古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

カテゴリ: 本の紹介

 古村治彦です。

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ノモンハン 責任なき戦い (講談社現代新書)

 個人的なことから書くのは申し訳ないが、戦争関連の書籍を読むとき、なかなか手が伸びないのがノモンハン事件とミッドウェー海戦に関わる書籍だ。どちらも日本という国と日本人が持つ短所を象徴するように思えてならないからだ。

 『ノモンハン 責任なき戦い』も買ってはみたがなかなか読もうという気持ちにならなかった。それは連隊長クラスから下に対する過酷な措置と上位者の無責任な態度に気分が悪くなるということが分かっており、躊躇してしまったからだ。

 本のタイトルにある通り、「責任なき戦い」は日本軍の宿痾であり、これは現在の日本でもその通りだ。森友学園問題について近畿財務局に勤務するノンキャリアの官僚の自殺ということも起きた。約80年前に起きたノモンハン事件(ハルハ河の戦い)の後の連隊長位への自殺強要とつながる。また、この「責任なき戦い」はインパール作戦の悲劇をも生み出している。

 ノモンハンはモンゴルと満州国の国境地帯にあるハルハ河付近にあり、ロシア側ではノモンハン事件をハルハ河の戦いと呼んでいる。1939年にここでソ連・モンゴル軍と日本の大部隊が戦い、日本側の敗北に終わった。死傷者数はソ連側が約2万5000、日本側が約2万だった。この点で「日本側が勝った」という評価もあるようだが、ソ連の圧倒的な物量と機械化の前に、白兵突撃を主戦法とする日本は徒に犠牲を増やしていった。

 東京にある参謀本部は日中戦争解決に集中するために、ただの平原を争うための戦争はしたくなかった。一方、満洲に駐留する関東軍はソ連や満州がこれまでに数度国境を侵犯してきたこと(国境は確定しておらず、関東軍が勝手にここまでが国境と決めていた)に憤激し、「無敵」関東軍が鎧袖一触、ソ連軍を蹴散らしてやると息巻いていた。

 中央は不拡大、出先は功に逸るという図式は他の国の軍隊でも歴史上多く見られた。しかし、問題は日本軍の場合、独断専行の伝統もあり、出先が中央や上位機関の統制に服さないという特徴がある。中央にしっかりした人物がいれば統制できるのであるが、出先の強硬派と先輩・後輩、以前の上司・部下の関係で「甘い」人物や「面倒くさがり」の人物がいれば、出先の意見がいつの間にか通ってしまうという結果になる。ノモンハンがまさにそうであった。

 日本軍は自己催眠にかかったように、自分たちが「無敵」と思い込むと、戦争の準部を怠る傾向にある。敵の情報をあらゆる手段を尽くして集めることをせず、奇跡的にもたらされた敵の情報を過小評価し、自軍に不利な情報を提供した人物を「軟弱」と罵った。ノモンハンでも駐ソ駐在武官がシベリア鉄道で日本に帰還する途中、昼夜兼行でソ連軍の動きを観察し、大規模動員が行われている情報を掴んでいたのだが、「そんなはずははい」の一言でこの情報を切って捨てた。

 そして、いざ戦いとなると、ソ連軍の圧倒的な物量と優れた武器の前になす術がなくなる。得意の白兵突撃や夜襲切込みでは大砲や高速戦車に対抗することはできない。戦車の装甲は銃弾を跳ね飛ばすことはできるが、人間の体はいくら気合や魂が入っていても、銃弾を跳ね飛ばすことはできない。

 日本軍の主力で戦ったのは第二十三師団だった。この師団は結成間もなく、訓練がまだ十分ではなかった。師団長の小松原道太郎中将は情報畑が長く(駐露駐在武官やハルピン特務機関長など)、実戦経験は少ない人物であった。また、小松原にはソ連側のスパイであったという説もある。関東軍の中でも「あの人は戦うタイプの人ではないし、二十三師団はまだ訓練ができていないから、別の精鋭師団を派遣する」ということになっていたが、関東軍司令官の植田謙吉大将は、ノモンハン付近は第二十三師団の担当地域であり、後退させるのは気の毒だということで、二十三師団が主力ということになった。そして、8割近い損耗率で敗退ということになった。

 ノモンハン停戦後、関東軍の人事は総入れ替えとなった。上層部は予備役編入(現役から引退)、参謀の服部卓四郎や辻政信は左遷、となったが、現場の連隊長クラス以下には過酷な「措置」が待っていた。部隊がほぼ全滅に瀕しても陣地を守り、最後の最後に転進した連隊の連隊長には「自決強要」がなされた。小松原師団長は責任を部下の撤退に押し付け、「私の師団が壊滅したのは、あいつのせいだ」と憤っていたという。二十三師団捜索隊を指揮した井置栄一中佐はフイ高地を守っていたが、800名の舞台が全滅に瀕し、転進したことの責任を問われ、小松原によって自決を強要された。また、捕虜交換で帰還した者たちは敵前逃亡ということで、将校以上は自決強要、下士官は軍法会議で有罪となった。

 井置中佐の遺族は事件後に井置の死亡の様子を陸軍に問い合わせたが、答えはなかった。しかし事件後のある深夜、軍服姿の小松原中将が井置の自宅を訪れ、仏前に手を合わせて涙を流していたという。

