古村治彦の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、以下のアドレスをご覧ください。http://soejimaronbun.sakura.ne.jp/goaisatsu.html 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。よろしくお願いします。

カテゴリ: 本の紹介

 古村治彦です。

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唐牛伝 敗者の戦後漂流

 

 今回は、1960年の日米安全保障条約改定時に、全学連委員長として活動した、唐牛健太郎(かろうじけんたろう、1937―1984年)の評伝を皆様にご紹介します。著者の佐野眞一は、ノンフィクションライターとしていくつもの著作を発表していますが、橋下徹氏を巡る評伝で謹慎することになりました。今回の評伝は佐野氏の復帰作です。この復帰作は、素晴らしい出来であると私は考えます。一気に引き込まれ、読み切ってしまいました。それは、主人公である唐牛健太郎の魅力と共に、佐野氏の筆力もあるでしょう。

 

 唐牛健太郎は、1960年の安保改定の時に活動した、全学連(大学の学生自治会の全国組織)の委員長として「活躍」しました。国会前に集まった学生たちの指導者として、演説で学生たちを動かしました。この60年安保では、東大の学生だった樺美智子さんが死亡し、多くの負傷者を出し、また逮捕者も出てしまいました。唐牛もまた逮捕され、大学も卒業できず、その後、南は与論島(沖縄返還前は日本最南端)から北海道の厚岸(あっけし)まで日本全国を渡り歩く、安定しない生活を続けました。一方、60年安保で全学連の指導者であった人々の多くは、唐牛とは対照的に、大学を卒業し、社会的にステータスの高い仕事に就きました。

 

 唐牛健太郎という名前と響きは、50年代後半から60年代にかけて青春時代を過ごした人々にとって、輝かしいものであったそうです。唐牛が晩年、徳洲会病院グループの総帥・徳田虎雄の選挙参謀になったとき、徳洲会の医師たちは、唐牛に会うことに感激し、徳田虎雄が激怒したという話も残っています。

 

 唐牛健太郎は、北海道・函館出身(戦前の武装共産党の指導者でその後転向し、戦後はフィクサーとなった田中清玄と同郷)です。婚外子で、8歳の時に父親は病死し、芸者としてその美貌が有名であった母は郵便局勤務で、生活を支えました。唐牛がハンサムで、「石原裕次郎よりもハンサムだ」として、映画会社からスカウト受けるほどであったというのは、母親の美貌を受け継いだからと言えるでしょう。

 

 中学時代は勉強も出来て、運動(野球)もできるという優等生タイプの少年で、高校は地元の名門・函館西高校に進学。高校時代に文学に耽溺し、煙草を吸うというような不良っぽい学生になっていて、昔を知る同級生たちが驚いたということです。煙草を吸いながら、難しい本を読むというのは高校生のある種のモデルとも言うべきものでしょう。大学入試では英語が不得意だからと1人だけフランス語で受験して、それで北海道大学に入学できるのですから、不良っぽいとは言いながら、勉強もちゃんとできていたということでしょう。いますよね、勉強している感じじゃないのに、勉強ができちゃう人。私の高校時代もいましたが、羨ましかったことを思い出します。

 

 北大入学後はすぐに休学して上京し、アルバイトをしながら、演劇をやろうとしていたようです。ハンサムで人を惹きつける力がある唐牛にとっては、もしかしたら、俳優が向いていたのかもしれません。しかし、東京で砂川闘争に参加し、人生は大きく変わります。翌年に北大に復学し、教養部自治会委員長や全北海道の大学の自治会連合会の委員長になります。これは彼が天性の魅力を持ち、人に指導者として押し上げられるタイプであったことを示しています。

 

 日本の大学学生自治会は共産党の指導の下にありました。しかし、1950年代後半、日本共産党の方針に反発する若い人たちが出てきて、日本共産党から飛び出していきました。1953年に革命的共産主義者同盟(革共同、後に革マル派の指導者となる黒田寛一や作家となる太田竜がいました)が結成されました。また、1958年には共産主義者同盟(共産同、ブント)が結成されました。そして、1960年の日米安保条約改定時の学生たちを率いたのがブントに指導された全学連でした。

 

