古村治彦です。
今日は、藤森かよこ著『
いい子ぶりっ子の超偽善社会に備える』(秀和システム)をご紹介します。
藤森氏は『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください』『馬鹿ブス貧乏な私たちを待つ ろくでもない近未来を迎え撃つために書いたので読んでください。』と言ったベストセラーを出しています。今回の本はニーチェの考えを下敷きにしながら、これから訪れる無菌志向の超偽善社会に備えていくという内容になっています。
以下にまえがきの一部、目次、あとがきを貼り付けます。是非手に取ってお読みください。
(貼り付けはじめ)
0・1 私がニーチェの褌(ふんどし)を借りて書くことにした理由
ニーチェといっても、原作が松まつこま駒で、作画がハシモトによる漫画『ニーチェ先生』に登場するコンビニで深夜バイトをする大学生仁井智慧(にいともはる)のことではない。「お客様は神様だろ!」と理不尽なクレームをつける客を、「神は死んだ」と言って撃退したので、あだ名が「ニーチェ先生」になった仁井君のことではない。
「神は死んだ」というのは、ニーチェがいくつかの著書で何回も書いた文章だ。そのために、ニーチェは蛇蝎視(だかつし)されてきた。いるかいないかわからない神という存在について「死んだ」と書いたのだから、ニーチェほど神のことを考えていた人間はいないという逆説をわからない頭の悪い人々によって。かわいそうなニーチェ。
本書の目的は、現代と、来きたるべきろくでもないけど面白くないわけでもない超偽善社会を生き抜いて行くために知っておくべきだと私が思うことを、ニーチェの褌(ふんどし)を借りて書いたものだ。ここで「喰い込むばかり」と下品なツッコミを入れないように。「高く登ろうとするなら、自分の足を用いよ。引き上げてもらおうとするな。他人の背や頭に乗ってはならない」(『ツァラトゥストラかく語りき』佐々木中(ささきあたる)訳、河出文庫、2015、495頁)と言ったニーチェは、「他人の褌で相撲(すもう)を取るな」と、言うかもしれないが。
ところで、ニーチェなんて、そんな難しい本なんて読んでもわかりません!と思っているあなた! 読まずに、そういうこと言ってませんか!? ニーチェは難しくない。長いだけです。読めば、わかります。面白いです。
そもそも、今の日本で読書(漫画を含めて)習慣がある人は、人口の1割ほどだ(と思う)。1200万人ぐらいだ。この数字に「エビデンス」はない。私がそう思うだけだ。その中でも、書籍はもっぱら公立図書館で借りて読むだけではなく、またはアマゾンのKindle Unlimited に登録して無料の電子ブックで読むだけではなく、自腹で書籍なり電子ブックを購入して読む人は500万人もいない(と思う)。
これでは、日本の出版社の経営が難しいはずだ。書店もどんどん閉店するはずだ。現在の日本の出版社は、「人口1200万人で、500万人の消費者しかいない国」の中で競争しているのだから。
今は、そこそこの偏差値の大学の学生でさえ、「こんな難しい本は読めません」とゼミの担当教授に向かって堂々と言う。いまどきの大学教員なら、いまどきの普通の日本の若者の読解(どっかい)力と、彼らや彼女たちが育った(1990年代以降の日本の経済状況下の)家庭の文化資本の蓄積の乏しさは良く知っている。橘玲(たちばなあきら)のベストセラー『バカと無知 人間、この不都合な生きもの』(新潮新書、2022)に書いてある「日本人のおよそ3分の1は「日本語」が読めない」(81頁)という調査結果に驚くこともない。
だから、無駄に難解な書籍など教科書として選ばない。それでも、大学生なら、これぐらいの程度のものは読んで欲しいと思うテキストをゼミで輪読(りんどく)する。なのに、数行も読まないうちに「こんな難しい本は読めません」である。じゃあ音読(おんどく)から始めるかと思って音読させたら、漢字が読めない。もう出版社の方々、書籍の漢字には全部ルビを振(ふ)ってください。
でも、あなたは違う。貴重な「日本の読書人1200万人」のひとりだ。「日本の読書人1200万人」のひとりに入るくらいに、あなたは運が強い。親ガチャに外はずれた人間こそ読書の習慣がないと無知不用心のままに生きるはめになり不幸不運必至なのに、そういう人間に限って読書の習慣がない。だから、遭遇(そうぐう)してもしかたがない類(たぐい)の人間に関わるはめになるし、重要な情報も入手できず、先人の知恵に触れることもなく、自己省察(せいさつ)もできず、さらに運が悪くなる。
しかし、こうして本書を開いているあなたは運がいい。だから、ニーチェも読めます。
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『ニーチェのふんどし いい子ぶりっ子の超偽善社会に備える』◆ 目次
第0章、あるいは「まえがき」 7
0・1 私がニーチェの褌ふんどしを借りて書くことにした理由 8
0・2 本書はごく少数者向き 11
0・3 仏教徒もイスラム教徒もみんなキリスト教徒 14
0・4 今や共通善は「弱者救済」だけ 19
0・5 大義を疑うためにニーチェを 24
0・6 本書の構成 28
第1章 ニーチェの思想をあなたが必要になる契機は「ホワイト革命」 35
1・1 岡田斗司夫の「ホワイト革命」論の衝撃 36
1・2「ホワイト革命」は、とりあえずは高度情報化社会の産物 40
1・3 道徳的であるという評価が個人だけではなく国や企業にも求められる 44
1・4 21世紀の「優しい良い子たち」は進化した人類か? 54
1・5 ホワイト革命の先駆としてのポリコレとキャンセルカルチャー 63