 これはこの本に書いていないが、師団長は天皇から親補される。この点は重要だ。皇居で天皇から直接親補状が手渡される。これはインパールでもあったことだが、師団長を罰するとか解任するということになると、「このような不明な人物を師団長に任命した天皇の責任」ということになり、師団長クラスは実質的に責任を問われないという構図になっていた。それでも、通常であれば、師団長クラスであれば、「私が全責任を負うので部下は免責をお願いしたい」ということで、師団長自身が自決するということが、日本軍のあるべき「将器」の姿である。しかし、小松原にはその覚悟もなかったようだ。

 何かを決定すればそのことに責任が生じる。それは軍隊に限らない。責任者という地位にはそれだけの重みとかつ待遇がなされる。本書『ノモンハン 責任なき戦い』には責任者の地位にあった人物たちの発言が掲載されているが、概して「他人事」であり、「俺だけが悪い訳ではない、あいつもこいつも悪かった」という無反省があふれている。そして、「下のものにはより過酷に、上のものにはより穏やかに」という日本の宿痾がつまっている。これを読めば、80年前のノモンハン事件は決して昔のことではないし、ノモンハン事件のような失敗を日本は二度と繰り返さないということはとても言えないという暗澹たる気持ちになる。

(終わり)

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 古村治彦です。

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閔妃(ミンビ)暗殺―朝鮮王朝末期の国母 (新潮文庫)

 角田房子著『閔妃暗殺 朝鮮王朝末期の国母』を読んだ。閔妃暗殺事件とは、1895年に、当時の朝鮮王朝第25代国王高宗(ゴジョン、こうそう、1852-1919年、67歳で死)の王后・閔妃(びんひ、ミンピ、1851-1895年、43歳で死)を、王宮に侵入した日本の軍隊、警察、民間人が殺害し、遺体を辱め、最後には焼き捨てた、という事件である。
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閔妃
 閔妃暗殺事件について高校の日本史で習う機会はある。しかし、その詳しい内容や登場人物について習うことはない。私も校内でのテストや入学試験に出てくる単語として「閔妃」や「大院君」という言葉は覚えていた。しかし、それだけのことだ。今回、角田房子著『閔妃(ミンピ)暗殺』を読むことで、1860年代から1890年代(日本が清国に勝利した日清戦争)までの国際関係と朝鮮半島についての歴史を学ぶことができた。

韓国の初代大統領である李承晩(イスンマン、りしょうばん、1875-1965年、90歳で死)は、朝鮮半島の世界政治における立場について、「朝鮮半島は二頭の大きな鯨(中国と日本)の間の小さな海老のようなもの」と評した。19世紀末の朝鮮半島は、ロシア、清国、アメリカ、フランス、イギリス、そして日本といった、欧米列強(western powers)と列強候補生である日本の思惑に翻弄されることになる。

日本と清国が戦った日清戦争の理由は朝鮮半島と朝鮮王朝に対する影響力をどちらが保持するかであり、日清戦争から10年後の1904年からの日露戦争は日本が朝鮮半島の実質的な支配権を確保するかどうか、そして朝鮮半島を確保するために可能ならば満州南部に進出できるかどうかが戦争理由であった。日清戦争では朝鮮半島は戦場になった。

 19世紀末の朝鮮王朝(13 年に李成桂が建国)に登場したのは、大院君(だいいんくん、テウォングン、1820-1898年、78歳で死)と閔妃だ。大院君とは国王の実父で国王ではなかった人物に与えられる称号で、歴史的には数名存在した。しかし、私たちが言う大院君は19世紀末に登場した大院君だ。同様に閔妃とは「閔氏出身のお妃」という意味の言葉で(金氏出身だと金妃、趙氏出身だと趙妃となる)、こちらも複数存在した。私たちが口にする閔妃ももちろん19世紀末の朝鮮国王高宗のお妃様である。19世紀末に活躍した閔妃の正式な名前は「明成皇后閔妃(めいせいこうごうみんぴ、ミョンソンファンフミンピ」」であり、大院君は「興宣大院君(こうせんだいいんくん、フンソンデウォングン)」だ。
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大院君
 朝鮮王朝第25代哲宗(チョルジョン、1831-1864年 在位:1849-1864年)は跡継ぎを残さないまま、危篤に陥った。この時代の朝鮮王国は勢道(セド)政治と呼ばれる、国王の外戚の一族が政治を牛耳っていた。日本の藤原氏と同じだ。朝鮮王国の主要なポストを占めていたのは、安東金(アンドン・キム)氏だった。第23、24、25代の国王のお妃は金氏から出ていた。23代国王純宗の息子、孝明世子は金氏の血を引く王太子であったが20歳で早逝した。孝明世子の王太子妃は金氏ではなく、豊壌趙(プンヤン・ジョ)氏の出身で、孝明世子は父の意向を受け、摂政として金氏の専横を抑えることに苦心した。しかし、孝明世子の息子の24代憲宗の妃も金氏から出た。憲宗もまた父と同じく20代前半で早逝し、男子がいなかったため、王族の哲宗が後を継いだが、こちらも後継者を残さずに亡くなった。

 1863年末、新国王を決める際に力を持ったのが、孝明世子の妃だった神貞王后趙氏だった。神貞王后趙氏に以前から根回しをしていたのが、大院君だった。大院君は王族ではあったが、貧しい暮らしを強いられ、自身が描いた絵を金一族の政府高官に売って生活をしていた。「乞食王族」とも呼ばれた。しかし、大院君は息子の李命福を国王の座に就けるために、安東金氏に反感を持つ人々への根回しを続けていた。また、乞食王族の気安さもあり、庶民の生活にも親しんだ。
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高宗
 神貞王后趙氏の決定で、大院君の息子である李命福が第25代国王高宗に即位した(1863年末)。大院君は事実上の執政の地位に就いた。大院君は国内政治では金氏の専横を抑え、人材登用や汚職の摘発、士大夫階級である両班への課税などを実施した。対外政策では攘夷政策を実施し、アメリカ船やフランス戦の打ち払いに成功した。大院君は排外主義を維持した。これは衛正斥邪(えいせいせきじゃ)と呼ばれる。しかし、大院君の独裁政治と国防費をはじめとする国費は増大し、更に1872年に大飢饉まで発生し、宮廷内や国民の間で不満が高まった。

