古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

カテゴリ: 本の紹介

 古村治彦です。
nihonhasensounitsureteikareru001

日本は戦争に連れてゆかれる 狂人日記2020 (祥伝社新書)

 2020年8月1日に副島隆彦先生の最新刊『日本は戦争に連れてゆかれる狂人日記2020』(祥伝社新書)が発売となります。本書は新型コロナウイルス感染という事態を受け、立ち止まって、俯瞰で状況を見る、そうすれば大きな流れに流されても何とか騙されないということが大きなテーマになっています。

 副島先生は清沢冽(きよさわきよし、1890-1945年)の戦時中の日記をまとめた『暗黒日記』を読み直し、現在と75年前の終戦直前の日本の類似を指摘しています。私も清沢冽は尊敬する人物であり、ツイッターのアカウントには「『暗黒日記』再び」とつけています。これは2010年代の日本は1930年代の日本に酷似している、また『暗黒日記』が書かれる時代が来ると私が考えているからです。

 『日本は戦争に連れてゆかれる狂人日記2020』を是非にとってお読みください。新書でお求めやすくなっています。

(貼り付けはじめ)

目 次

第1章 翼賛体制への道――80年前と現在

私が狂人なのか、周囲が集団発狂状態なのか

日本人が戦争にのめり込んだ瞬間   

「日米交渉」の真実   

緊急事態宣言と戒厳令   

開戦から3年3カ月後、東京は丸焼けにされた   

第一次世界大戦で日本は大儲けした   

不況への転落と猟奇事件   

私たちは「歴史の法則」から逃げられない   

第2章 次の「大きな戦争(ラージ・ウオー)」と日本   

戦争の準備が着々と進行している   

戦争までの4段階、そのあとの2段階   

戦後の日本人はどう生きたか   

私たちを襲う「ショック・ドクトリン」   

今すぐ金(きん)を買いなさい   

第3章 新型コロナウイルスの真実   

3人の「皇帝」たち   

生物化学戦争を実行した米軍事強硬派   

「マインド・コントロール」と「ブレイン・ウォッシュ」   

ゲノム配列が一致しない「4%」とは   

「中国の女性科学者が亡命」という謀略報道   

初めて書く、私が福島原発事故で目撃したこと   

第4章 暗い未来を見通す   

『暗黒日記』を読む   

戦争に反対した清沢の同志たち   

人間の命、人間の値段   

5つの「正義」   

これからの生き方と死に方

(貼り付け終わり)

nihonhasensounitsureteikareru001

日本は戦争に連れてゆかれる 狂人日記2020 (祥伝社新書)

(終わり)

amerikaseijinohimitsu019
アメリカ政治の秘密
harvarddaigakunohimitsu001
ハーヴァード大学の秘密 日本人が知らない世界一の名門の裏側
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 古村治彦です。
johnboltontheroomwhereithappened001
ジョン・ボルトン回顧録 (仮)
 ドナルド・トランプ大統領の国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めたジョン・ボルトンの回顧録“
The Room Where It Happened”の日本語版は9月に発売される。アメリカでは既に中身の一部が報道され、議論を呼んでいる。トランプ政権側は「国家安全保障上の機密をばらすもの」として批判しているし、トランプ政権を批判する側は「これらの内容は本来は大統領弾劾手続きの時に議会で証言すべきものだったのに、金儲けのために証言を拒んだ」と批判している。

 内容はトランプ大統領が「危なっかしいど素人」で「無能」な人間で、汚い言葉である「頭の先までクソが詰まっている」人物であるということが事細かに書かれている。

ボルトンは、自身のカウンターパートである、谷内正太郎(やちしょうたろう、1944年-)国家安全保障局長・内閣特別顧問とよく会っている。それらのことを正確に記述しているので、本書は2016年以降の安倍政権下での日米関係史の資料ということになる。

特に北朝鮮との非核化をめぐる首脳会談の時期ということもあり、谷内は日本側の懸念をボルトンに伝えている。また、在日米軍の駐留コストの負担増額についても話をしている。また、安倍晋三首相のイラン訪問の前後、谷内はボルトンに対して、安倍首相のイランでの会談で話すべきポイントについても伝えている。ボルトンは、日本は同じ非核化という問題について、北朝鮮に対しては強硬姿勢(現実的な脅威として)、イランに対しては柔軟姿勢(石油のことがあるから)を取っているとしている。

 訳書は脚注や索引を入れれば700ページ近くになるのではないかと思う。それでも何があったのかを知るには興味深い一冊となるだろう。

(貼り付けはじめ)

ボルトンの暴露によってトランプは嘲りの対象に(Bolton exposé makes Trump figure of mockery

ナイオール・スタンジ筆

2020年6月17日

『ザ・ヒル』誌

https://thehill.com/homenews/administration/503287-the-memo-bolton-expose-makes-trump-figure-of-mockery

ジョン・ボルトンにとって、トランプ大統領に対する最も効果的な武器は単純だが、荒々しいものである。それは嘲りだ。

『ニューヨーク・タイムズ』紙は水曜日午後、前国家安全保障問題担当大統領補佐官の最新刊の内容に詳しく報じた。その他のメディアもすぐにそれに続いた。最新刊の内容に関する詳細な紹介によってすぐに論争が起きた。

