなく、中立主義者です。イデオロギーで人を判断しない」と語っている。

テレビCMで成功した松野はライオンから大学院への進学を勧められた。松下政経塾は、パナソニックの創業者である松下幸之助が、日本の将来を担うリーダーを育てようと設立した私立の教育機関で、多くの政治家たちを輩出することで知られている。

松野は自分のコンセプトによってCMを通じて人々の生活を少しでも変えることができたら面白いのだから、もっと大きなコンセプトで、政治を通して社会を良くする提案をしたらもっと面白いのではないかと考えるようになった。そこで、1995年に自民党千葉県支部の選挙候補者公募に応募した。

松野が日本の政界、国会議事堂や首相官邸がある東京都千代田区から永田町と呼ばれる、で注目を集め始めたのは、衆議院初当選から17年後の2017年、細田博之が率いた自民党派閥のトップをいつか務めると予想される4名の議員の1名として安倍元首相が指名してからだ。

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松野博一官房長官(左)は「総理に迷惑をかけないようにしたい」と述べ、安倍首相の後任として官房長官として並々ならぬ辣腕を振るった菅義偉とは明らかに異なる姿勢を示した。

安倍首相は下村博文(67歳)や稲田朋美(62歳)など、首相側近とされる派閥のメンバーと松野博一を同列に扱ったのである。安倍元首相が主宰する派閥の会合での発言に、永田町では「どうして松野なのか」という声がよく聞かれた。岸田氏が松野氏を官房長官に選んだことも同じ反応だった。

人気や出世に嫉妬する政治家たちが多い永田町では同僚から疑われないことが出世のポイントとなる。衆議院議員465名全員が総理大臣を目指すのが原則の中、松野は人知れずリーダーに向かう出世の階段を上っていた。

岸田もまた既に松野に注目していた。岸田派で20年以上にわたって岸田を首相にするために幹事長を務めた故望月義夫が松野との橋渡し役だった。

岸田が2017年に自民党政調会長に就任する時、松野を副会長に抜擢した。岸田は松野たち細田派、現在の安倍派のメンバーたちと親しくなり、時折、会食するようになった。

松野の出世の背景には派閥内での位置づけもある。派閥のルーツは安倍首相の祖父である岸信介元首相だが、結成したのは福田赳夫元首相である。そのため、安倍首相に近いメンバーと、細田のような自民党のベテラン議員を中心とした福田関係のメンバーに分かれている。この2つのグループはそれぞれ異なる政策ラインに属している。

松野は福田グループに属しながら、バランス感覚に優れ、派閥をまとめる幹事長に抜擢され、事実上、派閥をまとめる役割を担った。これは首相時代に派閥から離れた安倍首相が派閥復帰を進める上で無視できない、派閥内での一定の影響力を松野が持つことになった。

2021年9月の自民党総裁選では松野は岸田を支持した。安倍元首相は高市早苗(60歳)に派閥全体の支持を求めたが、細田ら多くのベテラン派閥議員は岸田側についた。安倍元首相は岸田に萩生田の官房長官就任を要請したが新総理の岸田は松野を選んだ。

松野は自民党内で急速に出世し岸田内閣の運営を任されることになった。

官房長官の松野博一は1日に2回記者会見を行う。その準備のために事務局のアシスタントが作成した概要書について地名の読み方など、記者からの質問に答える際に参考になることを質問するだけということも多い。

政界でと同じように官僚とも距離を置いている。「私の仕事は各省庁が働きやすい環境を作ること」と言い切っている。官房長官時代、菅元首相が個人的な権力を振りかざして官僚を恐れさせていたのとは対照的だ。

しかしながら、松野は2021年12月1日に開かれた政府のコロナウイルス対策本部で、新型コロナウイルスのオミクロン変異株の対応をめぐって国土交通省の職員に珍しく怒りをあらわにした。

11月末、国土交通省は国際航空各社に対し、日本に到着する全便の新規予約受付を一時的に停止するよう要請していた。この規制は日本人の帰国にも影響するもので、松野の認識より先に導入された。

松野は「正確に報告せよ! 多くの帰国者たちが影響を受けるんだぞ!」と関係者に怒鳴った。

安倍元首相は首相時代、菅官房長官(当時)を「武蔵坊弁慶」(主君の源義経を守るために自らを犠牲にしたことで知られる12世紀の武僧)と表現した。菅は官房長官として、安倍が不正な学校用地取引に関与したとされる森友学園のような個人的なスキャンダルでさえ、記者団の質問から安倍をかばった。