 高宗(在位:1863-1897年[朝鮮国王]、在位:1897-1907年[大韓帝国皇帝])は即位から前国王の喪に服したが、服喪期間が明けた後の重大事はお妃の選定だった。安東金氏の行ったような同族政治、勢道政治を復活させる訳にはいかない大院君は慎重だった。そして、大院君の妻の出身である驪興閔氏の娘で、既に両親がいない少女をお妃に決めた。これが閔妃だ。後に大院君と政争を繰り広げることになる。1866年、閔妃は結婚し、王宮に入った。

 閔妃は聡明な女性で、読書家であり、中国の歴史書『春秋』『左氏伝』を愛読していた。これは天璋院篤姫が頼山陽の『日本外史』を熱心に読んでいたというエピソードと重なる。閔妃は自身と義母(大院君の妻、高宗の母)の出身である閔妃や反大院君勢力のネットワーク化を進めた。そして、1873年、高宗の成人に伴い、王の親政を宣言させ、大院君を失脚させた。閔妃は気が弱くて平凡な高宗の後ろの御簾(みす)の後ろに座り、助言(命令)を下した。皇后や王后のような女性が政治を行うことは垂簾聴政(すいれんちょうせい)と呼ばれる。閔妃は出身の閔氏や排除されていた金氏を登用した。閔氏による勢道政治が開始された。

 閔妃は1874年に後に大韓帝国第2代皇帝純宗(じゅんそう、スンジョン、1874-1926年、52歳で死 在位:1907-1910年)となる坧(たく、チョク)を生んだ。すでに側室が生んだ王子もいたが、清国に働きかけて、賄賂まで贈り、王太子とすることに成功した。1880年に高宗の側室李尚宮と、李尚宮が生んだ長男・完和君李墡が急死した。これは閔妃による毒殺という見方が大半だ。

閔妃はそのまま清国に頼り続けるかと思えば、日本やロシア、アメリカも利用しようとするなど、閔妃は鋭い政治感覚を持っていた。高宗の親政が始まり、朝鮮の対外政策は鎖国から開国へと移っていった。1876年には日朝修好条規、1882年には米朝修好通商条約も締結された。日本でもそうだったが、開国後は貿易量が増え、国内経済はインフレに陥り、人々は「開国したために暮らし向きが悪くなった」という不満を持つようになった。この時代は日本が貿易を独占していたが、朝鮮からは米や金(きん)が輸出され、日本はイギリスの綿製品が中継されて輸出されていた。そのため、人々の怨嗟の声は日本にも向けられた。また、閔妃のぜいたくな暮らしや国費濫用も問題となった。

 1882年に旧式の武器が支給されていた旧軍(日本式の最新鋭の武器を持つ軍隊「別技軍」とは別)に対する俸給未払いや不正支払い事件が起き、旧軍が反乱を起こした。これを壬午軍乱(じんごぐんらん、イモグルラン)と呼ぶ。生活に困窮している民衆も加わり、王宮や日本公使館が襲われた。閔妃は辛くも王宮から脱出したが、生死不明の状態となった。この暴動事件のさなか、失脚していた大院君が担ぎ出され、王宮に入った。この事件について、大院君が首謀者だという説もあるが確定されてはいない。大院君は一時権力を掌握するが、閔妃は密かに宮中と連絡を取り合い、清国の袁世凱に鎮定を依頼し、清国が軍隊を派遣し、暴徒を鎮圧、反乱の首謀者として大院君を拉致し天津に連れ去った。閔妃は再び権力を掌握した。一方、日本公使館員や民間人が多く殺害されたことで、日本も態度を硬化させ、最終的には済物浦条約を締結、賠償金支払いと邦人保護のために軍隊を駐屯させることになる。朝鮮半島内に清国軍と日本軍が駐屯する形になった。

 閔妃は清国への事大を強めていくが、その中で一時は重用した親日派・開化派は冷遇されていく。近代化政策も頓挫する。そうした中で、1884年、開化派の中心人物、金玉均(きんぎょっきん、キムオッキュン、1851-1894年、43歳で死)は焦りからクーデターを敢行した。これを甲申政変(こうしんせいへん、カプシンジョンビョン)と呼ぶ。金玉均らのクーデターは日本の協力もあり成功するかに見えたが、最終的には清国軍の介入もあり、失敗に終わった。日本軍と清軍による小競り合いもあった。閔妃をはじめとする朝鮮王宮内は、排日、親清、更に、ロシア公使夫妻が閔妃に取り入ったことで、親露ということになった。

1882年に清国によって拉致された大院君は、清国によるロシア牽制の意図もあり、1885年に帰国を果たした。閔妃たちとしてはいつ自分たちへの反抗の旗頭になるか分からない大院君はできるだけ長く清国にとどめておいて欲しかったが、様々な働きかけに対しても、清国は「親不孝」をしてはいけないと退けた。大院君は帰国を果たしたが、監視付きの軟禁状態に置かれることになった。また、1885年4月には、甲申政変の後処理のために日清間で天津条約が締結された。この時、「両国のうちどちらかが挑戦に軍隊を派遣する場合には通知する」という条項が入れられた。