ボルトンの説明によると、ある時、トランプ大統領はフィンランドがロシアの一部なのかどうかを質問したことあったそうだ。トランプ大統領はイギリスが核兵器を保有していることを知らなかった。トランプ大統領は、エルトン・ジョンのCD「ロケットマン」にエルトン・ジョンのサインをつけたものを北朝鮮の指導者金正恩に送りつけたいと熱望していた。

トランプ大統領はあまりにも無謀で向こう見ずなので、国務長官だったレックス・ティラーソンと国防長官を務めたジェイムズ・マティスの後見が必要なほどだった、とボルトンは述べている。ボルトンはティラーソンとマティスについて、「大人の枢軸(the axis of adults)」と呼んだとされている。

ボルトンはトランプ大統領を馬鹿者と評したが、これは政治的に言えば、より鋭利なダーツの矢ということになるだろう。この言葉は、ウクライナをめぐる対応をはじめとする弾劾に値するトランプ大統領のその他の行動に対する深刻な批判よりも、政治的に見れば厳しいものとなるだろう。

多くの人々の注意を引きそうなエピソードとして、レックス・ティラーソンの次の国務長官となったマイク・ポンぺオと会談を持った際、ポンぺオはボルトンにある走り書きをしたメモを渡した。そこにはトランプ大統領について、「彼は頭の先まで糞が詰まった奴だ(He is so full of shit)」と書かれていた。

この発言は、かつてのトランプ政権内部にいた人々によって使われ、もしくは暴露される嘲りの山に新しい要素を一つ加えるだけに過ぎない。

ティラーソンはトランプ大統領を「くそったれの馬鹿野郎」と呼んだと言われている。ボブ・ウッドワードの著書『恐怖』では、法律家のジョン・ダウドはトランプ大統領を「くそったれの嘘つき野郎」と考えていたとし、元大統領首席補佐官ジョン・ケリーはトランプ大統領を「愚か者」だと見なしていた、と書かれている。ダウドとケリーはこのような描写を事実ではないと否定している。

トランプ政権内部や外部の支持者たちは、ボルトンの本の信憑性を貶めようと大変な努力をしている。これは、こうした人々がボルトンの本がもたらす危険性について認識していることを示すサインである。

ボルトンの本の出版前審査は論争を巻き起こしている。国家安全保障会議は内容のいくつかの変更を求めている。それは表向き国家安全保障を理由にしている。

ボルトンの弁護士チャック・クーパーは先週、『ウォールストリート・ジャーナル』紙に論説を掲載した。その中でクーパーは、「こうした動きは国家安全保障を口実にしてボルトン市を検閲しようという明白な試み」だと主張した。

火曜日、司法省は著作についてボルトンに対して民事訴訟を提起した。本のタイトルは『それが起きたその部屋』だ。訴訟提起過程で、司法省は本に対して大いなる宣伝をすることになってしまった。6月23日に発売されることになっているが、水曜日午後の時点で、アマゾンでベストセラーランキング第1位にランク付けされている。

勿論のことだが、ボルトンは反トランプ「ルネサンス」にとっての英雄ではない。タカ派の外交政策専門家であるボルトンが最初に全国的な注目を集めたのは、ジョージ・W・ブッシュ元大統領政権の時代だ。ボルトンはイラク戦争を主導した。

2005年、ブッシュ大統領(当時)がボルトンを米国国連大使に指名した時、連邦上院から人事承認を得られなかった。そこで連邦議会休会中に任命するということになった。

ボルトンがトランプ政権に参加したのは2018年4月からだったが、北朝鮮、イラン。アフガニスタンといった諸問題について、とランプ大統領よりも、より強硬なアプローチを好んだ。

2人の姿勢の違いは、9月になって決定的な争いへとつながった。ボルトンは、自分は辞任したのだと述べたが、トランプ大統領は、ボルトンを更迭したと述べた。

トランプの後援者たちはボルトンが本を書いた同期について疑義を呈することで、ボルトンの重要性を低めようとしている。「アメリカを再び偉大に(MAGA)」陣営とリベラル派が合意している点というのは大変に珍しいケースである。

民主党員の多くとその他のトランプへの批判者たちはボルトンを攻撃している。批判者たちは、ボルトンが今年初めの大統領弾劾の時期に証言を抵抗したが、それは本で金儲けをするためだった。一説にはボルトンは本の出版契約の段階で200万ドル(約2億①000万円)を手にしたと言われている。

ジム・ジョーダン連邦下院議員(オハイオ州選出、共和党)は連邦議員の中でも特にトランプを強力に支持している人物だ。ジョーダン議員は水曜日、ボルトンには「嫌らしい下心」を持っていると嘲った、とCNNの記者はツイートで報じた。

2016年大統領選挙でトランプ陣営に参加したジェイソン・ミラーは、2020年の選挙でも上級顧問として参加している。ミラーはハッシュタグ「#BookDealBolton」を使おうと呼びかけ、ボルトンは「アメリカの国家安全保障よりも本を売ることにしか関心を持っていない」と述べた。