1・6 道徳化された社会形成のための段階としてのポリコレ・ヒステリー 69
1・7 岡田が予測するホワイト革命は起きると私が思う理由(その1) 72
1・8 岡田が予測するホワイト革命は起きると私が思う理由(その2)
―― SDGsだのESGだのニュー資本主義だの 83
第2章 ホワイト革命がもたらす7つの様相 107
2・1 歴史始まって以来の人間革命? 108
2・2 魔女狩り社会になる? 111
2・3 現実逃避社会になる? 114
2・4 バックラッシュ? 117
2・5 人間はより画一的になりルッキズムに至りアバターに身を隠す? 121
2・6 優しく良い人たちの人畜牧場完成? 129
2・7 現実逃避も魔女狩りもバックラッシュも身体性からの逃避もあるし権力者共同謀議もあるが、人間革命は起きない 131
第3章 ニーチェかく語りき 135
3・1「人とは恐ろしいモノだ」と覚悟しておく 136
3・2 ディオニュソスなくしてアポロは立ち上がらず、アポロなくしてディオニュソスは目覚めない 147
3・3 悲劇上等! 160
3・4 歴史は強くて利己的な野蛮人が作る 171
3・5 天国や彼岸の設定は生の否定であり敵視 177
3・6 善悪も道徳も正義も変わるもの 185
3・7 ルサンチマンから生まれる道徳もある 191
3・8 キリスト教は世界史初の奴隷道徳 196
3・9 末人(まつじん)なんて退屈だから超人をめざせ 200
3・10 ニーチェの独ひとり言 209
結語 ―― 来るべき超偽善社会の欺瞞と抑圧に汚染されないために 218
あとがき 225
紹介文献、引用文献リスト(本文で言及順) 229
私が読んだ範囲で面白いと思ったニーチェ入門書リスト(出版年順) 234
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あとがき
ニーチェに関することは書いてみたいと身の程知らずにも思いつつ、哲学科を出たわ
けでもない私がニーチェに関する書籍を出すことは無理だなあと思っていました。一時
期はアメリカ文学の研究者でしたので、アメリカの作家に関連した論文でニーチェに言
及したことはあったのですが。
ところが、2021年3月に秀和システムの編集者の小笠原豊樹さんから一冊書いて
みないかという嬉しいお申し出をいただきました。2022年に再度お話をいただきま
した。それならばと、そのお申し出に厚かましく乗っからせていただくことにしました。
この機会を逃すと、私のような人間がニーチェについて書いて本を出版するなどということは不可能だと思いました。また、今この時に書かないで、いつ書くのかとも思いました。ちょうど、その頃は、本書に書いた岡田斗司夫さんがオンラインセミナーで発表なさった「ホワイト革命」論について、「これはニーチェ的には嫌な展開になるかもしれないなあ」と思っていた時でしたから。
小笠原さんには、ニーチェについて書く機会を提供していただき感謝いたします。今どきの、この書籍の売れない時代に、ニーチェについて書かせてくださるなんて、この方は相当に「一本の綱」の上を歩いておられる方だと思いました。
いろいろいろいろお世話をおかけいたしました。ありがとうございました。
本書の表紙デザインについて、アイン・ランドの小説やエッセイ集の拙訳や、私が編著者を務めた文学関係の論文集や、単著4冊の装幀で、2004年以来お世話になっている大谷昌稔(おおたにまさとし)さんに、またお願いいたしました。ありがとうございました。
表紙のイラストは、私の「馬鹿ブス貧乏本」シリーズの表紙イラストを担当してくださった伊藤ハムスターさんにお願いいたしました。またもチャーミングなイラストをありがとうございました。
同時に、今まで出版された拙著に関して率直なご感想を下さった読者の方々にお礼を申し上げます。その方々は、「フジモリさんがご自分のブログに書くよう書いてください。いっぱいの文献を紹介してくださるのは勉強になりますが、私が読みたいのはフジモリ
さんの言葉ですから」と、それぞれにおっしゃるのです。
中には、「本を読むことしかしていない人間の書いたもので、読むところがない」と匿名でSNSに書いていた読者もいました。この読者は拙著3冊を図書館で借りて読んだそうで、「読むところないなら3冊も読むな、批判するなら自腹で購入するぐらいはしろよ」と私は思いました。しかし、ニーチェもツァラトゥストラに「わたしは読んでばかりいる怠惰な者を憎む」(佐々木訳、64頁)と語らせています。だから少しは私も反省しました。
というわけで、本書では、なるたけ自由に書いてみました。私は、長年、職業柄、自
分以外は誰も読まない類の大学の紀要(きよう)(大学に所属している教員の論文集)に載せる論文を書いてきました。論文というのは先行研究をちゃんと読んでいるかを示すことが要請されるので、ついつい資料を漁る癖が抜けず、かつその文献に言及するのが習慣となっていました。ですから、商業出版物に要求される読みやすさについて工夫(くふう)が足りなかったようです。そのことを読者の方々に指摘されて、あらためて気がつきました。
ここでその読者の方々のお名前を挙げることはいたしませんが、みなさん、貴重なご意見をありがとうございました。
ああ、それにしても本当は、本書のタイトルは「ニーチェの褌」にしたかったです。褌だと、漢字だと、しっかり締められている感じがしますが、ひらがなだと、ゆるい感じです。すぐに、ほどけそうです。
2023年2月
藤森かよこ
(貼り付け終わり)
(終わり)

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