  このブント(党[partei]に対する同盟[Bund])の中心人物が、東京大学医学部の学生だった島成郎(しましげお)です。そして、その他にも青木昌彦、香山健一、柄谷行人、西部邁 森田実といったそうそうたる人物たちがいました。1960年にブントは解体します。指導部の人々はそれぞれが学業に戻ったり、就職したりしていきました。そして、1966年に第二次ブントが結成されますが、これも後に解体します。

 

 1963年2月26日にTBSラジオでラジオドキュメンタリー番組「ゆがんだ青春/全学連闘士のその後」(取材者・ディレクター:吉永春子)が放送され、ブントが資金面で、田中清玄などから援助を受けていたことが暴露されました。この番組で流された録音は、吉永の取材というよりは、録音をしていることを隠しての盗聴録音であり、それが放送されました。ブントの資金面を担当していた東原吉伸が、早稲田大学の近くにある蕎麦屋「金城庵(現存・三島由紀夫も早稲田での講演の後に訪問したことがある)」で、同窓のよしみで気楽に吉永と会って、裏話をしてしまいました。これで、当時のブントの指導者たちは激しい批判に晒されました。

 

 唐牛はブント解体後に、革共同に参加しましたがすぐに脱退し、その後は、太平洋単独ヨット横断をした堀江健一と会社を設立したり、田中清玄の会社に入ったり、居酒屋を開業したり、漁師をやったり、コンピューター会社のセールスマンをやったり、徳洲会の創設者・徳田虎雄の選挙参謀をやったりと波乱万丈の人生を送りました。彼は有名になってしまい、大学にも戻らず、いわゆる一般的な仕事に就くことが大変でした。ブントの他のメンバーたちが社会的エリートに「復帰」していく中で、自分だけが罪を背負って、自分を罰するかのように生きていったように思います。結局、「学生さんのお遊び」から突き抜けることができず、空理空論を克服できなかった他の人々に比べ、唐牛は、実生活に基づいた意識をずっと持ち続けたのだろうと思います。

 

 ブントが主導する全学連の全国委員長の人選は、島成郎が行いました。彼は、唐牛健太郎に目をつけ、北海道まで説得に行っています。この当時も、「なんで東大、京大、もしくは東京の早稲田の学生が全国委員長ではないんだ」という不満や批判の声があったそうですが、唐牛をスカウトしてきた島の眼力はさすがというしかありません。しかし、それが唐牛の人生にとって果たして良かったのか悪かったのか、分かりません。母一人子一人で育った唐牛は母をとても愛し慕っていましたが、その母を心配させ、悲しませる方向に進んでしまったとも言える訳ですから。しかし、これは全く母と息子の間の愛情の深さを知らない人間の浅薄な考えかもしれません。唐牛のお母さんは最後まで唐牛を信じて、彼の好きなように生きることを望んだのかもしれません。唐牛の口癖は、「何か面白いことはないか」というものだったというのは皆の証言は一致しています。彼のこの精神は母親にも伝わっていたかもしれません。また、自分の決めた道を進み続けるという生き方を貫いた唐牛を育てたお母さんであるならば、彼の生き方を肯定したことでしょう。もちろん、これも浅薄な勝手な妄想かもしれません。

 

 作者の佐野氏は、60年安保に参加した若者たちの心情について、「一方で反米意識に心を吸引されながら、一方でアメリカのような豊かな国になりたいという意識も拭えなかった」と書いています。反米運動でもあった60年安保の指導者たちから学究の道に入り、アメリカ留学をする人物たちが出たのは、上記のような申請があったのだろうと思います。

 

 唐牛がエリートに「戻る」ことを拒否して、47年間の短い生涯を流浪のものとしたのは、こうしたエリートたちに対する無言の批判があったのだろうとも思います。「結局、エリートに戻って、庶民を弾圧する側に与するのか、君たちは」「俺は弾圧される側に残るよ」ということだったかもしれません。

 

 また、私の師である副島隆彦先生は、著書『日本の秘密』の中で、60年安保のブントには、アメリカから資金が流れていたということを指摘しています。この点について、島成郎氏に会った時に直接質問したそうです。島氏からは「今は言えない」という答えをもらったのだそうですが、島氏は何も言わないままに世を去りました。

 

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 古村治彦です。

 

 今回は、菅野完(すがのたもつ)著『日本会議(にっぽんかいぎ)の研究』を皆様にご紹介します。私の所属しております「副島隆彦の学問道場」では、副島隆彦先生と菅野氏の対談を行い、その模様を公開しています。是非ご覧ください。