ワシントンの共和党関係者たちも嫌悪感を示している。

過去の共和党の政権に参加したある人物は、ボルトンの本の詳細が表に出始めた先週本紙の取材に対して、元国家安全保障問題担当大統領補佐官ボルトンは「復讐」と「政権内部のゴシップ晴らし」をしたいだけだと述べた。

こうした見方への支持は、連邦下院情報・諜報委員会委員長アダム・シフ連邦下院議員(カリフォルニア州選出、民主党)からも出ている。シフ議員は大統領弾劾手続きを進めた人物だ。

シフは、ボルトンが議会での証言に抵抗したことと、ボルトンのスタッフたちが証言に応じた「勇気」と対照させた。

シフは「ボルトンは作家ではあるかもしれないが、愛国者では断じてない」と批判した。

いずれにせよ、ボルトンに対する批判のいくつかはトランプ大統領への弾劾の時期に生まれた疑問をまた抱かせる。

大統領に対する弾劾はウクライナ問題に集中した。トランプ大統領は東ヨーロッパに対する米連邦議会が決めた援助についてそれを行うためにはジョーバイデンに対する捜査を行うように求めたのは明らかだ。しかし、ボルトンは同様の試みが中国に対して行われていたと主張している。

ボルトンは2019年6月のG20サミットについて書いている。この会議の席上、トランプは中国国家主席習近平に対して、2020年の大統領選挙で勝利できるように助けて欲しいと依頼した、としている。

『ワシントン・ポスト』紙によると、ボルトンは次のように書いている。「トランプ大統領は、選挙の結果において、農民の重要性と中国が大豆と小麦の購入量を増加することの重要性を強調した。私はトランプ大統領の発した言葉を正確に転載しようとしたが、政府による出版前の審査プロセスはそれを許可しなかった」。

多くのメディアはこの問題を中心に報道することになるだろう。

しかし、こうした描写への関心が高まっている中で、ボルトンの「トランプ大統領はど素人であり、無能力」という描写が人々の記憶に最も刻まれる点となるだろう。

(貼り付け終わり)

(終わり)

amerikaseijinohimitsu019
アメリカ政治の秘密
harvarddaigakunohimitsu001
ハーヴァード大学の秘密 日本人が知らない世界一の名門の裏側
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 古村治彦です。

nomonhannsekininnakitatakai001

ノモンハン 責任なき戦い (講談社現代新書)

 個人的なことから書くのは申し訳ないが、戦争関連の書籍を読むとき、なかなか手が伸びないのがノモンハン事件とミッドウェー海戦に関わる書籍だ。どちらも日本という国と日本人が持つ短所を象徴するように思えてならないからだ。

 『ノモンハン 責任なき戦い』も買ってはみたがなかなか読もうという気持ちにならなかった。それは連隊長クラスから下に対する過酷な措置と上位者の無責任な態度に気分が悪くなるということが分かっており、躊躇してしまったからだ。

 本のタイトルにある通り、「責任なき戦い」は日本軍の宿痾であり、これは現在の日本でもその通りだ。森友学園問題について近畿財務局に勤務するノンキャリアの官僚の自殺ということも起きた。約80年前に起きたノモンハン事件(ハルハ河の戦い)の後の連隊長位への自殺強要とつながる。また、この「責任なき戦い」はインパール作戦の悲劇をも生み出している。

 ノモンハンはモンゴルと満州国の国境地帯にあるハルハ河付近にあり、ロシア側ではノモンハン事件をハルハ河の戦いと呼んでいる。1939年にここでソ連・モンゴル軍と日本の大部隊が戦い、日本側の敗北に終わった。死傷者数はソ連側が約2万5000、日本側が約2万だった。この点で「日本側が勝った」という評価もあるようだが、ソ連の圧倒的な物量と機械化の前に、白兵突撃を主戦法とする日本は徒に犠牲を増やしていった。

 東京にある参謀本部は日中戦争解決に集中するために、ただの平原を争うための戦争はしたくなかった。一方、満洲に駐留する関東軍はソ連や満州がこれまでに数度国境を侵犯してきたこと(国境は確定しておらず、関東軍が勝手にここまでが国境と決めていた)に憤激し、「無敵」関東軍が鎧袖一触、ソ連軍を蹴散らしてやると息巻いていた。

 中央は不拡大、出先は功に逸るという図式は他の国の軍隊でも歴史上多く見られた。しかし、問題は日本軍の場合、独断専行の伝統もあり、出先が中央や上位機関の統制に服さないという特徴がある。中央にしっかりした人物がいれば統制できるのであるが、出先の強硬派と先輩・後輩、以前の上司・部下の関係で「甘い」人物や「面倒くさがり」の人物がいれば、出先の意見がいつの間にか通ってしまうという結果になる。ノモンハンがまさにそうであった。

 日本軍は自己催眠にかかったように、自分たちが「無敵」と思い込むと、戦争の準部を怠る傾向にある。敵の情報をあらゆる手段を尽くして集めることをせず、奇跡的にもたらされた敵の情報を過小評価し、自軍に不利な情報を提供した人物を「軟弱」と罵った。ノモンハンでも駐ソ駐在武官がシベリア鉄道で日本に帰還する途中、昼夜兼行でソ連軍の動きを観察し、大規模動員が行われている情報を掴んでいたのだが、「そんなはずははい」の一言でこの情報を切って捨てた。

