古村治彦の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、以下のアドレスをご覧ください。http://soejimaronbun.sakura.ne.jp/goaisatsu.html 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

カテゴリ: 日米関係

 古村治彦です。

 

 今回は少し遅くなりましたが、ヘリテージ財団のブルース・クリングナー上級研究員による先月の総選挙の結果に関する分析をご紹介します。

 

 クリングナーの分析を要約すると次のようになります。総選挙の結果、何も変化がなく、現状維持となり、安倍晋三政権が続投となった。良いタイミングで選挙ができたが、これは小池百合子東京都知事が失速したからである。アメリカにとって安倍晋三首相の勝利は歓迎すべきものであった。安倍首相は日本の海外における軍事的役割の増大を追求し、それに向けた改革を行っている。しかし、日本国民の抵抗もあって改憲は難しいと思われる。安倍政権は日米間の二国間の経済協力に関する合意でドナルド・トランプ大統領との関係を良好なものとしている。

 

 今回のトランプ大統領のアジア歴訪は日本から始まりました。日本では霞が関カンツリーでのゴルフとハンバーガーの昼食、ピコ太郎を招いた夕食会などが話題になりました。トランプ大統領は日本に対して対米貿易黒字(アメリカ側から見れば対日貿易赤字)の解消を迫る、そのために「日本の自動車会社にアメリカで自動車を作ってもらいたい」「日本の安全のために、アメリカから大量に武器を購入してもらいたい」と述べました。アメリカ大統領がここまで露骨に「武器のセールスマン」「死の商人」になったのは初めてのことでしょう。

 

 アメリカの貿易赤字の約半分は対中国で、対日は10%です。これも大きな数字ですが、1980年代の時の貿易戦争の時とは違います。それでも更なる貿易赤字縮小を目指して、アメリカの製品を買うように求めていますが、アメリカ製で日本が必要とするものは、農産物と武器くらいのものです。そして、アジア地域で不安定が続く限り日本は永久にアメリカから武器を買い続けなければなりません。そのような状態を脱するためには、アジア地域の安定を自分たちで実現することが必要ですが、そのように動けば邪魔をしてくるのがアメリカです。

 

 属国の悲哀、それをまた今回のトランプ大統領訪日でも痛感させられました。

 

(貼り付けはじめ)

 

日本の選挙結果がアメリカと東アジア地域に持つ意味(What Japan’s Election Outcome Means for the U.S., East Asia

 

「ヘリテージ財団」

2017年10月24日

ブルース・クリングナー(Bruce Klingner、北東アジア担当上級フェロー)

http://www.heritage.org/asia/commentary/what-japans-election-outcome-means-the-us-east-asia

 

●要点(KEY TAKEAWAYS

 

1.日本から遠く離れたアメリカからの視点からすると、日曜日に投開票された日本の総選挙は何も変化が起きなかった。

 

2.安倍首相の選挙の勝利は印象的なもので、日本の外交政策と安全保障政策にほぼ変化はないであろうが、選挙の結果はアメリカにとってありがたく、素晴らしいものであった。

 

3.アメリカは、固い決心を持つ日本の指導者安倍晋三氏の政権が継続することを歓迎する。安倍首相は北朝鮮に対する圧力を強めるうえで緊密なパートナーとしてやってきた。

 

=====

 

日本から遠く離れたアメリカからの視点からすると、日曜日に投開票された日本の総選挙は何も変化もなかった

 

日本の指導者は政権を維持し、与党は議会の絶対的過半数を維持し、日本の諸政策には何の変化も起きないだろう。

 

日本の有権者は現状維持の継続を選択した。しっかりとした経済成長の道筋を変更させたり、北朝鮮の脅威がこれまでになく高まっている中で試練を経ていない人物を新しい指導者に選んだりといったリスクを避けたのだ。

 

これは安倍晋三首相の支持者たちに安堵をもたらすことになるだろう。安倍首相の解散総選挙の決断は当初拙かったと考えられていたからだ。

 

安倍氏は今年初めから支持率の低下に苦しんでいた。それは、汚職に関する一連のスキャンダルと海外における日本の軍事的役割の拡大を許容するための憲法の変更を追求することが理由であった。

 

北朝鮮の好戦的な態度に対して安倍首相は決然とした態度を取っている。安倍首相は北朝鮮の核兵器とミサイル能力を向上させていることに対してより強力な手段を取ることを主張している。これによって支持率は改善しつつある。

 

安倍首相は、後ではなくこのタイミングで解散することはリスクが低いという結論を出した。このタイミングを逃すと支持率はさらに下がり、野党に共闘体制を築く更なる時間を与えることになった。

 

選挙に先立ち、小池百合子東京都知事は新党の創設を発表した。新党は与党と安倍氏に対する大きな挑戦として姿を現した。小池氏は次の選挙で総理大臣になる可能性があるとまで語られていた。

 

しかし、小池氏の輝きはすぐに消え去った。小池氏は選挙の結果を受けて、「今回の結果は完敗であるということを明確に述べたいと思います」という声明を発表した。

 

安倍首相の選挙の勝利は印象的なもので、日本の外交政策と安全保障政策にほぼ変化はないであろうが、選挙の結果はアメリカにとって素晴らしいものであった。安倍氏が長期政権を維持していることで安定をもたらしている。安倍首相以前の最近の首相は短期で後退していたので、安倍首相の長期政権は歓迎されている。

 

安倍首相は、国連安全保障理事会の決議を継続的に違反している北朝鮮に対しての圧力を高めることを信念固く主張し続けている。

 

日本は、北朝鮮が軍事力を増強し、日本政府が朝鮮半島有事の際にアメリカを炎暑するならば核兵器を使用すると繰り返し脅迫をしていることに対して、深刻な懸念を持っている。

 