松野は岸田と安倍の両方に人脈があるという永田町では珍しい存在だ。その立場を生かし、官房長官としてどう動くのか、注目される。

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日本政治の内幕

木原誠二:日本の岸田文雄首相の裏にいる政策のグル(Seiji Kihara: The policy guru behind Japan Prime Minister Kishida

-マーガレット・サッチャーに触発されたが、岸田首相の子飼いは菅義偉からも手掛かりを得ている。

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木原誠二官房副長官は、元エリート官僚で政策に詳しいだけでは総理大臣になれないことをこれまでの自民党総裁選で学んだという。

リョー・ネモト(日経スタッフライター)

2022年1月15日

『アジア・ニッケイ』紙

https://asia.nikkei.com/Politics/Inside-Japanese-politics/Seiji-Kihara-The-policy-guru-behind-Japan-Prime-Minister-Kishida

東京発。衆議院議員選挙の5日前の2021年10月26日、岸田文雄首相は東京郊外の東村山にいた。岸田首相は最も子飼いの人物である木原誠二の応援に来ていた。「木原さんが選挙に当選できるようにお助けてください。私は誰よりも木原さんを信頼しています」。岸田は傍らにいる官房副長官を褒めながら、有権者に支持を呼びかけた。

岸田首相は、51歳のエリート官僚から弁護士に転身した木原を、自分の政治的成功に「不可欠な存在(indispensable)」と考えている。岸田の外相時代、木原は外務政務次官として岸田を支えた。岸田が自民党政調会長の時は、木原氏が政務調査会副会長兼事務局長としてついていた。

木原は銀行マンの家系出身である。父親は当時の東京銀行に勤務し、祖父と曾祖父も銀行員であった。弟の正博は、旧日本興業銀行に入り、最近みずほフィナンシャルグループの次期社長に就任した。「レールから外れたのは自分だけだった」と木原は語っている。

東京の名門私立である武蔵高等学校・中学校で、木原はテニスに打ち込んでいた。その後、東京大学でもテニスクラブのキャプテンを務めた。日本で最も名門大学である東大で指導者を経験したことによって、厳しく生き馬の目を抜く世界である日本政治の中枢である永田町で生き残るための基本的な法則を学んだ。それは、「一番苦労して、一番努力すること(being the hardest worker and making the most effort)」である。

彼は大学卒業後に大蔵省に勤務し始めた。これは1990年代前半に学生時代を過ごした木原たちのような名門大学出身者の間で人気の高いキャリアであった。しかし、1979年から1990年までイギリス首相を務めたマーガレット・サッチャーに触発され、そして実際に促されたことで、木原は政治のキャリアを追い求めることを決心した。

1999年、財務省は木原を2年間の期限でイギリス財務省に派遣した。英国滞在中、木原は日本とイギリスの官僚制度の違いについて研究しようとした。彼の研究の一環として、サッチャーにインタヴューする機会を得た。

インタヴューで、「鉄の女(Iron Lady)」サッチャーは木原に政治の世界に入るように促した。サッチャーは自身が女性でありながらも、熾烈な政治の世界に飛び込んでいったことを回想して木原に話した。彼女の言葉によって木原は奮い立った。

帰国後、木原は「政治家と官僚の関係が日本とイギリスでどのように違うか」という本を書いた。それが、大蔵官僚出身の宮沢喜一元首相の目に留まった。木原は、現在は岸田が率いている、宮沢が会長をしていた自民党の派閥「宏池会」に招かれた。同派閥の古賀誠元会長の呼びかけに応じ、木原は2005年の衆院選に出馬し、当選を果たした。

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木原誠二(右)9月に岸田文雄の政策設計者となった。岸田を首相にするための選挙戦の指揮を執った。

しかし、2009年、木原は再選に失敗し、政治家としてのキャリアは大きく後退した。「猿は木から落ちても猿だが、政治家は選挙に落ちると無名になるとよく言われる(It is often said that while a monkey is still a monkey even if it falls from a tree, a politician becomes a nobody if he fails to be elected)」と木原は言い、選挙の重要性を強調する意味で日本の政治家の間でよく言われる格言を繰り返した。