 そして、いざ戦いとなると、ソ連軍の圧倒的な物量と優れた武器の前になす術がなくなる。得意の白兵突撃や夜襲切込みでは大砲や高速戦車に対抗することはできない。戦車の装甲は銃弾を跳ね飛ばすことはできるが、人間の体はいくら気合や魂が入っていても、銃弾を跳ね飛ばすことはできない。

 日本軍の主力で戦ったのは第二十三師団だった。この師団は結成間もなく、訓練がまだ十分ではなかった。師団長の小松原道太郎中将は情報畑が長く(駐露駐在武官やハルピン特務機関長など)、実戦経験は少ない人物であった。また、小松原にはソ連側のスパイであったという説もある。関東軍の中でも「あの人は戦うタイプの人ではないし、二十三師団はまだ訓練ができていないから、別の精鋭師団を派遣する」ということになっていたが、関東軍司令官の植田謙吉大将は、ノモンハン付近は第二十三師団の担当地域であり、後退させるのは気の毒だということで、二十三師団が主力ということになった。そして、8割近い損耗率で敗退ということになった。

 ノモンハン停戦後、関東軍の人事は総入れ替えとなった。上層部は予備役編入(現役から引退)、参謀の服部卓四郎や辻政信は左遷、となったが、現場の連隊長クラス以下には過酷な「措置」が待っていた。部隊がほぼ全滅に瀕しても陣地を守り、最後の最後に転進した連隊の連隊長には「自決強要」がなされた。小松原師団長は責任を部下の撤退に押し付け、「私の師団が壊滅したのは、あいつのせいだ」と憤っていたという。二十三師団捜索隊を指揮した井置栄一中佐はフイ高地を守っていたが、800名の舞台が全滅に瀕し、転進したことの責任を問われ、小松原によって自決を強要された。また、捕虜交換で帰還した者たちは敵前逃亡ということで、将校以上は自決強要、下士官は軍法会議で有罪となった。

 井置中佐の遺族は事件後に井置の死亡の様子を陸軍に問い合わせたが、答えはなかった。しかし事件後のある深夜、軍服姿の小松原中将が井置の自宅を訪れ、仏前に手を合わせて涙を流していたという。

 これはこの本に書いていないが、師団長は天皇から親補される。この点は重要だ。皇居で天皇から直接親補状が手渡される。これはインパールでもあったことだが、師団長を罰するとか解任するということになると、「このような不明な人物を師団長に任命した天皇の責任」ということになり、師団長クラスは実質的に責任を問われないという構図になっていた。それでも、通常であれば、師団長クラスであれば、「私が全責任を負うので部下は免責をお願いしたい」ということで、師団長自身が自決するということが、日本軍のあるべき「将器」の姿である。しかし、小松原にはその覚悟もなかったようだ。

 何かを決定すればそのことに責任が生じる。それは軍隊に限らない。責任者という地位にはそれだけの重みとかつ待遇がなされる。本書『ノモンハン 責任なき戦い』には責任者の地位にあった人物たちの発言が掲載されているが、概して「他人事」であり、「俺だけが悪い訳ではない、あいつもこいつも悪かった」という無反省があふれている。そして、「下のものにはより過酷に、上のものにはより穏やかに」という日本の宿痾がつまっている。これを読めば、80年前のノモンハン事件は決して昔のことではないし、ノモンハン事件のような失敗を日本は二度と繰り返さないということはとても言えないという暗澹たる気持ちになる。

(終わり)

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 古村治彦です。

minpiansatsu001
閔妃(ミンビ)暗殺―朝鮮王朝末期の国母 (新潮文庫)

 角田房子著『閔妃暗殺 朝鮮王朝末期の国母』を読んだ。閔妃暗殺事件とは、1895年に、当時の朝鮮王朝第25代国王高宗(ゴジョン、こうそう、1852-1919年、67歳で死)の王后・閔妃(びんひ、ミンピ、1851-1895年、43歳で死)を、王宮に侵入した日本の軍隊、警察、民間人が殺害し、遺体を辱め、最後には焼き捨てた、という事件である。
koreanmpressmyeongseong001

閔妃
 閔妃暗殺事件について高校の日本史で習う機会はある。しかし、その詳しい内容や登場人物について習うことはない。私も校内でのテストや入学試験に出てくる単語として「閔妃」や「大院君」という言葉は覚えていた。しかし、それだけのことだ。今回、角田房子著『閔妃(ミンピ)暗殺』を読むことで、1860年代から1890年代(日本が清国に勝利した日清戦争)までの国際関係と朝鮮半島についての歴史を学ぶことができた。

韓国の初代大統領である李承晩(イスンマン、りしょうばん、1875-1965年、90歳で死)は、朝鮮半島の世界政治における立場について、「朝鮮半島は二頭の大きな鯨(中国と日本)の間の小さな海老のようなもの」と評した。19世紀末の朝鮮半島は、ロシア、清国、アメリカ、フランス、イギリス、そして日本といった、欧米列強(western powers)と列強候補生である日本の思惑に翻弄されることになる。