北朝鮮は日本を飛び越えるミサイルを複数回発射した。これに対して日本は何もしなかった。これはこれまでと同じ対応だ。北朝鮮のミサイル発射によって日本においてミサイル防衛に関する議論が促進された。

 

安倍首相は防衛に対して様々な改革を行っている。これによって国際的な安全保障上の問題に対して日本の役割を拡大することができるようになった。これまでの防衛改革の中で最も素晴らしいものは集団的自衛政策を採用し、日本を防衛する米軍を日本が防衛することができるようになったことだ。

 

更に進めて、安倍首相は第二次世界大戦後の平和憲法を見直すための選挙を求めることになるだろう。しかし、改憲に対しては政治の世界と一般の人々の間に根強い反対があり、安倍首相はそれに直面している。安倍首相は彼が作り出した新たな現状維持を成文化させたいと思っているのか、それとも日本の海外での軍事的役割の拡大を追求したいと思っているのかは明確ではない。

 

安倍首相は、日本の人々の過半数がこのような変化に抵抗しているので、彼の意向に反して、大きな変化をもたらすことはできないだろうと思われる。

 

日本の近隣諸国もまた日本の海外における安全保障に関する役割が増大していることに懸念を持っている。これらの国々は日本の軍国主義的な過去が復活することに恐怖感を持っている。しかしながら、そのような恐怖感は、太平洋戦争後の日本の安全保障に対する姿勢に関する誤解から生じている。

 

北朝鮮がもたらす安全保障上の脅威は深刻化している。これに対して日本と韓国はより緊密に協力するようになっている。北朝鮮の脅威によって、両国は過去に関する論争を止め、現在の脅威を最重要課題とするようになっている。

 

安倍首相はドナルド・トランプ大統領と個人的、職務上の強固な関係を構築している。安倍氏は他の世界の指導者よりも緊密な関係をトランプ大統領と構築している。トランプは長年にわたり日本の制限された安全保障上の役割と貿易慣習に対して批判してきた。安倍首相はトランプ大統領からの批判を乗り越えることができた。安倍首相はアメリカの雇用と輸出を生み出す、大胆な内容の二国間の経済合意を提案した。これで批判をかわすことができた。

 

マイク・ペンス副大統領と麻生太郎副総理が主導した合意は、エネルギー分野と社会資本(インフラ)部門における協力を推進するというものだ。

 

アメリカは、固い決心を持つ日本の指導者安倍晋三氏の政権が継続することを歓迎する。安倍首相は北朝鮮に対する圧力を強めるうえで緊密なパートナーとしてやってきた。

 

安倍氏の再選はアジア地域のアメリカの同盟諸国の間で不安が広がっている中で行われた。同盟諸国は北朝鮮に対するアメリカの先制攻撃によって、自分たちが戦争に巻き込まれるのではないかという懸念を深めており、北朝鮮がアメリカを攻撃できる核弾頭を開発したら、アメリカは自分たちを捨てるのではないかという不安を持っている。

 

11月に行われるアジア歴訪中、トランプ大統領はアジアに関するより大きな戦略を明確に示すべきだし、日本と韓国に対して、アメリカが両国を防衛する責務を負っているということを再び確信させるべきだ。

 

※ブルース・クリングナー:北東アジア担当上級フェロー、朝鮮半島と日本を専門とする

 

(貼り付け終わり)

 

(終わり)









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 古村治彦です。

 

 2017年10月22日の解散総選挙の投開票に向け、日本政治の動きは加速度を増しています。小池百合子東京都知事が「希望の党」という新党を立ち上げ、総選挙に臨むということを発表し、それに向けて保守派を中心に現職・元職の議員たちが集まり始めています。自民党や民進党からの離党者がこれからも出続けるでしょう。公明党の山口那津男代表は、小池都知事の動きに批判的ですが、公明党は都議選以降、小池都知事にコケにされ、なぶられています。自民党は一部に歓迎ムードがあります。

 

(貼り付けはじめ)

 

●「小池氏「日本をリセット」=希望の党、国会議員14人と旗揚げ【17衆院選】」

 

時事通信 (2017/09/27-11:26

https://www.jiji.com/jc/article?k=2017092700560&g=pol

 

 新党「希望の党」は27日午前、東京都内のホテルで結党の記者会見を開いた。代表に就いた小池百合子都知事は「しがらみのない政治、大胆な改革を築く。日本をリセットするために希望の党を立ち上げる」と宣言。知事職は続投し、今回の衆院選には出馬しない考えを明言した。会見には、若狭勝衆院議員、細野豪志元環境相ら結党に参画した国会議員14人が同席した。

 

小池氏記者会見要旨

 

 小池氏は「今こそ、しがらみのない政治を大胆に行っていかなければならない」と強調。「北朝鮮情勢がこういう中で政治空白があっていいはずがない」と述べた上で、「安倍晋三首相が(衆院)解散をうたっている。であるならば改革のチャンスだ」として、全国規模で候補を擁立する意向を示した。週内にも1次公認を発表する。

 

 小池氏は「改革する精神のベースにあるのは保守の精神だ。寛容な改革の精神に燃えた新しい政党だ」とも語った。衆院選後の特別国会で行われる首相指名選挙への対応については「戦いが終わったときに考える」と述べるにとどめた。

 

 将来の国政復帰の可能性に関しては「今は、この選挙で仲間の候補者が1人でも多く当選するために頑張っていきたい」と含みを持たせた。 

 

 会見では綱領を発表。「寛容な改革保守政党」「平和主義の下、現実的な外交・安全保障政策を展開」「情報公開を徹底」などが盛り込まれた。小池氏以外の党役職は現時点で決まっていない。

 

 小池氏の旗揚げ会見を受け、民進党などを離党して新党から衆院選への出馬を目指す動きはさらに広がる可能性がある。

 

◇「希望の党」参加議員

 新党「希望の党」の結党記者会見に参加した国会議員14人は次の通り。(敬称略。丸数字は当選回数)