 

※アドレスは以下の通りです↓

http://www.snsi.jp/tops/kouhou

 

 さて、今回は、菅野氏の著書『日本会議の研究』についてご紹介したいと思います。菅野氏は現在、大阪にある森友学園・塚本幼稚園・瑞穂の國記念小學院を巡る疑惑を調査し、その成果をインターネット上で発表しています。

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日本会議の研究 (扶桑社新書)

 

 今回のスキャンダルの中心となっている森友学園を巡っては、登場人物たちが日本会議に絡んでいます。まず最重要人物である森友学園理事長である籠池泰典(かごいけやすのり)氏が日本会議大阪支部の役員であることを日本会議が認めました。また、小学校のウェブサイトであいさつ文を掲載しているのは、平沼赳夫代議士です。平沼代議士は、日本会議国会議員懇談会の会長を務めています。また、これまで海外メディアでの報道についてこのブログでもご紹介してきましたが、安倍晋三首相と安倍内閣の大臣たちのほとんどが日本会議と深いつながりを持っているということはどの社も必ず言及しています。

 

 現在の日本政治を理解するうえで、日本会議と政治の関係を理解することは重要な事です。本書『日本会議の研究』はその手助けとなるものです。本の中身を見ながら、戦後の保守系がどのような動きをしていたのかも合わせて勉強になりました。左翼については、佐野眞一著『唐牛伝』を読んで勉強になりました。こちらの本も後ほどご紹介します。

 

 日本会議は1997年に創設されました。その前身となったのは、「日本を守る会」と「元号法制化国民会議」から名前が変わった「日本を守る国民会議」という2つの団体でした。これらの団体は目標であった元号法制化には成功したものの、靖国神社国家護持法制定運動では足並みをそろえることができずに失敗してしまいました。これらの団体を支えていた保守的な宗教団体の中で、これに賛成と反対で分裂してしまいました。

 

 著者の菅野氏は、日本武道館で行われた日本会議主催の集会に取材に行き、そこで、霊友会、佛所護念会、崇教真光、神社本庁、天台宗、黒住教といった仏教系や神道系の各宗教団体の信者たちがバスで武道館まで来て、団体ごとに入場していく姿を目撃しています。こうした宗教団体からの参加者以外はそんなに多くなかったと報告しています。こうした大きなイベントをやり、日頃の活動を支えているのが事務局になります。その有能さについて菅野氏は特記しています。

 

 日本会議を現在、取り仕切っているのは、日本会議事務総長の椛島有三氏です。椛島氏は長崎大学で学園正常化(学生自治会の役員を左翼過激派団体の学生ではない学生にする運動)を成功させたことで、保守派・右派で有名になった人物です。彼は生長の家の信者ですが、大学を卒業できなかったために生長の家の職員になれず(生長の家の職員になるには大学生だったら大学を卒業していなければならない)、その後、保守の草の根運動を続けてきた活動家です。先ほど書いた「日本を守る会」の事務局で実務を担ったのが「日本青年協議会(1970年結成)」という学園正常化運動に成功した・関与した生長の家の若い信者たちで作った団体で、椛島氏はそこの書記長をやっていました。現在は議長です。椛島氏は、日本青年協議会議長であり、日本会議事務総長でもあります。そして、日本青年協議会の人々が日本会議の事務局に入って活動を支えています。

 

 椛島氏の学生時代の仲間であるのが日本政策研究センター代表を務める伊藤哲夫氏です。伊藤氏は安倍晋三首相のブレーンとも言われている人物です。彼もまた生長の家の信者です。伊藤氏率いる日本政策研究センターの憲法改定の主張と自民党の憲法改定草案はほぼ一致しているということです。また、伊藤氏は安倍晋三首相を草の根保守の世界で有名にし、首相にまで押し上げた人物の1人であり、著者の菅野氏は「プロモーター」と評しています。

 