日本と清国が戦った日清戦争の理由は朝鮮半島と朝鮮王朝に対する影響力をどちらが保持するかであり、日清戦争から10年後の1904年からの日露戦争は日本が朝鮮半島の実質的な支配権を確保するかどうか、そして朝鮮半島を確保するために可能ならば満州南部に進出できるかどうかが戦争理由であった。日清戦争では朝鮮半島は戦場になった。

 19世紀末の朝鮮王朝(13 年に李成桂が建国)に登場したのは、大院君(だいいんくん、テウォングン、1820-1898年、78歳で死)と閔妃だ。大院君とは国王の実父で国王ではなかった人物に与えられる称号で、歴史的には数名存在した。しかし、私たちが言う大院君は19世紀末に登場した大院君だ。同様に閔妃とは「閔氏出身のお妃」という意味の言葉で(金氏出身だと金妃、趙氏出身だと趙妃となる)、こちらも複数存在した。私たちが口にする閔妃ももちろん19世紀末の朝鮮国王高宗のお妃様である。19世紀末に活躍した閔妃の正式な名前は「明成皇后閔妃(めいせいこうごうみんぴ、ミョンソンファンフミンピ」」であり、大院君は「興宣大院君(こうせんだいいんくん、フンソンデウォングン)」だ。
koreanheungseondaewongun001

大院君
 朝鮮王朝第25代哲宗(チョルジョン、1831-1864年 在位:1849-1864年)は跡継ぎを残さないまま、危篤に陥った。この時代の朝鮮王国は勢道(セド)政治と呼ばれる、国王の外戚の一族が政治を牛耳っていた。日本の藤原氏と同じだ。朝鮮王国の主要なポストを占めていたのは、安東金(アンドン・キム)氏だった。第23、24、25代の国王のお妃は金氏から出ていた。23代国王純宗の息子、孝明世子は金氏の血を引く王太子であったが20歳で早逝した。孝明世子の王太子妃は金氏ではなく、豊壌趙(プンヤン・ジョ)氏の出身で、孝明世子は父の意向を受け、摂政として金氏の専横を抑えることに苦心した。しかし、孝明世子の息子の24代憲宗の妃も金氏から出た。憲宗もまた父と同じく20代前半で早逝し、男子がいなかったため、王族の哲宗が後を継いだが、こちらも後継者を残さずに亡くなった。

 1863年末、新国王を決める際に力を持ったのが、孝明世子の妃だった神貞王后趙氏だった。神貞王后趙氏に以前から根回しをしていたのが、大院君だった。大院君は王族ではあったが、貧しい暮らしを強いられ、自身が描いた絵を金一族の政府高官に売って生活をしていた。「乞食王族」とも呼ばれた。しかし、大院君は息子の李命福を国王の座に就けるために、安東金氏に反感を持つ人々への根回しを続けていた。また、乞食王族の気安さもあり、庶民の生活にも親しんだ。
koreanemperorgojung001

高宗
 神貞王后趙氏の決定で、大院君の息子である李命福が第25代国王高宗に即位した(1863年末)。大院君は事実上の執政の地位に就いた。大院君は国内政治では金氏の専横を抑え、人材登用や汚職の摘発、士大夫階級である両班への課税などを実施した。対外政策では攘夷政策を実施し、アメリカ船やフランス戦の打ち払いに成功した。大院君は排外主義を維持した。これは衛正斥邪(えいせいせきじゃ)と呼ばれる。しかし、大院君の独裁政治と国防費をはじめとする国費は増大し、更に1872年に大飢饉まで発生し、宮廷内や国民の間で不満が高まった。

 高宗(在位:1863-1897年[朝鮮国王]、在位:1897-1907年[大韓帝国皇帝])は即位から前国王の喪に服したが、服喪期間が明けた後の重大事はお妃の選定だった。安東金氏の行ったような同族政治、勢道政治を復活させる訳にはいかない大院君は慎重だった。そして、大院君の妻の出身である驪興閔氏の娘で、既に両親がいない少女をお妃に決めた。これが閔妃だ。後に大院君と政争を繰り広げることになる。1866年、閔妃は結婚し、王宮に入った。

 閔妃は聡明な女性で、読書家であり、中国の歴史書『春秋』『左氏伝』を愛読していた。これは天璋院篤姫が頼山陽の『日本外史』を熱心に読んでいたというエピソードと重なる。閔妃は自身と義母(大院君の妻、高宗の母)の出身である閔妃や反大院君勢力のネットワーク化を進めた。そして、1873年、高宗の成人に伴い、王の親政を宣言させ、大院君を失脚させた。閔妃は気が弱くて平凡な高宗の後ろの御簾(みす)の後ろに座り、助言(命令)を下した。皇后や王后のような女性が政治を行うことは垂簾聴政(すいれんちょうせい)と呼ばれる。閔妃は出身の閔氏や排除されていた金氏を登用した。閔氏による勢道政治が開始された。