 【衆院】細野豪志=静岡5区(6松原仁=比例東京(6長島昭久=比例東京(5笠浩史=神奈川9区(5後藤祐一=神奈川16区(3福田峰之=比例南関東(3木内孝胤=比例東京(2鈴木義弘=比例北関東(2野間健=鹿児島3区(2若狭勝=東京10区(2横山博幸=比例四国(1

 【参院】行田邦子=埼玉(2中山恭子=比例(2松沢成文=神奈川(1

 

(貼り付け終わり)

 

 希望の党については、期待する声、疑う声、それぞれに出ていますが、私は本ブログの2017年8月7日付で、小池新党について書きました。基本的な理解はここをスタートにしています。是非お読みください。

 

(貼り付けはじめ)

 

20170807

「日本ファーストの会」は本当に「Japan First!」なのかhttp://suinikki.blog.jp/archives/71722807.html

 

(貼り付け終わり)

 

 現在の日本の政治状況の動きは急です。希望の党と民進党の合流という話が出てきました。民進党に関しては離党者が続出していましたから、「解党的出直し」で希望の党との合流という選択がなされることになりました。労組の連合は、民進党と自由党との合流を求めていましたから、民進党と自由党が希望の党に合流ということになるでしょう。そして、連合は民進党と希望の党の合流に賛成だということです。そうなると、自公の連立与党、日本維新の会の「ゆ党」、希望民進自由、共産、社民ということになります。維新は分裂して、議員たちは自公と希望にそれぞれ行くでしょうから、自公、希望、共産、社民ということになるでしょう。

 

(貼り付けはじめ)

 

●「民進・自由、合流へ調整=希望と連携模索―前原、小沢氏【17衆院選】」

 

9/27() 11:44配信 時事通信

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170927-00000053-jij-pol

 

 民進党の前原誠司代表が26日に自由党の小沢一郎代表と会談し、衆院選前の両党合流へ調整する方向で合意したことが27日、分かった。関係者が明らかにした。両氏は合流後に小池百合子東京都知事が代表を務める新党「希望の党」と選挙区の候補者調整に入りたい考え。ただ、民進党内には自由党との合併に反対論があり、前原氏の決断が焦点となる。

 

 関係者によると、連合の神津里季生会長も会談に同席。連合は合流を支持する見通しだ。

 

 一方、民進党の柚木道義衆院議員は大島敦幹事長と党本部で会い、衆院選で希望の党など自民党以外の政党との競合を避けるため、「発展的解党」を含めた新たな枠組みづくりが必要だとする申し入れ書を提出した。柚木氏によると、玉木雄一郎、小川淳也両衆院議員らも同じ考えだという。

 

 前原氏は野党連携の進め方を最終判断し、28日の党両院議員総会で提案する意向。ただ、党内がまとまるかは予断を許さず、前原氏が強引に合流を進めれば党分裂や解党につながる恐れもある。 

 

 一方、自民、公明両党幹部は同日午前、東京都内で会談した。10月の衆院選について、希望の党の旗揚げで「厳しい戦いになる」との認識で一致。安倍晋三首相が勝敗ラインに掲げた「与党過半数」獲得へ結束して臨むことを確認した。

 

 会合後、公明党の斉藤鉄夫選対委員長は記者団に、先の都議選で連携した小池氏との衆院選での選挙協力について、「自公で政権を共有することを国民に約束して選挙をするので、希望との協力はない」と語った。

 

 民進、共産など野党4党は国対委員長が会談。首相が臨時国会冒頭での衆院解散を表明したことに対し、代表質問や党首討論を実施するよう大島理森衆院議長に申し入れることで合意した。

 

(貼り付け終わり)

 

 希望の党が出てくるまでは、民進を中心に民進、共産、自由、社民の野党4とうの選挙協力という枠組みが議論されていましたが、希望の党が出てくることで、これはご破算となりました。そして、自公と反自公はそれぞれ反共産党という前提で二大政治グループ、疑似二大政党ということになります。社民はあまりにも小さい政党ですが、私は10月22日の選挙では比例では社民党に投票することも考えています。

 

 「希望の党によって、反自民、反安倍の野党勢力の結集ができた」と喜ぶことは私にはできません。それは、これは「米政翼賛会(べいせいよくさんかい、アメリカを第一に考える日本の根本的な政治システム)」体制の完成まであと一歩というところまで来ている、ということを現在の状況は示していると私は考えるからです。米政翼賛会というのは私の造語ですが、これは大政翼賛会の現代版です。また、小池氏が安倍晋三首相と同じ改憲論者であり、軍備増強主義者であるということも懸念を持っています。

 

 私は、ドナルド・トランプ政権下で駐日大使となったウィリアム・ハガティ―ジェイムズ・アワー―長島昭久―小池百合子―細野豪志というラインで現在の状況は作られていると考えています。この動きは「改憲を成功させて、日本の軍備増強、軍事費増大をして、アメリカから更なる武器を購入させる、軍事増強によって日本を東アジア地域の“棘”にして中国にけしかける、その間にアメリカは中国とは仲良くけんかをする」というアメリカの戦略を前提にしているものであると私は見ています。

 

 この米政翼賛会体制となれば、自公と希望の間に表面上は相違があっても根っこは同じですで、アメリカの利益が第一、ですから、大同団結、国益のために協力するということが容易にできるということになります。

 

 さらに私は、小池百合子東京都知事が一気に首相候補になったとも考えています。そして、小池氏が首相となる時には自公と希望の救国大連立が成立するのではないかと思います。そして、小池氏の次の首相、もしくは次の次の首相は小泉進次郎代議士ではないか、そういうシナリオ作りが進んでいるのではないかと思います。こうなれば、ジャパン・ハンドラーズのマイケル・グリーンは、大手を振って日本政治にますます介入し、吸血虫のように日本から血を吸い続けることができるでしょう。