上記2人よりも目立ちませんが、実は最も重要な人物が、学生協議会初代議長安東巖氏です。安東氏は10代で大病をし、7年間にもわたる壮絶な闘病生活の中で、『生命の實相』に出会い、生長の家の信仰で病気が治り、同世代の人々よりも遅れて長崎大学に入学しました。そこで、椛島氏と共に長崎大学の学園正常化に成功し、生長の家の若者信者たちの中で有名になっていきます。また、大病を信仰で治したということで、教祖である谷口雅春からも講演などで名前が出るなど、カリスマ信者ということになりました。大学を卒業した安東氏は生長の家の職員となりました。この安東氏と人気を二分していたのが、鈴木邦男氏です。鈴木氏は早稲田大学で左翼学生たちと激しく戦い、それで有名になっていきましたが、安東氏の策謀によって生長の家を追われることになったそうです。この安東氏は裏方ですが、椛島氏や伊藤氏は彼と会う時には直立不動であったということです。

 

 日本会議を支える人々は若い頃からの生長の家の信者です。生長の家(教祖は谷口雅春)はかなり国家主義的な教義を掲げて戦後勢力を伸ばした宗教です。アメリカのニューソートムーヴメントの影響も受けていますが、選良体制の打破と戦前回帰を掲げるような宗教であったそうです。1983年に政治からの決別を決定し、現在は大きく旋回してリベラルになっています。元々の教義を信奉する人々は「谷口雅春先生を学ぶ会」という原理主義的なグループを作っています。

 

日本会議に結集している保守系草の根の運動の手法は現代的、民主的です。右翼団体のように暴力をちらつかせるようなことはしません。各地に団体を作り、署名集めや請願を地方議会に行います。意見書が採択されたり、決議がされたりするとそれは大きな事実として残ります。そうやって運動の実績を積み重ねていきました。これは左翼、リベラル派も同じような運動をしてきているのですが、草の根の保守も粘り強く運動を展開してきました。彼らが望むのは人権や自由が制限された世界ですが、それを実現するために民主的な手法を選択している点は皮肉なものだと思います。

 

 私は、本書の最後に出てくる安東氏の逸話がとても気になりました。安東氏は10代で大病をし、7年間にもわたる壮絶な闘病生活の中で、『生命の實相』に出会い、生長の家の信仰で病気が治り、同世代の人々よりも遅れて長崎大学に入学しました。しかし、入ってみた大学では授業が行われませんでした。安東氏は授業が正常に行われるように求めましたが、左翼過激派の学生に殴り倒されるという経験をしました。この時、自分の傍らを一般学生たちは知らんぷりで通り過ぎて行ったということが安東氏の学園正常化運動に対する情熱の原点となりました。大学生にとって授業に出る、授業を再開して欲しいと願うことは当然のことです。そして、そのために行動したら左翼学生に殴られた、その時、見て見ぬふりで一般学生は通り過ぎていったということですが、安東氏は左翼学生に対する怒りよりも、一般学生に対する怒りを強くしたのだろうと思います。

 

 現在、生長の家は政治路線から撤退し、どちらかというとリベラルな方向に転換しています。昔からの信者たちは、「谷口雅春先生を学ぶ会」というグループを作っています。生長の家の原理主義グループというべきものです。現在、疑惑の中心になっている森友学園の副理事長である籠池夫人もこの会に参加していると言われています。籠池夫人は、一度、開成幼稚園(現在は休園)の近くで挨拶をしたのに返さなかったということで、小学3年生の児童を殴り、警察に逮捕されたことがあります。また、塚本幼稚園の保護者向けの文書では、駅を通行中にキスをする男女を見て、女性の手をつねり、男性に警察に突き出されたことを自慢げに書いています。籠池夫人は自分が持っている理想の姿、美しい状況に合わない状況に対しては過剰に反応してしまう人物のようです。

 

 安東氏と籠池夫人、どちらも真面目、おそらく馬鹿とかクソといった言葉がつくほどのまじめ人間なのだろうと思います。融通が利かないと言ってもよいのかと思います。そういう人物はえてして、この世の中では生きにくいことになります。彼らが言っていることのほとんどは「正しい」ことです。「殴られている人がいたら助ける、止める」「挨拶をしたら返す」というのは正しいことです。しかし、世の中には正しいことが必ずしも通らないことが起きます。そうした時に、不愉快な気持ちになっても、「まぁ仕方がないか」と諦めてしまう人がほとんどだと思います。しかし、安東氏や籠池夫人は違います。そうした中、安東氏や籠池夫人が属する「谷口雅春先生を学ぶ会」という生長の家の原理主義的グループは、現代日本を堕落していると考え、戦前に戻そう、美しい日本人(挨拶をしたら返すような)がいた戦前に戻そうとしています。

 