1894年、甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)が起きた。これは東学党の乱、東学農民運動(とうがくのうみんうんどう、トンハンノンミヌンドン)とも呼ばれている。韓国南西部・全羅道から発生した、東学党が率いる農民反乱は朝鮮王国軍を破る勢いだった。そこで、閔妃は清国軍の来援を求めたが、日本には支援を求めなかった。しかし、日本は天津条約の条項に則ると主張し、軍隊を派遣した。朝鮮半島における日清間の緊張は高まり、日清戦争が勃発した。閔妃をはじめとする朝鮮政府は日本に協力することを迫られたが、内心では清国が勝利することを期待していた。しかし、期待は打ち砕かれ、日本が勝利し、1895年に下関講和条約が締結された。朝鮮に対する日本の影響力が強まることになった。しかし、遼東半島の割譲を巡り、ドイツ、フランス、ロシアによる「三国干渉」が起き、日本の威信は傷つけられた。

 この時期、閔妃は日本に対抗するためにロシアを引き入れることに腐心していた。日本の影響力が減少する中、日本公使が井上馨から三浦悟楼に交代した。三浦は密かに閔妃殺害を心に決めていた。また、朝鮮に住む日本人たちの間でも、日本の影響力を維持するために閔妃を殺害し排除しなければならないという声が大きくなっていた。そして、ついに1895年10月8日、日本軍、警察、民間人が王宮に乱入し、閔妃を殺害した。この事件を乙未事変(いつびじへん、ウルミサビョン)という。

 閔妃を殺害された高宗は日本への抵抗を続けた。1896年2月、ロシア兵が王宮に入り、高宗と王太子はロシア公使館に逃げ込み、そこで執務するという状態になった。これを露館播遷(ろかんはせん、ノグァンパチョン)という。1897年に王宮に戻るまで、欧米列強と様々な投資契約を結び、鉄道施設権や鉱山の採掘権を与えた。1897年には朝鮮王国は清国の冊封からの独立を宣言し、大韓帝国と名称を変更し、高宗が初代皇帝となった。閔妃には明成皇后の名称が追贈された。

 角田房子は自虐に陥ることなく、淡々と事実を書き、疑わしいところは疑わしい、分からないところは分からないと書いている。「誰が閔妃を殺害したのか」「致命傷を与えたのか」という点は、混乱状況の中で明らかになっていない。また、関与した複数の人物が「自分が殺害した」と主張している。この点で、「閔妃を殺害したのは日本人だ」「いや、日本人ではなく、朝鮮人だ」ということを言い争っても永遠に解決しない。

 問題は、日本の軍隊と警察が民間人と一団になって、日本が「独立国」と認めた国の王宮に許可もなく泥棒のように侵入し、王妃を殺害した、その巻き添えで2名の女官も殺害された、そして、この事件を日本で裁くはずが、時間関係者全員が免訴になった、ということだ。そして、日本人がこのことを知らないし、深刻に捉えていないこと、想像力を働かせていないこと、これもまた問題だ。日本に引き写して考えてみれば、どれほど重大で深刻な事件を日本が起こしたかということが分かるはずだ。

 閔妃が殺害されて以降、朝鮮王国は日本による支配が強化されていき、「保護国(Protectorate)」化が進み、遂には1910年の併合(annexation)に至った。高宗は日本に抵抗し(ハーグ密使事件など)、最後には毒殺されたとも言われている。こうして、朝鮮王国は滅亡した。そして、日本の植民地支配となった。「日本は朝鮮半島の近代化に貢献した」と声高に言い募るだけでは駄目で、歴史を知り、謙虚に接することが隣国との関係を改善する道だ。

 『閔妃暗殺』は大変読みやすい本であり、19世紀末の東アジアの国際関係、朝鮮王朝末期の歴史を知るには最適な本だ。

(終わり)

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アメリカ政治の秘密
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ハーヴァード大学の秘密 日本人が知らない世界一の名門の裏側
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 古村治彦です。

 今回は『満鉄全史』(加藤聖文著、講談社学術文庫、2019年7月)をご紹介する。
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満鉄全史 「国策会社」の全貌 (講談社学術文庫)

 本書は、2006年11月に講談社選書メチエとして出版されたものを講談社学術文庫で出版し直されたものだ。満州や満州国に関する書籍は多く発刊されている。私は満州について興味を持ち、『キメラ―満洲国の肖像 (中公新書)』(山室信一、中公新書、2004年7月)や『満洲暴走 隠された構造 大豆・満鉄・総力戦 (角川新書)』(安冨歩著、角川新書、2015年6月)を読んだ。日本の満州進出と満州国成立と崩壊について詳しく述べられている。興味がある方は是非読んでいただきたい。

「満州は日本の生命線」(松岡洋右談)という意識があり、満州というの場所は、日本にとってさまざまな人間や資源を引き寄せる「場(トポス)」だった。日本国内にもない最新設備が備えられながらも、あまりにもあっけなく歴史から姿を消した満州国。

 私が満州や南満州鉄道に関心を持っているのは、ごった煮のような感じと整然とした姿がきわどいバランスの上に共存していたように感じられているからだ。また、傀儡国家(puppet state)としての満州国とは現在のアメリカの属国・日本の姿を鏡に映した姿であるとも考えているからだ。表面上は最新の技術が導入された豊かな暮らしと多民族国家の国際的な雰囲気、しかし、一歩中に分け入れば日本の支配と日本人の優越と他民族の差別を抱えていた。