 

 私はこれからの日本政治の進む方向に悲観的になっています。安倍首相を退陣にまで追い込むということは賛成ですが、その次に小池百合子氏が出てくるようでは結局同じではないか、と考えてしまうからです。私の悲観論が考えすぎの杞憂であればよいと思います。しかし、最悪のシナリオが待っているかもしれないということは言っておきたいと思います。

 

(終わり)

アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12





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 古村治彦です。

 

 2017年8月7日、若狭勝衆議院議員は、「日本ファーストの会」という国政政党を立ち上げると発表しました。

 

(貼りつけはじめ)

 

●「「日本ファーストの会」設立 小池氏は役職に就かず」

 

8/7() 11:56配信

テレ朝 news

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20170807-00000013-ann-pol

 

 若狭勝衆議院議員が国政選挙をにらんで、政治団体「日本ファーストの会」を立ち上げたことが分かりました。候補者集めの政治塾も開き、小池都知事が講師を務めるということです。

 

 若狭議員は7日午後、自らが代表を務める政治団体「日本ファーストの会」の設立を発表します。「輝照塾」という政治塾も立ち上げ、国政進出に向けた候補者集めを始めます。小池都知事は都政に専念する立場から当面、役職に就かない方針ですが、来月16日に予定される第1回の政治塾で講師を務めるということです。

 

(貼りつけ終わり)

 

 若狭氏は昨日、民進党を離党した細野豪志代議士との連携もあるという発言を行っています。日本ファーストの会は、小池百合子都知事を中心とする地域政党「都民ファーストの会」の国政版となります。若狭代議士の他、長島昭久代議士(民進党除籍)渡辺喜美参議院議員(日本維新の会除名)、松沢成文参議院議員(無所属)が都民ファーストの会を軸に結集すると見られています。ここに細野氏が入ることは大きな戦力になることを意味します。長島氏は細野氏の師匠格として知られています。

 

 「都民ファーストの会」の国政版であるからには「国民ファーストの会」であるべきですが、「日本ファーストの会」ということになりました。ここにこの「小池新党」の限界があります。この政党は「国民ファースト」を名乗ることができなかったということは、「国民のことを第一とはできない、しない」ということになります。

 

 私は今回の動き、都民ファーストの会の躍進から国政政党日本ファーストの会結成までの動きは、安倍晋三政権を支援する動きであり、その裏にアメリカ人脈が動いているということが考えられるということを私は主張したいと思います。

 

 日本ファーストの会が次の衆議院議員選挙で民進党がまだ勝利できている都市部に進出したとすると、民進党はぼろ負けで消滅の危機に瀕することになるでしょう。自民党はもともと負けているのですから、惜敗率で比例復活できる人が出てきたらいいや、というくらいの選挙区です。日本ファーストの会は組織力はない訳ですから、組織で固めた自民党の地盤、特に地方でそこまで切り崩すことは不可能ですから、民進党を切り崩して、「新しい受け皿」を狙うことになるでしょう。

 

 日本ファーストの会がどのような香料や政策を掲げるかはまだ分かりませんが、現在の民進党に比べて、かなり自民党寄りになることは、合流予定の議員たちの顔ぶれを見ても明らかです。そうなれば、「第二自民党」の誕生であり、自民党の補完勢力となることもまた明白です。日本ファーストの会が民進党を食ってくれれば自民党、そして安倍政権は安泰となります。

 

 私はこうした仕掛けはアメリカが行ったものと考えます。このように書くと、陰謀論だ、反米に凝り固まった考えという批判を受けるでしょうが、アメリカが日本政治に深く絡んでおり、アメリカの利益のために日本が存在するという状況が続いていることには多くの人々が気付いているだろうと思います。


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ハガティ

 8月下旬、ウィリアム・ハガティが駐日アメリカ大使として日本にやってきます。ハガティはドナルド・トランプ大統領の政権移行ティームで、政治任用担当者として、登用すべき人物たちの面接を担当していました。今回の大使起用はその論功行賞ということになります。ハガティはヴァンダービルト大学卒業、並びに同校法科大学院終了後にボストン・コンサルティングに入社し、日本で3年間勤務した経験を持っています。その後は、出身地であるテネシー州に戻り、投資会社を立ち上げ、またテネシー州への外国からの投資を誘致していました。また、ジョージ・W・ブッシュ大統領の経済顧問も務めました。


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ヴァンダービルト大学

 ハガティという人物を考える上で重要なのは、彼がヴァンダービルト大学卒業、並びに同法科大学院修了である点です。ハガティは出身地から離れることなく地元の名門大学に進み、そこで法科大学院まで修了しています。テネシー州やナッシュヴィルに大変愛着があるのかもしれませんが、東部の名門大学に進むチャンスもあったでしょうに、彼はテネシー州に残ります。しかし、ボストン・コンサルティングに入社し、極東アジアの日本、東京まで来ることになります。

 

 ハガティはその後の人生でも自分の投資会社をナッシュヴィルで創設し、テネシー州に他の地域や国々からの投資を呼び込む仕事をしていました。ヴァンダービルト大学人脈に組み込まれた地元の名士ということになります。そして、このヴァンダービルト大学には、ジェイムズ・アワー教授がいます。ハガティとアワーの共通項は「日本」です。

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アワー
 

 ジェイムズ・アワーはウィスコンシン州出身で、1963年にマーケット大学(ウィスコンシン州)を卒業後、米海軍に入隊し、佐世保に赴任します。その後、1968年にボストンにあるタフツ大学フレッチャー記念法律外交大学院(フレッチャースクール)の博士課程に入学します。ボストンにあるハーヴァード大学、マサチューセッツ工科大学、タフツ大学は名門校同士で、教授や学生たちの交流が盛んなことで知られています。

 