 彼らは理想主義者で、自分たちの持つ理想が現実のものとなるように動く人物です。問題は、理想とは万人にとって受け入れられるものではないということです。共産主義者の理想に反対する人がいるとの同様に、安東氏や籠池夫人が理想とする社会に反対する人もいるのです。もし理想社会が実現してもどうしても反対者が出てきますから、結果として秘密警察や強制収容所が出てきて、反対者は殺されるということになります。

 

 これまで私たちは、左翼の理想主義の怖さについては、北朝鮮やカンボジアの悲惨な具体例を見ることで認識してきました。しかし、右派・保守派に理想主義者が出現するとどうなるかということは、実際に体験しています。安倍晋三首相と安倍内閣の大臣たちのほとんどが日本会議と密接につながり、お互いを利用しながら、日本を彼らの理想とする「美しい国」にしようとしています。私はそれに反対するものです。そもそもこの世には理想は理念上は存在しても、実現せず、実現してもそれは人間の知恵の限界の悲しさもあって理想たりえない、ということを知ることが大人であって、それでも少しずつでも社会を生きやすい方向に持っていこうとするのが穏健な態度です。そういう点では、日本会議に集う人々は、年齢を重ねているとは言え、大人とは言えません。「左翼小児病」という言葉がありましたが、今は「右翼小児病」が蔓延している状況です。

 

 『日本会議の研究』は現在の日本政治について知り、考えるうえで大変有益な本ですので、是非お読みください。

 

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 古村治彦です。

 

 今回は、2017年3月7日に発売になります『税金恐怖政治が資産家層を追い詰める』(副島隆彦著、幻冬舎、2017年3月)をご紹介します。本書は、2017年初めての副島先生の単著になります。

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税金恐怖政治が資産家層を追い詰める

 

 この時期、確定申告で大変な思いをされている方々も多くいらっしゃると思います。この時期ほど、税金についてとても切実に感じられることはありません。

 

 驚くべき内容の本になっています。是非手に取ってお読みください。

 

 宜しくお願い致します。

 

(貼り付けはじめ)

 

まえがき

 

 税金恐怖政治(タックス・テロリズム)の始まりである。

 

 国税庁はついに、「(いわゆる)富裕層(ふゆうそう)への課税強化宣言」(国税庁HPにあり)を昨年11月初めに行った。後述する。

 

 併(あわ)せて、中小企業のオーナー経営者で、給与(だけ)を受け取っているものたちへの税務調査を「わざと」行うようになった。そして「おみやげ」(修正申告)を徴収しないでにやりと笑って税務調査を終わらせる。「国(くに)は、あなたの相続税時()の資産をしっかり把握(はあく)した。もう逃げられないよ」という脅(おど)しの調査である。「(いわゆる)富裕層」(金持ち)に対する〝萎縮効果〟を狙ったものだ。

 

もうどうにもならない。

 

ついに、こういうところにまで日本の資産家、小金持ちたちは追い詰められた。何が何でも「ひとり(最低)1億円ずつは相続税で取ってやる」という構えだ。これは税金(タックス)テロリズムの始まりだ。課税強化と増税は悪であり、悪政なのだ、という自覚を税金(取り)官僚たちが無くしつつある。自分たちが悪人なのだ、という自意識を喪失しつつある。愚劣なことに、「税金徴収は正義(ジャスティス)である」と巨大な勘違いをしている。

 

私は、前作『税金官僚から 逃がせ隠せ個人資産』(2013年10月 幻冬舎刊)で、日本の小金持ちや小資産家たちを守る努力をしてきた。それでも金融庁と国税庁がここまで激しい攻撃を仕掛けてくると、もう手の打ちようがない。それぐらいまで激しい動きになっている。皆さんも気づいているだろう。日経新聞のど真ん中に、「富裕層への課税の強化」という言葉が去年から毎週のように出るようになった。金融庁と国税庁がヒステリー状態で、日本の小資産家、小金持ち層を痛めつけようとしている。

 

痛めつけるとは、たった一言、「税金を徴収する」ということだ。とくに外国(避難)財産課税がものすごい勢いで強化された。法律をどんどん新たに作っている。「立法者(ラー・メイカーズ)(国会議員たち。国民の代表)をそっちのけでバカ扱いして勝手にどんどん法案を通してしまう。

 

タックス・テロリストは、アメリカやヨーロッパで使われている言葉である。

 