 満州の歴史を語る際には、南満州鉄道(満鉄)が軸になるのは当然だが、満州全体の歴史となると、他のアクターである関東軍や関東庁、軍閥などにも言及することになり、満鉄自体の言及は少なくなる。しかし、私が求めているのは、満鉄の社史ではなく、満鉄と政治との関係を網羅した歴史で、本書は私がまさに求めている内容だった。

 本書『満鉄全史』は日露戦争の結果、日本が獲得した東清鉄道南部支線が1906年に南満州鉄道となり、1945年の日本の敗戦に伴って消滅(実際の清算にはもっと時間がかかった)までの約40年の歴史が網羅されている。満鉄は「国策」会社として出発した訳だが、「国策」(国家的政策の略語だろうか?)という曖昧な、中身は融通無碍、変化を繰り返す、どうとでも定義される言葉に翻弄されたということが言える。

 満鉄は日露戦争で満州軍総参謀長を務めた児玉源太郎と後藤新平が立ち上げた。児玉源太郎は台湾総督時代に部下であった後藤新平を知り、その有能さに目をつけ、後藤を満鉄の初代総裁に就けた。日本政府はそもそも東清鉄道南部支線を獲得するつもりもなく、獲得しても経営を文字通り軌道に乗せることが出来るか自信がなかったが、満鉄初代総裁後藤新平が複線化、撫順炭鉱の拡張、ホテルや新聞など多角経営を進めた。後藤の理想はイギリスの東インド会社であったと言われている。

 後藤新平は満鉄経営において、外務省、関東都督府(後に関東庁)、陸軍といった各政府機関の間、そして満鉄とこれらの機関との間で意志一致が図れずに、三頭政治による「満州経営の不統一」状態が放置されていることに不満を持ち、自身が政界に入り、この状態を改善し、全植民を統括する機関の設置を目指した。後藤は長州閥に近づいていった。

 長州閥の伊藤博文が作ったのが立憲政友会(政友会)だ。立憲政友会が積極財政主義で、日本国内での鉄道建設(鉄道省が管理していた鉄道、戦前から戦後直ぐは国鉄の路線を省線と呼んでいた)や港湾整備など、インフラ整備を推進したが、政権を長年担当し続けた立憲政友会と満鉄は深い関係を築いた。長州閥=立憲政友会-南満州鉄道という関係が出来上がる。「薩の海軍、長の陸軍」という言葉もあるが、満州は陸軍の金城湯池だった。立憲政友会と満鉄とのつながりを深めた、癒着を深めたのは立憲政友会に所属し幹部となっていた原敬(後の首相)だ。

 満州国を牛耳った「二キ三スケ」のうち、岸信介と鮎川義介、松岡洋右は肉親関係にある長州閥の人物たちだ。松岡は外務省から満鉄に転じ、副総裁、満鉄総裁を経て、立憲政友会所属の代議士となり、満鉄総裁、後に外相を務めた人物だ。首相となった原敬は満鉄中心の満州経営を推進し、満鉄は立憲政友会の利権となった。満鉄のドル箱は大豆の輸出のための輸送だった。

 1928年の張作霖爆殺事件から1931年から1932年の満州事変から満州国成立によって満鉄は政治に大きな影響を受けることになる。この時期に満鉄は松岡洋右を相殺に迎えることになる。満鉄は張作霖爆殺事件によって日本に対する反感を募らせた(日本が張作霖を利用するだけ利用して言うことを聞かなくなったら殺すという暴挙に出たので当然だが)張学良が満州において、満鉄に対抗するために並行する形で鉄道建設を行ない、価格競争力で満鉄は負けてしまうという事態も起きた。このために満州国成立は満鉄にとっても渡りに船だった。

 満州国成立後、満鉄の思惑とは異なり、満州国に赴任してきた革新官僚たち(岸信介がその代表格)は、重工業発展のために日本からの資本導入を決定し、満鉄は除外されることになる。満鉄は炭鉱や重工業にも進出していたが、ただの鉄道会社になれということになった。この時の満鉄総裁が松岡洋右であり、前述の通り、松岡と岸は親戚同士だったのだがこのような結果になった(満州重工業のために日本からやってきたのも親戚の鮎川義介だった)。まさに満州は長州の土地だった。

日本の降伏後、満鉄は崩壊した満州国や関東軍に代わり、在留する日本人150万人の帰国事業をになうことになった。進駐してきたソ連軍との交渉や日本への帰国の手配などを行なった。満鉄は日本の植民地経営の尖兵であったが、その最後は幕引き役であり、墓掘人であったとも言えるだろう。

満鉄は日本の植民地支配、経営の最前線を担った。その当時の世界最速の超特急「あじあ号」や近代的な町並みづくりなど、現在の私たちが見ている風景はその美しい表明に過ぎない。別の面で見れば、日本の「国策」、という翻弄された組織とも言える。満州の工業化や近代化を担ってきた組織も国家の都合で簡単にただの鉄道会社に「降格」させられた。また、鉄道敷設の面でも経営や利益ではなく、国家の都合が優先された。

しかし、最初に立ち戻ってみれば、日本に確固とした満州における「国策」などなかった。満州の地でロシアと戦った日露戦争は朝鮮半島を日本の影響下にとどめておくことが目的だった。何とか引き分けに持ち込んで、賠償金は取れなかったが鉄道の経営権は手に入った。はてさてこんなものを渡されてどうしよう、というところから満鉄は始まっている。