 アワーはハーヴァード大学教授だったエドウィン・O・ライシャワーの勧めもあって、日本の海上自衛隊の研究で博士号を取得します。博士論文(「日本海上兵力の戦後の再軍備194571年」)は、『よみがえる日本海軍』(妹尾作太男訳、時事通信社、1972年)として日本でも出版されました。その後、在日米海軍司令官付政治顧問、横須賀基地所属ミサイル・フリゲート艦長などを歴任し、1983年に海軍を退役し、国防総省勤務となりました。国防総省では、日本部長や国防次官特別補佐官を歴任し、1988年に国防総省を退官し、ヴァンダービルト大学教授となりました。ヴァンダービルト大学でアワーの薫陶を受けた人物には、長島昭久衆議院議員(民進党除籍)がいます。長島代議士は防衛政策に造詣が深いことで知られています。


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 恩師ジェイムズ・アワーと長島昭久

 ジェイムズ・アワーは防衛省と深い繋がりを持っています。そして、日本初の女性防衛大臣となった小池百合子氏ともつながりを持っています。小池氏は自身の著書の中で、アワーについて「自分よりも防衛省内部に詳しい」と書いています。長島議員は民主党政権時代に防衛大臣政務官、防衛副大臣を歴任しました。

 

 ウィリアム・ハガティ駐日アメリカ大使、ジャパン・ハンドラーズの1人ジェイムズ・アワー、長島昭久衆議院議員、小池百合子東京都知事(元防衛大臣)はこのようにしてつながっていきます。

 

 アメリカのジャパン・ハンドラーズのトップとも言うべき人物マイケル・グリーンは、2012年の段階で、日本の「リベラル」を壊滅することで、安倍政権を成立させることに成功しました。野党は多弱化し、「ゆ党」として維新勢力も出てきて、安倍一強体制が構築されました。

 

 しかし、安倍政権も長期化する中で緩みが出て、傲慢さや強引さが政権運営で目立つようになりました。そうした中で、安倍政権最後の大仕事、総仕上げである改憲(アメリカにとっても利益となる)も先行きが不透明となってきました。こうした中で、小池百合子都知事の誕生、都民ファーストの会の躍進、日本ファーストの会設立といった一連の流れは、安倍政権を別働隊として支える第二自民党、維新に代わる「ゆ党(与党でも野党でもない)」という補完勢力を生み出し、うまくいけば民進党にとどめを刺すというシナリオになっており、このシナリオを描いているのは恐らく、マイケル・グリーンであり、実行者はジェイムズ・アワーなのだろうと私は考えています。

 

 こうした動きを阻止するためには、民進党やその他の野党を自民党に代わる受け皿となるようにすることです。そうしなければ、大政翼賛会ならぬ、「米政(アメリカのための政治)翼賛会」が生み出されてしまうことになります。

 

(終わり)



アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12




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 古村治彦です。

 

 『ニューヨーク・タイムズ』紙のウェッブサイト版の女性に関するページ「Women in the World(世界における女性たち)」に面白い記事が掲載されました。

 

 それは、「日本のファーストレイディーは、トランプとの会話を避けるために、英語がしゃべれないふりをしたのか?」というタイトルの記事です。記事の内容を以下にまとめてご紹介します。

 

(貼りつけはじめ)

 

Did Japan’s first lady pretend she doesn’t speak English to avoid talking to Trump?

 

2017/07/20

WITW Staff

http://nytlive.nytimes.com/womenintheworld/2017/07/20/did-japans-first-lady-pretend-she-doesnt-speak-english-to-avoid-talking-to-trump/

 

(貼りつけ終わり)

 

 ニューヨーク・タイムズ紙の政治記者マギー・ハーバーマンがドナルド・トランプ大統領にインタヴューを行い、その中で、先日のG20サミットの様子についてトランプが話をしました。G20サミットでは20各国の指導者たちと配偶者たちが集まり(40名)、その他にEUの最高幹部たちやIMFのラガルデ専務理事もいたので、50名ほどになった。世界各国からのメディアも来ていて、みんなでたくさんの写真を撮った。

 

 オペラを皆で見に行った、その後に夕食会となった。トランプ大統領の隣は、安倍昭恵夫人が座った。トランプ大統領は、「安倍首相も昭恵夫人も素晴らしい人たちだが、昭恵夫人は英語がしゃべれない」とインタヴューで述べています。ハーバーマン記者が「全く、ゼロ?」と驚くと、トランプ大統領は「ハローさえ言えないくらい」と答え、「その席にいるのは大変だったでしょう」とハーバーマン記者が質問し、「大変だった、だって、その席にどれくらい座っていたと思う?」とトランプ大統領は答え、「何時間もでしょう」とハーバーマン記者が言い、「1時間45分だった」とトランプ大統領が答えました。


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 このインタヴューが出た後、昭恵夫人に対して、奇妙な評価が出てきました。昭恵夫人は先日の安倍首相の訪米に同行し、メラニア夫人と日本庭園を訪れたり、フロリダ州のマーアラゴ・リゾートで夫妻同士で夕食を楽しんだりしました。この時の様子は写真や映像に残されています。この時の様子から、「昭恵夫人が英語ができないというのはおかしい、この時にはちゃんと英語でコミュニケーションを取っている」ということになりました。

 

 そこで、アメリカ国内のフェミニストたちは、「昭恵夫人はトランプ大統領と話をしたくないために、英語ができないふりをした」という解釈をし、彼女は素晴らしいということになりました。

 

 私も昭恵夫人が聖心学園で教育を受けたという経歴を持っている以上、同世代の人々よりも英語や外国人に接する機会が多かったと考えますので、昭恵夫人が、「ハローも言えないほど」に英語ができないということは考えにくいと思います。また、立教大学大学院でミャンマーの教育に関する研究で修士号を取得し、ミャンマーも訪問していることを考えると(ミャンマーはイギリスの植民地であったことを考えると)、英語が全くできないというのはないと思います。