「猿も木から落ちる」ということわざは、「ホメロスは時々うなずく」と同じような意味である。ギリシャの大作家ホメロスは叙事詩で知られるが、その詩は連続性に欠けることで知られる。

この時、木原に問われていたのは、いかにして足踏みを続けるかであった。「議員にならなくても、誰かにならなきゃいけないと思ったんです」と、選挙での敗北を振り返る。そして、ビジネスの世界に身を投じ、企業のヘッドハンティングを行うようになった。

2012年に衆議院議員に返り咲くまで、木原は企業のトップと、商品開発や海外進出の課題を話し合う日々を送った。そして、朝晩と土日は政治活動に専念していた。古賀の助言もあって、会議や集まりには必ず最後まで出席することにしていた。こうして、縁もゆかりもなかった選挙区に、確かな足場を築き上げたのである。

誠二における弱点を克服した木原は、議員に返り咲いた後に自民党の派閥に復帰し、岸田を将来総理大臣にするために奔走することになる。

昨年9月の自民党総裁選では、岸田が掲げた綱領の中心人物となり、介護職員の賃上げを検討する新組織などの重要な政策提言の指揮を執った。また、成長と分配の好循環を目指す「新しい資本主義」政策を打ち出した。木原は、岸田の与党内調整役でもあり、岸田氏の首相就任の行方を占う重要な役割を担っている。

先月、岸田外相を説得して、主要な景気刺激策である18歳以下の子供一人につき10万円(880ドル)の支給を見直させたのは木原だった。その半分が商品券の形で支給されることになっていた。しかし、多くの地方自治体が100%現金支給を要求し始めると、木原は首相にその要求に従うよう進言した。数日後の国会で、岸田は「自治体が決めるなら、全額現金支給でもいい」と言い出した。

木原は、オミクロンの世界展開が始まると同時に、「岸田は自民党総裁選の公約である『最悪の事態に備える』を実行する時が来た」と首相にショートメッセージを送った。その直後、岸田は外国人の新規入国を原則禁止することを決定した。

木原は「私の責任は、自民党総裁選中の岸田の政策提言が政府によって実現されるように見届けることだ」と述べた。

宮沢以前、自民党の公明党は池田勇人、大平正芳という大蔵省官僚出身の総理大臣を2人輩出している。しかし、岸田誕生の前に行われた2回の自民党総裁選で、木原は「政策通の元エリート官僚では総裁にはなれない」ことを思い知らされた。

2020年9月、自民党総裁選で岸田が菅義偉に惨敗した直後、木原は安倍晋三元首相の側近で現在は経済産業相の萩生田光一に激励された。萩生田は、「岸田先生は何度も電話をかけてきてくれたが、あなたは一度も電話をかけてこなかった」と言った。萩生田は、木原が岸田を首相にするための根回しを十分にしなかったことを暗に示していたのである。

2021年8月25日、当時の菅首相が自民党総裁選に再出馬するとの観測が広まった時、木原は岸田に出馬を止めた。「勝てる見込みがない時は、たとえ周囲から迫られても出てはいけない」と木原は言った。しかし、岸田はこの選挙を自分の政治家人生の勝負どころだと考え、忠告に従わなかった。

翌日、岸田が出馬を表明した時、木原は自分には将来総理になるために必要な執念が足りないのではないかと考えざるを得なかった。

そして、2020年9月、菅義偉が71歳で総理大臣になった時、木原は自分の政治的野望はどうだろうかと考えた。菅総理は、「21年かけて頑張れば、自分にもチャンスがある」ことを教えてくれたと木原は語っている。

菅義偉と木原誠二には共通点がある。どちらも自民党の重要政治家とは見なされておらず、政治的な血統もなく、代表を務める衆議院の選挙区とのつながりも希薄だ。

岸田は木原に、自民党内の権力闘争が起きたら、自分を支えてくれるように頼んでいる。木原は最近、自分がもっと強い政治家になるためにはどうしたらいいかをよく考えている。「菅さんは安倍政権に忠誠を誓い支え続けたことで、トップに登り詰めた。当分は岸田首相の補佐として良い仕事をすることに専念したほうがいいのかもしれない」と語っている。

(貼り付け終わり)

(終わり)