 基本的な哲学も計画もないままで始まった満鉄の歴史40年は日本の確固とした哲学、計画もない醜悪な拡大主義とその挫折の歴史の姿と重なる。この姿は現在の日本でも変わっていないと私は考えている。

(終わり)

アメリカ政治の秘密日本人が知らない世界支配の構造【電子書籍】[ 古村治彦 ]

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ハーヴァード大学の秘密 日本人が知らない世界一の名門の裏側[本/雑誌] (単行本・ムック) / 古村治彦/著

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 古村治彦です。

 副島隆彦先生の最新刊『もうすぐ世界恐慌 そしてハイパー(超)インフレが襲い来る』が発売される。今回の新型コロナウイルス感染拡大を受けて緊急発売される。よろしくお願いいたします。

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もうすぐ世界恐慌 そしてハイパー(超)インフレが襲い来る

(貼り付けはじめ)

まえがき

 この本は、大きくは以下の7つのことを、書いて(予言して)説明している。

 読者によっては、他のことはもうどうでもいいから、第2章の6.「金(きん)がもうすぐ買えなくなる。急いで金を買いなさい」をまず読むべきだろう。

1.新型コロナウイルスの所為(せい)で、3月に、株の世界的大暴落が、連続して起きた。とりわけ3月16日(月)にNY(ニューヨーク)の株が、1日で2997ドル(瞬間では3068ドル)下落した。歴史に残る大暴落だ。そして3月24日から、一旦は下げどまった。各国の政府が協調して買い支えて、暴落を喰い止めた。政府と中央銀行が株を買いまくるのだから権力者相場である。とても自由主義国がやることではない。恥を知るべきだ。

 3月コロナ大暴落は、明らかに2.世界大恐慌(ワールド・グレイト・デプレッション)への突入の合図、前兆(ぜんちょう)である。それは、本格的には、いつ起きるのか。それをこの本で書いた。

2.の大恐慌突入は、3.ハイパー(超)インフレ(ーション)を誘発する。超インフレは、ただの消費者物価高騰として現われるのではない。生活物資は、あり余るほどの過サープラス・プロダクティヴィティ剰な生産設備によって支えられている。

 今度のハイパー・インフレは金融秩序(マネタリー)と政府の財政(ファイナンス)の、この2つの崩壊として現われる。その予兆と証拠は、この本の冒頭見開きの、「新札[しんさつ]渋沢栄一の新一万円札』に2024年に切り替わる」である。この図をじっくりと見て下さい。このとき、新一万円は、1000円に、「通貨単位の変更」、即ちredenominationデノミネイション」が断行されるだろう。私は金融予言者としての全能力を賭けて、断言する。

 3.のハイパー(超)インフレを阻止するために、国家(政府)はこれをやる。このとき、米ドルの信用は世界中で暴落して、1ドル=10円にまで大下落しているだろう。

 新札切り替えと同時の、4.預金封鎖[よきんふうさ](バンク・アカウント・クランプダウン)も同時に行われる。おそらくそのとき、「一つの世帯(家族)で、月に一回、500万円しか引き下おろせません。これは生活費です」となるだろう。このとき金融恐慌はすでに起きている。富裕層(金持ち)に打撃がくる。

 だから6.の「今のうちに急いで金(きん」を買いなさい」なのである。

5.世界中の原クルード・オイル油価格の暴落(3月9日)が、株の大暴落を誘発した。今、原油は1バーレル(158リットル)=20ドルである。原油の暴落が、ハイイールド債ポンド(ジャンク債ポンド。ボロくず債。サギ師の山師[やまし]たちの資金源)の暴落につながった。

この「ハイリスク(高危険)ノーリターン債(さい)」のリターン=儲(もう)けは、元々パーだから初めからない。「マリリン・モンロー・ノー・リターン」である(笑)。こんなものを死ぬほど買わされてきた(途中に仕組[しく]み債という投資信託[ファンド]を、咬(か)

ませてある、農林中金(のうりんちゅうきん)始め日本の地銀や生保たちは、今度の株ストック式(及び債券[ボンド])コロナ大暴落で、ヒドい大損害を出した。またやってしまった農中(のうちゅう)は、もう立ち直れないだろう。

この5.原油暴落発(はつ)の、ハイイールド債(さい)崩れが、各国の国債の信用をこれから突き上げる。P33の図を参照のこと。これが、政府の財政崩壊(ファイナンシャル・カタストロフィー)につながり、2.の大恐慌に連結する。これで、この8年間続いた“ABE  Asset  Bubble Economy(アベ・アセット・バブル・エコノミー)”「資産バブル経済」が終わった。

 そして、最後に7.今度の「中国武ウー漢ハンに発生した新型コロナウイルスは、アメリカ軍の中の強硬派が撒いた(去年10月に)」論を、私は、徹底的に書いた。フニャフニャ、グチャグチャ、訳わけの分からんことを言い合っているんじゃない。一冊の本は、気合いを込めて、激烈に、大きな真実をガツンと暴き立てて言い切らなければいけない。「ああでもない、こうでもない」で、一いっ国こくを率ひきいるだけの優れた言論は成り立たない。

 この副島隆彦が、一体誰に遠慮すると言うのか。大きな真実をドカーンと明確に書いて初めて本物の国民的言論人である。

 くだらない、こんな人工、人造のコロナウイルス程度で、「キャーキャー、コワイ、コワイ」と騒ぐんじゃない。こんなもので誰が死ぬか。全部ヤラセだ。安倍首相が、4月8日から発令した「緊急事態宣言」(3月8日の特別措置[そち]法の改正に基づく)なんか、民衆(国民)を脅おどかして、恐怖に陥れて、それで自分たち権力者、支配者が新しい国家統制体制に移行しようとしている。その予行演習(ドリル)だ。