 安倍昭恵夫人が英語でスピーチを行っている映像も見ましたが、英語が全くできない人だとはとても思えませんでした。発音などは安倍首相よりも上手でした。あれだけきれいな発音なら、難しい議論はできないにしても、あいさつや楽しい会話はできると思います。


 

 しかし、G20の夕食会で、隣り合ったトランプ大統領と全く会話をしなかった、英語が出来ないふりをしたというのはおかしいと思います。また、彼女の人懐こい性格から考えて、たとえ言葉ができなくても、何とかコミュニケーションを取ろう、その場にいる人たちを楽しませようとするだろうことは容易に推測できます。

 

 ですから、昭恵夫人がトランプ大統領を約2時間もほったらかすということは考えにくいのです。しかし、実際にトランプ大統領はそう感じた、そして、彼女は英語ができないのだと考えたということです。

 

 なぜ昭恵夫人がトランプ大統領と話さなかったのか、ということが疑問として残ります。英語ができないからということはおそらく理由ではありません。それでは、フェミニストが言うように、女性蔑視をするトランプ大統領が嫌で話さなかったということがあるでしょうか。彼女は自分に批判的、敵対的な人たちとも話をしてきました。ですから、トランプ大統領が嫌いだから話さないということはないように思われます。

 

 昭恵夫人は2月以降、森友学園問題や秘書の業務に関して、大きな批判を受けてきました。そのために昭恵夫人の行動にメディアの関心も集まるようになりました。結果として、彼女の「天然」な行動も報道されるようになりました。

 

 また、安倍首相の訪米では、安倍首相自身はお酒を飲まないが、昭恵夫人はお酒をたしなむので、トランプ大統領夫妻との夕食の席上、一人でワインを飲み過ぎて、周囲をあきれさせたということも報道されました。緊張状態で、自分が頑張らねばと思うと、アルコールが回ってしまって、いつもよりも酔ってしまうのが速くなるということもあったとは思いますが、外交上の礼を失する行動であったということも言われました。また、昭恵夫人は誰に対しても物怖じしませんから、トランプ大統領に何かとんでもないことを言う可能性を周囲は心配したでしょう。

 

 従って、今回は昭恵夫人には特に厳しく、いつものように振る舞うのではなく、おとなしく、目立たないようにするよう、という注意がなされていたのでしょう。そして、その注意を忠実に守ろうとして、トランプ大統領をほおっておくということになったのだと思います。こう考えると、昭恵夫人は非常に不器用なように感じられます。

 

 しかし、もしこれが計算でなされたのだとすると大変な策士であると言わねばなりません。注意をした人々に対してやり返してやろう、鼻を明かしてやろうということで、わざとトランプ大統領を無視するような行動を取ったということになれば、大変な計算です。「私を押さえつけようとするなら、それに従いますよ」ということで、徹底的におとなしく、やり過ぎなほどにおとなしくして、かえって問題になるということになれば、今度は、おとなしくするように注意した人たちに「どうしてそういうことを言ったのだ」という批判が向かいます。

 

 「おとなしくしてほしい」という注意を逆手にとっての報復、ということになると、これはこれで大変なことです。

 

 真相が何かは分かりません。


 しかし、トランプ攻撃のために何でも使われるものだなぁと感心させられます。

 

(終わり)




アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12





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 古村治彦です。

 

 今回は日本の戦後史についての本をいくつかご紹介します。日本の戦後がいかに形成されたのか、そのために歴史を知ることは現在を理解することに役に立ちます。日本の戦後史を扱った書籍は数多く出版されています。研究者でもない限り、それらを読破することは不可能です。読み終わるだけで人生が終わってしまいます。そうは行っても読まなくは始まりませんから、是非興味をひかれる本から読み始めていただければと思います。

 


 
 まずは『「日米関係」とは何だったのか―占領期から冷戦終結後まで』(マイケル・シャラー著、市川洋一訳、草思社、2004年)をご紹介します。本書は太平洋戦争後の日米関係についての歴史を網羅した本です。英語の原題は
Altered States: The United States and Japan Since the Occupation(変えられた国々:占領以降のアメリカと日本)です。日米両国は、戦争当事国、戦勝国・敗戦国、同盟国と関係が変わってきました。また、アメリカは、「反共の防波堤」として、またアジア地域での同盟国筆頭として日本の国力を増大させようとし、その結果、日本が国力をつけすぎて、経済的な競争相手となり、一時期は「経済戦争で日本がアメリカに復讐を果たした」といわれるほどになりました。本書は、日本の「失われた20年」の前までの日米関係史を望来していますので、現在の日本衰退論、アメリカ衰退論、中国の勃興といったことは書かれていません。

 

 本書を読んで感じたこと、それは、日本は中国の「使い方」次第で、アメリカに対して大きな交渉力を持つということです。それは、アメリカと中国に挟まれた地理的環境をうまく利用するということになります。「日米中三角形」ということは、日本の政治家でも話をする人はいますが、戦後、日本はアメリカと対峙するために、中国の存在を利用してきたということが本書には随所に描かれています。アメリカとの交渉の際に、「中国カード」が有効であった様子が伺えます。

 

 戦前の日本にとって中国は重要な貿易相手国でした。日本製品の大きな市場でした。しかし、戦後、日本がアメリカに占領されている間に、国共内戦が始まり、中国共産党による中華人民共和国建国となり、その後、朝鮮戦争も勃発し、日本は大陸と引き離されることになりました。しかし、日本国内には、経済再建のために、国交と貿易関係の回復を望む声がありました。東南アジア諸国は戦禍と植民地支配から脱したばかりで日本の輸出先市場としては期待が持てない状況でした。そこで、戦前から関係が深かった中国、厖大な人口と土地を持つ中国本土と経済関係を復活させたいという声が財界から上がっていました。