副島隆彦

 

=====

 

税金恐怖政治(タックス・テロリズム)が資産家層を追い詰める/目次

 

 

まえがき

 

1 ヒステリー状態の税金官僚たち

・いま狙われているのは小金持ち層

・国内で身動きがとれない資産5億円以下の人たち

・税金テロリズムとは

・徴税は悪政である

 

2 税金官僚たちの動きを知る

・「パナマ文書」から発覚したセコム創業者・飯田亮氏の対応

・たくさん相続税を納める人たちに、この国はなぜ社会的名誉を与えないのか

・相続税の基準が、1億円から5千万円まで下がった

・公務員たちはなぜ金持ちが嫌いなのか

・世界中の税金官僚が、自国の金持ちを追い回している

 

3 パナマ文書問題とは何だったのか

・パナマ文書流出の引き金となった事件 アメリカVSイギリスの争い

・アメリカの狙いは、外国の金持ちや大企業のお金

・アメリカに狙われる日本企業

・衰退国家アメリカの、なりふり構わぬ恐ろしさ

・結託する世界の税金官僚たち

・税理士も、親戚も旦那も妻も子供も信用してはいけない

 

4 マイナンバーと申告書類

・マイナンバー制で税金が取られやすくなった

FinTech(フィンテック)の阻止に使われるマイナンバー

・政治家を利用してマイナンバー制を導入した税金官僚

・マイナンバーは、国に一元管理されるIDになる

・消費税法はインボイス(適格請求書)制度に変わる

・国外財産調書をどうするか

・財産債務明細書にどこまで書くか

・不良少年の「関係ねえ」に私は感動した

 

5 不動産をどうするか問題

・田舎の土地は生きているうちに売る

・路線価のどうしようもないひどさ

・タワーマンション節税やアパート経営などやめる

・借り手がつかない駅前商業ビル、アパート、マンション

・フリー・レントとマイナス金利はよく似ている

・不動産鑑定士というひどい商売

 

6 現金をどうするか

・日本のデフレは続く。現金が大事だ

・財務官僚たちにとって重要なのは〝国民〟より〝国〟

・お札を刷り散らかした副作用がこれから出る

・「引き出し制限」と「新札切り替え」が迫っている

・現金を消せ、という世界の動き

 

7 どう逃がすか、と金(きん)の扱い

・今からでも外国に移住して、住民票を捨てることを考える

・海外に逃がす時は、体に貼付けていくのが大原則

・シンガポールの保税倉庫を使う手もある

・タンス預金は、国にこうして狙われる

・現金は金(きん)に変えるのが基本

・金の卸価格は4300円が攻防戦

・泥棒がますます増える。気をつけてください

 

8 私は1600万円を泥棒された

・副島隆彦、泥棒にやられる

・自己防衛がこれからますます大事になる

・防犯態勢を今更ながら整えた

・タンス預金をしているといつの間にかなくなる

・警察は動かない

・保険会社は意地でも払わないとわかった

 

9 海外で暮らす富裕層に話を聞いた

・日本を棄てた経営者たちのその後

・マイナンバー制度で海外資産はどうなる

・移住したら日本の健康保険は捨てる

・海外の不動産投資の実情

・国際免許証が使える

・マレーシアのビザの取り方

 

10 税金官僚は企業を洗脳する

・国税通則法の改正が意味すること

・官僚のスパイを養成するための「コーポレート・ガバナンス」

・官僚は、投資家も使って経営陣を痛めつける

・企業の税金裁判が増えている

・「コンプライアンス」という密告制度

・外国企業への締め付けは厳しくなっている

 

=====

 

 あとがき

 

 この本の書名『税金恐怖政治(タックス・テロリズム)が資産家層を追い詰める』の元になった tax terrorism 「タックス・テロリズム」という言葉は本当にある。欧米の先進諸国にある。私の勝手な造語ではない。

 

 なぜ、税金を取る税務署員(タックスマン)たちが、テロリストなのか、と不思議に思うだろう。だが本当にそうなのだ。ここまでヒドい税金取り立てをすると、国民が怒りだす。徴税(ちょうぜい)テロが起きているのだ。

 

 アメリカで1980年の選挙で、ロナルド・レーガンがなぜ大統領になったのか。それは、アメリカの共和党(リパブリカン)を支える金持ちや経営者たちの間に、税務署員に対する大きな怨嗟(えんさ)の声が上がっていたからだ。P.13に載せたIRS(米国税庁)に飛行機で突っ込んだ経営者がいるとおりだ。