 閔妃は1874年に後に大韓帝国第2代皇帝純宗(じゅんそう、スンジョン、1874-1926年、52歳で死 在位:1907-1910年)となる坧(たく、チョク)を生んだ。すでに側室が生んだ王子もいたが、清国に働きかけて、賄賂まで贈り、王太子とすることに成功した。1880年に高宗の側室李尚宮と、李尚宮が生んだ長男・完和君李墡が急死した。これは閔妃による毒殺という見方が大半だ。

閔妃はそのまま清国に頼り続けるかと思えば、日本やロシア、アメリカも利用しようとするなど、閔妃は鋭い政治感覚を持っていた。高宗の親政が始まり、朝鮮の対外政策は鎖国から開国へと移っていった。1876年には日朝修好条規、1882年には米朝修好通商条約も締結された。日本でもそうだったが、開国後は貿易量が増え、国内経済はインフレに陥り、人々は「開国したために暮らし向きが悪くなった」という不満を持つようになった。この時代は日本が貿易を独占していたが、朝鮮からは米や金(きん)が輸出され、日本はイギリスの綿製品が中継されて輸出されていた。そのため、人々の怨嗟の声は日本にも向けられた。また、閔妃のぜいたくな暮らしや国費濫用も問題となった。

 1882年に旧式の武器が支給されていた旧軍(日本式の最新鋭の武器を持つ軍隊「別技軍」とは別)に対する俸給未払いや不正支払い事件が起き、旧軍が反乱を起こした。これを壬午軍乱(じんごぐんらん、イモグルラン)と呼ぶ。生活に困窮している民衆も加わり、王宮や日本公使館が襲われた。閔妃は辛くも王宮から脱出したが、生死不明の状態となった。この暴動事件のさなか、失脚していた大院君が担ぎ出され、王宮に入った。この事件について、大院君が首謀者だという説もあるが確定されてはいない。大院君は一時権力を掌握するが、閔妃は密かに宮中と連絡を取り合い、清国の袁世凱に鎮定を依頼し、清国が軍隊を派遣し、暴徒を鎮圧、反乱の首謀者として大院君を拉致し天津に連れ去った。閔妃は再び権力を掌握した。一方、日本公使館員や民間人が多く殺害されたことで、日本も態度を硬化させ、最終的には済物浦条約を締結、賠償金支払いと邦人保護のために軍隊を駐屯させることになる。朝鮮半島内に清国軍と日本軍が駐屯する形になった。

 閔妃は清国への事大を強めていくが、その中で一時は重用した親日派・開化派は冷遇されていく。近代化政策も頓挫する。そうした中で、1884年、開化派の中心人物、金玉均(きんぎょっきん、キムオッキュン、1851-1894年、43歳で死)は焦りからクーデターを敢行した。これを甲申政変(こうしんせいへん、カプシンジョンビョン)と呼ぶ。金玉均らのクーデターは日本の協力もあり成功するかに見えたが、最終的には清国軍の介入もあり、失敗に終わった。日本軍と清軍による小競り合いもあった。閔妃をはじめとする朝鮮王宮内は、排日、親清、更に、ロシア公使夫妻が閔妃に取り入ったことで、親露ということになった。

1882年に清国によって拉致された大院君は、清国によるロシア牽制の意図もあり、1885年に帰国を果たした。閔妃たちとしてはいつ自分たちへの反抗の旗頭になるか分からない大院君はできるだけ長く清国にとどめておいて欲しかったが、様々な働きかけに対しても、清国は「親不孝」をしてはいけないと退けた。大院君は帰国を果たしたが、監視付きの軟禁状態に置かれることになった。また、1885年4月には、甲申政変の後処理のために日清間で天津条約が締結された。この時、「両国のうちどちらかが挑戦に軍隊を派遣する場合には通知する」という条項が入れられた。

1894年、甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)が起きた。これは東学党の乱、東学農民運動(とうがくのうみんうんどう、トンハンノンミヌンドン)とも呼ばれている。韓国南西部・全羅道から発生した、東学党が率いる農民反乱は朝鮮王国軍を破る勢いだった。そこで、閔妃は清国軍の来援を求めたが、日本には支援を求めなかった。しかし、日本は天津条約の条項に則ると主張し、軍隊を派遣した。朝鮮半島における日清間の緊張は高まり、日清戦争が勃発した。閔妃をはじめとする朝鮮政府は日本に協力することを迫られたが、内心では清国が勝利することを期待していた。しかし、期待は打ち砕かれ、日本が勝利し、1895年に下関講和条約が締結された。朝鮮に対する日本の影響力が強まることになった。しかし、遼東半島の割譲を巡り、ドイツ、フランス、ロシアによる「三国干渉」が起き、日本の威信は傷つけられた。

 この時期、閔妃は日本に対抗するためにロシアを引き入れることに腐心していた。日本の影響力が減少する中、日本公使が井上馨から三浦悟楼に交代した。三浦は密かに閔妃殺害を心に決めていた。また、朝鮮に住む日本人たちの間でも、日本の影響力を維持するために閔妃を殺害し排除しなければならないという声が大きくなっていた。そして、ついに1895年10月8日、日本軍、警察、民間人が王宮に乱入し、閔妃を殺害した。この事件を乙未事変(いつびじへん、ウルミサビョン)という。