 

 これに対して、アメリカはかなり「気を遣って」いました。日本が共産圏に近づかないように、経済援助を与え、最終的には独立させます。また、アメリカ市場を開放し、日本をアジアにおける「反共の防波堤」として成長させ、ソ連と中国に対峙させようとしました。朝鮮戦争はその意味で、日本の経済成長のスタートのきっかけとなりました。

 

 1960年の日米安保条約改定の前後、日本ではアメリカに対する反感が高まりました。これを抑えるために、ジョン・F・ケネディ大統領は、駐日大使に母港ハーヴァード大学教授のエドウィン・O・ライシャワーを起用しました(ケネディ・ライシャワー路線と呼ばれます)。日本生まれで日本語が堪能、妻も日本人(元老松方正義の孫)であったライシャワーは恐らく、史上最も人気のあった駐日大使です。ライシャワーは日本の保守陣営だけではなく、左翼、労働組合、知識人とも対話を行うことで、親米葉を増やしていく戦略を採りました。私は拙著『アメリカ政治の秘密』で、このライシャワーこそがジャパン・ハンドラーズの元祖であり、ケネディから日本管理路線が始まったと書きました。

 

 しかし、ニクソン大統領が登場する頃になると、アメリカは疲弊してきました。この時代にも「アメリカの衰退」が囁かれていました。ヴェトナム戦争と経済力の低下によって国力が落ちたアメリカは、日本に気を遣ってくれなくなります。対日貿易赤字は赤字が膨らんでいくのに、日本はその削減をしようとしない、軍事的な支援もしてくれない、という不満を募らせました。日米繊維交渉では、日本に輸出の自主規制を求めます。また、沖縄返還でも米軍基地はそのままということになりました。更には「ニクソン・ショック(米中国交回復とドルの兌換停止)」は長期政権を誇り、中華人民共和国との関係樹立に消極的であった佐藤栄作政権に大きな打撃を与えました。

 

 本書を通じて、私は理解したことは、戦後日本の政治指導者たち(自民党)は、国外ではソ連や中国、国内では社会党や労働組合をうまく「だし」に使って、アメリカから何とか自分たちに有利になる条件を引き出してきたということです。再軍備の要求では「それでは社会党や共産党を勢いづかせて、私たちが政権を失ってしまいます、そうなると共産圏に近づきます」と言って、社会党側にも「少し騒いでくださいね」と頼むことで、かわしました。また、アメリカからの経済援助や市場開放を引き出す時には、「中国本土との関係を改善しないと経済力の回復と成長はできません」と言うことで、条件をうまく引き出すことが出来ました。

 

 こうした交渉はずるいと思われるかもしれませんが、国益と言う点では大変素晴らしいものであったと言えます。しかし、現在はこういう交渉ができる政治家はいません。アメリカにべったり、アメリカの言うことさえ聞いていれば、御身大切というひとたちばかりです。この点で、日本の外交は退化しているということが言えるでしょう。

 

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戦後の日米関係の研究書として『戦後アメリカの対日労働政策と地域共闘組織の対抗』(森健一著、熊本出版文化会館、2013年)をご紹介します。著者の森氏は、熊本大学卒業後、東京都立大学大学院修了、現在は鹿児島県内の私立高校で教鞭を執っておられます。私はひょんなことから紹介され、『戦後アメリカの対日労働政策と地域共闘組織の対抗』をご恵贈いただきました。森氏は夏休みにアメリカの国立公文書館に行き、資料を収集し、本書を上梓されました。そのご苦労に敬意を表します。

 

 第3章「1956年の『マグルーダー』計画と日米生産性委員会―東京・大田区の機械工業にみる保守基盤の形成」が注目です。ここで出てくるマグルーダーという名前は、日本の戦後史にとって重要な人物の名前です。カーター・B・マグルーダー(Carter B. Magruder、1900―1988年)は、アメリカ陸軍大将でした。このマグルーダーが日米安全保障条約の原案を作ったことは、『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』(矢部宏治著、集英社インターナショナル、2016年)で指摘されています。『戦後アメリカの対日労働政策と地域共闘組織の対抗』で、森氏は、日本の戦後復興にマグルーダーが果たした役割を書いています。これを「マグルーダー計画」と言います。

 

マグルーダーは、ヴァージニア大学中退後、陸軍に入隊し少尉任官後に、陸軍士官学校に進みました。1932年にはパデュー大学で機械工学の修士号を取得していますから、軍官僚として優秀な人物であったと思われます。1941年に陸軍省参謀部補給担当参謀次長、1944年に在欧米軍補給担当参謀次長となりました。米軍内の兵站担当の専門家となりました。また、1950年代:国防総省のスタッフの中心となって「日米安保条約・国防総省案」を作成しました。これを「マグルーダー原案」と言います。1959年には大将昇進し、在韓国連軍司令官兼第八軍司令官に就任しました。

 

 マグルーダーは兵站の専門家として、1956年に日本を「米軍の兵站工場」にする計画を立てました。そして、極東米軍の兵站のために、日本の大企業(トヨタ自動車や三菱重工業)に大量発注を行い、また、これらの企業の経営指南と生産性向上のためにアメリカから専門家を招へいしました。こうした生産性向上の動きが「日本生産性本部」の誕生につながりました。そして、日本の労働組合の穏健化も進めました。

 

 このマグルーダーという人物は日本の戦後政治史において重要な人物です。是非、『戦後アメリカの対日労働政策と地域共闘組織の対抗』をお読みください。

 

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日本の戦後、特に連合国(ほぼアメリカ一国)による占領時代について知りたい方は、『日本占領史
1945-1952 東京・ワシントン・沖縄』(福永文夫著、中公新書、2014年)をお読みください。この本には占領下の日本の歴史が網羅されています。副題が「東京・ワシントン・沖縄」とありますが、戦後史であまり語られてこなかった1945年から1952年までの沖縄の歴史が書かれていますが、これは大変価値があることだと思います。また、ワシントン(国務省と国防総省、ホワイトハウスの対立)と東京(日本占領当局であるSCAP[GHQ]の対立)の対立ということも描かれています。

