古村治彦です。

 

 今回は、大谷敬二郎著『二・二六事件の謎 昭和クーデターの内側』(光人社NF文庫、2012年)を皆さんにご紹介します。

 


 二・二六事件とは、1936(昭和11)年2月26日未明に発生した事件です。陸軍の青年将校たちが自分の所属していた部隊の下士官と兵約1400名を率いて、岡田啓介内閣総理大臣、鈴木貫太郎侍従長、斎藤實内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監、牧野伸顕前内大臣を襲撃し、総理大臣官邸、警視庁、内務大臣官邸、陸軍省、参謀本部、陸軍大臣官邸、東京朝日新聞を占拠しました。斎藤實内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監、岡田首相の身代わりで義弟の松尾伝蔵退役陸軍大佐が殺害され、鈴木貫太郎侍従長は瀕死の重傷を負いました。岡田首相と牧野前内大臣は何とか難を逃れることが出来ました。その後、東京の中枢は青年将校たちに占拠され、一触即発の状態となりましたが、29日に青年将校たちが下士官と兵を部隊に返し、事件は終わりました。

 

 その後の裁判では、青年将校たちの主だった者が死刑となり、その他に、民間人側からは、叛乱の首魁として青年将校たちを扇動したとして、思想家の北一輝と元騎兵少尉の西田貢が死刑となりました。この事件は現在まで、映画やドラマ、小説、演劇のテーマとして取り上げられています。青年将校たちの行為は許されるものではありませんが、舞台で下士官や兵と接して、彼らの厳しい生活を知り、何とかしたい、政治は何をやっているんだという思いからこのような行動に出たということで、彼らの純粋な思いが人々を惹きつけているのだと思います。

 

 この本は、1967年に柏書房から出版され、1975年には同社から増補版が出されています。光人社NF文庫に収められたのは2012年です。著者の大谷敬二郎は、当時、憲兵少佐で、東京憲兵隊特高課長を務めていました。彼は、この事件の捜査の最前線にいた人物です。

 

 彼らがこのような行動に出るまでに、その当時、陸軍の要職からパージされていた皇道派と呼ばれる陸軍内の派閥の頭目と見られていた、荒木貞夫、真崎甚三郎、山下奉文たちの教唆があったこと、更に事件が起きて以降、香椎浩平戒厳司令官、本庄繁侍従武官長、堀丈夫第一師団長といった人物たちは、この事件を利用して、陸軍主導の内閣を作ろうという動きに出ます。しかし、昭和天皇の激しい怒りを知り、彼らは青年将校を見捨て、その後は保身に汲々とすることになります。

 

 本書を読んで思うことは、「日本では偉い人ほど罰せられない」ということです。そして、「偉い人たちを守るために、その下の人たちや外部の人たちが理不尽に罰せられる」というものです。二・二六事件の場合、実力部隊を動かして政府や軍の最高幹部たちを殺害したのですから、将校たちの死刑は当然のことでしょう。五・一五事件の時、死刑になった人はいなかったことを考えると、バランスが悪いとは思われます。しかし、叛乱罪となれば仕方がないことでしょうし、将校たちも捨て石になるという覚悟もあったのですから、その点では彼らもまた判決を甘受したと思います。しかし、彼らを利用しようとした人々は裁かれてもいないし、罰せられてもいないのです。

 

 そして、陸軍は、その後、軍紀粛清を唱えながら、同時に、庶政一新を掲げて政治に介入することになります。軍の政治介入は、軍人勅諭でも厳しく戒められていましたが、自分たちが起こした不祥事を逆手にとって、陸軍は政治介入を強めました。政治の側も、また、クーデターが起きるかもしれないという恐怖感に支配されるようになり、陸軍の介入を許すことになりました。このようなことは、青年将校たちが望んだものではありませんでした。このような結果になったのも、結局、青年将校と北一輝たちに責任を押し付け、軍紀粛清と言いながら、しっかりと事件の捜査と処理をしなかったためです。

 

 青年将校は意図と全く違う結果を生み出す行動になってしまったことを冥界でもさぞや悔しく思っていることだろうと思います。

 








(終わり)