 閔妃を殺害された高宗は日本への抵抗を続けた。1896年2月、ロシア兵が王宮に入り、高宗と王太子はロシア公使館に逃げ込み、そこで執務するという状態になった。これを露館播遷(ろかんはせん、ノグァンパチョン)という。1897年に王宮に戻るまで、欧米列強と様々な投資契約を結び、鉄道施設権や鉱山の採掘権を与えた。1897年には朝鮮王国は清国の冊封からの独立を宣言し、大韓帝国と名称を変更し、高宗が初代皇帝となった。閔妃には明成皇后の名称が追贈された。

 角田房子は自虐に陥ることなく、淡々と事実を書き、疑わしいところは疑わしい、分からないところは分からないと書いている。「誰が閔妃を殺害したのか」「致命傷を与えたのか」という点は、混乱状況の中で明らかになっていない。また、関与した複数の人物が「自分が殺害した」と主張している。この点で、「閔妃を殺害したのは日本人だ」「いや、日本人ではなく、朝鮮人だ」ということを言い争っても永遠に解決しない。

 問題は、日本の軍隊と警察が民間人と一団になって、日本が「独立国」と認めた国の王宮に許可もなく泥棒のように侵入し、王妃を殺害した、その巻き添えで2名の女官も殺害された、そして、この事件を日本で裁くはずが、時間関係者全員が免訴になった、ということだ。そして、日本人がこのことを知らないし、深刻に捉えていないこと、想像力を働かせていないこと、これもまた問題だ。日本に引き写して考えてみれば、どれほど重大で深刻な事件を日本が起こしたかということが分かるはずだ。

 閔妃が殺害されて以降、朝鮮王国は日本による支配が強化されていき、「保護国(Protectorate)」化が進み、遂には1910年の併合(annexation)に至った。高宗は日本に抵抗し(ハーグ密使事件など)、最後には毒殺されたとも言われている。こうして、朝鮮王国は滅亡した。そして、日本の植民地支配となった。「日本は朝鮮半島の近代化に貢献した」と声高に言い募るだけでは駄目で、歴史を知り、謙虚に接することが隣国との関係を改善する道だ。

 『閔妃暗殺』は大変読みやすい本であり、19世紀末の東アジアの国際関係、朝鮮王朝末期の歴史を知るには最適な本だ。

(終わり)

amerikaseijinohimitsu019
アメリカ政治の秘密
harvarddaigakunohimitsu001
ハーヴァード大学の秘密 日本人が知らない世界一の名門の裏側
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 古村治彦です。

 今回は『満鉄全史』(加藤聖文著、講談社学術文庫、2019年7月)をご紹介する。
mantetsuzenshi001
満鉄全史 「国策会社」の全貌 (講談社学術文庫)

 本書は、2006年11月に講談社選書メチエとして出版されたものを講談社学術文庫で出版し直されたものだ。満州や満州国に関する書籍は多く発刊されている。私は満州について興味を持ち、『キメラ―満洲国の肖像 (中公新書)』(山室信一、中公新書、2004年7月)や『満洲暴走 隠された構造 大豆・満鉄・総力戦 (角川新書)』(安冨歩著、角川新書、2015年6月)を読んだ。日本の満州進出と満州国成立と崩壊について詳しく述べられている。興味がある方は是非読んでいただきたい。

「満州は日本の生命線」(松岡洋右談)という意識があり、満州というの場所は、日本にとってさまざまな人間や資源を引き寄せる「場(トポス)」だった。日本国内にもない最新設備が備えられながらも、あまりにもあっけなく歴史から姿を消した満州国。

 私が満州や南満州鉄道に関心を持っているのは、ごった煮のような感じと整然とした姿がきわどいバランスの上に共存していたように感じられているからだ。また、傀儡国家(puppet state)としての満州国とは現在のアメリカの属国・日本の姿を鏡に映した姿であるとも考えているからだ。表面上は最新の技術が導入された豊かな暮らしと多民族国家の国際的な雰囲気、しかし、一歩中に分け入れば日本の支配と日本人の優越と他民族の差別を抱えていた。

 満州の歴史を語る際には、南満州鉄道(満鉄)が軸になるのは当然だが、満州全体の歴史となると、他のアクターである関東軍や関東庁、軍閥などにも言及することになり、満鉄自体の言及は少なくなる。しかし、私が求めているのは、満鉄の社史ではなく、満鉄と政治との関係を網羅した歴史で、本書は私がまさに求めている内容だった。

 本書『満鉄全史』は日露戦争の結果、日本が獲得した東清鉄道南部支線が1906年に南満州鉄道となり、1945年の日本の敗戦に伴って消滅(実際の清算にはもっと時間がかかった)までの約40年の歴史が網羅されている。満鉄は「国策」会社として出発した訳だが、「国策」(国家的政策の略語だろうか?)という曖昧な、中身は融通無碍、変化を繰り返す、どうとでも定義される言葉に翻弄されたということが言える。