 

 GHQでは、民政局(GS)のホイットニー・ケーディスと参謀第2部(G2)のウィロビーの争いがありました。GSは革新的、急進的な改革を志向し、G2はそれに対して批判的でした。ワシントンでは、国務省と国防総省で対立がありました。国務省は日本の占領を想起で終了したいと考えていましたが、国防総省は、日本の占領の継続、日本国内の米軍基地の継続使用を強硬に主張していました。こうしたことは他の本でも書かれています。この本は沖縄の1945年から1952年までの歴史に多くのページが割かれており、ここに価値があると考えます。

 

 沖縄では悲惨な地上戦が展開され、多くの人々が犠牲となりました。沖縄の民間人は収容所に入れられ、その後、解放されましたが、自分の土地に戻ってみると、そこは米軍基地にされていたという人々が多くいました。この米軍基地として接収された土地ですが、日本が独立を回復する1953年までは戦争状態の継続を理由に使用料を払われていなかったということを知り、アメリカでも官僚主義とは酷いものだし、勝者は理不尽なものだと改めて強く怒りを覚えました。

 

 沖縄は日本とアメリカの狭間で忘れられた存在となっていた時期もあり、米軍が直接軍政を敷く状態が続きました。そうした中で、沖縄の人々の自治も米軍が認める範囲でだけ認められ、また、琉球政府も創設されましたが、あくまで、米軍の意向を実施するだけの機関でした。そして、日本は1953年に独立を果たしましたが、沖縄は米軍の軍政下に置かれたままとなりました。

 

 私は歴史的な経緯も考え、沖縄独立という選択肢があってもよかったと思っています。現実としては、日本の一部であることが沖縄にとっても経済的に良いということもあるかもしれませんが、その地理的環境から、独立してもやっていけるのではないかとも考えています。私の場合はその調査研究をしたことがないので空想の夢物語の範囲でしかないのですが。

 

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 日本占領史の裏面史としては、『占領史追跡』(青木冨貴子著、新潮文庫、2013年)をご紹介します。この本は、戦後日本で活躍したコンプトン・パケナム(
Compton Pakenham、1893―1957年)という人物の評伝となっています。パケナムはアメリカの雑誌『ニューズウィーク』誌の創刊に参加した人物で、日本生まれで日本語が堪能であったことから戦後『ニューズウィーク』誌の日本支局長を務めました。

 

 パケナムは日本の神戸生まれで、イギリスの名家パケナム家の支流にあたる人物です。中国のチーフ-・スクールで教育を受け、イギリスに帰国し、第一次世界大戦に参戦します。奇跡的に生き残り、その後、アメリカにわたり大学で教鞭を執ります。しかし、彼は経歴を詐称していました。「有名なパブリックスクール[上級階級の子弟向けの寄宿進学準備校]のハーロースクールから、王立陸軍士官学校で学びオックスフォード大学で博士号を取得したという触れ込みで全米各地の大学で教鞭を執っていました。昔は学位の確認などいい加減だったのだろうと思われます。

 

 著者の青木氏は、パケナムの上司であったニューズウィーク誌の外信部長ハリー・カーン(ロッキード事件でも名前が出ました)について調べている過程で、カーンの遺族から、パケナムの日記を渡され、これが『占領史追跡』につながりました。

 

 パケナムは自分が育った日本が大きく変貌していること、彼がもともと知っていた野村吉三郎海軍大将(太平洋戦争開戦時の駐米日本大使)が困窮している姿を目撃し、占領軍の行っている日本改革に批判的となり、マッカーサー批判記事を展開し、日本への入国禁止措置を取られるほどになりました。

 

 パケナムはアメリカにいるハリー・カーンと連絡を密にとりながら、ジャーナリストとしての仕事と諜報の間を行き来しながら仕事をしていました。

 

パケナムは、昭和天皇の意向をアメリカにつなぐチャンネルの結節点となっていました。このチャンネルは、昭和天皇―松平康昌(宮内府式部官長、越前松平家、貴族院議員、昭和天皇の側近)―パケナム―ハリー・カーン―ジョン・フォスター・ダレス(ディーン・アチソン国務長官顧問、国務長官)とつながっていました。松平はしばしばパケナムの自宅を訪ね、皇太子(今上天皇)の留学先問題や東京裁判における天皇訴追の問題などを相談するという形で、昭和天皇の意向をパケナムに伝え、彼を通じてアメリカに伝えていました。

 

昭和天皇はマッカーサーともつながりながら、冷戦開始とともに変化しつつあった国際環境に日本を適用させようとして動いています。

 

 パケナムは吉田茂の再軍備反対路線に反対し、吉田はサンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約の締結後には引退し、その後は鳩山一郎が首相になると考え、鳩山にも接触していました。また、鳩山の後には岸信介が首相になると予想していました。こうした点で、政治的な嗅覚が鋭い人物であったことが分かります。

 

 パケナムはニューディーラーが主導した戦後日本の改革に反対する潮流に属し、戦前の日本から存続したエスタブリッシュメントと繋がりながら、日本の改革の急進性を中和させた人物、逆コースの実現に貢献した人物であると言えます。

 

 戦後日本では、このように表と裏の顔を使い分ける胡散臭い人物たちが活躍した時代もありました。『東京アンダーワールド』(ロバート・ホワイティング著、松井やより訳、角川文庫、2002年)というニコラ・ザペッティという人物を主人公にした本も合わせてお読みいただければと思います。

 

東京アンダーワールド (角川文庫)
ロバート ホワイティング
角川書店
2002-04


(終わり)
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