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 古村治彦です。

 安倍晋三元首相とは日本政治にとってどんな存在であったか。憲政史上最長の在任期間を記録した安倍元首相は対米従属の深化と日本の海外での戦争を行う条件づくりに狂奔したと私は考える。国民が安倍政権下での国政選挙で自民党を勝たせ続けたことで、彼に正当性を与える結果になった。アベノミクスによって経済格差は拡大し、国民の平均年収も下がり続けた。日本は貧しくなり続けた。とても「国葬」にふさわしい人物ではないと考える。

 安倍元首相は根本的に大きな矛盾を抱える存在だった。それは、「極めて親米的でありながら、アメリカが嫌がる歴史修正主義に邁進した」ということである。アメリカからすれば、日本の防衛予算の増額やアメリカの軍需産業からの武器購入を進める、在日米軍への思いやり予算を増額する、自衛隊がアメリカ軍の下請けとして海外で戦争ができるように進める、ということは大変に「御意にかなう」ことであった。この点では「愛い奴」ということになる。

しかし、一方で、太平洋戦争に関して、アメリカが正しいとする史観に異議を唱える。アメリカから見れば、「フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領は真珠湾攻撃が実施されることを知っていて放置して日本から先に手を出させる形にした」ということは受け入れられない。安倍元首相が参拝してきた靖国人社の歴史資料館遊就館にはそのように展示されている。「日本はアジア諸国に良いことをした、中国や韓国にいつまでもごちゃごちゃ言われる筋合いはない」ということもアメリカからすれば目障りだ。こうした日本の右翼による主張を受け入れてしまえば、アメリカの正当性は揺らいでしまう。そして、日本の右翼(ネトウヨを含む)にとっての最大は皮肉にも当代きっての親米派安倍元首相ということになった。

 核武装、核シェアリングを言い出したことでアメリカは安倍元首相を見限ったのだろうと私は考える。「こいつはなかなか役に立ったけども、一枚めくればいつアメリカの正当性に挑戦してくるかもしれない、もしくはそうした勢力に担ぎ上げられてしまうかもしれない」「中国との対決ばかりを言う奴らを甘やかし過ぎたな」ということになったのだろう。

 安倍元首相の抱えた矛盾とは戦後日本が抱えた矛盾である。この矛盾を自分の中に抱えながらうまくバランスを取ることが現実的な保守政治家ということになる。安部元首相はそのバランスをうまく取れなくなっていたように思う。彼は親米派として葬られるのか、それとも歴史修正主義者として葬られるのか、後の世の歴史家たちがどう判断するのかが今から楽しみだ。

(貼り付けはじめ)

安倍晋三をめぐる数多くの矛盾(The Many Contradictions of Shinzo Abe

-日本の元首相はアメリカとの関係を緊密にしようとしながらも、日本による征服の正当性への信念に固執していた。

ハワード・W・フレンチ筆

2022年7月18日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/07/18/shinzo-abe-history-japan-diplomacy-contradictions/

最近暗殺された日本の元指導者安倍晋三との最初の緊密な出会いから彼が特別な政治家であることは私にとって明らかだった。批評家による「金属疲労」の患者の診断だけでなく、私のキャリアにおいて私が精通していた世界の舞台の基準でも特別な政治家だった。安倍元首相は、古ぼけた見た目の指導者たちが次々と交代し、批評家たちが「金属疲労(metal fatigue)」に苦しんでいると評価する国の基準からだけではなく、私がキャリアを通じて親しんできた国際舞台の基準からも、特別な政治家であった。

2000年代初頭、官房副長官として初めて見た安倍元首相には、既にダイナミズムと自信、そして野心のオーラが漂っていた。戦後間もない時期に強力な総理大臣を務めた岸信介の孫という、日本の保守政治の世界では最も高貴な血(blue blood)を引く人物だった。しかし、安倍首相を取り巻く権威の力は、継承されたものというより、むしろ彼個人の属性に近いように感じられた。

記者会見で、即興的かつ激しい言葉遣いで、自信たっぷりに話す姿にそれを感じた。また、2002年に北朝鮮の平壌で行われた小泉純一郎首相と金正日総書記の首脳会談では、より身近なところからそれを感じ取ることができた。