 2.の世界大恐慌突入を目前にして、統制経済(コントロール・エコノミー)に移行する準備だ。これを「ショック・ドクトリン」“Shock Doctrine”と言う。「大災害のショック(恐怖)で、民衆(ピーポー)の脳を支配せよ」という悪(ワル)の統治(とうち)技術だ。この別名を“disaster capitalism”「ディザスター・キャピタリズム」と言って、「大惨事(だいさんじ)便乗型(びんじょうがた)資本主義(しほんしゅぎ)」と言う。このことを最後の第5章で目(め)いっぱい書いた。 

 さあ、これだけのことを一冊の本に詰め込んだので、私は本望(ほんもう)である。あとは読者が、それぞれ自分で判断して下さい。とんでもない奴やつだ、でも何でもいいから。

副島隆彦

=====

もうすぐ世界恐慌──[目次]

まえがき─4

第1章 コロナ大暴落に翻弄される世界

予言どおり世界は大恐慌に入るだろう─20

コロナ大暴落で起きたリーマン超えの金融パニック─24

この暴落は大恐慌突入への警告─31

金価格は6倍になるから今こそ金を買いなさい─40

トランプの株の吊り上げ相場が終わった─47

日経平均が1万6000円を割ると仕組み債が紙キレになる─56

世界権力者相場で大手ヘッジファンドが生き延びた─64

第2章 金を買う人だけが生き残る  

もうすぐ金が買えなくなるから急ぎなさい─70

金の市場の混乱からも世界恐慌への足音が聞こえる─78

渋沢栄一の新一万円札が千円になる!─83

まだまだ金は上がるからさらに金を買うべきだ─89

100グラム単位で金を切り分けて売る方法─97

いざというときに金の地金に換えられる金を買う─99

金を売るなら海外に持ち出して売る─102

第3章 世界経済はどこまで破壊されるのか

ついにアメリカもゼロ金利になって成長が止まった─110

カドローNEC委員長が株の吊り上げ担当─115

石油価格の下落が大恐慌の引き金を引く─127

レポ市場が壊れたために中小銀行が危なくなった─146

ドイツ銀行がデフォルトを起こして潰れそうだ─151

世界的な信用収縮が起きている─161

第4章 インチキ経済の化けの皮が剥がされる

コロナ大暴落で資産バブルの化けの皮が剥がれた─166

アリババ株4・5兆円の売却で何とかもちこたえたソフトバンク─173

カルロス・ゴーンの復讐がこれから始まる─180

第5章 コロナウイルス恐るるに足らず

新型コロナウイルスは〝ショック・ドクトリン〟だ─192

恐怖を利用して国民を支配する─198

アメリカではインフルエンザで1万2000人が死んでいる─219

東京オリンピックはトランプが延期を提言─225

新型コロナウイルスを製造して撒いたのはアメリカ─228

コロナ騒動に感じる3・11と同じ後味の悪さ─237

あとがき─240

【特別付録】ドン底で拾う株 厳選15銘柄─244

=====

あとがき

 この本で、私がずっとガリガリと書いたとおり、3月に「コロナウイルス暴落」が起き

て、これまでのアメリカ主導の世界インチキ経済の化(ば)けの皮が剥(は)がれて、それで世界が大きく変わるようだ。

 私の周(まわ)りが口を揃えてそう言っているから、きっとそうなのだろう。それで、世界はこれから、どう変わるのか。となると、皆さん黙る。「副島さんなら、裏の秘密を知っていて、情報があるでしょう。教えてよ」と電話が架かってくる。ありません、そんなもの。私も皆さんと同じで、コロナ・パニックで、(他の人たちよりは穢[きた]ないガーゼマスクをして。本当は持病の気管支炎用)ボーッと生きています。

「バカ。くだらねえ。何がコロナウイルスだ。こんなもので、誰が死ぬか。みんなヤラセだ」と私がブツブツ言うと、奥さん( 配偶者[スパウス])が、目を剥(む)いて、私に怒り出す。「外から帰ったら、すぐに両手をしっかり30秒間、洗いなさい。これは常識よ。5秒じゃ、ダメー。すぐにお風呂に入りなさい」と。この件についての私の強固な考えは、本書第5章に書いた。

 社会インフラ(鉄道や公共サーヴィス)はすべてきちんと動いている。なのに街(まち)はガラーンとして人がいない(4月末現在)。みんな家に籠(こも)っている。……これが、予想された近(きん)未来か。映画「ブレードランナー」(1982年公開。主演ハリソン・フォード)の世界だ。

 それでも、金融・経済は、私が言ったとおりになってきた。私がずっと本に書いてきたことが、次々に現実のものになっている。私の言論の勝利だ。

「もうすぐ株の大暴落が来る。大恐慌が来る」と、23年間も本に書き続けて、ようやくこうなった。私が3月20日に、たったひとりで勝利宣言をした日に、世界中の指導者、権力者たちは揃(そろ)って青ざめていた。このあと私が「副島隆彦の勝利のお祝い」をしゃれたフランス料理屋でやって、飲んだくれた日(ワインを2本空[]けた。3月24日)、世界の権力者たちは、命懸けの「ナニ、クソ」で、ドーンと株価を押し上げて、暴落の連鎖を喰(く)い(杭[くい] 止(と)めた。これで小康(しょうこう)を得た。これで私も、よかった、よかったである。このあとも、私が、金融予言者業を続けていくのに、「一旦(いったん)は下げどまった」は、大変有難(ありがた)い。大(だい)災害、大(だい)変動、大(だい)恐慌にも、それなりの時間の経過(けいか)というものがある。数年間などあっという間だ。どうせ時間はダラダラとこのまま何なに事ごとも無(な)いかのように過ぎてゆく。それでも何か得え体(えたい)の知れない大変動のさ中なかに、私たちはいる。