 

「レーガンよー。お願いだから、あのIRS(アイアールエス)(内国歳入庁(ないこくさいにゅうちょう)。日本でいう国税庁)の職員たちを何とかしてくれ。あいつらのやることはあんまりだ。金持ちの家に襲いかかって、税金逃れをした、と言って、暴力を振るって、私たち金持ちに辱めを加える。なんとかしてくれー」という呻(うめ)き声がアメリカで起きていたのだ。資産家の家に税務署員が急襲(スクワッド)して、逆らったと言って撃ち殺された人たちが本当にたくさんいる。レーガンはその時、カリフォルニア州の州知事をして、同州で起きていた「税金の取り立てがひどい」という反(アンタイ)税金(タックス)裁判の原告たちを支援した。IRSの職員たちは、税の取り立て競争で、報奨金を20万ドル(2千万円)とか貰って、キューバのハバナで優雅にバカンスを楽しむ者たちまでいた。だからアメリカ国民のあの頃の怒りに圧()されて、レーガンが当選したのだ。今も同じだ。

 

 今度のトランプ当選も全く同じ感じで、「トランプはレーガンの再来」と言われている。トランプの選挙対策本部の主要なメンバーは、80年代のレーガン主義者である。超エリート大学(東部のアイビー・リーガーズ、名門8大学)を出ている者はひとりもいない。

 

 トランプに対して米国民が「あの、ワシントンで威張り腐っている官僚とロビイスト(政治利権屋)たちを、トランプよ、叩(たた)きのめしてくれー」と、動いたのである。こういう世界で流通している大きな真実を、日本国民に隠しているから、私がたくさんの本を書いてきた。

 

 幻冬舎の相馬裕子氏にひとかたならぬ苦労をおかけして、ようやくのことで本書は成った。記して感謝します。私にとっての厳しい苦しい2年間であった。

 

 日本では私が唯(ただ)ひとり、「トランプが当選する」と予言(プレディクト)の本を書いて出版して、そして事実となった。私には何の名誉も与えられなかった。ただ、多くの国民の間に、ザワザワと噂が立って広がった。これだけでも有り難いことだと思わなければいけないのだろう。

 

 私の、真実の暴(あば)きの言論の苦闘の人生は、このあとも続く。分かってくださる人たちの無言の支援が私を支えている。

 

2017年1月      副島隆彦

 

(貼り付け終わり)

 

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 古村治彦です。  

 『ザ・フナイ』2017年4月号が発売になりました。『ザ・フナイ』は、日本の経営コンサルタントの草分けである故船井幸雄先生が創設した船井本社が発行する月刊誌です。4月号、5月号で、副島隆彦先生、船井勝仁氏との鼎談を掲載していただきました。

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ザ・フナイ 2017年04月号 (メディアパルムック)

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宜しくお願い申し上げます。

(終わり)







アメリカの真の支配者 コーク一族
ダニエル・シュルマン
講談社
2016-01-22

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 古村治彦です。  

 今回は、2017年3月3日に発売されます、『ザ・フナイ』2017年4月号をご紹介いたします。『ザ・フナイ』は、日本の経営コンサルタントの草分けである故船井幸雄先生が創設した船井本社が発行する月刊誌です。今回は、船井本社の社長である船井勝仁氏、副島隆彦先生、そして私で鼎談を行いました。鼎談のタイトルは、「トランプ勝利予測の真実を語る」です。

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ザ・フナイ 2017年04月号 (メディアパルムック)
 
 今回の鼎談は、副島先生がメインとなって、アメリカ政治、特に『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち (講談社+α文庫) 』(講談社、1999年)第4章で日本に紹介した、アメリカの政治思想の潮流について再び分かりやすく説明し、トランプ勝利となって表面に現れたアメリカ政治の底流の動きについて語っています。

 
 今回の鼎談は、『』2017年4月に前半部が、2017年5月号に後半部が掲載されます。前半部は副島先生によるアメリカ政治思想の潮流のお話が多く、勉強になります。私も何とか後半部で発言をしておりますが、力不足を痛感しております。  興味のある方はぜひ手にとってご覧くださいませ。  

 宜しくお願い致します。

 (終わり)







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