1970年代後半から1980年代初頭にかけて北朝鮮に拉致されたとされる日本人たちの運命や、北朝鮮で死亡した拉致被害者の遺骨の回収など、外交分野における最も困難な問題のいくつかを安倍元首相は自ら担当した。官房副長官という立場を考えれば、他の多くの政治家はスポットライトを浴びないように配慮しただろう。しかし、安倍元首相はカメラに映ることを楽しんでいるようで、注目を浴びすぎないようにすることが課題となった。

安倍元首相は、私が初めて取材した、私とほぼ同世代の世界のリーダーの1人である。2006年、戦後最年少の52歳で総理大臣に就任し、その野望を実現する。しかし、その最初の任期は、他の多くの先輩たちと同様、健康上の問題からわずか1年後に終了するという短いものとなってしまった。しかし、5年後の2012年に再び首相に返り咲き、2020年には歴代最長の首相としてその任を終えることができたのは、彼の並々ならぬ意欲の表れであったと言える。

このように、単独の銃撃犯の凶弾に倒れた稀代の政治家が体現することになる多くの深い矛盾を、私たちは既に見ることができる。安倍首相の夢は日本を近代的にすることであり、それは政治の近代化によって実現される。しかし、安倍首相が常に考えていたのは、より根本的かつ避けらないことだった。それは自分が率いる、長年にわたって日本を支配する自民党の立場を強化することだった。自民党(Liberal Democratic PartyLDP)は「リベラルでも民主主義でもない(neither liberal nor democratic)」という古くからの定説ほど、正確なものはない。

安倍首相は自民党の政権をほぼ維持し、更に強化することに成功したが、自民党は決して大胆な改革に熱心ではなかったし、それは安倍首相自身にも当てはまる面がある。例えば、安倍首相は「女性が輝く日本(a place where women shine)」を実現するために「ウーマノミクス(womenomics)」と名付けた公約を掲げた。経済的そして人口的に女性の社会進出は急務であり、賃金や地位の平等、更には国防軍への登用も必要だが、その進展は鈍く、自民党の有力政治家の中にはは公の場でしばしば下品な性差別を口にする人々も出ている。

安倍首相は「~ノミクス(-nomics)」という言葉を好み、「アベノミクス(Abenomics)」として広く知られる自国の競争力強化を目指した一連の政策とさらに深い関わりを持っていた。確かに、長い間低迷していた株式市場は、安倍首相在任中に飛躍的に上昇したが、経済格差は彼の在任中に大幅に拡大した。また、韓国や中国など、産業が活発な近隣諸国に対抗するために、日本がどのような位置づけにあるのか、その判断ははっきりしないものとなっている。

純粋に政治的な観点からすれば、安倍首相の2期目の長期在任によって、首相に就任してはすぐに退陣する刹那的な自民党指導者たちが後を絶たないサイクルと決別できるかもしれないと思われた。しかし、安倍首相が選んだ後継者の菅義偉は、表現力に乏しく、目立たない人物で、2020年9月から翌年9月までしか在職しなかった。安倍元首相は、小泉政権時代の官房長官時代のように、ゴッドファーザーとして、また、常に政治の中心にいる黒幕(éminence grise、エミネンス・グライズ)として、最大限の影響力を培うことによって、日本政治における慢性的な短期交代がもたらす影響を緩和することを明らかに望んでいた。しかし、彼の死によって、その夢も消えた。

1980年代に5年間首相を務め、世界の指導者の中でも特にロナルド・レーガン元米大統領と親密な関係を築いた中曽根康弘以来、外交関係において安倍首相は少なくとも最も活発でダイナミックな日本の政治家であった。安倍元首相は、すぐに飛行機に乗り、精力的に個人として外交を行った。当時、当選したばかりのドナルド・トランプ米大統領とニューヨークのトランプタワーで面会した最初の外国首脳となり、ロシアのウラジミール・プーティン大統領とは他のどの国の首脳よりも多く面会した。

そして、その執念によって、中国の習近平国家主席の仰々しい安倍元首相への蔑視を克服した。2014年、北京で開かれたアジア太平洋経済協力会議首脳会議で、ついに2人は初対面を果たした。この初対面の写真は名作で、いろいろな読み方ができる。私には、安倍首相が疲労困憊の表情とは裏腹に、「隣の巨人の強力な指導者とついに一騎打ちの機会を得た」という満足感に満ちているように見えるのに対し、習近平の顔は、まるで「この人と握手をさせられるなんて」と思っているような、羊のような顔をしているように見える。

しかし、結局のところ、安倍元首相の執念と人柄の強さは、日本に何をもたらしたのだろうか?