 人類の歴史は、どこの国でも、80年に一度の割で、「経済恐慌か、動乱(革命、内乱)か、戦争」だ。大恐慌に突入するのを阻止するために、世界の権力者、支配者たちは、大きな戦争(large war ラージ・ウォー)に、世界を叩たたき込むだろう。それが歴史(学)が私たちに教える知恵だ。

 「まさか、そんな(ことは起こりえない)」が、本当に起きる。私たちが真に賢い人間であるためには、こういう準備と心構えが必要である。

  私は、私の本を、これまでずっと買って読んで下さった皆さまに、何よりも感謝する。一冊の本1600円の、一割の160円をいただいて、私の生活は成り立ってきた。私の人生には、バブルの浮かれ騒ぎはない。と同様に悲観と絶望もない。急に慌あわてて、初めて私の本を読んでくれる皆さんにも、まあ、そうですね、それなりに感謝します。お客さまは神さまです(三波春夫)。

よくもまあ厭(あ)きないで、ずっと私の金融本を作ってくれた徳間書店学芸編集部の力石幸一氏に、感謝します。

  どうせ、あと10年ぐらいの命である。私は自分の人生の最後までずっと書き続ける。他にやりたいことは何もない。若い人たちが大変だ。

2020年4月

副島隆彦

(貼り付け終わり)

mousugusekaikyoukou001

もうすぐ世界恐慌 そしてハイパー(超)インフレが襲い来る

(終わり)

amerikaseijinohimitsu019
アメリカ政治の秘密
harvarddaigakunohimitsu001
ハーヴァード大学の秘密 日本人が知らない世界一の名門の裏側
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 古村治彦です。

 今回は『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』をご紹介する。著者の加藤哲郎は一橋大学名誉教授であり、政治思想の分野で浩瀚な業績を残している。本書は、タイトル通り、象徴天皇制についての詳細な研究報告である。
shochoutennouseinokigen001

象徴天皇制の起源―アメリカの心理戦「日本計画」 (平凡社新書)

詳細なという言葉では生ぬるいほどで、詳細過ぎる内容だ。そのために、新書版としては「分かりにくい」ものである。新書版はたいていの場合、専門家が分かりやすく読者に研究成果を紹介するものが多いが、本書は詳細な報告になっている。そのために多くの単語や専門用語が説明不足のままで次々と出てくるので読んでいて、何が何やら分からなくなるほどだ。それでも機密指定解除されたアメリカ政府の文書を丹念に

 「象徴天皇制」とは、日本国憲法第1条の「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」を示す言葉である。大日本帝国憲法では天皇の地位は「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とされた。戦前、大日本帝国憲法下では天皇は日本国を統治する大権を掌握し、神聖不可侵の存在であった。戦後の日本国憲法下では、日本国と日本国民統合の象徴の存在へと変化した。

オーストラリアやソ連は天皇という存在については廃止すべきと主張していた。一方、実際に日本占領を主導するアメリカ、連合国最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥は天皇の維持を決定した。天皇を利用して円滑に日本占領を実行しようという意図があった。天皇も地位を保全するために必死だった。『』(文春文庫)は極東軍事裁判(東京裁判)に向けた弁明の書であり、英語版も存在した。天皇は公式に「象徴」として生き残った。

 本書は象徴天皇制の起源をできるだけ遡ろうという意欲に満ちた本である。しかし、意欲が勝り過ぎてか、分かりにくい本となってしまったが。

象徴天皇制の起源は1942年6月に作成された陸軍情報部心理戦争課が作成した「日本計画」にまで求められる。この計画にはいくつもの下書きと言うか草稿や覚書、メモが存在した。情報調査局の草案、英米共同計画アウトライン、オスカー・N・ソルバート大佐の草稿などがその基になった。

アメリカは一流の自然科学者や社会科学者たちを総動員して敵国を研究させ、その成果を政策に利用していた。原子爆弾の開発や暗号解読がその成果であることはよく知られている。フォン・ノイマンノイマン、ヘルベルト・マルクーゼ、ウォルター・W・ロストウ、ワシリー・レオンチェフ、タルコット・パーソンズ、ジョン・フェアバンクといった戦後も活躍した学者たちが動員されている。

戦争中の日本研究の成果が有名な『菊と刀』だ。これはコロンビア大学の文化人類学者ルース・ベネディクトが行った日本人捕虜からの聞き取り調査の結果である。ベネディクトは日本を訪問したこともなく、日本語を読み書きできず、日本専門家という訳ではないが、文化人類学の方法論(methodology)を使って、日本人の心性(mentality)と行動(behavior)を分析した。

 戦時中の日本研究の成果として、アメリカ軍は「天皇を攻撃(批判)しない」「日本の天皇を平和のシンボルとして利用する」という方針を固めた。これが戦後も続き、日本国憲法に盛り込まれることになった。「象徴天皇制」を準備したのはアメリカ、というのは戦後を生きる私たちにとっては何とも重たい事実だ。

(終わり)

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ハーヴァード大学の秘密 日本人が知らない世界一の名門の裏側
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