 満鉄は日露戦争で満州軍総参謀長を務めた児玉源太郎と後藤新平が立ち上げた。児玉源太郎は台湾総督時代に部下であった後藤新平を知り、その有能さに目をつけ、後藤を満鉄の初代総裁に就けた。日本政府はそもそも東清鉄道南部支線を獲得するつもりもなく、獲得しても経営を文字通り軌道に乗せることが出来るか自信がなかったが、満鉄初代総裁後藤新平が複線化、撫順炭鉱の拡張、ホテルや新聞など多角経営を進めた。後藤の理想はイギリスの東インド会社であったと言われている。

 後藤新平は満鉄経営において、外務省、関東都督府(後に関東庁)、陸軍といった各政府機関の間、そして満鉄とこれらの機関との間で意志一致が図れずに、三頭政治による「満州経営の不統一」状態が放置されていることに不満を持ち、自身が政界に入り、この状態を改善し、全植民を統括する機関の設置を目指した。後藤は長州閥に近づいていった。

 長州閥の伊藤博文が作ったのが立憲政友会(政友会)だ。立憲政友会が積極財政主義で、日本国内での鉄道建設(鉄道省が管理していた鉄道、戦前から戦後直ぐは国鉄の路線を省線と呼んでいた)や港湾整備など、インフラ整備を推進したが、政権を長年担当し続けた立憲政友会と満鉄は深い関係を築いた。長州閥=立憲政友会-南満州鉄道という関係が出来上がる。「薩の海軍、長の陸軍」という言葉もあるが、満州は陸軍の金城湯池だった。立憲政友会と満鉄とのつながりを深めた、癒着を深めたのは立憲政友会に所属し幹部となっていた原敬(後の首相)だ。

 満州国を牛耳った「二キ三スケ」のうち、岸信介と鮎川義介、松岡洋右は肉親関係にある長州閥の人物たちだ。松岡は外務省から満鉄に転じ、副総裁、満鉄総裁を経て、立憲政友会所属の代議士となり、満鉄総裁、後に外相を務めた人物だ。首相となった原敬は満鉄中心の満州経営を推進し、満鉄は立憲政友会の利権となった。満鉄のドル箱は大豆の輸出のための輸送だった。

 1928年の張作霖爆殺事件から1931年から1932年の満州事変から満州国成立によって満鉄は政治に大きな影響を受けることになる。この時期に満鉄は松岡洋右を相殺に迎えることになる。満鉄は張作霖爆殺事件によって日本に対する反感を募らせた(日本が張作霖を利用するだけ利用して言うことを聞かなくなったら殺すという暴挙に出たので当然だが)張学良が満州において、満鉄に対抗するために並行する形で鉄道建設を行ない、価格競争力で満鉄は負けてしまうという事態も起きた。このために満州国成立は満鉄にとっても渡りに船だった。

 満州国成立後、満鉄の思惑とは異なり、満州国に赴任してきた革新官僚たち(岸信介がその代表格)は、重工業発展のために日本からの資本導入を決定し、満鉄は除外されることになる。満鉄は炭鉱や重工業にも進出していたが、ただの鉄道会社になれということになった。この時の満鉄総裁が松岡洋右であり、前述の通り、松岡と岸は親戚同士だったのだがこのような結果になった(満州重工業のために日本からやってきたのも親戚の鮎川義介だった)。まさに満州は長州の土地だった。

日本の降伏後、満鉄は崩壊した満州国や関東軍に代わり、在留する日本人150万人の帰国事業をになうことになった。進駐してきたソ連軍との交渉や日本への帰国の手配などを行なった。満鉄は日本の植民地経営の尖兵であったが、その最後は幕引き役であり、墓掘人であったとも言えるだろう。

満鉄は日本の植民地支配、経営の最前線を担った。その当時の世界最速の超特急「あじあ号」や近代的な町並みづくりなど、現在の私たちが見ている風景はその美しい表明に過ぎない。別の面で見れば、日本の「国策」、という翻弄された組織とも言える。満州の工業化や近代化を担ってきた組織も国家の都合で簡単にただの鉄道会社に「降格」させられた。また、鉄道敷設の面でも経営や利益ではなく、国家の都合が優先された。

しかし、最初に立ち戻ってみれば、日本に確固とした満州における「国策」などなかった。満州の地でロシアと戦った日露戦争は朝鮮半島を日本の影響下にとどめておくことが目的だった。何とか引き分けに持ち込んで、賠償金は取れなかったが鉄道の経営権は手に入った。はてさてこんなものを渡されてどうしよう、というところから満鉄は始まっている。

 基本的な哲学も計画もないままで始まった満鉄の歴史40年は日本の確固とした哲学、計画もない醜悪な拡大主義とその挫折の歴史の姿と重なる。この姿は現在の日本でも変わっていないと私は考えている。

(終わり)

アメリカ政治の秘密日本人が知らない世界支配の構造【電子書籍】[ 古村治彦 ]

価格:1,400円
(2018/3/9 10:43時点)
感想(0件)

ハーヴァード大学の秘密 日本人が知らない世界一の名門の裏側[本/雑誌] (単行本・ムック) / 古村治彦/著

価格:1,836円
(2018/4/13 10:12時点)
感想(0件)

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このページのトップヘ