安倍元首相の死後、アメリカの外交・安全保障関係者の多くは、安倍元首相を讃えようと躍起になった。アメリカとの防衛同盟を強化し、アジア太平洋地域でより積極的で力強い存在となり、日本国憲法を改正し(戦後の日本占領中にアメリカ人たちによって書かれた)、そして何よりも、これらの各項目に関連するが、中国の台頭に対する防波堤としてより直接的にアメリカを支援しようとする彼の粘り強い努力を称えている。

しかし、外交分野ほど安部元首相が矛盾を残した分野は他にない。日本が安全保障を向上させるためにできる最善のことは、粘り強さと規律をもって韓国との深い和解を実現することであることは間違いない。しかし、安倍首相の家系は、特に戦犯としてかろうじて裁かれることを免れた岸信介の孫であることから、それが不可能であるように思われた。

安部元首相の夢は彼が韓国との「前向きな(forward-looking)」関係と彼の国の過去に対する謝罪のない態度を作り出すことだった。これは、彼と将来の日本の指導者が、日本の戦争での戦死者たちの霊が祀られている東京の靖国神社に参拝することができるという希望を決して捨てることを意味しなかった。靖国神社に祀られている死者の中には、20世紀の日本の帝国主義戦争で重要な役割を果たした戦争犯罪者たちが含まれている。

安倍元首相は、アメリカとの関係を緊密化する一方で、日本の征服の背後にある崇高な意図と正当性についての信念に固執した。したがって、戦後の東京裁判の違法性、ひいてはアメリカによる占領と、日本が攻撃的戦争目的を追求するための軍隊を保有することを永遠に禁止する、アメリカによって書かれた日本国憲法の非合法性についても確信を持っていた。しかし、安倍元首相を長く政権に留まらせた同じ日本国民が、そのような道を歩むことは決してなかった。安倍元首相は、いわゆる平和憲法の改正を推し進めたまま亡くなり、この点では不満の残る死を遂げた。

どの程度までアメリカとの同盟にこだわるかは、後世の日本人が決めることだろう。いずれにせよ、中国は日本にとってより大きな、そして当分の間は経済的にも軍事的にも強力な隣国であることに変わりはない。日本はアメリカよりも中国との貿易が多く、紛争になれば、ウクライナに侵攻したロシアを罰するためにアメリカやヨーロッパ諸国が主導しているような欧米諸国による対中制裁体制によって壊滅的な打撃を受けるだろう。アメリカが中国と撃ち合いになれば、日本は更に恐ろしい選択を迫られることになるだろう。ワシントンとの同盟を結んでいることで、中国のミサイルが日本の領土に降り注ぎ、海上で日本の船舶を沈めるような事態が起きるならば、その同盟には価値があるだろうか?

私たちはこのような事態にならないことを願わなければならないが、希望は戦略ではない。私が2017年に出版した『天の下の全て:過去が中国の世界的権力の推進を形作るのにどのように役立つか(Everything Under the Heavens: How the Past Helps Shape China's Push for Global Power)』で主張したように、東アジアで戦争のリスクが最大になる時期は、今後数十年に及ぶというケースがある。その後、中国の人口動態が大きく変化し、北京はますます多くの富を国内の退職金や社会福祉に充て、近くて遠い海外での野望を後退させるだろう。

このようなシナリオの下では、安倍首相が掲げる日本のヴィジョンは、いくつかの論理のうちの1つに過ぎない。過去と折り合いをつけ、近隣諸国に接近する(アメリカに背を向けるという意味ではない)ことも、同様に明白な代替案であるように思われる。

※ハワード・W・フレンチ:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト、コロンビア大学ジャーナリズム大学院教授。長年にわたり海外特派員を務める。最新刊は『;アフリカ、アフリカ人、そして近代世界の構築、1471年から第二次世界大戦まで』。ツイッターアカウント:@hofrench
(貼り付け終わり)

(終わり)※6月28日には、副島先生のウクライナ戦争に関する最新分析『プーチンを罠に嵌め、策略に陥れた英米ディープ・ステイトはウクライナ戦争を第3次世界大戦にする』が発売になります。


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